アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ちょっと休日は留守にしていた。POLINECIAだ。
エミリー★ちゃんとコカさんのコメントは一通り拝読した。
お互い余裕をなくしていて痛々しい展開にはなっていたが、
「AS本人として、どう生きるべきか」
という大きなテーマに取り組まれていたことは有意義であると思う。
俺の考えを述べておこう。
「AS本人としてどう生きるべきか」という問題自体は重要だ。
何も考えずに生きるよりは、
考えながら生きていく方がずっと実りのある人生になるだろう。
ただし、この問題提起には「1+1=2」のような決まった答えはない。
そして、万人に共通する答えもまた存在しないだろう。
そういう意味では結論を急がず、
一生かけて考えていくべき種類の問題だと言えるだろう。
そして、もう1つ重要なことは、
この問いに対する答えは1人の人間の中でも変化を続けるということだ。
そして、その変化の仕方もまた人によって異なる。
ある時期に必死に社会に歩み寄ろうとした自閉者が疲れ果てて、
ある時期には自分を取り戻そうと歩みを変えていくこともあるだろう。
ある時期には非自閉者の無理解に憤っていた自閉者が、
ある時期には非自閉者と和解し歩み寄っていくこともあるだろう。
1人の人間が1つだけの生き方を歩み続けることは滅多にない。
じっさい、どんな生き方であれ1つの道に固執すれば、
必ずそこには無理やあつれきが生じる。
大切なのは無理行き詰まりを感じたら、
どんどん自分の生き方を変えてみることだ。
当然、俺の生き方は2〜3年後には変わっているかもしれないし、
考え方も今とは変わっているかもしれない。
万物は流転し続け、心もまた流転を続けるだろう。
そして、それはそれでいいと思っている。
今、本人が語る「AS者としての生き方」についての見解は
どれも生きる道程で暫定的に出した結論に過ぎない。
死ぬまで色々な生き方を試しながら生きていくことをお勧めするぞ
「やってみよ、そうすればどうなるか分かるであろう」(POLINECIA語録)
おはようございます。
これから少し忙しくなるのでここには顔を出せれないと思います。
他の方へのレスですが
昨日、サーバーが重く中々繋がらず出来ませんでした。
遅くなりますが時間が出来次第レスは返します。
すいません。
私のHPでの日記は毎日更新してますのでよかったらどうぞ・・・
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=uaauaguga
うちから車で一時間ほど言ったところに知的障害者の授産施設が経営するレストランとパン屋さんがあります。
国産小麦と天然イーストを使った素朴でどっしりしたアンパンは,お母さんの味と言った感じ。添加物も一切使わないこだわりパンはちょっとお高い。ひとつ百五十円は地元のパン屋さんのアンパン,しかもふわふわの,ケーキみたいな高級品が百十円で買えることを考えると,うーん・・・・・・と。
障害を持った私たちが社会にでで行くには,健常者に勝る技術がないと受け入れてもらえない現実があんぱんの向こうに見えてくるのですな。アンパンを二つ並べて地元のパン屋さんのパンか施設のパン屋さんのパンかさあ選べと言われたらどうだろう。
考え込んで一晩過ごした朝,子供のアニメ「おジャ魔女どれみ」をちびに付き合って見る羽目に。小学生の子供の手作り品を売るお店といういかにもまんがの世界らしい他愛のないお話だけど,心惹かれるものがありました。百円ショップや地元の高級パンのお店にはないあたたかさを子供は見抜いて,わざわざ一時間もかけて施設のパン屋さんにいきたがるわけね。でもひとつ150円のパンはそういつも食わせてやれないな,と苦笑い。一応調理師のかーたんがひとつ気合を入れてパンを焼いてやるとしますか。施設のパン屋さんと勝負して引き分けに持ち込むくらいのうでは持ち合わせているしね。
直接お話しするのは、初めてだと思います。佐久間正代と申します。
ASの11歳児の母にしてLD本人です。よろしく。
翡翠 wrote:
>いじめに関して、他の親御様方にも少し言いたいことがあります。いじめのない社会、集団など、あるでしょうか。あるにはあっても少ないのではありませんか?社会人になってもいじめは存在します。小学校、中学校だけの問題ではありません。
