アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
こんなに書いて迷惑でしたでしょうか。本当にごめんなさい。
だれか話を聞いてくれる方などがみつかればいいのですが、、、、。
友達は囲碁をやってるひとだけ。2人いる。相手の打ってるのをみててとか
書いたのできになったのでまた書きました。
話すことが苦手だけでなく対人恐怖とかなので家にずーといます。
メールとかやりたいけどすごく悩むので返事書かないから迷惑かけてる。
好きとか言って電話ではなしたことのある人もいるけど無言電話を少しやったので
ごめん。きらいにならないで。はなしたいのにとか書いてあやまる。
囲碁をやるけど相手にわざとあとでファックスで相手のをみてて先生強いもんね
とかかいて送ったりしてた。あとでかなりきになる。こうゆうところに書くの
もどのように書けばいいかと悩むけど書く。でも後で後悔することがおおい。
私は
生きてていいのだろうか。むずかしいことはわからない。
つずけて2回も書いてよかったかな。私のことどう説明すればいいかむずかし
い。たすけてくれるひとさがしてるし、もうどうすればいいかわかんない。
私はチャットなどをやってたことがあるのですが、
質問されても答えることがむずかしいです。はい、いいえなどしか言えないです。
チャットでは話すことができないのであほとかばかり言ってました。
相手してくれた人もいましたが同じことばかりなのでもうだめになりました。
メールも何と書いていいかわからなくて返事書くことはほとんどできません。
あほとか言ってたことやメール送らなかったことなどすごくきになります。
メール送った後も返事がくるまでこれでよかったのかなど考えます。
迷惑掛けたごめんなさいばかり言ってます。わざといじわるとか言ったりもします。
少しお聞きしても良いでしょうか?
>私には感情に振り回されているとしか思えない。
私も人のことはそう思うんですけど、気がつくと自分が感情の嵐に襲われていたりします。
振り回されないこつを知りたいです。
>雑多な刺激、流行や人気の服や人気ドラマを切り捨てたことで・・・
わたしは自分を深めるためでなく、暇つぶしのために外の刺激を受けに行くことがあります。
暇な時間を消化するという目的が果たせるので、後に何も残らなくても良いと納得しています。
暇な時、どのように過ごしていますか?
差し障りがあったらごめんなさい。
私自信は、中身がないな〜と思うような会話にうまく合わせられなくて、みんな暇なのね〜と思ってしまうことが多々あるのですが。
>外からの刺激に成り立っている自我なんて・・・
それ以外の物から成り立つ自我とは?
う〜む、自分の内なる物から自然と、それとも意識して芽生えてくるのでしょうか?
私は自分に自信がないからなのか、自我がいつも揺れているような気がするのです。
もっと強い自我を心の中に持ちたいです。
この文章が失礼でしたらすみません。
うずうず wrote:
>雑多な刺激、流行や人気の服や人気ドラマを切り捨てたことで
>森のように刺激が生い茂った世界は逃したかもしれないけれど、
>自分の足下だけを掘り進んで、自分の宝石を掘り当てる権利を得たのかな。
わたしは96年の3月まで「偶然見かける」以外ではドラマを見たことがなかったけど、96年の4月にあるきっかけで見始めて、それからどんどん見るようになって、今では毎日見ています。
わたしはどちらかというと刺激を取り込むのが好きです。
「自分はそれにたいしてどう思うのだろう」という気持ち、見終わったあと感想が湧いてきて、それを文章にするのが楽しい。
だから毎日違う物を見ます。俳優さんを見物するのが好きなのかな。
ドラマだと、定型や前後の場面などから考えて、この人はこういう気持ちなのだろうと推察もでき、仮にそれが間違っていても誰にも迷惑はかけない。
芸能人やミュージシャンのいっぱい出ている雑誌からむつかしいものまで、雑誌を見る(読む)のも好きです。
新聞でニュースを読むのも好きです。いろんな知識が得られるのが楽しい。
読んだあといろいろ考えるのも楽しい。
雑誌で紹介されている音楽をきいたり映画を見たりして「自分の感想」が形成されるのを楽しむこともあります。
だから「せっかく見に行った映画が駄作だった」といって腹を立てる一般人の行動ってよくわからない。
でもわたしの周囲のひとたちはほとんどドラマを見ないし、見ている雑誌もわたしとはぜんぜん違う、服や食事をするところのカタログのような雑誌なので、うずうずさんとは違う立場で、毎日の話題に困ります。
