アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 質問(あなたの散歩道は・・・) 3525へのコメント
No.3557  Tue, 20 Mar 2001 23:22:11 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]


>1)どんな時に行きたくなりますか?
歩くのは好きです。でも純粋な「散歩」ではなくて、必ず目的地とか用事を作っていきます。で、目的地に向かって一直線・・・ん?ひょっとして周りをあまり見ていない?そうか、写真とかあればいろいろ見て歩けていいかもしれませんね。

>2)コースはどんなふうですか?
というわけで、通勤コースとか、家からスーパーまでの道。
行動範囲狭いです。

>3)散歩中に見た光景で、印象に残っているものは、どのようなものですか?
猫によく会います。猫は好きです。といっても近寄ってなでたりはしない。遠巻きに見て「あ、猫だ。」と言う。なんだそりゃあ、て感じだけど。
あとは何見てるんでしょうかね。とくに興味をひかれるものがあれば近寄ってみるけど。基本的にはわき目もふらずに歩いています。とにかく外に出て動いているのが気分転換になっているのかもしれません。


Reじゃないけど差別語について 3552へのコメント
No.3556  Tue, 20 Mar 2001 22:38:35 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 そんなわけで、まだ「差別語」問題は続くのである。うっとうしいけどごめんなさい。「ばかちょん」と「キチガイ」について片付けたらすぐ止めます。「続けろ」というのなら続けますが。

 「バカチョン・カメラ」というものがあって、これはバカでもチョンでも使えるがゆえにバカチョン・カメラであり、これは要するに技術用語でいう「フール・プルーフ」「フェイル・セイフ」性を具えたコンパクト・カメラのことをこう言うわけです。そうすると「フール」=「馬鹿」という共通認識がある(「エイプリル・フール」=「四月馬鹿」)と思われますので、「ちょん」というのはおそらく「おっちょこちょい」類似の意味であるのだろうな、と漠然と思っておりました。

 ところがです。「ちょん」というのは「朝鮮の人に対する蔑称」であり、したがって「バカチョン・カメラ」という言葉も使ってはいけないのだ、という話が世間ではいきなり持ちあがってしまったわけです。とはいえバカチョン・カメラは「各種表示がハングルで表示されている韓国向け輸出仕様のカメラ」ではありませんので「知的能力にチャレンジされている人々および朝鮮半島に原住するモンゴロイド系の一民族の人々のためのカメラ」ではないわけで、バカチョン・カメラの「チョン」が朝鮮半島に原住するモンゴロイド系の一民族の人々に対する差別につながるなどと言えたものではないというのはほぼ明確であります。「バカチョン」=「フール・プルーフ」「フェイル・セイフ」、あるいはこれに「全自動」を付け加えてもいいと思います。「バカチョン」はせいぜいその程度の意味なんですね。

 では、「馬鹿でもちょんでも」の「ちょん」は、本当に「朝鮮の人に対する蔑称」なんでしょうか。ひょっとしたら、「チョンボ」と関連した言葉なのでしょうか。だとすると「ちょん」=「失敗ばかりしている人」という解釈もできます。
 それに、だとすると「ちょんまげ」は「朝鮮風の髷」なんでしょうか。「総角(チョンガ)」(「総髪」と以前に書いたのは間違い。誰かツッコミを入れてほしかった。ついでながら「青バラ」のパスカル君は『風と木の詩』の登場人物でした。そういやぁフランス名前だもんな。『トーマの心臓』はギムナジウムが舞台だからドイツです)という、朝鮮語の未成年男子の髪型の名前で、未成年男子に対する蔑称と関係があるんでしょうか。

 で、私は徹底的に文献を追っかけまわして「ちょんまげ」と「ばかでもちょんでも」の語源を突き止めました。これは間違ってないと今のところ確信しております。で、「ちょんまげ」を「丁髷」と書くのは厳密にいうと間違い(というか、読みそこないである可能性があります)であり、「ちょんまげ」と「馬鹿でもちょんでも」の「ちょん」は同源の言葉だという結論に達しました。

 だけど、にもかかわらず、「えーいうるさいうるさいうるさいっ! 理屈なんかどうでもいいんだっ! その言葉によって傷つく人がいるんだから、そういう言葉は使っちゃいけないんだっ!」という立場の人がいて、そういう人たちは「バカチョン・カメラ」という言葉を使わせまい使わせまいとして、それに応じて「自粛」しちゃう人たちというのがいるわけです。

 なんかおかしいんじゃないでしょうか。
 「バカチョン・カメラ」ってそんなに悪い言葉かなぁ。いい言葉だと思うんだけどなぁ。「バカチョン楽器」「バカチョン・コンピュータ」とかいったら技術者の夢だもんなあ。だいいち、他になんて呼んだらいいんだ?

 「そんなの知らない」「そんな難しいことを言われてもわからない」「だって、私がそう感じたんだからそうなんだ」。そういう意見があって、「じゃあ、面倒くさいから止めちゃおう」。それで済ませちゃうから差別っていうのはなくならないんじゃないですか?

 真面目に考えてもらいたいと思います。AS傾向の人間って、そういうの得意なはずなんだから。

 「ちょん」の語源についてはそのうち発表 KILROY


KILROYさんへ
No.3555  Tue, 20 Mar 2001 22:17:11 +0900  romhito [この発言にコメントする]

これからもいろんな事をどんどん理論展開して行ってください。
KILROYさんの言葉は私には、飢えた心が水を飲むようにどんどん吸収されて行きます。
本当の意味で個性的な人はどのくらいいるものか。これからも期待しています。


KILROYさんへ
No.3554  Tue, 20 Mar 2001 21:39:38 +0900  チイママ [この発言にコメントする]

考え方や理論がたくさんあるとは思いますが、もっと簡潔にお願いします。
読もうと努力はするのですが、難しくて頭に入ってきません。
みんなの個性を大切にしなくてはいけないので、こんなことを言ってはいけないとは思うのですが。ごめんなさいね。


自閉症を克服するって何?
No.3553  Tue, 20 Mar 2001 20:50:47 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

