アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田好史さんへ。あたしの「私」である所長さんも、現在ひきこもり真っ最中なので、一般論ということでなく、所長さんについてお知らせすることにしました。
1)「引きこもり」は悪か
日本では「悪」だということになっています。日本国憲法では「労働は国民の義務であり権利である」と規定されていますから、働きたいのに働けないなら「働く場所や仕事がない」という社会の側に悪が存在することになり、働けるのに働かないなら「国民としての義務を果たしていない」ので、個人の側に悪が存在することになります。
じっさいのところ、単一の理由で善悪をうんぬんできるような単純なものではないと思います。働こうにも受入れてくれる職場がない」とか「働くための精神的エネルギーが出てこない」とか「働くことに対する意義が見出せない」とかいった事情がいろいろ組み合わさって、「引きこもり」という結果になっているわけですから。
2)原因
所長さんの引きこもりの原因のうち、大きなものは二つ、つまり発達過程とPTSDです。
二〇〇一年四月四日に、最高裁の研究会は「凶悪少年犯罪を起こす少年には三つのタイプがある」という研究結果を発表しました。
その1)幼少期から問題行動を起こし、親から体罰や叱責を受けることで行動がエスカレートした。LD・ADHDの人にはこのタイプが多そうですが、ASだとこうしたタイプは少なそうです。
その2)燃え尽き型。親の期待が強く、子供のほうが親の期待を率先して行動し、子供らしい感情を抑えこんできたものの、ついに堪えきれなくなって破綻してしまうタイプ。このタイプは両親も同様に表面的には社会に適応しているが、嫁姑問題など深刻な葛藤た潜在的にある。夫婦の絆が弱いが、表面的な夫婦関係は維持されているため、事件を起こすまでは自分たちの問題に気づかないことが多い。
その3)学業や運動で思春期になって大きな挫折を体験、プライドを傷つけられ、衝動的な犯行に走った。両親が地域の活動に積極的に参加するなど表面的には大きな問題はないが、子供のよい面だけ見てネガティヴな他の面をまったく見ようとしない。子供を過大評価する(あるいは過剰な期待をして子供の実像を見ない)ため、子供が挫折して期待に応えられなくなると、手のひらを返したように子供を無視したり怒りをぶつけたりします。怒りや嫉妬などなどのネガティヴな感情をもった自分を親が丸ごと受入れてくれないため、子供は心の中に闇を育てるようになります。
ですから、子供のタイプとしては(1)と(2)・(3)に分かれ、後者の子供が問題を起こすパターンに(2)と(3)がある、と考えていいと思います。
で、所長さんは後者のタイプで、引きこもりに至ったのは(2)と(3)の複合型、ということのようです。
まず、所長さんの労働環境がめちゃくちゃだったことが原因としてあります。レトリックではなく過労死一歩手前の状態まで追いこまれていました。ですから、所長さんは残業拒否・休日出勤拒否・出社拒否など(ぜんぶ正当な労働者の権利内での話なんですが)を行なったんですが、会社からガンガン抗議の電話が掛かってくるのに堪えかねた両親が、むりやり会社に追い立てる、ということをしちゃったわけです。居留守を使うとかいったことは考えられませんでした。なにしろ所長さんは、「有能で真面目で職場で頼りにされている立派な社会人」だったわけで、それが会社の期待に反してうちで「引きこもっている」(普通に休んでいただけなんですが)なんていうことは考えられませんでした。で、その結果、所長さんは突発性拡張型心筋症という病気で倒れてしまい、そうなると会社は「会社の側が管理責任を怠った」ということを否定するために所長さんを攻撃するようになり、親のほうもそれに同調しちゃったんですね。ここまでが「発達過程」に属する部分です。
で、PTSDの部分にはひとつ、象徴的ともいえるエピソードがあります。
病気のために再就職もままならず仕事も入ってこない所長さんを見かねて、友人の「小豚のキティ(Kitty the Piggy)」さんが、仕事を紹介してくれました。それは大手総合電機メーカーH社(仮名の体を成してないな)が某大手損害保険会社TK社(だから仮名になってないってば)の損保契約データ管理システムの入換の仕事です。KittyさんはH社の子会社でソフトウェア開発会社のHC社の社員でした。
TK社はすでにH社のユーザだったのですが、ハードの老朽化もあってF社あたりのシステム導入も検討していたようです。そこで、2000万円(仮に、です。このあたりの数字は正確ではありません)程度の予算でソフトウェアを開発してもらいたい、とH社に打診してきました。ところがH社の見積では、開発費は軽く3000万円を超えることがわかり、その仕事を1800万円で子会社であるHC社に丸投げしてきたわけです。それで困ってしまったHC社の担当SEであったKittyさんが、「じつは私の友人にKILROYという『化け物』がおるんですが」と所長さんを引っ張ってきたんです。
所長さんは元・防衛関係のSEだったんですが、その損保契約データ管理システムが、H社の見積が不動産情報システム「RAINS」とほぼ同様の設計を想定して行なわれており、これは新バッジシステムの中央指揮所の統制データ管理システムとまったく同じシステムによって実現できることを、資料をちょこちょこっと見ただけで見破ってしまいました。
ほんでもって設計を見直し、新たにそれに合わせた見積を立ててみたら、だいたい開発費は1000万円強、という数字が出てきました。