ごもっともです。
しかし、実体験から行くと、もっとも神経をすり減らしたのは、小中なのですよ。一般に子供の方が理性に乏しく、感情むき出しですし、教師は団体行動を必要以上に要求します。
高校位になると、できる教科の教師は手間をかけたくないのか、結構放っておいてくれますし、同級生から逃げる手段も、こちらが狡猾になってきます。
私は、同性が苦手でしたので、進級が危ういのに男性ばかりのクラスに逃げ込みました。(ずるい手段の例)
>AS者がいじめのターゲットになりやすいのは、残念なことに事実です。人は異質なものに対し、攻撃的、排他的です。一つの通過儀礼ではないかと考えるほどです。
ある意味、淘汰なのでしょう。ただ、面白いことにこれは、一種の集団ヒステリーみたいにも見えます。
少子化が進んだ現在の小規模校を見ていると、大人数で詰め込まれた私の世代とは、和やかさが若干違うのです。広い範囲で他人に興味を持ち、排除しようと言う意志も緩やかなのです。
隣のクラスには興味を持たず、同じクラスの中でも成績が同等の人間のみでグループを作っていた私の世代の子供とは、感じが違います。
それでも、ストレスに負けそうになった時は、逃げていいと思います。大事なのは、健康と命です。それを損なうほど、学校は大事ではありません。
勉強はどうゆう形でもできます。逃げて、休んで、気を取り直してまた歩けるなら、小中は行っても行かなくても良いところです。
ただし、絶対に再び歩き出すことが条件です。休憩はあくまで休憩にすぎません。学業は社会に出てからいかに楽をするかに重点を置いて、職業選択に必要な物を身につけておく必要があります。(やってくれない子供に、いらついてますけど...。世代が違うのか、家の子供が脳天気なのか。)
>いずれは世の中に出て行かねばならない、ですからあまりに安易な不登校には私は賛成できません。それとも、私は悲観しすぎでしょうか。
適度のさぼりつつ学業を終えた身としては、大変まじめな方なのですね、と思います。
目標は生きていること、自分で食べていくこと、あたりにしておくと気が楽になるのではないでしょうか?あとは野となれ山となれ、です。
エミリー★の母 wrote:
>「知能が高い。」「コミュニケーション能力が高い。」
知能の高さは感じます。
>書き込み中も、パソコンの前で、奇声をあげたり、のた打ち回ったり、そりゃあ大変です(汗)
なるほど。そういった状況をご覧になってずいぶんエミリー★さんの行く末を悲観なさっているようですが、衝動的行動は通常、加齢に伴い多弁へと変化します。(もっとも、私も一患者に過ぎない上、ご本人を存じ上げないのでなんとも言えませんが。)今は大変かと思いますが、そのうちになんとかなる、くらいに構えておられる方が、よいでしょう。AS者による自伝の幼少期や子供のASの症例などを読んでみてはいかがでしょう。
>娘はIQは人並み以上ですが、LDもありますし、会話では回りくどく、
LDですか。AS者が覚えられない、とよく言うのが道、人の顔、などですね。AS者は思考回路、記憶方法などがそもそも健常人とは違いますので、普通の授業は会わない事が予想されます。しかし、その人に合った記憶の仕方を覚えることで改善が見込まれます。会話も訓練しだいで上達するでしょう。
>「難しい傷害だけど、今まで子育て良く頑張ったね。」
難しいと思います。
>今、エミリーには小説家になる、という夢があります。
>それでもし、小説家になれなかったら・・・?それでもあの子がまた、混沌の中に投げ込まれ、地獄にいる苦しみを続けていくよりは幸せな人生だと思います。
小説家になれなかったら、というのはどういう事を想定しておられるのでしょう。地獄にいる苦しみを続けていくよりはというのは?失礼ですが、夢がかなわなかった場合に死を選択することをお考えではありませんよね。どのようであれ、生には価値がある、苦しくても生き抜くことそのものに意味がある、そう思ってください。
>ASが社会保障を受けられるようになってくれたら助かるのですけど・・・。
