アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: うた 3527へのコメント
No.3528  Mon, 19 Mar 2001 17:58:53 +0900  チイママ [この発言にコメントする]

ガーデニア 改め さるすべり wrote:
>皆さん、音楽は好きですか?
好きです。
>本題は、歌についてです。音楽を、どう感じ取っていますか。
最近はピアノ音楽も好きになりました。以前はピアノの雑音のように頭に響いて好きではなかったのですが、最近ピアノの音楽を聴くと心が癒されるようになってきたので不思議に思ってます。
普通の音楽はBGM程度にしか聴いてないような気がしますが、音楽ってどんなものでも好きです。


うた
No.3527  Mon, 19 Mar 2001 16:14:55 +0900  ガーデニア 改め さるすべり [この発言にコメントする]

皆さん、音楽は好きですか?
私はあまりすきではありません。
なんか、歌手が「寂しくて」とかうたっていると、ぞくっとします。鳥肌が立ってきます。

確かに、私は「共感性」に欠ける気がします。友人が、担架に乗って運ばれようとしているときに、その大変さがわからなくて、他の友人とは関係ない人のほうがちゃんと助けてくれていたり。

本題は、歌についてです。音楽を、どう感じ取っていますか。


Re: Re:世界観の共有 3501へのコメント
No.3526  Mon, 19 Mar 2001 16:07:47 +0900  ガーデニア 改め さるすべり [この発言にコメントする]

KILROY wrote:
>>「ポンと肩をたたいて、ようと声をかけてくれるような、そんな人間関係
>>が欲しい」というその人の言葉が印象に残っています。
> ニコポン(ニコッと笑ってポンと肩を叩く)・キンメシ(「近いうちに食事でも一緒にどうかね?」と声をかける)なんていうのは、toriがいちばん厭がりそうな行為のような気がするが。

あはは、私も「ニコポン」厭がるだろう。内心「ぎゃーぁぁぁぁー」と騒いでいるだろう。


質問(あなたの散歩道は・・・)
No.3525  Mon, 19 Mar 2001 16:00:05 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

 僕はストレス発散のため、3日に1回くらいの割で散歩に行きます。
運動不足も解消しようと思って、5ないし10kmぐらい歩いたり、カメラを持ち出して、道ばたに咲いている雑草の花(今はオオイヌノフグリ:青星草:がきれいです。)や公園の木々の姿を撮影して回ったりしています。 

ということで、今日は散歩に関する質問です。

1)どんな時に行きたくなりますか?

2)コースはどんなふうですか?

3)散歩中に見た光景で、印象に残っているものは、どのようなものですか?


Re: よく言われるんです 3517へのコメント
No.3524  Mon, 19 Mar 2001 12:50:52 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

 『しかも面白いことに、「素直」とは本人が決めるべきものではないというものではないということ。本人がいかに素直な気持を抱いていても、それが本当に素直であるか否かは自分が決めるのです。「きみ、恋人のひとりもいなくて寂しいだろう」と茶化したところ、「いえ何ともありません」と答えると「素直じゃないんだなあ」と来る。酒の席で「おまえ、アイツにさきを越されて悔しくないか」と聞き「いえ、別に」という返事に「素直じゃねえんだからなあ」と来る。
 つまり、人としての<自然な>感情の動きがあり、それが素直なのであって、それから外れている者は素直ではないのです。しかも「自然」とはマジョリティにとっての自然なのであり、マジョリティと感受性を共有しない者は、みんなそれを恥じており、隠蔽しており、無理に平気を装っている。だから「素直」ではないということになるのです。たいした暴力ですが、私はこうした言葉遣いに親和性のある人(「世間度」の高い人)とそうでない人とをただちにかぎ分けられる。』
 (中島義道『私の嫌いな10の言葉』、新潮社、本体1200円)

 中島さんは哲学者なので議論はここまで。哲学者にはこういう「素直じゃないなぁ」「素直になれよ」なんていう物言いをする馬鹿とつきあっている暇はないわけです。
 で、われわれの興味はここから何歩か進んで、この馬鹿どもの発症メカニズムとこういった馬鹿どもに対していかに対処すべきかという実践的な方法を求めることに移るわけです。

 「素直になれよ」の同義語としては、「もうちょっと自分の気持に正直になったほうがいいんじゃないか?」というのがありますが、これは周囲の人間関係に関する配慮の結果としてタテマエ的な発言を繰返さねばならない立場にいる人間にとってはけっこうグサッとくる言葉で、「私にも事情とか立場というものがございますので」ということになるわけです。こういうの腹が立たない。

 で、なんで「素直になれよ」の一言がこんなにも多くの人にとって不快なのかといえば、それにはおおむね二通りの理由があります。
 ひとつは、「素直になれよ」とかいった言葉を発する人物というのは、おおむね社会的に見て「偉い」人であり、なおかつ自分のエゴ(これは心理学の用語でいう自我に相当するエゴ)を垂れ流しているという点で不快なのであります。自分の食べカスを(空になっているとはいえ)他人の皿にポイッと放りこんでしまう奴とか、人の本を読んでいて、ついページをめくるときに唾をつけてめくってしまい、注意すると逆ギレしたりする奴とか、「ああ、ごめんごめん」とお座なりに謝って、しばらくするとまた同じことをする奴とか、後になって「あいつは異常だ」とかいって人に悪口をいうとか、そういう奴だというのが透けて見えちゃうからです。つまりは自分の視点からしか物事を見ることができず、社会性というものを身につけてこなかった(力関係、というのは社会性のうちに含めません)結果がわれわれをしてかの人に対する不快感を持たしめるわけですね(←どういう日本語だこれは)。で、こいつらは「ちゃっかり」していて「要領がいい」という点で自分は有能であると自惚れていて、他人の利益を侵害するという意味で有害であり、個人的には往々にして成功するものの全体の利益の足を引っ張り、「周りに迷惑をかけるな」と然れば「全体主義だ」「個人の権利の侵害だ」と騒ぎ立てる人権バカでもあります。「権利の濫用はこれを許さず」と憲法にあるのを知らんのだこの馬鹿は。自分の国の憲法くらい読んどけや。

