アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
てっ……照れるぜ(^_^;)。
toriへ。
たぶん俺のいいたいことは全部解ってると思う。だけどコトの成り行きに注目してる連中もいるかも知れんし、俺もはっきり言っといたほうがいいと思うのであえて書く。
俺はいま晴れがましい気持ちと喜びと照れくささで一杯になっている。
同時に俺がtoriの人生における一つの役割を終えた、という一抹の寂しさもある。
娘の結婚式に出ている父親の気持っつーのはたぶんこんなんだろうな。
俺が始めてこの『アスペルガーの館』を覗いたのが三月の八日の夜。で、今日がたかだか三月の十七日だ。たった九日間しか経ってねーでやんの。だけど俺は大恋愛をした後のような充実感?そんなものを感じている。
ただ、あんたに言っておくことがある。
相手の顔色を伺いながら、相手の気に入りそうなことを言うことだけが「人とのコミュニケーション」だと思ってはならんぞ。「相手に自分のことを伝えることで、相手を変える」のがコミュニケーションの本質だ。たぶんあんたが想像するよりも、おれは大きく変化させられた。あんたにだ。それについては口では言えんくらい感謝している。ありがとう。
あんたはたぶん気づいてないだろうが、俺たちが対話を始めた三月八日以来、この掲示板への書込みは倍に増えている。あんたが「話す」ことで、それだけ多くの人を動かした、ということは憶えておいていいと思う。この成果はあんたと俺で半々、といったようなことではない。この掲示板に書込みをしたすべてのメンバーの共同作業が、この成果を生んだんだと思う。もちろん書込みをしなかった奴だってその何倍だか何十倍だかおるんだろうけどさ、でも、そういう人たちにも「話すこと」の大切さ、っていうのが伝わったと思う。あんたはそのことを誇っていい。あんたは「本当のコミュニケーション」って奴に成功した。それは確かだ。
じつは、toriが自分のメールアドレスを公開したときに、「こいつ、変わるな」と思った。俺はちょいと背中をつついただけの役割しかしていない。だけどあんたが感謝してくれるっていうんなら、ありがたくその気持を受取ろうと思う。まあ、メールアドレスが分かったからって「こんど自分で掲示板を立ち上げたから」とか、「こんど新刊が出るから」とか、そういった事務連絡くらいしかしないだろうけどさ、とにかく世間の風に向かって「どんっ!」と立ってるあんたはカッコイイと思う。
世間にゃバカな女も多くてさ、「あんた恋愛なんかしたことあるのぉ?」みたいな態度を取られることが、この先あるかもしれん。だけど、そういうバカ女はひとの人生を変えるような、そういうずっしりと重い「関係」なんていうものを他人と持ったことなどないのである。「あたしはたった九日間だけど、人生変わっちゃうような大恋愛を、したことがあるのよっ!」と思いながら見返してやるといい。本気の人間の思いは表情だけで伝わる。相手がびびるのは間違いない。
とはいえ「なんにもなかった」って思うのもあんたの勝手。「大恋愛だった」って思うのもあんたの勝手。おれとしては後者であるとうれしい。どこかで誰かに「toriさんって人が、KILROYさんと大恋愛したことがあるって言ってたけど本当ですか?」って訊かれたら、「ああ、いい女だったぜ」と笑って答えよう。俺にとってあんたは気持の上ではそのくらい重い。ああ、なんかもういつ死んでもいいや、みたいな気分になっている。かといってあんたが気にする必要もないし、負担になるようなら忘れてくれ。世界のどこか隅っこに、恋に浮かれているバカがいる、ってだけだ。
想いは尽きないがこのあたりで終わりにしよう。「がんばれ」とは言わないし、「さよなら」とも言わない。あんたはあんたの人生をあんたなりに生きて、できればいっぱいいっぱい幸せになってほしい。ただし俺が役に立つようなことがあればいつでも声をかけてくれ。迷惑だと思うな。俺はあんたにだったら「迷惑」をかけられたい。
あんたの前途に祝福あれ。(←カッコつけすぎ、とtoriに代わってお約束のセルフつっこみ)
「俺に用があるときは口笛を吹くんだぜ。口笛の吹きかたは知ってるな? 通信ソフトを立ち上げてATコマンドを打つんだ」というのはかれこれ二十年前のネタ。今はブラウザが勝手にやってくれる。便利な時代になったもんだ。回線上で恋だってできるんだから(^_^)。
(こういう照れくさい話は今回で終わり) KILROY