社会保障で生活が可能になることはありえないでしょう。現状を見てください。現在、心身障害者が十分な補償を受けているでしょうか。母子家庭のあなたはどうでしょう。ASは「軽度」発達障害ですから、成人するまでの社会適応のための訓練が期待できる精一杯です。政府が適切かつ十分な教育プログラムを実行してくれれば、と願います。
いじめに関して、他の親御様方にも少し言いたいことがあります。いじめのない社会、集団など、あるでしょうか。あるにはあっても少ないのではありませんか?社会人になってもいじめは存在します。小学校、中学校だけの問題ではありません。AS者がいじめのターゲットになりやすいのは、残念なことに事実です。人は異質なものに対し、攻撃的、排他的です。一つの通過儀礼ではないかと考えるほどです。いずれは世の中に出て行かねばならない、ですからあまりに安易な不登校には私は賛成できません。それとも、私は悲観しすぎでしょうか。
コカ wrote:
>ASだとして生きていくのは変わりませんが私は健常人と『対等』でいたいだけなのです。
あなたは、
ASが健常人より劣っている、
と考えているのですね?
>私が知ることの出来ない世界を彼らは知っている。
あなたにしか見えない世界を持っているほうが、
素晴らしいことだと思います。
>私が障害をカミングアウトしない理由は
>『普通と対等な立場』
>で闘っていきたいからです。
ASと健常人は、
対等です。
何を根拠にして差別しているんですか?
>障害を理由にしたくないんです。されたくないんです。
>障害を理由に甘えたくは無いんです。
>それはプライドが許さないから。
私にプライドがないと言うのですか?
私が甘えていると言うのですか?
障害から逃げて甘えているのは、
どっちでしょう?
>解らない。だったら解るように覚えていきます。
>観察して洞察して冷静でいられるように訓練します。
>感じることは出来なくても覚えることはできます。
>何もかもをASの理由にしたくないのです。
この前の小六の女の子みたいに、
キレない程度に頑張って下さい。
>説明をし理解を求めたところで自分の中のASの部分である人との違和感が消えるわけではありません。
それでも、
解ってくれる人が一人でも出てくるはずです。
>それでも、私は常に彼らと対等でいたい。
すでに対等ですよ。
>それは不可能なことだとは言い切れないでしょう。
「普通になる」
ことは不可能です。
ですがASと健常人は対等です。
>自らカミングアウトして可能性を潰すようなことはしたくないんです。
何の可能性ですか?
カミングアウトして潰れる可能性など、
いりません。
>「あの人は障害をもっているから仕方が無いんだよ」と『あの眼』でみられたくなく、思われたくないのです。
本当のことなんだから、
別にいいじゃありませんか。
>カミングアウトするだけが周囲に理解を求めるだけが生き方ではないと思います。
>理解を求めるだけが生き方ではないのです。
ではあなたはやはり、
視覚障害者の方に見えるふりをしろと、
聴覚障害者の方に聴こえるふりをしろと、
言うのですね。
>障害を越えてこそ差別もなくなる。
超えるという意味が違うように思えます。
障害を越える、というのは、
障害を隠したり、無理に押さえ込んだりすることじゃなく、
障害と上手に付き合っていき、
障害を持ちながらでもできることを精一杯やっていく。
ということだと思います。
それにあなた自身が障害を差別しているではありませんか。
あなたがこのままでは、
「あなたの周り」では差別はなくなりませんよね。
>勿論、エミリー★さんのようにカミングアウトして「ASとはこうゆうものなのです」と周囲に理解を求めるのも一つの手段でしょう。
>それに今の年齢ではそう考えて当然だと思います。
>エミリー★さんにとっては今は一方的に理解して欲しいことが必要なのでしょう。
まるで私が間違っているような物言いですね。
それに一方的に理解を求めている訳ではありません。
だからこそクラスメイトからの手紙を一生懸命読み、
他の子の思考を理解しようとしているのです。
でも理解できても同じようになりたいとは思っていませんけど。
なれるはずないですから。
私は私なのです。
健常人の人だって皆同じでは無いことも良く分かったし。
皆同じって世界がいいのであれば、
北朝鮮へでも行かれたらどうですか?