どこのお店が安いとか美味しいとか旅行に行ってどうだったとか誰それさんちの赤ちゃんがとか、わたしはぜんぜん興味なし。
たまに「そのドラマ見てるよ」という人がいると、嬉しくなって、がーっと喋ってしまいますが、一般的に「普通」の人って、感想が表面的なんだよね。
「面白かった」「つまらなかった」「あの女優嫌い」などなどで終わってしまうことが多い。
テーマや話の構成に関する話なんかぜんぜんしない。
ニュースに対しても「ひどいよねー」で終わってしまう。
ひとつの話題を掘り下げることをしない。視点からしてぜんぜん違う。
わたしにしてみればどうしてこんな重要なことに気づかないんだということに、気づいていない。
わたしひとりがあれこれと考え続けて、がーがー騒いでいたりします。
たまに話が合うことがあると嬉しくなります。合わないことのほうが多いけど。
思いがけず、たくさんのアドバイス、どうもありがとうございました。
レスにあった通り、私の知りあったASの彼女には友達がいないそうです。
友達が欲しくないというのではない、と当人は言っているのですが、「なぜかうまくいかない」とのことです。彼女も寂しい思いをたくさんしていると思います。
学生時代も、ずっと「あなたはおかしい」といじめられ続けたけれど、彼女にはいまだにその理由がわからないそうです。
逆に、周囲の級友の行動の方が理解しがたい事があったみたい。
職場でも、失恋に悩んでいた同僚に突然「あなたは病気だから病院に行け」と言い、現在、かなり職場での人間関係は冷えてしまっています。ここのサイトをいろいろ見て、私なりに思うに、彼女は失恋に苦しんでいる人を見て「はやく元気になってほしい」と思って発言したのかもしれない、と思いました。
こういうとらえ方が合っているかどうか分かりませんが、彼女と私とは使う言葉が違う。(英語やフランス語みたいに)だから、少しずつでも、私が彼女の言葉を知っていけばいいのかもしれない、と考えはじめています。
アドバイスは彼女の事にあてはまり、本当に参考になりました。
ありがとうごさいました。
“自閉勝者”について
うずうず wrote:
>突然、この言葉が転がってきました。
突然、この言葉が転がってきて驚いたのは私のほうです。
“症”にまつわる私のこだわりと緊張感が、一瞬にしてぶっ飛んでしまいました。(^^;) なんだか勇気が沸いてきそうな字面ですね。“閉じた者勝ち”という意味なのでしょうか? 楽しませていただきました。
私もうずうずさんのような理論を持つことがあります。
でも,客観的に取れば危険な理論であると思います。
うずうずさんって,ASなんですか?
私はACなのかな?
「悪いと分かってて悪いことする子だ」
と,昔小学校の担任の先生が言っていたそうです。
そんな私って・・・ただのわがまま人?甘すぎ人間??
人の話に上手にコメントすることができないので
自分の言いたいこといってしまいました。。。
ごめんなさい。。。
シュッツ wrote:
>線引きは無理でしょうけど、程度や傾向で方向付けをすることは無意味ではないと思います。
>ただしこれは教育や社会的な観点の話で、医学的にはまた違うでしょう。
個々の可能性を考える上で、程度や傾向を知るということは必要不可欠な事だと思います。・・・が、一方で外から程度や傾向を決め付けられることにより可能性を奪われてしまったり、或いは外部から勝手な価値観を植付けけられたりしてしまうのではないかという危惧も拭いきれません。(能力とかそれに対する価値観とかいったものは、他人が勝手に決めるものではない、・・・と思っているので。)
人々は自分の目で見たものを信じすぎます。目には見えないものが潜んでいるかもしれないなどとは考えようともしません。どのような可能性を秘めているかは表面的な事象とは異なっていることだって多々あるというのに・・・。
例えば・・・
私のことを、絵が得意なのだと思い込んでいる人がいます。
私のことを、文章が得意なのだと思い込んでいる人がいます。
私のことを、誰よりも手先が器用だと思い込んでいる人がいます。
私のことを、頭が良いと思い込んでいる人がいます。
・・・でも、全部ハズレです。
正解は、“単にこだわりが強いだけ!”なのでした。
>まだ医学で解明されていないことが多いですが、将来は線が引かれるかどうか、可能性が残されています。
意味のある方向に向かってくれるといいんですけどね。
突然、この言葉が転がってきました。
自閉症者と打つつもりが、自閉と症者で分割認識され自動変換されてしまったようです。
単なるのパソコンの間違い?
