アスペルガーの館の掲示板(旧)

あなたは 番目のお客様です。

新しい話題を投稿 次の20件を表示 最新のログを表示 パスワード変更 発言の削除
一度に表示する件数を 件に
《アスペルガーの館》に戻る / 新しいアスペルガーの館の掲示板


Re: Newsweekの1記事 4573へのコメント
No.4577  Sun, 6 May 2001 13:50:25 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

こんにちは。青りんごです。
今日はいいお天気です。
これから外の風に当たりにお散歩にいきます。
皆さんのお空はどうですか??

Tien wrote:
>「誰でも自分の中にいる夢見る子供を認識すべきだ。」
>とありました。「自分の中にいる夢見る子供」のフレーズが私達&私達の持つ
>問題等を顕著に表しているような気がします...。

「夢見る子供」って認識すべきモノなの??
私、40歳近いけど「まんま」夢見る子供なんだけど・・。

    一歩、外に出ると借りの姿の 青りんごでした。


Re: Newsweekの1記事 4573へのコメント
No.4576  Sun, 6 May 2001 11:41:16 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Tienさん wrote:
>
>そして、結びとして、彼が「誰でも自分の中にいる夢見る子供を認識すべきだ。」
>とありました。「自分の中にいる夢見る子供」のフレーズが私達&私達の持つ
>問題等を顕著に表しているような気がします...。

 こんにちは(^^)/ おひさしぶりです(そうでもないか…)
「自分の中にいる夢見る子供」って、いいフレーズですね。

 わたしは自分の中のやつは「無敵の子供」って呼んでましたけど。傍若無人なんです。[世の中がどうしたって?おいらの知ったことか。へん!大人になれって?だれが決めたんだ、そんなこと。おいらにゃカンケーねえよ!]みたいな感じですから(^^;
 ついこのあいだまで、真っ暗闇のなかで「さびしいよう、だれか助けて」って泣いていたんですけどね。娘がとびらを開いてくれちゃったもんだから……こりゃ〜もしかして、出てこないほうが良かったんじゃないか〜なんて思ってたりします。

   「夢見る子供」かぁ……。いいですねぇ、うん。


Re: 大きな謎(なぜ国語で、日本語の発音って教えないの?) 4572へのコメント
No.4575  Sat, 5 May 2001 23:54:35 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

大槻いつき wrote:

>
>明日は大阪のホールで第九を歌うのさ!! ドイツ語も発音難しいわ。

 ドイツ語って、口を横に開く感じの発音・「ki」みたいに腹筋を使わないとできない発音がやたらに多いので、難しそう・・・フランス語は、口をとがらせる発音が多いので、これまた難しい。
 それに比べるとまだ日本語は、基礎的で簡単な気がする・・・やっぱ母国語だからかな。


Re:発音 4572へのコメント
No.4574  Sat, 5 May 2001 23:24:35 +0900  Maria [この発言にコメントする]

大槻いつきさん wrote:
>「M」の子音を、唇をあわせずに「上の前歯と下唇をあわせて」発音するくせが
>あります。
>WとMが同じになる。正確にはWも、唇どうしを近づけるのが正しいが。

 Wは「唇どうしを近づける」というより、「唇をすぼめる」のほうが正解だと思います。MとBが口唇音、VとWが歯切音、というやりかたもありますが、日本語だとWは「わたり音」が普通です。演劇とか歌唱のほうだとまた違うんですけどね。

>外員売りとか早口言葉の練習とかもいいかも。
>なんなら外員売り全文のせましょうか?
 いいかもー(^_^)。『外郎売(ういろううり)』や『あいうえの詩』(「あめんぼ あかいな あいうえお……」っていうアレね)なんかはやっぱり定番という気がします。ちなみに「ういろう」っていうのは長崎や名古屋の「ういろう」ではなくて小田原の「ういろう」。お菓子ではなく薬です。お菓子の「ういろう」は、薬の「ういろう」を飲んだあとに口直しに食べるものでした。