TK社ではコンペ形式を取ってその中から選ぶということでしたので、所長さんは仕様書・基本設計書・詳細設計書・開発計画書を作成し、万全の体勢でコンペに臨みました。ただし、受注の窓口はH社本社なので、HC社は結果待ちです。ところが、H社本社はそうやって受注した仕事を、H社単独で請けることにしちゃったんですね。つまり、利益が出るとなったらつまんで持ってっちゃったわけです。
HC社の担当者およびKittyさんの面目は丸つぶれです。要するに、結果的に所長さんの仕事をパクるために利用されたわけですから。所長さんは「せめて調査費とかいった名目で金は出ないんですか?」と粘ってみたんですが、受注を前提にして予算が組んであるものだから、仕事が入ってこなければお金が払えない、ということでした。で、親会社から天下ってきた取締役が睨みをきかせているので、本社の恥になるような事実は認めるわけにはいかない、ということでした。「じゃあ、せめて課長クラスの人間がポケットマネーで一席設けて、Kittyと私に詫びを入れろ」とゴネてみたんですが、それも取締役との関係があるからダメ、ということになり、Kittyさんが所長さんい一杯おごる、ということになりました。だけど被害者が被害者に謝罪したって、落込むだけですよねぇ? 所長さんは日立本社にねじ込んで対処してもらうことも考えたんですが、そうするとHC社の担当者に迷惑がかかってしまいます。それでしかたなく泣き寝入りすることになりました。以来Kittyさんとの関係も気まずくなっちゃってます。
で、似たような経験が何度もあって、所長さんは「有能であること」「真面目であること」「信義を守ること」「誠実であること」「社会の秩序を守ること」「法律を守ること」といったことに対する、実存的な疑問を感じちゃったんですね。で、PTSDと実存神経症を併発してしまいまして、「仕事」というのができなくなっちゃいました。より正確にいうと、「仕事」自体はできるていんです。ところが、納品が終わったとたんに向こうの会社がゴネだして、担当者が「私自身はお支払いしたいんだけど、会社の方針としてはお支払いできない」みたいなことを言いだすと、もはやアクションを起こす気になれなくなってそのまんま鬱状態にずどぉんと落込んでしまって、一ヶ月二ヶ月そこから抜けだせなくなる、ということが続いたものだから、仕事を探す気力が湧いてこないまま、アルゴリズムの開発やら基礎データの収集やらを続けている、という状態にいます(そんな訳ですから、どなたか「確実にお金が落ちる」という仕事があったら所長さんに紹介してあげてください。「『勝ったも同然』男」「納期に足がかかったら二十人力」と言われた鬼のようなシステムエンジニアです)。
所長さんがつくづく感じているのは、誠実な人間でも組織の一部になっちゃうとその「誠意」というものが結果的に悪いほうにしか作用しない、ということです。で、ごく最近になって雪印乳業・三菱自動車・JOC・新潟県警などで同じメカニズムによる不祥事が起きており、そういった「無責任の体質」について系統的な研究が行なわれていることを知りました。
で、それが次の「対策」につながってゆくわけです。
3)「引きこもり」対策
個人は組織に対抗できません。つまり、個人はどうしても「誠意」に縛られるのに対し、「組織」は「誠意」と「常識」を場合によって使いわけることができます。
いままで引きこもっていた人が社会に出る、ということは、「個人」として「組織」に向きあわなければならない、ということです。学校から会社、会社から会社という形で組織から組織へ渡り歩いてきた人たちとは、我々は始めからポジションが違います。
ですから、「引きこもっていた人々」に対して開かれている組織、というものをまず作り、「組織対組織」という形で社会と向きあう必要があります。
リクルーターありマーケッターあり営業あり顧問弁護士ありカウンセラーあり医師あり組合活動家ありといった、ほとんどひとつの「自治体」に近い形での「組織」として、「引きこもり」の人々を受け入れる「場」が必要なんです。
『アスペルガー共和国』のNGO化、企業化、そして労働組合化を、所長さんとKILROYさんが真剣に考えているのには、そういう理由があります。
またしても長大なレスになってしまいました。もう呆れて声もないでしょうが、お許しください。
Maria
Mariaさん wrote:
> 「この掲示板に書込みをしている『あなた』は、どんな『あなた』ですか?」
ふだん職場にいるときに較べたら「素」に近い
(同僚には話せないようなことも話せる)
けど、完全な「素」ではなくて、ちょっとカッコつけてたり、
自分の中にある感情の一部(ネガティヴな考え方だったり堅苦しいところだったり)
を増幅して語ってるような気がします。実際はもっと複雑。
Mariaさん wrote:
お返事ありがとうございます。
>ぴよさんwrote:
>>私の場合は、ほぼ素のままの「自分」です。
>>ここの掲示板では、もう100%といっていいかも。
> 勝手な想像ですけど、ひょっとしたら「小学校・中学校時代の友達と喋っているときの自分」に近いんじゃないですか? 最初に見につけたペルソナをそのまま持ってきたような。わりとやんちゃでカルいタイプのひとに、そういうひとって多いような気がします。きっとムードメーカーで明るいひとなんだろうな、と想像します。あたしはめちゃめちゃクラいぞ。
じつは、小学校・中学校時代には、
気の合うというか、話の合う友達があまりいなかったんです。
どっちかいうと、高校・大学時代の友達としゃべっている。
って感じかな?