 初めまして。ザナディ、30歳、Asです。
 友達が作れない、「奇妙な」ひとり遊びに没頭する(本人はもちろん変だなどと気づいてはいない)、視線が合わない、人々の間を無言で通り抜けてしまう、無口なくせに口を開けばドギツイ(もちろん本人は夢にも思っていない)発言をしてしまう、特に3人以上での会話のタイミングがかみあわない、不器用で、他の人間なら特に考えなくてもできることでも、人の3倍ぐらいの時間をかけて、やっと人並み以下、犬のほえる声や鋭い破裂音がひどく苦手、流行にはまったく関心がなく、自分の世界を追求しつづける、そのくせ周囲の人間がわきあいあいと楽しそうにしている中、自分だけが場違いで、右も左もわからないまま、常に居たたまれなさにさいなまれている...
 自分のこんな状態に、まさか病名がついているなんて知ったのは、やっと数ヶ月前、年の暮れも迫ったころ、私にとっては、それこそ20世紀最後の爆弾だった。
 一気に目くらましを払われた感じだった。気が動転したかというと、むしろホッとした。

 物心ついたころから、自分はどこか普通じゃないって気がついてはいたけれど、学校時代は常にいじめられていて、それこそ毎日のように「オシ」だの「ツンボ」だの「低脳児」(今でこそ国立大出ちゃってるけどさ)だの言われっぱなしで、その上なんでそんなことを言われるのかがさっぱりわからない。これがどのくらい苦しい状況か。こんなままでいるよりは、ちゃんとした病名で秩序を与えてくれて、自分がどこにも属さない人間以下の生物だと信じ込んでいるよりは、ずっといい。
 「早期診断にもれていて、普通児として集団の中にいる子供の中には、絶望的なほどみじめな子供がいる」自閉症を扱った本には、確かそんな記述があったけれども、的を得た言葉だと、私は体の内側で理解している一人なんだろうと思う。

 「アスペルガーの方でも、世間に認められている人はたくさんいます。障害と認定されるのは、介護が必要とされる人たちのことを言うんです。あなたは見たところ、情緒も安定しているようだし、生活に支障があるわけでもないんでしょう?」某協会の先生様よ。あんたのような見解の人間がいる限り、日本中のAs者は、永久に救われないことでしょう。あなたの態度は、まるで、「おまえのような人間は、本当の自閉症者の人たちに対して、失礼だし迷惑だ」と言っているようだった。町や電車で見かける典型的自閉症の人間に対して、私自身は別にいやだともかわいそうだとも思ったことはないけれど、彼らを指さして笑ったり、ひそひそ話をしているやつらを見て、いつもその場に居たたまれなくなる。私にとって社会とは、私という人間は、「差別されている劣等人種」であることに変わりないのだなということを、実感させてくれるところなのだ。

 今、私が試みていることというのは、私が信頼できると認定した人たちに、「私は実は自閉症(アスペルガー)なんだよ」ということを、「告白」し、「了解」してもらうということだ。私が本当に望んでいる世界というのは、自閉症について、われわれが内側から理解していることを、すべての人に認知してもらえるところのことなんだけれど、21世紀中には無理なんじゃないかなって気もする。その準備段階として、微力ながら生きているうちにやっておけることが見つかればいいいと思っている。

 Asをふくめてすべての自閉症者の還るべきところは、病室じゃない。どっかの山奥でもなければ、社会不適格者とレッテルを貼られた地下組織でもない。
 人間社会だ。
 ではまた。読んでくれてありがとう。何かあったらそのうちね。

 
 
 

 
 
 
 


Re: 差別語について 3544へのコメント
No.3552  Tue, 20 Mar 2001 20:21:06 +0900  ぺりこ [この発言にコメントする]

突然こんな事書くのも気が引けるのですが、思い切ってお尋ねします。
ここの掲示板でよく、”きちがいと言われた”というカキコを見るのですが、それはどのような状態の時、どのような人に対してつかわれる言葉なのでしょうか?
私は今まで、他人のことを”きちがい”、”気がふれている”と思ったことはありません。
壁から声が聞こえてくると言う友人のことは、疲れるだろうな、と思うだけだし、薬中でらりってる人を見ては、ああ薬中だ、と思うだけ・・・
ちなみに、私が今まで直接聞いた”きちがい”という言葉の使われ方・・・
”あなたのお母さんは色きちがいかい?”小学校5年生の時の担任が私に向けていった言葉。(私がいつも赤とか黄色の原色の服を着せられていたので・・・)
”この大学は、きちがいとおたくの集まりだ”初対面の人がいきなり私に言った言葉。結局この人には、”あなたは亡霊のようだ。過去の物として消し去りたい。”と言われてしまったのですが・・・
何かに熱中している人のことを指しても使われるけど(今はほとんど依存症って言われてる?)、だいたいは異常な精神状態をさして使われるんでしょうかね?
・・・”基地外”・・・これか?


Re: 差別語について 3549へのコメント
No.3550  Tue, 20 Mar 2001 17:07:04 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

さるすべりさん wrote:
>KILROYさんの文章は私には難しくて理解できません。
 文章というものは、誰に向けて書くかによって違います。また、読む側が「この人はこんな意味でこういう用語を使う人なんだな」といった「相手に対する印象」によって、同じ文章がどう受取られるかも違います。
 この掲示板に文章をUPする場合は、レスポンスが早くなければならないので文章を一気に書く必要があるとか、読む人がプリントアウトしてから読むか画面上で流し読みするかも考慮しなければならない、といった制約もあります。ですから画面上で流し読みされることを前提とした文章は、リズムを大切にするため論理を端折ったり、いちいち正式名称を使わず略称を用いることもあります。
 本当に「難しいから」理解できないのかどうか、もう一度考えてみてください。私もこの件に関しては、十分に解りやすく書くことを心がけるつもりです。

KILROY wrote:
> 最近、「ホモは遺伝である」とする説が流行しています(この場
>合の「ホモ」は「ヘテロセクシャル」の反対語で、いわゆる「バイ
>セクシャル」を除いた、「レズビアン」を含む同性愛者のことです)。

