アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
お見苦しいところを見せてしまいました。
恥ずかしい限りです。
余裕がないというか、もう、売り言葉に買い言葉状態でしたね(汗
これからも続くのでしょうか(_ _;
疲れます。
そう思います。
でも普通でいたかった・・・といっても後の祭り(漢字あってますか?日本語が不自由なんですよ・汗)ですが
答えは人それぞれの中にありますよね。
生きてきた道も環境も全てが違いますからお互いの価値観もそれぞれです。
今、やっていることに答えは永遠とないでしょう。
解っているのにやっている私はアホだと思います。
私の中での結論なのですが、生きる気力がない です。
どちらかといえば死に近いところで生かされています。
生きるにも死ぬにも責任があるので生かされています。
一生なんてかけてまで答えを探したいとは思いませんが・・・歳ですね(_ _;
今の私は希望も期待もしていませんしどつらかといえば鬱でもないのに疲れ果てています。
日記を読んでいただければ解ると思いますが。
疲れ果て→歩み→変えて→諦めて→責任がある→生かされている→責任がある→死ねない→楽に生きる→方法はふより普通に近くなる
今の私はこんな感じです。
この最初の六つの段階は何度も繰り返しました。
その後の結論が一番最後のものです。
これが楽だと気付いたので。
私は無理をしてきっともう壊れたのでしょう。
自分を放棄したのかもしれませんね。
今の私はこんな感じです。
「打たれた杭は引き抜いた」(コカ語です)
コカ
そうですね。
極端です。
考え方にしても興味あるものにしても。
でも私のASでは私の中では極端でしかありません。
外で認められるような才は何もありません。
それで食べていけるとゆうほどの才です。
努力してなんとか薬学部にこれました。
この程度です。
ズバ抜けたものは何もありません。
自分でASなのかと疑うようなこともあります(汗
ただの出来ない子じゃなのだろうかと・・・
コカ
パニックにはなってましたが落ち着きました。
でも自傷行為は何もしていないんですよ。
成長しました。
刃物が怖く感じるようにもなりましたし。
あのときは頭のオカシイ人でした。
障害無しにストレスはどの時代でもあったでしょう。
ただ表に出始めたのが極最近のことだけのように思います。
情報化社会ですし。
いえ、心配されるということは私をみてくれているということです。
ありがたいことだと思います。
人を想えることは素晴らしいことですから。
私は極度のうつ状態になったとき感情すら麻痺していた時期があったので解ります。
ありがとうございます。
はじめまして。
そのように言っていただけると嬉しいです。
ちゃんと経験値にはなってますね。
私の言葉が通じているから。
そうですね。
私の場合は 人と人の間に境界線がみえる ですが。
違和感は同じです。
私も同じです。
ずっと精神的虐待の中で育ってきました。
私の両親も 一番 で当たり前な家だったのでASである私はとろく何をやってもうまくいかないのでいつも罵声と叱られてました。
今でも時々フラッシュバックを起こしてパニックになっています。あと幻聴も聞こえます。
だから家に帰ることが嫌で帰りたくなかった。
Dの確認は私もつい最近できるようになったばかりです。
痛い体験で覚えて言葉もそのまま覚えてきました。
ただ違う点は私は人と関わりたかったこと。
独りが淋しくて独りが嫌いでした。
AS独特に感じる孤立感がもう嫌で嫌でたまらなかったのです。
どうして私は人と巧く付き合えないのか、そしてそれは人の気持ちが解らないからだと気付いていました。
理解者もいなかったのでずっと独りでした。
私も多分同じような理由が根本にあると思います。
対人関係の総和がうまくいかないための鬱でした。
今から四年半前のことです。
最初はボーダーとの診断名でした。
そして普通のクリニックに通院していたので先月やっと私は普通が解らないといっていたことでASだという診断名を頂きました。
解ってもらえないこと、ずっと独りだったことで私も自殺未遂、自傷行為など自分を殺すことばかりしていました(今ではやってませんが)
日記にも書きましたが私には健常人との間に境界線がみえます。
これは努力すれば越えられると思っていました。
でも越えられないことが解りました。
創作とは妄想のことですか?