でもね、、、
つい最近まで、3年間ぐらい鬱状態が続いてたんですよ。実は。
> リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』説というのは、日本ではヘンな紹介のされかたをしたものだから誤解されている部分が多く、ぴよさんも誤解されているのではないかと心配しています。
> 「個体は遺伝子に操られているのだ」と考える人がけっこう多いのですが、逆に遺伝子のほうが「生命の乗り物」であって、本質というのは生きている個体のほうにあります。なぜかといえば、遺伝子というのは単なる「二次記憶媒体」であって、本来存在したのは細胞内で活動しているRNAと酵素なんですね。コンピュータでいえば、メモリ中で動いているプロセスのほうが主体で、二次記憶媒体の中に存在するプログラムは、それだけでは単にデータでしかないからです。
> 生物はもともとRNA世界の中で活動していたんですが、「逆転写酵素によってRNAの内容をDNAに書きこむ」「転写酵素によってDNAの内容をRNAとして読み出す」ということができるようになって、二次記憶媒体としてのDNAが実用化された、ということが分かっています。いわゆる「DNA→RNA→酵素」という「生物学におけるセントラル・ドグマ」の崩壊、というやつです。
> 今西進化論とか、木村資生先生の「遺伝子進化の中立説」なんかは勉強してみると面白いですよ。いわゆる「先カンブリア爆発」(『ワンダフル・ライフ』という、バージェス頁岩(けつがん)化石に関する面白い本があります)なんかの原因とかも、考えてみると面白いし。
っていうか、個人的には、二元論があんまし好きじゃないので、
遺伝子と個体を同一視しちゃってます。
あとで考えたんだけど、どっちかというと、ガイア仮説のほうが、しっくりくるかな。
> えー、最後にひとつ。できればマリア「さま」ではなく「さん」とか、でなかったら呼び捨てにしてくださると、わりと気が楽です。「マリア様」とかいうとうちの鬼姑(クロパの妻マリア)とかうちの旦那をストーキングしていた女性(マグダラのマリア)のことになっちゃいますから。あたしは「ベタニアのマリア」です。
了解です。
ではまた。
お返事ありがとうございます。
ぴよさんwrote:
>私の場合は、ほぼ素のままの「自分」です。
>ここの掲示板では、もう100%といっていいかも。
勝手な想像ですけど、ひょっとしたら「小学校・中学校時代の友達と喋っているときの自分」に近いんじゃないですか? 最初に見につけたペルソナをそのまま持ってきたような。わりとやんちゃでカルいタイプのひとに、そういうひとって多いような気がします。きっとムードメーカーで明るいひとなんだろうな、と想像します。あたしはめちゃめちゃクラいぞ。
リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』説というのは、日本ではヘンな紹介のされかたをしたものだから誤解されている部分が多く、ぴよさんも誤解されているのではないかと心配しています。
「個体は遺伝子に操られているのだ」と考える人がけっこう多いのですが、逆に遺伝子のほうが「生命の乗り物」であって、本質というのは生きている個体のほうにあります。なぜかといえば、遺伝子というのは単なる「二次記憶媒体」であって、本来存在したのは細胞内で活動しているRNAと酵素なんですね。コンピュータでいえば、メモリ中で動いているプロセスのほうが主体で、二次記憶媒体の中に存在するプログラムは、それだけでは単にデータでしかないからです。
生物はもともとRNA世界の中で活動していたんですが、「逆転写酵素によってRNAの内容をDNAに書きこむ」「転写酵素によってDNAの内容をRNAとして読み出す」ということができるようになって、二次記憶媒体としてのDNAが実用化された、ということが分かっています。いわゆる「DNA→RNA→酵素」という「生物学におけるセントラル・ドグマ」の崩壊、というやつです。
今西進化論とか、木村資生先生の「遺伝子進化の中立説」なんかは勉強してみると面白いですよ。いわゆる「先カンブリア爆発」(『ワンダフル・ライフ』という、バージェス頁岩(けつがん)化石に関する面白い本があります)なんかの原因とかも、考えてみると面白いし。
えー、最後にひとつ。できればマリア「さま」ではなく「さん」とか、でなかったら呼び捨てにしてくださると、わりと気が楽です。「マリア様」とかいうとうちの鬼姑(クロパの妻マリア)とかうちの旦那をストーキングしていた女性(マグダラのマリア)のことになっちゃいますから。あたしは「ベタニアのマリア」です。
どもども。 家事が嫌いで有名な Maria
武田好史 wrote:
> みなさんこんにちは。
> このページの読者の人には、社会の中でそこそこがんばって仕事をしている人もいれば、心身共に疲れ果てて・世の中でどう生きていったらよいか迷い、引きこもり状態という人もいると思います。
> そこでみなさんに質問です!