tori wrote:
>アホだと知りつつ、わかってもらえないと知りつつ書きます。
わかります。
というより、toriさんの書かれていることが普通のことだと思っていました。
(それともやっぱり、toriさんが書きたかったことを私はわかってないのかな)
自分の生きにくさが、まわりの人たちとの世界観の大きなギャップによるものだと気付いた中学生の頃、
私の脳が見ている世界を理解してもらおうと、あるいは仲間を見つけようと、
多くの本を読みあさり、文や絵で自分の世界観を表現したのですが、
むしろますます変わり者扱いされただけで、
生きていくことが苦痛で、生を受けてわずか十数年目にして自分の人生に絶望していました。
でも、
私が口にしたことばから同じものを想像してもらえて、
同じ感覚や感動を分かち合える、
私と近い世界観を持つ仲間達が生きている世界がどこかにあるんだと空想して、
その世界に名前をつけ、そこでの日々や仲間たちとの会話を空想することで
救いにしていました。
シュッツさんへ
成人LDのくるとです。
シュッツ wrote:
>リンコさん訳の
>「片づけられない女たち」
>「片付かない、見つからない、間に合わない」
>など、ADD(ADHD)の一般向けの簡単な解説書はあるのですが、同じ
ようにASについての簡単な本はないでしょうか。
1番のお薦めは
トニー・アトウッド『ガイドブック アスペルガー症候群 親と専門家のため
に』(富田真紀,内山登紀夫,鈴木正子訳 東京書籍
1999年刊)
という本です。実際には親や専門家だけでなく本人にも有益な情報が記され
ています。翻訳ですが、かなりわかりやすかった気がします。これだけはシュ
ッツさんのホームページから抜けていました。
ところで、ホームページを見てびっくりしました。ずいぶん色々な本を読ま
れていたのですね。時々参考にさせてもらうかもしれないので、その時はよろ
しくです。
tori wrote:
>アホだと知りつつ、わかってもらえないと知りつつ書きます。
>
>人間は1個ずつ脳を持っている。
>それを使って自分の世界観を構築する。
>その世界観は一人一人違う。
>
>同じ世界観を他の人間と共有すれば、生きやすくなる。
>脳には生まれつきの違いがあるが、可塑性がある。
>可塑性があるが故に、それぞれの世界観を類似させることができる。
>
>ただし生まれつきの違いのために、限界が出てくる。
>中には世界観をまったく他の人間と共有できない者も出てくる。
>だが、それが即、死を意味するわけではない。
>
>世界観の共有は生きるために不可欠な要素ではない。
>生きやすいか、生きにくいかの違いである。
toriさん。本当の哲学を勉強してみたら?わかってくれる人がたく
さんいると思いますよ。(成人LDのくると)
アホだと知りつつ、わかってもらえないと知りつつ書きます。
人間は1個ずつ脳を持っている。
それを使って自分の世界観を構築する。
その世界観は一人一人違う。
同じ世界観を他の人間と共有すれば、生きやすくなる。
脳には生まれつきの違いがあるが、可塑性がある。
可塑性があるが故に、それぞれの世界観を類似させることができる。
ただし生まれつきの違いのために、限界が出てくる。
中には世界観をまったく他の人間と共有できない者も出てくる。
だが、それが即、死を意味するわけではない。
世界観の共有は生きるために不可欠な要素ではない。
生きやすいか、生きにくいかの違いである。
ねこめ4 さん と 武田さんへ
ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
ちょっとぐったりしてますが、もう平気です。
ねこめ4 さん、一番初めにレスを頂きありがとうございました。
武田さん、カモマイルティは飲みませんでしたが、ほうじ茶を飲みました。(笑)
その他、陰で心配してくださった皆様、お騒がせしまして申し訳ありませんでした。
「こんなこと書き込むなよ」と思った方、大変ご迷惑をおかけしました。どうかお許しください。
まず、言っておかなければならないのは、
私はこれだけペラペラ書いておきながら、視覚優位の人間だということです。
私の思考は言葉では出来上がっていない。
それを言葉に翻訳して書いたり、話したりする。
言葉で考えていると、そのうち自分が何を言いたいのかわからなくなってくる。
それで、言葉でのコミュニケーションは非常に苦手なのです。