>失敗して経験して覚えることが出来ます。
わたしにはできません。
あなたとは違います。
でも、これは諦めではありません。
苦しんだ末に、
冷静に自分を分析した結果です。
>>あなたは何を言っているのでしょう?
>いずれ成長し本当のリアルに直面すると解ると思います。
私が現実を見ていないように言わないでください。
あなたに私の何が解るんですか?
>私は受け入れたからこそカミングアウトしないのです。
自分がASだということが恥ずかしいからでしょう?
恥ずかしいことでも、
悪いことでもないんですよ。
>理解は求めるより自分の成長を優先しました。
成長?何の?
成長なんてしてるんですか?
翡翠さん wrote:
>今日はホントなら、労働組合の「中堅社員研修」とやらで、同期たちと倉敷にいるはず、なのですが、「体調不良」でばっくれました(^_^。yeah!
>皆にはメール打ってゴメンって言っておこうっと。せっかくの休み、会社の人たちと過ごすなんて、しんどいよぉ。だから今日は一人でぐーたらたら。
泊りがけの研修ですか?それはしんどいですねえ。
わたしも気分しだいによってはばっくれますね。
集団の中にいるとすごく落ち着かないんです。四方八方から話し声が聞こえると物事に集中できなくなってしまう。
「孤立」といえばわたしは今同期のお弁当仲間から距離を置いています。ごめんなさいという感じです。
でもお弁当を食べる場所が騒がしくて、同期の子たちの話が聞き取れないから、
受け答えもトンチンカンになってしまうんです。
普通の人は雑音の中でも特定の人の話は聞き分けられるという話ですが、本当なのでしょうか。
翡翠 wrote:
>すいません、社会人になっても、オフィスの机の下にもぐりこんでました(-_-;;
謝ることないですよ。私もたまにこっそり押入れで昼寝しています。
息子も学校では机の下、家では物入れに入って喜んでいます。この行動を初めて発見したのは生後5ヶ月頃で、はいはいしてスライド式本棚に入って行ってました(^^;
先ほどは、娘について語ろうと思ったのに、コカさんへのメッセージになってしまいました(笑)
みなさん、いつもエミリーがお世話になっております。
傍らであの子の書き込みを見ながらいつもハラハラしています。
娘の書き込みをご覧になって、
「知能が高い。」「コミュニケーション能力が高い。」
と思われたでしょう?