生活できるようになったことはいいことですね(^-^)
人付き合いもちゃんとできているようで羨ましいです。
#会社では「仕事の上手な猫が一匹いる」という立ち位置です。
でも淋しくありませんか?
独りのほうがラクなこともありますがやっぱりASの人も人間です。
私の場合だとは淋しくてたまらないと思います。
折り合いをつけて生きていくことは出来ますがでも永遠の孤立感が淋しくてたまりません。
私が意味するところの普通は彼らの視点でみえ共感できる部分のことなのです。
それが知りたいのです。
いや、実際はこのASk孤独感から解放されたいと有り得ないことを望んでいるのでしょう。
でも自分がこのことには気付きたくはなかった。
普通になれないと解っていても普通になりたかったから。
みんな普通は無いという。
では普通とは何?
説明して欲しいともいわれる。でも彼女たちは答えられない。
でも私には普通がみえます。それはASだからでしょう。
あの境界線を越えて普通と共感して一緒に笑いたい。
仲間が欲しい。
独りはやっぱり淋しすぎる。
コカ
はじめまして。
いえ、いいですよ。
えーと、私もASだけでLDではないので発言に不可解な思いをさせるようなこともあると思いますがご了承ください。
ごめんなさい。
それと矛盾したことをいっている場合もあると思います(汗
そうです。
完全には不可能です。
でも近づくことはできると思います。
普通のフリです。
私は普通の人たちも好きです。
嫌な思いも沢山したけど解ってもらえることなどありません。
痛い目に何度も合い、その度にたくさんの人を傷つけて来ました。
でも、その和に入っていき会話を楽しみたいと思っているのです。
普通の人たちからみれば、ずうずうしいことだと思います。
ASの個性がなかなか受けいけられない個性だとも解っています。
でも診断名を受ける以前からずっと普通になりたいと思っていたいのです。
自分でもとんでもないことをいっているのも解ってはいるけど、私には人に認めてもらえるような素晴らしい才能はありません。
なので死ぬまで普通という中で生きていくことになります。
そうなってくると普通の中での楽しみ方を見つけなければ生き辛さは倍増します。
だって、解らなくても覚えることは出来るし、そのスキルを身につければ例え私が共感していなくても相手は笑ってくれます。
それが嬉しいからいいんです。
だから完全に不可能だとは言い切りたくないのです。
私がそれを築き上げていく、これが私の個性かもしれませんね。
人が笑って楽しんでくれる。
人の顔色を伺いながら生きていたからそうなったのかもしれないけれど・・・
私のものの見方を受け入れてくれる人に出会ったことは殆どありません。
だから今までずっと独りです。
独りきりになるくらいなら普通のフリをしたままでいいと思います。
私は一人に大好きだといわれるより一人でも多くの人に大好きだよと言われたいだけなのです。
それが例え偽りであっても・・・
これは対等という関係を崩しているかもしれない。
でも独りになるよりはマシです。
それにね、孤立するような個性ならどちらでも同じじゃないですか?
だったら独りなるより普通の中の偽りの独りの方がマシです。
卑下しているわけでもありません。
障害をもつものもたないもの、それ自体もう対等ではないのですよ。
対等というならどこが対等なのでしょうか?
教えていただけないでしょうか?
私には解りません。
では私の個性とは一体なんなのでしょう?
キレイ事はいりません。
自分らしさを探しました。
その結果、生きることにも意味はなく死ぬことにも意味はない。
そして自分は死に近いところで生きているという結論に至り早く死が訪れるようにと思っています。
右にならえ
楽でいいじゃないですか。
個性をださなくていいのだから。
それに偽りでも独りではないのだから・・・
これが自分で出した結論です。
一目置ける人がいたかといってそれが何になるのでしょう?
