アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Moto氏 wrote:
> 男にとって友人というのは、つまるところライバルである。自分を認め、尊重し、あるいは尊敬し軽蔑し、あるいは憧れあるいは憎み、競い合う友人である。けれど女性にとっての友人は、もちろんライバルとしての相手はいるにせよ、基本的には自分の弱い部分、情けない部分を受け止めてくれる相手であるように思う(男の場合は、それは妻ということになる)。
ここなんですけど、Joshyaさんが、こんなことを言っていました。
> 女性諸氏に言っておく。男だって「イッたふり」くらいすることがあるのだぞ。そんなわけで、お互い「かくあるべし」みたいな感覚からは自由にな
ったほうがいいと私は思う。
友人についても、似たようなことがいえるかもしれない。
なんて思ったりします。
Mr.Motoだっ!
何かこう論点がズレてきているような気がするぞ?
くるとさんwrote:
> ASと診断された小学6年生の女の子が登場した。彼女
>は小学校で友達と遊ぶことができず、1人で遊んでいる
>ことが多いそうだ。両親は心配しているのだが、本人は
>「1人で遊んでいる方がいい」と言ってあまり気にして
>いない。
私も『にんげんゆうゆう』は見たのだが、確かに両親の「顔を覚えている子はいるけれど、名前を覚えている子がいない。友達ができるといいと思う」みたいな配慮は単なる「おせっかい」にしか思えなかった。
所長はIQ百五十以上とかいう奴だったから、学校の同学年の連中は馬鹿でガキとしか思えなかったと言っている。それに、いちいち気を使ってつき合ってやってメリットがある相手とも思えなかったというし、そもそもクラスのその他大勢はガキ大将にけしかけられて所長を虐めてた連中だったそうだから、そういう連中にわざわざ頭を下げて「お友達」になってもらって何かいいことがあるとも思えない。
中学時代はいろいろと複雑だったらしいが、高校に上がってからはいずれ劣らぬ個性的な連中……というか一癖も二癖もある連中がゴロゴロしていたせいで、初めて「同年代の人間を尊敬し、何かを学ぶ」という体験をしたという。所長にとってはそういう相手こそが「友人」なのである。
その意味でこの掲示板にはtoriちゃんやらななはさんやらXanadiiやらみどりちゃんやらぺりこさんやらさくらかのえさんやBISがいる(そうそう、るnoつくひとさんも忘れてはならない)。こうして並べてみてやたら女性が多いのは偶然ではないように思う。男は上下関係で人間関係を測るのに対し、女は遠近関係で人間関係を測る。所長にしろKILROYにしろJoshyaにしろ、立場としては参謀役ないし女房役である。相手が女だったら多少ブスだろうが年増だろうが子連れのバツイチだろうがガキだろうが、嬉々として尻に敷かれているのがあの連中である。けれど相手が男だったらこうはいかない。いかにNo.2に徹しようとも、力のありすぎる奴は警戒され、殺されるのである。もちろんそうでない友人もいる。けれどもそういう友人に自分の弱いところは見せたくないのである。
男にとって友人というのは、つまるところライバルである。自分を認め、尊重し、あるいは尊敬し軽蔑し、あるいは憧れあるいは憎み、競い合う友人である。けれど女性にとっての友人は、もちろんライバルとしての相手はいるにせよ、基本的には自分の弱い部分、情けない部分を受け止めてくれる相手であるように思う(男の場合は、それは妻ということになる)。
で、彼女が必要としているのは、あるいは彼女にとって必要なのは何なんだ?
たぶん両親が求めているのは、「彼女を思いやってくれる相手」なのだと思う。けれど、たかだか小学校六年生にそれを期待してしまうというのはどっかおかしくないか。それよりも、ご近所に住んでいるちょっと変わり者だけどオピニオン・リーダーであるじーちゃんばーちゃんのほうがなんぼかマシなんではないか。そういう人たちは「友達」ではないのか。私はそう問うてしまうんだよね。
けっきょく、あのご両親というのは、「年相応のお友達」を求めているだけなのだと思う。「それが悪いとはいわない」と書こうとして思いとどまった。そういう「普通」にしがみつくことが、かえって彼女を苦しめているんじゃないだろうか。
人を指さしてはいけない、というのは「常識」である。だけど「常識」であるがゆえに誰も疑わない。しかし、しかしである。その「自明性」に疑問を持つのがASではないのか。
彼女が「あの人デブ!」と指差すから困る、と彼女の母親は言っていた。けれど「デブをデブと言ってはいけない」というのは、逆にいえば「あたしはデブじゃないと駄目なの! ああ、なんて愛らしいデブなの!」みたいなデブ専の女性を抑圧することでもある。中世ヨーロッパにおいて「デブ」は美だった。美女は三段腹でなければいけなかった。
「ねーねー、あのお姉さん綺麗だね」と子供が言ったからって、責める奴はめったにいない。なのに「デブ」はだめだというのは何かおかしくないか。「おい、あの女すげぇ胸だな」と言われて、自慢に思う女性と「バカだと思われるからヤだ」という女性がいるはずなのだが、何がなんでも「巨乳は美点である」と思わなきゃいけない、というのはどっかおかしくないか。「真面目」や「優等生」が侮蔑の対象でしかない今の世の中の現状を、どう説明するのか。妊産婦が「立派なお腹ですね」と言われるのは、ほんの二十年くらい前までは褒め言葉だったような記憶がある。けれど現在は「意外に目立たない」というのが褒め言葉であるらしい。
それを考えると、私はあの女の子を責める気にはまったくならない。それより、彼女のところに行って「私をあなたの友人として認めていただけないだろうか」と彼女の前にかしずいた方がなんぼかマシ、という気がする。
所長に「友達というのは必要なもんだろうか?」と質問したところ、「尊敬し学ぶ相手としての友人はとりあえず間にあっている。けれど自分を預けられるような相手はおらず、しかもかつてそういう相手に、最悪の状況で見捨てられた体験があるので、どうしても臆病になってしまう」ということだった。
たぶん彼女は味方であるはずの親や教師や同級生に裏切られるという体験を重ねてきたのだろうと思う。「みんな『いい子』になりたいんだ」と醒めた目で世の中を見ているのかも知れない。
「俺はあんたを裏切るくらいなら死んだほうがマシだ!」という相手が一人いれば、女は幸せになれるとオレは思っている。だけど小学校六年生、で、たかだか同じ学校のオトモダチである。期待するほうが馬鹿なんじゃないの?