でも、そんなことないのですよ。
書き込み中も、パソコンの前で、奇声をあげたり、のた打ち回ったり、そりゃあ大変です(汗)
娘はIQは人並み以上ですが、LDもありますし、会話では回りくどく、横道にそれて結論に到達できないなど、困難を伴います。なぜか文章能力だけは、逸脱していて、幼い頃は、親子の会話も交換ノートでしていました。
今では私のほうが、彼女の言いたいことを大分推察できるようになりましたけど、たまに携帯メールを使っています。
短大を出てすぐに彼女を生んで、
育児書に出ている赤ちゃんとは明らかに違う彼女を私はもてあましました。私自身まだ子供でしたので、一時彼女を恐ろしいとさえ感じ、つらい思いをさせてしまったと思います。 エミリーが二歳のときに離婚したので、ずっと二人きりの生活でした。でも、保育所でも、小学校でも問題行動が絶えず、母子家庭のせいだ、お母さんが若いから、などと、学校からも、医療機関からも家庭環境のための神経症だと言われ続けてきました。彼女の奇怪な行動や、私の言葉への理解力の無さに、疲れ、私のほうが心身症になり、彼女に虐待めいた事をしたこともあります。
でも、それが障害のせいであり、苦しいのは彼女自身だと分かった時、「この子を守れるのは私しかいない。」という思い、愛しい気持ちでいっぱいになったのです。
担当医の先生が、
「難しい傷害だけど、今まで子育て良く頑張ったね。」
とおっしゃってくれたときは、恥も外聞もなく泣きじゃくりました。それまでは周囲が一様に、私の育て方が悪いと言っていたから・・・「何度も、この子を殺して私も死のう。」と思ったか。娘が犯罪者になってしまう恐怖が常に付きまとっていたのです。
今、エミリーには小説家になる、という夢があります。母親の欲目抜きに、素晴らしい文章を書く子なんです。そのための時間をたっぷり与えてやりたい、そしてそのために見たいこと、知りたいことを叶えてやりたい。と思っています。
それでもし、小説家になれなかったら・・・?それでもあの子がまた、混沌の中に投げ込まれ、地獄にいる苦しみを続けていくよりは幸せな人生だと思います。ASが社会保障を受けられるようになってくれたら助かるのですけど・・・。今は私が先に死んだ後、彼女が生活できるだけのものを残したいと、頑張っています。
これからも、エミリーが毒舌を発揮するでしょうが、どうかよろしくお願いします。長いスレで申し訳ありませんでした。
いつもエミリーがお邪魔しています。
#コカさんへ
あの子はあのような言い方しかできないのですけど、コカさんの苦しみにあの子なりにシンクロし、自分が抜け出した明るい世界へ、導いてあげたいと、強く願ったのです。
障害との戦い方は、十人十色でいいのじゃないのでしょうか?ASの症状も千差万別ですし。コカさんが仮面をうまく使い分け、順応して普通の人(この言い方も苦手です。いったい何が普通かなんて・・・ねぇ?)として、生きて行く事ができるのなら、それはそれで素晴らしいと思いますよ。頑張ってください。でもね、人って自分を偽ってばかりいると、どこかひずみがでてくるものですよ!?私のような健常者でもストレス溜まりますもの。だからたまには息抜きしてくださいね。「この人なら」と思える人に出会えたら、その人だけには、カミングアウトしてみればいいと思いますよ。解りやすい本もいろいろ出てるし、医師に説明してもらうとかね!素の自分で同じ時を過ごせる人が一人でもいれば、素敵じゃない?
とにかく、ASであることをあんまり悲観しないで、ゆっくり未来を見つめてください。
最後に一つだけ。
ASの社会認知を必要としている人達もたくさんいます。まだまだ発展途上の医療分野ですから、いろいろな学説が飛び交い、混乱しているのが現状ですが・・・それでも子供達を不登校や低年齢犯罪、いじめなどから守るために、ASを支援を受けるべき障害として認知されるよう活動している人たちもいます。そういう動きも理解していただけたら幸いです。
コカ wrote:
>ASの障害を越えた期待です。
主治医が言っていた事です。
AS者は能力に非常に山谷のばらつきがあり、そのギャップが激しい。普通の人はその能力は押しなべて高かったり低かったりするが、AS者はある一点において非常に高い能力を示しても、別のところでは考えられないほどに能力が低かったりする。通常、人は能力の高いところを見て、そのレベルをすべてにおいてその人に期待し、できないところがあるということをあまり理解していないことが多い。そのギャップがトラブルの原因になっていることが多々ある。
すいません、社会人になっても、オフィスの机の下にもぐりこんでました(-_-;;
コカさん、落ち着かれたようですね。(^^)
今はこうやって大人もストレスがたくさんある時代ですから、子どもは子どもなりに大人には計り知れない辛さを抱えている子がいると思います。ネットで読んでいても、いらぬお世話で心配になることがあります。(そういう私が、ちゃんと我が子を育てているとはとても言えませんが。)そのあたりをわかっていただくと、子どもを持つ身としてありがたいです。