 わーっはっはっはっは、今日も私の毒舌は冴えわたっているぞ(←ふつう自分で言っちゃうかな)。

 でまあ、こういう単なるエゴ垂れ流しの小便臭い鼻垂れ小僧のウンコ垂れ野郎をまともに相手してても何の利益もありませんから、ここは上機嫌に(この「上機嫌」というのが重要なポイント)「あいにく変わり者でございまして」と自信たっぷりにニッコリと笑いかけてさしあげるのがベストでございます。そうすると相手はあなたが「この田舎者のゲス野郎はまったく堪ったもんじゃねぇな」と考えていることを即座に理解して、「あ、あは……あっはっはっはっは、そうかね。うん。そうか変わり者か。がっはっはっはっは」とかいって空々しい豪傑笑いを空しく響かせたりするのだな。で、こういう連中はあまり害がない。

 で、もう一つの理由というのは、相手がこっちを搾取するために、確信犯的に「素直になれよ」とかいう言葉を使っているという理由です。
 同じ「素直になれよ」でも、恋人同士が喧嘩しちゃって、女性のほうがどう考えても自分が悪いんだけど意地張っちゃったもんだから自分から謝るわけにもいかないし、相手に折れてもらうというのも面子の上でちょっと無理だろうし、どうしよう困っちゃったな、みたいなときに男性のほうがなしくずしにエッチに突入して対立をうやむやにしてしまおうという下心を持って「なぁ、素直になれよ」みたいに関係を迫ってくる、なんていうのは腹の立たない「素直になれよ」だったりする……と思うのだが、ここんところは女性にも訊いてみないとわからんな(←そうやってどんどん品性を疑われてゆくというのがまだ解らんのかボケ)。

 で、腹の立つ「素直になれよ」のほうは、こっちが泣き寝入りするのを期待しているとか、その結果トラブルが起きたときに自分が責任を取らなくていいように、こっちが自発的に行動したということにしたいという意図のもとに「素直になれよ」と言っとるわけです。こういう奴を相手に素直になってたら、ケツの毛羽まで抜かれます(←言うとるそばからこれや)。
 ここであなたは重大な決断に立たされます。逃げるか、闘うか。これは最終的な判断であって、今とりあえずどっちにするか、ではありません。はっきり言って会社辞める気があるかどうかです。「こんな奴のために会社を辞めたくない」とか考えてっと大怪我するから気をつけること。逃げるときは上手に立ち回ってサッサと逃げましょう。良心に恥じることはありません。同僚や友人に気をつかうこともありません。こっそり再就職先を探すなり、寿退社を考えるなり、とにかく最短距離かつ有効に逃げることを考えるべきです。
 なに、闘う。そうなると、相手は徹底的に叩く必要があります。まず相手を憎むことから始めましょう。途中で攻撃の手を緩めると、相手は死にものぐるいになってあなたに噛みついてきます。奥さんや子供さんごめんなさい。こんな男をパパに持ったあなたがたが不幸なんです、と諦めてもらいましょう。
 で、具体的な方法としては、第一は「素直に」従って相手の弱みを握り、失脚させる方法です。ですがこの方法は必ずしもうまくゆきません。こういう奴は会社の弱みを握っていることが多く、あなたの告発は握り潰される可能性が高いでしょう。
 次は、「相手が自分に何をさせたいか」をはっきり確認し、その証拠を握ったうえでお望み通りに行動し、さらにその上でめいっぱい不始末を犯してしまうのです。当然責任の追求が行なわれ、それがあなたを通りこしてその憎い相手にぶつかるように仕向けます。
 相手の上の立場の人間に訴える、というのも、こうした下準備を行なってからでないと、あなたが悪者にされてしまうことがあるのでけっこう危険です。だいいちその上の奴というのも同じ穴のムジナだったりすることがあるわけです。このリスクを避けるためには、会社の上層部の人とこまめに接触しておくことです。「素直になれよ」とか言ってる奴が本格的に嫌がって妨害する人物が、相手にとっての最大のウィークポイントです。
 私の場合は府中だとか入間だとかにいった遠くの現場で働いていたために、たまに本社に帰ると後から入社した奴に「なんだコイツ」みたいな目で見られていた上に、私の上司が社内で私の悪口をふりまいていたために「仕事はできるけれど、不良社員で勤務態度が悪い」「仕事ができるのを鼻にかけためちゃめちゃイヤな奴」だということになっていたようです。会社っつーのは仕事する所なんだから仕事ができりゃあそれで十分じゃねぇか、といった理屈は世間じゃ通用しないようです。

 思いきった手段が性格的に取れない、という場合は、しょうがないからそういう馬鹿は無視して仕事に集中しましょう。とはいえそういう馬鹿が会社を倒し……って、まあ、どうあがいたって解決できないことってあるんですよ。だからってべつにあなたが悪いわけじゃなし、あんまりカリカリしないで適当に対処するってぇのもいいんじゃないっすかぁ?

 つまり人間はあまり自分に誠実だとかえって苦労するのだよ KILROY


Re: 涙? 3499へのコメント
No.3523  Mon, 19 Mar 2001 11:48:13 +0900  ゆーり [この発言にコメントする]

みなさんレスありがとうございました♪

「輪の内側の人間」と「輪の外側の人間」、感じているのは
自分だけではないんだと実感できました。
「外側の人間」は、よっぽどでない限り内側にはなれないんですよね。
でも、「外側の人間」が集ったら、「内側の人間」になれるのでしょうか?
わたしの場合、「内側の人間」になれるのは
せいぜい友達と1対1の時で、3人以上のときはダメです。

★ぺりこさん
>涙にも、いろいろあります。

それは、たいへん辛い話ですね。
その校長先生はきっと自分では、ぺりこさんのことを気にかけていて
親切にしていると思い込んでいたのでしょうが---。
親切の押し売りはいやですね。
わたしも、友達に「同情」と「力になってあげたい」というまなざしを
されて荒れたことがあるので、気持ちわかります。
関わり方がとても繊細な問題だということは、
彼らにはなかなか伝わらないようです。

★さくらかのえさん
>ひとが盛り上がってると観察する側にまわってしまうのよね・・・

同じくです。
でも、こういう人間もいたほうが良いのかなって最近思いました。
国民全体がファシズムに陥ったとした場合、冷ややかな目で見ている人間も
必要なわけですから。。。(その場合すぐに弾圧されそうですが)