さるすべりさん wrote:
>すみません。一言言わせてください。「ホモ」ということばは、
>「差別語」です。正式名称は「ホモセクシャル」です。

>私がKILROYさんの文章で気になったことは、↑のやりとりの中で、
>KILROYさんは、「レズ」を「レズビアン」と、正式名称で書いて
>おきながら、「ホモ」については正式名称で書いていなかったこと
>です。だから、「ホモ」は差別語です、ということばを書きました。

 まず最初に。私は『最近、「ホモは遺伝である」とする説が流行しています』と書きましたが、この「同性愛傾向・生得説」を私は信じていません。ですから、『最近の研究では、「ホモは遺伝である」とされています』とは書きませんでした。いちいち紹介するような説でもないと思ってます。考え方として面白いには面白いけど。

 次、用語について。
「ホモセクシャル」=「同性愛者」。俗語では、「ホモ」「ゲイ」。ただし、「ホモ」「ゲイ」共に「男性の同性愛者」を指すことが多い。
「ヘテロセクシャル」=「異性愛者」。俗語では「ヘテロ」「ストレート」「直(ちょく)」「ノンケ」。
「バイセクシャル」=「両性愛者」。俗語では「バイ」「両刀使い」「AC/DC」。
「Aセクシャル」=性欲を欠いた人。
「ホモ」=「同一の」「均一な」。
「ヘテロ」=「異なった」。
「バイ」=「二つの」。
「レズビアン」=「女性の同性愛者」。ギリシャの女性詩人サッフォーが住んだレスボス島の名称から。俗語では「レズ」「ビアン」「『れ』の字」。

 「レズビアン」は「レスボス島の住人」という意味で、「レズ」と略してしまうと現密性を欠くという点で「正式名称」ではないということができます。
 しかしながら、「ホモセクシャル」「ヘテロセクシャル」「バイセクシャル」に関しては、セクシャリティが「ホモ」「ヘテロ」「バイ」のいずれであるか、という問題ですので、セクシャリティについて話題にしている場合には「略称」をもって「正式名称」に代えることに不都合はありますまい。

 さらに、私は「ホモ」という「差別語」が存在するということを踏まえたうえで、「ホモ」を「差別語」として使うな、学術語の略称と使え、と主張しているわけです。同じように、「『ハッカー』は差別語だから使うな」というのではなくて、「『ハッカー』を正しい意味で使い、『コンピュータ犯罪者』という差別的な語(すなわち「差別語」)として使うな」と主張しているわけです。
 スペインのプロ野球チームで助っ人投手として活躍した人が、相手チームのファンから「帰れ! 中国人!」コールを浴びせられるのを怒った味方チームのファンが相手チームのファンに抗議し、以来ちゃんと「帰れ! 日本人!」コールが浴びせられるようになった、という話があります。この場合、日本人を「日本人!」と呼ぶのは差別なんでしょうか、そうじゃないんでしょうか?
 あるいはホモセクシャルの人が「ホモ」を自称したり、ホモセクシャルの人がホモセクシャルの人を「ホモ」と呼んでいたら、「『ホモ』は『差別語』だから、使ってはいけません」と言ってあげなければいけないのでしょうか。
 「ホモセクシャルは性的異常者である」と考えるのではなく、「世の中にはホセクシャルの人とヘテロセクシャルの人がいる」と考えると、ホモセクシャルの人とヘテロセクシャルの人がお互いを「ヘテロ」「ホモ」と呼びあうのは、普通のことなんじゃないでしょうか。

 『しかし、実のところ、当のインディアンの多くは、「インディアン」と呼ばれることに何ら抵抗を感じていないらしい。むしろ、ある調査によれば、居留地のインディアンには「ネイティブ・アメリカン」よりも「インディアン」という呼び方に好感を持つ者が多いという。
 彼らが「ネイティブ・アメリカン」と呼ばれるのを必ずしも好まないのは、この呼び方に、ある種のイヤらしさを感じているからではないだろうか。非インディアンの人たちが、従来親しまれてきた「インディアン」という用語を避けて、あえて「ネイティブ・アメリカン」という用語を使うとき、そこには「私は差別問題に十分気を使ってますよ」とアピールする気持ちがこめられているような感じがある。しかし、インディアンにしてみれば、「今さらうわべの呼び方を変えたぐらいで現実の問題をうやむやにされるのでは、たまったものではない」という気持があるようだ。』
 (横須賀孝弘『北米インディアン生活術 自然と共生する生き方を学ぶ』、グリーンアロー出版社)

 「ネイティブ・アメリカン」を「ホモセクシャル」に、「インディアン」を「ホモ」に置換えて考えてみてください。いくらか分かりやすいと思います。

 『しかし、実のところ、当のホモの多くは、「ホモ」と呼ばれることに何ら抵抗を感じていないらしい。むしろ、ある調査によれば、新宿二丁目の住人たちには「ホモセクシャル」よりも「ホモ」という呼び方に好感を持つ者が多いという。
 彼らが「ホモセクシャル」と呼ばれるのを必ずしも好まないのは、この呼び方に、ある種のイヤらしさを感じているからではないだろうか。ノンケの人たちが、従来親しまれてきた「ホモ」という用語を避けて、あえて「ホモセクシャル」という用語を使うとき、そこには「私は同性愛者差別の問題に十分気を使ってますよ」とアピールする気持ちがこめられているような感じがある。しかし、当のホモにしてみれば、「今さらうわべの呼び方を変えたぐらいで現実の問題をうやむやにされるのでは、たまったものではない」という気持があるようだ。』

 これは「精神分裂病」を「スキゾフレニー」と呼びかえても同じだと思いますし、「アスペルガー症候群」を「高機能広汎性発達障害」と呼びかえても同じだと思います。

 そうそう、「ゲイ」も「ホモ」と同様「差別語」とされていますから、「ゲイ」はホモセクシャルで言い換える必要がありそうです。そうすると、「ゲイ・ムーブメント」は「ホモセクシャル・ムーブメント」になるわけで……なんかヤダ。そういうの。