>
>1.「引きこもり」をすることは、悪なのでしょうか?
私自身も29才で世間の「常識」では「働いている」年齢に達していますが、「何となく今の世の中では、自分を生かせる場がない・・・」ということで、引きこもり中です。引きこもりというよりは、「就労拒否」といったほうが正確かもしれません。
私は、善悪論はさておいて、「引きこもりとは、生きていくためのエネルギのー欠乏状態の一つの形態である」と考えています。
>2.原因は何なのでしょうか?
いろいろあると思いますが、私が思い当たるところでは、次のようなことがあると思います。
A.「知識偏重」の教育を盲目的にしてしまったため、子供の自尊心・博愛心・想像力・創意工夫など、本当の意味での「生きていくための力」が十分に育まれなかった。
B.ASやLD・ADHDなど、「感受性が高い」「認知能力・情緒に問題がある」「コミュニケーションが上手でない」子供が、障害に対する理解が不十分なために、「ダメな子」扱いされ続けた。
C.仕事というものは本来、「世の中が良い方向へ向かうためにがんばること」であるのに、いつの間にか「お金を稼ぎ続けること」になってしまい、働いている人が「ゆとり」失った。そんな親御さんを見ていた子供たちが、働くことを「怖い」
と思うようになってしまった。
>3.「引きこもり」をしている人が幸せに暮らしていけるためには、どのような支援をしてあげるのが望ましいのでしょうか?(何が癒しにつながるのでしょうか?)
とにかく一番重要なことは、引きこもりの人が「安心して生きられる!」という環境がいかなる所なのか、ということを社会全体でよく考えるということだと思います。不安というものは、薬というもので100%コントロールできるものではなくって、刺激の少ない環境とはと考えて落ち着き・徐々に普通を目指していくことでコントロールしていくのが大切だと思います。また何も、「人並みに社会交流できること」をゴールと位置づけなくともよいと思います。
私もそろそろ気になってきたのですが、「親なき後どう生きる?」という問題があります。私たちのような精神的脆弱性を抱えている人間は、孤独で年金暮らしをしていたり・精神病院に入院して余生を送るよりは、似たもの同士寄り集まって・お互いをかばいあい・悠々自適にできる範囲で社会貢献できる環境で過ごした方がずっと幸せであると思います。
アスペが住まう楽園「レスデテン」をそのうちみんなで創りましょうか・・・・
#「レスデテン」と名付けた僕の夢の世界は、穏やかな安らぎに満ちていて、悪い#ことは何一つ起こらず、宇宙のどこか、遙か彼方の太陽の周りを回っています!
#僕が小さな子供だった頃には、この地球上の生活がつらく不可解な時はいつも、#僕はそこで、オリンピア河の急流が走り抜ける荘厳な山々の光景に身を隠してい#るのが好きでした・・・
#リチャード(ASの青年)作の詩から。
#トニー・アドウッド著「ガイドブック・アスペルガ症候群 親と専門家のために」より。
いつきさん、丁寧なご返事をありがとうございます。
いつきさんは小説を書かれるそうなのでお分かりいただけると思うんですけど、この「丁寧なご返事をありがとうございます」の一文を書くだけで、私はドキドキしてしまいます。「丁寧な」でおかしくないかな? 「ご丁寧な」とか書いたら皮肉みたいに聞こえちゃわないかな? 「RES」や「レス」じゃなれなれしいし、「レスポンス」だとキザな感じがするし、「ご返事」というと私信への返事みたいだし……そうやって、逆に自分の感覚から自分自身のイメージを逆算してゆく過程というのが、文章を書くときにはあるように思います。
そう……たとえば自分が何気なく書いた登場人物が、いろんなセリフを喋らせているうちに血肉をまとってどんどん具体的な「人物」になってゆく過程というのを、たぶん感じておられるのではないかと思います。
「自分」といっても、ふだんいろんな人と接しているときの「役割としての自分」、つまり「ペルソナ(仮面)」としての自分と、その下の……「顔のない顔」とでも言うんでしょうか?「生の自分」というのがあると思います。大槻さんの場合は「生の自分」というのがまずあって、インターネットという匿名性の中で「自分が自分らしくふるまえるペルソナ」というものを作りあげた、と思っていいのでしょうか。
だとしたらいつきさんはあたしやMr.Motoと同じですね。なんか、呼吸が楽、という感じがしませんか?(具体的な質問、ではありません。そうだったら嬉しいかも、ということです)
あたしの本体である「私」の場合、Mr.Motoという「怪物」を飼っているので、あたし自身はのほほんとしていられるところがあります。ですから、「私」は「私」の本当の気持を知りたいときには、あたしに喋らせる、ということをします。で、ときどき思いもよらないことをあたしが喋るので、びっくりしてたりします。
「私」って変な人かな? Maria
Mariaさま wrote:
> そこでお聞きしたいんですが、この掲示板に書込んでいる「あなた」は、あなたにとってどんな人ですか? もしもそれが普段感じているあなたとは別の「あなた」だとすると、あなたと「あなた」が対話したときに、どんな感じがしますか?