自己診断ガイド 3519へのコメント
No.3522  Mon, 19 Mar 2001 11:04:54 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 ぬりかべ

 高所恐怖症の人間は断崖絶壁に近寄れない。バンジージャンプとかいったら言語道断である。だいいち飛下りようにも身体が動かない。頭で「安全だ」と思っていても身体が動かんのだ。「高さ」というものに対する恐怖というのはじつに根源的なもので、その恐怖にさらされた者には親も子もへったくれもない、というのは「親不知・子不知」という名前の道が日本各地にあることからもわかる。
 ヘリコプターのパイロットも地上からの垂直上昇は死ぬほど怖い(そもそも航空法で禁止されている)という話があるのだが、逆に「もしも高空でエンジンが止まったら」などという不安は意外にもなかったりする。高高度でエンジンが止まった場合はオートジャイレーションという方法で軟着陸できる。低高度ではスピードさえ出していればズームアップ上昇をしてからこのオートジャイレーションで着陸すればいい。ところが中途半端な高度をトロトロ飛ぶのは実に怖いという。なにしろ墜ちたら助からない。だから視界の悪いときに低高度で遭難者の探索をする山岳ヘリコプターのパイロットなんていうのは、アクション小説の中にしか存在しない。

 「頭では解っているのだが身体が動かん」という「ぬりかべ現象」は、脳の機能というよりも、もっと高度な心の機能の働きであることがここから解る。でなかったら人間には飛行機の操縦なんていうものは絶対に覚えられない。「ぬりかべ現象」は「ヒステリー症状」の一種であり、パニック発作もこのヒステリー症状の一種だから行動療法によって治癒が可能だと考えられる(パニック発作については後日改めて)。

 子供の頃にバス旅行で何度も何度も酔ったことのある人は、しばしば自動車に乗れなくなる。私は叔父が所有していた自動車が駄目だった。ところがタクシーは平気だったりする。気分の悪くなる原因は、バスにしみ込んでいる煙草の臭いと排気ガスの臭い、それに振動である。叔父はヘビー・スモーカーで、しかも趣味がラリーなものだから叔父の車は煙草の臭いがひどく排気ガスの臭いはきつくサスが固めでエンジン特性がフラットでなく、しかも運転がタイトなものだから悪条件がすべて揃っている。だから私は子供の頃に白い車に乗ろうとすると身体が固まって動けなくなった。タクシーが平気だったのは、煙草の臭いがせず排気ガスが臭わず(燃料がLPGだから)乗り心地がよく運転が上品だという理由による。

 いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス反応)で電車に乗れないとかいうのは、意識でどうこうではなく身体が言うことをきいてくれない。目の前に目に見えない圧力の壁が「どん」と立ちふさがって、身体が前に進まないのである。これが「ぬりかべ」の「ぬりかべ」たる所以であり、水木しげる先生も南方戦線で経験したという。目の前に何もないのに前に進めない。つまり無意識が発しているシグナルが意識の命令を凌駕してしまうのである。

 「ぬりかべ」に対処するということは、自分の無意識と和解することである。PTSD以外の原因で起きる「ぬりかべ」は、無理に無理を重ねてきたあげくに発症することが多い。焦ってどうこうしようとするより気長につきあうことである。どうしても学校に行けない、とか会社に行けない、とかいうときは、カウンセリングの充実している病院に言って、「過労」という診断書を出してもらって精神安定剤を処方してもらう。何件か回ればものわかりのいい医者はみつかるはずだ(最近の医療の流行りでもある)。で、会社に病欠の届けを出し、地方の「『ひなびた宿』ってぇのはもっとキレイなもんだ!」(広告マッチのコピーにこう書いたすごい人がいる。ダダイスト辻潤の息子、辻まことである)と怒鳴りたくなるような温泉場のボロ宿で湯治と称して一ヶ月くらいのんびりしてくるといい。なに、予定は一ヶ月でもだいたい三日もすれば痺れが切れる。一週間保つ奴はまずいない。三週間経ってまだ職場復帰する気になれなかったら、その土地で職探しをして居着いてしまうというのを真剣に考えたほうがいい。仕事のできない奴が仕事のストレスで体調を崩すなんていう話はあまり聞いたことがない(あったとすれば仕事の要領が悪い。会社の評価が低いとすれば、それは組織の側に問題がある)から、過疎になりかけの町なんていったらけっこう重宝されそうに思う。

 私事になるが、日本語処理システムを開発したときは「てにをは」の処理がどうにもうまく行かず、とうとうマシンの前にぬりかべが出た。たまりかねた私は会社に無届けでコロラドに九日間のスキー旅行に出かけてしまった。社長は「なあ、どっかで日蝕があったかな?」と同僚の藤本っちゃんに質問したという(私は天文マニアなので、沖縄・小笠原・ハワイと日蝕のたびに長期休暇を取っていた)。帰りの飛行機の中で私は高笑いをしていた。汎用日本語処理系JAI-Parser誕生秘話である。
 逆に、私が心臓を決定的に悪くしたのはその後ある人の紹介で移った会社でぬりかべと毎日闘いながら出社した結果突発性拡張型心筋症を悪化させたという事情による。このご時世、失職するのは辛いものがあるが、身体を壊して失職したら本当に後がない。健康なうちに自分から退職するのが得策である。私だって日本語諸理系の権利の問題がなかったらさっさと退社していた。とはいえ病気にならなかったら自殺していたろう。

 「ぬりかべ」はあなたを守ってくれる心優しい妖怪である。お友達になっておくといい。

 なお、中公新書の『サブリミナル・マインド』は一読の価値あり。

 KILROY


Re: 自己診断ガイド 3518へのコメント
No.3521  Mon, 19 Mar 2001 08:56:36 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

思いついたところに一ケ所だけレス

KILROY wrote:
> この『アスペルガーの館』にアクセスしてくる人々の多くは、自閉症者やASの人間の体験談を読んでもいるだろうし、医師が書いた患者およびその家族のための解説書も読んでいるだろうし、中には専門書にまで目を通している人だっているはずだ。だけど、そういった本が、「これは何だ? いま私の身に起こっているのは何なんだ?」というきわめて切実な問いに答えてくれるかというと……くれないのである!