必要のあることだとも思えないですし。
憧れます。
偽りでも独りじゃなくなるから。
そうですね。障害がなければこんな小難しいことや理屈を考えずに済んだのだから・・・
だったら障害をカミングアウトする必要もないでしょう。
だから理解を求めるだけが生き方ではないといったのです。
理解を求めたところで返ってくる答えはキレイ事ばかりです。
うんざりしました。
そうですね。
慣れてきたら楽になるでしょう。
そうなりたいです。
コカ
昨日今日と関西はいい天気でした。
今年に入って一番いい天気だったんじゃないかと思うぐらい、遠く六甲の山々まですっきり見えました。
嫌がる長男を連れて少しサイクリング(今度学校で使う水着を買ってあげるといって)して、あじさいの美しさに目を奪われました。
大きなあじさいがあちらこちらに・・・。
駅に向かう道にくちなしの生垣があっていい香りにうっとり・・・。
「外に出るのは疲れる」っていうけど、ちゃんと見てよ、梅雨の晴れ間の素敵な風景。
お疲れ様。ご学業その他、根を詰めすぎないでくださいね。
たまには、贅沢な時間の使い方も楽しんでください。
世の中、色々面白い物があるので、飽きませんよ。
私は、荒唐無稽なものが大好きです。恋愛小説だけは駄目なのですけどね。
結構、”荒唐無稽”には当てはまるらしいのですが。
世界のベストセラーの方が、まだ楽しめました。
ジョンさん、目から鱗のご指摘をありがとうございます。全く仰るとおりです。
私と同年代の方でももちろんバーチャルだと認識して参加できる方も大勢いらっしゃると思うのですが、私はテレビに向かって返事をするおばあちゃんに近いかもしれません。だから、感情移入しすぎてしまうのかあとよくわかって助かりました。
でも、掲示板では視野の狭さを5ミリメートルぐらいひろげられて、嬉しかったです。もう少し、冷静に読めるようになりたいです。(冷静に読めないときは、最初から見ないことにします)
ジョンさんにはいつもいろいろ教えていただきましてありがとうございました。謝謝。
コカ wrote:
>劣っていると思います。
あなたの言う
「劣っている」
は、
物理的なことではありませんか?
人間の価値ってそれだけでは無いと思います。
>ありがとう。
>ではどこが素敵なのでしょうか?
傷害ゆえに苦しんで、
障害があるからこそ見える世界を感じているでしょう?
世の中の矛盾や、自分の弱さを見つめているのでしょう?
私はあなたの文章に惹かれるものがあります。
>障害なんて邪魔なものでしかないですよ。
確かに上手く生きて行く為には邪魔かもしれない。
でも何も邪魔するものの無い人なんてごく稀ですよ。
人はそれぞれ見合った試練を持って生きているのではないでしょうか?
でも障害は、持つ人や周囲の気持ち次第で、
邪魔なもの、だけではなくなると思います。
障害があるからこそ見える光もきっとあると思うのです。
>ずば抜けた個性があれが人は認めるでしょう。
>でもそのような才能がない人は普通という社会に適応するしかないじゃないですか。
>私はエミリー★さんのようにIQが高いわけでもありません。
でも私はLDがあり、時計を見ても時間が分からないし、
身体能力も狂ってます。
自分の指令通りに指先が動かない。
機能的にはあなたのほうがずっと恵まれていると思います。
>障害を持つものと持たないもの。
>それで区別できます。
>どこが対等なのですか?
>キレイ事です。
だからあなたは物理的側面でしか人間を見ていないのではないですか?
わたしは、
「生きる権利」「人としての尊厳」は、
対等に有すると言っているのです。
だいたい、
病気や怪我、障害などで苦しんでいる人の、
生きる権利を守るために、医療はあるのではないですか?
あなたも医療従事者を目指しているのでしょう?
>でもお母さまという味方が一人でもいるあなたは恵まれています。
>それでも吠えるのはただの 甘え だといいたいのです。
あなたがかわいそうだとは思います。
自分のやり方が正しいと思っているのに、
なぜこんなにも苦しんでいるのですか?
>私はキレません。
>無駄な労力は使いたくないので。
リストカットは無駄な労力ではないのですか?
充分苦しんでキレているじゃないですか。
>以前のカキコでエミリー★さんはそれを否定しましたから。
あれは、
「あなたが行動をおこさないなら」
の話です。
>それが解った上で普通になりたいのです。
無理ですね。
>私はそのように頑張ってきたのだから。
>ソレまでを否定するのですか?