私のすぐ近くで同級生が離婚しました。
普通の人にすれば、彼女こそ恋愛して出産して生活を楽しんだ勝者だろうけど
私には感情に振り回されているとしか思えない。
彼女との会話は、一ヶ月後には意味を為さない流行りものの検索だけで終わり続ける。
二ヶ月を過ぎた今、彼女との思い出は何ら意味を持たない不要品と化していて。
雑多な刺激、流行や人気の服や人気ドラマを切り捨てたことで
森のように刺激が生い茂った世界は逃したかもしれないけれど、
自分の足下だけを掘り進んで、自分の宝石を掘り当てる権利を得たのかな。
相変わらず外の人達は、自分自身がドラマの主人公のように忙しく動き回っているけど
宝石は森に生えていないみたいで、今日も流行を追いかけているし。
結婚して家に入ったら、自分が無くなったようだと苦悩している人達がいっぱいいるらしい。
外からの刺激に成り立っている自我なんて、一ヶ月単位で刷り直されていたら深まるものも
深まらないだろうと、彼女に少し同情した。
私は閉じていられる。嬉しい。
@NANAHAさん
はじめまして。JETと申します。
今やリタリンについては、医師によっては出す出さないがこれほどまでに
違うのかと思うほどの状態になっていまして、ホイホイ出してくれる時があ
る一方、逆に患者が医師にリタリンについて切り出したところ、一喝されな
いまでも、長々と「あれは覚せい剤と同じだ」なんて諭されるなんていう話
を聞いたことがあります。
また、ネット上で、堂々とリタリンを「嗜好品目的」で粉にして鼻から吸
うことを堂々と公言したり、医師を丸め込んでか、それこそ「リタ、ゲット
だぜ!」と叫ぶ者もいるわけで、様々な要素が絡み、なかなかリタリンには
ありつけない“本当に必要な人”は少なくないとのことです。
私がこちらの2184番で紹介させていただきましたが、ピクノジェノールと
いう「健康補助食品」があります。実際にADHDの子どもに対し、リタリ
ンの代わりに使ったところ、効果があったとのことです。
海外の業者に注文して届いた物を、さっそく“治験”してみることにしま
した。
リタリンと併用してみたところ、今まで朝にリタリンを1錠飲んでもそん
なに上がらなかった私の下がりに下がっていたテンションは、徐々にニュー
トラルの状態になりつつあるのを実感できました。
リタリンとの100%の“互換性”は、残念ながら私の症状の場合、ある
とはなかなか言いにくいのですが、飲んでみてよかったと思っていますし、
追加の注文も行いました。
ピクノジェノールを飲み、朝食のメニューから「リタリンによって改善さ
れる症状を悪化させる食材」(*1)を徹底して外したところ、午前中の心身の
調子は悪くはなくなりました。ですが、先日、これは大丈夫だろうと思って
ドーナツのごく普通のタイプの物(チョコレートや粉砂糖がまぶされてなく、
クリームの類いも中に入っていない)を食べたところ、食後10分もしない
うちに異様な眠気に襲われ、目を開けていられなくなったことがありました。
(*1)加熱していないリンゴ(果汁を含む)やレーズン等のドライフルー
ツにコーティングされている恐らくヒマワリの油が私の体に入った時に
は、頭痛だけではなく、腕が肩から上に挙げられなくなったり、首を回
せないほどの痛みを感じたりします。
頭痛で思い出しましたが、私も心理的に追い込まれた時に頭が緊張します。
場所は左右どちらかの側頭部のやや後ろよりです。
何かのご参考になれば幸いです。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
おむに wrote:
>http://home.att.ne.jp/sea/youjiskc/guide.htm
>
>↑めちゃめちゃこわい。
>涙が出そうになった。
@おむにさん
私も見てきました。
本当に震えが来るほどこわかったのですが、それに負けることなく、ここ
で辛口発言させていただきます。
内容以上に恐怖を感じたのは、このサイトのHTML文の「文法」でした。
あの背筋が寒くなるような文法ミスたるや、わざとできるものではありま
せん(自分のサイトのリンクミスを1年以上気づかなかった男がこれを書い
ています)。あそこまで、どう見てもヘンにはできない・・・というのは、