>明日は大阪のホールで第九を歌うのさ!!  ドイツ語も発音難しいわ。
 あたしはご高齢の先生にドイツ語を教わったので、発音も「巻き舌のR」ではなく「軟口蓋のR」とか、「口蓋音のH」ではなく「喉閉塞音のH」だったりします。だから、「der」は、「デア」ではなくて、「デル」です。

 ですから、ドイツの歌唱曲で、『種』という歌があるんですが、その曲を昔のドイツ語で歌うと、サビの部分が、

 「でる・ざーめん、でる・ざーめん、でる・ざぁ〜めぇ〜ん!」

ということになってしまいます。

 ……失礼いたしました。こうしてあたしは着々と品位を落としているのですね。

 「いっひ ふんばると でる うんち」とトイレに書いてあったっけ Maria


Newsweekの1記事
No.4573  Sat, 5 May 2001 22:44:51 +0900  Tien [この発言にコメントする]

ご無沙汰してました。ななは改めTien(=蝶)です。
ちょっと外国に行ってました。
機内で読んだNewsweek誌の中に興味深い記事(出版物とその作者の紹介)があった
のでカキコしました。男性作家の名前は忘れましたが、どうもASではないかと思われる彼が最新作を出したそうなのですが、その紹介文&作家自己紹介の中に
「芸術家を目指そうとしたが両親から精神病院に入れられた」とあり、
そして、結びとして、彼が「誰でも自分の中にいる夢見る子供を認識すべきだ。」
とありました。「自分の中にいる夢見る子供」のフレーズが私達&私達の持つ
問題等を顕著に表しているような気がします...。


Re: 大きな謎(なぜ国語で、日本語の発音って教えないの?) 4571へのコメント
No.4572  Sat, 5 May 2001 20:24:57 +0900  大槻いつき [この発言にコメントする]

Xanadiiさん wrote:
>武田好史 wrote:

> 私は最近になって、自分が「ま」行をきちんと発音していないのに気がついた。
> 口をきちんとひきしめて(閉めて・締めて)なくて、「うふぁ」っていうふうな、へんな空気が漏れてたりするのが、自分の耳についたりして、ちょっと嫌。ただでさえB.B.かコートニー・ラブばりのセクシーな唇が、発音の妨害をしていたりするせいかしらね(←無視)。女性のベイビー・トークは、まま歓迎されることはあっても、時と場所を選ぶものではある(あと年齢もか...)。

そうそう!!
私は現役で歌を、過去に芝居をやってるので指摘されることが多かったんだけど、
「M」の子音を、唇をあわせずに「上の前歯と下唇をあわせて」発音するくせがあります。
WとMが同じになる。正確にはWも、唇どうしを近づけるのが正しいが。
鼻かぜひいてる時じゃなくても、な行がだ行になったり。
さ行のSの発音がもれてかすれた音を立てるくせが自分では一番きらい。
「もともと舌が回る方じゃないのにやたら早口で話すから、発音のなまけが癖になってる」
というふうにいわれますが。

外員売りとか早口言葉の練習とかもいいかも。
なんなら外員売り全文のせましょうか?

でもって私信ですが「ふたりで聖書を」の感想はメールでおくらせていただきます。
長くなっちゃいそうだから、ゴールデンウィークあけにでも。

明日は大阪のホールで第九を歌うのさ!! ドイツ語も発音難しいわ。


Re: 大きな謎(なぜ国語で、日本語の発音って教えないの?) 4569へのコメント
No.4571  Sat, 5 May 2001 19:23:01 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:

> 
> 私は、最近家族から「はっきり話せ!」と強く責められるので、風船を膨らますのを繰り返したり、「あき」「いき」・・・「わき」.「あって」「いって」・・・「わって」というように、「五十音+苦手な音」というふうなかんじでずっと言ったりして、話すとき口を動かす筋肉を意識的に鍛えています。