否定はしません。
ですが普通になることは出来ません。
普通の中で生きていくことは出来ても。
>>何の可能性ですか?
>
>障害を持った上でそれ以上のことをやってのけるということです。
それはカミングアウトしても出来ることです。
>それはエミリー★さんの価値観です。
>私とあなたの価値観は違います。
価値観の問題ではないと思います。
障害者としての程度の程度の違いです。
>>>障害を越えてこそ差別もなくなる。
>>
>>超えるという意味が違うように思えます。
>>障害を越える、というのは、
>>障害を隠したり、無理に押さえ込んだりすることじゃなく、
>>障害と上手に付き合っていき、
>>障害を持ちながらでもできることを精一杯やっていく。
>>ということだと思います。
>>それにあなた自身が障害を差別しているではありませんか。
>>あなたがこのままでは、
>>「あなたの周り」では差別はなくなりませんよね。
>
>言い方が悪かったようです。
>差別は障害がある時点でなくなりません。
>だって違うでしょ?
>障害をもったうえでどこまでやれるか、障害をもっていても普通の人と同じようにまたはそれ以上にやっていきたいだけなのです。
それをするのに、
障害を隠す必要はない、
と思います。
>仲間を知ろうとしていないのだなととれたからです。
仲間でいることの苦しみを知っているからこそ、
私は仲間を作らないのです。
>>でも理解できても同じようになりたいとは思っていませんけど。
>>なれるはずないですから。
>>私は私なのです。
>
>それはエミリー★さんの価値観です。
>私の中での普とは当たり前のことが出来る、解る
>ということです。
>私はそれができるようになりたいのです。
>覚えればフリでも近づけるでしょ?
でもそれがリストカットするほど辛いんでしょう?
>このような発現は人をバカにしています。
あなたこそ、
障害を持つ方々を馬鹿にするような発言は
お止めになった方がよろしいかと思います。
>だから自分は諦めません。
だから、
私は諦めたんではないんです!
>>私が現実を見ていないように言わないでください。
>>あなたに私の何が解るんですか?
>
>解りません。
>解るわけがないじゃないですか。
>実際のあなたに逢ったことがないのだから。
それなら、
知った風な書き込みをするのは止めて下さい。
>もっと頑張りますね。
リストカットしない程度に、
どうぞ頑張って下さい。
ジョンです。アスペルガーの館の掲示板にいつもお世話になっています。
今回は、掲示板において繰り広げられる論争において感じたことを述べさせていただきたいと思います。ネット空間の認識に世代間の違いがあると感じました。私はいろいろなサイトでさまざまな方とお会いしますが、ネットに対しては、いろいろな意見があります。「ネットは仮想現実であって、実世界とは異なる。」というあくまでブラックボックスの見方の方。「ネットでの発言は紙人形ではない。」という「発言=人格」の見方の方。私はこれらの意見が形成される理由について悩みました。いろいろ考える中で、tinさんが22607でご自分の発言を訂正されているのを拝見して、ある考え方に気が付きました。この発言は、掲示板の訪問者は人格をもった人間であって、相手がある以上、バーチャルのものではなく、訂正すべきは訂正する。という考え方です。コンピューターゲームと異なり、相手は生身の人間だ、という認識だと思います。
わざわざ、前の投稿を訂正するのはなぜか、バーチャルでコンピューターゲームであれば、別に、書きっぱなしでもいいのです。ところが、私の場合のように、50歳代の人間は子供時代、ラジオ、白黒テレビで育ったため、SFXもなければ、コンピューターグラフィックスもなかったため、音声や、画面に登場する人間は、喜怒哀楽を表現する生身の人間でした。ところが、時代が変わると、テレビ画面の向こうに存在する画像は、人工的に、あるいは、電子的に作られた人物が加わりました。いちいち電子的フィギュアに反応する人はいません。仮に、画面上で登場人物が落命したとしても、リセットすれば、元に戻ります。私たち年配者はどうしても、掲示板の向こうには生身の人間がイメージされます。怒っているか、悲しんでいるか、喜んでいるか、が気になるわけです。アスペルガーは察知することはできませんが、感情は持ちますので、私の場合、掲示板の書き込みに対して、相手がどのように感じているかは気を使います。