一種の心理作戦ではないかと思ってしまいます。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
さくらかのえさん、レスありがとうございます。
毎日、ここの掲示板を見ることで生き返ってる気がします。
リラックスできるのは、あと、幼稚園で似たもの同志---
自閉症の子や多動の子、天然ボケの子などと一緒にいる時くらいです。
その子たちが休むと心細くなってしまう。
今日は、しばらく休んでた自閉症の子がいました。嬉しかった。
さくらかのえ wrote:
>職場での人間関係に関しては「職場は仕事をするところであって仲良しこよしをするところではなーい」と割り切って、仕事に支障がない限り、同僚が怒っていようが呆れていようがおかまいなしです。
>「言葉にされない要求は存在しないとみなす」というのもあります。
>実際は思っていてもいろんな事情で言葉にできない人もいるので、強引な言い方だと自分でも思いますが、どこかで割り切っていないと自分が苦しい。
私の場合、長いいじめられ経験があるので、人が怒っているのを見ると
びくびくして縮こまってしまいます。
それにしては、気がつかないところで人の怒りを買っているようです。
きっとその「言葉にしない要求」というのが暗黙の了解なのでしょう。
でもどうせ要求を満たせないなら、堂々と我が道をいっちゃったほうがいいのかもしれません。
>いやな体験を思い出しても、それは単に「こういうことがあった」と事柄として思い出すだけ。
>「傷つく」というのも、不快感の著しいものだとはわかりますが、胸にぐさっときてしばらく気になるということはあっても、自分の存在が危うくなるほどの傷つきかたってよくわからない。
>自分がわからないので、他人を傷つけることにもあまり罪悪感がない。
>周りの者に言わせるとわたしは「言い方が直截すぎてきつい」らしいのですが、自分では思ったことを自分なりに配慮しながら言っているだけなのです。
それは、私にも思いあたるフシが----
他の人にとっては大ショックだったりすることに、鈍感だったり。
ドナさんが、施設で男の子に急に乱暴された時、
何も反応しなかったこと、あの感覚に近いです。
「感情のスイッチを切る」のは、自己防衛のためだと思っています。
たとえば、オーストリアのケーブル火災で亡くなった人たちのことを考えると、
(私は自分に身近な人よりも遠くの人に関心を持ってしまうのですが)
死ぬときはどんな気分だったんだろう、遺族はどんな気分だろう、
海外旅行で嬉しかったのにこんな事故に遭うとは思いもしなかったんだろうな
とか、その人たちの人生を色々考えてしまいます。
そう考えているうちに、感情の「大波」がすぐ後ろまで迫ってきている
危険を感じます。その「大波」にのみこまれないうちに、
急いで感情をシャットダウンしてしまうのです。
だから、よく「冷淡」だとか思われますが、一度感情に飲まれたら
ただではすまないと思うからこその自己防衛なのです。
さくらかのえさんと同じかどうかは分かりませんが、自分なりの分析を
書いてみました。
ちなみに、ここ最近で私が感情を「ありありと」体験できたのは、
夏、屋久島の冷たい川につかって泳いだ時です。
あの時は、「あ、わたし、ここにいる!」と叫びそうになりました。
スポーツジムのプールでは体験できないのが、不思議。
琴絵 wrote:
>職場でAPの人と出会いました。
>彼女はとても独走的だし、わたしは彼女が好きですが、彼女とおつきあいするのは、ものすごく大変です。
私は貴女の書き込みを読んで、とても嬉しく思いました。
ASの人を受け入れようと努力している人がいることに。
私はおよそASに最も相応しくない仕事につき、ASに最も縁遠い人々に疲れて
仕事を辞めることになりました。そこには貴女のような人は一人もいませんでした。
琴絵さん、私たちASは確かに普通ではありません。でも、普通に振る舞うことを覚え、
普通に振る舞っている自分だけを受け入れられるASの日常はとても寂しいものです。
私としては、苦労しながら自分の心のままに生きている彼女が羨ましくすら思うのです。
琴絵さんは大変でしょうが、少しだけ距離をおいて彼女を見ていて下さい。
>彼女には彼女なりのルールがあると思いますが、周囲はどうやってそれを知っていけばいいのでしょう・・・
ここを貴女が見つけてくれたことが、彼女を理解する手助けとなれますよう、