 まだ「ばかちょん」の件も残っとるんだよな KILROY


Re: 差別語について 3544へのコメント
No.3549  Tue, 20 Mar 2001 13:41:38 +0900  さるすべり(百日紅) [この発言にコメントする]

KILROY wrote:
>
> 「さるすべり」が戻ってくるまでは、と自ら封印していた「差別語」問題について述べようと思う。

私がKILROYさんの文章で気になったことは、↓のやりとりの中で、KILROYさんは、「レズ」を「レズビアン」と、正式名称で書いておきながら、「ホモ」については正式名称で書いていなかったことです。だから、「ホモ」は差別語です、ということばを書きました。

KILROY wrote:
> 最近、「ホモは遺伝である」とする説が流行しています(この場合の「ホモ」は「ヘテロセクシャル」の反対語で、いわゆる「バイセクシャル」を除いた、「レズビアン」を含む同性愛者のことです)。

さるすべりwrote:
すみません。一言言わせてください。「ホモ」ということばは、「差別語」です。正式名称は「ホモセクシャル」です。

KILROYさんの文章は私には難しくて理解できません。


私は聴覚優位 3542へのコメント
No.3548  Tue, 20 Mar 2001 13:29:38 +0900  ゆてぃ [この発言にコメントする]

ADDの診断を受けているゆてぃです。

視覚優位か聴覚優位かっていうのは、脳の働きの問題だと思うんですね。
確かに、ASの人は視覚優位の人が多いような気がしますが
そうでない人もいるわけです。

自分の場合は聴覚優位で、聞いたことは
だいたい覚えられます。(記憶力悪いのですぐ忘れますが)
3人くらいまでなら同時に話していることを
聞き分けられます。

でも視覚情報には弱いんです。本は音読した方が
頭にはいるし、図で示されているマニュアルなんかは
何度見ても覚えられません。

いろんなタイプがいるっていうことですね。


Re: 聴覚情報を理解できないことは、ASないしADDの診断基準ですか? 3542へのコメント
No.3547  Tue, 20 Mar 2001 12:57:25 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

私はASやADDの診断を受けたことはありませんが、聴覚情報はあまり当てにしていません。仕事場で電話を受けるときもテレビみたいに言った内容がテロップで流れたらいいのに、と思ったりする(そりゃチャットだよ〜)。
なんか、あんまりよく聞こうとか思わない方がいいのかも。身構えると「音は聞こえてるけど話が分からない」状態になりがち。
内緒話も苦手で、自分がよく聞こえないから、普通の声で相づちを打ってしまい、ちっとも内緒になってないぞーてなことになる。
単に耳が悪いのかもしれない。そういえばたまーに聴覚検査するとき、必ず2回計り直されて、さらに会話で「今話しているのは聞こえますよね?」と聞かれ、「正常」と記入してくれているけど・・・いいのかそれで。
すいません、あまり関係ない話だったかも。


Re: 聴覚情報 3542へのコメント
No.3546  Tue, 20 Mar 2001 12:43:52 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

リゲル(Mind Blue)さんwrote:
>この掲示板をご覧の方で、ASないしはADDと正式に診断された方に
>お尋ね致します。
 私は(残念ながら)ASあるいはADDと正式に診断された訳ではありませんが、小学校時代の私は現在だったらほぼ間違いなくASあるいはADDと診断されていたはずの子供であったようですので、発言を許していただきたいと思います。

>この掲示板で以前に、「ASの人は視覚情報に強くて聴覚情報に
>弱い」との書き込みを読んだことがあるのですが、
 そう、これも理由のひとつです。引きずってるなぁ(^_^;)。おーい、元気かぁ?

>実際にASないしはADDの診断を受けた
>時は「聴覚情報を何度聞いても理解できないのはASやADDの
>診断基準の1つ」と診断医から指摘されるんでしょうか?
 医者の世界では、好き勝手に用語を使うことは許されていません。診断規準は国際的に決まっていますから、「何年の規準のこの項目に当てはまる」みたいな形で診断が行なわれます。仮に「聴覚情報を何度聞いても理解できない」というのが診断の規準として役立ちうる、というような論文があった場合は、その論文を根拠として推定したということを診断書に書かねばなりませんが、それはあくまで「意見」ということになります。ですから、そういうことを医者から指摘された場合、根拠となる論文を明らかにしてもらう権利が患者にはあり、医師にはそれを説明する義務があります。
 仮にそれを医師が拒絶した場合、事情をなるべく詳しく記載した文書でもってその医師の所属する医師会にそのむね通告してください。なんらかの対応をしてくれるはずです。ただし、この手の抗議は相手が音をあげるまでしつこくしつこくしつこくしつこく行なわないとなかなか対応してくれませんので、そんな気力がなかったらさっさと別の医者のところへ行ったほうがいいでしょう。 

>私は、一度に多くのことを口頭で指示されたことを理解するのが
>非常に苦手です。かつてアルバイト先でも、メモを
>取る暇もなく忙しい職場で口頭の指示を耳で一生懸命聞いても
>次の指示を立て続けに口頭で言われて、その前に聞いた指示を
>頭から通り過ぎてしまい「ちゃんと話を聞いていない」「ぼーっ
>としている」とよく叱られました。
 それは指示するほうが悪い。自衛隊じゃそれでミスが起きたら上官の責任です。水性のフェルトペンで腕にメモを取り、必ず復唱するというシステムを実行してください。病院では看護婦さんがこれをやってます。

>また、腹を割って話せる友人から「リゲルさんは、自分の
>興味のないことは何度も私が話しても理解してくれない」と指摘
>されたことがあります。別の友人からは「あんたは相手の理論に
>乗ろうとしないで、自分の関心のあることばかり一方的に話した
>がるから、友達作ろうと話かけても相手は引いてしまうんだよ」
>と言われたことがあります。確かにその通りなので、後者の
>友人の言ったことは根に持っていません。
 それって、誰でもそうなんじゃないでしょうか(^_^;)。そこいらのおばさんや仕事をリタイヤしたもと大企業のお偉いさんなんていうのは、だいたいそんなもんです。
 私なんかは興味のあることを言うひととしか友人としてはつきあわないし、相手の理論には必ずといっていいほど疑問をぶつけるし、自分の関心のない話題を話題にするのは相手にゴマをするときだけです。おかげで「友達」は少ないんですが、「友人」の数でいうとこの掲示板に書込んでくるメンバーの中だけも四人くらいいそうに思います。二人は卒業しちゃいましたけど。