私もたくさんの文献を読みあさりました。
確かに直接の答はくれません。
しかし、役に立たなかった訳ではありません。

数学で言えば、文献は方程式や定理のようなものであり、具体的な値は各個人によって違うのです。
だから、値を代入できるのは、自分しかないと考えています。

私は理系人間のせいか、最後の答だけでなく、方程式というものを重視する立場です。
それを使っていかないと、異星人に囲まれたこの世間では生きて行けないのです。


 Re:卒業証書 3515へのコメント
No.3520  Mon, 19 Mar 2001 07:55:31 +0900  マザー [この発言にコメントする]

風鈴 wrote:
>マザー wrote:
>>
>>このHPを見るようになってから、子供にやさしくなれた。
>>以前はけっこう自分の思いを押し付けてた・・・・
>>私はこのHPに、出会えてよかった!
>>
>>館の管理人さん、皆さん ありがとう。 マザー
>
>私も、マザーさんと全く同じです。このHPに出会えて良かった!!
>館の管理人さん、こんな素敵のHPを作って頂き有難うございます。
>そして、ここへ来られている皆さん、本当にいつも有難う御座います。
>もう、何かあるのかしら?って位に中毒で、1日に何度もアクセスしたり、
>それだけに1日でも見ないと禁断症状がでそうな程ですよ。(笑)
>家で見られない日は、翌日会社で!」・・・・という程のハマリようです。
>来月2日間見られない日が続くし今から心配です。

今の私も ハマリくってます!
心の安定剤になってるかも?・・・


自己診断ガイド 3518へのコメント
No.3519  Mon, 19 Mar 2001 05:41:48 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 幻覚

 幻覚とは感覚上は現実とまったく区別がつかない。いわゆる心霊体験のほとんどはこの幻覚であると断言しよう。ただし、心霊体験=無視すべきもの、と考えることは適切ではない。詳しくは後述。

 ふつうに体験するのは入眠時幻覚、とくに閉眼時の幻聴である。
 眠ろうとしていると、誰かがどこかで喋っている。声ははっきりしているのに、何を言っているのかがわからない。かといって外国語だという訳でもないのである。大きな声でもなく小さな声でもなく、ただがみがみと頭に響く感じがする。そこで目を開けるのだが……そのとたん声は消えて、そこは特に変わったことのないホテルや旅館の一室である。そこでまた眠ろうとすると、またしても声が聞こえる。これを繰返してとうとう夜明け近くになり、眠ったところで今度は覚醒時幻覚である。いわゆる金縛りで、目を開けてみると、髪振り乱した若い女が上から覆い被さって自分を押さえつけているのである! 金縛りが解けたとたんに「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあっ!」。こうなると立派な怪談であるが、半分は千葉大で医者をしている従弟の体験、半分は私の体験である。

 幻覚と現実を区別するのは理性によるしかない。ところが半分覚醒時には理性はちゃんと働いてくれていない。そんなわけで寝ているときに出る幽霊はほぼ間違いなく幻覚だから、せいぜいスリルを楽しんでもらいたい。ナルコレプシーの患者にとってはわりと日常的である。また、高熱を発したとき、薬物に中毒しているとき(ハシリドコロという毒草に当ったときや強い解熱鎮痛剤を使っているときなど)にもしばしばこの手の幻覚が出る。

 これに対して昼間の幻覚は、幻覚自体が強烈なため覚醒時でも幻覚が出る場合(薬物中毒の患者や重度の精神分裂症の患者が体験するのがこれ)や、意識レベルが低下しているために出る場合(ナルコレプシーやいわゆるハイウェイ催眠など)や、サブリミナル・メッセージに敏感な場合(いわゆる霊能者がこれ)などがある。
 サブリミナル・メッセージというのは、いわゆる「気配」である。そんなものがあるのか、と信じがたい人もいるだろうが、針式の時計を五分進めておく奴はいてもディジタル時計を五分進めておく奴はおらんのである。これはつまり、針の時計は「時間の気配」を感じさせるけれど、ディジタル時計は時刻そのものを伝えてくる、ということでもある。
 「なんか変な気がする」「どっかおかしい気がする」というのは論理型である。それが視覚に対して直接来るひとというのがいるのである。ノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンは、「方程式の変数や項に色がついて見えた」という。山の中では「こっちの道はヤバいような気がする」なんていうことがよくある。これもサブリミナル型の「幻覚」ではあるが、現実に即しているだけに「幻」と言っていいのかはよくわからない。

 この項は続くかもしんない KILROY


自己診断ガイド
No.3518  Mon, 19 Mar 2001 05:40:38 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 これからおそらくは数週間にわたって、ある文章を書きつづけようと思う。

 これには三つの理由がある。ひとつはこの文章を目にしている人がおそらくよく知っているであろう私の大切な友人が、ちょっとした発作を体験したことである。
 で、もうひとつは私がちょっと医学的にみてヤバいことを書いてしまったがために(他に理由があるとも思えない)、No.3344の書込みが削除されてしまったことだ。そして最後のひとつは、私の人生経験という奴に関係してくる。

 私の大学時代の担当教官は有機化学合成と毒物の専門家である一戸良行先生である。『のぎへんのほん』シリーズの『毒草の雑学』『毒草の歳事記』などを出されているから興味のある方は読んでいただきたい。で、私は高校時代から胃炎・胃潰瘍・十二指腸潰瘍といった持病があり、長年精神安定剤のお世話になっている。訳のわからんものは服(の)みたくないというのはAS傾向の人間には共通の感覚らしく、不完全性定理で有名なゲーデルもそれが原因で死んだとされている。そこで私は自分の飲んでいる薬の成分からはじめて日常われわれが使用している市販の薬の成分、あるいは麻薬だの毒薬だのの成分について調べはじめた。なんと酔狂な、と思われるかも知れないが、うちの家業はペンキ屋であって家の中には有機溶剤であるトルエンだのキシレンだのアセトンだのの瓶がゴロゴロ転がっていたという家庭なのである。
 たがために私は酒と薬のチャンポンという一般の常識では考えられないような無茶をやる(No.3344もこのあたりの記述が問題となったらしいことは想像に難くない。読者は真似せぬこと)。ところが歴史的にいうと酒そのものが薬であり、古代ギリシャでは薬というのはビールで飲むものだったのである。薬効成分を抽出するのにアルコール抽出を行なうのは珍しくなく、養命酒を始めとする薬酒はあまた存在する。また、正月に飲むお屠蘇の屠蘇散のように、酒で煮出して服用する薬などというのもある。
 で、そんな話をしておったら、喘息持ちだとか茸マニアだとか精神神経疾患を患ってる奴だとかラリハイ飲み(つまり、リーガル・ドラッグの愛用者)だとかいった、自分の身に起こる各種の症状を冷静に観察する能力のある人々の話をいろいろと聞くことになった。