質問でも疑問でも愚痴でもなんでも書き込んで下さい。
琴絵 wrote:
>職場でAPの人と出会いました。
>彼女はとても独走的だし、わたしは彼女が好きですが、彼女とおつきあいするのは、ものすごく大変です。
>彼女はいつも、自分がほめてほしい時はほめてもらえないとその場でパニックになってしまうし、一緒にいる人が悩みを打ち明けている最中にもパニックになってしまいます。
>自分の親を説得したいから、そのセリフを考えてくれ、というので、「自分の人生って、自分の好きにやるのが幸福だよ」と一言なにげなく言ったらパニックになり、わたしと縁を切る、ということに決めた、と言われました。
>一体何にたいしてパニックになったのかわたしには全くわからず、つい、ここに書いてしまいました。
>夜中でも、どこでもかけたい時にかけてくる電話にも困りましたが、それはつきあってあげるのがベストなんでしょうか。
>いろいろ本を読んだりしてみましたが、やっぱりわかりません。
>彼女には、わたしや周囲の人は理解しがたい存在なのでしょうか。
>かなしいです。
>彼女には彼女なりのルールがあると思いますが、周囲はどうやってそれを知っていけばいいのでしょう・・・
あの、私自身身につまされるご相談だったので、遅ればせながらレスさせてください。自分自身のことを振り返ると、人と付き合うときに、一対一でないとつきあえないんです。多人数でお茶したりご飯食べたりがどうしても居心地が悪いです。しかも、相手のことはもちろん好きだし、相手のことは考えているんですが、視野が狭い付き合い方にどうしてもなってしまいます。ちょっと行き過ぎた言い方かもしれませんが、彼氏彼女の付き合い方に似てしまいます。ちょっと相手が冷たい(関心がない)風に思えると(あくまで一方的に、根拠はなかったりする)、確かに「私が何かした?→どうしよう!」と混乱は容易に訪れます。そして、考えすぎて、「自分が迷惑をかけたのかも→自分が去った方がいい→即決」という事も考えられます。繋がりを必死に求め過ぎするのかもしれません。人との関わりが全般的に不器用すぎると言えると思います。絡まった糸のように、ある部分は離れているけれど、ある部分はくっついている、と想像してみて下さい。私自身も思い当たりますが、安心して全部話したり、一緒に行動したがるということが多いと思いますが、反面いきなり疎遠になったり、意地悪されたりもあると思います。うまく言えませんが、つかず離れずがベターだとは思います。ただ、彼女のことを心配しておられる優しい琴絵さんは、「気にかけているよ」ということはときどき教えてあげて下さい。多分彼女はあんまりお友達が居ないと思います。琴絵さんの言ったことにパニックになったのは、あくまで想像ですが、あまりに彼女の考えと違っていたからかもしれません。考えが幅がなかったりする傾向もあるので。...って書いていたら、なんだか私の友人達が気の毒になってきました。あんまり参考にならないと思いますが、気長に考えて下さいね。
私もASではないのですが(あることにこだわりを持つという点では共通点があるかもしれません)、ここにカキコさせてもらっています。
琴絵さんと同じように、ASの知り合いともっとうまく接していきたい。でも分からない・・・というのがきっかけでした。
私は、その人に”あなたはまるで亡霊のようだ。早く過去の物として消し去りたい・・・嫌いじゃない。友達じゃない。まさかこんな関係になるとは思っていなかった・・・”と言われ、それ以降頭の中でその言葉が、ぐるぐる回り続けました。
こんな関係って言われても、分からないことを教え合ったり、本を貸してもらったり、ちょっとドライブしたり、食事したりという程度なのです。
それなのにそこまで言われるほどいやがられちゃったのか?私はどこで間違っちゃったんだろう?と悩みました。
その人のことをとても大切に考えたかったし、今も考えているし、伝わらないもどかしさが切ないのです。
ここにカキコさせてもらったり(きっと失礼なこといっぱい書いていると思います。すみません)、本を読んだりして、少しでもその人のことを分かりたい。とずっと思っていました。
でもそれはある意味思い上がりなのかも・・・
共感しようとしていた私に問題があるのかも・・・
その人はそれ以上それ以下でもなく、きっと今のそのままを見せてくれているんじゃないか?