went wrote:
>tin wrote:
>>あーたん wrote:
>>> 長崎の佐世保の事件のニュースを見た次女がいきなりぽつんと
>>>「この子,カッターで切られると痛いってしらんかったんだね。コンピューターのお勉強ばっかりしてたからわかんなかったのかなあ」
>>> 毎度登場のあすぺっ子かっちん(次女のニックネーム)いつのまにかこんなことを言うようになってました。
>>> 子供は親が知らない間に育っていくのね。小さいころから療育を受けてきたおかげで「物事の意味合い」が少しづつ自分なりにわかってきたのかな。
>>>
>>えらいねえ。人の痛みがわかっている。勉強の前にまず大切なことがわかっている。言葉でちゃんと考えが言えている。おばちゃん、頭が下がります。この薄汚れた心が洗われましたよ。かっちん、ありがとう。
>>
>
> 横道にそれるレスです。書き込みの中で「勉強」という言葉が使われていますが、「『勉強』という言葉を貶す意図はない」ということは承知いたしております。
>
> しかし、ここで「勉強」という言葉が引き合いに出されるのは、私にとってはつらいです。
> というのは、「勉強が好きな人は性格が悪い」とか、「青少年の犯罪は、勉強プレッシャーが原因だ。」といった決めつけをする人も少なからずいるからです。それらの言葉は、「勉強好きな子供」を苦しめるかもしれません。現に私は、それらの言葉に傷ついてきました。
>
> 「勉強が出来る子が、テストの点数が自分よりも低い子のことをバカにする」「勉強さえ出来れば、他の事は何もやろうとしなくてもよいと思っている」「他の子に良い点数をとらせないために、他の子の足をひっぱろうとする」といったような行為は、確かに非難するに値すると思います。
> しかし、それらの行為とは全く関係なく「勉強することが好き」なことは、いけないことなんでしょうか?。
> 勉強という言葉を引き合いに出すのなら、「勉強することそのものがいけないこと」なのか「勉強にかこつけてこれこれこういう態度をとることがいけないこと」なのか、はっきりさせてほしいです。
>
> (書き込みの主旨について)かっちんさん、あーたんさん、tinさんの3人とも、立派です。かっちんさんの立派なところを見逃さないあーたんさん、tinさんも素敵です。私も頭が下がります。ありがとう。
すいません。言葉をたくさん知らない一年生は,インターネットやチャットなんて知らないもので。親ばかちゃんリン蕎麦屋の風鈴かーたんはストレートに書き込んで,あなたにつらい思いをさせてしまいました。
何しろあのこときたら,学校のコンピューターにかっちゃん、ねこ、あいさつと打ち込んで「かっちゃんは、ねこにあいさつこんにちは」とご機嫌になってる子ですから。かーたんは思います。言葉をたくさん覚えよう,そして言葉が人を傷つける刃物になったり、人の心を癒すクッションになることも覚えようね,と。親ばかかーたんの自戒をこめて
仕事で徹夜したので、こんな時間に、おはようございます。
私は、コカさんと、エミリー★さんの対話について迷惑とか思って
いません。対話というものは目的が問題解決や相互理解だけの為に
あるものではないと思っているからです。
何故ならば、それぞれの経験値になる可能性もあるからです。
もちろん、経験値をみつけられるかどうかは、それぞれ個人で異なり
ますが。
発達障害を持つ者、共通の悩みは「現実との違和感」だと思います。
私自身はまだ未診断(診断中ですが、近い将来確定診断が出ます)
ですが、「海で生まれた生物なのに、河口付近の浅瀬でじたばた生きてきた」
という感覚をずっと持っていました。
不幸自慢ではありませんが、私は障害の為(だと思います)に親から
ひどい虐待を受けて育ちました。私の両親は「勝つ子供しかいらない」
という教育方針をもっていました。今ではそれはそれで両親の
考えだと理解はできないまでも、知る事はできるようになりました。
家にいるより安全だったので、学校には通いました。
私の脳はパソコンでいえば、ハードディスクが4個あるような状態
です。暫定的に、ABCDと名前をつけました。確認した順番です。
Aは、肉体的な感覚をつかさどります。(壊れているので大変苦労します)
Bは、創作します(絵や輪郭や色が大好きでした)
Cは、活字中毒でしたので、論理などのデータが保存してあります。
一番最後に確認できたのが「D」です。これが出てきたのは10代後半頃。
Dは、平均的に成長した多数の人の、言語や行動パターンを分析して
翻訳してくれる機能です。
Dが確認できるまでは、周囲に誤解ばかりふりまいていました。
例えば、学校で先生が「何故クラスメイトと仲良くできないんだ?」と
質問をしてくるとします。Dが確認できる前は
「仲良くするって、どういう意味なのですか?メリットはありますか?