常に自分の伝えたいことと、実際に書いた(話した)言葉とのギャップに苦しんでいます。
それともう一つ言っておかなければならないのは、著しく共感性に欠けるということです。
おそらく私は、「死」を感情的には理解していません。
それと、他人の感情を理解する行為が非常に苦手です。
私が人とコミュニケーションを取る際に一番恐れているのは、相手が怒ることです。
もっと突っ込んで言えば、相手が怒って暴力をふるうことを恐れています。
これが人とコミュニケーションを取るときの妨げになります。人と接する時は異様に緊張します。
アホかとお思いでしょうが、掲示板上でも同様です。
これに加えて、何か一つのことに集中すると、それだけしか出来なくなるという癖があります。
これが私には苦痛です。とても人には言えないようなことに拘って、ひとしきりそれが済んだ途端、
「何じゃ、こりゃ。こんなことに時間を費やしてアホと違うか」という自己嫌悪で一杯になる。
たとえ人がそれを見て素晴らしいと言おうが、私の中では「くだらん」の一言でしまいです。
何の意味もないと思ってしまう。完成したものは即、壊したくなる質です。
何でも突き詰めれば新たな発見がある、ということはよくわかっています。ごく小さな部分を極めることで、
全体の構造がたちどころにわかってしまった、こういう経験は何度もあります。
しかし私の場合は、それが興味の終わりなのです。構造が掴めればもう終わり。
でも、KILROY さんの書き込みを読んでいて考えが変わりました。
確か、この掲示板に初めて書き込んだのは2月の前半だったと思います。
その時が、私の掲示板初体験でした。それまで私は、個人的に人とメールをやり取りしたこともなければ、
掲示板に書き込んだこともありませんでした。(今でもメールの方はありません)
なぜ書き込んだかというと、これまで一度も自分と似た人間というのを知らなかった私は、
生まれて初めて、自分と少し似ているのではないかと思える人たちを、この掲示板上に発見しました。
でもやっぱり違うのですね。私は基本的に人とのコミュニケーションを望んでいるわけではなくて、
自分の意見を述べたかっただけなのです。
もしかすると、この人たちはわかってくれるのではないだろうか、という期待がありました。
でも、やはり本当のことは書けませんでした。
キチガイ扱いされるのではないかと、過去の苦い経験が思い出されます。
ちなみに、私はこの文章を書くのに全力を傾けています。
書き始めてから、現在で4時間20分が経過しています。
私は一度に一つのことしか出来ません。
私にとって、人とのコミュニケーションは、その「一つ」に当たります。
自分にとっての「芸術作品」と、「人とのコミュニケーション」のどちらを取るか、
もうおわかり頂けたと思いますが、私は前者を取ることに決めました。
KILROY さんにとって、掲示板上で人とのコミュニケーションに全力を傾ける私は必要ないでしょう。
私はこのまま無職で終わるつもりはありません。でも生きていれば、どこかで実際に会えると思う。
類は友を呼ぶと言いますから。まあその時は、私が tori だとはわからないわけですが。
KILROY さんが私の何を気に入ってくれたのか、全然わからないけれど、
もし私に似たような奴が周りにいたら、遠巻きに眺めていてやってください。(笑)
という訳で、掲示板への書き込みはこれで一旦終わりにします。たまに覗くと思います。
KILROY さんの仕事が上手く行きますように。(←これは本心)
KILROY さんが長生きしますように。(←これはちょっと嘘っぽい(笑))
短い間だったけど、楽しかったです。ありがとうございました。
KILROY さんが私のことを友達ではなく、「友人」と書いてくれて嬉しかった。
「俺はあんたを失いたくない」と言ってくれたことも忘れません。
ちょっと、生きていてよかったなと思いました。(「ちょっと」、というのが味噌だったりするが(笑))
追記: No.3477 『panic』 で書いた発作は、これまでにもあったことです。頼れるところがあったので頼っ
てしまったというのが真相です。それだけこの掲示板のウェートは私の中では大きかった。
ご心配をおかけしてすみませんでした。KILROY さんの記述、とても参考になりました。
次回、おかしくなる前に、病院に一度行っておこうと思います。
>とはいえ元気んなって帰ってきたら、また容赦なく議論吹っかけるから覚悟しとけ。
