アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: お久しぶりです 3862へのコメント
No.3956  Sun, 8 Apr 2001 02:25:07 +0900  JET [この発言にコメントする]

猫目4 wrote:
>JET さん
>
>なにはともあれ
>退院おめでとう。

@猫目4さん
 resどうもありがとうございます。

 いやぁ、それにしても、主治医に「リストカットはしてないか」と腕
をムンズとつかまれたり、プロバイダに関することで質問をされたまで
はいいとして、整形外科医や、しまいには、たまたま入院先の病院にや
ってきた、よその病院に籍を置いている精神科医までが病室に押しかけ
てきて、この病人(当時)相手に、最近の医療系ネット事情についての
説明会はおろか、謎のファイルの交換会(さらに「sakura.exe」
は持ってないかとまで尋ねられた)も強要(?)させられて、オレは患
者で、今ここにいるのは入院している病院でいいのだろうか? と大い
に悩んだことは事実です。
 まぁ、それがよかったのか、回復が早かったんですけどね・・・。

 でも一番凄かったのは、昨年末以来のにっくき「上司の上司」が、転
勤の挨拶に私の病室を、私がトイレに行っている隙に急襲したことで、
なんだか急に“いい人”然してしまっていたのを見た際、お前はドラえ
もんのジャイアンか?! と激しく思いました。

 http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html


Re:Re: 『にんげんゆうゆう』を見て(お決まりのつけたし) 3953へのコメント
No.3954  Sun, 8 Apr 2001 02:13:45 +0900  ひろた [この発言にコメントする]

自己レス
>え、日常と非日常がごっちゃのがアスペじゃないのか 自閉ファンタジーとかそうだろ!?

分かってると思うけれど本当に冗談なので気にしないでください あの文脈では論点もずれてます
ちなみに僕はこのような「〜なのがアスペでないの?」という物言いはここにいる人達を下手すると硬直させかねないので、そんなに好きではないです(というか気配りが必要な気がするで自分ではやりたくない)

ちなみにHP見れば分かりますが、ひろたは(昔は違いましたが)自分の事をアスペだとかADHDだとか名乗っておりません あえていうなら院生23歳♂@就職活動中/B型さそり座(^^; ここはアスペでないただの変な人もいていいところだと信じているので

以上自己レスでした


Re:Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3918へのコメント
No.3953  Sun, 8 Apr 2001 02:05:51 +0900  ひろた [この発言にコメントする]

ひろたです

>Mr.Moto>日常と非日常をごっちゃにしてはいかんぞ。

え、日常と非日常がごっちゃのがアスペじゃないのか 自閉ファンタジーとかそうだろ!?
(ってな、野次馬的ちゃちゃいれは止めといて 今回は真面目に論理的に引っかかったところを指摘してみまーす 指摘なのでレスはあ、そうかもなっ(でもだから)って思っただけなら不要なのです)

>>>>>>>>>>>>>>

Mr.Moto>
> セックスの最中に日常のコード(規範)を踏みはずすのはある意味で当然のことだが、日常のレベルでつきあっている友人に対してそれをやってはいかんのである。私にとってそれは不倫と同じ類の話なのだ。
そうだよね 不倫だと僕も思うよ ここでは、そう言う言葉遣いにしよう

Mr.Moto>
> だから、「よし、今夜は痛飲しよう」ということになって泣き・愚痴・ゲロの三拍子、みたいな「非日常」の世界においてならばそれは許されるのであるが、日常に戻ったらそれはすべて忘れねばならんのである。
痛飲は今の定義拡大的言葉ずづかいで、乱交といっていいのかな。 妻で無いのにいいのか? っとまずおもうわけですが、それは非日常であるから許されるわけである。というのがここの論理だろう。日本でも昔、祭りという非日常に乱交がおこなわれる村があったようだしね。
(しかしじゃあ痛飲の時はくっちゃっていいのか?って話題もあるけれど悪趣味だから省略。)

Mr.Moto>
> 酔った勢いで「あんな会社、いつだって辞めてやるぅ〜!」とか言った次の日に、希望退職者リストに載せられたりしたら堪るまい? そこにはおのずと非日常と日常との間の線引きというものがある。友人との会話が公になっても別に困らんが、寝室における夫婦の会話が表に出てしまったらそれは非常に不都合なのである。それは掲示板にアップしたメッセージが他の場所で引用されるのと、個人宛のメールが無断で公開されてしまったのと同じくらいの差がある。
>
信用を裏切る行為はよくない。コンテクストの読みあやまりも当人が悪いだろう。(今の例の逆に酒の席で誘われたのにそれっきりなんてのもあるだろうね)それはわからなかったではすまされないのは社会的にはきっと当然だろう。
しかし、
自分のある面がさらけ出されるのを恐れる事と、恥ずかしがる事、嫌悪する事、禁欲(禁止)する事とはすべて、全然違う話ではないのか。
逆の立場でいえば、他人のある面がさらけ出される事を、嫌悪する事、恐れる事、禁欲する事、禁止する事、恥ずかしがる事、これはすべて違う。

ある人は、親友と飲んで語り合うのは好きだが、繁華街に飲みにいくときは絶対誰も誘わず一人で行くという。つまり非日常に日常を入れたくないのだ。品性のある人ではないか。ここを非日常とみなしてる人でオフ会にはいきたくないって人もいるだろう。それも同じ事だよね。
僕は品性を持った凛とした人(例;飲み会でもしらふでいるような人)を尊敬するし惹かれる。なぜなら自分にはあまり無いものをもってるから。品性とは恥ずかしがる事ではないだろうか。(その品性を貶めたい感情が好きな人に対してたまーに沸く事は否定しない(^^;)


Mr.Moto>
> すなわち友人というのは日常を共有する相手であり、妻というのは非日常を共有する相手なのである。
>
程度によるが、それはあまりに禁欲的に過ぎるのではないだろうか。
似た理論で仕事と遊びを分ける人もいるけれどこれも禁欲的だと思う。これは両立させるのがプロの醍醐味だろ!? ちがうのか?
しかし、結婚したら妻一筋とおっしゃるKILROY氏に文化的に近いMr.Moto様が、このようなことを言うのはすごく分かる。逆に、僕は戦友のように「仕事」を通じた深い友情が日常を殆ど逸脱しない中での非日常体験であり、それなりに美化されてもいる現実があり、自分も、自分の人生の1ページに加えたいシーンと感じる感覚を持つからこそ、バイやフリーセックスに嫌悪感をそれほど抱かないとも言える。独我論までいかなくても、体験を重視する考えからは、現実に非日常だろうと日常だろうと体験が非日常であり、しかもその非日常体験(自閉ファンタジー;これは当然アスペでなくてもまれに体験する事はあるだろう)が相互に影響されあってるという信頼が相互に合って、甘美なものであればあまり違わないのではないかと思えるわけで。
僕は(他人の事までかまわないが、自分自身は)友情は恋愛のように、恋愛は恋愛のような友情のように経験できたら良いなと思うぴよさん wrote:
>友人についても、似たようなことがいえるかもしれない。
>なんて思ったりします。

僕はこれは自明性を疑えばまっとうな事だろうと思うが。
ポイントは「双方の合意と信頼関係があること」
さらに例外を除いては、双方ともにそれを望んでいる事が満たされるべきだろう。
それをしっかり確認しないで、相手へ要求したり、相手へぶちまけたりする事は強姦まがいである事は明らかだ。 ぶちまける事に対し、関連する人物がいれば、騒然信頼性も汚す事になる。これは社会的に害悪な行為(というより単純に人を傷つけやなおもいにさせるよね)であろうと感じる。

でもこれは関係者の合意があれば障害にならない事だ。もちろん、たいていの自明な事には人知の及ばぬものも含め理由があるのだから、ただ自分がもっとよくいきるためとかでなく「何の為に」という強い行動規範を持っていた方が良いと僕は個人的には強く思うが。

Mr.Moto>
> オフィシャルとパーソナル、パブリックとプライベートの区別はつけるべきだと思う。

人が法に傅くのではなく法が人に傅くのである

かつてある人物が休息日に相手の合意のもとで患者の治療という仕事をおこなった。一方当時、休息日に働いてはならない」という禁があった。これを破ったとして、彼が責められた時、彼が言った言葉だとされている。


場面場面で適切に、かつおそれず、自分の役割を果たせばよいではないか
品性の違う人同士がそれゆえもあってお互い尊敬しあい、友情や愛情を築く事はことはかなりよくある事であると感じるし


###
自分の話をしよう 僕はここに来るおむにさんがやってるチャットを日常からはなれた空間にしていた。日常は言えない想いをそこで話していた。それは恐れている事だった。でも恐れていると想いながら、そこに吐き出せば吐き出すほど、恐れが広がっていった。だから、今は僕はここは、非日常である事は確かでも、別に秘密にしない事にしている。それに、秘密にしなければ人の興味は急に薄れて、結局覗き見られる事は少ない。だからといって、逆に、きかれもしないのにチャットや自分のHPのアドレスを明かしたりはしない。なぜなら僕のそこへの書きこみの内容からそれは日記を見せるようなもので恥ずかしいし、悪趣味に感じるから。
###

禁止する事、恐れる事と恥ずかしがる事や嫌悪する事は違うのだ
(正直さを追求する事もこれを考慮すれば、ちょっとはうまくいくだろう。自分の相手への負の感情やその時点での評価を出す事を、相手をよく理解していない事と感じ、恥ずかしい事だと思うなら、止めれば言い訳である。ただ正直に振舞う事に関しては自分のなかではまだ未決の問題だが)

真面目モードでした
しかし、正論(の追求)は何も残らない気も一方でちょっとする。正論残って人残らず。ただの恐怖なのかもしれないが。


Re: アスペルガー共和国について 3948へのコメント
No.3952  Sun, 8 Apr 2001 01:57:32 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

さくらかのえさん wrote:
>国土と行政機関をもった「国家」ではなく、
>みなが固まって暮らすとかいうのでもなく(場所の選定だけでももめそうだ)、
>ゆるやかなネットワーク的なものがいいかも。
 いいですね、それ(^_^)。Motoさんに言っときます。

>思いつき・・・どこかの小国のように切手を発行して財源とするのはどうでしょう。
 所長さんによれば、実際に可能だそうです。
 個人で発行するのは条約上無理のようですが、キジル(黒沢明さんの『デルス・ウザーラ』の舞台になったあたりです)のような国は収入源がないため(なにしろ旧ソビエト連邦の外国人立ち入り区域にあったものだから、観光収入も稼ぎようがないんです!)、外貨獲得のために切手を発行する、ということをしています。で、国によっては、一定の比率のお金を払えば、その国の切手として承認し発行してくれる(とはいえその国で印刷するわけではないようですが)、というシステムがあるそうです(「そういえば日本の郵政省にも同じようなシステムがあったんじゃないか?」みたいな話をしてました。ただし企業向けなので、プレミアがつくことはめったにないそうです)。
 あとは企画力と印刷の質、ということでした。日本の切手というのはお札と同じ技術で印刷されているので世界的に評価が高いそうです。ですから、ちゃんとした技術で話題性のある切手を印刷して、どこかの国に認めてもらえば、あたしたちでも切手は発行できるそうです。でも、お金かかりそうですね。

 で、思ったんですけど、バンダナとTシャツと鍋つかみ、というのはどうでしょうか。

 ふつうのバンダナって、サイズが中途半端なんですよね。なんか、ちょっと大きめのハンカチくらいのサイズしかないじゃないですか。西部劇に出てくる列車強盗が使ってるようなおっきなバンダナって日本だとほとんど売ってなくて、たまに売っててもデザインが可愛くないでしょう?(所長さんは葛西臨海公園の、「まぐろ」柄のバンダナを愛用しています) だから、スカーフの代わりに頭にかぶったりするときに、サイズが足りないんです。
 で、そういうちゃんとしたバンダナで、『アスペルガー共和国』の理念を抽象的に表したオシャレな図柄をデザインしたものを作って、その理念に賛同したひとに買ってもらうんです。だから、アスペルガー共和国の「国花」とか「国鳥」とか「国蝶」とかも決めといたほうがいいですね。

 で、あとはTシャツ。プリントじゃなく染色で、何回洗ってもヘタらなくて、自然に優しいオーガニックのTシャツとかいったら、売ってないんですよね。メッセージTシャツっていうのは、だいたい安っぽぉーいのしかないじゃないですか。そういうの手描きでいいから作れないかな、と思います。

 で、最後のなべつかみ。ふつう売ってるなべつかみって、ミトンみたいな恰好してるじゃないですか。あれって使いにくいんですよね。「へび」みたいに、親指も他四本も区別ないくらい「がばっ」とつかめるのが欲しいと思います。で、実際の「へび」に忠実に、もうウロコの一個一個まで正確に描いちゃうの。

 ……だけど、「鍋つかみ」ってアスペルガーに何の関係もないですね。失礼しました。

 −Maria−


足力 3906へのコメント
No.3949  Sun, 8 Apr 2001 01:06:32 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

 えー、Joshyaでございます。前回御紹介いたしました「叩打法」、お試しいただけましたでしょうか。相手の筋肉がほぐれてくるのが如実にわかる、というのはけっこう面白いでしょ?

 ついでに前回書き忘れたことをひとつ。叩かれる側にも「構え」というのがあって、背もたれのない固い椅子に浅く腰かけて背骨をちょうどコインを積むように、力を入れなくても背筋を伸ばしていられるように真直ぐにします。で、頭のてっぺんを押し上げるような感じで頚を真直ぐにします。このとき、両肩を掴んで上半身を捻るようにゆらゆらゆら、とゆすぶってみて、振動がきれいに腰まで伝わってゆくなら……それって肩凝ってねぇって(^_^;)。

 で、次は台湾マッサージの定番、「足力(そくりき)」です。これはまあ相手にうつぶせになってもらって、相手に背を向けるように立って土踏まずをふみふみふみ、と踵で踏む、というだけのことだから、別に難しくもなんともありません。

 で、それが終わったら、今度は相手のほうに向きなおって足先のあたりに跪いて座り、相手の膝から下を起こします。膝直角、足首直角、よろしいですね? で、掌を上に向けて、相手の母指球のところを中指と薬指、小指の付け根を親指で持ちます。そうしたら相手の踵を左右にぶらぶらぶらぶらっと振ってあげます。これでふくらはぎの筋肉がほぐれます。

 つぎに、こんどは相手のつま先を伸ばし、手を百八十度持ち替えます。で、つま先がちょっと重なるようにして、相手のお尻のところにぎゅぅーっと押しつけます。そうすると、すねの部分の筋が伸びます。ぶらぶらぶら、ぎゅうううう、ぶらぶらぶら、ぎゅうううう。「おお、足が軽い」みたいな感じになるはずです。

 最後にひとつだけ、おまけ。まず相手にこっちを向いて、膝を立て、後ろに手をついて座ってもらいます。次に、相手の太ももの内側、膝からてのひらの巾ひとつ分くらいの凹んだところを探します。相手が素肌だったら、そこだけがほんのりと温かいのがわかるはずです。で、掌底で内側と外側から脚を挟むようにして、一円玉くらいの小さな円を描くようにぐりぐりぐりぐり、とマッサージします。くすぐったがりの女性にはとてもじゃないけどこんな真似はできませんが、十分にほぐれている場合は可能です。で、これを左右交互に三十秒くらいやっていると、相手の女性が困ったようなヘンな表情になるのが分かるはずです。じつはこの部分、動脈が皮膚のすぐ下を走っているので、交感神経叢が密集してるんですね。ですから総頸動脈洞と同じく、以前に説明した「ドリル舐め」のポイントであります。マジな話、頭抱えて声をあげながらのたうち回っちゃうというくらい効きます。「女性に犯される」という貴重な体験をしたい男性がおられたらお試しください(^_^!)。なお、「風俗行ったのねっ! そうでしょっ!」と問いつめられる可能性も高いので、この書込みのプリントアウトをあらかじめ用意しておくことをお勧めします。(←ここまで書いていいのか?)
 なお、このポイントは対人地雷によって膝から下がふっ飛んだ、みたいな場合の止血ポイントです。覚えておいてあんまり役に立つもんでないけど、救急法の教科書には載ってます。


Re: アスペルガー共和国について 3927へのコメント
No.3948  Sun, 8 Apr 2001 00:08:08 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

ぴよ wrote:
>もし、アスペルガー共和国ができたら、どんな国になるでしょう。

ASの人はそれぞれが個性的で「自分の世界」をもっていてこだわりも強そうだから、
集まって一緒になにかしたりするとトラブルが起きそうな気もするけど、
義務的なことを最小限にして
(それこそ「人を殺さない」とか「暴力をふるわない」とか)
あとは好き勝手やっていいなら、気持ちよく過ごせるかもしれません。

国土と行政機関をもった「国家」ではなく、
みなが固まって暮らすとかいうのでもなく(場所の選定だけでももめそうだ)、
ゆるやかなネットワーク的なものがいいかも。

思いつき・・・どこかの小国のように切手を発行して財源とするのはどうでしょう。


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3942へのコメント
No.3947  Sat, 7 Apr 2001 23:40:17 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

くるとさんwrote:
>すみませーん。できればコメントを短くまとめていただけませんか?
>仕事や家事の合間にコメントを書いているので、長文を熟読するのが困難
>な状態なんです。誤読が多くてご迷惑をおかけします。

> KILROYさんのコメントは非常によく考え抜かれているので、参考になる
>ことが多いです。わたしにもうちょっと文章読解力があればきちんと理解
>できただろうに、と残念に思います。(くると)

 えー、この発言にうまく答えられる適当なスタッフが大森総研にはいないようなので、あたしが代わりに発言させていただきます。(どきどき。ちなみにあたしはJoshyaさんの片割れであるMariaです。)

 じつは、あれほど豪放磊落に見える大森総研メンバーですが、特に「所長」さんと「KILROY」さんに関していうと、文章を書くのにとても臆病なところがあるため、ついつい文章が「厚く」、つまり「あらかじめツッコミが入りそうな部分については細かくフォローし、本来必要のない部分まで細かく書込んでいる文章」を書くことになってしまいます。ですから、今後はなるべく

1)冒頭に概略をまとめた形で結論を示す。
2)JoshyaさんとMr.Motoの出番を増やす。

ということで対処をしてゆきたいと思います。ですから、くるとさん他のメンバーの皆様にも、

1)所長とKILROYの文章はもともとくどいものだと諦めていただく。
2)JoshyaさんやMr.Motoの文章で意味が通りにくいところがあったら、あまり深く悩まないでさっさとツッコミを入れる。

という形で御理解をいただきたいと思います。

 じつはあたしたちの生みの親である所長さんの文章というのが、もともとはワン・センテンスがすごーく長くて、やたらにカッコが入るという、「高密度文体」だったんです(現在のMotoさんの文体がかなり近かったりします)。で、「分かる人には分かる」という感じの、かなり強引な文章を書くひとでした。で、それは大規模ソフトウェア開発の現場の状況をおもしろおかしく(つまりは問題点を角が立たないように)伝えるのに効果があって、一緒に仕事をしているプログラマーさんたちにも好評でした。もちろん普通の文章も書くひとで、ビジネス関係や技術関係の文書は、ちょっと重いけど現在のKILROYさんのような文章でした。
 ですけど、その所長さんのドライブ感あふれる高密度文体によるレポートが、上のほうの人に睨まれちゃったんですね。「センテンスが長くて分かりにくい」「過激だ」「ひとりよがりだ」みたいなことを言われて、さんざん上司の人に虐められたというのがあります。で、その結果が現在の所長さんの、ワン・センテンスが短いぶつ切り文体、なおかつ接続詞が多く、細かく説明の入る文体だったりするわけです。

 所長さんの文章は、つまるところ「揚げ足取りのされない文章」「誤読を許さない文章」「反論をあらかじめ封じる文章」という、散々ないじめを受けた結果歪んでしまった、けっこう痛々しい文章なんです。で、Joshyaさんの文章というのは、そのリハビリを兼ねて書かれている、みたいなところがあります。ここ一ヶ月ほどこの掲示板にいろいろ書かせてもらったおかげでだいぶ癒されたようで、所長さんとJoshyaさんの文体はなんとなく近づいてきました。

 そう、問題は文章の長い短いでしたね。
 論旨だけするするっと書いてしまえば、確かに短くはなるんです。Motoさんの文章なんかは独断と偏見に基づいてばっさり斬るのが身上ですから、それに近い文章になります。ですが、それだと「具体的な例が思い浮かばない」みたいな苦情が来たりもするわけで、そうした具体的な例をパターンを変えて三つは挙げる、あるいは一つの単語だと曖昧になりそうな場合は対句を用いる、というのが所長さんのスタイルです。なにしろ「素人にも分かる文章」を書く、という、テクニカル・ライター、マニュアル・ライターの仕事が所長さんの役割でしたから。

 ところが、世の中には言葉尻を捉えていろいろ変なことを言ってくる人(本質的な議論、というのだったら反論も歓迎するんですけどね)というのがいるんですよ。そうすると、「Aである」と書いたら、反例とみなされそうな場合についていちいち「そうじゃないんだ」みたいなことを書かねばなりません。所長さんやKILROYさんの文章がくどいのは、そういうところを丁寧に書込んでいるからなんです。同じ長さでもJoshyaさんやMotoさんの文章は話題がコロコロ変わるので、「長い」という感じがしません。ですが所長さんやKILROYさんの文章は、ひとつのことをあーでもないこーでもないとひねくり回している感じがあるので、くるとさんが呆れるのももっともなことだと思います。

 そう、それからもうひとつ考慮しなければならないことがあります。掲示板に対する書込みというのは、少なくともメンバーの八割くらいには了解可能でなければならず、しかもRESの場合は相手にも分かり、そのRESだけを見ている人にとっても分かりやすく、なおかつ直接引用はなるべく減らしたい(同じ文章を何度も読みたい人はいないでしょうから、まず相手の発言の要旨をかいつまんで説明して確認を取る、というのがひとつのスタイルになってます)といった制約があります。

 ……ふぅ。なんだかこのメッセージ自体が長くなってしまいましたね(^_^;)。

 で、そんなわけでNo.3558にあるような理由もあって、「キャラの使い分け」を行なうようになりました。誰もMr.Motoに「言ってることがよくわからない」とは言いません(「それはあんたがバカだからだ」と言いかえされるに決まってますから)。あるいはJoshyaさんに「あなたの考え方はひとりよがりだ」とも言いません(「そうだ」と返事されるだけですから)。ですが、KILROYさんの文章はそのまんま専門雑誌に引用されても通用するくらい技術的な内容についてはつっこんだ考察がされているし、所長さんの文章は新聞や一般向けの雑誌に使えるくらい、「わかりやすい」文章になっているはずです。

 本当は、あたしが喋ればいいんですけどね。多少、お馬鹿な発言をしても許してもらえる立場ですし、所長さんにとってもそのほうが楽ですから。ですが、所長さんやKILROYさんはこの掲示板ではけっこう頼りにされているので、あたしが喋っちゃうと、なんか発言が無責任、みたいに言われてしまうと思います。この掲示板のメンバーはみんなあたしが本来オトコであるということをご存知なので、いっそKILROY名義で喋るのをやめちゃおうかとも思うんですが、そうすると前のほうのLOGを読んでいない人に「ネカマに騙された」とかいって怒られちゃう可能性もあるので……

 そんなわけで、以上のようなことでお許しくださいませ。へこへこ(←頭を下げている)。

 −Maria−


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3925へのコメント
No.3946  Sat, 7 Apr 2001 21:17:59 +0900  くると [この発言にコメントする]

さるすべり(百日紅)さん wrote:
>「枠組み」って言うか、私は最近こんな風に感じています。モード切替をして調整>する。ここは割と「ふつう」に振舞ったほうがいいとか、ここは自分そのものでい>いとか。気持ち的には、ふつうモードのときも、「これは本当の自分でなく、生き>残りのためだ」と割り切っているから問題なし。私は。

 うーん。一回、自然体にふるまうことを覚えてしまうと、それが難しくなってしまうんですよねー。でも、自分を見失わない程度に顔を使い分けることができるよ
うになることは大切だと思いますよ。(なんせ、塾で働いているもので、演技ばか
りしていて…)

 でも、ふつうモードをよく使っている立場から言えば、本当に他人に心が開けなくなっていくのがよくわかります。(くると)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3926へのコメント
No.3945  Sat, 7 Apr 2001 20:52:56 +0900  くると [この発言にコメントする]

武田好史さんwrote:
> 子供の時からそうでした。
> きっとその女の子も、本当は「欲しい派」だろうと思います。
>おそらく、その子なりの「ポリシー」に適合する相手がいないの
>で、失望のあまり「友達なんかいらない!」といってしまったん
>だと思いますが・・・・・・・・・

 これはわたしの理解不足でした。普段、いわゆる「普通の人」
の言葉のウラを読むことに必死になっている割には、AS児の言葉
のウラを読むのがおろそかになっていました。

> ただASの場合、<「何かを継続していく」「求めにに対して
>適切な対処をする」「周りの状況に対して行動を調節していく」
>という機構がうまく働かない→「社会性がない」などといじめら
>れる・「つきあいが悪い人だ」と敬遠される→ストレスがたまり
>社会から脱落する→独り身が気楽だと感じだす>といった感じで、
>「友達が欲しい」といった、本来人間がもっているはずの本能的
>な願望が抑制されてしまうのだと私は思います。
 

 なんか自分のことを言われているような気分でした。(笑)でも
今回の一連のコメントのやりとりを経て、武田さんのおっしゃる事
がよく理解できてきました。とても人懐っこいコメントをくださる
方が多くてうれしかったです。(くると)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3935へのコメント
No.3944  Sat, 7 Apr 2001 20:33:57 +0900  くると [この発言にコメントする]

マザーさん wrote:
>番組のスッタフの方たちは、ASの子供の気持ちを分ってないって思
>いました。「一人で遊ぶのと、友達と遊ぶのとどっちがすき?」な
>んて質問は、なんか悲しいよ。

 そうか…。その女の子の言葉を言葉通りに捉えすぎていたわたし
も反省しなければなりませんね。

>普通の子供でも親友が、必ずいるとは限らないと思うし、なんか大
>人側が、”親友””親友”って事にこだわりすぎているように私は
>感じました。

 このこだわりはわたしも別の意味で不快感を感じていました。マザ
ーさんが言う「親友」は意識的に作ることができるものではないと思
います。「人と人のつながりは大切だ」という一般論を子供に押しつ
けすぎているような気がしました。

 


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3938へのコメント
No.3943  Sat, 7 Apr 2001 20:15:03 +0900  くると [この発言にコメントする]

ぽよ子さん wrote:
>自分ひとりの時間と、友達といる時間とは、私にとっては、持ちつ持たれつです。
>自分のバランスを取るために、両方が程よくあるのが好ましいです。
(中略)
>あと、話をしやすい(話の通じる)相手との会話は、
>私にとっては、自分の気持ちを耕す(整理する)働きがあると思います。
>話をしやすい相手との会話で、自分でも気づかなかった自分の考え方が
>ポロリと自分の口から出ることがあるので。
(中略)
>(でも、以上のような理由を省いたとしても、私にはそもそも、人と接したいという欲求があります。)

 アスペルガーの館に来ている人のイメージがだいぶ変わってきた感じが
します。イメージとは裏腹に、精神的に人懐っこい人が多いような気がし
てきました。(くると)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3928へのコメント
No.3942  Sat, 7 Apr 2001 20:05:37 +0900  くると [この発言にコメントする]

> KILROYである。
> やはり何か論点がズレている、と感じたので横レス、というか「斜めレス」である。

すみませーん。できればコメントを短くまとめていただけませんか?
仕事や家事の合間にコメントを書いているので、長文を熟読するのが困難
な状態なんです。誤読が多くてご迷惑をおかけします。

 KILROYさんのコメントは非常によく考え抜かれているので、参考になる
ことが多いです。わたしにもうちょっと文章読解力があればきちんと理解
できただろうに、と残念に思います。(くると)


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3935へのコメント
No.3941  Sat, 7 Apr 2001 19:02:55 +0900  くると [この発言にコメントする]

 くるとです。「友人」という言葉を適当に使いすぎていたので
少し、誤差修正をします。

 みなさんのコメントを見た結果、「友人」という言葉が大きく
分けて二種類の意味で使われていたことに気がつきました。

(1)一緒にいるのが楽しい友人
(2)社会性を身につける手段としての友人

 (1)は単に「一緒に遊びたい」とか、「一緒にすごしたい」
という純粋な理由で成立する友情です。コメントをしてくれたほ
とんどの人はこちらの友人をほしがっていることが理解できてき
ました。

 (2)は他者の評価を通じて自己点検できることを期待して成
立する友情です。(1)に比べるとより明確な目標性を持った対
人交流と言えるでしょう。友達ができにくい子供の支援プログラ
ムではこちらが重視されることになるでしょう。

 わたしは(1)については全く問題を感じていませんし、むし
ろいいことだと思っています。しかし、(2)については、考え
こんでしまいます。(1)は他人が強制することができませんが
(2)は強制することができてしまうからです。

 本人の意志を無視した友情のおしつけにはならないように注意
しておきたいと思います。  

 


  


Re: 私はいいです 3934へのコメント
No.3940  Sat, 7 Apr 2001 18:22:16 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

ぴよさん wrote:
>その話、乗ったです。
Mr.Moto>よし分かった(^_^)。
 じゃあ、早速いってみよう。まず、「帝政アスペルガー王国」ではいろんな活動をするのに不都合があるから、会社組織またはNPOにする。
 会社組織としては合資会社がいちばん設立に金がかからないので楽だ。とはいえ合資会社は無限責任社員というのが必要なので万一儲かっちゃったときに金銭上のトラブルでまずいことになる可能性があるから、なるべくなら有限会社にしておきたい。なにしろうちには所長やKILROYがいるのである。うん千万とかうん億とかいった仕事を引っ張ってきて平気で納めちゃう連中だから、そういうゼニカネの問題はしっかりしておきたい。
 とはいえ営利団体とかいうとあまり世間のおぼえがよろしくない。面倒臭いがNPOで立ち上げるのが理想だろう。で、いずれにしろ定款というものが必要になってくるのである。

 まず目的。「心身障礙者の生活支援および自立支援」。これなら文句はなかろう。
 次に名称。「帝政アスペルガー王国」ではまずいので、「ヘヴン」(「天」あるいは「天国」)と称する。ギリシャ語で「ウラナス」というのも考えたのだが、なんかよく分かんないのでパス。
 「その行う特定非営利活動の種類および当該特定費営利活動に係わる事業の種類」というのは、「情報提供、および発達障害児教育用ソフトウェアおよび障礙者向けユーティリティ・ソフトウェアの開発・開発支援・配布、心身障礙者およびその家族の交流の支援、およびそれに付帯する業務」くらい言っとけば問題なかろう。
 「主たる事務所およびその他の事務所の所在地」は東京都大田区大森某所の大森総合研究所でオッケー。
 「役員に関する事項」は……インプレスの取締役の井芹さんとか、コンピュータ・グラフィクスの権威・大村皓一先生とか……(人間、いろいろと貸しは作っとくもんである)
 「会議に関する事項」については……オンラインの投票システムを開発する必要はあるものの、おおむねなんとかなりそうに思う。
 「資産に関する事項」に関しては……AS傾向の人間には銭勘定に細かい奴が多いから、たぶん公認会計士の資格を持った奴くらい見つかるだろう。
 「収益事業を行なう場合には、その種類その他その収益事業に関する事項」については、とりあえず「出版業およびソフトウェア開発および開発支援」でオッケー。
 「解散に関する事項」に関しては「解散後の資産は『アスペ・エルテの会』に帰属」くらいにしておけば問題なかろう。べつにアムネスティ・ジャパンだろうがなんだろうが一向にかまわんのだが。
 あとは「定款の変更に関する事項」と「公告の方法」だけれど、これはネット上の合議制でなんとかなると思う。

 ……といった話なのだが、本当にマジでやっちゃうぞ。

Joshya wrote:
>ううううう、神よ、叶ふことならこの苦き盃を取りのけ給へ。
ぴよさんwrote:
>まぁ、どっちでもいいんじゃないの。
>神様って、気まぐれな奴だからね。

 『「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願いとどおりではなく、御心のままに」』
 − 『マタイによる福音書』、第二十六章三十九節

> ”Joshya Xet、アスペルガーの王”(←分かんないってば by KILROY)

 『ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に架けた。それには「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は、「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた』
 − 『ヨハネによる福音書』、第十九章十九−二十二節

猫目4さんwrote:
>ところで
>>Joshya
>って誰でしょうか?
 救世義也(くせ・よしや、Joshya Xet)。『ふたりで聖書を(GOSPEL ACCCORDING TO LOVERS)』(明窓出版、本体一六〇〇円)の著者。

 『あたしと納屋さんは、半年ほど前に「イエス・キリスト」名義で『消された聖母 − 「ヨハネによる福音書」の謎』という題名の一冊の本を出した。あたしたちが福音書を本格的に読みはじめたのがほぼ一年前だから、けっこう無謀である。

 著者名が「イエス・キリスト」そのままでは、あまりに挑戦的である。だから表紙にある著者名は、「救世義也」。上に「くせ よしや」、下に“JOSHYA XET”と振ってある。
 「救世」は、もちろん「救世主」と訳されるギリシャ語の「キリスト」、あるいはヘブライ語の「メシア」(どちらも「油を注がれた者」の意)に引っ掛けてある。
 「義也」は、「彼はまことに義の人であった」という、「ルカによる福音書」のキリストが処刑される場面で百人隊長ロンギノスが呟いた言葉から取っている。「義」というのはロゴスに従うことをよしとする精神であり、「義の人」というのは「叡智(ソフィア)を愛する人」、すなわち哲学者(フィロソファー)に近い意味の言葉だとあたしたちは考えている。だからこの百人隊長が意識していたのは、「神の子・救世主イエス」ではなくて、「悪法も法なり」という言葉を残して毒杯をあおったソクラテスかもしれない。それはイエス先生自身が、過酷な運命をしばしば「杯」にたとえていることとも結びつきそうな気がする。
 日本人が普通に使っている「イエス」という呼び方はギリシャ語からの音訳である。これに対して「ヨシュア」はヘブライ語からの音訳である。
 “Xenon”は「クセノン」と発音するし、“XE”が「クセー」と流れてしまわないように‘T’はサイレントというつもりで、“XET”と書いて「くせ」。‘X’は喉の奥から出る「カ」と「ハ」の中間くらいの音に対応し、「クリスマス」を“X’mas”と表記するのと同様にX・R・Sの音を当てることも慣例的に行われている。したがって“Xt”と書けば、これだけで「クリスト」とか「ハリスト」と読んで、キリストの意味になる。

 “JOSHYA X(RS)ET”。正確には、“JOSHUA XRIST”。こういう仕掛になっている。』
 − 同書より


はじめまして!
No.3939  Sat, 7 Apr 2001 18:20:23 +0900  keisyu [この発言にコメントする]

私以外にもACと、アスペが似ていると思っている人がいたんだ!

私は、ACです。でも、記憶が飛んでいて、あまり実感がなかったので、(虐待の)自覚しだしたのが、最近です。

私と感覚が似ている人と、7年前に結婚し、5年前に子どもが生まれ、その子が高機能の自閉症でした。
そして、なんと主人は、アスペでした。

なんて、非社会的で、素敵な家族!?

でも、世間でいわれるような、暴力など無く、子どもは、自閉症にしては珍しいといわれるほど、人と共感する喜びを知っています。

うちは、一つの文化です。


Re: 『にんげんゆうゆう』を見て 3903へのコメント
No.3938  Sat, 7 Apr 2001 18:14:32 +0900  ぽよ子 [この発言にコメントする]

くると wrote:。
> もし社会的評価の観点を無視した場合、みなさんは本
>当に友達を必要としていますか?それとも、1人で生き
>ていくことを望んでいますか?

私は、友人は必要です。
自分ひとりの時間はとても大事だけど、
友達といる時間(社会的な時間)が無いと、自分ひとりの時間が充実しない。

でも、仕事しちゃうと自分ひとりの時間が全然足りないので困る。

自分ひとりの時間と、友達といる時間とは、私にとっては、持ちつ持たれつです。
自分のバランスを取るために、両方が程よくあるのが好ましいです。



あと、話をしやすい(話の通じる)相手との会話は、
私にとっては、自分の気持ちを耕す(整理する)働きがあると思います。
話をしやすい相手との会話で、自分でも気づかなかった自分の考え方が
ポロリと自分の口から出ることがあるので。

人は苦手だけど、でも人と接していなければ見えなかった事が、
今までにたくさんあります。



(でも、以上のような理由を省いたとしても、私にはそもそも、人と接したいという欲求があります。)

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