具体的にどうすればいいのですか?教えてください。」と答えていました。
しかし、その後は
「心配してくださる気持ちは解りますが、私には目標があるためについ
人と付合う時間を節約してしまうんです。以後、気をつけます。」と
言えるようになりました。
私が病院にかかるようになったのは、実は「普通になろうと」無理を
し過ぎて鬱病になったからです。はじめて病院に行った時は20歳
くらいでした。病名は
「思春期鬱病」やら(虐待の為に記憶障害が残っているので)
「被虐待児症候群」でした。15年ほど通いましたが、まったく改善
しませんでした。改善しなかった事で、ふと、自分に疑問が湧きました。
(経緯は長くなりますので、省きます)それで、発達障害の専門医に
かかる事に決めました。そうすると、初診で「ビジュアル的に特徴」が
あり、あっさりと通院検査になりました。もうすぐ脳も調べます。
私は普通になりたかったのですが、会社は「A」が生まれつき壊れている
ので、2度もクビになりました。親とは縁を切っていたので、生活に
困りました。何度も何度も「死ぬ(自分)」「殺そう(親」という所まで
追い詰められました。
小さい頃から、私を救ったのは「B」でした。他が全部壊れかけの時に
勝手に出てきて、創作をしました。その時間で何とか修復ができました。
現在は、とりあえず仕事を持っていますし、会社では障害の診断に関係
するメモ等を会社でみせながら、カミングアウトを試みています。
会社では「仕事の上手な猫が一匹いる」という立ち位置です。
適度に孤独で適度に(製作会社なので、おたくな日常会話だらけです)
同僚と上手につきあっています。
私は自分の適正に気がついた為に、現在とても恵まれた環境でお金を
稼ぐ事ができるようになりました。人の嫌がる細かい仕事を完成させる
のが得意だから、「納期さえ守り、品質を下げなければ」会社の就労時間
にいてもいなくても良いという条件をつけてもらいました。それでも
「A」が正常に動いている時は「障害に甘えている」と思われたくない
ので、努力して働いています。
他の事はできても、生まれつき壊れている「A」だけは主治医も治らない
と言っています。「A」の特徴は、例えば混んだ電車に乗れない、広い
ロビーに壁掛け時計があったりするとカチっと針が動く度に空間が歪み
こけるとか、気圧配置で身体がまったく動かないとか、羅列できない
くらい沢山の知覚部分が壊れています。
それでも、他の、B,C,Dは、発達する可能性はあるとの事です。それらの
連係でAに言い聞かせたり、説明したりして症状は、加齢と供に軽減する
という話を先週主治医からきいてきたばかりです。
時には、諦めるという選択も社会的には必要な場合があります。
でもね、でもですね。コカさんが、まだ学生さんだからこそ、以下の
意見を言います。私はもうすぐ40歳です。生きていく為に会社で
働きました。(離婚していますが)結婚していた時に子供の事で沢山
の人と出会いました。近所の人や、元夫の転勤であちこち行きました。
(外国一度、国内3県、引っ越し回数12回)色んな人に会いました。
結局、優れた人、ずるい人、色んな人はいましたけれど、私の頭の中に
あった「普通」の人には出会えませんでした。もちろん、平均的に
成長した人たちはいましたが、それぞれに困った事は抱えていました。
私と似たような人もいましたし、できる事とできない事の差違に苦しんで
いる人は以外と多かったです。一番多かったのが「理想と現実のギャップ」
に苦しんでいる人たちでした。なんとなく、「現実との違和感」と似てる