私の場合は、ほぼ素のままの「自分」です。
ここの掲示板では、もう100%といっていいかも。
ただ、自分が「利己的な遺伝子」の思想を支持しているからか、
(自分の体は、ただの「遺伝子の乗り物」にすぎない。っていう思想です)
ここに書き込んでいる「自分」は、
実はミームなんじゃないかと思っています。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/2989/meme.html
Maria wrote:
> 「この掲示板に書込みをしている『あなた』は、どんな『あなた』ですか?」
まだ二回しか書き込んだことはありませんが・・・
書き込みをしてる自分は、全てをさらしている自分。
まわりの人はみんな、どこかで自分と同じ疑問を感じてるんじゃないか?と思いながら。
社会に当然のように適応してる「普通の人」にはさらせない顔で。
私は、人間社会の中で「違和感」を感じている人が好き。
違うっているということがどんな気のするものかわかってくれるから。
私が「普通の人」と違う目で周囲を見ていること、
ひとが見ているものがみえないかわりひとにみえないものが見えているということ。
「普通の人」がもしそれを知ったら、まるで視姦されてるように感じるんじゃないだろうか。
(逆に言えば、私だって「みえないはずのものを見られている」恐怖感にさらされて生きてるのだけど。)
だから、普段は自分にみえている本当の世界の話なんて周囲の人にはできないな。
ここのみなさんは、「同類」だから。
そして、インターネットという匿名のフィルターを通しているから。
ついでにいうと、この掲示板のことは友人には言えませんね。
自分の書き込みは友人の知らないハンドルでやってるからいいけど、
みなさんの全ての発言が(普通の人にとっての)「怪物」である自分をさらしているようで。
> 心理学における基本テーゼは、「意識は嘘をつく。けれど行動は嘘をつかない。」というものがあります。「自分が考えていること」と「自分の行動」が一致しないときは、行動のほうが本当の自分だ、ということです。
>
> 「文章を書く」ということは「行動」の一部ですが、「自分が考えていること」を書いているという意味では、「意識」の一部です。
> ですが……なんか違うんですよ。これが。
まったくだ。
小説とか書くときは、いかにかくということをを「行動」にかえるかに苦労します。
でも、「この文章は自分の「意識」の産物、つまり嘘なんじゃないか??」と思いながら書いた文章も、
しばらく時期をおいてから読み返してみると自分の「本当」がさらされていることに気づく。
嘘が下手なんでしょうかね。
「これは嘘だ」とわかってしまえば、あとは「このような嘘をついた」という行動が残るだけ。
ついた嘘のせいで真実をさらしてしまう。
余談ですが、私が「自分がアスペルガーなんじゃないか?」と思ったのは、
自分が趣味でかいた短編小説の登場人物に、あきらかにアスペルガーにあてはまる人
(自明とされるものを信じることができない、
ベタベタした人間関係は苦手だけど友人をもとめてはいる人)が登場してたから。
その小説は、そのアスペルガー的人物が自分の一番親しい友人に「自分に本当に見えていること」、
「自分はあなたとは違うものを見ている人間なんだ」ということを会話の中でわざと示す・・・
自分の中の、その友人や普通の人と異なる感性を暴露する、
それによって「友人」は彼と虚心につきあうことが難しくなる、
というストーリーです。
「友人」の一人称で。
私たちは、普通の人と違うことを感じている。
それって、「別の世界にすんでいる」のとどう違うんだろう?
行動や能力・適性の相違は認められても、
「感性の相違」って受け入れられるんだろうか?
私はいつも、他人の心を覗き見しているような感覚にとらわれてしまう。
アスペルガーという病名を知ってから、
疑問に思ってること。
私は人とことなっている。
そして、私は自分とことなるものへの理解
(不必要なまでの恐怖感をおぼえないこと、
ことなるものに歩み寄ろうとする姿勢)は
「普通の人」よりはるかに優れている(つもり)。
これは、自分のアスペルガー的特性等の力なんだろうか?