>思えば、大学時代の講義でも、テキストを使わない授業で、教官の
>口頭だけの授業で興味があまりないものは、ノートを取るのに
>困難で、授業内容をあまり理解できなかったことがありました。
 たぶん、ノートの取り方が間違ってるんだと思います。
 下調べを十分にしておくこと、ノートはあくまでその下調べの内様や今までの講義で理解したことをまとめておくもので、授業中はノートを参照しながらメモを取ること、そして授業が終わったらメモの内容を手がかりにその日に教わったことを整理し、解らないところや不明なところはいろいろ調べて補強し、その結果をノートにまとめます。
 ちなみにメモもノートも最初は黒のボールペンで書き、メモを整理するときはその上から鉛筆書き(こうしておくと書込みを消したときに一緒に元の記述まで消してしまうことがありません)、ノートを書くときは黒のボールペン、ノートを修正するときは赤のボールペンや蛍光マーカー等を駆使します。
 そこまでやってなおかつまったくダメだった、というのなら私に連絡してください。一緒に原因と対策を考えましょう。

>この掲示板で以前に、「ASの人は視覚情報に強くて聴覚情報に
>弱い」との書き込みを読んだことがあるのですが、口頭で言われた
>ことで興味のないことを何度聞いても理解できないのは、ASやADDの
>自閉圏特有の先天的ハンディで、診断基準にもなるのでしょうか?
 単に人間が視覚優位なのだと思います。
 そもそも社会的に問題がない人間は、ASかどうかの診断を受けません。非常に差別的な発言ですが、子供時代の私は母親や親戚の話によればほぼ間違いなくASでしたが、先生のいうことをよくきく成績優秀な子供だったので、「病気」とはみなされませんでした。もし私がいまの時代に生まれていてしかも劣等生だったら、すぐに診断を受けさせられてASと診断されていると思います。
 私と同様「無冠のAS」の人と思われる人には聴覚優位の人もいて、アマチュア・オーケストラの演奏テープを繰返し聴いて演奏の出来をチェックしたあとに、「オーボエが二楽章でミスってるのに気がついたか?」とか質問すると頭のなかで「フンフンフン」と再生して、「ここんとこの『チャ〜ラリィ〜』の『リィ〜』が上ずってるな」とか解ってしまいます。落語なんかも五回も聴けば憶えちゃうという奴もいるし。『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』の時代には家庭用ビデオが普及していませんでしたので、放映の翌日、一回見ただけの番組を頭から最後までセリフの一字一句まで再現する奴がいました。
 宝塚ファンの女の子にも、何度か観た舞台なら再現できる、という人がいました。「おーっほっほっほっほ、あの子は天才よ!」と月影先生のように笑ってしまいたくなります(読み筋は『ガラスの仮面』)。
 ちなみに「口頭で言われたことで興味のないことを何度聞いても理解できない」というのは、しつこいようですが「誰だってそうなんじゃない?」と思います。

>よろしければ、教えて頂きたいと思います。
 こんなもんでよろしいでしょうか。

 最近フォローに疲れぎみ KILROY


Re: カウンセリングを断られました 3536へのコメント
No.3545  Tue, 20 Mar 2001 11:36:59 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Hiro wrote:
>今日、横浜(三ツ境)でカウンセリングのあるTクリニックに診察を申し込んだら
>なんと、二回のTELであっさりと断られてしまいました。
>
>☆ここの管理者さんに迷惑ですので
>実名は非公開ですが知りたいかたは遠慮なく聞いてください
>
>☆門前払いの主な理由☆
>
>>
>それに、「心配でしたら、前の病院に連絡しましょうか?」なんて会話もあった。
>前の病院が分裂と勝手につけたからそれを変えに来たのに
>(でも、病歴を聞かれて正直に答えてしまったので、今になってちょっと反省)
>一度この病名がつくと、全くの初診ですと
>嘘をついて他の病院に行って診察を受けない限り
>取り消せないのでしょうか?
>(出来れば、前の病院に診断書を持って叩き付けたいです)
 そうだよな・・・アメリカならこんな時、セカンド・オピニオンを求めることができるけど、日本ではそんなことないみたいだし、そんな感じの診断を出せるような目利きの専門家(児童青年精神科医)もほとんどいないし、第一保険外ということで5万円も金が取られるし、本当に「泣きっ面に蜂」だ!なんとかしてほしいぜ。

>この件で死ぬ気が一気に沸いてきて
>帰りの駅で、列車に飛び込んで騒ぎを起こしてしまいました。(あと約1メートル)
 おいおい・・・変な気おこすなよ!つらいけど生きよう!そしてみんなで一緒になって、少しでも状況をよくしていこうぜ!

>「何にも知らないのに、怒ることも無く、暖かく接してくれた駅員さんに対して
>日本の精神医療ってどうなっているのでしょうね?
 そうだよな、薬漬けだし・「今日は調子どう?」しか聞かれないし・10年以上も入院している人もいるし・・・ここにまえカキコしていたJ.M.Wooさん今頃どうしているかな??