おそらく、掲示板の使い方にも、世代間のギャップは現れるのではないでしょうか。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Yurinoki/9387/
tin wrote:
>コカさん、落ち着かれたようですね。(^^)
>
>今はこうやって大人もストレスがたくさんある時代ですから、子どもは子どもなりに大人には計り知れない辛さを抱えている子がいると思います。ネットで読んでいても、いらぬお世話で心配になることがあります。(そういう私が、ちゃんと我が子を育てているとはとても言えませんが。)そのあたりをわかっていただくと、子どもを持つ身としてありがたいです。
お昼休みです^^
↑の発言を撤回させてください。我が子はまだ調べものでインターネットを利用している段階で掲示板を利用したことがないのですが、私自身の失敗の経験から我が子にどうやって教えていこうか、子どもの友達の顔を思い浮かべてどういうことにみんなで気をつけさせようか考えていまして、力が入りすぎてしまいました。(自重します)
管理人です。
何人かの方からメールで問い合わせをもらっていますが、最近つながりにくかったようです。
掲示板を置かせてもらっているレンタルサーバーの会社に問い合わせましたが、サーバーは問題なく稼動していたとのことで、「お客様環境下のみで発生した問題だと思われます」という返事でした。
このサーバーはアメリカに置かれています。きっとそこからの回線のどっかで混雑して詰まっていたのでしょう。
掲示板がなかなか開かないときは、時間を置いてまた来てみてください。
翡翠 wrote:
>エミリー★の母 wrote:
>>今、エミリーには小説家になる、という夢があります。
>>それでもし、小説家になれなかったら・・・?それでもあの子がまた、混沌の中に投げ込まれ、地獄にいる苦しみを続けていくよりは幸せな人生だと思います。
>小説家になれなかったら、というのはどういう事を想定しておられるのでしょう。地獄にいる苦しみを続けていくよりはというのは?失礼ですが、夢がかなわなかった場合に死を選択することをお考えではありませんよね。どのようであれ、生には価値がある、苦しくても生き抜くことそのものに意味がある、そう思ってください。
横レス失礼します。たぶん、エミリー★さんのお母さんがおっしゃりたいのは、小説家になれなかったとしたら大変な苦労をするかもしれないし、そうした場合どうすべきか具体的には今は見えないけれど、リスクを考えて無理に人並みの人生を歩ませるより、エミリー★さんの可能性に賭けて能力を育てていってやりたい、ということではないでしょうか。
>>ASが社会保障を受けられるようになってくれたら助かるのですけど・・・。
>社会保障で生活が可能になることはありえないでしょう。現状を見てください。現在、心身障害者が十分な補償を受けているでしょうか。母子家庭のあなたはどうでしょう。ASは「軽度」発達障害ですから、成人するまでの社会適応のための訓練が期待できる精一杯です。政府が適切かつ十分な教育プログラムを実行してくれれば、と願います。
現在私は身障者の自立生活を支援するセンターの介護者として働いていますが、重度障害者でも24時間の介護支援を受けて自立生活を送ることも可能です。もちろんそれには行政側との交渉などが大変で、簡単にできるものではないですが。そうした身障者も、何十年にも渡って社会に働きかけた結果、施設を出て社会の中で生活していくことが可能になったのです。黙っていても行政側は何もしてくれませんから。先週も、支援費制度と介護保険が統合されることで、厚生省への抗議行動があったようです。ですから、時間がかかるかもしれませんが、無理だとあきらめるのは早いと思います。ASが社会的に認知されるようになってきたというのも進歩のひとつではないでしょうか。それからAS児童のための教育プログラムを、というように、少しずつでも段階を追って進めていくしかないように思います。当事者が訴えていかなければ行政側は動きませんから。何十年かかるかもしれませんけど、長い目で見てやっていくしかないのではないかと。
参考になるかどうかわかりませんが、身障者の自立生活運動についてのリンクです。http://www.arsvi.com/0w/ts02/2001032.htm