「相違」への偏見を持たないということは。
それとも単純に、いつも「自分とことなるもの」
にさらされているマイノリティであるがゆえに、
ことなるものに接すること、理解することになれているのか。
同じ疑問の言いかえかもしれないけれど、
「自明性を疑う」というのは、
アスペルガー者の本質的な特長(ええ、長所ですとも)なのか。
ただ自分の価値観にとって「自明なもの」が周囲に存在していないだけなのか。
もしアスペルガーがマジョリティ、非アスペルガーがマイノリティであれば、
あなたは現在の「健常者」のような偏見にとらわれないといえますか?
かなり専門的な話になるので、多くのメンバーの方にはご迷惑だと思います。
ですが、この『アスペルガーの館の掲示板』について結構重要なことのように思うので、ちょっと質問させてください。
「この掲示板に書込みをしている『あなた』は、どんな『あなた』ですか?」
心理学における基本テーゼは、「意識は嘘をつく。けれど行動は嘘をつかない。」というものがあります。「自分が考えていること」と「自分の行動」が一致しないときは、行動のほうが本当の自分だ、ということです。
「文章を書く」ということは「行動」の一部ですが、「自分が考えていること」を書いているという意味では、「意識」の一部です。
ですが……なんか違うんですよ。これが。
そもそもは、あたしの本体である「私」(と呼んでおきましょう)が、メールを書くのが苦痛なものだから、せっかくいただいたメールに返事が出せない、という症状に悩まされている、というのがありました。で、現在、「所長」さんはほとんど文章が書けない(KILROYさんはなんとかなってます)、という状態だったりします。
にもかかわらず、あたしはこうやってさくさく文章を書いていられるんです。これ、本っ当の話、冗談とかじゃないんです。真面目な話です。
心理学のグループ療法で、「ロールプレイング」というのがありますよね? 椅子をふたつ向かい合わせに置いておいて、それぞれの椅子に交互に座って、たとえば自分と母親とかいった、別々の役割を演じて対話する、といったものです。
あたし……というか、Joshya(本来はNajasでしたが)とMariaというのは、心臓病で三ヶ月ほども入院した「私」が仕事ができなくなり、一年以上も自宅でリハビリをしながら悶々としていたときに書きはじめた小説、『ふたりで聖書を』のキャラクターです。つまり、あたしたちは原稿用紙にしてたぶん千枚以上のロールプレイングをこなしてきた、という経験があります。でまあ、Joshyaさんは「私」の分身とはいえかなり作為的というか稀薄なキャラクターであるのに対し、Mr.MotoとMariaは、明らかにどこか別のところ……つまり、意識的にコントロールする必要を感じないキャラクターなんです。
それに対して「私」にいちばん近い所長さんは、仕事上のトラブルに絡んで延々といろんなひととやりあった結果、かなり痛めつけられちゃったという経緯があります。ビジネス文書みたいな定型文書や技術文書の類はKILROYさんが書いているのでそれほど問題はないんですが、「自分の意志」というか、「自分の意見」というか、そういったものを書く立場である所長さんは、ここ数年かなり文章を書くのに苦労しています。
この掲示板に書込みをされているメンバーの中には、ほとんど素のままで出ていらしている方と、明らかに普段の自分とは別、あるいはふだん「自分」として手紙なんか(メールもそうです)を書いているときと、この掲示板に匿名で書込みをしている時ではかなり違うという方がおられるようです。
そこでお聞きしたいんですが、この掲示板に書込んでいる「あなた」は、あなたにとってどんな人ですか? もしもそれが普段感じているあなたとは別の「あなた」だとすると、あなたと「あなた」が対話したときに、どんな感じがしますか?
むつかしい質問ですが、できれば伺いたいと思います。 Maria
リーゼ、5mg錠(Y-RZ 5)。十年来愛用してます。
あとは、「せんぶり」。10センチくらいのを一本、五ミリくらいにちぎって、茶碗二杯ぶんくらいの水で煎じて半分まで煮つめ、濾してから熱いうちに。これも二十年来愛用。
さくらかのえ wrote:
といいつつ、よく考えたら本を買ったり食べ物を買ったりしてるから
消費者としては貢献してるってことか・・・
わたしは「自分がなんなのか」「自分はなにをどう感じるのか」にしか興味がない。(大ざっぱに言って)
その材料として本を読み、テレビを見、インターネットをする。
「社会の中で自分はなにをしたいのか?」ということになるとさっぱりです。
わたしのホントにやりたいことは、社会や他人と関わらないことばかり。
一日中パジャマのままでごろごろするとか。本を読んで昼寝をするとか。
わたしにとって仕事(家事雑用やボランティアも含む)というのは、たとえどんな仕事であれ、
「やるべきもの」だからやっているだけの「どうでもいい」こと。
身の回りのことすら「どうでもいい」。人間関係を維持するのもめんどくさい(これも一種の仕事)。人脈もない。
どんな人間にも取り柄はあるといいつつ、そういう人間を社会は肯定しない。
社会にとっての「取り柄」というのはあくまで「社会に貢献する」資源だからだ。
資源とならない性質は社会にとっては必要ない。
この世に存在している限り、わたしは居場所を感じることはない。
なぜ人間には光合成ができないのだろう。
光合成ができれば食事なんてしなくていいのに。
なぜ人間には胴体があるのだろう。
胴体がなければ着るものの心配をしなくていい。
その上、空中を漂っていたりすれば住むところもいらないから
家賃もかからない。食費も服代も家賃もいらなければ働く必要はない。
・・・そういうものに、わたしはなりたい。
ななは wrote:
>Mariaさんへ
>
>こんばんは。横レスごめんなさい。
>私はごくごく最近訪問させてもらって、質問にレスをして頂いたりして
>大変助かっている1人です。たしかに話題によっては限りなく広がるものも
>あると思いますが、これはあくまで波もあると思います。
>実際は見てるだけの人のほうが大多数かもと思います。
>
>仕切る人って言うのは居ない方が良いんじゃないでしょうか?
