アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
ななはさんwrote:
>気悪くされたらごめんなさい。独り言です。
Mr.Motoより ……しばらくお待ちください。所長以下嬉しいやら照れくさいやらで現在のたうち回っております。私からも「ありがとうございます」と申し上げます。
(以下Joshya)
ありがとうございます。ううううう、嬉しいよぉ(嬉しさのあまり泣いている)。
私の物言いはときどき「最初は喧嘩売られてんのかと思った(^_^;)」と言われることがあります。ですからうちの母親などは高校時代の後輩や仕事仲間と私が電話で話しているのを聞いて、「なんてひどい口のききかたをするんだ」とかしょっちゅう怒ってました。
「そんなもん相手の役に立たんこと言ってもしょうがねぇだろう?」というのが私の考え方の中にひとつあります。それに、「具体的に相手に何をしてやれるか、そしてどこまでならしてやれるか」をはっきり言うというのがあります。仮に自分が相手に対して何にもできなくても、とことん話を聞いて相手の苦しみを共有して、そんでもって一緒に泣くくらいのことはできるわけですよ。だけど「人間は弱いものだ」なぁんていう甘いことを言って裏切る奴というのはおるわけで、自分だってその弱い人間の一人だから、相手を裏切っちゃう可能性だってあるわけです。だから、自分が相手を裏切れないように退路を立つ、ということを私はします。つまり相手に自分を預けてしまうんです。
自尊心のある人間っていうのは、これで必ず動きます。「自分は信頼されてるんだ」っていうことを納得しちゃうと、人間というのは自分の善意に素直になっちゃうんですね。
毎度毎度仕事の話になっちゃって申し訳ないんですが、我々はパーソナル・コンピュータ用のツール・プログラムをいくつか開発してます。で、そのときにコピープロテクトなんか一切かけませんでした。マニュアルは印刷したものとは別に、データとして付属しました。「そんなことをしたらコピーなんかされ放題じゃないか!」と販売の担当者は激怒して、「何らかのコピー防止法を取ること」と我々開発者に言ってきました。
で、我々は検討を重ねた結果、二つのコピー・プロテクトの手段について詳細な文書を作り、販売担当者に提出しました。
その1。パッケージにお地蔵さんを印刷する。お地蔵さんが見ているのでユーザは悪いことができません。
その2。付属のユーザ・マニュアルの中で泣き落としをする。「どうか不正コピーをしないでください。我々だって生活かかってるんです。あなただってこんな便利なツールが使えなくなっちゃったら困るでしょう? ですからお願いです。一生感謝します。お金払って製品を買ってください」
プログラムをいじる必要はまったくなく、プロテクトにかかる費用は実質上ゼロ。費用対効果は最高だぁ!
販売担当者の怒るまいことか(^_^;)。で、けっきょくプロテクトなしで発売しちゃいました。
その結果は我々が信じた通りでした。この掲示板で以前にも書いた通り、我々のソフトは「タダで使ってんのがイヤだ」というユーザの要求で製品として発売されることになり、不正ユーザからの転向組がその販売実績を支えてくれたわけです。
世の中の人間の大部分はまっとうで、信頼するに足る、ということを私は覚えました。ただ、同時に「世の中を怨んでいる人」というのが世の中にはいて、そういう人は私のように「他人の善意を信じている」人間が憎くてしょうがない、ということも身に染みました。そういう人はなるべく避けてきたんですが、同じ会社のお偉いさんとかいうとそういう訳にもいきませんしね。ですから、「こいつは絶対に信用できない」と思ってんだけど尻尾を掴む方法がなく、排除することもできない、という相手にしてやられてました。そんなわけでちょっと自暴自棄というか、人間不信というか、そういう感じになりかかってたんですけど、ななはさんみたいなひとに応援してもらえると、とてもほっとした気分になります。ありがとうございました。
ついでながら、
>ちなみに私が病院で(結果的に)実験した結果、破いたジーンズとパンクT
>シャツで受診したらすごく扱いが悪くて、スーツ着ていったら「会社で大変
>なんですね、分かりますよ。」風に慰められましたよ。他人って勝手だな、
>自分は結局自分で守らないと、とちょっとびっくりしましたもの。
というのはある面で真実ですが、逆もまた真実なんですね。
前の会社にいた時のことですが、仕事の引合があって相手の会社に出かけるときは、一人のときはスーツでビシバシにキメていきましたが、社長が同行する時はバンダナ鉢巻に電算機メーカーのロゴ入りトレーナーによれよれのジーンズ。藤本っちゃんと一緒のときは私がスーツで藤本っちゃんがズタボロの恰好。
「仕事だけはきっちりやるから文句ねぇだろ」みたいなアピールをするにはけっこうこの手は有効です。で、そのズタボロの恰好で請けた仕事の現場にスーツで出かけていったら、打ち合わせの時に(あんまり似合わない)スーツで出てきた向こうの技術部門のチーフがニヤニヤ笑いながら「何なんだよ。何なんだよこのネクタイは。猫かぶってんじゃねぇよバーカ」とか言いながらネクタイ引っつかんで引きずってかれて主だった開発メンバーに面通しをさせられてしまいました。で、最初っから「あんた」「おれ」の仲(→唐突ですが、みどりちゃんは派遣プログラマーだから、こういう雰囲気って分かるでしょう?)。
熱意と自信、それに多少の世渡りのテクニックと誠意(あえてリスクを犯す、というのは相手を信頼しているしるしです)。こういうのって、けっこう「世間」で生きてくには大事だと思います。でないと「友人」ってなかなかできないんだよね。だから、なんかのイベント会場とかでケータイの番号を交換しあってる高校生どうしの女の子なんかを見ると、「よぉし、がんばれ。応援するぞぉ!」とか思っちゃったりします。
とはいえそれを強要する奴なんていうと大っ嫌いだけど。顧客に教えたファイアー・コール番号(緊急時のために二十四時間オープンにしている個人用直通番号)をむりやり聞きだして、夜昼関係なしに電話で呼びつける馬鹿な人材派遣屋もいたしな。そんなわけでその気があったらメールください。KILROYの命名由来と所長のプロフィールをお教えいたします。
(ちなみにJR大井町駅東口近くにあるパチンコ屋「キルロイ」は「KILLOY」です)
期待されると「オレもがんばんなきゃなぁ」と思う Joshya
tudu wrote:親しくなると、べったりしすぎたり、1度、ケンカするとそれっきりになってしまうことが多いみたいです。
こんにちは初めまして。
今中三の男の子のことでお尋ねしたいんですが。
中一から「学校がいや」という理由で不登校やってます。