差別語について
No.3544  Tue, 20 Mar 2001 11:31:07 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 「さるすべり」が戻ってくるまでは、と自ら封印していた「差別語」問題について述べようと思う。

 ちなみにホモはホモだしオカマはオカマだ、と断ずる私は『トーマの心臓』『風と木の詩』『日出処の天子』のファンであった。ついでながら私の女性ファン諸氏(←いるのか?)は、今後私の容姿を想像する場合、『トーマの心臓』に登場する「青バラ」ことパスカル・ビケ君でお願いしたい。ちなみに現在の体形はどっちかってゆーとパパイヤ鈴木に近いので、現在体脂肪率低減を真剣に検討中である。昔は『フードファイト』に出演していたSMAPのクサナギ君ばりの美青年(クサナギ君はヘンな顔かもしれないが)だったんだけどなぁ。ちなみに川原泉さんの『メイプル戦記』は愛読書だがあの作品におけるオカマの扱いは差別的であると思う。逆に榛野なな恵さんの『ダブルハウス』は美化しすぎのような気もちょっとする。作者名は忘れたが『雨の日は恋をする』あたりが落としどころではなかろうか。

 まずは「ジャップ(JAP)」である。
 オリンピックにおける日本の略号がこの問題にからんでJAPからJPNに変更されたが、私はJAPという言葉を積極的に使いJPNの表記は即刻JAPに戻してもらいたいと思っている。もちろんJAPが蔑称であることは間違いないし、だからこそ使うべきだと思っているのである。
 まず、JAPが差別語として成立した経過を追ってみよう。そもそも日本はジャパンかニホンかニッポンか当のハポン(ヤーパン)ですら御存知ない、という奇妙な名称である(だいたい自分とこの国旗を掲揚するのしないの、国家を歌うの歌わないのとか言うとる国じゃけんのう。オレなんか基地勤務で身体に染みついとるが)。オランダを指す「ダッチ」に関しては「ダッチロール」「ダッチ・ペイメント」等ろくな意味がなく、オランダは通称ネーデルランドであり、「ダッチ」はそもそも「ドイツの」という意味だったにもかかわらず、問題にもされず使われている。だったらなんでJAPが差別語なのか?
 じつはJAPという呼称にいちばん神経を尖らせているのは在米日系人である。つまり太平洋戦争開戦後、敵性国民として差別されたアメリカ市民およびその子孫なのである。「我々は善良なるアメリカ市民なのに、なぜJAPなどと呼ばれ、差別的な扱いを受けねばならんのか?」という怒りと悲しみが、JAPという呼称には込められているのである。つまり、JAPという言葉には、どれだけ努力しても白人社会に受入れてもらえない、「バナナ」と呼ばれる「外側はイエローだけど中身はホワイト」な人々の心情が込められているのである。

 考えたらそれって日本人にとってかなり失礼なんでないかい?

 戦後、日本人は「頭を下げて白人社会に仲間入りさせてもらった『名誉白人』」なんてものではなくなった。いまや日本人は日本人である。グローバル・スタンダード糞食らえ、俺らはアングロサクソンの仲良しクラブのルールなんか知ったこっちゃないぞ、という日本人が現れたのだ。そして日本は「JAP」ブランドを引っさげてアメリカに上陸したのである。そーだおれたちはJAPだ。頭を下げて白人社会に仲間入りさせてもらい、白人扱いしてもらいたくなんかないぞ。
 ところが、アメリカにはまだ「国際社会」というのはイコール「アメリカ」であると思っている「パックス・アメリカーナ」の幻想にしがみついたバカどもがいるのである。そういう奴が使う「ジャップ」は、これは間違いなく「差別語」で、そういう奴は、

 「『ファッキン・ジャップ』くらい解るよバぁーカ。」

とかいって鉛玉を喰らっちゃうのである(読み筋は、邦画『ブラザー』)。

 で、最近韓国から、「『日本海』ではなく『東海』と呼べ」という要求が突きつけられている。私はこれを認めちゃいましょうよ、と提言したい。

 そもそも「東海」というのは日本における「太平洋」の名称である。「大平洋」というのは、そもそも「パシフィック・オーシャン(平穏な海洋)」をそのまま漢字に置換えただけの名前なんですね。日本は太平洋に浮かぶ島国なわけですから、日本海だって太平洋の一部です。それを「東海」と呼んでなぜ悪いか。ただし日本海を「東海」と呼ぶと紛らわしいから「日本海峡」の略語として今後「日本海」を採用します、と答えてしまうのである。だから今後地図には「日本海」に(「日本海峡」の略語としての)「日本海」、「大平洋」のかわりに「大平洋(東海)」と表記してほしいんですね。
 で、そのかわり、中国・韓国には今後自らを「東洋」と呼ばないように厳重に抗議しなければなりません。そもそも「東洋」というのは「東夷」の「海洋国」であり、中国・朝鮮における日本・琉球・台湾に対する蔑称であり、昔は「東洋」というと日本人に対する蔑称でもありました。「東洋鬼」「東洋鬼子」なんていう言葉が日中戦争のときにも使われてます。で、その後「東洋」というと、「台湾」の(差別的な)別名にもなりました。ところが台湾人(現在の内省人)はその「東洋」という言葉をぜんぜん蔑称だとは思っていなかったものだから、「日本〜」に対応する形で台湾のものを「東洋〜」と呼ぶことにしちゃったんです。日本と台湾が合弁して作った、台湾産の紅茶を扱う会社が、現在の「日東紅茶」です。つまり「日台」の旧称が「日東」なんですね。
 で、なぜ東アジア全域、すなわち「極東地域」が「東洋」になっちゃったかというと、「極東地域」においてアングロサクソン国家連合と互角に角突き合わせる実力を持った国家が「日本」しかなかったからなんですね。だいたいアングロサクソンの中での「東」っていうといわゆる中東で、「東方文化」っていったらペルシャなんかのイスラム文化のことです。

 そんなわけだから、日本の中国・韓国・北朝鮮に対する『「東洋」という呼称を使うな』という要求に「妄言だ」「内政干渉だ」なんていう反発が返ってきたら、対抗措置として「東洋四国」、すなわち北海道・本州と四国と九州・沖縄を含む南西諸島・台湾で国連とは別建てで「東洋国連合」を作っちゃうわけです。そうするとインドネシアやタイやポナペ・トラックや北マリアナ諸国連邦なんかが大挙して「俺も俺も」と仲間入りしたあげくハワイの原住民族であるカナカ人なんかも「非国家的民族集団」(かつてのイスラエルがそうでした)として加盟したりして欧米諸国大慌て(^_^;)。
 これは決して荒唐無稽のシナリオではありません。NGO・NPOレベルでやるんだったら、ここにいる我々だけでだってできます。そういう団体を作り、そういうアピールを発することは、日本国憲法における思想信条の自由・結社の自由・表現の自由によって保証されてます。

 思うに被差別側の人間は、ついつい発想が卑屈になってしまうんですね。「差別する側」に「認められる」ことをつい考えてしまう。「認めさせる」という発想がなかなか出てこないわけです。いまや「差別すること」は「カッコ悪いこと」であり、「闘う被差別者」っていうのは「カッコいい」んですよ。

 というわけで私はアピールします。東洋諸国の被差別者よ連合しよう! 我々は東大平洋諸国の被侵略者・被差別者の痛みを抱えて生きてゆくぞー! おー!