佐久間正代 wrote:
>直接お話しするのは、初めてだと思います。佐久間正代と申します。
>ASの11歳児の母にしてLD本人です。よろしく。
はじめまして、よろしくお願いいたします。
>しかし、実体験から行くと、もっとも神経をすり減らしたのは、小中なのですよ。一般に子供の方が理性に乏しく、感情むき出しですし、教師は団体行動を必要以上に要求します。
私も同じく、小、中学校が一番辛かったです。ほか、小、中学生の方が担任の影響を受けやすく、担任との相性に大きく左右される、ということもあるでしょう。団体行動他、ASなどについて教員の理解は非常に重要で必要と感じます。
>少子化が進んだ現在の小規模校を見ていると、大人数で詰め込まれた私の世代とは、和やかさが若干違うのです。広い範囲で他人に興味を持ち、排除しようと言う意志も緩やかなのです。
ずいぶん、時代も変わったのでしょう。私の時代よりははるかに、親、教員の理解も進んでいます。私が子供のころは、ASという考え方自体がありませんでしたから。
>それでも、ストレスに負けそうになった時は、逃げていいと思います。大事なのは、健康と命です。それを損なうほど、学校は大事ではありません。
>適度のさぼりつつ学業を終えた身としては、大変まじめな方なのですね、と思います。
健康と命が最重要というのは、もちろんです。ただ、「さぼり」、不登校などに対する親の姿勢が適度かどうか、ということには疑問を感じています。
>ただし、絶対に再び歩き出すことが条件です。
重要ですよね。
>目標は生きていること、自分で食べていくこと、あたりにしておくと気が楽になるのではないでしょうか?あとは野となれ山となれ、です。
そのためにも、やはり社会と接する必要はあると思います。
こちらにもちょっとだけレスしておくぞ。
エミリー★の母さんwrote:
>傍らであの子の書き込みを見ながらいつもハラハラしています。
気にするな。俺も面を出している支援組織の自閉者どもから
「姉御のコメントは見ていてハラハラする」と言われる。
>娘の書き込みをご覧になって、
>「知能が高い。」「コミュニケーション能力が高い。」
>と思われたでしょう?
この点について誤解はない。心理学者どもが測定した知能の高さと
人との関わりの困難の重さはそれほど一致しないということも知っている。
むしろ、そのために同世代に話題の合う奴ができなかったり、
周りから理解されにくくなるということもあるだろう。
>今、エミリーには小説家になる、という夢があります。
>母親の欲目抜きに、素晴らしい文章を書く子なんです。
>そのための時間をたっぷり与えてやりたい、そしてそのために見たいこと、
>知りたいことを叶えてやりたい。と思っています。
苦手なことだけに集中せずに、
特技を生きがいとして与えていくことは正しいと思う。
特に本人が子供であるうちは。
一方で、自閉者としての処世術を身につけることと、
特技を伸ばすことはそれほど矛盾はしない。
両者はどちらかを犠牲にしなければ身につかないものではなく、
同時に伸ばすことができるからだ。
前のコメントでも言及したが、
本人の生き方同様、育児の仕方にも万人に共通する答えはない。
1つの方針にだけ頼れば必ず無理やあつれきが生じるし、
軌道修正しなければならないことも多々あるだろう。
色々なことを試してみてくれ。
アークトゥルス wrote:
>謝ることないですよ。私もたまにこっそり押入れで昼寝しています。
>息子も学校では机の下、家では物入れに入って喜んでいます。この行動を初めて発見したのは生後5ヶ月頃で、はいはいしてスライド式本棚に入って行ってました(^^;
結構、大人になっても閉所好きは変わらないですよねぇ。息子さんのエピソードもまたほほえましい。そういえば、昔のフランスの大女優が、子供のころから(本人が望んで)、棺桶の中で寝ていたとかそんな逸話も残っていますが、、、アスペ?(いや、閉所好きだけでアスペ診断はどうかと。)
ふと、思い至ったのは、自分は今でも時折奇声を発するということ。でも、大学のときの助手の先生もキーボード打ち込みながら叫んでたし、世の中ヘンな人はたくさんいるってコトでオッケー。
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