私は最近になって、自分が「ま」行をきちんと発音していないのに気がついた。
 口をきちんとひきしめて(閉めて・締めて)なくて、「うふぁ」っていうふうな、へんな空気が漏れてたりするのが、自分の耳についたりして、ちょっと嫌。ただでさえB.B.かコートニー・ラブばりのセクシーな唇が、発音の妨害をしていたりするせいかしらね(←無視)。女性のベイビー・トークは、まま歓迎されることはあっても、時と場所を選ぶものではある(あと年齢もか...)。
 ご自分のナレーションを、テープレコーダーに録音・再生したりして、練習されるのがよいかも知れません。プロのナレーターの喋りと、聞き比べたりしながら。自分の、頭の中で響く声と、再生された声って、ショッキングなまでに別物に響くものだから...怖いけど、鮮烈な体験です。あとは口腔周辺だけでなく、腹筋も鍛えとくといいですね。

 自分の声がけっこう嫌いな、ザナディである―
 


ストレンジ・デイズ
No.4570  Sat, 5 May 2001 18:39:54 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

#アンハッピー・ガール


 見放されてた少女のきみ
 あぶれて一人ぼっち
 自分相手のカード・ゲームに耽りつつ
 自分の正体を監視するのに明け暮れてる
 きみ自身で組み立てた
 監獄に閉じ込められて

 きみは信じられないだろうけど
 そんなきみを見つけたこのわたしに
 涙を流させたってこと

 忘れられてた少女のきみよ
 まといつく過去のしがらみなんか破りすてて
 壁からおもてを見通したら
 今日かぎりこのまぼろしの独房を消し去ろう
 きみ自身で組み立てた
 監獄に生け捕りされているよりも

 見放されてた少女のきみよ
 急いでここから飛び出そう、今がその時
 謎だらけのおもての世界で、目まいに襲われたとしても
 きみ自身で組み立てた
 監獄の中で朽ちてゆくより美しいから

 ドアーズも、私が解釈すると青春応援歌?
 「代名詞の逆転」っていう経験は、私にはないんだけれど、詞の世界では、けっこう日常的に行われている。
 特に観念的な詞は、‘You’を‘I’に読み替えると(読み替え可能かそうでないかの見分けは、多少訓練がいるんだけど)、意味深に思えてくるものが多い...
 


大きな謎(なぜ国語で、日本語の発音って教えないの?)
No.4569  Sat, 5 May 2001 18:35:13 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

 最近少し気になったことがあります。
それは、「日本の国語の時間では、なぜ発音するときの口の形を教えないの?」ということです。
 「あ」は口を開けて、「い」は口を横にのばしてということは、音楽の時間で習ったような気がします。リズムに乗って鍛えた方が、身に付きやすいということからでしょうか。
 けど「話す」ということは、「歌う」とは意識的に違うので、普段の話し言葉を鍛えるには、また別な訓練をしなければならないような気がします。
 
 私は、最近家族から「はっきり話せ!」と強く責められるので、風船を膨らますのを繰り返したり、「あき」「いき」・・・「わき」.「あって」「いって」・・・「わって」というように、「五十音+苦手な音」というふうなかんじでずっと言ったりして、話すとき口を動かす筋肉を意識的に鍛えています。


Re: 勘違い! 4560へのコメント
No.4568  Sat, 5 May 2001 18:31:09 +0900  マザー [この発言にコメントする]

くると wrote:

 こんにちは。 くるとさん
 私はずーっと、くるとさんのことを「女性」だと思っていました。(笑)
『繊細でやさしいお姉さん』のイメージを抱いていました。
青りんごさんが書かれた「息子」の文字を見たとき
ウッソー!!! みたいな気持ちでした。
 でも、『繊細でやさしい』イメージは間違いないと思っています。


> まあ、病気療養中の身なので、、、、

 お大事にね。。   マザー


Re: 説明と言い訳 4555へのコメント
No.4567  Sat, 5 May 2001 01:46:16 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

bau さんwrote:

>説明といいわけの違いって何でしょう。

説明=物事人について相手に理解してもらうために話す。
「コピー機の使い方」「今度きた課長はどういう人か」「現在進めているプロジェクトの内容」などなど。

いいわけ=相手から納得の行く説明を求められているとき、もしくは責められているときに、
求められてもいない、きかれてもいないことをあれこれ言うこと。
「こんなことをしてどうしてくれるんだ」
「申し訳ありません。すぐに代わりの品をお持ちいたします」
これは説明。「どうしてくれる」という部分に対して、どうするか返答している。
「すみません。これにはわけがありまして・・・(以下略)」
これはいいわけ。誰も理由なんかきいてない。

たとえ相手に非があって、こちらは間違っていなくても、
店員と客というような力関係のある立場だと、
店員が「お客様がこうされたので」という言い方をすると
「いいわけ」と取られることがあります。
「いいわけ」になるかどうかは、言ってることの内容が正しいかではなく、
「相手の求めていることに添っているか」が判断基準になるのが、
何事も、第三者的に「説明」しがちなタイプの人には、難しいところ。

クレームに対して「いいわけ」にならないように対処するのは難しい。
「いいわけ」はしていなくても
「謝り方に誠意がない」とか言われることもあるし・・・


Re: 文部省によるカリキュラムの削減の問題 4559へのコメント
No.4566  Sat, 5 May 2001 00:49:02 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

ひま人さん wrote:
>聞くところによると、教科書の内容がどんどんスリム化されて、このままでは
>学力が低下してしまうと「ケネン」する声が出ているという。
>さて、このことは教育の民活化への深謀遠慮ではないかと思われる。つまり、
>表向き、「これからは個人の経済状態や能力に応じて、それぞれの家庭が自分
>の責任に基づいてメニューの多様な民間教育機関をどんどん利用してください。
>そのために、国家の強制する部分を減らしていきましょう」とは言えないので
>ある。

 そんなこたぁねぇな。教科書会社が教材屋と母体が一緒でちまちま教科書刷ってるより教材で儲けたほうがいいってんで乗り換えを画策しとるんなら話はわかるが、どうやらそういう話ではないらしい。

 つまるところ文教族がのさばりすぎた挙句教師の指導力が落ちてしまい、教科書の内容を教えきれないところまで落っこってしまったというのが真相のような気がする。

 おれはこないだ神保町の三省堂までわざわざ出向いて小学校の算数と理科の教科書に目を通してきたが、その内容たるやじつに酷いものだった。そのくせ装釘には金がかかっとってなかなかに安からぬ値段なのだ。あんなもんなら俺にも作れる、と言いたいところだが、文教族の圧力がしっかりかかるもんだから絶対に検定に通らん。算数や理科の教科書にいちゃもんの付けようもあるまいと思うだろうがさにあらず、遠山啓(とうやま・ひらく)さんの『みんなのさんすう』は、その手の嫌がらせに散々苦しめられたあげくに広域採択性によって駆逐された。今から三十年も昔の話だが、現状はまったく変わっとらん。

 小学校一年生の算数の教科書は、だいたい数え上げから始まることになっている。ところがそこに描かれている繪には皿とか箱とか囲いとかが描かれておらず、しかもいきなり0が出てくるのだ。あのなぁ、0という概念を獲得するのに人類がどれだけかかっとるのかとおれは問いたい。つまりは0というのは「器が空っぽ」な状態なのだ。その器がなかったら、0という概念に到達するにはかなりの飛躍が必要となる。その飛躍ができない子供は落ちこぼれるしかない。

 さらに問題なのは、予算制度である。たとえばの話、発達障礙児童の教育にコンピュータを利用したプログラム学習が有効だということが分かったとしよう。ところが建前上は「児童の学習能力には差がない」というのがあるもんだから、児童全員に対してコンピュータを導入するということでなければ予算がつかん。となれば発達障害児童用のソフトウェアを購入することもできんわけで、作るとなれば「誰にでも有効なCAIソフト」というものを開発せねばならんわけで、そうなると教師の仕事っつーのは何なのだ、という話にもなってくる。

 そんなわけで日本の義務教育に関していえば、コンピュータの普及率は南洋のどっかの島(あえて差別語を使わせてもらう。百日紅さんごめん)より低いという現状があったりするのである。