 世間からキチガイ扱いされている我々とてキチガイに対する偏見からは自由ではない。精神神経症状の発作に襲われた場合、我々の多くは「私はキチガイになってしまったのだろうか」と狼狽しパニックを起こす。もちろんそれが単なるパニックなのか、それとも精神神経症状としてのパニック発作なのか判断する余裕もない。そういう時のためによかれと思って「当人にとっての躁発作というものはどんなものなのか」というのを赤裸々につづった文章は、書いた当人が少なからずアブナい奴だったがために削除されていて、大切な友人の危機(具体的な危険がどうこうという話ではなく、当人にとっては危機的な心理状態だったという話である)にあまり役に立ってなかったかもしれない、という事実を知って、ふと気づいたのが「患者から見た症状」に関する、患者のためのガイドブックというものが存在しないことなのである。

 この『アスペルガーの館』にアクセスしてくる人々の多くは、自閉症者やASの人間の体験談を読んでもいるだろうし、医師が書いた患者およびその家族のための解説書も読んでいるだろうし、中には専門書にまで目を通している人だっているはずだ。だけど、そういった本が、「これは何だ? いま私の身に起こっているのは何なんだ?」というきわめて切実な問いに答えてくれるかというと……くれないのである!

 ついでながら私は四度にわたって心臓病による一ヶ月以上の入院を経験している。宣伝めいていて申し訳ないが、私の著書である『ふたりで聖書を』はその経験から生まれた(とはいえ執筆時点での入院回数は三回め)。で、そのとき考えたのが、文学にできてマンガやアニメや映画にできないことは何か、ということである。それはすなわち感覚描写だ。健康な人間には体験できない「感覚」を、文章によって疑似体験させること。それである。その腕前を磨くために私はポルノグラフィを読みあさり、自分でも書いてみた。これはけっこう役に立ち、練達の読み手である編集者を唸らせた。ことにいわゆる「拒食症(これは相当に問題のある呼称なのだが、それについても追って記述)」発作に関しては、「拒食症というのが、やっとわかった」とお誉めをいただいた。つまり、こうした感覚描写は、我々自身にとって役に立つだけでなく、いわゆる健常者に我々を理解させるためにも有効なのである。

 そんなわけで私がこれから書こうとしているのは、自分の身に起きている症状が何であるかを判断するためのガイドである。
 躁状態とは何なのか。パニック発作と心臓神経症は同じものなのか違うものなのか。実際にそうした発作に襲われたとき、適確に判断できるためのガイドブック。そういうものを書きたいと思った。
 そういった主旨であるから、私はあらゆる意見を歓迎する。特に専門家と患者本人の意見は重視する。そして、これから書く文章の著作権を、とりあえず全面的に解放する。どこに掲載しようが紹介しようが自由である。ただし、この文章に対するフィードバックだけは筆者に届くよう配慮していただきたい。

 ただし医師でもなんでもない私がこういったものを執筆することには内心忸怩たるものがある。私が拠り所とするのは、ただひとつ「私」だ。それが「あなた」にとって役立つとは必ずしも言えない。しかし……誰かがやってみる価値があるとみた。

 私に勇気を与えてくれた、tori、ASの妻もどき、マザーの三氏に大いなる感謝を捧げる。それからみどりちゃんの「あ、私のことだ!」の一言は、私をやる気にさせてくれた。ありがとうね。そしてその他のひとたちにも、また感謝を捧げたい。

 よぉーし、やってやろうじゃねぇか KIRLOY


Re: よく言われるんです 3516へのコメント
No.3517  Mon, 19 Mar 2001 01:58:57 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

やんちゃん wrote:
>「素直になれ」ってどういうことだと思いますか?

本来「素直になる」というのは、自分を飾らずありのままに出すことだと思うのですが、
職場などの組織内で「素直になれ」と言われる場合、
それは、組織の和を乱さない、組織の中で受け入れられるふるまいをせよ、
ということになっていると思う。
まわりから見て理解できない態度というのは、
「ひねくれている」と見られるわけです。
「ひねくれている態度をやめろ」=「素直になれ」
しかしそれは、自分を飾らないということとはまったく違う。

さらに「素直」という言葉が「従順」という意味で使われているきらいがある。
つまり「素直になれ」=「自分(上司・先輩など)の言うことに口を挟まず
反抗せず従順に従え」という意味。

「素直になれ」と人に言う人の心理。
すべての問題は心構えの改善でなんとかなる、と思っている。
人間は本来組織を好む生き物だから本来の姿は協調的なはず、という幻想。
故に「問題のある」人間が「素直になれ」ば事態は好転するという単純な計算。

まあたぶん、実際、「素直になる」ことが相手の望む姿と合致する幸運な(?)
人もいるのでしょう。

>仕事ができないっていうなら努力のしようもあるけど、素直とか誠意とか持ち出されても。で、結構そういうことが「人間として一番大切なこと」みたいなことになっている。「明日から心を入れ替えて、誠意を持って仕事できるな?」「・・・努力します。」「誠意を持つということは、わかるな」「わかりません」なんて会話もやったなー。怒らせるつもりはなかったけど、実際わからないことをわかるとは言えないでしょう。案の定、人間のクズよばわりされたけど(まあその時は日常茶飯事だったから)。

わたしも、お客さんに怒られて、そのあとその人が延々と語る愚痴話を聞いていたら、
あとからその人が再度職場にやってきて、
「ききかたに心がこもっていない」「偉そうだ」と苦情を言っていったということがありました。

一度こちらに先入観をもってしまった人に対しては、何をやってもダメです。
土下座しても「誠意がない」とか言われるし。(これはまた別の客)
何をしようが悪くとる人はいるものだと割り切って仕事をするしかない。


