アスペルガーの館の掲示板(旧)
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武田好史 wrote:
> またみなさんに、お尋ねしたいことがあります。
>あなたにとって理想の職場とは、どのような環境のところですか?
「察し」の文化なんてなくて、はっきり「こうしてほしい」と事前に
言ってくれる。気遣いがいらない、合理的な職場。
残業代もらえないのに、いつまでも仕事をやっているのが偉い、なんて
考える人のいない職場。
「一緒に帰ろう」「一緒に食べよう」などと付き合いを強制しない職場。
キンキンした高い声の人がいない職場。
怖い人がいない職場。
本当は、自分の姿が誰にも見られないといいと思う。透明人間でありたい。
るおうさんへ
お返事ありがとう。ほっとしました。うれしくも、なりました。
生活・・・最近うまくいっていません。
ウツ状態が続いていて、ヤバイです。怖いことがいっぱい。
でも、、、なんとかうまくいけるように努力したいです。
うん、るおうさんの言うように。
月見るの、私も好きです。でも満月の日は何もかもうまくいかないってホント。
というのは私だけかもしれませんが。
朝の月は、すてきです。
きのうは、昼間、飛行船が飛んでいるのが見れてラッキーでした。
毎日、ひとつでも、「しあわせ」を見つけるようにしたいと思います。
JET wrote:
>という気持ちになることが多々あって、猛烈なまでの「本業がおろそかにな
>る」ことへの恐怖感を感じ、私の行いを見ている人からは「好きなパソコン
>をやってていい身分だな」と思われていると考えただけで、何をするのにも
>萎縮するようになってきました。
> 確かにパソコンを人に教えて喜ばれて感謝されるということには、何にも
>変えがたい生きがいを感じていました。でも、そればかりでは、とても今の
>職場という組織の中では生きてはいられません。
> 先ほどのエライさんからいただいた表彰状も、今では疑心暗鬼の象徴のよ
>うに思えてしまい、とても壁に飾るなんてできなくなりました。
ほめられることがあっていいなあ、と私には正直うらやましいです。
そういうことほとんどないので。素直にこういうラッキーもあるんだな、
と偶然ととらえて喜ばれたらいいと思いますが...。
武田好史 wrote:
> みなさんこんばんは。武田好史です。
> またみなさんに、お尋ねしたいことがあります。
>あなたにとって理想の職場とは、どのような環境のところですか?
きちんと仕事量をこなせば、ほっといていただけるなら幸せです。
いろいろプライベートをしつこく聞かれたり、
あまりに同年代の人が多くて仮想連帯国家を作られ、
加入を強いられるともう駄目です。ランチ一緒ね、とか勘弁して下さい、
です。別に人と話すのが駄目ではないので、ほのぼの季節の話題や美味しい物の
話題ができれば有り難いです。贅沢でしょうか???
武田好史 wrote:
> みなさんこんばんは。武田好史です。
>
> またみなさんに、お尋ねしたいことがあります。
>あなたにとって理想の職場とは、どのような環境のところですか?
@武田好史さん
おはようございます。
私がここに↓書いているような職場にいるからって訳ではないのですが…
http://homepage1.nifty.com/CG202/uranikki/pochmkin.html
まぁ、そうですね、我々のような者には、仕事をする環境がコロコロ変わ
って、それで混乱するというのは実に大変で、時に致し方ないと思うにして
も、その仕事の指図をすべき立場にある者の、その時その時の指示がまたコ
ロコロ変わる…というか、要は一貫性がないっていうのはダメですね。
私も数少ないながら部下がいます。
私の性格上、少ない指示を各人に理解させ、それで多く動いてもらう…そ
れでなければ、サッカーのトルシエ監督のような「情け容赦ない熱血指導」
と心がけていますが、その意図を幸いなことにみんな理解していて、全くの
ノートラブルの状態で今に至っています。
最初は怖くなかったと書くと嘘になります。
ですが、人間、数少ないですが、やればできることもあってよかったと私
は考えています。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
みなさんこんばんは。武田好史です。
またみなさんに、お尋ねしたいことがあります。
あなたにとって理想の職場とは、どのような環境のところですか?