 わはははは、私はジャップだ 鬼子こと Mr.MotoことKILROY


Re: うた 3537へのコメント
No.3543  Tue, 20 Mar 2001 09:52:34 +0900  qwert [この発言にコメントする]

さくらかのえさん wrote:
>ガーデニア 改め さるすべり さんwrote:
>
>>本題は、歌についてです。音楽を、どう感じ取っていますか。
>
>わたしはどちらかというと「特に音楽はなくても平気」という人です。
>ただいつも頭の中で、前にきいた歌の断片(サビの部分が多い)が
>リフレインしています。ついさっきテレビで流れていた曲のこともあるし、
>あるキーワードをきっかけにして思い出した曲の場合もあります。
>特にこれがお気に入りという歌は今のところありませんが、
>ボーカルだけの歌やメロディーがはっきりしないものは苦手です。
>三味線弾きながら歌う民謡のように歌が前に出て来すぎるものも苦手。
>どちらかというと「声も楽器の一部」という聴き方をしています。
>歌詞はあまり聴いていません。

わたしもさくらかのえさんとほぼ同じで音楽はなくても平気ですね。
嫌いではありませんから、ボサノヴァやスィングジャズがBGMの
喫茶店は好んで行きますけど、音量は低くないとだめです。
ファミレスとかコンビニとか私にはBGMの音量大きすぎます。
日本語の詩が付いた曲は、詩の内容が先に入ってくるので、私の中
では音楽(音を楽しむ)にならないですね。
外国語の詩が付いた曲は私の中では詩(声)も楽器の一部です。
さくらかのえさんと同じですね。
好みの音楽が控えめに流れているのでなければ、音楽はなくてもい
いかなあ。


聴覚情報を理解できないことは、ASないしADDの診断基準ですか?
No.3542  Tue, 20 Mar 2001 02:52:14 +0900  リゲル(Mind Blue) [この発言にコメントする]

この掲示板をご覧の方で、ASないしはADDと正式に診断された方に
お尋ね致します。このHPに紹介されているASの診断基準には、
耳で聞いた指示ないしは情報を何度聞いても理解できないという
のはないのですが、実際にASないしはADDの診断を受けた
時は「聴覚情報を何度聞いても理解できないのはASやADDの
診断基準の1つ」と診断医から指摘されるんでしょうか?

私は、一度に多くのことを口頭で指示されたことを理解するのが
非常に苦手です。かつてアルバイト先をしたところでも、メモを
取る暇もなく忙しい職場で口頭の指示を耳で一生懸命聞いても
次の指示を立て続けに口頭で言われて、その前に聞いた指示を
頭から通り過ぎてしまい「ちゃんと話を聞いていない」「ぼーっ
としている」とよく叱られました。

また、腹を割って話せる友人から「リゲルさんは、自分の
興味のないことは何度も私が話しても理解してくれない」と指摘
されたことがあります。別の友人からは「あんたは相手の理論に
乗ろうとしないで、自分の関心のあることばかり一方的に話した
がるから、友達作ろうと話かけても相手は引いてしまうんだよ」
と言われたことがあります。確かにその通りなので、後者の
友人の言ったことは根に持っていません。

思えば、大学時代の講義でも、テキストを使わない授業で、教官の
口頭だけの授業で興味があまりないものは、ノートを取るのに
困難で、授業内容をあまり理解できなかったことがありました。

この掲示板で以前に、「ASの人は視覚情報に強くて聴覚情報に
弱い」との書き込みを読んだことがあるのですが、口頭で言われた
ことで興味のないことを何度聞いても理解できないのは、ASやADDの
自閉圏特有の先天的ハンディで、診断基準にもなるのでしょうか?

よろしければ、教えて頂きたいと思います。


自己診断ガイド 3522へのコメント
No.3541  Tue, 20 Mar 2001 01:07:40 +0900  KILROY [この発言にコメントする]


 小発作(プチ・マル)

 フランス語で「小さな死」という詩的な名前をもつこの発作は、つまるところ「失神」の一種である。

 小発作が「小さな死」である所以は、その間に時間が経過した感覚がないからだ。たとえば冷たい布団に潜りこんで、「あー寒い」とか思ったとたん、パッと布団が温かくなって、時計を見たら五分以上経っていた、なんていうのが小発作である。これは『ジュラシック・パーク』の原作者で医学部を卒業もしているマイケル・クライトンが『アンドロメダ病原体』というSF(ハヤカワから文庫で出ている)に書いているけど、実際はこんなふうに「いきなり」ということはなくて前駆症状があるんじゃないかと思う。やたら眩しいような感覚がして、きりきりきりっとこめかみが締めつけられるような感覚があって、くらくらと目眩がする。そーいやなんか長時間ディスプレイに向かっているとそんな感じになるような気がする、というのは当然のことで、この手の発作は明滅する発光体を見つめていると起きやすくなる。今見つめているディスプレイの前に指を広げて掌をかざして振ってごらん。指の影がバラバラになって見えるでしょう? これが危ないんだ、これが。『ポケモン騒動』で問題になった光過敏症というのは、この小発作の前駆症状で、気分が悪くなったり吐き気がしたりするのは小発作一歩手前という状態だったわけです。

 小発作の特徴はどうやら極度の緊張からいきなりの解放をもたらすようで、小発作を起こしたとたんに表情が輝く(つまり表情筋から緊張が抜ける)という話もあれば、「あっ」と驚いたような表情(「放心したような」と表現する人もあれば、「深刻な表情」だったという人もいます)のまま固まってしまうという話もあります。この差は表情筋肉に蓄積した乳酸の量によるのではないか、という指摘もありますが、はっきりしたことは解りません。ただ、苦痛による苦悶の表情をずっと浮かべいて小発作に突入すると、「ぱっと輝く」なんてことはないみたいです。