「友人」というのはそんなお手軽なものではない。
『本当の意味での友人というものは、その体重と同じだけのダイアモンドと同じ価値がある。』
− ウォルフガング・ロッツ (イスラエルの諜報部員)
(Mr.Moto)
> 「学問」というとやたらにお高く止まった印象があり、プロ以外の人間は手を出してはいけないような印象があります。ですが、民俗学の南方熊楠や折口信夫、菌類学の今関六也ほか、アマチュアの貢献には多大なものがあります。現在でも日本菌類学会、日本蛾学会、日本天文学会など、アマチュアによって支えられ、世界的な権威として認められている研究集団が存在するわけです。
>
> 「財団」として認められようと思うと大変ですが、「学会」の旗揚げ自体はとにかく会則を作って「学会」を名のって学会誌を発行すればそれで済んじゃいます。「日本ラーメン学会」だろうが「日本カレー学会」だろうが「日本豆腐学会」だろうが「日本アスペルガー学会」だろうが、作っちゃえばいいのです!(ラーメンとカレーと豆腐はすでに存在する可能性があるからまずいかも)
「日本泥だんご科学協会(Association of Nippon Doroーdango Science、略称ANDS、日本語呼称:アンズ)」とか。
http://www2.ocn.ne.jp/~tutimizu/
くるとさん wrote:
> もし社会的評価の観点を無視した場合、みなさんは本
>当に友達を必要としていますか?それとも、1人で生き
>ていくことを望んでいますか?
友だちはいらないが、こちらが話したいときに相手をしてくれて、
面倒なことを手伝ってくれたりやってくれたりする人がいると便利だと思う。
(使用人がほしいのかも・・・)
@武田好史さんへ。
以前、ご質問の「障害者手帳をお持ちの方に、お尋ねいたします」の件について、再びカキコいたします。
ようするに「社会参加に失敗し、いわば万策尽きたような人達」は、このようなネットワーク環境にあることじたい、とても稀なことだと思います。そのほとんどは、能力に見合う適切な教育を受けられなかった人達で、年齢的にも、経済的にも、デジタル・デバイドの向こう側にあるからです。たとえばグループホームには高機能の自閉症の方が多数、いらっしゃいますが、今のところ、個人がネットを使えるようなグルホは恐らくないと思います。もしあったとしても、手帳を持つ方は障害が重いので、自閉症の場合だと、ここに書き込むことも無理っぽいかもしれません。
ですからそ質問の件は、むしろオフラインで当たってみられることをお勧めしたいと思います。
わが国の自閉者の手記の一つ「変光星」(当ハンドルとは無関係)の巻末の解説の情報は非常に不正確で当てにはなりません。(森口さん、河野さん、ご覧でいらしたらごめんなさいね。)
くるとさん、こんばんは。
>成人LDのくるとです。
>もし社会的評価の観点を無視した場合、みなさんは本
>当に友達を必要としていますか?それとも、1人で生き
>ていくことを望んでいますか?
確かに1人が楽です。でもやっぱり、たとえ同じ価値観でなくても
リラックスできる間柄なら、友達は欲しい。
今は一応こんな私でも付き合ってくれる複数の友達が少し居てくれます。
1人で生きて、生き抜く力を持った方が良いのかもしれません。
でも、好きな人と話したりするとやっぱりほっとするし、生活がオレンジやピンク色やペパーミントグリーンで彩られ、嬉しいです。
昔もそうだったんですが、最近特に周りの雰囲気や気持ちが色彩で感覚的に
自分の中に現れるようになりました。そういうケースもあるのでしょうか?
Joshya>ちなみに、こんな感じです。
『醫心方』 巻第二十八 房内 (抜粋)
五徴第七
玉房秘決云。黄帝曰、何以知女之快也。素女曰、有五徴五欲又十動。以觀其變。而知其故。
〔玉房秘決に云ふ。黄帝曰く、何を以て女の快を知るや。素女曰く、五徴、五欲、また十動有り。以て其の變を觀、其の故を知る。〕
夫五徴之候、一曰、面赤即徐徐合之。二曰、乳堅鼻汗、即徐徐内之。三曰、喉乾咽唾、即徐徐揺之。四曰、陰滑、即深之。五曰、尻傳液、徐徐退之。
〔夫れ五徴の候(あらわれ)は、一に曰く、面(かお)赤くば即ち徐徐に之を合わす。二に曰く、乳堅く鼻に汗すれば、即ち徐々に之に内(い)れる。三に曰く、喉乾き唾を咽(の)めば、即ち徐々に之を揺(うごか)す。四に曰く、陰滑らかなれば、即ち之を深くす。五に曰く、尻に液傳われば、徐々に之を退く。〕
五欲第八
素女曰、五欲者以知其應。一曰、意欲得之、則屏息屏氣。二曰、陰欲得之、即鼻口兩張。三曰、精欲煩者、振掉而抱男。四曰、心欲滿者、即汗流濡衣裳。五曰、其快、欲之甚者、身直目眠。
〔素女曰く、五欲は以て其の應を知る。一に曰く、意之を得んと欲すれば、則ち息を屏め氣を屏む。二に曰く、陰、之を得んと欲すれば、即ち鼻口兩(とも)に張る。三に曰く、精煩わんと欲すれば、振掉(しんたく)して男を抱く。四に曰く、心滿たんと欲すれば、即ち汗流れ、衣裳を濡らす。五曰、其の快、甚しからんと欲すれば、身は直にして目は眠(つむ)る。〕
十動第九
素女曰、十動之効、一曰、兩手抱人者、欲體相薄陰相當也。二曰、伸云其兩腿者、切摩其上方也。三曰、張腹者欲其洩也。四曰、尻動者快善也。五曰、擧兩脚拘人者、欲其深也。六曰、交其兩股者、内痒淫々也。七曰、側揺者欲深切左右也。八曰、擧身迫人淫樂甚也。九曰、身布縦者肢體快也。十曰、陰液滑者精已洩也。見其効以知女之快也。