なぁと、感じた事がありました。
コカさん、無理しないでくださいね。そして、皆様、長文失礼しました。
コカ wrote:
コカさん、初めまして。横レス失礼いたします。
面白いご意見でしたので、LDでありながら出てきてしまいました。
始めにお断わりしておきますが、私はLDですので、ASの考え方ではないです。
>ただ、私は『普通』になりたいのです。
ここの所は、不可能だと思います。手の無い方が、精巧な義手を手に入れて
日常生活に不自由をなくせば、外見上普通と言えるかもしれません。
しかし、ASは精神のあり方が問題になる障害である以上、個性と障害が
切っても切れない関係にあるのではないでしょうか?
障害込みであっても、自分で築き上げた個性を普通になることで、捨てられますか?
物の見方、考え方が普通を違うことは摩擦もありますが、自分らしさでも
あるのではないでしょうか?
私は、これが覚えられたら、楽しいだろうと思うことはたくさんありますが、
普通になりたいとは思いません。すでに手遅れですので。
精神年齢の発達が遅い又は、アンバランスなのはASの方と一緒なので、
やはり個性と障害の切り離しは不可能と思っています。
>ASだとして生きていくのは変わりませんが私は健常人と『対等』でいたいだけなのです。
対等です。卑下する必要はありません。普通であることが偉いとは思えないし
障害があることも、威張ることでもないでしょう。
それをふまえた上で、尊敬できる人とそうでない人は、どちら側にもいます。
>そして、そこで生きていきたい。
>『普通』に生きられることは憧れでもあり、そう生きられることは素晴らしいと私は思う。
>私が知ることの出来ない世界を彼らは知っている。
>やはり、私はその世界を例え見れないと言われていても見てみたい。
昔よく言われた言葉に、”普通そうじゃないよね”、”普通そう感じないよね”がありましたが、私には普通の方が物を考えて言ってるようには思えなかったのです。リーダー格の人が感性のままに言った言葉に、右にならえ
しているようにしか見えませんでした。
自分で結論を出すだけ、自分の方がましと思っていましたね。間違ってることも、
そうでないこともありましたが。
振り返ってみて、自分が一目置けた方は、自分で考える方だけでした。
これは普通の人の中のほんの一部の人だけでしたけどね。憧れるほどの物ですか?
生きづらいですから、障害はない方が良いとは思いますが。
>カミングアウトするだけが周囲に理解を求めるだけが生き方ではないと思います。
>理解を求めるだけが生き方ではないのです。
あなたと、私が違う人なのは、障害の話を抜きにしても明白ですね。
人と人はお互いの違いを認めるところからお付き合いが始まります。
すべてが好ましい人も皆無なら、全てが厭わしい人というのも、少ない。
障害があるのは、十分人と違うことなのです。その違いを理解した上で
お付き合いできないのなら、仕方がないのでは?
必要なのは、お互いの理解であって、片方だけの努力ではないでしょう。
同時に、こちら側からの歩み寄りを忘れても、問題ですよね。
>経験で覚えることができるんです。
>失敗して経験して覚えることが出来ます。
お互いの礼儀を知ることは、とても重要だと思います。
あとは、普通の人が感覚でやっていることを、頭でやると、楽になれるかも?
人付き合いに、シミュレーションが絶対必要な人間からの役に立つかどうか
分からない意見でした。
お気を悪くしたら、ごめんなさい。
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