よく言われるんです
No.3516  Mon, 19 Mar 2001 00:52:59 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

「素直になれ」ってどういうことだと思いますか?
私は「自然」の殻をかぶった「予定調和の強要」だと思っているんですが。
つまり、相手の期待に沿う行動を、つくりをいれず自然にやってしまう、という離れ業。
ていうか、私が「自然」にしていると傍目にはめちゃくちゃ不自然に見えるので、「その場にそぐっていること」を第一に「自然」にみえるように行動しているんです。結果、相手の期待とはずれてしまって、「自分勝手」と思われたりするけど、そうじゃないんです。そんな状態で「素直になれ」って言われても、どうすればいいのか・・・。

本当のところ、職場でそんなこと評価されるのは理不尽だなぁ、と思ってしまう。
仕事ができないっていうなら努力のしようもあるけど、素直とか誠意とか持ち出されても。で、結構そういうことが「人間として一番大切なこと」みたいなことになっている。「明日から心を入れ替えて、誠意を持って仕事できるな?」「・・・努力します。」「誠意を持つということは、わかるな」「わかりません」なんて会話もやったなー。怒らせるつもりはなかったけど、実際わからないことをわかるとは言えないでしょう。案の定、人間のクズよばわりされたけど(まあその時は日常茶飯事だったから)。

こんなこと書いて、何言ってやがる、と思ったら無視してくださいね。


Re: 3511へのコメント Re:卒業証書 3514へのコメント
No.3515  Mon, 19 Mar 2001 00:22:18 +0900  風鈴 [この発言にコメントする]

マザー wrote:
>
>このHPを見るようになってから、子供にやさしくなれた。
>以前はけっこう自分の思いを押し付けてた・・・・
>私はこのHPに、出会えてよかった!
>
>館の管理人さん、皆さん ありがとう。 マザー

私も、マザーさんと全く同じです。このHPに出会えて良かった!!
館の管理人さん、こんな素敵のHPを作って頂き有難うございます。
そして、ここへ来られている皆さん、本当にいつも有難う御座います。
もう、何かあるのかしら?って位に中毒で、1日に何度もアクセスしたり、
それだけに1日でも見ないと禁断症状がでそうな程ですよ。(笑)
家で見られない日は、翌日会社で!」・・・・という程のハマリようです。
来月2日間見られない日が続くし今から心配です。

ちなみに、夕方帰宅後に一度アクセス
     8:00-10:00の間に一度アクセス⇒バイトへ行く
     バイトから帰宅後夜中12:00〜またアクセス⇒やっと寝られる?
・・・・とこんな状態です。私くらいでしょうねぇ・・・やっぱり中毒?
それが、先週末仕事は2週間休みなし、バイトは週5日とさすがにバテテ、その時
だけはさすがにアクセス回数も減りました。
そんなこんなで、とても楽しみなので、今後共宜しくお願いしま〜す。
     


3511へのコメント Re:卒業証書
No.3514  Sun, 18 Mar 2001 22:49:31 +0900  マザー [この発言にコメントする]

KILROYさんwrote

>ようやく気持ちの上でひと区切りついた KILROY

もう虚脱状態から抜け出せましたか?

>そして館の管理人さんと、その他の皆さんにもThanks!

このHPを見るようになってから、子供にやさしくなれた。
以前はけっこう自分の思いを押し付けてた・・・・
私はこのHPに、出会えてよかった!

館の管理人さん、皆さん ありがとう。 マザー


自分のせいで
No.3513  Sun, 18 Mar 2001 16:43:05 +0900  るnoつくひと [この発言にコメントする]

私がアスペだったから、、その特徴的なことにより、私の実家の家庭が崩壊
したのだろうか?って最近思うんです。

でも親の遺伝子はって考えると私のせいだけじゃないと思うんだけど。

そんなことを考えたことのある殊勝な、子供的立場の人はいますか?


Re: さようなら みなさん 3503へのコメント
No.3512  Sun, 18 Mar 2001 16:22:19 +0900  ねこめ4 [この発言にコメントする]

ASの妻もどき さんへ

早くお子さんとの二人暮しに慣れる事を祈ってます。
いつか、また戻ってきてね。


卒業証書 3497へのコメント
No.3511  Sun, 18 Mar 2001 14:45:23 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 tori効果の検証

  − toriさんとASの妻さんへの卒業証書として −

 今年正月からの書込み数の変化(週単位)

 1/ 7〜  13  54メッセージ
  /14〜  20  42メッセージ
  /21〜  27  51メッセージ
  /28〜 2/3  40メッセージ
 2/ 4〜  10  75メッセージ
  /11〜  17  83メッセージ
  /18〜  24  63メッセージ
  /24〜3/ 3  63メッセージ
 3/ 4〜3/10  95メッセージ ←KILROY出現
  /11〜 /17 166メッセージ

 三月に入ってからの一日ごとの変化

 1日(木) 12
 2日(金) 14
 3日(土)  9
 4日(日)  6
 5日(月) 11
 6日(火) 17
 7日(水) 12
 8日(木)  8
 9日(金) 16 ←KILROY出現
10日(土) 25
11日(日) 23
12日(月) 26
13日(火) 14
14日(水) 36
15日(木) 27
16日(金) 25
17日(土) 15←tori&ASの妻もどきさん 卒業

 いきなり書込み数が落っこっている。toriよ、お前はこんなにも大きな存在だったのだぞ。

 ……しかし、あんまり盛り上げてしまうとtoriも帰ってきにくいだろうな。一週間くらいして、

 「帰ってきてしまいましたぁー(^_^);」
 「だぁぁぁぁぁぁぁあ。」

とかな(^_^;)。まあ、それも嬉しいけど。

 ようやく気持の上でひと区切りついた KILROY

 Special thanks (3/9、No3299-3/17、No3503の出演者のみなさん)
 武田好史/さるすべり(ガーデニア)/ASの妻もどき/るおう/さくらかのえ/くると/Kana/風鈴/mint/qwert/マザー/りふれくと/Nava/やっちぃー/SUN/シュッツ/みどりちゃん/ねこめ4/かっしー/くりりん/チイママ/ぴよ/双児の毋/ななは/Bio/Hiro/Mira/こと/やんちゃん/ゆーり(登場順・敬称略)

 そして館の管理人さんと、その他の皆さんにも Thanks!