家の中ではまるっきり普通の子。対人関係も会話も。理解力いい方です。ただ外へ出るのがものすごく嫌い、他人が家に入ってくるのもものすごく嫌い、嫌な臭いがものすごく嫌い。
留守中宅急便受け取ったり電話を受けたり、家族と出たときにコンビニ等で買い物はできますが、フレキシブルな会話はできないみたいです。
担任との会話も、「はい」と「いいえ」のみ、気持ちやつもりについて聞かれたら、答えられなくて横向いて絶句してます。
理数はかなり得意(理科は好き、数学は嫌い)、暗記物が苦手、本は割と読みます。長文読解はどうにか、漢字は読めるけど書くのは苦手、英語も単語書くのは苦手、社会は嫌いで苦手。
作文は超苦手、特に自分自身について書くことは、不可能です。運動能力や器用さは、普通。
一日中パソコンの前に坐り、ネットゲーム(ネットビジネスではない^^;)とゲーム関係のチャットや掲示板訪れ、をしてます。他には本や漫画を読んだりTVゲームしたり。学年の最初にちょっとは学校行ったのと、納得いく理由があって連れ出したとき以外、自分からはこの3年間家を出ていません。
子どものことですごく悩んでいるわけでも、子どもにレッテル貼りたいわけでもないですが、やっぱり「これは何なんだ?」とは思うわけで、調べていて、もしかしてアスペルガー系だろうか、けっこう当てはまってるしと、思い、ぜひどなたかにお伺いしたいと思いました。長文すみませんでした。よろしくお願いします。
南風さんwrote:
>自分と他人の間に線を引いて付きあうのが、難しいみたいです。
ASっぽい男性43歳qwertです。
たしかに普通の人達は線を引くのがうまいというか、他人と自分の間の
スタンスのとり方がうまくて、私もうらやましいと思うことが多いです。
どこまで関わっていいのかという限界(常識)が普通の人達と違うみた
いで難しいですね。
南風 wrote:
>子供の頃、お話しもできず、集団生活になじめず、いじめられつらい思いをしてきました。学習障害の症状はなかったのですが、得意科目と不得意科目の差が激しかったり、目立ったことが、苦手だったり、できなかったりしました。(科目だったら体育と音楽、行動面ではお掃除当番だったり、提出物を出しそびれたり、忘れ物が多かったり・・・)今は立ち直り(?)普通に社会生活を送っています。仕事をする能力はあるのですが、対人恐怖症で人間関係に苦労しています。自分と他人の間に線を引いて付きあうのが、難しいみたいです。
「自分と他人の間に線を引いて付きあうのが、難しいみたいです」とありますが、
具体的にはどういうことなのでしょうか。
教えてもらえたら助かります。
精神科に行き、1時間位先生とお話をしてきました。
(ちゃんと症状は箇条書きにしたのですが、80%位しか先生に言えませんでした....先生が恐かったので)
「あなたは自閉症ではありません」というのが結論。
すごいショックだったのが
①「あなた高校も大学もちゃんと受験して通って、おまけに海外に住んでいるのになんで自閉症なんて思うんですか?本当に自閉症ならそんなことできませんよ」って言われたこと。
うーん、ASの人で高学歴の人ってたくさんいますよね?
それに私日本に住んでたら「変わり者」扱いされて窮屈なんです。
②(「ガイドブックアスペルガー症候群」の本を見せて)「ASの本とか今たくさん出版されてるけどこの病気は本当に珍しい病気だから...」...なんだか本が出版されたら迷惑だって言っているような感じ。
...でもでもやっぱりこのガイドブックに書いてあることで当てはまることって私にはたくさんあるんです。パラパラめくっては自分に当てはまることが書いてあるページには付箋をつけていたのですが、もう付箋だらけなんで、貼るのをやめたくらいです。せっかくこのサイト同様、心の拠り所にしていた本にケチをつけられて、悲しいです。
しかし診断の結果、私は強迫行為を起こす(子どもの時チックがあり、大人になったらなったで家を出る前に戸締まりを3回位チェックし、家のドアをしめたあと、またもう一度中に入り、チェックをしないと気がすまない)ので、それに効く(不安感を取り除く)薬を処方してくれました。
とりあえず薬をしばらく飲んでみて様子を見ます。
これで直ればいいのですが。
一生、人とうまくコミュニケーションがとれないのは、イヤです!!
(これが私の最大の問題)
「私とちゃんとお話できてるでしょ?ちゃんとコミュニケーションとれてるじゃない?」って先生に言われたけど、それは先生だから、恐いながらも気を許してお話できるだけ。でも、コミュニケーションってただ単に会話ができる、でなく、例えばアイコンタクトとかその場の雰囲気をつかむとか、そういうこともコミュニケーションに必要な要素ですよね?(私にはそれが難しい。)
それとも、誰とでも普通にしゃべれない位でないと、ASとは呼べないのでしょうか?
それとも私はASっぽい健常者なだけ?
直らなかったら、先生を変えて見てもらうしか、しょうがない...
>カキコすると確かに私もほっとしますよ。その病院しかない!と思い詰めないで
>変な励ましですが、覗いてみるみたいな感じで行くと、違う!と大きくがっかりも
>しないかもしれませんよ、ぼちぼち行ってくださいね。
そうですね、様子を見ながらやっていきます...
ありがとうございます。
なんか私が、ごくごく親しい人にしか見せない表情にすごく似てらっしゃるので
思わずカキコしてしまいました。イメージに最近ある博物館で見た、真珠とゴールドをちりばめた髑髏を思い浮かべました...。上手く言えませんが、ばっさりの文言がいいなーと思います。私は「あんたはきつい」って言われるの嫌で、職場とかでは「くちなしの女」(単なる怠慢ですね)なので...。気悪くされたらごめんなさい。独り言です。
マザー wrote:
>私は、あなたのNo.3536の書き込みを読んでから(20日だったと思う)気になっ
>て、気になって逃れられなくなってしまいました。
>「やけになって死なないで!」と子供を思う親の立場からの願いを書き込もうかと>も思いましたが、それ以上に疑問も沸いてきました。
マザーさん、Hiroこんばんは。ちょっと横レスなんですけど、
私も、良くあることなんでしょうけど、学生時代いじめにあったり、
会社でもいじめられたし、ちょっと前自殺未遂もして救急車にも乗りました。
Hiroさんがおいくつか全く分かりませんけど、今死ぬとしたらやっぱり
いやだ、って思うと思うんです。それに病院って美容院みたいなものじゃない
でしょうか?結構当たりはずれあるし。診断をしてもらいたいと思うからには
やっぱり本人はかなり切実なものがありますよね。いちばんHiroさんが
診断をしてもらいたい原因&動機はなんなのでしょうか。
あんまりあせってもいい結果は出ないと思うし、書かれている通りの閉鎖的な
病院だったら結果も望ましいものではないのではないでしょうか?