うまくやろう、合わせていこうと思う自分の気持ちが間違っているんじゃないか。
そのまますべてを受け入れるというのは共感する事じゃなくて、その人との関わりの中で、傷ついたり腹が立ったりして良いんじゃないのかな?
と、今は思っています。
大切なのは、その人を思う気持ち(相手次第ではなく)なのかな?
難しいけどね。
琴絵さんも、彼女の言葉にとまどうこともあるでしょうけど、そういうたちなのね。と思えるようになれたら、彼女に対して気持ちに余裕が持てるかもしれませんね。
私はまだまだ無理みたいですが・・・
うまい言葉があるといいんですけどね。
例えば村上京子さん発案のA-typeというのもMebiusさんの言われる「自閉」の意味として使えると思います。
Mebius wrote:
>しかしながら、これはいたって個人的な意見のですが・・・、
>古典的自閉症と高機能自閉症
>高機能自閉症とアスペルガー症候群
>アスペルガー症候群と非言語性学習障害
>それらをあえて線引きすることは、はたして重要なことなのでしょうか? 私には近頃、どうもそれらが無意味なことのように思えてきているのです。
線引きは無理でしょうけど、程度や傾向で方向付けをすることは無意味ではないと思います。
ただしこれは教育や社会的な観点の話で、医学的にはまた違うでしょう。
まだ医学で解明されていないことが多いですが、将来は線が引かれるかどうか、可能性が残されています。
>ちなみに私はASであり“自閉民族”である訳なのですが、自閉症とは思っていません。これは私の認識では“症”とつくものは“疾患”であり“治療すべきもの”或いは“病”と捉えているため、これは私の考えとは異なるからです。
>そんな訳で“自閉症”ではなく“自閉”という言葉にこだわった事もまた、文章をわかりにくくしていたのかもしれません。
ASのSはsyndromeのことで、日本語に訳すと「症候群」となって「症」の字が入ってしまいますね。
訳が悪いと言えばそれまでですが、もともと医学の分野で名付けられているのでそうなってしまうのでしょう。
琴絵 wrote:
>彼女はいつも、自分がほめてほしい時はほめてもらえないとその場でパニックになってしまうし、一緒にいる人が悩みを打ち明けている最中にもパニックになってしまいます。
>自分の親を説得したいから、そのセリフを考えてくれ、というので、「自分の人生って、自分の好きにやるのが幸福だよ」と一言なにげなく言ったらパニックになり、わたしと縁を切る、ということに決めた、と言われました。
>一体何にたいしてパニックになったのかわたしには全くわからず、つい、ここに書いてしまいました。
ASの人は、多くの人と、ものごとの受け止め方が違うのです。
わたしも、パニックにはなりませんが、端から見たら「どうしてそんなことで」と思われるようなことをいつまでも深く気にしていたり、逆に一般常識的にはもっと気にするべき(らしい)ことがまったく気にならなかったりします。
それから自分の気持ちを適切に表現するのが難しいです。(下手です)
相手が自分の思い通りの反応をしてくれないと、相手に対して「嫌いだ」と言ったりすることもあります。
でも、それは相手に対する本気の拒絶ではなく、ほんとうは、こちらの思い通りでなくてがっかりした、という意味だったりします。
(あくまでわたしの場合ですが)
そういうとき、わたしの周りのひとたちは放っておいてくれます。(慣れているから)
そしたらそのうちけろっとして、また同じ相手に話しかけることができます。
変に慰められたりとりなされたりされると、かえって調子が狂います。
自分の行動でいちばん困っており、恥ずかしくも思っているのは本人だと思います。
>夜中でも、どこでもかけたい時にかけてくる電話にも困りましたが、それはつきあってあげるのがベストなんでしょうか。
「いつでも電話していいよ」とか言ってませんか?
>彼女には、わたしや周囲の人は理解しがたい存在なのでしょうか。
彼女なりの理解があるのではないでしょうか。
ぜんぶ合わせてほしいとか大目に見てほしいとか理解してほしいとか思っているわけではないのです。
「この人はこういう人なんだなぁ」と思ってあげてほしいです。
http://home.att.ne.jp/sea/youjiskc/guide.htm
↑めちゃめちゃこわい。
涙が出そうになった。
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