 ついでながらひま人さん、あんた日本国憲法をもう一度よく読んだほうがいい。

>義務教育という「徴兵制度の一変種」や、

 などと書いていらっしゃるが、義務教育というのは「子供が学校に行きたいのに、仕事をさせて学校に通わせない」みたいなケースを想定したものであり、「子供はすべからく学校に通わねばならぬ」みたいな話でもなければ「嫌がる子供をむりやりにでも学校に通わせなければならない」とかいった話でもない。つまりは「健康で文化的な生活」を営むに足る教育を供給できるならば、べつに学校になんぞやらんでもいいのだ。ところが「学校教育」というメインストリートに対する脇道というのがせいぜい大検くらいしかないのが問題なのである。こうした問題があるせいで諸外国からの留学生というのは非常に苦労している。だったら何とかせんか、と言いたいのだがそうやって他力本願なことを言うておると「貴様は浄土真宗か」と言われてしまうので、とりあえずクリスチャンのMariaあたりにネタを振るのである。

で、
>日教組のような偏向教師や教科書問題などは、市場原理によって淘汰されるで
>あろうし、いじめ自殺や不登校や教師のノイローゼといった問題も、徐々に解
>消していくのではなかろうか。
なんぞという意見にもおれは毒づいてしまうのだな。日教組の連中は「授業で勝負する」とか言っておきながら、そのためのメソッドというものを持っておらんのだ。人間「わかる」っちゅーくらい面白いことはない。そもそも「面白い」というのが「わかる」の同義語である。その「面白さ」を生徒に伝える能力がないからごちゃごちゃ悩むのだ。、まずは水道方式でも勉強してみろ、とおれは言うぞ。

 そんな訳で、おれは
>そしてもしこのように、国家の教育の強制的な配給力が低下してくれば、もとも
>と学校教育になじまないASの子どもも、安心してそれ専門に考えられた教育や
>教育機関を利用できるようになるであろうし、そうなっていくべきであろう。
といった意見にも批判的なのだな。商業主義が教育を支配すれば「おいしくない」部分は切り捨てられる。とはいえそこにこそビジネスチャンスがあるのだ、と考えるへそ曲がりがおったりもするのだ。

 そんなわけで俺は所長やKILROYのような馬鹿が嫌いではないのである。

 Mr.Moto


Re:「言い訳」と「説明」 4563へのコメント
No.4565  Fri, 4 May 2001 22:47:21 +0900  Mr.Moto [この発言にコメントする]

愛するXanadiiちゃんwrote:
>おひげの素敵なMariaちゃま wrote:

 「ちゃんと剃ってる」ってさ。モヒカン同様オカマも貫くべきは貫かんとダサいからな。そういやぁ最近は女性の顔剃りも流行ってるらしい。

> おおっと忘れるところでありました。‘maria’って...あはは、クソッ、ほ
>んとだあ。私も気は使ってたつもりが……以後気をつけます。m(_ _)m

 じつは本人はあまり気にしとらんらしい。ひろたくんとの一件があって、「ネット上の会話は顔が見えんだけに喧嘩になりやすいので、人の名前に関しちゃあ尊重するにしくはない」というアピールをしたかったというのもあるのだ。中にはその場の思いつきでハンドルを決める奴もおるだろうが、それぞれ思い入れなり愛着なりというのはあるもんだ。

> いちじが万事「あたしとあんたじゃあんたが悪い!」っていう姿勢の人間と
>は、つくづく話ができないなー(というよりしたくない)と思っているザナディ
>でした。

 俺はこれが本質を突いてると思う。これは交流分析でいう「I'm OK, You are not OK.」型の認知構造っちゅーやつで、「だからお前はダメなんだ」って関係を相手に貼っつけてると、何を聞いても「言い訳」にしか聞こえんのだ。