ちなみに私が病院で(結果的に)実験した結果、破いたジーンズとパンクTシャツで受診したらすごく扱いが悪くて、スーツ着ていったら「会社で大変なんですね、分かりますよ。」風に慰められましたよ。他人って勝手だな、自分は結局自分で守らないと、とちょっとびっくりしましたもの。
>>(出来れば、前の病院に診断書を持って叩き付けたいです)
>その思いを叶える為にHiroさんが、まずやらなければならない事は何ですか?
>紹介状も持たず「学校近くで良さそうな病院を見つけた」から行ってみるでは、今>までの繰り返しになるだけのような気がしたのです。
マザーさんのおっしゃることは正しいと思います。
病院に行く→診断をもらう→それでポンッと楽になれるわけではないし、
また別の、きつい道が開けることもありますし。
ある病院の診断が全てではないと思います。今はいろんな良い薬がありますし。
今のHiroさんが、もっと自分自身を分析してみたらどうでしょうか?
本当は誰かと話すのが良いと経験から思いますが、それが出来ればこんなに
悩まれないだろうし、親御さんも嫌いみたいだし。
でも自分ばかりで思い詰めると、堂々巡りの末に、「死ぬほうがまし」
って思いがちなので危険だと思います。
結論を急がないで下さいね。気を悪くしたらごめんなさい。
qing wrote:
>すごい久しぶりにカキコします。
>
>明日いよいよ精神科に行ってASかどうかの診断をしてもらいます。
>私は海の向こうにすんでいるのですが、ここではまず一般開業医の紹介状が
>ないと専門医の診断が受けれないので、
>その一般開業医のところに先月いったのですが
>うまく自分の症状を先生に伝えることができず(長文の会話とか自分の気持ちをあ>らわす会話ができないんです。私)
>またその先生も知識不足のようでしたので、紹介状に症状を詳しく
>書いてもらうことができませんでした。
>明日精神科の先生に症状をちゃんと説明しないといけないのですが
>できるかなー?とっても心配です...
こんばんは。私も鬱病と分裂病気味ということで親に開業医の所に
連れていって貰ったことがあります。その経験から、先生も他人だし、
特にこの分野の先生方は、個人差が激しいんでしょうが、「この人はおかしい」
ということで先入観があると思いました。確かに顔色は悪かったし、拒食気味だったし、見るからに悪そうだったんでしょうけど...。でも、最後の詰め
(自分がどのくらいまでなりたいのか・等)は結局自分がしないと駄目だし、
薬も遣いようで、かなり有効利用できるのだな(すごくナーバスになってたり、
眠れなかったりするときは加減して使うとか)といろいろ参考になったことは
多いと最近振り返って見ています。今の自分なら、考えを整理して、
いちばん困っていることを端的に先生に言えるのですが、(不眠とか対人恐怖症)そのころはドツボで、とてもそんなこと無理でした。
>
>すみません、独り言でした。
>でもカキコしたことでちょっとは心配が払拭されたみたいです。
>おじゃましました。
カキコすると確かに私もほっとしますよ。その病院しかない!と思い詰めないで
変な励ましですが、覗いてみるみたいな感じで行くと、違う!と大きくがっかりも
しないかもしれませんよ、ぼちぼち行ってくださいね。
(がんばれ、って不用意に言うの嫌いなので。)
(この項はKILROYによる)
えー、失神についてごちゃごちゃ書いてきましたが、今回は最初にちょっとすっ飛ばしぎみに話を済ませてしまいたいと思います。今回もかなり専門的なのでいちいち説明しません。分からん人放っときます。気になるところがあったらツッコミを入れるように。(ちなみに『トーマの心臓』に出てきたのはバッカス君でした。竹宮恵子とか萩尾望都とかみんな読まないのかなぁ。おかしいなぁ。マザーさんやみどりちゃんは絶対読んでそうに思ったんだが。)
本当はかなり書くことがあるのだけれど、『アスペルガーの館』の住人にはあまり関係ないのでさらっと書いておくことにするのが痙攣についてです。「こむらがえり」のような筋肉の痙攣をとりあえず別にした、いわゆる「痙攣発作」には「大発作(グラン・マル)」と脳の器質的傷害によって起きる「焦点発作」というものがあります。で、この「大発作」のことを「癲癇」といういんですね。さらにこの「癲癇」には「症候性癲癇」といってはっきりした原因があるものと、「真性癲癇」という、いわゆるかつての三大精神病に含まれていて筒井康隆さんの断筆事件のときに問題になった「てんかん」があります。
現在、この「てんかん」は、脳の中に微少な欠陥があって、それが原因で怒る「焦点発作」の一種ではないかという説が、神経回路網の研究(人工知能などの分野にかかわる研究の成果です)から立てられていて、まあ、これが正解なんじゃないかなー、くらいのことが言われています。なぜかっていうと、心臓病にも似たような原因で不整脈が起きるという病気があるからなんですね。ただし、心臓病では「完全性不整脈」とも呼ばれる「心房細動」というのがあって、これは心臓の筋肉自体にまったく欠陥がなくても、電気刺激などをあるタイミングで与えると起きてしまいます。
ここで小発作(プチ・マル)のことを思い出してください。あれは明滅する光によって誘発されるとされています。つまり、「明滅する光によって誘発される、ある種の発作」は従来「脳に微小な欠陥がある子供に起きる」とされてきました。ところがそうではなくて、脳自体にそういう「発作を起こしてしまう条件」というのがもともと備わっていて、その条件が狭いか広いかだけの差なんじゃないだろうか? というのが今回の私の主張なんです。
ですからこれを読んでいるお母さまがたに申し上げます。もしもお宅のお子さんが、長時間アニメを見ていたり長時間パソコンをいじっていたり蛍光灯の多い場所に行ったりしたときに気分が悪くなったとしても、「ひょっとしたら、脳の機能に問題があるんじゃないか?」とか思いこんであんまり深刻にならないでくださいね。アスペルガー症候群は脳の器質的な変異が原因によるものだ、というのがいちおう定説にはなっておりますが、「自分がこんな病気だから子供まで……」みたいな暗い発想はしないように。
ついでながらこの大発作の症状をおおざっぱに説明しておきましょう。最初は苦しげにじたばた暴れています。表情は眩しそうになり、眉間に皺を寄せ、頬が吊りあがってちょっと泣き笑いのような表情になります。手足にぐぐぐぐぐっと力が入り、いやいやをするように左右にもがいていたのが真正面を向き、ぐぅーっと反り返ったかと思うとがくがくがくがくっ!と痙攣が始まります。これは身体が跳ね上がってしまうくらい強いものです。で、喉の奥から猛獣が吼えるような「がおうっ!」という声が出ることがあります。で、全身にびしゃあっ!と汗をかき、痙攣が収まったときにはしばしば呼吸が止まっていて、ショック状態を起こしている場合もあります。で、呼吸が止まっているときはあくびのような吸気から、ふぅっ、と吐息のような呼気に移り、正常に戻ります。
で、四時間くらいして激烈な片頭痛とともに目を醒ましたりなんかします。
もっとも上記の症状というのは、ある健康な(より正確には、「てんかん」と診断されたことのない)女性について観察されたある一例でしかないので、あんまり一般化されても困りますけどね。「健康な女性がなぜ痙攣の大発作を起こすのですか?」などというツッコミは……なに、それは私のキャラだ? 失礼いたしました。この件についてはJoshyaに振ってください。私が言いたかったのは、健康な人間が日常生活の中でも起こしうる発作だということです。
で、この項も一応終わり。次は精神神経症状関係の発作に関してです。躁発作、カタレプシー、カタトニア、ナルコレプシー、それに「リュカントロピー」という一群の症状についてです。
そろそろ先が見えてきた KILROY
Hiro wrote:
>それでも、前の病院の診断書が必要だと言えますか?
No.3536の書き込みの内容からでは私は理解する事が出来ませんでした。
>”両親”と言う書き方は非常に不愉快なので、やめてください
やめます。不愉快な思いをさせてしまいすみませんでした。
>失礼ですが、本当に医療事務の方でしょうか?
していました。現在はしていません。
>”受信”と”受診”の違いが分からない方に、他人の「精神の不安定さ」が分かるのでしょうか?
確かなご指摘です。変換ミスでした。(ドジってしまいました)
私は、あなたのNo.3536の書き込みを読んでから(20日だったと思う)気になって、気になって逃れられなくなってしまいました。
「やけになって死なないで!」と子供を思う親の立場からの願いを書き込もうかとも思いましたが、それ以上に疑問も沸いてきました。
>(出来れば、前の病院に診断書を持って叩き付けたいです)
その思いを叶える為にHiroさんが、まずやらなければならない事は何ですか?
紹介状も持たず「学校近くで良さそうな病院を見つけた」から行ってみるでは、今までの繰り返しになるだけのような気がしたのです。
あなたを傷つけるような(疑問No.3565)を書いてしまった事をおわびします。
Hiro wrote:
>その後、ロールシャッハとかいうテストを受けさせられて”分裂”となってしまい
>突然のことだったので、「こんな病院やめてやる!」と言う感じで転院しました。
ロールシャッハテストは性格特性を見る心理テストです。色インクでできたシミのような模様を見せられて、「これは何ですか?」と聞かれるものです。
このテストは、もともとスイスの精神医学者Rorschach,Hが、病院に来る精神病の患者たちがこのようなシミ模様を見せたときに、独自の見方をすることに気づき「これは診断に役立ちそうだ・・・」と思って、試行錯誤すえに確立したというものです。
反応の分析には一定の基準があるようで、図形の全体を見たか部分を見たかという「場所づけ」、形や色・明暗などのうちどれが見え方のもとになったかという「決定因」、模様を何に見立てたかという「内容構成」などによって、被験者の無意識レベルの心理的な特性を探るというものだそうです。
このテストには私もやはり疑問を感じます。これはある本で読んだことですが、「部分的に多く反応するのは強迫神経症の徴候であり、反応数が少ないのは鬱病の可能性がある」という文言がありました。これは変です!そうだとすると、検査に協力しようと思って積極的に答えた人や、逆に興味がない・何を答えたらよいのか判らなかったということでそんなに答えなかったという人は、容赦なく「精神病患者」の烙印を押されてしまうということになります。
この検査のみで、分裂病と決めつけるのは無理で、幼少期の状態・IQ・脳波・MRI・運動能力検査など総合的な判断に基づいて、診断がなされるべきだと私はおもいます。
子供の頃、お話しもできず、集団生活になじめず、いじめられつらい思いをしてきました。学習障害の症状はなかったのですが、得意科目と不得意科目の差が激しかったり、目立ったことが、苦手だったり、できなかったりしました。(科目だったら体育と音楽、行動面ではお掃除当番だったり、提出物を出しそびれたり、忘れ物が多かったり・・・)今は立ち直り(?)普通に社会生活を送っています。仕事をする能力はあるのですが、対人恐怖症で人間関係に苦労しています。自分と他人の間に線を引いて付きあうのが、難しいみたいです。
(この項、Mr.Motoによる)
俺は「同情(sympathy)」は「クソ(shit)」と「梅毒(sypilis)」の間にあると思っている人間だから、相手に役に立ちそうなことしか言わないのが身上なのである。だったら言いっぱなしはないだろう、相手がお前の助言を活用できるとは限らないぞ?と所長とKILROYとJoshyaに責められた。連中がいなければ俺はまるっきり表に出られない。しかたなく「我々も協力するから」と言質を取りつけて参戦することにした。
そんな訳でケツは我々が持つ。相手の医者と揉めたらこの『アスペルガーの館』に引っ張りこめ。ボード上のディスカッションで、衆人監視の下でブッ潰してやる。
Mr.Moto
qing wrote:
>明日精神科の先生に症状をちゃんと説明しないといけないのですが
>できるかなー?とっても心配です...
初診のときは、緊張して思ったように話せないことが多いので、
症状を紙に書いてひとつひとつ説明すると良いです。
僕みたいに、失敗して分裂病とか言われないためにも…ぜひ頑張ってください
(この項、Mr.Motoによる)
私は所長やJoshyaと違って仲良しクラブのヌルい雰囲気がはっきり言って嫌いなので、こういう場所に出てきてわざわざ波風を立てて嫌われたいとは思っていなかった。これから私の言うことだって実際役に立つかどうかは分からんし、役に立つとしても本人にその気と覚悟があるかどうかで結果はまったく違ってくる。だから言いっぱなしになるがそれは承知しなさい。
分裂症というのはいわゆるゴミバコ病名であって、とりあえず分かんなかったら分裂にしておけば扱いが楽だというのはHiroさんも承知しているはずである。だったら誰かが「分裂病」と診断したものをわざわざひっくり返してリスクを負おうなんていう医者がいることを期待するほうがバカというものだ。だいたい連中が医者になるためのどれだけの金と時間と労力をかけてきたかを想像してみるといい。その結果手にいれた地位を危険にさらすような真似はすまい。
だったらまるっきり手がないかというとそうではない。個人対個人で向き合うから相手にされないのであって、組織対組織の闘いになると連中は非常にモロい。なぜかというと連中の「医師」という肩書は組織によって支えられているからだ。
連中にとってあんたはただのガキだしただの患者でしかなく、連中は大の大人であり医者なのである。個人と個人でぶつかったら負けは見えている。そこでまず「理想の患者」を装うことから始めるべきだ。そうしてなるべく大きな病院(大学病院」がベストである)でちゃんと診断を受けたいとかいって転院するのである。まさか病院長がいきなり出てくることはあるまいから、あんたの担当医はだいたい若造のはずである。
そうしたらあんたは「一人の患者と一人の医師」として相手と向かい合うのではなく、「分裂症と誤診されてしまったがために不利益を被った大勢の人々の代表」と「医学界を代表する窓口」として向かい合うことができる。この段階で自殺企図とか被害妄想とかが出てくると非常に不利になるから、それはあくまで「分裂症と誤診されてしまったがための苦痛」が原因だということにしなければならない。で、徹頭徹尾「自分の状態を正確に把握したい」というポーズを貫いて相手に協力するのである。で、相手の対応に不満があったら、あくまで正論を貫いて、まずは担当医、次に病院、さらにはその病院を統括する医師会相手に文書によって執拗に問い質すのである。もちろんあんたは自分のホームページを持っているのだからそれを活用するのは当然であり、マスコミを利用することだって可能である。ただし、その過程で「受信」と「受診」といったかな漢字変換の変換ミスにまで噛みつくような馬鹿な真似をしてしまったらすべてがパーである。あんたの医学知識をフル活用して、あくまでもっともらしい正論で相手を完膚なきまでに論破しなければならない。KILROYはただの「おたく」だから放っとくとして、あの「所長」のねちっこい押しの強さは見習うべきだ。
医者というのは徹底した上下関係の世界だ。若造なんていったら上からの圧力には簡単に屈する。連中は組織には逆らえない。だから動かすんなら上からだ。
あんたがイライラしているのは単に闘う手段がまったくないと思い込んでいるからにすぎない。みっともないから善意で助言してくれる奴にまで当り散らすのはやめろ。それはあんた自身にとっても不利になる。
ついでながら診療の際にはボイスレコーダーを用意して録音の許可を求めるという手がある。で、医師の発言に筋が通っていなかったら「それを文書にしていただけませんか? 他の専門家の方々の意見も伺いたいので」と質問しよう。拒絶されたら「では、こちらで文書を起こして提出しますので、それに間違いがなければ署名捺印をお願いします」と迫ろう。それも拒否したら「では、先程の発言は医師としての公式の発言ではなく、先生の個人的な意見と受取ってもよろしいですね? では、そのむね書き添えたうえで先生の上の先生にご意見を伺ってよろしいですね?」といった具合に徹底的に相手の言質を得るのである。これで相手が感情的にキレてくれたりしたらこっちのものだ。病院長・医師会・マスコミをフル活用して糾弾してやるがいい。同情などする必要はまったくない。彼は(彼女かもしれないが)医学の道を志した時点で社会的な責任を負っているのである。精神医学界の浄化のための捨て石になれたなら本望だろう。ただし、あんたは貴い犠牲を無駄にしてはならない。喧嘩は始めた以上は勝たねばならんのである。そのとき個人的な感情を出して足下を掬われるようなドジは踏まんように。
ただし、ここまでマキャベリストに徹することは人間なかなかできない。途中で日和るようなら最初から諦めることだ。中途半端な対応は最悪の結果を生む。それだけの覚悟がなかったら、せいぜいおとなしく「いい患者」を演じていることである。ブチ切れるのはいつでもできる。
Mr.Moto
すごい久しぶりにカキコします。
明日いよいよ精神科に行ってASかどうかの診断をしてもらいます。
私は海の向こうにすんでいるのですが、ここではまず一般開業医の紹介状が
ないと専門医の診断が受けれないので、
その一般開業医のところに先月いったのですが
うまく自分の症状を先生に伝えることができず(長文の会話とか自分の気持ちをあらわす会話ができないんです。私)
またその先生も知識不足のようでしたので、紹介状に症状を詳しく
書いてもらうことができませんでした。
明日精神科の先生に症状をちゃんと説明しないといけないのですが
できるかなー?とっても心配です...
すみません、独り言でした。
でもカキコしたことでちょっとは心配が払拭されたみたいです。
おじゃましました。
マザー wrote:
>2・HiroのHPに書かれていたとおもいますが、Hiroさんは、通院医療費の公費負担(自己負担5%)を受けておられます。なぜ公費負担の申請をこの病院で受けられたのでしょうか?誤診だと思っているなら申請を出される前に(紹介状)書いてもらいべつの病院で、も一度診断を受けるべきだったのではないでしょうか?
>私が医療事務をしていた経験からもうしますと精神疾患の患者さんの病院の重複は危険を感じます。必要以上の薬を手にする事になりかねません
>まず前の病院で紹介状をもらいましょう。紹介状には主治医の所見と処方した薬の内容が書かれるはずです。それとHiroさんは、未成年のようですしHiroさんが書かれた文面からして精神の不安定さをかんじます。必ずご両親と受信してください。
>まず前の病院で紹介状をもらいましょう。紹介状には主治医の所見と処方した薬の内容が書かれるはずです。それとHiroさんは、未成年のようですしHiroさんが書かれた文面からして精神の不安定さをかんじます。必ずご両親と受信してください。
>
病院を変えたのは3回目です。
一回目で強迫神経症との診断で、長期治療が必要との事だったので
32条(公費負担)を申請しました。
その後、ロールシャッハとかいうテストを受けさせられて”分裂”となってしまい
突然のことだったので、「こんな病院やめてやる!」と言う感じで転院しました。
そのときに紹介状を書いてもらいました。
(そのときは、通院が困難と嘘をついて転院)
ところが、新しい病院では不思議な質問をされました
「電波や悪口が聞こえることはありませんか?」とか
「●●させられるような体験をしたことはありませんか?」…その他
変だとは思ったのですが、一応聞かれたので、全て無いと答えました。
ところが、クスリの量(製薬会社が違っても同じモノ)を若干調整されただけで
処方は、前と変わっていません。
医者に聞けば、それは薬が効いている証拠だと言われ、聞き入れてくれません。
一度、誤診されてしまえば、もう訂正の聞かないアリ地獄に陥ったようです。
診断書を書いてもらって転院を2回やってみましたが、いずれも失敗でした。
それでも、前の病院の診断書が必要だと言えますか?
HPの自己診断では、境界型人格障害とかうつ病とかいろいろ当てはなりますが
本当の症状は、わかりません。
”両親”と言う書き方は非常に不愉快なので、やめてください
失礼ですが、本当に医療事務の方でしょうか?
「書かれた文面からして精神の不安定さをかんじます。」
「必ずご両親と受信してください」とありますが
”受信”と”受診”の違いが分からない方に、他人の「精神の不安定さ」が分かるのでしょうか?
「ばかちょん」の、「ちょん」の由来が、わからない。
「馬鹿でもちょんでも」と使われるくらいだから、少なくともいい意味ではありえない。「ちょん」というのは「程度の軽いさまを表わす語」だと辞書には載っていて、続けて「ちょっと足りない人」のことを「ちょん」と呼ぶとも書いてある。
「ばかちょん」の「ちょん」は、読点(「、」)から転じたものだと説く人もいる。ところが句読点を打つという習慣が日本で定着したのは文明開化以降のことなのに、それ以前に「馬鹿だのちょんだの」という言葉がちゃんと使われている例がある。それは一八七〇年というから明治三年、仮名垣魯文という人が書いた『西洋道中膝栗毛』だ。念のために言っておくと、もちろん『西洋道中膝栗毛』にも、句読点はまだ使われていない。
『ちょん』というのは『朝鮮ないし朝鮮人を表わす蔑称』だという説もある。だけど、仮名垣魯文の生きた江戸末期から明治時代初期に、朝鮮人に対する蔑視があったとも思えない。
「どうなんですかね? これ」
「少なくとも、『ちょん』の語源が『読点』だという説は無視していいでしょう。だいたい、読点というのは普通『テン』だし」
慎重派の納屋さんにしては、わりと大胆な発言である。
「句点は『マル』ですね。だけど、『丸』なのに、どうして句『点』なんでしょうね」
「日本語の句読点はカンマとピリオドを日本式にアレンジしたものだから。ピリオドは点でしょう?」
「そうすると、明和とかその時代には、もう句読点が存在してた可能性はありますね」
「明和っていうと、田沼意次の時代ですね。だけど、なんで明和なの」
「前野良沢を中心とする翻訳グループの『ターヘル・アナトミア』翻訳が明和年間だからです。もともとカンマとピリオドが含まれてるオランダ語の文章を、句読点のない日本語にいきなり翻訳することはないでしょう? 下訳の段階ではカンマやピリオドを含めた形で直訳しておいて、完成原稿の段階で、もっとこなれた日本語に改めるというのが合理的だと思うんですけど」
「確かに『わからんマーク』の轡十文字みたいに翻訳段階で記号は活用してたわけだし……というか、漢文のヲコト点なんかは江戸時代以前から使われてただろうから、句読点に類するものは江戸時代以前からあったんだろうな。ただ、『ちょん』という呼び名が普及してたかどうか……『ちょん』という言葉には、あまり学問の匂いというのがせんでしょう。欧文を翻訳するような知識人は漢文の素養があっただろうから、そういう言葉は使わなかったように思うんですけど」
「なんと言っても、『ちょん』ですもんねぇ……」
「擬声語や擬態語は幼児語に多いから、『大人の風情』から遠ざかっちゃうんだろうな。私も『ちょん』という言葉が使われてる専門語というと、『バカチョン・カメラ』以外に思いつかない」
「『バカチョン・カメラ』って、専門語ですか?」
「フール・プルーフ、フェイル・セイフ、予備知識不要、マニュアル不要。それで一丁前というか、そこそこ恰好のつく写真が撮れる。『バカチョン』っていうのは、工学技術者にとってひとつの理想なんですよ。バカチョン楽器、バカチョン・コンピュータ……技術者にとっては、いまだに見果てぬ夢です」
「なるほど。じゃあ、専門語以外だと?」
「『ちょん』の入る言葉っていうと……『ちょんちょこりん』という髪形がありますね。ポニーテールのずっと短いようなやつ」
「『ちょんちょこりん』には『ちょっと足りない』みたいなイメージがありますよね? 『寸足らず』というか。だから、このあたりが『ちょん』の語源だとは考えられませんか」
「それは『ちょん』自体の問題ではないんじゃないかな。むしろ、『足りない』『不足している』っていうのを表わしているのは、リズムだと思う。『ちんちくりん』とか『つんつるてん』とか、そっちの系列で。だから、『ちょん』は短くはあるけど、足りなくはない」
「だけど、『ちょっくらちょいと』みたいなのがあるから『ちょ』だけでも『少し』っていう意味があるのは確かですよね。『ちょっと』とか『ちょこっと』とか、『ちょろり』とか『ちょぼちょぼ』とかもあるし」
「『ちくと』『ちくっと』『ちびっと』なんていうのもあるね。だから、『ち』だけでも『少し』という意味があると考えたほうがいい」
「なるほど……あ、肝心なの忘れてた。拍子木の『ちょん』」
「あれも擬声語ないし擬態語なんだろうけどさ、あれは『短い』じゃないだろう。『ちょん切る』とか……『決着がつく』の意味のほうの『ちょん』のような気がする」
「『ちょんの間(ま)の遊び』っていう、言葉、ありませんでしたっけか」
「ありますね。落語にはときどき出てくるけど、最近じゃ放送倫理の関係上、ほとんどの廓噺は寄席まで出向かないと聞けない」
「どういう意味です?」
「いわゆるショートという奴です。遊郭で、エッチだけして出てくるという。一階の張り店で敵娼選んで、遣手婆に声かけると遣手婆が線香一本立てて、それで二階へ上がると蒲団がいくつも並べて伸べてあって、間に衝立で仕切られてるの。それでコトに及んでですね、コトが済むと下りてきて勘定を済ませるという。つまり制限時間が線香一本分というのが、『ちょんの間の遊び』」
「なんか、陰湿っていうか、陰惨な感じですね」
「実際はそうでもなかったらしい。初見の客はほとんどいなくて、男のほうがその日の仕事が終わってから店の前通ると、馴染みの女の子が『ちょっと上楼(あが)ってかない?』みたいに声かけて、まず一風呂浴びて一日の汗を流して、それで一戦済ませて出てくるという。『ちゃんとした女遊びはまた別の機会に』みたいなニュアンスがあったんじゃないかな」
「ふぅーん」。知らなかった。「男のひとって、そういうので欲情できるんだ」
「―そこへ来るとは思わなかったな。だけど、『ちょんの間の遊び』の『ちょん』はまた意味が別のような気がするんだよね。『ちょっとの時間の女遊び』っていうんだったらさ、女遊び全体を『ちょっとの時間』でしないとおかしい」
「だって、そういう場所って、要するに男の人がエッチしに行く場所なわけでしょう?」
「べつに風俗産業を擁護するわけじゃないけどさ、風俗産業全般に通じるテーマというのは、『恋人感覚』なんですよ。人間の性欲というのは、つまるところ幻想に支えられているわけで、その幻想を満たしてあげないと、人間というのはセックスができない。SMクラブなんて風俗産業の中ではもっとも先鋭的ではあるけれど、逆にセックスはなかったりするんだよね。イメージ・クラブなんていうのもそうだしさ。だから、けっきょく遊郭というのは、文字通り『遊ぶ』ところなんだよね。セックスというのは、あくまで『おまけ』なんですよ。芸者の中には、逆に『芸は売っても身体は売らない』というのを看板にしてた人もいたわけだし。だから、女郎が客を『振る』ことも許されてたわけです。本来『おまけ』だったからこそ女郎の自由裁量に任されてたし、『売春婦』っていう陰湿さっていうのともある程度距離があったわけです。『振らない』のを売りにしてた場所というのもあったんだけど、そういう所は普通の遊郭よりもだいぶランクが下がるんだよね」
「そういうので、お客さんとかって納得したんでしょうかね?」
「落語の世界では、『もてない客』っていうのが笑いの対象になってたわけで……社会的に、そういうものだと思って納得しなきゃいけない世の中だったんだろうな。けっきょく、日本の社会は本来女性中心なんだよね。だから歴史的にいうと、男が『女性を振る』っていうことは、ありえないわけ。『振る』のは常に女性の側なんです。日本は妻問い婚だから女性の側に求愛の主導権があって、女性が男性に『通ってきなさい』って声を掛ける。女性が男性を呼ぶから、『呼ばひ』。『よばひ』に『夜』に『這う』という字を当てるようになったのは、明治以降なんです。『呼ばれた』から『忍んでゆく』というのが正しいありかたなわけですよ。男性が呼ばれても忍んでゆかないというのは、女性に対して非常に失礼なことなわけですよ。逆に『振る』というのは商売女のすることであってね、素人の女性はそういうことはしないわけです。『呼んだ』場合は『する』のが前提ということになる」
「男性から求愛する場合は、どうするんですか?」
「それとなく『呼んでください』という意思表示をするんだけど、それでも駄目なら泣き落としです。相手の女の家へ行って、『入れてくださぁい、お願いしまぁす』っていってめそめそ泣くの。だから、平安時代の貴族なんていうのは男のくせにじつによく泣く。で、当時の女性というのはそういう男性を可愛いと思ってたわけですよ。だから、ついほだされて、呼び入れてしまうという。『そんなとこで泣いてるとみっともないから、早く入んなさい』って」
「『甘えさせてあげたいタイプ』というのが、理想だったわけですね。ところで、相手の男性がこっそり忍んできた場合、相手をどうやって確認するんでしょうか。昔は夜なんか真っ暗でしょう?」
「だから、お互いに歌を詠み交わすわけです。あるいは香の匂いで識別する」
「そうか、平安朝というのはそういう世界だったんだ」
「……で、なんの話をしてたんだっけかな」
ときどきこういう形で話題がどっかへ行ってしまうことがある。これを電算業界では、スタック・オーバーフローと呼んだりするのである。
「『ちょん』の用法には、どんなのがあるかという話、だったと思いますけど」
「読点の『ちょん』……は別にして、『バカチョン』の『ちょん』、『少し』の意味の『ちょ』から派生した『ちょん』。で、『ちょんの間の遊び』の『ちょん』、と」
「『ちょんまげ』の『ちょん』というのは何なんでしょうかね。『ちょんまげ』というのは、『読点のチョンに形が似ているところからそう呼ばれている』という説が一般的みたいですけど」
「『ちょんまげ』っていう言葉は江戸時代からあった言葉でしょう。さっきの話だと、江戸時代には句読点はあっただろうけど、『ちょん』とは呼ばれてなかっただろうというのが一応の推論なわけですよ。そうすると『ちょんまげ』の『ちょん』は読点ではありえない。『ちょん』は『ちょん』でも、読点以外の『ちょん』でしょうね。で……あれだな、いちばんの難題というか、例の事の本質にかかわる奴。『ちょん』というのは『朝鮮ないし朝鮮人を表わす蔑称』だという、あの説」
「実際に蔑称として使われてたというのは、間違いないんですよね?」
「そこがまたわからないんだ。『蔑称として用いられてた』というのまでは認めるんだけど、『�朝鮮ないし朝鮮人を表わす蔑称として�用いられてた』かどうかとはまた別の問題でしょう。それに、『朝鮮ないし朝鮮人を表わす蔑称』だったら、普通は『鮮』ないし『鮮人』じゃないですか? だいいち、�朝�の字を『ちょん』と読む例を、私は聞いたことがない」
「納屋さんが知らないだけで、日本のどこかではそう言うとか?」
「そういう事実があったら、どこぞの人権擁護団体が真っ先に発掘して指摘するでしょう。そういう決定的な証拠が見つからないから、ずっと水掛け論になってるわけだし。むしろ、人権派の人たちが『ちょん』は朝鮮ないし朝鮮人を表わす蔑称だということを言いだしてから、そういう意味で使われるようになったという、因果関係の逆転がありそうに思う」
「じゃあ、『ちょんまげ』というのが、『朝鮮風の髷』だということは、ありませんか。『ちょん』から『ちょんまげ』が派生したんじゃなくて、逆に『ちょんまげ』から『まげ』が落ちて『ちょん』が派生したとか」
「だったら、ちょんまげではなく揚巻のことを言うでしょう」
「揚巻って、朝鮮風の髪形なんですか?」
「揚巻は『総合』の『総』に、『角』という字を書くことがあるでしょう。朝鮮には同じ字を書いて、『チョングァ』と読ませる髪形があります。結婚前の男性の髪形なんだけど、そこから転じて、『青二才』とか『半人前』という意味で使われてるそうです」
「なるほど。独身男性のことを『チョンガー』っていうのは、そこから来てるんだ」
「最近は単身赴任者のことも言いますね。札幌なら札チョン族、福岡なら福チョン族とか。だけど、朝鮮語の『チョングァ』の語感と、日本語の蔑称としての『ちょん』の語感って、明らかに違うんだよね」
「そういえば、日本語の蔑称としての『ちょん』って、いままで検討してなかったですね。あたしは聞いたことないんですけど」
「辞書には『程度の軽いさまを表わす語』というのと『ちょっと足りない人』というのが出てますけど、『程度の軽いさまを表わす』のは『ちょ』の部分だろうし、『ちょっと足りない人』といえば、『ちょん』よりも『天保銭』だと思うんですよ。ちなみに天保銭というのは、松平定信が発行した程度の悪い百文銭で、質が悪いもんだから百文に少し足りない九十六文とかで取引されてたという奴です」
「『天保銭』って、うちのおじいちゃんも使ってました。悪口って、なかなか死語になんないんですね」
「『昼行灯』とか『蛍光灯』とか『瞬間湯沸器』とか、その手の悪口はテクノロジーの進歩と無関係に現役だもんな。『ちょん』にしたって、悪口だからこそ語源がわからんという部分もあるし」
「元の意味がわかんなくなっても、悪口としては生き残ってるっていうことは、ありますもんね。『アホ』や『バカ』がまずそうだし」
「そうなんだよな……だけど、『ちょん公』に関しては、起源らしきものはあるんだよね。紙芝居に『チョンちゃん』というシリーズがあるんだよね。加太こうじの『黄金バット』や水木しげるの『墓場鬼太郎』みたいに有名じゃないけど。で、その主人公のチョンちゃんというのが、おっちょこちょいでちょっと足りないような男の子なわけ。だから、俗にいう『ちょん公』というのは、この『チョンちゃん』から来てそうな気はする」
「それ、逆でしょう? 今は『ちょん』の語源について論じてるんですから」
「うーん……だから、何といったらいいのかな。悪口っていっても質が違うような気がするんですよ。民族差別っていうと、『嫌悪』ないし『排除』でしょう。私の感覚でいうと、『ちょん』というのは『軽視』ではあっても『軽蔑』ではないんだよね。半人前、半端者、おまけ……そういう感じなの」
「違うと思うけどなぁ……」。なんとなく納得できない気がする。
「しょうがない。原点に帰ってみよう。辞書にはなんて出てるんだっけ?」
「カッコして、芝居の始まり・終わりなどのカッコとじ、拍子木を打つこと。または、その音。文例が、『ちょんになる』。何かの事情で終わりになる、首になる。句読点や、何かの印。その場面で頻出する字の代用記号としての『ちょん』―」
「―ちょっと待て。辞書は何使ってる」
「『新明解』ですけど」
「それ。それ正解。『ちょんまげ』の『ちょん』は、続き記号の『ちょん』」
「続き記号に限定する根拠は? 『ちょん』はただの点だから、いろんな意味に使うと思いますけど」
「だってさ、続き記号の『ちょん』って、打ってから撥ねないか? つまり、『あゝ』とかの『ちょん』。わかんないかな」
打って、撥ねる。なるほど。
「……確かに。形もちょんまげに似てますね」
「『べくはい』って、知ってるか?」
「いえ、全然」。いきなりである。
「こういう字だ」。『可盃』。「九州地方で宴会に使う杯でさ、高台がなくて下が尖ってる。だから、『下に置けない』。それで『可杯』。候文の『べく』は、必ず後に続く文章がある。したがって、『下に置けない』」
「それが?」
「続き記号って、それだけじゃ役に立たんだろう。『ちゃんとした文字』にくっついて、はじめて役に立つ」
「そうか、それでなんだぁ!」
「半人前、半端者、見習い、おまけ、要するに、全部そういうことだろう。独り立ちできないから、『ちょん』」
「うんうん、わかるわかる」
「だからさ、『ちょんの間の遊び』っていうのも、これなんだよ」
「それは違うんじゃないですか? だって、『ちょんの間』っていうのは、単に『ちょっとの間(あいだ)』っていう意味でしょう」
「いや、必ずしもそうとは限らない。まず、『ちょんの間の遊び』以外に『ちょんの間』という言葉が使われてる例を、私は知らない。だから、『ちょんの間』というのは、『少しの時間』じゃなくって、もっと使う機会の少ない、限定された意味だと思うんだよ。したがって、私が思うに、『ちょんの間』というのは『付属した部屋』ではないかと」
「『間』というのは、時間を意味するんじゃなく、『部屋』を意味するんだと」
「料亭にしろなんにしろ、芸者遊びをする部屋の隣に、蒲団を敷いた部屋があるでしょう。あれが本来の『ちょんの間』なんじゃないかな? 芸者遊びにおいては、エッチは本来付属物でしかないと。つまり、『本来の芸者遊びをする部屋』つまり『本間の遊び』に対する『ちょんの間の遊び』。だから、エッチだけをするのが『ちょんの間の遊び』だという解釈はじつは間違いであって、むしろエッチという行為そのものを指すのではないかと(註)」
「うーん―可能性としてはありますけど―どうなんですかね。その解釈だと、本体があって、付属物があるから、それで『ちょん』なわけでしょう? だけど、『ちょんの間の遊び』っていうと、やっぱり行為だけが独立してる感じがあるじゃないですか」
「売春っていうのが性欲の処理だという観点から見ると、どうしてもそういう感じを受けるよね。だけどさっきも言ったようにさ、日本の文化の中で考えると、そういう純粋な性欲の処理行為としての売春は、売春の中でもいちばんランクが下だという扱いになってるわけ。遊郭における様式っていうのは、中世の宮廷の結婚式をそのままなぞってる形になってるし、これも繰りかえしになるけど、現代の風俗嬢にしたって求められてるのは恋人のイメージだし。けっきょく、売春というのが擬似結婚ないし擬似恋愛になってるという了解が、日本の文化の中には連綿として存在するわけですよ」
「だとすると、『ちょんの間の遊び』っていうのは売春の中でもかなり暗いイメージのところに行っちゃうのが当然なんじゃないですか? セックスだけの結びつきなんだから」
「そこが悩むところなんだよな。なんかこう……男と女ってさ、人間的に深く関わってしまうと、そのぶんセックスが排除されちゃうようなところがあるでしょう。なんか、近親相姦みたいな気分になってしまうというか、『自分にとって大事な相手を、果たして性欲の対象に貶めていいのだろうか?』という罪悪感がある。擬似結婚だとか擬似恋愛だとかの関係だと、性欲が萎えちゃうんだよね。それでこう……人間的な結びつきを排除した純粋なセックス、みたいなところに走ってみたりするわけだよ。『ホテルかなんかで慌ただしくセックスするんじゃないと燃えない』というカップルは多いそうだし。ほのぼのしちゃうと、性欲というのはどっかへ行っちゃうわけ」
あたしと納屋さんの関係がさっぱり進展しない理由が、わかったような気がする。
「……あのぉ、変なことを思いついてしまったのですが、怒んないで聞いてくれます?」
「なんでしょう」
「納屋さんって、誠実すぎるところがあるじゃないですか。自己主張できないっていうか。だけど、あたしのためとかっていうと、何でもできちゃうっていう感じ、ありません?」
「そりゃまぁ……節を曲げるということはありませんが、優先順位という意味では」
「で、あたしも『自分』っていうものを前に出してどうこう、っていうの苦手でしょう? なんていうか、納屋さんのコプロセッサのような立場に、甘んじていたいという欲求は、あるわけです」
「それで?」
「だから、『ばかちょんカップル』とか……」
「……なるほど。」
(了)
註)
実際には、「料理屋」にあるのは「平(ひら)」の座敷だけで、泊りができない。それに対して「待合茶屋(単に「待合」ともいう)」には「平の座敷」以外に「枕席」(「かげ」ともいう)があった。
「料理屋」(仕出しが主)「待合茶屋」「芸者置屋」の三つが揃っているところを「三業地」という。品川から先、北品川から大森・蒲田にかけては、江戸時代からの有名な三業地であった。
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