マンデーいいないいな wrote: >なおかつ、ままでどれみちゃんを責めていたけれど、責めるべきではないと言うことがわかりました。
>
>僕は、トラブルを起こさないように、努力をしています。
>つまり、何らかの力を加えているのです。
そうだ。その広い心が大切だ。批判がうずまいたままでは、いつまでたっても明るい明日には巡り会えない。自分もそして他人も愛せるようになったとき、人間は本当に幸せになるのだと思う。
お互いにがんばって生きていこう!
「自閉症」は、世界保健機関による定義では、
「生後30ヶ月以内に現れる症候群で、聴覚。視覚刺激に対する反応が異常で、言語の表出が遅れ、社会的人間関係の障害が重く、儀式ばった振る舞いや異常な決まり、変化への抵抗、奇妙なものへの執着、遊びの常同的パターン化」です。
中学生(5年前)から、「自閉症」「アスペルガー」という言葉を聞いたり、
アスペの会で、学校での人間関係が上手く行かないという話をしばしば聞きます。
実は、僕は中学生時代、先生に酷いことをよく言われました。
というのも、自分の趣味を押しつけて、人に迷惑をかけていたからです。
…って、この定義にあっていない、けど、
あ、「社会的人間関係の障害」に当たるかな?
僕は、責められることではないと思います。
現在、個性(自閉症もその一つ)をよく理解してくれる先生がいて嬉しいです。
ただ、「社会的人間関係の障害」が原因で為す行為を責められるので、「自閉症」と言われる自分がいやでしたが、
知恵蔵で、定義を知って、安心しました。
なおかつ、いままでどれみちゃんを責めていたけれど、責めるべきではないと言うことがわかりました。
僕は、トラブルを起こさないように、努力をしています。
つまり、何らかの力を加えているのです。
@武田好史さん
こん**は。
このタイ式の足マッサージとPFTですか、なかなかよさそうですね。
実を申し上げますと、最近の私は心労(*1)が重なり、きちんと眠ることが
できるのが午前2時以降になっていまして、日々の生活に支障をきたしてい
るのですが、少なくともこの週末からいつもよりは早く眠れそうになりそう
です。さっそく調べて、実践してみます。
ありがとうございました。
(*1)
心労の最大のピークがこれです。
http://homepage1.nifty.com/CG202/i/info.htm
(iモード対応ページです。どうしてiモードの画面で読まなきゃならな
いのかと思うと若干つらくなりますが…iモード以外でも読んで読めなく
はないです)
まぁ、世の中にはこんなマヌケなことがあると思うと呆れるしかないので
すが、それを誰にも相談できずに、善か悪かのどちらかなら善とか思えない
ことをするのに、どうしてそれをビクビクしながら行わなければならないの
かと思うと、本当に悪夢を見るような思いがしました。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
@リンコ館長さん
こん**は。
初めて知って本当に驚きました>「インポスター現象」
私の場合、ここのところ、職場ではいつも以上に「パソコン優勝請負人」
としてあちこちに呼ばれ、さらに発言番号2550番に出てくる「スーさんとハ
マちゃん」の間柄のエライさんに“年賀状をプリンタで印刷するにはどうす
ればよいか”ということなんかでよく呼び出されたりするのですが、冷静に
考えたら、
「これでいいんだろうか」
という気持ちになることが多々あって、猛烈なまでの「本業がおろそかにな
る」ことへの恐怖感を感じ、私の行いを見ている人からは「好きなパソコン
をやってていい身分だな」と思われていると考えただけで、何をするのにも
萎縮するようになってきました。
確かにパソコンを人に教えて喜ばれて感謝されるということには、何にも
変えがたい生きがいを感じていました。でも、そればかりでは、とても今の
職場という組織の中では生きてはいられません。
先ほどのエライさんからいただいた表彰状も、今では疑心暗鬼の象徴のよ
うに思えてしまい、とても壁に飾るなんてできなくなりました。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
うずうず wrote:
>ASの皆さんには、過去の出来事が自分の性質に影響を及ぼしている記憶がありますか?
>幼なじみの存在ってどういう感じなのか、教えて頂けませんか?