 ちなみに、人間関係の認知構造には、これ以外に、
 「I'm OK, You are OK.」=「おぬしもなかなかやるのう」
 「I'm not OK, You are not OK.」=「お前に人の事が言えるのか」
 「I'm not OK, You are OK.」=「どうせあたしなんか。いじいじ」
っちゅーのがあって、Mariaはちょっと個人的にいろいろあって最後のパターンにはまっておったということなのだ。赦せ。

 で、

>でもさあ、説明や言い訳って、突き詰めて考えれば「お互い様」ってことなん
>じゃないかな。たまたま言い訳を求める立場にいるかその逆かって気分? こ
>ろあいを見計らって、きちんと説明できさえすれば、相手も腹の居所を直すか
>も知れないという、タイミングを読み取ることができるかどうか。ましてAS、
>これができなくて損してる人間が、多いんじゃなかろうか。

についてなんだが、権威主義と「だからお前はダメなんだ」的な認知構造は結びつきやすい、っちゅーのがあるんだわ。

 本来は相手の行為が不当であると感じられたときに「言い訳」になって、そういう「正当か不当か」といった評価を抜きにしたニュートラルなものが「説明」であるわけで、そうなると人間「言い訳」を「説明」として聞いたり、「言い訳」のつもりで聞いてたら結果的に「説明」になったという場合だってままあるわけだ。で、Xanadiiちゃんが言うとるのはつまるところ「説明」を「説明」として相手に受け入れさせるテクニックのことだと思うのだ。
 けど、最初っから「だからお前はダメなんだ」的構造のなかに押し込められちゃってる人間もいるのだな。そうすると、何言っても「言い訳」にしかならん。逆に俺みたいに説得力がありすぎると「ダメなもんはダメなんだ!」とか言うて理屈そのものが通らん。そうするとこっちが正しかろうが正しくなかろうが、「言い訳はしません。ごめんなさい!」と頭を下げる以外にないということもある。もちろんその結果相手が納得してくれるかどうかという問題もあるのだがね(もっとも俺は人に頭なんぞ下げたことはないのだが)。

 だもんだから、ここいらの話はASに限った話ではないように思う。ASを含めた自閉圏の人間は基本的に相手に対する思い入れっちゅーものがない。だからかえってイヤな奴とでも平気でつきあえるというところがある。それを考えると、馬鹿のお守りを任されて苦労させられる奴だって少なからずおるはずだ。「これができなくて損してる人間」ではなく、「これができてしまうがために損してる人間」も多そうに思うぞ。

 Mr.Moto


Re: 新しい人間関係 4561へのコメント
No.4564  Fri, 4 May 2001 22:19:23 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

くると wrote:
>
> ちょっとつかぬことをお伺いしますが、LDフォーラムに参加している
>青りんごさんですか?もしそうだとしたらあいさつもせずに申し訳ありま
>せんでした。
>
> そうじゃなかったとしたら、はじめましてよろしくです。(くると)

くるとさん、こちらでもお会いできるなんて光栄です(笑)
なぜか、くるとさんのカキコにはレスつけたくなってしまう私。
勝手に「息子」がひとり増えたような気になってます(笑)
こちらでも、よろしく。      

      おせっかいおばさんの  青りんご


Re(No.4555にも対応): いじけ虫のつぶやき・ふたたび 4550へのコメント
No.4563  Fri, 4 May 2001 21:23:45 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

おひげの素敵なMariaちゃま wrote:
> 朝の九時から十二時間以上。
>
> あたしはひとりぼっちだ。しくしく。
>
> − Maria −

 おおっと忘れるところでありました。‘maria’って...あはは、クソッ、ほんとだあ。私も気は使ってたつもりが...以後気をつけます。m(__!m
 ネタばらししてしまうと、私は書き込みのほとんどを、街のインターネットカフェ等を利用して発信しております。自分のハコはありません。(主として経済的理由により...)
 いきおいどうしても、こういったログやミスのフォローが荒れてきたり、不良なチャット参加者の見本のようになってきてしまう自分の不始末とかね、こういうことの積み重ねが、人が離れてく原因になったりする。この自分の現状を、何とかしないといけないのは、わかっているのだけれど...それにはとりあえず、バイト増やさなきゃなんない(^_T)(泣き笑い)。
 うまれつき脳内酸素濃度の異常に低い私にとって、事態はシンプルでも持て余し気味なわけでございます。