 


福音書のすすめ
No.3510  Sun, 18 Mar 2001 13:01:04 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 職を失い製品の権利も奪われてしまい、せっかく出した本の印税も入ってこなければ心臓を壊して体力もなく仕事もできず、そのうえ婚約者も失踪してしまったというめちゃくちゃな状態のとき、ひっそりと部屋に隠って鬱々としていた時期があります。こういうのを「引きこもり」とは言わない(だって心臓ヘタッちゃってるからほとんど出歩けないんだもん)だろうし、「鬱病」とも言わない(だって鬱になって当然の理由があったんだもん)でしょうが、とにかく状況的にはあんまり変わりませんでした。

 で、そういう鬱な気分のときにさらに私を鬱な気分にさせてくれるのが、いわゆる「宗教の押売り」です。つまり「聖書についてお知らせしたくて、各家庭を訪問させていただいております」とかいうアレ。しかも子供連れてくるんだよな。あれは反則だ。

 彼ら(普通はおばさんだが若い男のこともある)の言い分は、「あなたが不幸なのは、あなたの罪に問題があるのです」というのと、「信仰を持てば、天の国に迎えられる」というのと、「我々はあなたをお救いしたいのです」というののおおむね三点なわけです。
 世の中には小児白血病の子供なんていうのがいて、彼らがどんな罪を犯したというのか私には理解できんかったわけです。私だって悪いことをしたわけでもないし、状況から判断してしかるべき処置をとったにもかかわらず結果的に不幸になっただけであって、私が悪いわけじゃない。こういう、被害者に向かって「あんたに問題があったんじゃない?」と言っちゃう心理状態を、「被害者非難心性」といます。確かに何も悪いことをしていないのに不幸が襲いかかってくるというのは理不尽だよなぁ。だけど、障碍を持った子供が生まれたからって、「あたしが妊娠期間中に煙草を吸ったのがいけなかったんだわ」と自分を責めたりとか「あなたに問題があったんじゃない?」と夫を責めたりとかするのは見当違いという気がします。交通ルールを遵守して走ってても酒酔い居眠り運転の大形トラックが突っ込んできて死んじゃう、みたいなどうしようもない災難だってあるわけだし、それと同じようなもんなんだよね。
 それに「天の国に迎えられる」とか言われたって、死んでからどうこうより私は現世利益を追求したいし、私を救いたいんだったら「金をよこせ」とは言わんから仕事をくれと言っても聞く耳を持ちません。で、いくら追い払ってもしつこくやって来るのですね。「罪深いあなたをお救いしたいのです」と。で、こちらが強く拒絶すればするほど、連中はこの「哀れな罪深き者」を救おうと必死になるわけです。

 ……困るよなぁ、こういうの。

 しょうがないので私は「相手の信仰を突き崩す」という本質的な手段で対抗することにしました。で、まず『エホバの証人』についての資料を読み、次に聖書の中のイエスについて直接述べてある部分、すなわち四つの『福音書』を徹底的に読みこなすことにしました。

 そうすると、面白いことが分かっちゃったんですね。ジョン・レノンの『イマジン』は、ゴスペルだったんです。彼は自分と同じ名前を持つ聖人、聖ジョンことバプテスマのヨハネの言葉を歌にしたわけです。

 「思いなさい。『天国なんか、ない』と。」

この一言は、じつは

 「悔い改めよ。天の国は近づいた。」

の言い換えだったんです。

 福音書は、もともとギリシャ語で書かれています。で、この「悔い改め」というのは「回心」とも訳す言葉なんですが、「そのように発想を変える」「ゲシュタルト・チェンジする」というのが本来の意味で、「反省する」なんていう意味はなかったんですね。
 で、「近づいた」というのも、「いま近づきつつあるんだけど、まだ来ていない」のか、「近づいた結果、もう来ている」のか、じつは判断できないんです。
 つまり、天の国はもう来ていて、いま我々がいるこの世界が天の国なんだよ、だから、どこかにある理想の「天の国」を待ち望んでもムダなんだよ、だから、我々が天の国で行なわれるように行なえば、この世界はすなわち天の国なんだよ、とジョンは言っているわけです。
 で、イエスは我々のこの世界が「天の国」であることを説明するのに、自然がどれだけ神秘と驚異に満ちているか、というのを語るんですが……このスケベオヤジは「女性が妊娠して子供を産む」とかいった、Hネタを譬えに使うわけなんですよ。ところが宗教関係の皆様というのは、なんやら訳のわからん理屈をひねくって、なんだかやたら高邁な思想をイエスが語っているみたいに解釈しちゃって、またそれをもったいぶって信者に押しつけておるわけです。
 昔の人というのは、説明が難しかったもんだから教えられても分かんなかったんだと。だから、私は譬え話を使って、誰でも分かるように説明するんだと。イエスはそう言っとるというのに、弟子どもときたらどいつもこいつも……ちゃんと分かっているのはイエスと同じ聖ジョンの弟子である、ジョン、アンドリュー、フィリップ、ナサニエルの四人くらいなんですね。で、「イエスとベタニア四人組」の珍道中(これを「イエスの公生活」といいます)の記録が、いわゆる『福音書』だっちゅーのが分かっちゃったわけです。で、このおじさんは異邦人の女に声をかけるついでにエッチな冗談を言ったら相手もその気になっちゃってその場で妻にしちゃったり、不倫(もっとも子供を育てるために娼婦をしていた未亡人と寝たとか、そういう話らしいけど)を告白してみたりとか、癩病患者の村で知り合った女の子とねんごろになっちゃったりとか(「復活」の場面で、イエス先生にしがみついて離れないもんだから、「ノリ・メ・タンゲレ(私を離しなさい)」とか言われているベタニアのマリアちゃんがその女性です)しているわけです。
 で、このベタニアのマリアちゃんの弟のラザロ君もなかなかお馬鹿で、死後三日目に復活する、という奇跡を演じようとして墓穴に埋葬されたのはいいのだけれど、その連絡がイエス先生に届くのが遅れ、一人だけ事情を知らされていたマリアちゃんが先生に事情を説明して「ええい、ばかものが」とか叱られていたり(そういうセリフはありませんが、「イエスは大いに怒って」と書いてあります。これを後の聖書学者は「嘆いて」と勝手に変えてしまいました)とか、あげくに「ラザロ、出てこい」とか言われたのはいいのだけれど屍衣でぐるぐる巻きのみのむし状態で、芋虫のように這って出てきたものだから、「誰か解いて連れてってやれ」とか見捨てられたようなことを言われております。ひどいのはラザロの姉のマルタさんで、事情を知らされてなかったもんだから、イエス先生が墓を開けようとすると、「もう四日めです。臭いますよ」とか言ってたりします。