幼なじみというか、小学校の6年間、同じクラスで学校から帰る時も一緒だった人がいました。
私は椅子に長時間座っているのが好きではなかったこともあり、学校が嫌いで、よく登校をしぶることがありました。
小学生の頃、朝、靴下が上手に、はけないというだけで癇癪をおこして学校に行かなかったりしました。あまりにそのようなことが多かったので、親はいじめにあっているのではないかと、学校に相談に行ったこともありました。実際は、いじめにあっているのではなく、ただ自分の意思と身体がうまく調和してくれないので、いらいらしていただけでした。
そんなこともあってか、学校側は私に対して配慮しているみたいでした。6年間同じクラスの人がいたのは、教師が少しでも私と関係ある人を、同じクラスにしたほうが良いと考えたからだと思います。
でも、中学に入学して、クラスが変わってから、その人とは交流がなくなりました。その人は、私に話しかけてきてくれた時もあったけれど、私自身クラスが違って毎日会わなくなってから、その人と、どう接していいのかわからなくなってしまいました。
中学に入学してからも、不登校すれすれの状態になり、学校側は、私が少しでも話をする人を3年間同じクラスにしました。それでも、高校に入学してからは、その人達とは疎遠になってしまいました。
学校側の配慮もむなしく、私は結局、人と付き合う方法を身につけられませんでした。
私には何かが欠けているんだと思います。
もしかしたら、私は、人間嫌いな人間なのかもしれません。
うずうず wrote:
>そして今、仕事を回してくれた人、前の職場から手紙をくれる人、彼らがいて今の自分があることは理解できるけれど
>何故、遠くなってしまった自分に声をかけてくれるのか想像出来ない。
>何故?私、彼らにお返しもしていないのに、世話してもらえる利点があったかな?
>騙したつもりは無いけれど、彼らに「私に協力することで利益が発生する」ような幻想を抱かせたんじゃないだろうか。
>どこかで嘘をついたんじゃないか。どこかで騙したんじゃないか?
この世の中でうずうずさんは一人しか存在しません。その唯一のあなたの存在を気に留め、もしくは慈しむ人がいるのですね。
彼らはおそらくあなたの利点を考えたのではないと思いますよ。
あなたに協力することで利益が発生するような幻想を抱いたのではないと思います。結果的にはお世話されたのかもしれないけれど、彼らは”お世話してあげなくちゃ”と強く思う気持ちを持ってはいないと思います。
ただそうしたかったから・・・この世で唯一の存在であるあなたに、仕事を回し、手紙をあげたかったから・・・
あなたが嘘をついたり、騙したわけではないんです。
今までその人たちに、うそつき、騙したなと言われてないでしょう?
(もし言われていたのならそれを言った人に、自分のどの部分がそう思わせたのか聞いてみると良いと思います。)
>一人でも幼なじみのような存在がいたら、家族・兄弟のような血の繋がり無しに互いの好意だけで
>続く関係の人が一人でもいたら、彼らを理解出来るだろうか。
”利益が発生する事は望んでいないと思います”と書きながら、いやいや発生することも有りえるなと今思いました。
彼らの心の中に生じるボワーとした感じの物・・・それを自分自身が良いと感じれば利益にもなり得る。
それを自己満足だという人もいるでしょう。
もし本当にかれらを理解しようとするのなら方法はあると思います。
ただ、それはあくまで理解をしようとすることであって、本当に理解できるかどうかはその人にもよると思いますが。
そしてそれはとっても疲れることかも・・・
うずうず wrote:
>ASの皆さんには、過去の出来事が自分の性質に影響を及ぼしている記憶がありますか?
>幼なじみの存在ってどういう感じなのか、教えて頂けませんか?
子どもの頃に遊んでいた人で今もつきあいのある人はひとりもいません。
近くにいると遊ぶんだけど、引っ越しとか卒業とかで物理的に会わなくなると、すぐに疎遠になります。
一緒に遊んでいた人たちのことは今も懐かしく思い出しますが、連絡をとろうとは思いません。
それと、わたしは親戚とぜんぜん行き来がない。
子どもの頃は親戚の家に遊びに行っていたけど、いとこの顔も名前もあまり覚えていないし、興味もない。
祖父母やおじおばにも一緒に暮らしてないせいか親しみを感じたことがありません。
おばが亡くなったときもぜんぜん悲しくなかった・・・
祖父の時は、お葬式の時は何も思わなかったけど、家に帰って、昔祖父から買ってもらったラジカセはまだ動くのにおじいちゃんは死んじゃったんだなぁと思って、「おじいさんの古時計」という歌を思い出したら泣けました。
(いやまだラジカセは使えるんだけど)
NANAHA wrote:>
>こんばんは、ぺりこさん
こんばんは、レスありがとう。
>たしかに相手に関わって、どうにかして助けたい、ということは感心しますが、自己満足とかないでしょうか?勝手なこと言って申し訳ないんですが、似たような経験があるもので。このままだと、互いに自滅するようで心配です。
とにかく自分の気持ちを大切にしようと思ったわけですが、やはり自己満足だと思います。
自滅するというのが、どのような状態なのかよく分かりません。
ただ、最初から彼とは、質問には質問で返す。驚きには驚きを、喜びには喜びを、そして今、拒絶に対しての拒絶を返しているような感じ・・・分かりづらいですよね。だから、少しのことが10倍くらいに膨らんで押し寄せてくる・・・
他の人とはこうならないので不思議です。
>うーんごめんなさい、変なレスで。でも私ぺりこさんの心の消耗も心配です。
・・・ありがとう。
学生なので、公的な部分の関わりもあり、あくまで級友として最低限のことは・・と思っていました。
しかし今、彼と一緒の授業にでるのをやめています。(単位の心配はないんで)
それを一時的にするのか、ずーとにするのか決めていません。
こだわりを消せば、彼に対する本当の気持ちが見えてくるかもしれない。
「インポスター現象」
そうか、名前がついているのか・・・
>ASの皆さんには、過去の出来事が自分の性質に影響を及ぼしている記憶がありますか?
>幼なじみの存在ってどういう感じなのか、教えて頂けませんか?
小学校5年生の時、担任が、教室で紙を配って、「このクラスで好きな人嫌いな人の名前とその理由も書きなさい」と言いました。
で、その当時、よく遊んでいた子の名前を「好きな人」のところに書いて出したんですが、あとでわかったところ、その子のほうは「嫌いな人」にわたしの名前を書いていたそうです。
理由は「人の嫌がることを言う」「嫌らしいこと(シモネタ)を言う」というものだったそうです。
クラスの男女合わせた中で、わたしがいちばん嫌われていて、好きだと書いてくれる人はひとりもいなかったそうです。
その結果は本人には知らされなかったのですが、保護者会で母親がきいてきて、わたしはさんざん怒られました。
そのときに母親が言ったことは「人は顔では笑っていても心の中では嫌だと思っているかもしれないのだから、言うことやすることに気をつけなさい」というものでした。
今思うと、いたいけなこどもになんちゅーことを言うんじゃ、と思うのですが、強烈に心に残りました。
おかげでそれから、他人から肯定的に扱われても、「この人は実は嫌だと思っていても言わないだけなのではないか」「我慢しているだけなのではないか」と思い、なにか失敗をするたびにもう嫌われると思い、それでも関係が続いていると「単に大目に見られてるだけなのだ」と思うという有様で、人の好意が信じられなくなりました。
逆のパターンを教わって、相手が嫌がってるのに本心じゃないと勘違いする人にならなかったのはよかったと思いますが(苦笑)。
ただ、そのくらい、ひとを疑うクセがついていたから、いままでぶじにいきてこられたのかもしれません。
(とつぜんじしょファイルがこしょうしてかんじをうてなくなってしまった)
JET wrote:
> マッサージの店が近所にできたので行ってみました。
> この店は、このテのチェーン店でよくあるような、従業員がワラワラとい
>て、さながら流れ作業的にマッサージを受ける所ではなく、一度に施術でき
>る患者というか客が少なく、値段の割には妙に長い時間揉んでもらえるとい
>う所です。
> まず上半身だけを揉むコースを選び、そこの店長に揉んでもらったのです
>が、かなりこっていると言われました。
> 以前の投稿にあった、食物アレルギーのせい(この日の朝、間違えて買っ
>た野菜ジュースを寝ぼけたまま飲んでしまったのが原因で、頭痛と肩と背中
>のこりがひどく、立ちくらみまで起きた)で「こんなにあちらこちらこって
>いるんですよ」と話したところ、その店長がノッてきて、これでもかとばか
>りに揉まれて、頭や上半身の不快感が一気に消えました。
>
> すっかり気をよくした私は、今度は足裏マッサージをお願いしたのですが、
>今回の台湾式のマッサージは“痛い”という先入観があって、さらに、よく
>テレビで涙を流しながら悶えている人を見ることもあり、若干不安でした。
> ですが、説明によると、あの痛さは、施術者がちょっとアレなんで、本来
>の体の調子を見るツボを外れてしまい、受ける人が必要以上に痛がるとのこ
>とだそうでした。
> そして、普通の足裏マッサージと同じ料金ながら2倍の時間をかけて揉ん
>でもらいました。
> 飲んでいる薬の副作用か、肝臓や腎臓、それに老廃物を排出する尿管や膀
>胱や「小腸から先の腸の部分」に“疲れを示す反応”がありました。ですが
>涙を流すほど痛くはありません。
> さらに両足の親指の根元から先までが他の指と違って妙に刺すような痛み
>を感じるため、尋ねてみると「脳」だと言われ、さらにかかとの部分のあま
>りの痛さに同じく尋ねたところ「生殖器」と「不眠症に効く“失眠”という
>ツボもあります」と言われました。
>
> 自らの体調や各臓器等の疲れをモニタリングする意味で、この足裏マッサ
>ージは本当に受けてよかったと思いました。
> 私は小さい頃から膝から下が冷えると体調を崩していました。夏場であっ
>ても戦々恐々の日々を送っているのですが、この数日前に、ついうっかり裸
>足にサンダルで木枯らしの中をウロウロしたのが悪かったのか、若干風邪気
>味でさらに便秘気味でした。
> 足裏マッサージを受け終わったところ、急に下腹部からゴロゴロという音
>がし、素早くトイレに飛び込みました。あと、この日は終日膝から下が暖か
>く、風邪の症状の一つの扁桃腺の腫れが翌日には引きました。
>
> 今でも教えてもらったツボを風呂上がりに揉んでいます。1箇所謎の反応
>を示す場所があったのですが、そこは甲状腺のツボだそうで、足裏マッサー
>ジは非常に奥が深いと思いました。
>
私も最近朝起きたときに、マッサージを自分でやっています。私の場合は、NHKでやっていたタイ式の足マッサージ・PFTという手と胸及び顔のマッサージをを自分なりに組み合わせてやっています。
足のマッサージは上半身の血行をよくし、PFTは精神の安定によいようです。これをやるようになってからというもの、それまでふさぎ込みがちだった私は少しずつですが、明るく前向きになってきています。
>ある人が言ってました。”彼はあなたに神様であることを求めたのよ。あなたはマ>リア様になれる?友達とは本来、同等の立場でなければ成り立たない物です。”
>ある人に彼との今までのことを話したら、”彼は自分が必要としたときにしかあな>たを関わらせず、彼のすべてを受け入れさせようとしている。それが出来るのは親>以上、つまり神様しかいない。あなたはマリア様になれるの?無理でしょう。そし>て彼は、あなたにはそれが出来ないと分かって攻撃とも思えることを言うようにな>った。友達は対等な関係にならなければ成り立たないのだから、あなた達は違うと>思う。”と言われたのでした。
>それについての私のコメントは”ふーむ?”です。
こんばんは、ぺりこさん。なんか、彼はあなたに甘えているように思うんですが?
たしかに相手に関わって、どうにかして助けたい、ということは感心しますが、自己満足とかないでしょうか?勝手なこと言って申し訳ないんですが、似たような経験があるもので。このままだと、互いに自滅するようで心配です。彼は他に心配してくれる人がいなさそうで、たしかにサポートした方がいいとは思うんですが。
うーんごめんなさい、変なレスで。でも私ぺりこさんの心の消耗も心配です。
>別に親を責める気はありませんが、「どうしてこの子は親しい友達がいないのだろ>う」「思いやりが無いのだろう」と
>こぼす言葉に「親しくなっても貴方達が引っ越しすればお終いなのよ」と反感をも>ったことも事実なのです。
>よって、親に私の心情を吐露しても理解した気配はありませんでした。
こんばんは、うずうずさん。私の場合は、親からはっきりと「あんた頭が少し可笑しいんじゃないの。」といじめに遭っていた中学生の時に言われました。それから、「言っても分かってはもらえないんだな。」と心に刻み込みました。
>そして今、仕事を回してくれた人、前の職場から手紙をくれる人、彼らがいて今の>自分があることは理解できるけれど
>何故、遠くなってしまった自分に声をかけてくれるのか想像出来ない。
>何故?私、彼らにお返しもしていないのに、世話してもらえる利点があったかな?
>騙したつもりは無いけれど、彼らに「私に協力することで利益が発生する」ような>幻想を抱かせたんじゃないだろうか。
>どこかで嘘をついたんじゃないか。どこかで騙したんじゃないか?
>一人でも幼なじみのような存在がいたら、家族・兄弟のような血の繋がり無しに互いの好意だけで続く関係の人が一人でもいたら、彼らを理解出来るだろうか。
幼なじみというのは、ある意味「過去の時間を共有した人物達」と定義できないでしょうか?それによって、繋がると。
>ASの皆さんには、過去の出来事が自分の性質に影響を及ぼしている記憶がありますか?幼なじみの存在ってどういう感じなのか、教えて頂けませんか?
過去の出来事...私には辛いことが多いです。自分にはコミニュケーション能力が欠けていた、と今なら理解できることが多いです。今でも少ない友達とすら、他の人はどういう事を話すのだろうかと気になります。人と付き合うのは難しい。
リンコ館長(この館のじゃないよ) wrote:
>さくらかのえ wrote:
>>毎日、世間を騙しているような気持ちで暮らしています。
>>この気持ちが消えることはあるのだろうか。
>
>この感覚をもつ人は結構いるようで、
>このパターンには、ちゃんと名前がついてます。
>「インポスター現象」っていうんだそうだ。
良い事を教えて頂きました。「インポスター現象」というのですか。
私は幸か不幸かある方面に才能があったようで、今はそれに類するバイトをさせて頂いています。
前の職場はASに最も合わない職域だったので、様々な人に迷惑をかけて辞めてしまいました。
しかしそれが今の仕事に結び付き、結果、前の仕事を土台にして糊口をしのいでいる始末です。
自分は本当は才能なんて無いのに、前の仕事の裏を知っているから口を挟めただけで、
本当はもっともっと能力のある人がするべき仕事を自分が横取りしてしまったと思っていました。
私事ではありますが、私は親の仕事の都合で各地を転々としました。ある日を境に生活環境や学習の進行具合が一変してしまうのです。
ASにとってこれは怖い・・・私が家に閉じこもるようになったのも当然だったかもしれません。
大人なら仕事の付き合いや、遠出して会うことによって繋がり続ける交遊関係も子供には金銭上の問題で再び会うことは難しいです。
親同士が友達なら会えることもありますが親と子の友達が重なることは難しい。
よって幼なじみに類する知り合いは無く、変わらない知り合いは親戚関係のみでした。
>のんびりした国の子どもが、親の仕事の都合で(たとえば日本のような)教育熱心な国の学校に通い、帰国後に故国の学校に編入されて、算数などで先の方まで習っているために秀才扱いされた場合、二国間の教育課程の差などについて事前に説明を聞いていなかったり、聞いても理解できていなかったりすると、「かいかぶられているだけだ」と思いこむ危険がある。
私の場合は反対に、これまでよりずっと進んだ学校に転校してしまった為、自分は頭が悪いと思いこみました。
だって回りの生徒は全員が全員、その難しい勉強をこなしてるんですもの。
だから、今の仕事で誉められる度に「そうじゃないよ、本当の私は出来ない子だよ、巧く誤魔化してるんだよ」と思っていました。
あ、やばい。書いててフラッシュバックしてきちゃった。
普段はなんでもないけど、書いてると感情が出てくる。思っている以上に普段の思考にまで抑圧をかけているのかな。
精神分析や心理学にちょこっと首を突っ込めば、幼少時の記憶がトラウマに・・・なんてあちこちに書かれているから
自分の性格は、引っ越しによるショックを抑圧した結果なんじゃないかと疑っていました。
人付き合いの冷淡さもこれで上手に説明出来るからです。でもASなら他のことも説明できるので、自分はASだったんだと思いました。
そう、ASだったので他人の存在が駄目でした。いつも決まった公園で一人っきりで遊んでいました。誰か一人でも公園に入ってくると
嫌になってしまう・・・それでも、そこの公園で遊んでいる限り、友達が介入しても公園は公園のままですから、自分のペースで遊んでいられるわけです。
幼い子供のことですから、厳密にルールのある遊びもしていませんので、なんとなく同じ場所で遊んでいれば、一緒に遊んだ友達と認識していたようでした。
それが、引っ越し先の地区では既に地区の子供達同志が幼なじみや同級生として友達付き合いを重ねており、引っ越ししてきた私は来訪者です。
海辺の町、山奥の町では遊ぶ場所も内容も違うなんてこと、判りませんでした。
そこの地区の子供だって、いきなり現れた知らない子が知らないことをするのを理解できなかったでしょう。
互いに子供だったと大人になった今は理解できますが、当時のままの記憶は理解を拒みます。つまり、仲間はずれになった。
それに週末毎に両親は子供を連れて遠方の都会の実家へ泊まりがけで遠出する為、その地区の子供と週末に遊んだ記憶がありません。
実家に住んでいる親戚の子はそこで生まれ育っていたので、そこでも私は異邦人でした。
同じ地区に住んではいても、子供時代に大きなウエイトを占める行事・・・子供同士の夏の海水浴やキャンプに参加しなかった私は常に異邦人のままでした。
地区の子供が花火大会に行く時は実家に行かされ、実家の子供がキャンプに行く時には地区に戻っている。どちらの輪にも属さないまま次の引っ越し先へ・・・。
でも、それでいいと思っていました。
なぜなら、友達とはその場だけの関係で、その日が来たら終わるものだと思っていたからです。
そういうものだと思っていたからです。そう学習してしまったからです。
だから、大人になって引っ越しが無くなって、他人と長く付き合うようになっても深く交わりませんでした。
どうせ終わる関係なのですから、深く関わり合っても意味が無いのです。
むしろ遠く隔たれた古い人を何年経っても懐かしむ親の態度が判りませんでした。
親は転勤族でしたが、子供の頃に引っ越しをしたことは無いのです。
親の生まれた地区に最終的に落ち着いた今、回りは親の古い知り合いで一杯。
近所の人、学校時代の知り合い、幼なじみ・・・親が彼らの友達と親しげに話し、友達の病気をわがことのように嘆く横で、私は本ばかり読んでいます。
私は彼らの心情が理解出来ないから上辺だけ笑い、友達の病気を嘆いておく。最近は嘘を続けるのも巧くなり、「誰々さん、元気になったかな」と心にもないことを喋れるようにまでなって。
別に親を責める気はありませんが、「どうしてこの子は親しい友達がいないのだろう」「思いやりが無いのだろう」と
こぼす言葉に「親しくなっても貴方達が引っ越しすればお終いなのよ」と反感をもったことも事実なのです。
よって、親に私の心情を吐露しても理解した気配はありませんでした。
ここまで書いて思い出しました。私が引っ越しすると聞いて、当時の友達が「寂しくなるね」と揃って言いました。
引っ越しすれば新しいお家に住めて、自分のお部屋が出来る。ASの気質上、閉じこもる部屋を欲していた私には天国です。
素直に引っ越しを喜んでいると、友達は気分を害しました。
「あたしと離れちゃうのに、みんなと離れちゃうのに寂しくないの?」
離れると寂しいと学習した私は、作文の時間に引っ越しは寂しい、友達と離れるのは嫌と書きます。学習の成果です。
それを読んだ親は驚き、「新しいお家に引っ越しするのが嫌なの?」と言いました。
親は親なりに自宅新築の嬉しさが子供に伝わっていないのか心配だったのでしょうが、それは地区の友達と離れることも、転校の大変さも全く考慮されていない発言でした。
結局私は親と友達両方の心情が理解できず、今も当時の記憶を凍らせたまま人間関係を続けています。
あの時、親の意見に従っていたなら、自分の心情だけに素直に反応するよう学習したことでしょう。
友達の意見を自分の思考として採り入れていたなら、上辺だけでも友達関係を一番重要視する性質を育んでいたかもしれません。
ASの気質が冷淡さに拍車をかけたとしても、子供の頃の家庭環境が性格に及ぼした可能性は大きいと思います。
そして今、仕事を回してくれた人、前の職場から手紙をくれる人、彼らがいて今の自分があることは理解できるけれど
何故、遠くなってしまった自分に声をかけてくれるのか想像出来ない。
何故?私、彼らにお返しもしていないのに、世話してもらえる利点があったかな?
騙したつもりは無いけれど、彼らに「私に協力することで利益が発生する」ような幻想を抱かせたんじゃないだろうか。
どこかで嘘をついたんじゃないか。どこかで騙したんじゃないか?
「インポスター現象」って言葉を知っても、理解できない記憶ばかりが転がってて、相変わらず自分は昔のまま。
一人でも幼なじみのような存在がいたら、家族・兄弟のような血の繋がり無しに互いの好意だけで
続く関係の人が一人でもいたら、彼らを理解出来るだろうか。
ASの皆さんには、過去の出来事が自分の性質に影響を及ぼしている記憶がありますか?
幼なじみの存在ってどういう感じなのか、教えて頂けませんか?
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