 小発作には除脈が伴い、瞬間的に鼻の頭、頬、胸、下原、腿の間、尾骨からその上にかけて、瞬間的に、びしゃっ、と冷たい汗をかくという話があります。

 『私たちの友人の一人が、はじめて寝た女性にこれを起こさせました。意識が戻ったとき、彼女はこう説明しました。「本当にごめんなさい。でも私はいつもこんなふうになるの」。その時までに、彼はすでに警官と救急車を呼んでいたのです』
 (アレックス・コンフォート編、双葉社、『ザ・ジョイ・オブ・セックス』)

 最近コンフォート氏が亡くなりました。新聞に死亡記事が出ていました。なにしろ『ザ・ジョイ・オブ・セックス』は聖書に次いで『風と共に去りぬ』の上、全米第二位のベスト・セラーだったりします。

 じつはこの話題はまだ続くのだった KILROY


Re: カウンセリングを断られました 3536へのコメント
No.3540  Tue, 20 Mar 2001 00:56:20 +0900  風鈴 [この発言にコメントする]

Hiro wrote:

>
>この件で死ぬ気が一気に沸いてきて
>帰りの駅で、列車に飛び込んで騒ぎを起こしてしまいました。(あと約1メートル)
読んでる内に涙が出てきました。何も知らない、苦しみの深さも解らないと思われると思いつつも、子を持つ親の立場から言わせて下さい。
私は、幾度も死のうと考えた事もあり、又、息子も自殺を考えた事があります。
でも、生きていて欲しいと親なら願う物だと考えています。
子供を失う苦しみ以上に辛いものはないと思っています。私の勝手な考え方で不愉快に思われたらすみません。でも、生きて下さい。出口のないトンネルはないと考える事で私も前を見て何とか生活しています。
”死のう”と考えた時の苦しみを味わった事があるものとして、”違う!!”と思われるかもしれませんが、なんか悲しくなってしまって・・・・伝えたくなってしまって、不快に思われたらごめんなさい。
>一度この病名がつくと、全くの初診ですと
>嘘をついて他の病院に行って診察を受けない限り
>取り消せないのでしょうか?
>(出来れば、前の病院に診断書を持って叩き付けたいです)
是非、別の病院で初診の形で受診され、診断書を叩きつけに行って下さい。
陰ながら勝手に応援させて頂きます。
全く病院によっては、無神経きわまりない人間が偉そうにしている所が実際にありますし、私も何度もどん底に追い詰められた事がありますので・・・


Re: うた 3535へのコメント
No.3539  Tue, 20 Mar 2001 00:38:05 +0900  さるすべり(百日紅) [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
> 僕は結構女性のシンガーソングライター・ヴォーカリストの歌が好みです。例えば、これはきっとサルスベリさんが大嫌いな歌の類かもしれませんが、中島みゆきの「時代」とかが好きで、下手だけどピアノで弾けたりします。
>最近好きになった歌は、Sheraの「Love again 永遠の世界に」とか、倉木麻衣の「Reaching for the sky」とか、ドラマがらみの歌で気に入ったといったものです。あとやや古めの歌では渡辺美里の「My revolution」、最も新しいのでは鬼束ちひろの「めまい」といったところでしょうか・・・。

私も「時代」は好きな曲です。ピアノが弾けるなんて器用ですね。いいな。倉木麻衣は声が好きです(曲は別問題)。渡辺美里は好きでした。

>「前向きに・・希望・・あたしはこう思う!」とかいうメッセージ性がある感じの歌が好きです

私はこういうのはだめかもしれません。

> 反対にモーニング娘とか、浜崎あゆみとか今の若い女の子の間ではやっている感じの人たちの歌は、なんか意味が判らないので嫌いです。

モーニング娘は、私も(感覚的に)だめです。浜崎あゆみは、99年の「A Song for××」のアルバムは良かったけれども、最近のは嫌いです。

今日音楽について聞いてみたのは、今朝もまた鬱で起き上がれなくて、クラシックを聞いたら何とかなるかな、と思ったのですが、ある一つの曲を聞いていても、耳をふさぎたくなるような音もあれば、聞いていて心地よい音もある、と思ったからです。
それと、いつも、最近の音楽は馴染めない感じがしていました。(「寂しくて」とか「ずっと」ということばを歌われると、「ぞっ」としてしまうのです。「やめてぇぇぇ〜」と思ってしまいます。)
あと、音楽については、日本語人が、変な英語を意味もなく使うのが不快です。明らかにおかしいぞ、というのもあるし、英文法的に間違っているのも気になります。(一応大学で英語をやっている)
ついでに言っちゃえば、今日、ドナ・ウィリアムズさんのCD、頼んでいたのが届きました。耳に心地よかったです。


Re:Re: 自分のせいで 3531へのコメント
No.3538  Mon, 19 Mar 2001 23:52:58 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

るnoつくひとさんwrote:
>とても力のある御言葉に、ただただKILROY さん、涙とともに感謝を
>申しあげます。今言えることは、それだけです。
 よしなさいっつーのよ。照れるから(^_^;)。

 それは私がどうこうっちゅーんじゃなくて、るnoつくひとさんにふさわしい言葉を私の知識の蔵から引張り出してきただけなのね。
 あなたを救ったのはあなた自身なんです。私がどーとか言わないように。

 『そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の蔵から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている」』
 (『マタイによる福音書』、十三章五十二節)

 『イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」』
 (『マルコによる福音書』、五章三十四節)

 『一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んでいるのではない。眠っているのだ」。人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいるところへ入ってゆかれた。そして、子供の手を取って、「タリタ・クム」と言われた。これは、「少女よ、私はあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起きあがって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。イエスはこのことを誰にも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた』
 (『マルコによる福音書』、五章三十八節)

 口裂け女ならぬ口先男 KILROY

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