 あ。こーゆー内容って、それこそ「説明と言い訳」(No.4555・bauさん参照)の悪い例の好例になっちゃってるか。とある事態を説明するのに個人の都合を優先的に主張する。でもさあ、説明や言い訳って、突き詰めて考えれば「お互い様」ってことなんじゃないかな。たまたま言い訳を求める立場にいるかその逆かって気分?ころあいを見計らって、きちんと説明できさえすれば、相手も腹の居所を直すかも知れないという、タイミングを読み取ることができるかどうか。ましてAs、これができなくて損してる人間が、多いんじゃなかろうか。
 いちじが万事「あたしとあんたじゃあんたが悪い!」っていう姿勢の人間とは、つくづく話ができないなー(というよりしたくない)と思っているザナディでした。


Re: 説明と言い訳 4555へのコメント
No.4562  Fri, 4 May 2001 21:12:31 +0900  くると [この発言にコメントする]

bauさんwrote:
>説明といいわけの違いって何でしょう。
(中略)
>みなさんはどう思われますか?

 自分に欠点や過ちがあったら、必ず弁明すべき
だと思います。言葉によって自分の身を守るのは
ある意味で正当な権利です。

 その場合、今の状態を改善しようとするならば
「説明」、現状を維持しようとするならば「いい
わけ」と解釈されると思います。

「説明」と解釈されるためには、解決策を示して
おく必要があるように思います。

 ただし、ひとつだけ指摘しておきたいことがあ
ります。まず「いいわけ」ができるようにならな
ければ、「説明」というより高い次元に到達する
ことは困難だということです。

 こどもの頃に「いいわけ」をすることができた
こどもだけが、大人になって「説明」という次元
に到達できるような気がします。






 


Re: 新しい人間関係 4554へのコメント
No.4561  Fri, 4 May 2001 20:49:46 +0900  くると [この発言にコメントする]

青りんごさん wrote:
>
>新年度ということで周囲の人間関係が一変してしまいました。
>いままで散々人間関係で「痛い目」に遭ってきた私としてシンドイ季節。
>(PTAって辛いのよ〜。)
>
>『来る者は、よくよく吟味し、去る者は追わず』
>今年もコレで乗り切ろう。
>
>    優しい人は大歓迎 青りんご

 ちょっとつかぬことをお伺いしますが、LDフォーラムに参加している
青りんごさんですか?もしそうだとしたらあいさつもせずに申し訳ありま
せんでした。

 そうじゃなかったとしたら、はじめましてよろしくです。(くると)


Re: いじけ虫のつぶやき・ふたたび 4550へのコメント
No.4560  Fri, 4 May 2001 20:43:42 +0900  くると [この発言にコメントする]

Mariaさんwrote:
> 朝の九時から十二時間以上。
>
> あたしはひとりぼっちだ。しくしく。
>
> − Maria −

 実は、わたしは2日間ひとりぼっちです。忙しいことは忙しい
のですが…

 これだけ孤独な人が多いと孤独じゃなくなるでしょう?どうい
う連帯感なのかよくわからんが…

 まあ、病気療養中の身なので、わたしはその方がいいみたいで
す。では(くると)


文部省によるカリキュラムの削減の問題
No.4559  Fri, 4 May 2001 20:12:52 +0900  ひま人 [この発言にコメントする]