その時は、どうぞよろしく。
おーい、toriよぉ、俺はお前が元気ねぇと寂しいよ。心配だよ。
そりゃあもちろんヒトゴトだよ。お前がどんな人間でどんな生活してっか俺はぜんぜん知らねぇよ。お前がどんなに苦しんでようが、俺自身は(肉体的には)痛くも痒くもねぇよ。だけどそのこと自体が哀しいよ。
「早く良くなって帰ってこい」なんてことも言えねぇよ。「がんばれ」とも言えねぇよ。人それぞれ自分のペースってもんがあるしさ、自分の納得のゆくペースで養生するっきゃねぇわけだし。
だけど……だけど言わせてもらえば、俺はあんたを失いたくない。それは事実だ。赤の他人でなんにも知らねぇ相手だけど、それでも「失いたくない」っていう気持だけははっきり断言できる。で、その事実を頭のどっか隅っこの、あんまり負担にならないところに置いておいて、それがもしかして何かの役に立つなら役立ててもらいたい。そう思ってる。
「心配をかけるな」みたいなことも言わない。「心配かけたくない」とかいって遠慮されるのは嫌だからだ。あんたが苦しんでんなら、俺にも苦しませてほしいと思う。「そんなの何の役にも立たないじゃん」と言われるかもしれない。確かに回線のあっちとこっちでいくら気に病んだからって、なぁーんの効果もありゃしねぇ。だけど、と俺は言いたい。とはいえ「だから何だ」と言われたら、何を言っていいのかはわからんが。
こういうことを大勢の人間の目に触れるような場所に書くなんてぇのは、「どっかおかしい」と思うかもしれない。だけど、こうやって後戻りできないところに身をおかなきゃ、気持ちってぇのは伝わんない、っていうのは、いままで議論してきたことからいって、理解してもらえると思う。伊達や酔狂、冗談やからかいじゃないっていうのを理解してもらうには、こうするのがいちばん手っとりばやいと俺は思った。
「こんなこと書かれちゃ迷惑だ」っていうんなら謝る。もちろんこのメッセージも削除する。だけど、あんたが苦しんでんなら俺は言ったほうがいいと思ってこう書いた。
こういう勝手な思い込みみたいなものが迷惑だと思われるかも知れないから、あらかじめ謝っとく。ごめんなさい。
とはいえ元気んなって帰ってきたら、また容赦なく議論吹っかけるから覚悟しとけ。
KILROY
>
>あなたが、今日本の世の中で、危機的だと思うことは何ですか?
私が危機的に感じていることは、世の中の画一化です。画一化というのは、生活の豊かさということは確かにもたらしてくれます。しかしながら心というものは、それによって柔軟性や耐久性を失ってしまい、人間は生きていく力をそがれてしまいます。
ミヒャエル・エンデが書いた童話「モモ」には、次のような一節があります。
#大都会の北部には、広大な新住宅街ができあがりました。そこには、まるっきり見分けのつかない、おなじ形の高層住宅が見渡すかぎり延々と連なっています。
#建物も同じ形に見えるのですから、道路もやはり同じに見えます。
#そしてこの同じ外見の道路がどこまでもまっすぐにのびて、地平線の果てまでつづいています−−−−整然と直線の連なる砂漠です!
#ここに住む人の生活もまた、これと同じになりました。
#地平線まで一直線にのびる生活!
#ここでは何もかも正確に計算され、計画されていて、1センチのむだも1秒のむだもないからです。
今の日本も次第にこのような状態になりつつあります。我々AS族は、もちまえの良心と独創性そして冷静な分析力を活用して、このような状況が進むことを阻止しなくてはなりません。
シュッツさんwrote:
>「障害」かどうか、「病気」かどうかには触れたつもりはなく、「中心的な
>症状は何か」の話です。
>ASの範囲をあまりに広げ過ぎてはいけないのではないかということなので
>すが。
>極端過ぎる例えとしては、他人が言った言葉の意味を取り違えただけの人が
>ASを名のることは無理があるということです。
>もちろん、その逆にASの範囲を狭くし過ぎても問題でしょう。
>まだASの境界線は医学的にも曖昧ですから。
>ASによく見られる症状の一つとして、感覚が普通の人(普通って何だろう、
>それは置いといて)と違うというのがあります。
>痛みに鈍感だとか、特定の刺激(音、光など)に敏感だとか。
>しかしそれがあるだけではASとは言えません、中心的な症状ではないから
>です。
