アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田好史 wrote:
>この国の産業としては、どのようなものが適しているでしょうか?
僕は人の能力を金に換算してしまう資本主義が嫌いです。
かといって現在の共産主義も破綻してるし…。
金のための労働ではなく、社会のための労働ってのも
いいと思うんですけどねえ。
理想的な共産主義は多分良いものなんだろうな。
産業は酪農とか工芸とか芸術や研究がいいな。
雑用は外国に発注しよう!
しかしこれ↑の最小モデルって、全寮制の会社で実現できそうだな。
ななはさんへ
なんだかこうしてお話しするのは初めてのような気がします。(「こうして」というのは、こういうふうに肩を並べて、というか、くつろいだ気分で、ということなんですが。)
えー、誤解されているかもしれませんが、あたしも「仕切る人」っていうのはいないほうがいい、と思ってます。それでもまぁ、困ったときになにかを教えてくれるひととか、「それでいいんだよ」ってなぐさめてくれるひととか、(「がんばれ」はかんべんしてほしいです。ほんとうのところは。)そういったひととおなじくらい、道案内をしてくれるひととか、交通整理をしてくれるひとというのがいてくれるとうれしいとおもいます。ですから、「ネットのおまわりさん」ですね。
それから、せっかくカキコしたのにだぁーれもレスをくれないとか、問題提起をしたのにだぁーれもフォローしてくれない、みたいなときに、適切なレスを返してくれる、っていうのも一種の「仕切り」ですけど、まあ、そういうおせっかいさんがひとりくらいはいていいかな、とおもいます。
で、ななはさんが「ちょっとこれって違うんじゃないの?」みたいに思っておられるのは、たぶんうちの問題児、Motoさんのことだとおもいます。
武田好史さんの問題提起に関しては、ただMotoさんがそういう話題にコメントしない、といのを彼のスタイルで宣言しただけで、もちろんいいことだと思っています。「ぼちゃん」(つまり、波風が立ってなくて面白くないな、と思うと、なんか投げこんでみる)とか「猫会議」(べつにおせっかいをしようとは思わないんだけど、となりのひとが何考えてんのかちょっと興味がある)とかいって、どこの掲示板でもふつうにあることですから。(所長さんたちがそういうのに否定的な発言をしたことがあったかな? といまちょっと考えています。なかったと思うけど、どっか誤解されるような発言があったのかな?)
ですから、Motoさんは基本的にあたりさわりのない問題に噛みついてきたりしない、というだけのことなんです。あんまり気にしないであげてください。あれもあたしの分身ですから、ああ見えてけっこう傷つきやすかったりします((^_^;)←これはMotoさん)。
ただ、あんまり口にしたくない話題なんですけど、掲示板で「いじめ」があったりとか、喧嘩になっちゃったときとか、そういうときになんとかしてくれる人、というのはいてくれると安心します。ひどい話なんですけど、世の中には「荒らし」という、ネット上で徹底的に人を攻撃するのを楽しみにしている、みたいな人がいたりします。まあ、たいていは悪口をわめき散らしただけでどこかへ消えてくれるんですが、中には特定のひとの発言をとりあげて徹底的に批判するものだから、それをされたひとが精神的にまいってしまう、ということがあります。
だけど、Motoさんみたいな人がうろうろしているような掲示板だと、そういう人って入ってこられないんですよね。仮にそういう人が入ってきて個人攻撃を始めても、けちょんけちょんに論破されて逃げだしてしまいます。そういう意味では、「あれはあれで役に立つ」みたいな人ではあったりするんです。
で……もうひとつ、Motoさんが、なんか普通でないところで怒っているような気がする、というのを感じてませんか?