聞くところによると、教科書の内容がどんどんスリム化されて、このままでは学力が低下してしまうと「ケネン」する声が出ているという。
さて、このことは教育の民活化への深謀遠慮ではないかと思われる。つまり、表向き、「これからは個人の経済状態や能力に応じて、それぞれの家庭が自分の責任に基づいてメニューの多様な民間教育機関をどんどん利用してください。そのために、国家の強制する部分を減らしていきましょう」とは言えないのである。
小泉氏は郵政事業の民営化を以前から唱えてきたらしいが、それはそれで結構であろうが、それよりもまず始めなければならないのは、教育(というよりも学校)の民営化であろう。問題になっているいじめや校内暴力や授業崩壊などは、「教育の問題」なのではなく、公立学校が社会主義制度で運営されているという「システム上の問題」なのである(竹内靖夫)
ときどき話題になるが、問題教師が担任になっても、公立学校ではほかの先生へと変えてもらうことはできないし、転校するのも困難である(都心では学校が選べるようになってきているらしいが)また、自分の都合に応じてのカリキュラムを組むこともできない。すべて国家からの「強制的な配給」を無条件で受け入れるしかない。
教師にとっても同様である。問題生徒がいたとしても、公立学校では処罰することが困難である。塾などの民間の教育機関であれば、契約不履行として解除(退塾)することができる。同時にいいかげんな指導をする塾であれば、ほかのまともなところへ変えればよい。
公立学校というのは、生徒側も教師側も、問題のある人間が処罰されず、悪い者が得をするシステムなのである。これは、市場原理が働かないからである。
もしもこのことに着目すれば、義務教育という「徴兵制度の一変種」や、日教組のような偏向教師や教科書問題などは、市場原理によって淘汰されるであろうし、いじめ自殺や不登校や教師のノイローゼといった問題も、徐々に解消していくのではなかろうか。
「学校と地域とのレンケイ」「親と教師とのレンケイ」(最近どういうわけか、なにか社会的な問題が浮上してくると、まるで条件反射のように「関係機関の緊密なレンケイ」によって対処していこうという口吻がどこからともなく沸き上がるのである)などというそらぞらしい精神主義に頼らずに、このような、経済学的システム論的な分析に基づいての対処法を真剣に研究すべきであろう。
そしてもしこのように、国家の教育の強制的な配給力が低下してくれば、もともと学校教育になじまないASの子どもも、安心してそれ専門に考えられた教育や教育機関を利用できるようになるであろうし、そうなっていくべきであろう。
こう考えてみれば、文部省のカリキュラム削減も意味のあることなのではないだろうか。


Re: 説明と言い訳 4557へのコメント
No.4558  Fri, 4 May 2001 18:03:32 +0900  大槻いつき [この発言にコメントする]

追加です。
言い方を変えれば、「相手に迷惑をかけている」ことを意識し、
「どうすればお互いに納得のいく結論がえられるか」考えていれば説明。
相手に、「自分に非はない(あったとしても情状酌量の余地はあるんだ)!」と主張する場合はいいわけ。
実際自分に非が無いなら、いいわけにしかならないよね。
とにかく誠意をこめて謝る!! って態度もとりようがないんだから
(誠意をこめたら、謝れないはず。
私自身は、自分に関係することで何かあって「あんたの不手際だ」といわれたら、
たとえそれが本当は私のせいじゃなくても「そうなのかなぁ、じゃ私が悪いんだ」と
考えてしまうんだけど。後で「よく考えたら私が悪いんじゃないじゃん!!」と気づいて、
ぐちぐち心の中で怒ってしまう。
その場で「いや私のせいではない」と反駁していれば、話はもっと生産的な方向に進むだろうし、
「あんたが悪い」と言った人もあとあとまで不満もたれる必要はない。
私がその場で謝ってしまうというのは、かえって誠意を欠いた行動だと自分で思う)。
いいわけイコール悪じゃないぞ。
誠意のある人にまで「いいわけ」をさせてしまう人間は悪かもしれないが。
ま、「説明する」もしくは「あやまる」べき場面で自分の虚栄心・プライドが先行して
「いいわけ」してしまうのは、たしかによくあることだけど。
「説明」なり「いいわけ」なりをきくがわの人間次第ってことはあるよね。

新しい話題を投稿 次の20件を表示 最新のログを表示 パスワード変更 発言の削除

《アスペルガーの館》に戻る / 新しいアスペルガーの館の掲示板


EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 + s.murakami改
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami