アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
はじめまして。
わたしは、アスペルガ−症候群のことを新聞で知ってわたしもこれらのことに悩んでいるものです。
以前精神的な病気ではないかと思いいろいろな病院にいきましたが、結局なんでもないと言われ「こだわるのがあなたの病気だ」と言われました。
ここのHPを見ていて、わたしも当てはまることが多いので、もしかすると・・・と思いかきこみしました。
そういう人は、今後どういう行動をとったらいいのかおしえてください。
ゆーりさん
本のこと探してくださって、ありがとうございました。
図書館に行ってみたところ、無事発見できました!
文庫では絶版になっているみたいですが、児童向けハードカバーの本では
出されていて、他の訳で「チスト みどりのおやゆび」というのもあるようです。
モーリス・ドリュオン作でした。
私は、なかでも庭師のひげさんがとても好きになりました。
「みどりのおやゆびは、目には見えない。
皮膚の下でおこる。かくされた才能とよばれている。」
ほかの子どもと同じではない と言われた、チト。
でも、本人さえも気づかなかったすばらしい素質が、隠れていたんですね…
同じじゃないんだ、と大写しする馴染みの方法はすぐ忍び寄りますけど、
(物語のように早期発想転換にいたらなかったので・・・)
いま、見えていないかもしれないけれど、この皮膚の下にはなりを潜めて
開花をまっている、みどりの息吹があるのでしょうね。
ゆーり wrote:
>私にとって自閉症とは、
>この「みどりのゆび」を持つことであるかもしれません。
>さわったものを、すべて豊かな美しいものに変えてしまう、という点で。
>この世界にはぜひとも必要な人達です。
そうですね。
すべての場所では受け入れられなくても、みどりのゆびが必要とされている
ところで、思い包みなく、ゆびの手腕(指腕?)が発揮されることを願います…
レスが遅くなってすみませんでした。
もも wrote:
>私の通っている学校の教官(看護教官)に「ASASで高得点だったんですけど〜」と言ったら、「別に平気じゃない」との答えをもらい、いまのところ、特に生活に困っていないから、まぁいっかという感じです。
>自分を知る一助として、ASASを活用したいと考えます。
ASASは、「診断」の為の第一段階に過ぎません。ここでは、その可能性があるかどうかを調べるだけです。
第二ステップで、臨床経験経験豊富な専門家が実際に対面して行動観察をし、他の検査の結果などと併せて「診断」されます。
でも、自分を知る手掛かりとしてはたいへん役に立ちます。そうすれば、自分で自分を窮地に追い込むようなことを防げるので、大いに役立てて欲しいです。
風鈴さん、こんにちは。
自閉者として、またひとり年若い仲間の存在を知り、うれしく思っています。
お子さん自身が、いつかこの掲示板を訪れてくれるのを待っています(どうぞお子さんにも、仲間が大勢いることを知らせてあげてください)。
非自閉者の世界では、我が子が障害者であると知ることは、死の告知に匹敵する苦しみを味わうのだそうですね。障害の受容は、死の受容と同じく、怒り→否定→取引→…などいくつもの苦しいプロセスをたどって、ようやく訪れるものだそうです。
#杉山先生は著書「発達障害の豊かな世界」で、このプロセスが「おのれの配偶者の真の姿の受容」にもあてはまる、と説明されていました。←笑った。でも納得。
風鈴さんが混乱しているのは、子供の障害を告知された非自閉者としては、ごく普通の反応らしいですよ。
#ほんとうに多いんです。我が子が診断を受けたというだけで、まるでその子がモンスターにのっとられたかのような打撃を受ける親御さん。今日、自閉症と診断されたからといって、今日のお子さんは昨日までのお子さんと、まったく変わらないのに。不思議です。(きっと、そういう問題ではないのだろう。)
しかし、自閉者側からすると、「我が子が自閉症と知って親がショックを受ける」ということに、逆に傷ついてしまいます。自分を否定されたように思い、悲しくなります。嘆くのも結構ですが、ぜひお子さんにわからないように嘆いてくださるよう、お願いします。
★参考★↓ぜひお読みください。
リンコさんのサイト(自閉連邦在地球領事館付属図書館)より
「われわれの存在を嘆くな」 http://member.nifty.ne.jp/unifedaut/dontmourn2.htm
育て方としては、特別なことをする必要はなさそうな気がします(境界線上ということですし)。
#いや、障害が軽いから楽だ、という単純な問題ではないですが。軽いから大変、ということもありうるし。かかえる問題と対処方法はひとりひとり違うので。
まずは、No.2796 で 双子の母 さんがおっしゃっているとおり、個性としてみとめてあげてはいかがでしょうか。
ひとつ、お願いをしますと、お子さんを「(非自閉者のいう)普通」の人間にしようとしないでください。
自閉者は生まれつき、脳のつくりが非自閉者とは違います。いくら努力をしたところで「普通」にはなり得ません。まずそこをご理解ください。
自閉者が「普通」になろうと努力すればするほど、「普通」とはかけ離れていき、無力感/挫折感ばかりがつのります。そんなことが続くと、人嫌いになったり心の病になったりする可能性があるばかりか、もともと持っているプラスの特性を失ってしまう危険もあります。
もちろん、最低限の社会的スキルを身につける必要はありますが、人生の戦略としては、苦手分野を克服するよりはむしろ得意分野を伸ばし、「愛される変わり者」を目指す方向で考えたらいかがでしょうか(これは我が家の育児方針でもあります)。
メグ さん、こんにちは。
>ほとんどの事は多めにみよう・・と思い、息子の好きにさせていますが、どうしてもして欲しい事・・たとえば、一日最低一回の歯磨き、最低週2回のお風呂など・・を、なんとか説得してやっているのですが、その後必ず、気持ちが落ちつかなくなってしまい、パニックまではいかないものの、機嫌が悪くなってしまいます。トイレも行くのがとても嫌な様で特に大の時は服を全部脱ぎ、
>安心グッズ(何をするにもこれを見ながらでないとできません)を見ながらして、その後、また機嫌が悪くなってしまいます。小の方も我慢できるぎりぎりまで我慢している様です。皆さんのお話を読んで、皆さんもそうなんだ・・
>と思いました。
ごめんなさい!!
私も寝る前の歯磨き、眠さに負けてできないことが…。
お風呂も苦手で(いや、入っちゃえば極楽なんですが、入るまでが…風呂場までの移動とか服の脱ぎ着が負担で…)。ないしょですが、1ヶ月くらいは平気で入らないことがあります(汗かかないタチだし、化粧品も整髪料も使わず、空気のきれいなところで暮らしているので、不快感はない)。
#同じアスペでも息子は父に似て汗かきで風呂好き。父さんにせがんで二人で入ってますねえ。
トイレに行くのも苦手ですねえ。
私も息子もぎりぎりまで行きませんねえ。(たぶん、センサーが弱くて、ぎりぎりまでわからないのだ。行くのがめんどくさくもある。なんにせよ、「ことを起こす」「スイッチを入れる」のに、ものすごいエネルギーがいるのだ。)
でも、生きてます。
あ、そういう問題じゃなかったですね…。
「お互い、気持ちよく日常の事がこなせる様に」を、「お互いのこだわりを、なんとか折り合いをつけつつ暮らす」と考えると、これはまさに我が家の毎日の課題でもあります。高機能自閉症の森口さんは、たしか著書で「柔軟性のあるほうが譲る」と書かれていたような気がします。
また、私の見解としては、「(親が、子供に)して欲しいこと」と「(本人が、したくなくても、健康上などの理由で)する必要があること」は、違うかもしれないと思っています。それで、「親だから」という理由で子供に何かを強制することだけは避けようと心がけています(自分が子供のとき、それがイヤだったので)。
そうはいっても、社会生活上どうしても子供にさせたほうが良いことがあるのかもしれません。私にはそのあたりの「常識」がありませんし、母親暦3年の未熟者なので、「こうしたら」というアドバイスはできません。
ベテランのお母さん方が大勢いらっしゃる、下のサイトの掲示板で相談されたらいかがでしょう。
「ことばと発達の学習室」
http://www4.justnet.ne.jp/~ma2ma3/index.html
(※掲示板は、クマさんのイラストが目印)
大変でしょうけど、大事な子供さんと一緒にゆっくり歩いて下さい。
それと、母として未熟...ってありましたけど、完璧な母像って無いんじゃないですか?完璧な母の像=虚像に、多くの人が振り回されているような気がします。完璧な母もいないし、完璧な子供もいませんよ、そして完璧な人間も。いまゲノム等の研究が暴走している感がありますが、厳選したDNAで作られた子供が果たして、親と子両方の幸せを生み出すかというと、私は決してそうじゃないと思います。私はASだと思いますが、決して不良品じゃないと自分で思いますもの。
