アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
アスペルガーという病名を知ってから、
疑問に思ってること。
私は人とことなっている。
そして、私は自分とことなるものへの理解
(不必要なまでの恐怖感をおぼえないこと、
ことなるものに歩み寄ろうとする姿勢)は
「普通の人」よりはるかに優れている(つもり)。
これは、自分のアスペルガー的特性等の力なんだろうか?
「相違」への偏見を持たないということは。
それとも単純に、いつも「自分とことなるもの」
にさらされているマイノリティであるがゆえに、
ことなるものに接すること、理解することになれているのか。
同じ疑問の言いかえかもしれないけれど、
「自明性を疑う」というのは、
アスペルガー者の本質的な特長(ええ、長所ですとも)なのか。
ただ自分の価値観にとって「自明なもの」が周囲に存在していないだけなのか。
もしアスペルガーがマジョリティ、非アスペルガーがマイノリティであれば、
あなたは現在の「健常者」のような偏見にとらわれないといえますか?
かなり専門的な話になるので、多くのメンバーの方にはご迷惑だと思います。
ですが、この『アスペルガーの館の掲示板』について結構重要なことのように思うので、ちょっと質問させてください。
「この掲示板に書込みをしている『あなた』は、どんな『あなた』ですか?」
心理学における基本テーゼは、「意識は嘘をつく。けれど行動は嘘をつかない。」というものがあります。「自分が考えていること」と「自分の行動」が一致しないときは、行動のほうが本当の自分だ、ということです。
「文章を書く」ということは「行動」の一部ですが、「自分が考えていること」を書いているという意味では、「意識」の一部です。
ですが……なんか違うんですよ。これが。
そもそもは、あたしの本体である「私」(と呼んでおきましょう)が、メールを書くのが苦痛なものだから、せっかくいただいたメールに返事が出せない、という症状に悩まされている、というのがありました。で、現在、「所長」さんはほとんど文章が書けない(KILROYさんはなんとかなってます)、という状態だったりします。
にもかかわらず、あたしはこうやってさくさく文章を書いていられるんです。これ、本っ当の話、冗談とかじゃないんです。真面目な話です。
心理学のグループ療法で、「ロールプレイング」というのがありますよね? 椅子をふたつ向かい合わせに置いておいて、それぞれの椅子に交互に座って、たとえば自分と母親とかいった、別々の役割を演じて対話する、といったものです。
あたし……というか、Joshya(本来はNajasでしたが)とMariaというのは、心臓病で三ヶ月ほども入院した「私」が仕事ができなくなり、一年以上も自宅でリハビリをしながら悶々としていたときに書きはじめた小説、『ふたりで聖書を』のキャラクターです。つまり、あたしたちは原稿用紙にしてたぶん千枚以上のロールプレイングをこなしてきた、という経験があります。でまあ、Joshyaさんは「私」の分身とはいえかなり作為的というか稀薄なキャラクターであるのに対し、Mr.MotoとMariaは、明らかにどこか別のところ……つまり、意識的にコントロールする必要を感じないキャラクターなんです。
それに対して「私」にいちばん近い所長さんは、仕事上のトラブルに絡んで延々といろんなひととやりあった結果、かなり痛めつけられちゃったという経緯があります。ビジネス文書みたいな定型文書や技術文書の類はKILROYさんが書いているのでそれほど問題はないんですが、「自分の意志」というか、「自分の意見」というか、そういったものを書く立場である所長さんは、ここ数年かなり文章を書くのに苦労しています。
この掲示板に書込みをされているメンバーの中には、ほとんど素のままで出ていらしている方と、明らかに普段の自分とは別、あるいはふだん「自分」として手紙なんか(メールもそうです)を書いているときと、この掲示板に匿名で書込みをしている時ではかなり違うという方がおられるようです。
そこでお聞きしたいんですが、この掲示板に書込んでいる「あなた」は、あなたにとってどんな人ですか? もしもそれが普段感じているあなたとは別の「あなた」だとすると、あなたと「あなた」が対話したときに、どんな感じがしますか?
むつかしい質問ですが、できれば伺いたいと思います。 Maria
リーゼ、5mg錠(Y-RZ 5)。十年来愛用してます。
あとは、「せんぶり」。10センチくらいのを一本、五ミリくらいにちぎって、茶碗二杯ぶんくらいの水で煎じて半分まで煮つめ、濾してから熱いうちに。これも二十年来愛用。
さくらかのえ wrote:
といいつつ、よく考えたら本を買ったり食べ物を買ったりしてるから
消費者としては貢献してるってことか・・・
わたしは「自分がなんなのか」「自分はなにをどう感じるのか」にしか興味がない。(大ざっぱに言って)
その材料として本を読み、テレビを見、インターネットをする。
「社会の中で自分はなにをしたいのか?」ということになるとさっぱりです。
わたしのホントにやりたいことは、社会や他人と関わらないことばかり。
一日中パジャマのままでごろごろするとか。本を読んで昼寝をするとか。
わたしにとって仕事(家事雑用やボランティアも含む)というのは、たとえどんな仕事であれ、
「やるべきもの」だからやっているだけの「どうでもいい」こと。
身の回りのことすら「どうでもいい」。人間関係を維持するのもめんどくさい(これも一種の仕事)。人脈もない。
どんな人間にも取り柄はあるといいつつ、そういう人間を社会は肯定しない。
社会にとっての「取り柄」というのはあくまで「社会に貢献する」資源だからだ。
資源とならない性質は社会にとっては必要ない。
この世に存在している限り、わたしは居場所を感じることはない。
なぜ人間には光合成ができないのだろう。
光合成ができれば食事なんてしなくていいのに。
なぜ人間には胴体があるのだろう。
胴体がなければ着るものの心配をしなくていい。
その上、空中を漂っていたりすれば住むところもいらないから
家賃もかからない。食費も服代も家賃もいらなければ働く必要はない。
・・・そういうものに、わたしはなりたい。
ななは wrote:
>Mariaさんへ
>
>こんばんは。横レスごめんなさい。
>私はごくごく最近訪問させてもらって、質問にレスをして頂いたりして
>大変助かっている1人です。たしかに話題によっては限りなく広がるものも
>あると思いますが、これはあくまで波もあると思います。
>実際は見てるだけの人のほうが大多数かもと思います。
>
>仕切る人って言うのは居ない方が良いんじゃないでしょうか?
>武田さんがよく質問提起をされていますが、これもまたよい形態かな、
>と思うんです。
私「なぜ人を...」のとこでは、失敗したなと思っている。レスの山っていうのは、質問提起者にとって冥利に尽きるというものだけれど、いかんせん、それらすべてに応える時間が、私には足りなかったのね。仕切るのはいけないが、無責任なのも同罪だよな。
>*** 別件ですが、みなさんに質問です。***
>常用されている薬はどんなものがありますか?
生理痛対策にバファリン、腹痛対策には正露丸ね。これぐらいなもん。これいまどき健常者より少ないやね(^_^;)。私くすりで病院に貢ぎたくないの。いよいよ使うとなったら、「良くなったらなにがしたい」という明確なビジョンが定まったときと決めているんで(いったい何年後になるんだろうか...?)。
というわけで次回の来館は、20日以降の予定です。
みるさんへ
No.4041は私のカキコへのコメントだったんですね。ありがとうございます。
あたしもコメントには愛があると思います(Motoさんも、「私の『叱り』には愛がある」と断言しちゃってます)。
そう。たしかにクサイんです(No.3490の所長さん(当時はKILROY名義)の「泣き」なんか、あれって……堪んないですよねぇ?)。で、確かにクサイけど、やっぱり好き。
あたしの一方的な思いこみだったらごめんなさい。でも、なんかみるさんとは共通するものを感じます。
以上、Mariaでした。
部屋から一歩も出なかろうが、誰とも口を利かなかろうが、仕事をしている人間を「引きこもり」とは呼ばない。私は過去十数年在宅勤務をしているが、私を「普通の社会人」と「引きこもり」に分ける規準は単に仕事と収入のあるなしである。小説家や漫画家だって、仕事がなくて担当編集者の足が遠のけば「引きこもり」と変わらん。
労働基準法は「これだけは休め」と定めているが、べつに「何時間以上働け」とはどこにも規定してない。
本人が住んでいる部屋を「小規模事業場」とみなせば、各事業場ごとに賃金台帳を作らなければならないが、こんなものは「台帳=ファイル」と思えばソフトウェアで何とでもなる。そもそもISDNの転送機能を使えば、会社で受けた電話を部屋に転送することができるし、常時接続のコンピュータで仕事をしていれば、会社で仕事をしているのと実質的に同じである。
普通は仕事があって人を雇うのだが、まず人を集めておいて仕事を探す会社だって、吉本興業を筆頭にしていくらでもある。そもそも私の仕事は「アルゴリズムを開発する→買いそうな会社を見つける→売り込みをかける→仕事にする」というパターンが少なからずあった。このパターンで最低でも三千万円は稼いでいるはずであるから、仮に(派遣や受託の仕事もあったので)実質五年間としても年六百万円の収入である(もっとも持逃げされて私の懐には落ちなかったが)。
働きながら学び、技術をつけるシステムだって、気象大学や防衛大学校ほかいくらでもあるし、アルバイトをしながら大検を受けるための勉強をしている奴だって珍しくない。また、発達障害児はコンピュータ親和性が高く、コンピュータを用いた個別学習による効果がかなり期待できる。ASにもプログラムが書ける奴だってみどりさんぴよさん等少なからず存在するし、幸か不幸かテストユーザは身近にゴロゴロしている。
個人と同様に法人もNGOの会員になることができるから、「アスペルガー共和国」をNGO化し、会社を作って「アスペルガー共和国」の会員にすればいい。老後の時間を持て余している人は山ほどおるのだから、雇用に困ることもあるまい。
託児所の経営やフリースクールの経営や介護サービスまで含めればけっこうなビッグ・ビジネスになりうるし、なんならビジネスモデル特許だって取れるかもしれない。
実現にはいろいろと困難もあると思うが、やりようによっては何とかなりそうに思う。「こんなところが問題になるのではないか?」「どこそこにこういった事例がある」とかいった情報があれば寄せられたい。
言っておくが我々はマジである 所長&KILROY
彼はしんじつ居場所のない男
どこでもない場所にいて
誰のためでもなく
受けいれてもらえない計画を
立てている
立場というものを認められず
行くあてもない
だけど僕やあなたと
ちょっと似ていると思わないかい?
居場所のない男よ
ちょっと聞いてくれないか
君は自分が見落としているものに気づいていない
世界は君の号令を待っているんだよ?
君は自分にできることが見えていない
自分が見たいものだけを見ている
少しでいいから僕を見てくれないか?
心配はいらない
慌てなくていい
急がなくていい
要らないものはみんな捨てて
手を貸してくれる誰かのところへ行こう
"NOWHERE MAN" THE BEATLES
訳詩:Joshya & Maria
こんにちは、武田様。
>1.「引きこもり」をすることは、悪なのでしょうか?
何らかの原因で日常生活を行うことが困難となった場合の自己防衛手段として使うことについては悪いなんて思いませんし、積極的に使うべきだと思います。
>2.原因は何なのでしょうか?
個々のケースがあるので一概に断定は不可能だと思いますが、私の経験を踏まえると、このまま通常の生活ローテーション(起床→朝食→職場(学校))を続けた場合、著しく身体または精神的に危害を加えられる可能性が高いからだと思います。
>3.「引きこもり」をしている人が幸せに暮らしていけるためには、どのような支援をしてあげるのが望ましいのでしょうか?(何が癒しにつながるのでしょうか?)
まずは引きこもった人に対し話し掛け、話を聞くことだと思います。
絶対にしてはいけないのは、相手方の一方的な思い込みで無理矢理外に連れ出すことだと思います。
私の知っているケースで、出社拒否になった方に上司が強制的に出社を命令した結果、朝外を出たまま行方知れずになったということもあります。(結局規定の日数行方不明だったため、解雇されました)
日常生活を捨ててまで引きこもるというのは、よほど精神的に追い詰められた状態だと思います。
理由はどうであれ、引きこもった人の言い分はきちんと聞くことが大事ではないでしょうか。
武田好史 wrote:
> みなさんこんにちは。
> このページの読者の人には、社会の中でそこそこがんばって仕事をしている人も> いれば、心身共に疲れ果てて・世の中でどう生きていったらよいか迷い、引きこ> もり状態という人もいると思います。
> そこでみなさんに質問です!
>
>1.「引きこもり」をすることは、悪なのでしょうか?
こんばんは、武田さん。
そうは思いません。引きこもりたくて引きこもる人はいないと私は思っています。
>2.原因は何なのでしょうか?
私の知人の方が引きこもりをしていますが、原因は百人百様で、けっして
ひとくくりにしてはいけないと思います。
ただ、対人関係のもつれ、それによって引き起こされた絶望、
が大きな影響であるかな、とは思います。
>3.「引きこもり」をしている人が幸せに暮らしていけるためには、どのような支援をしてあげるのが望ましいのでしょうか?(何が癒しにつながるのでしょうか?)
時間、そして家族じゃなくても理解してくれる、話を聞いてくれる人の存在。
メンタル面を鍛えるばかりじゃなく、軽い抗精神薬(不安を取り除く)
も軽視できないと思います。今問題がやっと重要視されてきていますね。
興味深い話があります:
グレイハウンド犬(競馬ならぬドッグレース犬で、走れなくなったり老化すると
廃犬=昔は鋭利なピックで心臓を刺す事による殺処分、現在は薬殺処分)
の犬たちを救う団体がアメリカにあり、犬を救うだけでなく、アルコール・薬物
依存症の人達に犬を飼ってもらい、生活改善を計るプログラムがあるそうです。
私の読んだ記事では、犬を3匹アルコール依存症の女性に与えたら、
「私が世話をしてやらなければこの子たちは死んでしまう。」とがぜん彼女は
一念発起し、今までは目が開いていたら飲んでいたのに、アルコールはどこへやら、もう朝5時から犬の散歩やら世話を楽しむ生活に、事態が好転したそうです。
話が横道にそれましたが、なにか愛する存在も、必要ではないでしょうか?
稚拙なレスでごめんなさい。
>文月立斎さん wrote:
>あらゆる悪意で心に染み付いた負の感情ってどうやったら消えるでしょう?
>どなたか明快なお答えをお持ちならぜひお願いします。
こんばんは。すみません、横レスですが、ななはです。
私が現在持っている結論は「自分は自分、人は人」です。
いくら自分が傷ついたって、傷つけた人はもちろんケアなんかしてくれないし、
自分でどうにかするしかないからです。
傷ついたままで泣いて暮らすか、かなりつらいですが一日一日試行錯誤で
いろんな方法で、自分を出したり、相手の出方を観察する、自分と対話する、
かは本人の選択だと思います。
私はいつまでも負の感情に支配されたくなかったので、とにかく明るく
気分を持っていく方向に努力はしています。
泣いていても、笑っていても同じに時間は過ぎていきますから。
自分の人生は自分で工夫してやらないと誰も結局は助けてはくれません。
みなさんこんにちは。
このページの読者の人には、社会の中でそこそこがんばって仕事をしている人もいれば、心身共に疲れ果てて・世の中でどう生きていったらよいか迷い、引きこもり状態という人もいると思います。
そこでみなさんに質問です!
1.「引きこもり」をすることは、悪なのでしょうか?
2.原因は何なのでしょうか?
3.「引きこもり」をしている人が幸せに暮らしていけるためには、どのような支援をしてあげるのが望ましいのでしょうか?(何が癒しにつながるのでしょうか?)
文月立斎さん wrote:
>あらゆる悪意で心に染み付いた負の感情ってどうやったら消えるでしょう?どなたか明快なお答えをお持ちならぜひお願いします。
明快な答えではないと思いますが私の場合・・・
1.自分の負の感情がどこから来るのか分析する。(図示したりする)
2.自分に非がない場合”全くとんでもないことになったものだ。自分に負の感情を起こさせるものから距離と時間をおこう。そしてもう少し冷静になってもなお負の感情が起こる場合は意識の中から消してしまおう。”と思い、そうしようとする。
3.自分にも非があると思った場合は、負の感情を起こさせた対象物の状況と立場を検証し、それを自分に当てはめて考え、納得できた時だいたいは負の感情は消えている。納得できなかった時は、なお考え続け人に話してみたりする。が、結局は分からない事が多く、この負の感情は感覚的なものなので、”消そうとして消えないのはどうしようもない事なんだ”と思う。
・・・こうなるまで相当の時間と労力がかかり疲れます。
*故にこれはお勧めできません。*
ですから・・・
心に染みついた負の感情は、自分の素直な反応で最初からどうにも出来ないものなんだと考えて、そこにこだわらずに(こだわるといろいろと巻き込まれるてもっと傷つくことになる)”いやなものはいや。だめなものはだめ。”と思ったまま、なるべく関わらないようにすると良いと思います。
自分の感情はいじらない方がいいし、人の感情もいじれない。
これは今までの私の経験から出た答えです。
>あらゆる悪意で心に染み付いた負の感情ってどうやったら消えるでしょう?どなたか明快なお答えをお持ちならぜひお願いします。
消えたりはしないと思います。
消えなくても、染み付いた負の感情の存在を知っているかと、知らないかの違いはあります。
知らないよりは知っているほうがマシです。
例えば、負の再生産をしないという形で違いが出てきますから。
さくらかのえさん wrote:
>わたしは先日Mariaさんが書かれた「なべつかみ」というのが、
>心に残って離れません(ひとりでウケている)。
なんとなく、さくらかのえさんの「笑いのツボ」のようなものが分かってしまったような気がします。
ひょっとして、「ギョエテ!」のBISさんみたいに、「なべつかみ」という語感にハマッてしまったのではありませんか?
「必殺なべつかみ」「妖怪なべつかみ」
「大阪・浪速なべつかみ」「あゝなべつかみ・日本海望郷編」
「復讐のなべつかみ」「続・さすらいのなべつかみ」
「なべつかみは生きている」「自然の驚異・北海のなべつかみ」
「江戸なべつかみ大全」「世界のなべつかみ(東欧・ロシア編)」
「仕事中に思い出し笑いをしちゃったじゃないか! ばかっ!」とか、苦情が来たりして……
なべつかみの女王 Maria
文月立斎さんwrote:
>聞き捨てならない部分がありましたので意見を言わせていただきます。
普通、「聞き捨てならない」という表現は、「相手が失礼なことを言った」場合に使われる言葉だと思いますので、今回はあたしがお答えするのが筋だと思います。で、あたしの「問題発言」とされているのが、これ。
Maria wrote:
> で、これを言っちゃうと個人攻撃になっちゃうんですけど、去年(二〇〇〇年)
>の九月以降のLOGを見ていただけると判ると思うんですけど、ひろたさんはひよ
>さん(「ぴよ」さんとは別人)という人なんかと一緒に、かなりムゴい発言(本
>人はたぶん意識してないんでしょうけど)をくり返していた人だったりするわけ
>です(このあたりの事情は、武田好史さん・ゆーりさん・るおうさんあたりがご
>存じだと思います)。
> だけど、ふつうのひとというのは、それに対して何かを言う、というのがなか
>なかできないんですね。
で、それに続く立斎さんの意見、というのが、これ。
>誰だって非礼千万な書き込みなんて見たくないんです。
>しかし、荒らしと認定された人って目立つためなら何でもやると思います。
>なぜなら目立つことで自己のありとあらゆる衝動を満たしたいからです。
ここであたしは考えこんでしまいました。立斎さんは何を言いたいのか。
1)あたしがひろさんを個人攻撃している。それが非礼千万。
2)Motoさんがひろたさんの発言に対して反論することで、ひろたさんの「非礼千万な書き込みをする」という行動(つまり、立斎さんはひろたさんを「荒らし」だと考えている)をエスカレートさせている。そのことに対して、あたしが「ふつうの人には『荒らし』に反論することができないので、Motoさんが代わって反論している」と考えているのに対し、「『反論できない』のではなくて、『反論しない』のだ」と考えている立斎さんは、あたしがそう考えていることを「失礼」だと考えている(つまり、「聞き捨てならない」と感じている)。
で、さらに続く文章は、
>もし、不快に思う人が傷つかないで荒らしを撃退する最良の方策があるなら、
>それは書き込みしようと悲鳴あげようと脅しをかけようと無視無視無視。
ですから、おそらく立斎さんがおっしゃりたいのは(2)であるということになります。そう考えると、
>語りたいから興味をもって欲しいという気持ちの現れであっても、思い違いを
>した方への一番の良薬は「そんなもの、認められないな。」という徹底した意
>思表示です。
>下手に対応するから、彼らは認められたんだと空騒ぎをはじめ、対応した方は
>負けるなとボルテージをあげ、ついていけない人々は取り残されるのは、小学
>生でもわかる道理です。
というにも納得がゆきます。で、その後の、
>今私の属する職場に(中略)阻害した側も気まずさだけしか残らない気がする
>のです。
というのは、「本当はみんなMr.Motoの発言にうんざりしていて、『いいかげんにして』と思っているんだけど、Mr.Motoのことを思い遣って、みんな沈黙を守っているのだ」という意味だと解釈できます。
ですが……ネット上で「沈黙する」というのは、「ラジオの放送事故」と同じで、何も伝えないんじゃないでしょうか。つまり、沈黙というのは『「そんなもの、認められないな。」という徹底した意思表示』にはならなくて、相手は「言い負かされたから黙っちゃった」としか考えないんじゃないか、という気がします。
職場の上司の方について、
>たとえトラブルメーカーであっても、寛容の心で包み込むことでその方が自分
>の非に気づくことで、いつか救われることのほうが大きくないでしょうか?
ということもおっしゃってますが、たとえばその人がトラブルを起こすことで、納品が二ヶ月三ヶ月おくれちゃって、そのために取引先の会社が倒産し、経営者とその家族が路頭に迷う、みたいなことはこの不況のご時世においては珍しくありません。ですが、その人が自らの判断によって「トラブルを起こす」のは犯罪ではありませんから、それを法的に阻止したり損害賠償を求めたりすることはできません。そんな場合でも「寛容の心で包み込」んであげなければならないんでしょうか。所長さんはそういう人を失脚させ、非常に気まずい思いを現在もトラウマとして抱えています。
憲法には「権利の濫用はこれを許さず」という思想があります。上司の職権の濫用に対して、「倫理的には問題があるものの、非合法ではない方法」で対抗するのは、単なる正当防衛だと思います。
ですから、
>ここを暴言と論理が交錯する戦いの場にするか、傷ついた人たちが、少しの間で
>もわだかまりもなく心を休め、社会に羽ばたくためのささやかな止まり木にする
>べきか?
という二者択一は、じっさいには「どちらか一方だけを選ぶことはできない」という意味で、けっこう残酷な質問のように思います。傷ついたひとが沈黙を守って一方的な暴言に堪えなければならないとしたら、とてもじゃないけど「わだかまりなく心を休める」なんてことはできないと思います。だとすれば、「鬼手佛心」を地でゆく辣腕ディベーターに守ってもらう、というのはある意味しかたのない選択だと思います。でなければ、この『アスペルガーの館の掲示板』を会員制にするなりして、発言を制限する必要がでてきそうに思います。それって厭じゃないですか?
で、最後のひとつ。
>あらゆる悪意で心に染み付いた負の感情ってどうやったら消えるでしょう?
>どなたか明快なお答えをお持ちならぜひお願いします。
あたしがとった手段は、「悪意を理解(これは「悪意を(正当なものとして)認める」ということではありません)し、誰かと(その理解を)共有すること」です。
「悪意」というのは、そもそもが自己防衛から出発しています。自己の存在が脅かされているために、その「自己の存在を脅かすもの」をある対象に投射する(張りつける)ことによって悪意は生まれます。ですから、悪意を持った人というのは、必ず「誤った自己正当化」というのを行なっており、その「自己正当化」というのは、「世間の常識」とか「社会正義」とかいったもので糊塗されています。
立斎さんの上司の方が「たとえ迷惑9割でも残り1割の部分はたしかに本人の自負どおり皆のためになってた」というのは判りますが、そうすると「差し引き八割のマイナス」ということになっちゃいまして、収支としては赤字です(^_^;)。その上司という人は、「迷惑な部分を減らし、皆のためになる部分を増やすことによって、自分の責任範囲において最大の効果を上げる」という努力を怠ったがゆえに、上司としての資質に欠けるということになるでしょう。つまりその上司の方は認識が歪んでいるがゆえに「キチガイ(自己正当化によってサディズムに走っている)」か「ビョーキ(自己認識が歪んでいるがゆえに、自分が加害者であることを認知できていない)」か「馬鹿(そもそも社会に適応できるほど自己が発達していない)」かのどれかである、と判断することができます。
で、こうした認識を、その上司をとりまく人間が共有することで、その上司は自ら破綻してゆくでしょう。なぜなら彼の「自己正当化」という幻想が共同幻想として機能しなくなっちゃうからです。そうすると、彼は「自己」というものを維持できなくなっちゃいます。
ただし、気をつけないと崩壊のとばっちりを受けてたいへん痛い目を見ることになります。会社のお金を横領して経営に大穴をあけてみたり、とんでもない不祥事を起こして会社の信用を失墜させてみたり、ポットのお湯に薬物を混入してみたり……
……なんか、最後のほうは七割くらいMotoさんが喋ってるみたいになっちゃったな。とにかくあたしたちは文月立斎さんに今後もこの掲示板でのご活躍を期待しています。なお、不本意ながらひろたさんについて言及することになってしまったことをお赦しくださいませ。なお、あたしはこういう重いテーマに向かない「のほほんキャラ」なので、次回以降はMotoさんにおまかせしたいと思います。
またしても長文になってしまいました。ご迷惑をおかけしております。ごめんなさい。
失礼いたしました。 − Maria −
おむに さん wrote:
> 金のための労働ではなく、社会のための労働ってのも
> いいと思うんですけどねえ。
> 理想的な共産主義は多分良いものなんだろうな。
たぶん、理想的な共産主義っていうのは、
「みんな、好きなように、ボランティアで働く。
結果的に、社会のための労働になっている。」
って感じなんでしょう。
上からの「押しつけ」がないところが、ふつうの共産主義と違うのかも。
コメントって、愛がありますね。
クサイ発言だー。
でも好き(^^)。
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