>武田さんがよく質問提起をされていますが、これもまたよい形態かな、
>と思うんです。
私「なぜ人を...」のとこでは、失敗したなと思っている。レスの山っていうのは、質問提起者にとって冥利に尽きるというものだけれど、いかんせん、それらすべてに応える時間が、私には足りなかったのね。仕切るのはいけないが、無責任なのも同罪だよな。
>*** 別件ですが、みなさんに質問です。***
>常用されている薬はどんなものがありますか?
生理痛対策にバファリン、腹痛対策には正露丸ね。これぐらいなもん。これいまどき健常者より少ないやね(^_^;)。私くすりで病院に貢ぎたくないの。いよいよ使うとなったら、「良くなったらなにがしたい」という明確なビジョンが定まったときと決めているんで(いったい何年後になるんだろうか...?)。
というわけで次回の来館は、20日以降の予定です。
みるさんへ
No.4041は私のカキコへのコメントだったんですね。ありがとうございます。
あたしもコメントには愛があると思います(Motoさんも、「私の『叱り』には愛がある」と断言しちゃってます)。
そう。たしかにクサイんです(No.3490の所長さん(当時はKILROY名義)の「泣き」なんか、あれって……堪んないですよねぇ?)。で、確かにクサイけど、やっぱり好き。
あたしの一方的な思いこみだったらごめんなさい。でも、なんかみるさんとは共通するものを感じます。
以上、Mariaでした。
部屋から一歩も出なかろうが、誰とも口を利かなかろうが、仕事をしている人間を「引きこもり」とは呼ばない。私は過去十数年在宅勤務をしているが、私を「普通の社会人」と「引きこもり」に分ける規準は単に仕事と収入のあるなしである。小説家や漫画家だって、仕事がなくて担当編集者の足が遠のけば「引きこもり」と変わらん。
労働基準法は「これだけは休め」と定めているが、べつに「何時間以上働け」とはどこにも規定してない。
本人が住んでいる部屋を「小規模事業場」とみなせば、各事業場ごとに賃金台帳を作らなければならないが、こんなものは「台帳=ファイル」と思えばソフトウェアで何とでもなる。そもそもISDNの転送機能を使えば、会社で受けた電話を部屋に転送することができるし、常時接続のコンピュータで仕事をしていれば、会社で仕事をしているのと実質的に同じである。
普通は仕事があって人を雇うのだが、まず人を集めておいて仕事を探す会社だって、吉本興業を筆頭にしていくらでもある。そもそも私の仕事は「アルゴリズムを開発する→買いそうな会社を見つける→売り込みをかける→仕事にする」というパターンが少なからずあった。このパターンで最低でも三千万円は稼いでいるはずであるから、仮に(派遣や受託の仕事もあったので)実質五年間としても年六百万円の収入である(もっとも持逃げされて私の懐には落ちなかったが)。
働きながら学び、技術をつけるシステムだって、気象大学や防衛大学校ほかいくらでもあるし、アルバイトをしながら大検を受けるための勉強をしている奴だって珍しくない。また、発達障害児はコンピュータ親和性が高く、コンピュータを用いた個別学習による効果がかなり期待できる。ASにもプログラムが書ける奴だってみどりさんぴよさん等少なからず存在するし、幸か不幸かテストユーザは身近にゴロゴロしている。
個人と同様に法人もNGOの会員になることができるから、「アスペルガー共和国」をNGO化し、会社を作って「アスペルガー共和国」の会員にすればいい。老後の時間を持て余している人は山ほどおるのだから、雇用に困ることもあるまい。
託児所の経営やフリースクールの経営や介護サービスまで含めればけっこうなビッグ・ビジネスになりうるし、なんならビジネスモデル特許だって取れるかもしれない。
実現にはいろいろと困難もあると思うが、やりようによっては何とかなりそうに思う。「こんなところが問題になるのではないか?」「どこそこにこういった事例がある」とかいった情報があれば寄せられたい。
言っておくが我々はマジである 所長&KILROY
彼はしんじつ居場所のない男
どこでもない場所にいて
誰のためでもなく
受けいれてもらえない計画を
立てている
立場というものを認められず
行くあてもない
だけど僕やあなたと
ちょっと似ていると思わないかい?
居場所のない男よ
ちょっと聞いてくれないか
君は自分が見落としているものに気づいていない
世界は君の号令を待っているんだよ?
君は自分にできることが見えていない
自分が見たいものだけを見ている
少しでいいから僕を見てくれないか?
心配はいらない
慌てなくていい
急がなくていい
要らないものはみんな捨てて
手を貸してくれる誰かのところへ行こう
"NOWHERE MAN" THE BEATLES
訳詩:Joshya & Maria
こんにちは、武田様。
>1.「引きこもり」をすることは、悪なのでしょうか?
何らかの原因で日常生活を行うことが困難となった場合の自己防衛手段として使うことについては悪いなんて思いませんし、積極的に使うべきだと思います。
>2.原因は何なのでしょうか?
個々のケースがあるので一概に断定は不可能だと思いますが、私の経験を踏まえると、このまま通常の生活ローテーション(起床→朝食→職場(学校))を続けた場合、著しく身体または精神的に危害を加えられる可能性が高いからだと思います。
>3.「引きこもり」をしている人が幸せに暮らしていけるためには、どのような支援をしてあげるのが望ましいのでしょうか?(何が癒しにつながるのでしょうか?)
まずは引きこもった人に対し話し掛け、話を聞くことだと思います。
絶対にしてはいけないのは、相手方の一方的な思い込みで無理矢理外に連れ出すことだと思います。
私の知っているケースで、出社拒否になった方に上司が強制的に出社を命令した結果、朝外を出たまま行方知れずになったということもあります。(結局規定の日数行方不明だったため、解雇されました)
日常生活を捨ててまで引きこもるというのは、よほど精神的に追い詰められた状態だと思います。
理由はどうであれ、引きこもった人の言い分はきちんと聞くことが大事ではないでしょうか。
武田好史 wrote:
> みなさんこんにちは。
> このページの読者の人には、社会の中でそこそこがんばって仕事をしている人も> いれば、心身共に疲れ果てて・世の中でどう生きていったらよいか迷い、引きこ> もり状態という人もいると思います。
> そこでみなさんに質問です!
>
>1.「引きこもり」をすることは、悪なのでしょうか?
こんばんは、武田さん。
そうは思いません。引きこもりたくて引きこもる人はいないと私は思っています。
>2.原因は何なのでしょうか?
私の知人の方が引きこもりをしていますが、原因は百人百様で、けっして
ひとくくりにしてはいけないと思います。
ただ、対人関係のもつれ、それによって引き起こされた絶望、
が大きな影響であるかな、とは思います。
>3.「引きこもり」をしている人が幸せに暮らしていけるためには、どのような支援をしてあげるのが望ましいのでしょうか?(何が癒しにつながるのでしょうか?)
時間、そして家族じゃなくても理解してくれる、話を聞いてくれる人の存在。
メンタル面を鍛えるばかりじゃなく、軽い抗精神薬(不安を取り除く)
も軽視できないと思います。今問題がやっと重要視されてきていますね。
興味深い話があります:
グレイハウンド犬(競馬ならぬドッグレース犬で、走れなくなったり老化すると
廃犬=昔は鋭利なピックで心臓を刺す事による殺処分、現在は薬殺処分)
の犬たちを救う団体がアメリカにあり、犬を救うだけでなく、アルコール・薬物
依存症の人達に犬を飼ってもらい、生活改善を計るプログラムがあるそうです。
私の読んだ記事では、犬を3匹アルコール依存症の女性に与えたら、
「私が世話をしてやらなければこの子たちは死んでしまう。」とがぜん彼女は
一念発起し、今までは目が開いていたら飲んでいたのに、アルコールはどこへやら、もう朝5時から犬の散歩やら世話を楽しむ生活に、事態が好転したそうです。
話が横道にそれましたが、なにか愛する存在も、必要ではないでしょうか?
稚拙なレスでごめんなさい。
>文月立斎さん wrote:
>あらゆる悪意で心に染み付いた負の感情ってどうやったら消えるでしょう?
>どなたか明快なお答えをお持ちならぜひお願いします。
こんばんは。すみません、横レスですが、ななはです。
私が現在持っている結論は「自分は自分、人は人」です。
いくら自分が傷ついたって、傷つけた人はもちろんケアなんかしてくれないし、
自分でどうにかするしかないからです。
傷ついたままで泣いて暮らすか、かなりつらいですが一日一日試行錯誤で
いろんな方法で、自分を出したり、相手の出方を観察する、自分と対話する、
かは本人の選択だと思います。
私はいつまでも負の感情に支配されたくなかったので、とにかく明るく
気分を持っていく方向に努力はしています。
泣いていても、笑っていても同じに時間は過ぎていきますから。
自分の人生は自分で工夫してやらないと誰も結局は助けてはくれません。
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