あれ、本当は「通りいっぺんの『正しさ』」というのが苦痛でしょうがない、という「社会的に弱いひと」のつらさというのを、「怒り」で代弁しているんです。たとえばの話、学校の成績はいいに越したことはないし、通わないより通ったほうがいいし、いじめに屈するよりはなんとかしていじめそのものをなくしたほうがいいのも判ってます。だけど、そんな判りきったことを言われたくないでしょう? 「がんばれ」とか言われたって、「だって!」としか言いようがないでしょう? そういう、「自分が正しい」と信じきっていて、「正しい」ことを堂々と言う人というのが、彼は嫌いなんです。
まあ、そういう人にも二種類います。ひとつは自分がそういう「正しさ」を押しつけられているものだから、それを他人に押しつけることで自分の「苦しみ」というのをなんとか合理化して堪えようとしているひとで、そういうひとには「叱りのMoto」の才能をいかんなく発揮してくれるから、まあ見てて不快ではないと思います。だけど、もう一種類の……それが「『正しさ』を自分に押しつけてきた『世間』への復讐」という形で、対象を見失っちゃってる場合というのがあるんです。一種のサディズム、と言っていいと思います。
もちろんこうしたサディズムというのは誰にでもあるもので、「『めそめそ泣いてれば誰かが救いの手をさしのべてくれる』と思ってる奴を見ると、徹底的にいじめてやりたい気分になる」みたいな人は珍しくありません。この掲示板でも、かつてこういう「コナキー叩き」というのが行なわれていた頃があったりします。(「コナキー」というのは、「化粧した子泣き爺」の略だそうです)
で、自分自身もいじめの被害者だったMotoさんは、そういう「『正しさ』によって擬装された攻撃性」みたいなものにピーンと反応しちゃうんです。それが普通の人には異常に見えちゃうところがあると思います。ですから、そこのところをちょっとだけ、赦してあげてください。
……ああ、こうやって独立して別人格やってると、やっぱ楽だ。楽に呼吸できるような気がします。所長さんやKILROYさんの立場でこういうこと言っちゃうと、押しつけになっちゃうからな。そんな訳であたしの言うことはあんまり真剣に考えないでください。基本的にどーでもいー奴ですから。
またまた長文のカキコになってしまいました。ごめんなさい。
ではでは。 − Maria −
文月立斎さん wrote:
>あらゆる悪意で心に染み付いた負の感情ってどうやったら消えるでしょう?どなたか明快なお答えをお持ちならぜひお願いします。
以下は、私が、自分の場合について思ったことです。
文月さんに当てはまるかどうかは、わかりませんが。。。
私は、
「負の感情を、さいしょから持たない」
というのを基本にしています。
まずは、自分が、負の感情を持たずに書くことを心がけます。
悪気がないのに、相手を傷つけてしまうことがあるんですけど、
そのときには、素直に謝るようにする。
それで、次から気をつけることにしてます。
私は、他人の人格を批判しないように心がけています。
「他人は自分と違うものなんだ。」と思って、気にしない。
また、「未来の彼(or 彼女)は、今とは違うかもしれない。」
と思うようにしてます。
それでも悪意を感じそうな場合には、他のことを考えることで、
忘れるようにしてます。
そういう書き込みは、とりあえず「なかったこと」にしちゃいます。
そんな感じの「お気楽」な考えで、私は、この掲示板とつきあっています。
掲示板の在り方について・・・難しいですね。
論争があっても気にならない、むしろ楽しみだという方もいれば、
ひとが対立しているのを見るだけで苦痛だという方もいる。
価値観や感性がかみ合わない場合、どうするべきでしょうね。
わたしは、ひとつの事柄について、
それが「気にならない」という人と「苦痛だ」という人がいる場合、
「苦痛だ」という人のニーズのほうになるべく合わせたいと思っています。
例えばバスに乗っていて「窓から外を見たい」という人と
「日差しが苦痛だからシェイドをおろしてほしい」という人がいる場合、
やはりそこは「外を見たい」人が我慢すべきだろうなと思っています。
わたしは「外が見たい」人なのですが、そのように思って我慢しています。
それは(自分の場合)残念なことであっても苦痛なことではないので。
ただこの方法は、「AがなされてBがなされないことが苦痛」な人と
「BがなされてAがなされないことが苦痛」な人がいる場合には使えませんが。
個人的にわたしは論争は気になりません。
ただ、それが存在することが苦痛という人がいる以上、
譲ってもいいようには思います。
>武田さんがよく質問提起をされていますが、これもまたよい形態かな、
>と思うんです。
わたしもそう思います。
ふだん考えないことを考えることができ、
頭の体操にもなります。
わたしの発言も人に苦痛を与えたりしていなければいいのですが。
武田好史 wrote:
>この国の産業としては、どのようなものが適しているでしょうか?
わたしは先日Mariaさんが書かれた「なべつかみ」というのが
心に残って離れません(ひとりでウケている)。
それはともかく。
多数派と違う感性を持ち、それゆえ多数派には味わえない立場から物事を
見ることもできるわけですから、できたら、それを生かして、今までにない
アイデア商品(それは当然、社会的「弱者」や
今まで多数派のニーズの陰で不便な思いをしてきた人たちに喜ばれるものでありたい)
を開発する・・・とか。
でも具体的なものはあまり考えつかない・・・
簡単なものなんだけど便利、っていうものがいいですね。
JETさま、お元気ですか?
>#信楽焼のたぬきって、外観は立派だけど中身は空っぽでしたね・・・。
これ、最高で思わずわらってしまいました。
ここまでひねりを入れたつもりはなかったので、ナイスカウンターでした。
> 職場にしろ、学校にしろ、町内にしろ、必ず「こいつ、人の言うことを
>いつも聞き入れずに勝手なことばかりしてやがる。何様のつもりなのか」
>って者がいますよね。ネット上でも…。
この人々を知る上で私が愛読してるのが「スピィティング!職場のいじめ」
(NHK出版刊・徳山雄一郎、ニール・クロフォード、田中理香著)です。
じつは私の主治医だった方が共同著書をしている(もう一人は病院の院長)のですが、読んでもらえればJETさんを悩ます困った人々を知る一助になると思います。
職場におけるさまざまな人間関係の問題は、生き続ける限り逃れられないにしても、最近はつとに閉塞感が強まったなと思います。
弱い人を阻害することに救いを求めてしまうと、最悪の悪循環が形成されてしまう危険性があり、何かしらのハンディをかかえる人は、ターゲットにされやすいと思います。
対抗の仕方は人それぞれですが、一人ではどうすることができないような阻害のシステムが成長してるようで、最近不安を感じます。
人が人を食らうことで飢えを満たしているようで、おぞましく感じる今日この頃です。
聞き捨てならない部分がありましたので意見を言わせていただきます。
Maria wrote:
> で、これを言っちゃうと個人攻撃になっちゃうんですけど、去年(二〇〇〇年)の九月以降のLOGを見ていただけると判ると思うんですけど、ひろたさんはひよさん(「ぴよ」さんとは別人)という人なんかと一緒に、かなりムゴい発言(本人はたぶん意識してないんでしょうけど)をくり返していた人だったりするわけです(このあたりの事情は、武田好史さん・ゆーりさん・るおうさんあたりがご存じだと思います)。
> だけど、ふつうのひとというのは、それに対して何かを言う、というのがなかなかできないんですね。
誰だって非礼千万な書き込みなんて見たくないんです。
しかし、荒らしと認定された人って目立つためなら何でもやると思います。
なぜなら目立つことで自己のありとあらゆる衝動を満たしたいからです。
もし、不快に思う人が傷つかないで荒らしを撃退する最良の方策があるなら、それは書き込みしようと悲鳴あげようと脅しをかけようと無視無視無視。
語りたいから興味をもって欲しいという気持ちの現れであっても、思い違いをした方への一番の良薬は「そんなもの、認められないな。」という徹底した意思表示です。
下手に対応するから、彼らは認められたんだと空騒ぎをはじめ、対応した方は負けるなとボルテージをあげ、ついていけない人々は取り残されるのは、小学生でもわかる道理です。
今私の属する職場に、俺が何かしないとこの連中は成り立たないから憎まれ役よろしく介入することで皆がいい方向に向かってるって持論で自分を持ち上げてる方がいました。
でも、私を含めたみんなの本音は「いいかげんにして」でした。
ただ皆で正面きって抗議をすることはありませんでした。
何も言わなかった理由は、迷惑だからとその方を皆で無視したら、その方自身を完全否定することで破滅させかねないし、たとえ迷惑9割でも残り1割の部分はたしかに本人の自負どおり皆のためになってたんです。
たとえトラブルメーカーであっても、寛容の心で包み込むことでその方が自分の非に気づくことで、いつか救われることのほうが大きくないでしょうか?非があるから救えないと阻害すると、その方は最後まで救われないでしょうし、阻害した側も気まずさだけしか残らない気がするのです
最後にアスペでも学習障害でも自閉症でも何でもいいです。
とにかく皆とちがうとか和を乱すとか能力が劣るって阻害や迫害を受け、ボロボロのヘロヘロになり、引きこもりや登校(出社)拒否、自らの命を断つことまで考えた方だって必ずいると思います。
ここに来た人って興味本位の方もいると思うけど、わらにもすがる気持ちでここに同じ苦しみをかかえた方もいると思います。
ここを暴言と論理が交錯する戦いの場にするか、傷ついた人たちが、少しの間でもわだかまりもなく心を休め、社会に羽ばたくためのささやかな止まり木にするべきか?
もし前者がいいと大多数の人がいるならば、私はここから去ろうと思います。
私は口も頭も顔も悪いけど、もし許してもらえるなら苦しみをいっしょに背負ってささやかにお話がしたいと思っていました。
夢物語だと思うなら笑ってください。でもその前に今から言う問いに答えてください。
あらゆる悪意で心に染み付いた負の感情ってどうやったら消えるでしょう?どなたか明快なお答えをお持ちならぜひお願いします。
@文月立斎さん
ご忠告、本当にありがとうございます。
あの時の私は“毎日ではないとしてもよくあること”とは言え、若干熱
くなっていたようです。
#信楽焼のたぬきって、外観は立派だけど中身は空っぽでしたね・・・。
職場にしろ、学校にしろ、町内にしろ、必ず「こいつ、人の言うことを
いつも聞き入れずに勝手なことばかりしてやがる。何様のつもりなのか」
って者がいますよね。ネット上でも…。
でも、いちいち腹を立てるのはやはり疲れるもので、今回の文月さんの
ご忠告で私は目が覚めましたし、冷静に周りの状況を読む必要を忘れてい
たことを確認しました。
感謝しています。
http://www11.freeweb.ne.jp/family/ms25/index.html
Mariaさんへ
こんばんは。横レスごめんなさい。
私はごくごく最近訪問させてもらって、質問にレスをして頂いたりして
大変助かっている1人です。たしかに話題によっては限りなく広がるものも
あると思いますが、これはあくまで波もあると思います。
実際は見てるだけの人のほうが大多数かもと思います。
仕切る人って言うのは居ない方が良いんじゃないでしょうか?
武田さんがよく質問提起をされていますが、これもまたよい形態かな、
と思うんです。
みんなで作り、なにより私みたいな、自分が鬱病と分裂病で孤立するばかりで
自分だけではどうしようもない人の、なんらかの手助けや発見になるのが
私個人の意見としては、この掲示板のあるべき姿だと思います。
悩みとか、こんな癖はどうしたらいいのか?とか人間関係を円滑にするための
スキルを相談しあうとか...。
単なる趣味(映画とか音楽とか)のサイトとはかなり意味が違うサイトだと
私自身はとらえていますが?
気を悪くされたらごめんなさい。
*** 別件ですが、みなさんに質問です。***
常用されている薬はどんなものがありますか?
ミサコさんへ。
えーと……ちょっと横レスみたいになっちゃうんですけど、発言させてください。あたしもKILROYさんとは他人ではないもので(←あたりまえじゃ by KILROY)。
『私も「議論のための議論」をここでやられると辛い1人です。』ということですが、「KILROY」のハンドル・ネームで登場している他の四人、つまり所長さん・KILROYさん、Mr.Moto、Joshyaの四人のうち、もっぱら「議論のための議論」に近い「相手を論破する」役割を担っているのはおもにMr.Motoで、その被害者というと百日紅さんとシュッツさんとひろたさんと文月立斎さん、それにぴよさんとXanadiiさんとtoriさんあたりだと思われます(後のほうはあんまり被害者という感じはしませんけど)。
で、これを言っちゃうと個人攻撃になっちゃうんですけど、去年(二〇〇〇年)の九月以降のLOGを見ていただけると判ると思うんですけど、ひろたさんはひよさん(「ぴよ」さんとは別人)という人なんかと一緒に、かなりムゴい発言(本人はたぶん意識してないんでしょうけど)をくり返していた人だったりするわけです(このあたりの事情は、武田好史さん・ゆーりさん・るおうさんあたりがご存じだと思います)。
だけど、ふつうのひとというのは、それに対して何かを言う、というのがなかなかできないんですね。
>KILROYさんのご意見は、この掲示板にやってくる人達がたとえば100人としたなら、
>1/100の意見なわけですよね? それなのにその1/100人があんまり仕切ると、つ
>いていけない人達もでてくると思うんですが。今の調子がずっと続くと、KILROYさん
>に付いていきたい人しか残らないような気がします。
というのは確かに正論なんですけど、世の中には「サイレント・マイノリティ」ならぬ「サイレント・マジョリティ」とも呼べる人たちがいるんです。この掲示板にアクセスしてくるひとが仮に三百人いたとして(なにしろ一日千ヒットです。平均して三日に一度でもこれくらいにはなります)、そのうち、あえて積極的な意見を出してくる人に対して反対の立場で論陣を張れるひとが何人いるでしょうか。
「所長」さんはかつて草の根BBSのホストをしていました。で、草の根BBSのシスオペ会議(とかいって飲み会だったそうですけど)においては、「ROMの意見をどう反映させるか」、あるいは「いかにしてROMを『書く』側に導くか」が最大の問題になっていたわけです。「悪魔の代弁者」・Mr.Motoが生まれた背景にはこんな事情もあったんですね。
で、その時に邪魔になるのが、自説を滔々と述べるだけで人の意見を聞かない人たちと、他の発言者をツブす人たちなんですね。ところがBBSにおいては、「追放刑」というのは本当に最後の手段なんです。「誰でも好きなことを発言できる」というのがBBSの原則ですから。だとしたら、「何かあったら我々がフォローするから、とりあえず何でも発言してごらん」って言ってくれるひとがいてほしいんです。
>ただ私もこの掲示板のことは好きだし見守っている一人として、1/100の気持ちを
>言ってもいいかな、と書き込んでみました。
という発言も、結局は大森総研メンバーがそれなりに頑張っているからこそ、「発言しよう」という気になったんじゃないかと思うんですよ。
いままで、『アスペルガーの館の掲示板』の「アスペルガー」の部分とはまったく関係のない「文章の書き方」だとか「顔文字の使い方」なんていうのを大森総研メンバーがアップしてきた背景には、『「1/100の意見」でも堂々と発言していいんだよ』という思いがあります。
だけど……本当のところを言わせてもらえれば、所長さんはこのところちょっと疲れぎみなんです。あたしがこうして一人立ちしちゃったのもそれが原因です。「無責任な発言が許されない」っていうのは、けっこうしんどいです。
> 私は誰にも仕切られていない、ホスト不在の、以前のこの掲示板の雰囲気が良い
>と思っていました。自由に思ったことを言い合う、意見の押しつけのない、1人1
>人の言葉が同じ重さを持つ場所。今まであったそれらの雰囲気が失われていくのは、
>すこし辛いです。
というのは、決して無法地帯を望んでいるわけではないと思います。ですが、所長さんにしろKILROYさんにしろ、「保安官」になんてなりたくないんです。
りふれくとさんのように、「ゆっくり話したいひと」のための場をみずから設けたひともいます(http://www26.freeweb.ne.jp/novel/klc-red/index.html。詳しくはNo.3661の書込みを参照してください)。所長さんも、「大森総研」名義のBBSを開設しようかと考えていたりもします。こういった、積極的なアクションを起こしてくれるひとが出てきた、というのは、ある意味で所長さんの功績と言えるんじゃないでしょうか。
で……その後なんですけど、その役割を引き受けてくれるひとというのが他にいるのかな? みたいな話なんですよ。
「どこかの誰かがなんとかしてくれる」じゃダメだと思います。そう、この文章を呼んでいるあなた! 「あなた」が次の主役です。そうやってキョロキョロしてる場合じゃないんですよ! 「あなた」です。
だけど「あたし」じゃありません。所長さん以下、大森総研のひとたちにあたしはお任せします。
以上、「言いっぱなしのマリア」でした。 − Maria −
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