JETさんありがとうございました。
時間ができたらやってみます。
私の通っている学校の教官(看護教官)に「ASASで高得点だったんですけど〜」と言ったら、「別に平気じゃない」との答えをもらい、いまのところ、特に生活に困っていないから、まぁいっかという感じです。
とりあえず、国家試験がんばります〜。
自分を知る一助として、ASASを活用したいと考えます。
皆さん、ご意見ありがとうございました。
治そうと思っても難しいみたいなので、生活を工夫して、この自分の性質と付き合って行くしかないのかなあ、と思います。
周りに、一生懸命合わせようとしていても、変わり者呼ばわりされるのなら、最初から変わり者で通してしまった方が、気が楽なような気がしています。
私に普通であることを求められても、その期待に応えられそうもないので。
風鈴様
私の子供は,今2歳3か月でちいさいのですが,1歳前には自閉症的な性格傾向があることを指摘されました。今は個性の範囲内で成長するのではといわれています。最初は,子供が双子でそれだけでも大変なのに,この子をきちんと育てていけるのかという不安でノイローゼのようになりました。
ここまで育ててきて,彼にどういう場面でどのように働きかけてあげればいいのか,ということ(コツ?)がわかってきて,自分の親としてのありかたに自信ができたら,すっと楽になりました。障害というより個性だとうけとめていくといいと思います。子供や自分がかわいそうというところから幸せはやってこないし,現にこの性格傾向はけっして悪いことだけではないし。そういう思いである程度時間がたてば,「うちの子がどうして」というところから抜けられると思います。あせらず前向きに,ぼちぼちと。
うちの場合,主人もアスペルガーな人ですが,内向的な性格がかえって仕事ではいい結果をだしているし,他のことに無頓着でマイペースなところが幸いしていることが多いんです。私(感情的な)も主人を見習いたいと思っています。結婚した当初は,「僕は孤独という感情がわからない」などといわれ,「なんて冷たい人」と感じて傷ついたりもしたものですが。いいところ,誠実なところもいっぱいあるんですよね。彼の表現に慣れたら,傷ついてた自分は,彼を理解してなかっただけとわかったし。彼も結婚生活が歳を重ね,子供もうまれ,育児もしてというなかで,ずいぶん変わってますし。自閉的ということをあまりマイナスにとらえないでもいいと思いますよ。
この性格傾向の子供には,気持ちの切り替えとか,人との関わり方とか,場面に応じてすこし丁寧に関わって教えてあげる必要がありますよね。そのへんは専門家のかたとよく相談したり,実際の関わりを通して親も子供も学んでいくことなのかな?と思います。ご主人ともよく話し合って,夫婦で力を合わせて下さい。おじいちゃんおばあちゃんが理解してうけとめるには,すごーく時間がかかり,お互い傷ついたけど,今はみんなも協力してかかわってくれています。ゆっくりした気持ちでいける時がくることを祈ってます。まだ母親として未熟者なのに,こんなことかいてごめんなさい。それでは。
風鈴 wrote:
>初めて投稿させて頂きます。色々な思いを感じながら
>皆さんの投稿を拝見させて頂きました。私には15歳の子供がおり、最近になって、自閉症スペクトラム障害の診断を知り、愕然とする中で、初めて聞くスペクトラム障害の意味を知りたくて、関連する本を手に取り、読みながら今も尚、子供とどう接していけば良いのか?又、どう育てていけば良いのか?etc・・・数々の不安と、診断が付いた事によるショックで今も、理解は出来るようになってきた物の、
>気持ちの中で受け止められない衝撃が入り混じり、先々への不安ばかりが募ります。コミュニケ−ション障害・こだわりや語源どうりの解釈などがあてはまったようですが、医師の説明によると正常か異常かと言う言い方をすると境界線上にいるようなタイプらしいです。なるほどと納得のいく部分もありますが、なんで私の子が??という所から前になかなか進めないのが正直な気持ちなんです。それでも、気持ちと平行して、しなくてはいけない事を考える中で、手探りで歩き初めている所です。どなたか、アドバイスなど頂ければと投稿させて頂きました。
まず、次の3つの点をかみしめて下さい。
1.自閉症は「風邪」のように完治するものではなく、一生つきあっていかなくてはならないものである。
2.自閉症は「母源病」ではなく、患者さんの「外界の情報処理機」である中枢神経系のトラブルによって生じている。
3.障害の発現のしかたは患者さんによって千差万別であり、したがって専門家・親御さん双方が、綿密な本人の経過の観察のもとに、その子にあったケアのあり方を模索しなければならない。
シュッツ wrote:
>
>自閉症やASなどは、レオ・カナーとハンス・アスペルガーから始まって多くの研究者によって定義・診断基準や分類などが考え出されて来ました。
>でも本当にそういう障害があるのでしょうか、という疑問が浮かんで来ました。
>
>障害自体の存在は確かで、それを疑っているのではなく、定義と言うか、枠組みや分類の仕方の話です。
>「ASとはこういうものだ」と言われて素直に信じていいのかどうかです。
>
>だから、それよりも連邦内部の人の手でどういう障害かを明らかにすべきだろうと思いました。
私もそう思います。「アスペの人自身の障害観」という概念は、この障害の本質を世の中の人に判ってもらうために極めて重要なことです。
例えばドナ・ウイリアムズさんは、自らの経験から「自閉症には、低血糖・出血しやすい・ミネラルやビタミンの消耗が激しい・アレルギーといった特異な体質が付随する」ことを見いだしました。またこれは私がこの伝言板の読者の方に聞いてみて判ったことですが、かなりの人が、「飛蚊症」といって目の中の硝子体にある濁りが視野の中に糸くずや水玉状のスポットとして見える症状を持っていました。
この他にも、研究者にあまり知られていない側面が、この障害には存在しているはずです。
初めて投稿させて頂きます。色々な思いを感じながら
皆さんの投稿を拝見させて頂きました。私には15歳の子供がおり、最近になって、自閉症スペクトラム障害の診断を知り、愕然とする中で、初めて聞くスペクトラム障害の意味を知りたくて、関連する本を手に取り、読みながら今も尚、子供とどう接していけば良いのか?又、どう育てていけば良いのか?etc・・・数々の不安と、診断が付いた事によるショックで今も、理解は出来るようになってきた物の、
気持ちの中で受け止められない衝撃が入り混じり、先々への不安ばかりが募ります。コミュニケ−ション障害・こだわりや語源どうりの解釈などがあてはまったようですが、医師の説明によると正常か異常かと言う言い方をすると境界線上にいるようなタイプらしいです。なるほどと納得のいく部分もありますが、なんで私の子が??という所から前になかなか進めないのが正直な気持ちなんです。それでも、気持ちと平行して、しなくてはいけない事を考える中で、手探りで歩き初めている所です。どなたか、アドバイスなど頂ければと投稿させて頂きました。
ちょっと思いついたことであって、深く考えたことではないです。
自閉症やASなどは、レオ・カナーとハンス・アスペルガーから始まって多くの研究者によって定義・診断基準や分類などが考え出されて来ました。
でも本当にそういう障害があるのでしょうか、という疑問が浮かんで来ました。
障害自体の存在は確かで、それを疑っているのではなく、定義と言うか、枠組みや分類の仕方の話です。
「ASとはこういうものだ」と言われて素直に信じていいのかどうかです。
それらを決めた研究者たちは、一部の例外(自閉症者の親であるローナ・ウィング、ADHDのジョン・レイティなど)を除けば健常者(と呼ばれる人)です。
つまり外部から枠にはめられて、中に勝手に仕切りを作られたようなものではないかという気がしました。
例えて言えば、日本国籍を決めるのは日本政府の権限であって、外国が勝手に「この人に日本国籍を与える」と言うことはできません。
だから、それよりも連邦内部の人の手でどういう障害かを明らかにすべきだろうと思いました。
もっとも、思うだけなら簡単で、実行するのはエネルギーが必要です。
ところで、これを考えた後で「このように考えたことは想像力なのか、それとも自閉症ファンタジーなのか」という疑問が湧いて来ました。
自分でも分からないです。
http://cgi12.freeweb.ne.jp/art/h_schutz/
みなさんこんばんは。
21世紀に入ってから、3問目の私からの質問です。
今、我々『日本のアスペルガー症候群の罹患者』にとって、「是非とも必要だ!(=これがないからこの国は暮らしにくい・・・)」と、あなたが感じる社会支援の弱点は何ですか?
ぽよ子 wrote:
>ななはさん、名前を書き間違っていますよ。
>看護婦さんを目指しているのは、「ぽよ子さん」ではなく、
>「ももさん」です。
ごめんなさい!ももさん!ご指摘恐縮です、ぽよ子さん。
重ね重ねお詫びします。
ななはさん、名前を書き間違っていますよ。
看護婦さんを目指しているのは、「ぽよ子さん」ではなく、
「ももさん」です。
>長くなりましたが、まとめると次のようになります。
>1.手の届くところに飲み物や簡単な食べ物を用意しておく。
> 集中しているものから離れずに、栄養補給できます。
>2.「飲む/食べる」スイッチを押してもらう。
> 私は声をかけてもらったり、チャイムの音を利用していますが、タイマーや時計のアラーム機能なども使えるのでは、と思います。
>
>気持ちの切り替えといえば、うちの子も苦手でねぇ(にこにこ)。なるほど立派なアスペっ子です(夫は「なるほど、親子だ」と納得しているが)。
>対策としては、次にやることの楽しいことを強調して気をひいたり(「さあ、おでかけだよお。車にのってー、CD聞こうか。」)、次にやることの物を見せて誘ったり(ご飯前におかずを鼻先に突き出すとか)、スイッチを入れたり(「ごはんスイッチ、ぴ!」とかいって、こどもの背中とか腕とか、適当なところをちょんとつっつくのだ)、直接「さあ、気持ちを切り替えよう!」と声をかけたり、してます。
>でもなかなか…で、「気持ちの切り替えって、やっぱり難しいんだなあ」と実感する毎日です。
息子が強迫神経症が強い自閉症で、とても気持ちの切り替えが難しい子です。
4年生なのですが、学校(養護)にも週2回やっと行っています。
ほとんどの事は多めにみよう・・と思い、息子の好きにさせていますが、どうしてもして欲しい事・・たとえば、一日最低一回の歯磨き、最低週2回のお風呂など・・を、なんとか説得してやっているのですが、その後必ず、気持ちが落ちつかなくなってしまい、パニックまではいかないものの、機嫌が悪くなってしまいます。トイレも行くのがとても嫌な様で特に大の時は服を全部脱ぎ、
安心グッズ(何をするにもこれを見ながらでないとできません)を見ながらして、その後、また機嫌が悪くなってしまいます。小の方も我慢できるぎりぎりまで我慢している様です。皆さんのお話を読んで、皆さんもそうなんだ・・
と思いました。
息子は精神科の薬も服用しています。精神科の先生からは、安心感を与えてあげるのがいいと言われています。なかなか、何をされてもニコニコしてはいられませんが、先程も書きましたが、最低限、やって欲しい事を除いては、なるべく息子の好きなペースで口出しせずに日々、暮らしています。
息子の場合、何をするにも、気分の切り替えにとても時間がかかり、終わった後は必ず、機嫌が悪くなるので、できればお互い、気持ちよく日常の事がこなせる様になったらいいなぁーと思っています。
何かよい方法があったら、教えていただけますか?