 そして私はやってくる偽預言者どもを(すでに本人はどっぷり福音書にハマッていたりする)端から論破していったのですね。

 で……思ったんですけど、イエス先生というのは本当に私によく似ている。まあ、時代的いうと私がイエス・キリストに似てるってことになっちゃうからこういう言い方になるんだけど、なんかイエス先生の悩みっていうのがやたら切々と胸に響いてくるんですね。で、今現在つらつら考えるに、イエス先生というのははっきり言ってAS傾向の持ち主です。

 いっぺん福音書を読んでみてください。面白いから(でなかったら『ふたりで聖書を』でもいいけど)。

 読んで解んないところがあったらメールで質問してね KILROY


精神科病棟について
No.3509  Sun, 18 Mar 2001 11:29:45 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 精神病院について書いておこうと思います。

 精神病院(正確には、精神科病棟)というのは、なんだかとても恐ろしいところのように考えている人が多いと思います。それには確かに理由もあって、かつての精神病院というのは、重度の精神分裂病の患者を強制入院させるところだったからです。現在でも一部の病院についてはこうした部分が存在します。いわゆる「シャブ惚け」の患者が放りこまれるのはこういう場所です。

 自分から入るタイプの精神病院は、このところ解放病棟のところが増えてきたので、こういった恐ろしげな場所ではなくなっています。
 雰囲気からいうと、地方にあるのはサナトリウムか企業の研修所のような感じの場所です。森田療法を採用しているところが多く、菜園なんかがあって作業療法をしている患者さんがいます。ただし、森田療法には絶対仰臥療法というのがあって、入って一週間はとにかくベッドに横になっているだけ、ということをします。これが意外にしんどいかも。
 都会の病院の場合は一階に内科などの普通の病院と精神神経科の診療室、二階が精神科病棟があり、いちばん奥の非常口の階段から入るとなぁーんにも書いてない鉄扉があってインタフォンがあって、それで呼ぶと中から看護婦さんが開けてくれるシステムになっていました。
 「病棟」というだけに寝巻の上にガウンをはおっただけの女性がふらふら歩いてたりもします(なぜか美人が多い)が、旅館の受付のあるべきところにナース・ステーションがある、みたいなフシギな空間です。病室は個室の場合和室が多いようです。ただし入口にドアはなくカーテン。四畳半くらいで押入れがありません。毎朝布団をたたんで机に向かう人もいれば、鬱状態がひどくて寝っぱなしのひともいます。
 二人部屋だと学生寮みたいなベッドの部屋もあり、女性が利用することが多いようです。
 意外なことに、摂食障害の女性はあんまりいません。そういう人は内科病棟に入院しています。ただし、「摂食障害」という症状を持った、あるいは経験した女性はけっこういます。『ふたりで聖書を』に登場するマリアちゃんの摂食障害体験は、入院していた後輩の見舞いに行ったときに知り合った女性からうかがった話を元に書きました。後輩は私ばっかりがもてると怒っていましたが、AS傾向の人間は「苦痛」については共感できるものの、「苦悩」については理性を駆使してどうにかこうにか共感する、程度のことができません。ですから、普通の人だったら同情のあまり泣き出してしまうような話も、「うわぁ……」「ひぇぇ……」と悶えながらもそこでひとまず終わってしまい、わりと熱心に聞いてしまえます(だから友人が発作を起こした場合でも、「大丈夫ですか?」みたいな言葉より先に「自分に何ができるか」が先に頭に浮かびます。で、事態を分析し、自分にもうなすべきことがない、と思ってから励ましの言葉をかける、という順序になってしまいます)。ですから相手の女性も、「人に自分のことをこんなに話したの始めてだった。すっきりした」と言っておられました。なお、過食するときはパンの耳と牛乳がいいそうです。牛乳の中の蛋白質と胃酸が反応するので、胃液で喉が焼けたり歯が溶けたりしにくいとか。

 住み心地については、「論文を書くにはいいところだ」そうです。「日本から来た黒船」と呼ばれてアメリカのコンピュータ業界を震撼させた第五世代コンピュータ・プロジェクトの若手研究者(発足当時、メンバーは三十五歳以下という制限がありました)の一人は、博士論文を精神病院で書き、ついでに奥さんまで見つけて(同じ時期に入院していた患者さんだそうです)出てきたと言っていました。

 常識的には禁酒ですが、ごくまれに認めているところもあります。なぜかというと、タバコを吸う人に禁煙を強制すると隠れタバコをして火事の原因になるように、外出時に深酒をして状態を悪くすることがあるからです。そこで決まった量の晩酌などで、適性な飲酒習慣を身につける訓練の一環として、飲酒を認めてもいいのではないか、ということなわけです。もっともそういうお医者さんは、本当に僅かだそうですが。

 鬱状態がひどくてセルフケアができない、という人には、わりとお勧めの場所です。

 自分の身の回りのことができて、しかも薬などで状態がコントロールできていて、そこそこお金がある、という場合は、どこかシーズン・オフの温泉地に安アパートを借り、自炊をしながら一ヶ月くらいなぁーんにも考えないでお風呂通いをするのはいいかもしれません。いわゆる「湯治場」です。若い女のひとだと、慢性病の治療のために同じように温泉療治に来ているお年寄りに可愛がってもらえるそうです。ごはんだけでも一緒に食べると料理と後片付けの手間が半分になるし、生活が規則的になるというメリットがあります。買い物や運転などの仕事を引き受けるのもいいでしょう。誰かの役に立つというのは、いいものです。

 卒業生が二人になって、ますます虚脱状態の KILROY

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