〔素女曰く、十動の効(しるし)は、一に曰ふ、兩手で人を抱く者は、體の相(たがい)に薄(つ)き、陰の相(たがい)に當るを欲するなり。二に曰く、其の兩股を伸云(のば)すは、其の上方を切摩せんとするなり。三に曰く、腹を張る者は、其の洩らさんと欲するなり。四に曰く、尻の動く者は快善なり。五に曰く、兩脚を擧げて人に拘(から)む者は、其の深きを欲するなり。六に曰く、其の兩股を交ふる者は、内痒く淫々たり。七に曰く、側(よこ)に揺する者は、深く左右に切するを欲するなり。八に曰く、身を擧げて人に迫るは、淫樂甚(はなはだ)しきなり。九に曰く、身を縦に布(のば)す者は、肢體快なり。十に曰く、陰液滑かなる者は精已(すで)に洩らすなり。其の効(しるし)を見、以て女の快を知るなり。〕
九氣第十一
玄女經曰。黄帝曰、善哉。女之九氣何以知之。玄女曰、伺其九氣以知之、女人大息而咽唾者、肺氣來至。鳴而吮人者、心氣來至。抱而持人者、脾氣來至。陰門滑澤者、腎氣來至。慇懃人咋者、骨氣來至。足拘人者、筋氣來至。撫弄玉莖者、血氣來至。持弄男乳者、肉氣來至。久與交接□、其實以其意感其意、九氣皆至。有不至者、即容傷。故不至、可行其數、以治之。
〔玄女經に曰く。黄帝曰く、善哉(よきかな)。女の九氣を何を以て之を知らん。玄女曰く、其の九氣を伺い、以て之を知る。女人大息して唾を咽(の)むは、肺氣の來至(いた)るなり。鳴らして人を吮(す)ふは、心氣の來至(いた)るなり。抱きて人を持すは、脾氣來至(いた)るなり。陰門滑澤なるは、腎氣の來至(いたる)なり。慇懃(ねんごろ)に人を咋(くら)ふは、骨氣の來至(いた)るなり。足にて人に拘(から)むは、筋氣の來至(いた)るなり。玉莖を撫弄するは、血氣の來至(いた)るなり。男の乳を持弄するは、肉氣の來至(いた)るなり。久しく與(とも)に交接し、其の實(じつ)を以て其の意に感ずれば、九氣皆至る。至らざる有れば、即ち傷(しょう)を容(う)く。故に至らざれば、其の數を行ひ、以て之を治(ち)すべし。〕
*原典で用いられている異体字は、これを尊重する。
*JIS第一水準・第二水準に複数の字体(正字・旧字)が含まれている場合、字義の推定しやすさを考慮し、正字または旧字を用い、別に説明を記す。
例)万→萬、応→應
Joshyaである。
チ○○マさんwrote:(本人の名誉のために一部名を秘す……ってムダか(^_^;))
>女だって「イッたふり」くらいすることがあるのだぞ(笑)。
わはははははははは、そんなものが私に通用すると思ったかぁっ!(←何を威張っとるのかなこの男は by 所長)
平安時代の医学書で、『医心方』という本があります。遣随使・遣唐使が持ちかえった医学書の内容を科目別に分類・整理したもので、その中でも特に第二十八巻の『房内』編は、「最古にして最強のセックス・マニュアル」として有名だったりします。ちなみに「世界で一番売れたセックス・マニュアル」は、アレックス・コンフォートの"The Joy of Sex, A Gourmet Guide to Love Making"、1972で、1972-1973に『かもめのジョナサン』と並んでアメリカの大ベストセラーになりました。
本屋に行けば、セックス・マニュアルの類は何冊も並んでいます。ところがその内容たるや、古典中の古典である『医心方』を超えるどころかはるかに後退していると言わざるを得ません。まったくもって情けないの一語に尽きます。
で、その『医心方・房内』には、女性の状態をどこで知るか、みたいなことがことこまかに書いてあったりするわけです。平安時代と違って現代にはアダルトビデオというものが存在するわけで、おかげさまで女性がイッてるかイッてないかはほぼ確実に分かってしまう、ということになり、現在では「アダルト・ビデオはレズ物に限る!」と断言するようになりました。
『医心方』の凄いところは、セックスにおける最大の要点は、「男女の信頼関係」であると断言しているところです。これは心理学におけるラポールに相当するんですが、これを『医心方』では「和志」と呼んでいます。で、面白いのはこの『医心方・房内』には「和を以て尊しと為す」という言葉が出てくることなんですね。聖徳太子の十七条の憲法には全く同じ言葉が出てきますが、なぜ「和を尊ぶべし」ではなくて「和を以て尊しと為す」なのかといえば、聖徳太子がこの『医心方』の原典にあたる随・唐の文献を呼んでいて、そこから文章を採った、ということではないかという説があったりします。「英語の勉強をするのに、英文のポルノを読む」というのと同じですね。
ちなみのこの『医心方・房内』は「皇家御用達の医学書」ということで、江戸時代の禁書令に引っ掛かることはありませんでした。したがって江戸庶民にとっては、ある意味「教養」だったということが分かっています。
現在、「仲間はずれ」の意味で使われている「蚊帳の外」という言葉は、江戸時代の都々逸である「入れておくれよ 痒くてならぬ 私一人が 蚊帳の外」が語源なのですが、この句がなんでそんなに有名かというと、「入れておくれよ 痒くてならぬ」というのにエッチな意味がある、というのが理由になっているんですね。
ところが女性が欲情した状態を表現する言葉というのは、ほぼ全世界的に「熱い」なんです。なのに、この都々逸では「痒い」と表現していて、なおかつそれがエッチな意味である、というのが一般常識として通用していた、ということが分かります。これは何故なんでしょうか?
じつは、『医心方・房内』において、この部分は「素女」という女仙人が語り手として登場している部分なんです。すなわち、「熱い」というのは男性の側からの感覚、「痒い」というのは女性の側からの感覚なんです。で、女性の立場からこういうことを説いている、という文献で、しかも有名どころといえば『医心方・房内』をおいて他にないわけです。
「学問」というとやたらにお高く止まった印象があり、プロ以外の人間は手を出してはいけないような印象があります。ですが、民俗学の南方熊楠や折口信夫、菌類学の今関六也ほか、アマチュアの貢献には多大なものがあります。現在でも日本菌類学会、日本蛾学会、日本天文学会など、アマチュアによって支えられ、世界的な権威として認められている研究集団が存在するわけです。
「財団」として認められようと思うと大変ですが、「学会」の旗揚げ自体はとにかく会則を作って「学会」を名のって学会誌を発行すればそれで済んじゃいます。「日本ラーメン学会」だろうが「日本カレー学会」だろうが「日本豆腐学会」だろうが「日本アスペルガー学会」だろうが、作っちゃえばいいのです!(ラーメンとカレーと豆腐はすでに存在する可能性があるからまずいかも)
この際だから「日本性文化学会」かなんか旗揚げしちゃおうかな (Joshya)
くると wrote:
> もし社会的評価の観点を無視した場合、みなさんは本当に友達を必要としていますか?それとも、1人で生きていくことを望んでいますか?
武田好史 wrote:
> 私は「友達欲しい派」です。
わたしもこっち。
こんにちは。ASのみどりです。
PHOO wrote:
>医師から抗不安薬(薬の名前は解かりません)を頂いています。
「頂いている」という受け身の態度は感心しません。
医師は薬を処方し、患者(又は 患者と家族)は薬を自分の稼ぎで買ってるわけで、
当たり前ですが、医者が自分のポケットマネーで薬をほどこしてくれているわけではありません。
そんでもって、何の薬か、どんな副作用があるのか、等も分からない物体を飲んでる(又は飲ませてる)のも大問題。
薬を「頂いている」なんて言っちゃう受け身の態度が、医師と患者の対等な関係を崩して
薬の名前すらも確認できないような雰囲気になっちゃってるんじゃない?
そんな事じゃ、困っていることの半分も伝えられてないでしょ。 治療の効果も半減しちゃいますよ。
>朝飲ませても、夜飲ませてもいい。と言われているのですが、朝立ち上がりの悪い彼には、いつ飲ませたらよいのでしょう?
私は精神安定剤と抗アレルギー薬を1日1回 飲んでますが、どちらも眠くなるので、昼間は飲まずに就寝前に飲んでます。
以前は別の精神安定剤を処方されていましたが、その薬は1日1回 就寝前だけに飲んでいたにもかかわらず
1日中眠くて起きていられなかったため、医師に報告して処方を替えました。
お子さんがその薬を飲んだとき、どういう作用がどれだけの時間持続するのか(飲む人毎に違うはず)をよく観察して服用時刻を決めるべきです。
薬の作用が1日持たない場合、寝るときに作用させたい(落ち着いて寝て欲しいとかね)なら就寝前に服用、
学校で落ち着いて勉強して欲しいなら、朝 服用、とかね。
眠くなったり鈍くなったりする薬は昼間居眠りしちゃうと困るので就寝前に服用、とか、
眠れなくなっちゃう薬なら 就寝前はマズイから 朝 服用、とかね。
医師の話をきちんと聞いて、分からないことは必ず確認して理解し、自分で考え、最終的には自分で決める、
・・・っていう気持ちでいないとね。
Mebius wrote:
>周囲の人間達が勝手に自分の都合の良いように理想を描きエゴを剥き出しにした結果です。
そういうこともあるのですね。私は周囲の人間のリサーチをしていました。
>父が死んで実家は完璧に崩壊し、私はようやく自由になりました。
わかるような気がします。
>幸せの形に理想形なんてありません。幸せだと思ったら、それが幸せ。
>時には崩壊した方が幸せな事だってあるのかも知れない。
ええ。
> <猫は初めて自分の猫になりました。
> 猫は自分が大好きでした。>
> ―「100万回生きた猫」より―
>
>
> 私は初めて“自分の私”になりました。
> 私は自分が好きになりました。
> ―Mebius―
Mebius さんのこと、私も好きになりました。今。この文章によって。更に。
とても有難うございました。お会いしたいです。
そんな訳で肩叩きである(ちなみに私はKILROYである。Mr.Motoから「川原泉のマンガのようにキャラの描き分けができておらんぞ」というお叱りの言葉を戴いてしまったので、少し気合を入れることにする)。
「母さんお肩を叩きましょ たん・とん・たん・とん・たん・とん・とん」
という歌があるのだが、実際には「たん・とん」では困るのである。「べしょべしょべしょ」「べとべとべと」「べけべけべけ」あるいは「ぺけぺけぺけ」が正しい。
そもそも「肩を叩く」あるいは「揉む」というのは何をしているかというと、阿部寛が出ている「はっ! ピップ・エレキバン!」のCMを見ていただくと理解できるはずである(ちなみに阿部寛はああ見えても『数学セミナー』にインタビューされるほどの元・数学少年だったそうだ)。つまり、筋肉というものは「筋膜」というチューブの中に入っており、筋肉は「縮む」というより「筋膜の中央部に寄る」ことで筋膜を外側に押しひろげ、その結果として両端が引っ張られる、というメカニズムになっているのである。
ところが筋肉に老廃物が溜まって腫れてしまうと、外側から筋膜によってギュッと締めつけられることになり、血管は押しつぶされ、さらに血流量が減って老廃物が溜まりやすくなる、という悪循環に陥ってしまう。これがいわゆる「筋肉の凝り」である。したがって、この筋肉の中の老廃物を「ぎゅっ」というか「じゅっ」というか、そういう感じで絞りだしてやらねばいかんのである。これを「叩く」ということで実現しようというのだから、なかなかに苦労があったりするのである。しかし、指で押すよりはだいぶ強力だというのと、「揉む」のと違って「叩く」のならくすぐったくない、という利点もある。ついでながらこれを覚えると手刀で鎖骨くらい十分にへし折れるようになるから、護身術の役にも立つとおもう。
で、まず基本姿勢。[_○_]←こういう恰好をしてみてほしい。指はまっすぐ伸ばして掌は真下を向く。両手はコの字になっているはずである。で、掌をぶらぶらぶら、と振って力が抜けているのを確認する。で、次に手首を後ろに振ってから、手首を前に振り出す。狙い目は、腕をまっすぐ前に伸ばしたときの、二の腕の真ん中くらいの距離である。で、それを空中で止める瞬間、手首を返して掌を立てるのである。そして掌が止まった瞬間、自然に伸ばした親指が目の前にまっすぐ立っていれば合格。
親指がちゃんと立っていないとすれば、それは脇が開いている。まず肘を前に出してから、後から手首から先がくるっと回転しながら当る感じ。それも、手首を意識的に回すのではなく、腕の捩れが手首から先に伝わる瞬間に、掌を立ててその捩れを掌に伝える、という感じである。
当てるのは小指の付け根、やや内側。ぷにょぷにょっとした肉の部分を、やや押しかぶせるような形で当てる。
これを何度か続けていると、手を空中に止める瞬間、指が「ブッ!」と風を切る音が聞こえるようになる。
で、これがある程度うまくできるようになったら、誰かの肩で試すことになる。狙う場所は肩甲骨と背骨の間。細かいことは追々分かってくるからいまは気にしなくていい。
いちいち大きくふりかぶってたら大変だし、だいいち叩かれるほうが死んじゃうから、実際にはせいぜい二十センチくらいのストロークで、とん、とん、とん、とん、といったテンポで叩く。で、その間毎回掌は往復百八十度回転をしているのである。これは熟練者がやると傍で見ている人間がそれに気づかないくらい早い。指先の位置はほとんど変わらず、手首だけが往復する。「なんか手首が忙しく動いているのだが、どうやって叩いているのかよくわからん」という感じである。
最初のうちは、どすどすどす、と重苦しい音しかしないはずである。それは腕の重さが伝わっちゃってるからだ。そうではなくて、手首から先だけを「投げつける」感じ(慣れると、指を除いた掌の部分だけが動く感じになる)で、スナップを利かせて叩くこと。だかだかだか、と固い音がする場合は、指に力が入っている。ぶらぶらぶら、と手首を振って力を抜こう。
さて、こうやって人の肩を叩いていると、そのうちに場所によって「あたり」が違うことに気づかれたことと思う。ゴムのようにぶりぶりと弾力がある部分、そこは凝ってないから叩く必要がない。水の入った風船のようにぶよんぶよんしている部分、そこは腫れているから叩いてはいけない。固くなった餅のような、あるいは砂の混じったアスファルトのような、ベタベタザラザラした粘土(油粘土ではなく、陶芸用の粘土)のような感触の部分、それだ!それがまさしく「凝り」なのだ! なにやら衝撃が吸い込まれるような部分。そこが狙い目である。
こういうのは物理の方でいうと、「伝達関数」といのの差、ということで説明される。弾性だとか粘性だとか塑性だとかいった言葉があって、弾性が弱いと腫れていて粘性が強いと凝っていて、塑性が強いとむくんでいる、みたいな感じである。冒頭に掲げた擬音というのは、この伝達関数を音で表すとどうなるか、みたいな話である。カンカン、コンコン、といったのは弾性が強く、べちょ、べと、は粘性、ずぶずぶ、ぐずぐず、だと塑性。
で、太極拳という拳法は中国武術の中でも八卦掌と並んでひときわ粘っこい拳法として知られていたりする。ボクシングのパンチや空手の突きは、あんまり肩叩きには向いていない。
で、これ以外に「骨でもないんだけどカチンカチン」みたいな部分があるはずである。それはもう凝りが鉄板肩・海亀の甲羅背中状に固まっちゃった部分だから、力まかせにぶっ叩こうものなら内出血を起こす。こういう部分は回りのちょっと柔らかいところを少し削っちゃあ中心部を軽くぱたぱたぱた、少し削っちゃあ軽くぱたぱたぱた、をくり返し、老廃物をちょっとづつちょっとづつ外に流してゆくのである。
こうなると、叩くテンポもリズミカルになっているはずである。ぺけぺけぺけ(軽く叩いて感触を見ている)、べけべけべけべけべけ(ちょっとほぐす)、べけっ!べけっ!べけっ!(重点的に凝っている部分を重点的に狙って潰す)、べけべけべけべけべけ(老廃物を押しながす)、ぺけぺけぺけぺけぺ(仕上げ)、といった明確なリズムが生まれてくるはずである。肩叩きの上手い奴は音を聞いただけでわかる。
肩叩きの場合は肩から先だけで打つのだけれど、武術として使う場合は足から拳まで「捩れ」を一気に伝えるので、「水に濡れた猫が全身の水を振り払うような動き」に見える。ふつう、太極拳というとゆっくり動くだけでとても武術には見えないのだけれど、陳式太極拳では要所要所に「だかんっ!」と地面を踏みしめる音が入り、すうっ、と腕を伸ばしたところで「わさっ!」と身体が震える。どこかで見る機会があったら、「なるほど、これか」と思っていただければ幸いである。
なお、陳式太極拳は肩叩きで感触をつかんでおけばテキストを見ながら自己流でコツコツやってもそれなりに身につく(武田鉄矢に蟷螂拳を教えた松田隆智(まつだ・りゅうち)先生の『秘伝 陳家太極拳 老架式』がお勧め)。なにせ陳式は指導者が少ないので、所長氏はまず楊式で基礎を固め(困ったことに健康体操化しちゃってるんで武術的要素がごっそり抜けおちている)、テキストを頼りに独修し、「ちょっとは齧った」みたいな人を端から捉まえちゃあ教えを乞い、みたいな形で苦節十年、ついに余鳳翔先生(ベースボール・マガジン社から本出してます)とその奥さんにたどりついたときには、とりあえず中級の上くらいまでは到達していた、という何だかよくわからない経歴の持ち主である。
というわけで、あとは実際に叩いてみるだけである。「うーむ、肩叩きとはこれほどまでに奥が深かったのか」と思い知っていただきたい。成果報告を待つ。
くると wrote:
>成人LDのくるとです。
>> もし社会的評価の観点を無視した場合、みなさんは本
>当に友達を必要としていますか?それとも、1人で生き
>ていくことを望んでいますか?
> ちなみに、どちらの答えが正しくて、どちらの答えが
>間違っているということはありません。「友人に囲まれ
>ながら暮らしていきたい」という気持ちも、「1人で静
>かに暮らしていきたい」という気持ちも、しょせんは同
>じ価値しか持っていないと思います。(くると>
>
私は「友達欲しい派」です。将来は、願わくばASの人たちが支え合い・周りの人と協力し合って生活できるような、例えば「グループホーム」みたいな場所で生きていきたいという、「独り身派」がウニになりそうな願望を持っています。
けど、自分は人を養う「かいしょう」がないので、一生伴侶とか子供は持たないつもりです。
ぴよ wrote:
>春風の中で昼寝のぬいぐるみ
春眠や 起きてみれば 昼下がり
苗伸びよ 祈りて待つ 春雨を
世をはなれ 感性でみる 花の群
成人LDのくるとです。
おとといの夜、NHK教育テレビの『にんげんゆうゆう』
という番組を見ました。杉山登志郎先生やアスペエルデ
親の会の代表の方が出演して、ASの紹介をしておられま
した。内容の中でちょっとだけ気になったシーンがあっ
たので、コメントします。
(くるとが気になったシーン)
ASと診断された小学6年生の女の子が登場した。彼女
は小学校で友達と遊ぶことができず、1人で遊んでいる
ことが多いそうだ。両親は心配しているのだが、本人は
「1人で遊んでいる方がいい」と言ってあまり気にして
いない。
もし本人が「友達がほしい」と言っているのであれば
友達との遊び方は教えるべきでしょう。しかし、その女
の子は「1人で遊んでいる方がいい」と明確に意志表示
しています。
一般的に言えば、友達となかよく遊ぶことができる方
が社会的に評価されることが多いようです。わたしもど
ちらかと言えば、仲間をほしがってしまうタイプのLDで
す。しかし、「友達はいらない」という人に対して、自
分の尺度を押しつけることはできないと思います。
おそらくこの掲示板はASか否かに関わらず、対人交流
が苦手だった人が見ていると思います。そんなみなさん
にちょっと質問です。
もし社会的評価の観点を無視した場合、みなさんは本
当に友達を必要としていますか?それとも、1人で生き
ていくことを望んでいますか?
ちなみに、どちらの答えが正しくて、どちらの答えが
間違っているということはありません。「友人に囲まれ
ながら暮らしていきたい」という気持ちも、「1人で静
かに暮らしていきたい」という気持ちも、しょせんは同
じ価値しか持っていないと思います。(くると)
Moto wrote:]
>ぴよさんwrote:
>>Re^4: なぜ人を…(補)
> するとあなたはBASICプログラマ(^_^;)。
>>exp(5*ln(Re)): なぜ人を…(補)
> ちなみに所長は「Re**5」(-_^)b~*。(←古くて悪かったな by 所長)
>ぴよさんwrote:
>>=POWER("Re",6): (←違いげ) なぜ人を……(補)
>KILROY>syntax error: (引数の型の不一致)関数POWER()の第一引数は、
>整数または実数または倍精度実数です。文字列型変数は使用しないで下さい(^_^)。
プログラマ同士が内輪受けでジャレているというのも不快に思われそうなのと、ぺりこさんあたりに「違ぁーうっ!」と叱られそうなのでコメント。
まず、巾乗(べきじょう)をRe^4というふうにアクサンシル・コンフレックス(印刷業界では「ギュメ」といいます)を使って表すのがBASIC言語の流儀です。このBASIC言語はマンハッタン計画に参加したケメニーさんという数学者のひとと、もう1人の数学者のひとが共同で開発し、大学のTSSシステムで学生の演習用に使われました。で、ある学生がこのBASIC言語を使って「Star Trek」というゲームを開発し、それが学生の間で流行になりました。その後、インテル社に出向していた日本のビジコンという電卓メーカーの技術者・島正利の手によって世界最初のマイプロプロサッサ i4004が開発され、さらにi8080A、Z80が開発されるに至って、後に日本で「マイコン・ブーム」と呼ばれた「マイクロプロセッサを使用したパーソナル・コンピュータ」ブームが到来したわけです(私はパソコンという言葉が嫌いだ。だいたい七割が企業向けだろ? どこがパーソナルやねん、と言いたい)。
さて、そのマイコン・ブームの初期に、「マイコンでも『Star Trek』を遊びたい」というマニアの手によってマイコンに移植され(これを通称パロアルト版BASICといいます)、例の『請求書の門(Bill Gates)』という男はこれをAltair 8800というマシンに移植したことで有名になった、という経緯があります。
で、BASIC元祖ケメニーさんは「『請求書』のBASICなんかBASICじゃない!」というので「Real Basic」というものを開発しました。発達障害児童のための教育ソフトウェアを書くのにはおそらく一番適したプログラミング言語だと思います(特にMacユーザには)。「プログラムを書く」というのは趣味としても面白いし特技としても役立ちますので、ひとつ試してみようかぁ、と思われる方はちょっと勉強してみてはいかがかと思います。WinだったらVisual Basicもあるし。
で、Re**5というのはFORTRAN 60という言語のスタイルでして、かつて科学技術計算や制御用に使われた言語です。
exp(5*ln(Re))は、通称「ALGOL系言語」と呼ばれるもので、代表はPascalという言語です。このALGOLの元祖ともいうべきALGOL 60の主任開発者はなんと三重苦の人でした。すなわち電算業界において「チャレンジされている人」(昔はハンディキャッパーといった)といえば、「ううううう、プログラムが書けん。バグが取れん」ともがいている頭の悪いプログラマーのことだったりします(^_^;)。そうすると新しいプログラミング・パラダイムについて来られなくて、最新の開発手法がさっぱり理解できないプログラマーは「智恵遅れ」なのかな?
で、ここからはいきなりハードな数学ギャグネタ。
Re:Xというのは本当はRe(X)なのだから、Re^5(=Re×Re×Re×Re×Re)というのは厳密にいうと間違いで、Re(Re(Re(Re(Re(X))))) のように書かねばいかんのではないか、と数学畑の方からは指摘を受けてしまいそうです。こういうのをコンピュータ業界では「再帰(さいき)呼出し」(別名リカーシブ・コール、または「頭山的呼出し」。落語『頭山(あたまやま)』、上方落語では『さくらんぼ』からの命名)といいます。
で、それに対して理論物理学あたりからは、「いや、この場合の『Re:』は演算子だからこれでいいのだ」みたいな発言が出てきたりするのである。この「演算子」というのは「理屈はよく分かんないんだけど、なんとなく方程式が解けちゃうから便利」というシロモノなので物理学者が最初に使いだしたんだけど、「そんな、なんで解けるのか分らんようなアヤシゲなものを使ってはならん」と数学者がイチャモンをつけ、これに物理学者が「消化の理論を知らなかったら、ディナーを断らねばならんのか?」と反論したというエピソードがあります。
だもんだから、理論物理学者の間では、「純粋数学なんていうものは、何の役にも立たん!」みたいな雰囲気がかつては存在して、最近のコンピュータの普及によって数学者が「見ろっ! 純粋数学だって役に立つんじゃぁ〜!」みたいに盛り上がっている、といった実態があります。で、コンピュータ・サイエンティストは物理学者と数学者の両方から「コウモリ野郎」と言われておるのだな。ひらひら(←舞っている)。以上、意外に知られていない業界の内幕でした。
『純粋数学は清らかな女神である。だから子供を生まない。』
− アルバート・アインシュタイン(物理学者)
『物理数学と純粋数学の関係は、セックスとマスターベーションの関係に似ている。』
− リチャード・ファインマン(物理学者)
(KILROY)
Hiro さんへ
こんにちは。
HIROさんは大丈夫だと思います。
こういったケースは犯罪としてあいまいですし
HIROさんは何も知らずに相手の言うとおりに
した結果そうなっただけですから・・。
訴えられる事はないでしょう。
もし訴えが通っても
話し合いで済むと思う。
法律に詳しく無い私がこんな事言って
ごめんね。
でも
法律に疎い私でも
これは
心配する程の事では無いと思います。
あ゛、もしかして、私も「僧帽筋症状」なのかも。
所長さん wrote:
> で、このプロでも困難という重篤な海背中をいかに退治するか、なのですが、ここでは陳式太極拳の応用である「叩打法」「足力」「推拿」について解説することにします。なにしろうちの先生によれば「うちの表看板は『活殺自在』だ」だそうであり、「太極拳は不眠症・不妊症・不感症に効く」のだそうである。
>
> そんなわけで次回は「叩打法」である。これは伝達関数だのなんだのとややこしい話が一部出てくるのでKILROYが担当する予定。
わーい。楽しみです。
でも、いままで知らなかった悦びに襲われるのって、
ちょっぴり、怖いような気もします。
S○Xネタでじゃれていても最後はきっちりマジネタで締める、というのがうち(大森総研)の芸風だから今回は真面目にいこう(私は所長である)。お題は緊張性の精神神経疾患における、いわゆる「僧帽筋症状」についてである。
鬱病やある種の分裂性疾患にみられる割と一般的な症状に、「僧帽筋症状」と呼ばれるものがある。胸がなんとなく苦しくて深呼吸ができない。肩が凝る。頚が凝る。頭が重い。頭に大きなお鉢を冠ったように、なんとなく頭の回りがモワッと鬱陶しい。目が疲れる。目から鼻の奥にかけて、暑苦しくしこったような熱感がある。鼻がムズムズし目がシパシパする。頭痛がする。こめかみが重い。花粉症のような風邪のような、背中から肩・頚・顔・頭部にかけての鬱陶しい感じ。こうした症状の多くは、緊張状態を続けることによって僧帽筋が鬱血することによって起き、これを「僧帽筋症状」という。重篤な場合は呼吸困難から痙攣発作や心臓肥大まで起こすことがあるからなかなか怖い。
絵でも描く人でなければ人体の骨格なんぞ興味を持たないだろうから気がつかないのだが、人間の腕というのは肩から生えているわけではない。まず胸の中央から鎖骨が伸びていて、そこに肩甲骨がつながる。で、腕の骨というのはその肩甲骨につながっているのだが、この肩甲骨と背骨をつなぐ、西洋凧のような形の筋肉を「僧帽筋」という。いわゆる「肩凝り」は、この僧帽筋の鬱血のことだと思ってほぼ間違いない。
この僧帽筋が凝っている人はまず例外なく極度のくすぐったがりである。美容院でいきなり肩を揉まれて「ぎゃあ」と悲鳴を上げて飛び上がる、なんていう人は珍しくなく、「怖くて美容院に行けないからずっとワンレンのロング」とか、「それ知ってて触る人がいるんですぅ〜、しくしく」みたいな悩みを抱えている女性は多かったりするのである。
ところがこういう人に「肩凝ってますか?」とか訊くと、「生まれてこのかた肩なんか凝ったことがない」とかいうケースが多く、「マッサージを受けたことがありますか?」と質問すると「痛いばっかりで全然効かなかった」「くすぐったくてダメ」といった返事が帰ってくる。このあたりがこの問題の深いところである。
鬱血があまり長い間続くと、感覚がなくなってしまうのは足のしびれを想像していただければすぐに分かると思う。つまり、「肩が凝ったという経験がない」という人には本当に凝ってない少数の人(悩みとかないんだろうな(^_^;))と、まるで亀の甲羅のように背中が一枚板になっちゃってすでに感覚が失せている、という大多数の人がいるのである。
ちなみにこういう女性は傍から見てて分かるのである。なにしろ肩がぜんぜん動かない。立居振舞も妙にギクシャクしている。首筋に風が当っても震えあがっちゃうから、だいたい中途半端なセミロングで、しかも自分で切るもんだから毛先が揃ってない。だから見る奴が見ると分かってしまう。私の知っているある女性は、趣味関係のパーティに出たときに先輩格にあたる人がつかつかっと寄ってきて、おもむろに背後に回って肩を揉まれ、「そーか、今度の男はエッチが上手か」としみじみ言われてしまった、と言っていた。「ねぇ、そういうのって分かっちゃうの?」と泣きそうな顔をしていたが、困ったことだが分かっちゃうのである(^_^)。
で、困ったことに、こういう鉄板肩の人を治療できる人というのがいないのである。なにせプロのマッサージ師は何人こなしてなんぼの世界だから、この手の亀背中などマジで揉んだ日にはその日一日仕事にならなくなってしまう。だから通りいっぺんのマッサージしかしてくれないことが多い。例外があるとすれば台湾の足力(そくりき)であり、これは踏んづけるわけだからそれほど力が要らない(バレリーナのような体形の十三歳くらいのチャイナドレスの美少女に踏まれる、とかいった体験は(女性でも)一生に一度くらいはしてみる価値があると思う。台湾にはその手のマッサージパーラーというかエステというか、そういうお店がけっこうある。足ツボよりは楽しいはずである)。しかしながら頚とかいうと事故が怖くてなかなか揉めないという問題もある。
さて、こうなると一番頼りになるのは専属のトレーナー、ぶっちゃけていうとエッチのパートナーである。「前戯に四十五分はかけなさい」というのはじつにこういうことだったりする。私のよく知る某氏は女の子の部屋に誘われて、雰囲気が煮詰まったあたりで「あのぉ……肩叩かせてくんない?」みたいなことを言っちゃうもんだから「ヘンな人なのかと思った」とか後で告白されてしまったという経験があったりするのだが、実際のところ相手が感じてくれなかったらセックスなんて面白くもなんともないわけで、その意味でこれは正しい態度であると思う。
なお、この手の肩凝り女性は当然のことながら生まれてこのかたちゃんとイッたことがない、というのが大多数なので、生まれて初めてイッちゃったショックで三日くらいぶっ壊れてた、という女性がいたりする。「始めてで三回もすることないでしょっ!」「数えてたの?」……ぶん殴られたそうです(^_^;)。
で、このプロでも困難という重篤な海背中をいかに退治するか、なのですが、ここでは陳式太極拳の応用である「叩打法」「足力」「推拿」について解説することにします。なにしろうちの先生によれば「うちの表看板は『活殺自在』だ」だそうであり、「太極拳は不眠症・不妊症・不感症に効く」のだそうである。
そんなわけで次回は「叩打法」である。これは伝達関数だのなんだのとややこしい話が一部出てくるのでKILROYが担当する予定。
Hiroさんへ、あまりくどくど書きたくないので要点だけ書きますので、冷静に対処して下さい。
お気持ちがいまいちつかめないので、感傷的な書き込みはしませんが、自暴自棄になる前に、裁判所からの通知をちゃんともらった上で訴訟となった等は言うべきだと思います。
>謝罪が無いため、パソコン破壊の損害賠償と嘘の違法コピーの件で告発されてしまいました。
>まだ、裁判所からは連絡はありません。
相手がどこに訴えたかは知りませんが、訴訟として受理されていないので、おそらく連絡が来ていないと考えられます。
訴えが失当(筋違い)の場合は、訴訟とならないケースもありますので、まずは連絡を受けた後、相手の訴えた訴状をよく見た上で、お近くの所の弁護士会というところ(タウンページ等で調べれば必ずあります)がありますので、事情の説明と御自身が未成年であること、金銭面の相談をきちんとされてください。
>毎日不安で食欲もありません。
>相手は、PC8801の時代パソコンを使っていたということで、知識不足ではないとのことです。
>(でも、ちょっと怪しいな)
いちいち気にしないように。
そんな事言えた立場ですか?
>相手は、これ以上メールを受け付けないという体制で居ます。
>逆告訴も考えてみたのですが、学生の身分で費用が全く無いので諦めました。
>一応大手プロバイダなのですが、メールを解約されたら連絡すら出来ません。
プロバイダとあなたとの契約内容によりますが、契約破棄による退会事例になるのか相談されてください。
御自身で悲観的になるのは御自由ですが、きちんと相談することを望みます。
>謝罪しなかったのがいけなかったのかな?
>賠償金っていくらだろう? この先、親の財産を失うことになるの?
>とても不安です。
仮に賠償責任が生じたとしても、破産するような事例には成り得ないと思います。
最後に苦言を一つ。
たしかにここは多才かつ博識な方もいるので、ついつい相談してしまう気持ちはわかります。
しかし、みな法律については私も含めアマですし、事情が皆までわからないことに適切な助言等はとうてい不可能です。
冷たいことを言いますが、御自身のことは御自身で片付けるしかありません。
私たちは話し相手にはなれますが、貴方に代わって問題を解決することは無理です。
お話は何であれ聞きますので、御自身もきちんと動いて下さい。
愚痴をこぼすだけでは何も解決にならないですよ。その辺はきちんと理解して下さいね。
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