@ももさん
こん**は。
ASASの件についてお答えさせていただきます。
私が“高得点”なのを知って取り掛かったことは、不適切な行いや発言の
“洗い出し”でした。これらが、早い話、私の首を私自身で締めていた元凶
のようなもので、少なくとも1980年代後半から10数年の間、私を何度
も破滅寸前に追い込んでいたものの正体でした。
これらには、早い段階から薄々気づいてはいましたが、直視することすら
できなかったことでもあったりして、思い出すこと自体が苦痛の連続でした。
過去の自分に立ち向かい、生きることが今までとはがらりと変わったまで
はよかったのですが、相変わらず“不適切な行いや発言”が後を絶たないの
に気づいてしまい、落ち込んだことは何度もありました。
私自身がそういったことをよく起こす者であることに「気がつかなかった」
ことをこれでもかと思い知らされたからです。
何かの歌に「わかっちゃいるけど〜」というフレーズがありますが、未だ
に口をついて出る言葉、これを止められません。また、何かを話し掛ける相
手をその話の内容に応じて慎重に選ぶこと、これもできません。ですが、こ
ういったことに気がついたという「収穫」は、嬉しいのか悲しいのか、実に
複雑な心境になります。
でも、ある種の“開き直り”はできて、仕事でもどんなことでも、無理を
してでも結局何もできないことはしなくても「いい」ことを学び、その反対
に、私ができることは、どんな困難な状態であっても「いつの間にかできる
ようになっている」ことを学びました。これが一番の「収穫」と言えるかも
しれません。
こんな感じでよろしいでしょうか。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
たあ wrote:
>気持ちの切り替えが、うまく出来る方法は無いでしょうか?
>
>1つのことをやりだすと、止まらなくなってしまうことがあります。時には、食事や睡眠を取るのを忘れてしまう(忘れるというより、実行に移せない)こともあります。そうなると、体調を崩すこともあるので後で後悔します。
>
>子供の頃は、大人になれば治るだろう(つまり、自分で自分をコントロールすることが出来るようになる)と思っていたけれど、結局、子供の頃と変わっていないので戸惑っています。
「時間の使い方が判らない」「やなくせを直したいのに直せない」「現実の世界がむなしい」「何が起こるか判らなくて怖い」といった神経症的な気持ちの時に、私もよくそんな状態になります。
このようなときは、ある意味では新しいことを始めるチャンスであるといえます。例えばあなたが毎日パソコンに向かって仕事をしているとすれば、ベランダでプランターに土を入れて花の種をまいたり・苗を植えたりして毎日その世話をするとか、日頃使わないウィンドーズのペイントを開けてマウスを動かして絵を描いてみるとか、カメラを持ち出して道ばたの雑草の花や青空に浮かぶ雲を撮影するとか、つまり何か仕事から離れる時間を持てば良く、引きこもりに飽きたのであれば、ボランティアや何かの同好会に参加してみるとかでいわゆる「人とのふれあい」というものを探せば良いのです。
今から数十年前のことです。カナダのある町に、深刻な鬱状態に陥って家に閉じこもりがちになっているおばさんがいました。
おばさんは、クリスマスに友人からアマリリスの球根をもらいました。でも最初は、とりあえず鉢に植えただけでバスルームにほっぽってしまいました。
しかしアマリリスが芽吹き始めると、おばさんはすっかりその世話に夢中になりました。やがてアマリリスが赤いきれいな花を咲かせたとき、おばさんは「この花をたくさんの人に見せたいわ・・・」と思い、自分のかかりつけの病院の窓辺にアマリリスを置いてもらうことにしました。
それが評判を呼んだことから、周りの人とのコミニュケーションの輪が生まれ、おばさんは鬱状態から脱出して、明るく人生をエンジョイできるようになったとのことです。
そういうふうに、「新しいことを求める」という探求心・「わー!これ何だろ?」という好奇心を取り戻し、ありていに言えば子供に返ることが、あなたが悩んでいる「気持ちの切り替えができない」症候群を治す特効薬だと私は思います。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami