アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
さくらかのえさん wrote:
>恋愛・友情・愛着などの対象ではない他人に興味を持ったり
>話題にしたりするのは、本来はすべきではないことなのでしょうか。
私も、このようなことが好きです。
で、それを「してよいかどうか」ということですが、
・本来的には、まったく問題がないが、
「社会のルール」があるので、それとの折り合いがつく範囲で。
だと思っています。
いちおう、「相手のプライバシーに配慮する」というルールがありますから。
#「話題にされている人がどのように思っているか」
#というのが分かれば、「その人が許してくれれば、やってよい」
#ということですから、苦労はしないんですけど。
あと、「その人のやったこと」と「その人の人格」を
ごっちゃにしないところは、私も賛成です。
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉もありますし。
わたしは「人の生態」にわりと興味があって、
ひとの話してることとか行動とか外見とかを見て、
「この人の頭の中はどうなってるのだろう」とか、
「あのひとはどういうひとなのだろう」とか、
「あの髪型って××に似てるなー。面白いなー」とか、いろいろ考えて、
それを話題にすることも多いのですが、
それはやっぱり「嘲笑」したり「バカにしたり」してることになるのだろうか。
「人間こうであるべきでそうでないあの人は劣っている」とか
「可哀相」という観点で見ることはないんですけど。
(その人のやってることに「腹が立つ」「なんとかならないのか」という観点で
一方的になってることはあるけど)
わたし自身が、いないところでどのように想像をたくましくされようが、
実害がない限りかまわないという考えなので・・・
恋愛・友情・愛着などの対象ではない他人に興味を持ったり
話題にしたりするのは、本来はすべきではないことなのでしょうか。
武田好史 wrote:
> みなさんこんばんは。
>
> 4月も半ばを過ぎ、そろそろ学齢期の子は、「なんかこの教室とけ込めない・・・」「なんか勉強についていけない・・・」「先生に怒られてばかりいる・・」といった悩みを抱え始めている頃だろうと思います。
>
>そこでみなさんに質問です。
>
> あなたが思うところの、アスペの子の教育をしていく上で、「これは注意すべきである!」と思うことを3つあげるとしたら、どんなことをあげますか?
1.遅れている・ちゃんとしていないということで、あせらないこと。
(言語的・動作的なスキルの発達に関して)
2.実学的・疑似体験的に、感覚を働かせるように配慮すること。
(自然や職業について、学ぶとき)
3その子に身近な事柄に理解の糸口を見いだしていくこと。
(全体的に)
KILROY氏 wrote:
> 一応 いちおう (副詞)
私は、いちおう、日本語が使えます。
私の考えていること:
「自分は日本語を使うことができるが、
まだまだ自分で満足できるレベルではない。」
さらに考えること:
「表現力がダメダメなので、もっと勉強しよう。
俳句とか詠もうと思うと、とくにそう思うんだよなぁ。。」
Maria wrote:
>
> ただ、辞書に載っている言葉、というのはスーパーでプラスチック・トレイに載せられて売られている魚の切り身みたいなもので、しょせんは「死んだことば」です。だから辞書ばっか引いてると、「なんか、『ことば』が身についてない」という感じになります。
そういわれてみると10歳の女児にしては難しいそうな語彙を使って話していますね。会話の内容と語彙のバランスが悪いようです。
> ただし、「国語辞典を読む」という方法はお勧めです。社会人として手紙を書いたりいろいろと使うことがあるので、これは一冊買っておいて損はないでしょう。『岩波国語辞典』派と『新明解国語辞典』派が二大派閥と言われております。
「広辞苑」は止めときましょう。数年後の入学祝いでGETするということで・・。
上記の二つから検討したいと思います。
>
> 日常的なトレーニング方法としては、「語源を調べる」「英語で言い換えてみる」というのが効果的ではないかと思います。
これは親の私がトレーニングしないといけないのですね。はーー。
>
> 「普通である」だったら、「一般的である」「珍しくない」「おかしくない」「劣っていない」「正常である」「ノーマルである」「スタンダードである」「エキセントリックでない」
お子様向け国語辞典だと
「ふつう」とくにかわったところのないこと。あたりまえであること。
と書いてあります。(私的には「おもしろくないこと。つまらないこと。」なんですが・・)
>
>『例解古語辞典』(三省堂)と、『新明解漢和辞典』(三省堂)と『新英和中辞典』(研究社)です。『イミダス』や『現代用語の基礎知識』なんていうのも便利は便利だけど、そういうのいちいち買ってるとお金がいくらあっても足りません。
さっそく実家に電話して探してもらいます。
>
> でまあ、こういうトレーニングを積んでいると、半年くらいで「あのひと、頭いい」とか人に言われるようになるはずです(もっとも、「あの人は理屈っぽくていちいちうるさい」くらいのことも言われるようなことにもなるんですが)。
女性の場合、男から嫌われるような気がしますが・・(笑)
>
> メモ用紙と鉛筆を常に携帯して、思いついたことを忘れないうちにメモする、というのはいい習慣だと思います。これは人によってさまざまな流儀があり、京大式ノートだったり3・5カードだったりシステム手帳だったりします。
私は一晩寝るとなんでも忘れる体質なので、かなり有効な手ですね。
(そのメモを紛失することが問題なのでしょうが・・)
> またまたいっぱい書いてしまった。反省反省。 − Maria −
いえいえ。大変参考にさせていただいてます。
10年後に娘が直接、書き込みできるようここのBBSの存続を期待しております。
と書いてる横から「サービスバルコニーってなんだ?」と質問が・・。
「おまけのベランダか?」でも、ちゃんと分譲価格に入っているし???
じゃあ、サービスじゃないじゃーん。うーーん??わかんない!
ななはさん wrote:
>同じ様な悩みの方や、私はこれで乗り切っている、という方はいらしゃいますか?
こんにちは。
私も冷房は苦手です。冷え性だと思ったことは一度もないんですけれど。
鍼灸院へ行くようになってから、血流の循環と代謝の関係かなとは思いました。よくわかってはいませんが(^^; わかったようなフリすると先生に怒られるんですよ。ガツンと。
プロポリスを飲んでいます。ブラジル産アルコール抽出タイプを毎日4〜5滴、水といっしょに飲みます。外用にも使えるので、化粧水(今は市販品。以前は自分で作っていました)に混ぜて、顔・手・足先にすりこみます。末端の血行が悪かったらしく、手指・足指に湿疹がひどく皮膚がボロボロむけていたのですが、一年ほどでかなり改善しました。
あとは運動ですね。外を歩けない時は、足を肩幅くらいに開いてまっすぐ立ち、こぶしを軽くにぎって腕を前後に大きく振ります。肩が中心点でこぶしが重りの振り子みたいな感じで、ひじはまっすぐ、できるかぎり大きく振ります。30かぞえて小休止、これを3〜5回くり返すと血のめぐりが良くなります。椅子にすわったまま行なっても有効だそうです。
それと、毎日20分くらいうつ伏せになる習慣をつけられると、いいそうです。私は調子が悪いなと感じた時にしかやらないので(習慣づけが苦手なのです)効果のほどは実証できないかも・・なんですけど、うつ伏せは内臓を休めることができるので先生から推奨されています。なるべく堅くて平らなところで(ふとんのうえは不可です)やります。枕は低いものを使います。
なんかまた長書きしてしまいました。お互い体は大事にしましょうね。では、失礼します。
一応 いちおう (副詞)
「一応Xである」=「Xであるが、本来Xに期待される属性を倶えていない」
例)
「いちおう学生です」=「学生だが、学生の本分である学問をしていない」
「いちおう社会人です」=「社会人ではあるが、社会人としての常識が身についていない」
「いちおうASと診断された」=「いちおうASと診断はされたのだが、『病気』というほど生活に支障が感じられない」
「いちおう、教師」=「教師という肩書はついているものの、人様の御子息御令嬢に講釈を垂れるなんてことができるような、真っ当な人間ではない」
「いちおう商売なんだが……」=「儲かってない。」
「一応、動いているには動いてるんだが」=「いつ止まるか分からない」「止まっているのと区別がつかない」「実用上、役に立たない」などなど。
「で、一応こういうことになっておるんですが……」「おお、十分十分。ありがとう」
「一応、女」「一応、男」、「大人」「主婦」「会社員」「親」「子供」「夫婦」「恋人同士」「友人」……
言い換えてみると、ものごとの本質というのが見えてきます。
他の人の答えと比べてみるのも、また一興。
(KILROY)
Mariaさん wrote:
> ただ、辞書に載っている言葉、というのはスーパーでプラスチック・トレイに載せられて売られている魚の切り身みたいなもので、しょせんは「死んだことば」です。だから辞書ばっか引いてると、「なんか、『ことば』が身についてない」という感じになります。沖縄でいう「知ったかー」「学ぶりー」です。ですから、「自分の言葉」を見つけるよう気をつけましょう。
> 私の恩師の佐貫亦男先生は、「翻訳はこたつに限る!」とおっしゃっていました。で、辞書をなるべく遠くに置いておくのだそうです。そうすると、「日本語としてこなれた訳」になるそうです。
私は結城浩さんのファンなんですけど、
彼も、「翻訳の心がけ」
http://www.hyuki.com/trans/tratips.html
で、同じようなことを書かれています。
: 大事なことは「原文の意味をよく理解し、それを日本語として表現する」ということだ。
> ただし、「国語辞典を読む」という方法はお勧めです。社会人として手紙を書いたりいろいろと使うことがあるので、これは一冊買っておいて損はないでしょう。『岩波国語辞典』派と『新明解国語辞典』派が二大派閥と言われております。
私も、国語辞典を愛読しています。新明解と、広辞苑をよく読みます。
新明解はアクが強い。広辞苑は無味無臭に近いです。
新明解を先に読んで、そのあとに広辞苑で口直しをする感じです。
> 日常的なトレーニング方法としては、「語源を調べる」「英語で言い換えてみる」というのが効果的ではないかと思います。
私がやるのは、語感をつかむことです。
たとえば、「とける」、「わかる」、"solve"、…とかから、
ことばのネットワークを広げていく。
こういうとき、シソーラス辞書があると、ヒントになります。
#グラフで表現してあるやつとか、あるんでしょうか。。
でも、ここらへん、特許の宝庫ですね。
アスペルガー共和国の著作権/特許ポリシーは、どんな感じなんでしょう?
「オープンソース」というのが、いちばん「らしい」のかな。。
語源を調べるというところで思い出したんですけど、
方言を知ると、これがおもしろいんです。
古語が残っていたり、その地方独自の進化をしたり。
日本語の原理をつかむヒントが隠されているかもしれません。
私がよく読む英和辞典は、「ジーニアス英和辞典」(大修館書店)です。
> メモ用紙と鉛筆を常に携帯して、思いついたことを忘れないうちにメモする、というのはいい習慣だと思います。これは人によってさまざまな流儀があり、京大式ノートだったり3・5カードだったりシステム手帳だったりします。
私も、最近、このメソッドを始めました。
いつも持ち歩きできるサイズで、枚数の多いノートを使っています。
無地の手帳なんかがいいのかな?
自分の場合は、カードは、よくなくしちゃうので。
ボールペンなんかも、そこらじゅうに置いてあったりします。
ちなみに、結城さんの方法は、こんな感じです:
「仕事の心がけ−メモの取り方」
http://www.hyuki.com/writing/sigoto.html#id5did2
こういう、「仕事のコツを明文化する」みたいなのって、
確かに、アスペルガー共和国の産業にはぴったりですね。。
#わたしも長文になってしまいました。ごめんなさい。
ななは wrote:
>みなさん、こんばんは。いつもありがとうございます。
>私は最近特に辛いなあと思う肉体的な悩みがあります。
>集団行動が苦手だったため、学生時代から運動クラブには一切入って
>いませんでした。それも関係しているのかなと思うのですが、代謝が悪く、
>体質的に非常に冷え性で悩んでいます。体脂肪率は女性の許容範囲の最低の
>パーセンテージです。今日たまたまホテルで夕食を取る機会があったのですが、
>ちょうど冷風の空調の下に席が決まってしまい、食事は一時間足らずだったのですが、身体が冷え切ってしまい、咳が止まらなくなって困りました。
>応急措置として漢方薬、血行促進剤としてのデパス、温かい煎じ茶・お風呂等
>でやっと2時間ぐらいして寒気は収まりました。
>下着・靴下等もかなり気を遣って温かくしているのに、少し冷風に当たっただけ
>でこの始末です。単に適応力が不足しているのかな、とかなり憂鬱です。
>寒いとてきめん鬱状態や気力停滞や、漢方で言う水毒の状態になってしまいます。
>同じ様な悩みの方や、私はこれで乗り切っている、という方はいらしゃいますか?
女性の方には、冷え性の方は多いです。
私の母も、そうだったようで、冬になると父の倍の枚数の布団を掛けて寝ていました。また学生の頃のガールフレンドと握手したとき、彼女の手が氷水みたいに冷たかったことを、未だにはっきりと覚えています。
低血圧・内分泌系のアンバランス・貧血・自律神経の不調など様々な要因が、女の人の場合、冷え性に結びついているようです。
男性の私でも、緊張が続いたり・今頃のように暖かかったのに急にガクンと気温が下がってしまうとき、足が冷えて嫌な感じがすることがあります。
脚をマッサージしたり、軽い運動をしたりすると直ぐによくなります。
ななは san wrote:
>
>同じ様な悩みの方や、私はこれで乗り切っている、という方はいらしゃいますか?
最初は、、ものすごく身体がきついですが、、無理して、、
運動。。例えば,,エアロビとか、、ヨガとか、、そういうのをやっているうちに、
身体が、、代謝の良いものに変わることはあります。エアロビははーどですが、
ヨガなどは、、それより穏やか。。
ただし。。これは無理して頑張るという、、個人差が出ますから、、どうぞお大事に。ダンス系って、、楽しくなれますよ。ただしこれも個人差あり。。。
やんちゃん wrote:
>はじめまして。やんちゃんといいます(なんか名前が似てますねー)。
(^^ゞ ホント。こちらこそ、はじめまして。(←これって日本語大丈夫?)
>でも解ったからといって、一緒になって嗤う気にはなれない。私も話題の人に近いからね。。
へへ私も(弱点多い。人の話が聞き取れないし、うまく言葉が出てこないし、人に合わせるのが苦手だし、基本的に人と変っているし)。私はさ、側で聞いてて、或はその人と話してて、グサッグサッって感じで暗くなってたりする。それって、私もだよって。話してる方は気づいていないのだろうけど。
それに・・、人を嘲笑しててもつまんないもんな〜。大概が。こういう人って、ストレスでも溜まってんだろうか?
>それに、そんなに馬鹿にするようなこと?って思っている。そういう人って、自分たちを「できる人間」だと思ってるんでしょうね。私はその場にいるのが、ひたすらいたたまれない。
色々な人を馬鹿にしちゃうことができる人って、「あんたはそんなに偉いのか?凄いのか?」 と思ってしまう。 それに、そんなにその人が気になるものかな〜?
>だから、こういう会にはできれば参加したくないんだけど、でも一応「顔つなぎ」っていうか、交流できる時にはしておかないと、と思って、頑張って参加しているのです。
・・・・。私はズルズルズルズルひきずるのが嫌なので、嫌な飲み会とか旅行の誘いとかスパッと断ることにしています。次回のお誘いが怖いですから・・・。
以前はよく一緒について行って、自宅に帰ると死んでました(動けなくて寝込んでた) (いいんです。仕事に関わることはないから。)
・・・え〜と、今回つい過去の色々な不快な体験を思い出して書き込んでしまいました。で、その人達(普通の人という言葉で)の全てを否定しているような文章みたいになってしまって反省してたりします。ごめんなさい。
青りんごさんwrote:
>この手の作業に『広辞苑』などは有効でしょうか? 来月から値上がりするらしい
>ので、購入するなら十日以内にしなければ……と考えています。
「国語辞典を引く」というのは、意外に効果的ではなかったりします。出費を考えると、あまりおすすめできません。知人か親戚に子弟が高校に入学したとか大学に入学したとかいう人がいたら、その人に「『広辞苑』とか余ってませんか?」と訊くのがひとつの手です。卒業祝いだとか入学祝いだとかで、だいたい一冊や二冊は余分が出ます。
もらいっぱなしでは悪いので何かお礼を、と考えるのですが、そうするとそっちの方が高くついちゃうこともあります。「安いモンでごまかせる相手」を狙う、というのもひとつのコツです。
ただ、辞書に載っている言葉、というのはスーパーでプラスチック・トレイに載せられて売られている魚の切り身みたいなもので、しょせんは「死んだことば」です。だから辞書ばっか引いてると、「なんか、『ことば』が身についてない」という感じになります。沖縄でいう「知ったかー」「学ぶりー」です。ですから、「自分の言葉」を見つけるよう気をつけましょう。
私の恩師の佐貫亦男先生は、「翻訳はこたつに限る!」とおっしゃっていました。で、辞書をなるべく遠くに置いておくのだそうです。そうすると、「日本語としてこなれた訳」になるそうです。
ただし、「国語辞典を読む」という方法はお勧めです。社会人として手紙を書いたりいろいろと使うことがあるので、これは一冊買っておいて損はないでしょう。『岩波国語辞典』派と『新明解国語辞典』派が二大派閥と言われております。
『新明解−』(ただし、三版以降)では「合体」の項に『(1) 起源・由来の違うものが新しい理念の下(モト)に一体となって何かを運営すること。「公武−」(2) 「性交」の、この辞書でのえんきょく表現。』とか書いてあって、「通好み」と云われており、『岩波−』はマスコミ関係が用字・用語を統一するさいの目安にするので愛用者が多い、と云われています。
日常的なトレーニング方法としては、「語源を調べる」「英語で言い換えてみる」というのが効果的ではないかと思います。
「普通である」だったら、「一般的である」「珍しくない」「おかしくない」「劣っていない」「正常である」「ノーマルである」「スタンダードである」「エキセントリックでない」みたいな感じでずぅっと挙げてゆくわけです。そうすると、「ある規範から逸脱することで注意を惹くことがない、あるいは非とされないこと」みたいな性質が浮かびあがってきます。つまりは「法的にいって犯罪ではない」とか「医学的にいって病気ではない」とかいうのが「普通」で、「〜的にいってアリなもの」は「フツウ」だと言えましょう。こう考えると「若者ことば」というのもけっこう日本語として正しい、ということがわかります。
こういうときにあたし自身が使っている辞書は、百目鬼恭三郎(どうめききょうざぶろう)さんに『風の書評』という本の中で「高校生にだけ使わせておくのはもったいない」と紹介されてから人気が出た『例解古語辞典』(三省堂)と、『新明解漢和辞典』(三省堂)と『新英和中辞典』(研究社)です。『イミダス』や『現代用語の基礎知識』なんていうのも便利は便利だけど、そういうのいちいち買ってるとお金がいくらあっても足りません(「そのうちシステムソフトあたりから評価用ベータをギッてきてやる」と所長さんは言っています。あてにしないで待ってましょう)。
でまあ、こういうトレーニングを積んでいると、半年くらいで「あのひと、頭いい」とか人に言われるようになるはずです(もっとも、「あの人は理屈っぽくていちいちうるさい」くらいのことも言われるようなことにもなるんですが)。そうすると、話の合うひとというのが周りに集まってきたりします(ハエやハゲタカやカラスみたいなのも寄ってきますが)。
メモ用紙と鉛筆を常に携帯して、思いついたことを忘れないうちにメモする、というのはいい習慣だと思います。これは人によってさまざまな流儀があり、京大式ノートだったり3・5カードだったりシステム手帳だったりします。
「このとき、一番大切なことは何かわかるか?」「『忘れないうちにメモする』こと」
「理由は解るな?」「忘れちゃったらメモできないから。」
お約束のギャグでございました。ぺこり。(←一礼している)
またまたいっぱい書いてしまった。反省反省。 − Maria −
Maria wrote:
>
> 「調子」と「具合」と「加減」の意味の違い、「ちょっと」と「すこし」の意味の違いというのは、決して「あいまい」ではありません。
>
そうですね。
私の頭の中で、「これらの語彙の認識が曖昧だ。明確でない。」という事なんでしょうか。
>
>まず青りんごさんが、教えようとする言葉について、「思いつく限りの用例を掻きあつめ、そこから自分が無意識に使い分けていることを、なんとか意識の上に引っ張りあげて整理し、その上で分かりやすい説明を考える」ことをしなければならないんです。
> ……でまあ、そういうことをいちいちやっていると手間がかかってしようがないので、
本当に手間の掛かる作業です。幼児期は、なんとか自分なりに調べつつこなしていましたが、今後のことを考えると今の私では早々に限界が来るだろうと予想しています。(この手の作業に「広辞苑」などは有効でしょうか?来月から値上がりするらしいので購入するなら10日以内にしなければ・・考えています。)
>
> つまり、実際問題として、現在そういう分野で役に立ちうる人物というのは……たぶん世界中探しても、大野晋先生や金田一春彦先生を含めてなお二十人以上ということはないと思います。で、我が大森総研の所長さんは、その中の貴重なひとりなんです。だもんだから、「これは何とかせねばいかんのじゃぁ〜っ!」とかいって、所長さんとKILROYさんは騒いでいるんです。
少なすぎますー。一家にひとりこうゆう方がいてくれれば・・。
>
> と、いうわけで、今のところもっとも効果的な教育方法は、「娘さんと一緒に悩み苦しむ」というものだったりします。娘さんにとって青りんごさんは、「ぜんぜん勉強してないのに、成績のいい優等生」と同じ立場にいます。ですが、「それを明確に説明する義務を負う」という立場に立ったことで、青りんごさんはようやく娘さんと同じ場所に立つことができた、ということです。
最近は即答できない質問も増え「調べて後日、回答するからねー」と・・。(たまに「明日、担任に聞いてみてね」ということもありますが)
私自身は「いつも宿題が溜まっている状態」なんです。
子供が寝静まった後に、「あーだ、こーだ」考えるのが日課なんですが、それでも
「効果的な教育方法」だったのでしょうか。
> ですが、いずれにせよそのためのテキストは、これから作らなければならないんです。そのためのネットワークづくりも、現在準備を進めている段階にしかすぎません。ですから我々としては、そのための働きかけを青りんごさんにも手伝ってもらいたい、くらいに思っているんです。
こうゆうテキストが存在すれば、私も図書館通いから解放されるし、家事もはかどるのですね。
> まず、同じような悩みを抱えるひと同士が集まってネットワークを作り、関係各所に働きかけを行ない、ノウハウを結集してお互いに知らせあう……そうした地道な努力を続けることしかないと思います。
>
> よろしかったら参加してください。ご連絡お待ちしております。
「ただの一主婦がどこまでお手伝いできるものなのか?」いささか疑問ではありますが、迷惑にならない程度にお手伝いさせて頂きたいと思います。
メールを送らせていただきましたので、よろしくご検討願います。
揉ませてほしい、と思う。
(KILROY)
あさかぜ さんwrote:
>そのひとがもし自分のグループのこどもたちに「小5の○○さん、中1の○○くん」と呼びかけたら、その場で監督者から「お前は今すぐ荷物をまとめてここから出て行け」と告げられることになります。理由は一切説明されません。
>自分でその理由を考え反省し、監督者とグループのこどもたちに謝ることができれば、そこに留まることが許されることもあります。『人間として向き合う』ことは日々鍛錬していかなければ見につかないし、鍛錬を怠ればすぐに忘れてしまうものだという考えかたがその根底にあります。
厳しい世界ですね。
社会生活をしていると、どうしても人を肩書やなにかのカテゴリーで見てしまいます。
5分と経たないうちに追い出されてしまいそうです。
みなさん、こんばんは。いつもありがとうございます。
私は最近特に辛いなあと思う肉体的な悩みがあります。
集団行動が苦手だったため、学生時代から運動クラブには一切入って
いませんでした。それも関係しているのかなと思うのですが、代謝が悪く、
体質的に非常に冷え性で悩んでいます。体脂肪率は女性の許容範囲の最低の
パーセンテージです。今日たまたまホテルで夕食を取る機会があったのですが、
ちょうど冷風の空調の下に席が決まってしまい、食事は一時間足らずだったのですが、身体が冷え切ってしまい、咳が止まらなくなって困りました。
応急措置として漢方薬、血行促進剤としてのデパス、温かい煎じ茶・お風呂等
でやっと2時間ぐらいして寒気は収まりました。
下着・靴下等もかなり気を遣って温かくしているのに、少し冷風に当たっただけ
でこの始末です。単に適応力が不足しているのかな、とかなり憂鬱です。
寒いとてきめん鬱状態や気力停滞や、漢方で言う水毒の状態になってしまいます。
同じ様な悩みの方や、私はこれで乗り切っている、という方はいらしゃいますか?
大槻いつきさんwrote:
>大森総研のみなさまが実は同一人物だと思うとなんともはやな気分ですわ
>わたくし。
>でもでも、わたくし繊細なあまり強くならざるをえないMariaさんが大好
>きですことよ。
ありがとぉ〜! いつきさぁ〜ん、愛してまぁ〜す!
……というような話は置いておいて。よいしょ。(←置いている)
あたしはなんでこんなふうに発言しまくっているのか、という話をしようかな、と思う。
で、なんでか。それは楽しいからだ。
……こう言ってしまうとミモフタモないのだけれど、もうひとつの大きな理由は、「発言する楽しさ」っていうのをみんなに知ってもらいたい、というのがあったりする。
この掲示板を見ているひとのほとんどは、たぶん自分ではカキコなんかとてもできない、と思いながら見ているんじゃないかと思う。「文章の才能がある人って羨ましいなぁ」とか思っているかもしれない。だけど、あたしは「そうじゃないんだよ」と言いたいのである。
文章を書くことの七割は、才能ではない。残りの三割にしても、「才能」というよりも「個性」の部分がほとんどであり、この掲示板のメンバー大部分はといえば、ASあるいはAS傾向という個性の持ち主だったりするのである。だったら、残りの七割をなんとかすれば、たぶん百点満点で八十五点くらいをコンスタントに狙える人がほとんどなんじゃないかとあたしは思うのである。
じゃあ、その「残りの七割」というのは何かといえば、「理論」と「訓練」と「スタイル」だと思う。
あたしの『いじけ虫のつぶやき』(No.4309)にしても、じつは、そうだったりするわけです。
>あたし、「Maria」なのに。しくしく。あたし、けっこう人の名前には気とか
>使ってるのに。めそめそ。
>いいもん。ASの妻もどきさんとか、BISさんとか、そういうひとと仲良くし
>ちゃうもん。いじいじ。
あたしの言いたかったことは、「人の名前は正確に表記しよう」ということも含めて、「自分なりの規則を定めて、それに忠実な文章を書こう」ということだったりする。これが「スタイル」だ。そのスタイルが厳密であればあるほど、そこからの逸脱というのは目につくことになり、それを「文章の味付け」として生かすことができる。だけど、テンやマルの打ちかたもめちゃくちゃ、改行も不規則、かな漢字変換のミスも放ったらかし、言葉遣いぐちゃぐちゃ、みたいな文章だと、文章のどこにポイントがあるのかがまるっきり判んないのである。
で、それをどう表現するかなのだけど、ここに書いたようなことをそのまま言っちゃったとしたら、これは単なるお説教になってしまって、読むひとだって不快になる。で武田好史さんとXanadiiさんをオカズというかサカナというか、そういうものにさせてもらったのだけど、それがおふたりの非をとがめるみたいな形になっちゃったら、これは失礼なことになってしまう。
そこで、あらかじめ「あたしはいじけているんだぞ」という意味で、『いじけ虫のつぶやき』というタイトルをつけ、おふたりを責めるのではなく自分がいじけることで、ポイントを強調したというわけだったりする。
で、あたしは「こんな掲示板からは出ていってやる!」みたいなことも言わず、ただASの妻もどきさんやBISさんと仲良くすると宣言しているわけで、これにはまったく実害はなかったりするのである(←オカマにすり寄られるのが迷惑でなければだが by Mr.Moto)。
……そう、↑こうやって雰囲気が気づまりになりそうだったらすかさずハズす、というのもパターンのうちだったりするのですね。で、こういうものの集積が「スタイル」だったりするんです。
「ちゃんとした文章」の書き方については、いろんな本が出ています。ですから、「理論」の部分を勉強するのに不自由はありません。「スタイル」については、「このパターンは面白いからまねっこしてしまおう」みたいに、ちょっとづつちょっとづつ作っていけばいいと思います。で、それを自分のものにするためには、やっぱり経験、つまり、実際に文書を書いてみて、あーでもないこーでもないとひねくってみる時間、というのが必要だと思います。
「まず文章を書くだけでも大変だし、自分の考えてることを伝えるだけでも精一杯なのに、『どう伝えたらいいか』まで考えてられないよぉ!」って、言われちゃうかもしれません。ですけど、いちばんの読者は自分です。自分がいったい何をどう考えているのか、をはっきりさせるには、「とりあえず書いてみる」というのがかなり有効です。「書くことは考えること」です。書くことで、自分が見えてくる……ということは、あるんです。本当に。
この掲示板にやってくるひとは、みんな、自分のことをぐるぐるぐるぐる考えて、苦しんできているひとだと思います。そういうひとにとって、「書く」という行為はたぶん「癒しへの道」になるんじゃないかと思います。だからあたしはあえて言います。「書きなさい」と。
そんなわけで、あたしは自分を癒すために文章を書きはじめ、いまやその福音(「福音」というのは「いいこと」ということです)を宣べ伝えるために文章を書いています。
どうです? 発言してみませんか?
とはいえあたしはやっぱり自分のために書いているような気がする。 Maria
みなさんの中に吃音・どもりで悩んでいる人はいませんか?
私はよく、自分ではちゃんと話しているつもりなのに、相手から「何て言ってるのか判らない」「もごもごと話すな!」ととがめられることがあります。
特に何か仕事をしたりして疲れているとき・心配事があるとき・なんか伝えたいと焦っているときに、そういわれるので、時たま家族喧嘩の種になってしまいます。
このようなときは、何となく耳がキーンとしていて、口の周りの筋肉がうまく動かせないような感じがします。必死で話しているのに、判ってもらえなくって、とてももどかしい感じがします。子供の時からずっとそうです。父が60才を越え、だいぶ聴力がおとろえてきたようなので、今後のコミュニケーションに著しい不安を感じています。
ドナ・ウイリアムズさんは、「自閉症だった私へ」の中で、自分の話し言葉の不安定性を
#何かものを説明するとき、私の話しぶりや声のピッチ・アクセントは、全く不安#定だった。ある時は極めて上品なアクセントで洗練された話し方ができるのに、#別の時には、スラム街で生まれ育ったかと思うような喋り方になってしま#う・・・
と述べていますが、正にそんな感じです。
他のひとのカキコが少ないものだから、なんか退屈。
そんでもって、ヒマネタに走ってみる。
ASのこだわりを感じてもらえれば、ありなのではないかと。
「下着」と「ランジェリー」
下着は上着の反対語。英語の “underwaer” に相当する。したがってシャツと名のつくものは下着の扱いであり、Tシャツもワイシャツも下着のうち。ついでながら日本では靴下も下着の一種(→『「靴下」と「ストッキング」』)。
フランス語「ランジェリー( “lingerie” )」の語源は「麻(リネン)の下着」であり、装飾性の高い下着のことである。ただし、ストッキングはランジェリーではなく “hosiery” (靴下類)で別扱い。
英語「ファウンデーション( “foundation” )」はラテン語 “found” (「…の底を置く」)から、「土台、基礎」の意。「基金」を意味する英語 “fund” も同源。基礎化粧品をファウンデーションと呼ぶのも同じ理由から。体型矯正機能があるものは原則的にファウンデーション。
したがって、「ランジェリーは見せるもので、ファウンデーションは隠すものである」といえる。
なお、肌に直接つける衣類が「肌着」で、下着の一種。
「ブラジャー」と「キャミソール」
フランス語「ブラジャー( “brassie´r” )」はフランス語で「小さなキャミソール」の意味。
「キャミソール( “camisole” )」は古い英語で「女性用の長下着」(→「スリップ」と「ネグリジェ」)。
「スリップ」と「ネグリジェ」
「スリップ( “slip” )」はドレスの下に着て肌との滑りをよくするもの。
なお、「スリップ」と間違えやすいものに「スリッポン( “slip−on” )」(「スリップ・オン」とも)がある。スリッポンは、ボタンや紐などの留め具がなく、滑らせるようにして脱ぎ着できるもの」を指す。頭から被って着る「スリップオーバー( “slip−over” )」やセーターのような「プルオーバー( “pull−over” )」などもスリッポンの一種。肩紐で留めるタイプの女性用の服で、上からも下からも着られるものを「スリップ・オン・ドレス」といい、この形の下着や夜着を「スリップ」と呼んでいる例もある。
「ネグリジェ( “ne´glige´” または “negligee” )」は女性が寝巻の上に羽織る化粧着・部屋着。日本語でいう「ローブ」「ドレッシング・ガウン」である。日本語でいう「ネグリジェ」は “night gown” か “nightdress” で、口語では “nighty” 。
「パンツ」と「ショーツ」
「パンツ( “pants” )」は「パンタロン( “pantaloons” )」の略。「パンタロン( “pantaloon” )」は、古いイタリア喜劇・黙劇(パントマイム。「パントマイム」はギリシャ語の「すべてを真似る人」から)のパンタローネ(痩せこけた老人の役)を意味し、パンタローネが細身のズボンを穿いていたとこから、「ぴったりしたズボン」のことをパンタロンと呼ぶようになった。「パンティ( “panties” )」は「短いパンツ」。
「ショーツ( “shorts” )」と「ブリーフ( “brief” )」は共に「短いもの」を意味し、本来は同じもの。
「スキャンティ( “scanties” )」は「不足した」の意。覆っている面積が少ないものを特にこう呼ぶ。
「Gストリング( “G−string” )」は一枚布の前後に紐が結んであるもの。左右の紐を均等な長さに縛るのが厄介なため実用性に欠け、用途は主に女性用のランジェリーに限られる。別名は「バタフライ」「ストラップビキニ」「紐パン」。
「トランクス( “trunks” )」は「(首や四肢と区別して)胴、胴体」を意味する “trunk” から。
“trunk hose” (複数扱い)は十六・十七世紀に流行した(主に男子用の)股までの長さの半ズボンで、中に詰め物をして穿いた。昔の王子様が穿いている提灯ブルマーのようなものがこのトランクホース。その後「股までの長さの半ズボン」を意味するようになってトランクスと呼ばれるようになり、さらに半ズボン型の下着をトランクスと呼ぶようになった。ちなみに下着のトランクスの場合、ヨーロッパ式には前開きがなく、前開きがあるのはアメリカ式。映画『キャノンズ』(ジーン・ハックマン主演)には、被害者の身元を下着からヨーロッパ人と割出す場面がある。
「ズボン」はフランス語 “jupon” から。ポルトガル語( “giba~o” )経由だと「襦袢(じゅばん)」。本来は上から下までの長着を指したが、日本語になる過程で上下が別れてしまった。
これ以外に、「股覆」ともいうべき名称不詳の下着がある。これは一枚の布を前後にあてがい、腰に締めた一本の紐で留め、余った部分を前後に垂らすタイプ。この形の下着はヨーロッパ・アルプスで発見された五千年前の凍結ミイラが着用していたことが分っているし(文献)、イエス・キリストが着ていたのもこのタイプだとされる(註)。現在でもアメリカ・インディアンやポリネシア等の南島原住民の民族衣装として残っている。
「ふんどし」は「踏通し」が語源とされ、「たふさぎ」(「股塞ぎ」が語源といわれる)の別名もある。代表的なものは「越中褌」「六尺褌」「もっこ褌」の三種。
「越中褌」は、布の一方に紐をつけて後ろに回し、腰紐で前を押さえて垂らすもの。同じ形のものに、医療用に使われる「T字帯」がある。
「六尺褌」は長い一枚の布を巻いて腰を覆うもの。相撲の「まわし」がこのタイプ。問題なのは下着として着用するとかさ張るというのと、横になると後ろの結び目が腰に当たって痛いこと。
「もっこ褌」は、布の前後に紐通しがあり、一本の紐を通して脇で結ぶものである(前だけは縫いつけてあるものもある)。紐さえ解けば下ろさずに用が足せるなど便利な面も多いのだが、紐が抜けてしまうと道具なしには元に戻せないという欠点もある。
註)
『兵士たちは、イエスを十字架につけてからその服を取り、四つに分け、各自に一つづつ渡るようにした。下着も取ってみたが、sれには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、くじ引きで決めよう」と話し合った。』(『ヨハネによる福音書』、十九・二十三−二十四)
文献)
コンラート・シュピンドラー著/畔上司訳、
『5000年前の男 解明された凍結ミイラの謎』、文藝春秋社、1998、
文春文庫、ISBN4−16−730977−7
「シャツ」と「ブラウス」
英語「シャツ(“shirt”)」は古代英語の「短い」が語源で、シャツブラウス(“shirtwaist”)の省略形。シャツ襟のワンピースでありシャツドレス(“shirtwaister”)は、シャツの先祖帰りであり、シャツという名がありながらシャツではないというややこしい存在。
ちなみに「シャツ」と同じ語源の言葉に英語「スカート(“skirt”)」があり、「裾」の意味。このあたりは日本語の「襦袢」と「ズボン」の成立事情に似ている(→「パンツ」と「ショーツ」)。
英語「ブラウス(“blouse”)」は上半身に着るもので上着とも下着ともつかないものをいう。もともとは軍装の一部だったものが女性のファッションに取入れられ、なんとなく「女性用」というイメージが定着したらしい。しかしながら作業服の上(上に着るジャンパーではなく、その下の上半身)や軍服の上(礼装用の軍服ではなく、野戦服の上半身)も「ブラウス」である。
「ダブル・セット」と「ダブル・ニット」
「ダブル・セット」とは、同じ糸、同じ柄で編んだカーディガンとセーターのセットをいう。「ダブル・ニット」は誤用。
「背広」と「スーツ」
日本の「背広」は、一般にジャケットとズボンが同じ布でできているもの。これにベストがつくと「三揃い」。
「スーツ」は、「揃い」のことで、日本でいう三揃いのこと。ホテルの続き部屋も「スーツ」
背広というのは詰襟の軍服のいちばん上のボタンを外して折り返し、下のボタンを外して崩して着たものがスタイルとして定着したである。襟に隠しボタンがある場合は、坐るときだけ一番下のボタンを外すというのが正式らしい。
「チョッキ」と「ベスト」
日本語「チョッキ」はポルトガル語 “jaque” が変化したもの。日本語「ジャケツ」は英語「ジャケット( “jacket” )」から。ジャケットは英語「コート( “coat” )」(日本語「外套」)の短いもの。
米語「ベスト( “vest” )」はラテン語の「衣服」から。英語では「ウェストコート( “waistcoat” )」
なお、女性用の胴着は “bodice” という。
「スパンコール」と「ラメ」
英語「スパンコール( “spangle” 」は「ぴかぴか光るもの」。
フランス語「ラメ( “lame´” )」は、金属製の金糸・銀糸。
したがって、ラメもスパンコールの一種のはずだが、スパンコールといえば金具、ラメといえば金糸・銀糸と使いわけるケースがほとんど。
「靴下」と「ストッキング」
靴下は靴の下に穿くから「靴下」なのだが、英語では “hose” (発音は “ho´uz” )。撒水用のホースと同じで、複数形で靴下類を表わす。ただし “hosier” は「靴下屋」ではなく、米語で「洋装小物商」、英語で「下着商」。
ちなみに「パンティストッキング(日本語における略称は「パンスト」)」は英語で “panty hose” (複数形なし)。
「ストッキング( “stocking” )」は「メリヤス編み( “stockinette” または “stockinet” )」から、膝上まである長い靴下のこと。ただし、英語で「ストッキングを穿いて( “in one´s stockings [stocking feet] ”)」は、「靴を脱いで」の意味。したがって、「ストッキング」のほうが「靴下」の語感に近い。
「ガーター」と「サスペンダー」
「ガーター( “garters” )」は古いフランス語で「脹脛(ふくらはぎ)」のこと。ここから「靴下留め」の意味になった。
「サスペンダー( “suspender” )」はラテン語で「下に掛ける」を意味する英語 “suspend” (「吊るす」)から、「ズボン吊り」「靴下吊り」をいうが、米語では女性用のストッキング用靴下吊りのことを「ガーター」という。
「サンダル」と「ミュール」
「サンダル(“sandal”)」は古代エジプトから存在した履物で、革紐で足に留めるものの相称。踵の紐があるのは「サンダル」。日本の「草履(ぞうり)」や「草鞋(わらじ)」はサンダルの一種。
「ミュール( “mule” )」は日本語でいう「スリッパ」で、別名は “scuff” 。本来の「スリッパー( “slipper” )」は、踵の低い室内履き。
米語の「ゾーリ( “zori” )」は、「主に薄くて安物の、海岸用や室内用の日本式サンダル」。ほとんどが台湾製であるという話。
最近ちょっと暴走ぎみの Maria
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