おおむね了解しました。つまり、治療を前提とした診断のレベルの話ではなくて、「そもそもASとは何であって、何でないか」という話で、その部分をティピカルに表現する名前が欲しい、ということだと判断します。
一九八九年のギルバーグ&ギルバーグの診断規準はご存知だと思います(『アスペの館』から参照できますから)。まず、これを「素因」と「付随的な結果」のどっちに誓いかを分析してみましょう。
「社会的相互作用の重大な欠陥」は、すべて「付随的な結果」とみなしていいと思います。
次に「没入的で狭い興味・関心」に含まれる「ほかの活動を受けつけない」「固執を繰り返す」「固定的で無目的な傾向」は、かなり「素因」に近いものを含んでいるように思います。
「決まりや興味・関心の押しつけ」は、「自分に対して、生活上で」が素因、「他人に対して」が「結果」。
「言葉と非言語表現の問題」は、「発達の遅れ」は結果、「表面的には誤りのない言語表現」はかなり素因寄り、「形式的・もったいぶった言語表現」はさらに素因寄り、「韻律の奇妙さ、独特な声の調子」については、「奇妙・独特」といった表現に客観性を欠きますが、「ことこと」と「とことこ」、「さるすべり」と「かたつむり」、「なめらか」と「ぬめり」といった語感への執着の結果と解釈すれば「固執」のカテゴリーに分類できそうだし、「理解の悪さ:表面的/暗示的意味の間違った解釈を含む」も、言語の「意味」より「形式」や「規則性」に注意が向かってしまう結果と解釈できそうです。
「非言語コミュニケーションの問題」に関しては、これらの「症状」は何かに熱中している人間に広汎に現れる「症状」ですから付随的なもの、最後の「運動の不器用さ」という結論を「神経発達の検査結果が低い」から導き出すことに粗雑さを感じさせます。
そういうわけで、「自閉症(autism)」の中心的な症状が「他者に対する反脳性の欠如」であるのに対し、「高機能広汎性発達障害」の中心的な「症状」は、「ロゴス親和性」あるいは「ロゴス固執」であると結論しました。
この場合は単に「言葉」という意味ではなく、古典ギリシャ語における、言葉、論理、秩序、法則、摂理、真理といったものの総体であり、「原存在としての秩序」「真知」「暗黙知」としての「ロゴス」です。日本語でいえば「筋が通っている」の「筋」です。したがって、「筋の通らないことを生理的に受けつけない」のがASであり、それが「発達障害」「コミュニケーション上の問題」として捉えられるのは、対人関係において「話がこじれて意固地になる」ことが多いからだと考えられます。
……と、いうことは、高機能広汎性発達障害の人は「話せばわかる」のであって、説得によってコロッと態度が変わる可能性がある、ということです。そういう意味で、AS傾向のひとは、非常に、ひっじょぉぉぉぉぉおに、扱いやすいんです。少なくとも私にとっては。単に筋を通せばいいんですから。逆に筋の通らない話をAS傾向のひとに納得させようとするのは、まったく無駄な行為です。
こういうタイプの人を「病気」と決めつけるのは「筋が通ってない」と判断するが故に、私はASを病気だとは認めないわけです。
おわかりいただけましたか?
……そんなわけで、あなたの「差別」感覚チェーック! (→全員に)
「バカチョン」という言葉があります(例:「バカチョンカメラ」)。
この言葉について、
・語源はなんだと思うか。漢字ではどう書くか。
・これは差別語か。あるいはどういう時には使ってよくて、どういう時には使ってはいけないか。
・あなた自身は使うか。あるいは使わないか。
の三点について、みなさんの意見を伺いたいと思います。で、説明。
1)語源はなんだと思うか。漢字ではどう書くか。
「バカ」については説明不要でしょう。詳しくは『日本アホ・バカ分布考』を参照してください。
「チョン」「チョン公」については、「朝鮮人に対する蔑称」だとするマスコミによる見解があります。ただし、「チョン」というと、「多少、頭の足りない人物」だとする用例がしばしば見られ、私の子供時代にも「チョンちゃん」というおっちょこちょいの少年を主人公にした紙芝居がありました。
また、仮名垣露文の『西洋道中膝栗毛』に「亭主のことをばかだのちょんだのと」といった表現があり、おそらく江戸末期から広く使われた言葉であると推定されます。また、「ちょん」には「句点」の意味がありますが、「ばかだのちょんだの」といった表現が登場した時代には、句読点はほとんど使用されていなかったことが分かっています(『西洋道中膝栗毛』にも、句読点は使われていません)。
また、「朝」を「チョン」と読むことはなく、「チョ」です。また朝鮮語には「総髪(チョンガ)」という語があり、「青二才」の意味で使われ、転じて「独身者」の意味で使われます。
ついでながら、「茶筅髷」に対する言葉として、「ちょん髷」という言葉が江戸時代から使われていました。しかし「ちょん髷」は「朝鮮人風の髷」ではありません。なお、日本には「総髪(あげまき)」という髪型があります。
2)これは差別語か。あるいはどういう時には使ってよくて、どういう時には使ってはいけないか。
少なくとも蔑称であることは間違いありません。ですが「アホ」や「バカ」を使うな、というのは無茶です。ここで私がいちばん問題にしたいのは、「『朝鮮人に対する蔑称である』という共通認識がある以上、実際に傷つく人は不快の念を抱く人がいるので、使うべきではない」と考えるか、「ジャズメンやSFファンの間では『キチガイ』という言葉は褒め言葉なのだから、差別的な意味で使わなければ使ってもよい」と考えるか、あるいは積極的に使う価値があると考えるか(私はここに属します)、です。
3)あなた自身は使うか。あるいは使わないか。
「出れる」「見れる」のように、「他人が使うのは自由だが、私は使わない」と考える人もいるでしょう。「いま、現にある差別」を意識化して根絶するためには、あえて使うことで差別を意識化する必要があり、そのためには積極的に使うべきだ」という人もいるかもしれません。そこのところを伺いたいと思います。
よろしいか、黙っていては何も伝わらんぞ KILROY
最近他の掲示板でASのことを知り、「なんか私みたいな人がいっぱい〜」って嬉しくて、いろいろ見て歩いているところです。
あ、でもたぶん私はASじゃないと思います。「社会相互作用」はすっぽり抜けてるみたいだけど、他の症状(て言って良いのかな)にはあまり思い当たらないし。
ところで思い出し笑いって、そんなにヘンなことなのかなあ。私しょっちゅう歩きながら吹き出したり、ひとりごと言ったりしてるけど・・・。
どこまでが「正常」でどこから「異常」なのか、本当のところ、ようわからんです。
世の中わからんことが多くて苦労しているのに、私にはもともと緘黙があったせいか「しゃべらない」ことや「友達ができないこと」ばかり問題にされる。どーでもいいのにな。ていうか、「わからないこと」には誰も気がついてないみたい・・・。
言葉のやりとりで微妙な行き違いがあるようなときで、しかもどうこじれているのかわからない状態が気持ち悪くて、つい質問しまくったり、説明をくりかえしたりしてしまう。伝えたい、わかりたい、もつれをほどきたいと、一生懸命になっているときほど「人をやりこめようとしている」と相手を激昂させてしまう。言っている内容をちゃんと聞いて欲しいのに、言い方やタイミングに反応され、それに感情的な意味づけをされてしまうのはたまらんなあ。
Miraさん wrote:
>私だったらこう言う場合、弁護士を立てて闘う(原告に加わる)かもしれません。
KILROY wrote:
> 日本の法制度というのはじつに頼りなくできておりまして、・・・仮に民事訴訟を起こして勝ったとしても、・・・相手が資産隠しをしたり自己破産宣告をしたりとかいった方法で金を払おうとしなければこっちからは何もできません。
ワタクシ、昨年裁判沙汰に巻き込まれて知ったのですが、不正行為によって発生した債務は破産後も帳消しにはならないそうです。
どういうことかというと、破産制度というのは、正規の商取引や貸借によって発生した債務(借金や買掛金)は帳消しに出来るけど
不正行為(詐欺・横領・等)に起因して発生した債務(裁判所から支払い命令の出たような場合)は自分で責任取れ!
というコトになっているそうです。
ご参考までに。
武田好史 wrote:
>障害者手帳を取得している方にお伺いします。
持ってないけど、ちょっと聞いた事あるので書き込みます
>1.埼玉県の場合、「自閉症で手帳を取得する場合、IQが75以上の場合には精神障害者手帳を、75未満のの場合には知的障害者手帳を」
>ということになっていますが、これは他の所でも同じなのでしょうか?
KILROYさんの言うとおりじゃないでしょうか
>2.手帳を取得する場合、どのような手続きが必要なのでしょうか?
KILROYさんの言うとおりじゃないでしょうか
>3.手帳を取得した場合のメリット・デメリットは、どうなっているのでしょうか?
KILROYさんも言うとおり、メリットは微々たるモノ。
デメリットは、就職・結婚・その他もろもろの場面で遭遇する差別と、公的にキチガイと認められて差別を受けること。
地方自治体レベルで(警察を含む)キチガイの生息情報を把握するために、障害者手帳制度が作られた
・・・という噂が立つほど自治体には都合良く利用されているようです。
警察署のマルセイ(精神異常者の略)リストには確実に載せられちゃうそうです。(各県で違うかも)
おまけ:精神障害者(ASを含む)に対する公的な厚生制度は、主なモノが3種類あります。
障害者手帳の交付・医療費の公費負担・障害年金の支給 です。
これらはそれぞれ別制度なので審査基準もそれぞれ違い、医療費は出してもらえるけど年金は出ないなんてケースもあり。
対象者(=障害者)は この中から自分の望む制度だけを利用すればいいわけです。
ちなみに私は、手帳は要らない・医療費は受給中・年金は検討中 です。
>昨日の晩、パニック。
>家中の壁をバンバン叩きまくって、奇声を発してた。
>混乱の極み。
>独り言ブツブツ。自分で言ってることがわからなかった。
>意味不明。
「パニック発作」というより、「やや程度の重い躁発作」だと思います。うちの亡くなった父親も含め、そう珍しい症状ではありません(病因がイコールだとは限りませんが)。夜中から明け方にかけて起きることが多く、睡眠薬でしのぐことで乗り切ることができそうに思います。こうやって他人とコミュニケーションするのも有効な手段です。
ただ、文章だけではデータが少なすぎ、私も医者じゃないので正確な診断ができません。精神科の医師に症状を説明し、病状の把握、とりあえずの対処法、それと薬の処方を受けるのがよいでしょう。カウンセラーでは投薬ができませんから、必ず医師に。
>緊張性の障害もある。
>鏡の前で1時間、2時間、3時間、立っていたこともあった。
>我にかえって時計を見ると、それだけ時間が過ぎていて、
>鏡の前にまた行くと、また動きが止まってしまう。微動なし。
>思考も体も全面停止。目は開いてた。
カタレプシー、あるいはカタトニアと呼ばれる症状です。癲癇の痙攣発作なんかと違い、怪我をする危険性がないのでそう深刻ではありません。 体調というか、精神状態によって出やすかったり出にくかったりするという人が多いようです。経過を見て、あんまりひどくて日常生活がほとんどムリ、みたいな状態になりそうだったら医療機関を積極的に利用すべきです。
>その他の症状
>何かに集中すると、完全に体の動きがとまってしまう。頭の中で思考がグルグル。
>集中すると、それから離れられなくなる。
>幻覚、幻聴なし
それが苦痛か苦痛でないかがいちばん重要なポイントです。いろんな薬で楽になることはできますが、それなりに副作用というか負担もあり、意識が混濁してヘンなことをやっちゃうんじゃないかというリスクあるいは恐怖もあったりします。弱めの精神安定剤と睡眠薬から試してみるのはどうでしょうか。
なお、これは裏業に類するのですが、よく知っている内科医、特に循環器内科のお医者さんがいれば、この手の薬はわりと手軽に処方してくれますし、「ちょっと血圧が……」とか言っておけば世間体も悪くない、というメリットがあります。
>こういう人、病院に行ったほうがいい?
「ケア(「治療」というより「助け」)を受けたほうがいい」という意味では、「症状に苦痛があるなら、即刻」。苦しいのを我慢しているよりは、病院を利用するのが賢い選択。私も向精神薬にはお世話になってるけど、便利なものですよ。
「長期的な治療を受けたほうがいいかどうか」という意味では、現代の医療というのはそれほど信頼のおけるものではありませんから、適当につきあってみてメリットがあったら本格的に続けてみる価値はあります。
「社会生活を諦めて、病院の中で生きたほうがいい」という意味なら断じてNO。状態が悪いとき(セルフケアができない程度に深刻なとき)に緊急非難的に利用するのはGOODですが、社会生活を諦めなきゃいけないほど重篤な状態だったら、とっくに強制入院させられているはずです。
あんまり役に立たんでごめん KILROY
もう一つ例えを思いつきましたので書いてみます。
やはり極端ですが。
ASによく見られる症状の一つとして、感覚が普通の人(普通って何だろう、それは置いといて)と違うというのがあります。
痛みに鈍感だとか、特定の刺激(音、光など)に敏感だとか。
しかしそれがあるだけではASとは言えません、中心的な症状ではないからです。
さて、風邪をひいたときのことを考えてみましょう。
熱があるときには肌の感覚が普段と違っています。
ASの触覚の敏感さと似ているのではないでしょうか。
しかしこの場合は、あくまでもカテゴリーは「風邪」であって、ASではないのです。
この例えが必ずしも分かりやすいはずとは言いません。
抽象的な話よりはましかな、という程度です。
KILROY wrote:
>シュッツさん wrote:
>>私の意図としては、ASに変わる言葉ではなくて、ASに似ているけど
>>ASのカテゴリーから少しずれた辺り、ASのお隣さんのような部分に
>>関して、ASの集合に取り込んでしまうのではなくて、名目上独立した
>>物として扱った方がいいのではないか、という意味でした。
> ……これが言っている意図がよくわからない。
(中略)
> 意地の悪い見方をすれば、シュッツさんは「ASの人と同じ『苦しみ』は抱えているものの、ビョーキと決めつけられるのは嫌だ」と言っているようにも見えてしまうのですよ。これでは「いいとこどり」と言われてもしかたがないのではないでしょうか。「それってASに対する差別じゃない?」とか言われてしまうぞ。
私の日本語が下手なために、話が遠くに飛び過ぎて、戸惑っております。
ASの範囲をあまりに広げ過ぎてはいけないのではないかということなのですが。
極端過ぎる例えとしては、他人が言った言葉の意味を取り違えただけの人がASを名のることは無理があるということです。
「障害」かどうか、「病気」かどうかには触れたつもりはなく、「中心的な症状は何か」の話です。
もちろん、その逆にASの範囲を狭くし過ぎても問題でしょう。
まだASの境界線は医学的にも曖昧ですから。
> そんなわけで、あなたの「差別」感覚チェーック!
>
> 「バカチョン」という言葉があります(例:「バカチョンカメラ」)。
> この言葉について、
>・語源はなんだと思うか。漢字ではどう書くか。
「チョン」の語源は朝鮮だと聞いたことがありますが、自分で深く調べた訳ではありません。
>・これは差別語か。あるいはどういう時には使ってよくて、どういう時には使ってはいけないか。
使ってよいときというのが思い浮かびません。
>・あなた自身は使うか。あるいは使わないか。
注意してはいないですが、多分使っていないと思います。
tori wrote:
>昨日の晩、パニック。
>家中の壁をバンバン叩きまくって、奇声を発してた。
>混乱の極み。
>独り言ブツブツ。自分で言ってることがわからなかった。
>意味不明。
>こういう人、病院に行ったほうがいい?
>
>緊張性の障害もある。
>鏡の前で1時間、2時間、3時間、立っていたこともあった。
>我にかえって時計を見ると、それだけ時間が過ぎていて、
>鏡の前にまた行くと、また動きが止まってしまう。微動なし。
>思考も体も前面停止。目は開いてた。
>
>その他の症状
>何かに集中すると、完全に体の動きがとまってしまう。頭の中で思考がグルグル。
>集中すると、それから離れられなくなる。
>
>誰か意見くれ。今はあんまり余裕ない。
よほどひどくストレスがたまったのだと思います。
とにかく静かな所でゆっくり休んで下さい。
手元に安定剤があれば、お医者さんから言われた量を飲んでから・・・
ただし決して大量に飲んだり、お酒と一緒に飲んだりしてはいけません!
ホットミルクやカモマイルティも結構効くと思います。
コーヒー・酒はこんな時は、火に油を注ぐようなものなので、飲まないようにしましょう。
tori さんへ
大丈夫?
分裂になちゃったのかそれとも
自閉の影響なのか・・。
すぐに観てくれる専門家がいればいいのだけど・・。
めぼしい病院には連絡した?
ぴよ wrote:
>武田好史 wrote:
>
>> 私もそう思います。ボランティアとは、「自ら進んで、何の見返りもなく、社会を良くするためにがんばること」であると思います。とてもじゃないけど、「単位取得のためにやっているんだ・・・」なんていう生半可な気持ちでやっていたら、受け入れてくれた組織に失礼です。
>
>ここの「がんばる」というのは、私が想像するに、
>「気が付いたら、がんばっちゃっていた」という感じだと思います。
>
>ぜんぜん無理のない「がんばる」ですよね。
「がんばる」といっても、やたらめったらに「がんばる」というわけではなく、その組織に今何が必要なことなのか、よく考えて隙間を見つけて、奉仕を行うことが大切です。
つまりボランティアというのは、ことに我々AS族が苦手とするところの、「気を利かせる」ということの鍛錬の場なのです。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami