アスペルガーの館の掲示板(旧)
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わたしも似たような感じです。
「違うのかな?」と思うときと「そうに違いない」と思うときがあります。
古い話で恐縮ですけど、
KILROY wrote in 「Res:スリッパ」(No.3332、Sat, 10 Mar)
> JRお茶の水駅に沿った通りにスリッパ専門店(名前は忘れたけど)があって、
>そこのスリッパを長年愛用しております。
というのがありました。
このスリッパ専門店というのは、
お茶の水 黒岩スリッパ店
東京都千代田区神田駿河台2-6(丸善の向かい)
(03)3291-9618
営業時間 平日・土曜 11:00 - 18:00
定休日 日曜・祭日
8/10 から 8/20 まで/12/30 から 1/5 まで
です。現在はほぼ夏物のみ。夏には冬物が出るそうです。
なお、KILROYさんが愛用しているのはフェルト底のやつです。すべりやすい(特に台所みたいな油ハネのあるつるっとした床の上では)ので気をつけてください。だけど歩いててうるさい音がしないし、床の感触がしっかり伝わってくるのでよいです。
− Maria −
青りんごさんwrote:
>我が家では「身体は土にかえり、魂はあの世にいくらしい。」
>と教えてます。(誤魔化してるのか?)
ちょっと大人向きの解説。
人間には「意」をつかさどる「魂」と「情」をつかさどる「魄」というのがあって、死ぬとそれが分離して身体を離れ、「魂」は天に昇り、「魄」は地に下るといいます。
ところが、女のひとなんかでときどき「魄」の濃ゆいひとがいて、「魂」と「魄」が分離しないものだから、魂魄がこの世に留まってしまうことがあるのですね。こういう「魂」と「魄」の結びつきを「妄念」とか「妄執」とか「怨念」といいます。
で、色情霊かなんかになって夜な夜な男を求めて徘徊し、運悪くとり憑かれてしまった男性は精気を抜き取られて痩せ細って死んでしまったりするのだな。
だから、女性は生きているうちに「魄」のドロドロを抜いてあげないと、死んだあとに迷ってしまうわけです。
なお、生きているうちに「魄」を抜いてしまうと「昇天」してしまいます(^_^;)。
あたしの中には黒Maria と白Maria がいるらしい。 − Maria −
あさかぜさん wrote:
>「本当に星のかけらになるの?ほんとうかどうか知りたい。たしかめてみたい」
>と言って泣かれてしまいました。
>なにかお知恵を貸していただけるとうれしいのですが。よろしくお願いします。
目をつぶって、大きく深呼吸してごらん。
それから、顔にさわったり、手を握ったり、胸に手を当ててみたりしてごらん。
そこに自分の身体があるのが分かるでしょう?
息をしたり、感じたり、考えたり、心臓が動いて血が通ったりしている身体がそこにあるのがわかるでしょう?
「星のかけらになる」ということは、キミが宇宙になるっていうことなんだよ。
キミの身体が宇宙のすべてになって、そこに宇宙がある、っていうことがわかるようになる、っていうことなんだ。
だから、これからキミはいろんなものを見たり、聞いたり、感じたりしなきゃいけない。
食べ物の味や、水の冷たさ。潮風の中の海の匂い。空から降ってくる星のきらめき。
そういったものを身体でひとつひとつ確かめていってごらん。
走ったり、泳いだり、草の匂いや虫の姿、山や雲の形、そういうものを感じてごらん。
そのうちにわかる時がくる。キミと宇宙がひとつながりの存在だということが。
キミは宇宙の一部だ。そして、キミの中にも宇宙がある。
キミは「自分」と「宇宙」の間の境い目のようなものだ。
だから、その境い目を完全になくしてしまうことはできない。
そうすると、宇宙と自分の区別がつかなくなっちゃうからだ。
だけど、その「境い目」をできるだけ薄くすることはできる。
それは、ものごとをありのままに見て、ありのままに感じること。
それは人間にはとても難しいことだ。
「へんけん」とか「めいしん」とか「おもいこみ」とかいった、いろんなものがあって、人間がものごとをありのままに感じることを邪魔している。
ゆっくりと勉強してごらん。
キミにはまだいっぱい時間があるのだから。
− Maria −
あさかぜ wrote:
> こんばんは。
>皆さんのお知恵を借りたくて来ました。
>
> 「人は死んだらどうなる?」に対して「星のかけらになるんだよ」という答えを娘にあたえた話をしました。で……。
我が家では「身体は土にかえり、魂はあの世にいくらしい。」
と教えてます。(誤魔化してるのか?)
(近所の公園には、飼ってた金魚やハムスターも眠っていることだし・・)
じゃあ「魂」とか「あの世」ってどんなもの??
と聞くので「生きてる人は知らないらしい。おかあさんも生きてるから知らない。」と答えています。
「知りたい」というので「放っておいても人間はいつか死ぬ。ただ滅多に死なないようだから、それまで待つしか手は無いのね。」と教えてます。
(やっぱり誤魔化しだな。)
「星のかけら説」も素敵ですね〜。
東京だと「きれいな星空」を眺める機会が無いですね。残念だな〜。
(私は子供の頃、星をぼーっと眺めているのが大好きでしたが)
> 理論物理学で説明できないかしら?それとも哲学なのかなぁ……。
青りんごには絶対に無理(笑)なので、
博学な皆さんのご意見を私もお待ちしています(笑)
これだけ休みが続くと、「お仕事モード」に切り替えるのが大変かも。
明日はしばらくろくに口も利けないだろう。
でも、やっと休みが終わった〜!ってほっとしてる面もあります。
私だけかも知れないけど、休みの日というと、自分のやるべき事、やりたいこと、気分、とかと相談して、一日の段取りを考えながら暮らさなくてはならないので、結構疲れるんです。家族と住んでいるので、家族とも合わせないといけないし・・・。
仕事も緊張して疲れるけど、今の仕事は、ほぼルーティンワークで、お客さまと会うこともないので結構気楽。仕事の時は、自分で段取りしなくても休み時間とか退社時間とかチャイムが鳴ってくれるし。
仕事モードの時って、家の自分とは別人で「若くて可愛い女の子(自称)」を演じている自分がいて、それが楽しいのです。
家にいるときは服もほとんど着たきり、親になにか言われるとだるそうに対応している、反抗期20年目?みたいな子供の私なのに。
きっと、家でのストレスは外で、外でのストレスは家で、うまく捨てていって、それでバランスがとれているのでしょう。
なんだかんだ言っても、私は外の世界は好きですよ。
変に思われたらどうしよう・・・とかビクビク暮らしていても、なんとか周りの人と一緒にやっていきたいと思っている。そんな「ビクビク」も、慣れればゲーム感覚?「当たったー」とか「外したー」とか思いながら、時に大汗かきながら、楽しくやっています(単に感覚がマヒしてるだけかも?)。
私って自分ではちっとも「普通」だなんて思ったことはないのだけど、ひょっとしたらここでいう「普通の人」なんだろうか?よくわからない。対人恐怖ぎみで気の利かないだけの人かもしれない。世間話もできないわけじゃないしね。
でも最初に「アスペルガー症候群」の名前をきいて、いろいろ掲示板とか見た日に、知り合い何人かには、「なんだか私に似た人がいっぱいいるよ」って報告してました。私の苦手分野はASの人たちの苦手分野と同じみたいだし、「似た人」ということで、ここにいるのはいいんですよね?
あさかぜ wrote:
>
> 「まんま夢見る子供」の青りんごさんて、きっと多くの人に愛されているんだろうな〜って気がします。おうちのなかで「まんま」でいられるなら、うらやましいですよ。わたしは、ひとりにならないと自分に戻るのはむずかしいです。無意識に「自動運転、スイッチオン!」になってしまっているので、たくさんの借りの姿を統合することもできなくて、あとになって自身を検証できた場合にのみ「きょうはわりと自分らしかったかも」とか考えることができます。
>
あさかぜさん、こんにちは。
どうも娘達からは愛されているらしいです。
一日中、二人に付きまとわれてヘトヘトになりますね。
でも「嫌いだ!!」と感じている人も確実にいるでしょう(笑)
そうゆう方々は「自分とは相性が悪いのだ。」と勝手に判断しています。
自宅で「まんま」で生活していると、外に出るのが億劫になります。
最近、年齢のせいか「仮の姿」のメッキがはがれて
時々「痛い目」に遭ったりしています。(笑)
そんな時は、家に逃げ帰って「時間薬」で快復させてます。
(一晩、眠ればなんでも忘れる性格らしい・・。
大事な事も全部、忘れて困りモノ。)
道順とか行事予定とか何でも憶えている娘に「あれはいつだったっけ?」
とか「どっちの道だったけ?」と聞いてばかりいます。(便利な娘だ〜。)
きっと早くに「ぼけ」るに違いないです(笑)(もうボケてるって。)
明日から学校ですね。気合いれなきゃね〜。青りんごでした。
こんばんは。
皆さんのお知恵を借りたくて来ました。
「人は死んだらどうなる?」に対して「星のかけらになるんだよ」という答えを娘にあたえた話をしました。で……。
「本当に星のかけらになるの?ほんとうかどうか知りたい。たしかめてみたい」と言って泣かれてしまいました。「実験はできないよ。自分が死んでしまったら、本当に星のかけらになるかどうかを確かめることはできない」と言ってはみたのですが……これって次のステップに進みたいというサインなのでしょうか?
娘はわたしの答えに満足したふうでもないし、できれば思考のきっかけとしてより深めていく方向へ導いてやりたいし……なにかお知恵を貸していただけるとうれしいのですが。よろしくお願いします。
以前「自分で自分の首をしめたらどうなるか?」を知りたくて実験した人の話を聞いたことがありますが、結果は「気絶した」だけなのだそうです。でも「死んだらどうなる?」実験は、材料が本人でも他人でもやらないほうが賢明だろうし……。
理論物理学で説明できないかしら?それとも哲学なのかなぁ……。
連休や 疲れ残して 去っていく
家族こそ とてもきついな ふれあいは
散歩行く! はりきってみたが 夢うつつ
青りんごさん wrote:
>
>「夢見る子供」って認識すべきモノなの??
>私、40歳近いけど「まんま」夢見る子供なんだけど・・。
>
> 一歩、外に出ると借りの姿の 青りんごでした。
こんにちは〜♪
お空は青くてお天気よくて……昼間からぐうぐう寝てたあさかぜです。
「夢見る子供」の認識って、日常生活のなかではないです、わたしの場合。思考の最中にだけあらわれる概念とでも言うんでしょうか……。
「まんま夢見る子供」の青りんごさんて、きっと多くの人に愛されているんだろうな〜って気がします。おうちのなかで「まんま」でいられるなら、うらやましいですよ。わたしは、ひとりにならないと自分に戻るのはむずかしいです。無意識に「自動運転、スイッチオン!」になってしまっているので、たくさんの借りの姿を統合することもできなくて、あとになって自身を検証できた場合にのみ「きょうはわりと自分らしかったかも」とか考えることができます。
はぁ〜(ため息) 連休おわりますね。
あしたから学校かぁ……。行きたくないな〜〜。やれやれ(^^;
こんにちは。青りんごです。
今日はいいお天気です。
これから外の風に当たりにお散歩にいきます。
皆さんのお空はどうですか??
Tien wrote:
>「誰でも自分の中にいる夢見る子供を認識すべきだ。」
>とありました。「自分の中にいる夢見る子供」のフレーズが私達&私達の持つ
>問題等を顕著に表しているような気がします...。
「夢見る子供」って認識すべきモノなの??
私、40歳近いけど「まんま」夢見る子供なんだけど・・。
一歩、外に出ると借りの姿の 青りんごでした。
Tienさん wrote:
>
>そして、結びとして、彼が「誰でも自分の中にいる夢見る子供を認識すべきだ。」
>とありました。「自分の中にいる夢見る子供」のフレーズが私達&私達の持つ
>問題等を顕著に表しているような気がします...。
こんにちは(^^)/ おひさしぶりです(そうでもないか…)
「自分の中にいる夢見る子供」って、いいフレーズですね。
わたしは自分の中のやつは「無敵の子供」って呼んでましたけど。傍若無人なんです。[世の中がどうしたって?おいらの知ったことか。へん!大人になれって?だれが決めたんだ、そんなこと。おいらにゃカンケーねえよ!]みたいな感じですから(^^;
ついこのあいだまで、真っ暗闇のなかで「さびしいよう、だれか助けて」って泣いていたんですけどね。娘がとびらを開いてくれちゃったもんだから……こりゃ〜もしかして、出てこないほうが良かったんじゃないか〜なんて思ってたりします。
「夢見る子供」かぁ……。いいですねぇ、うん。
大槻いつき wrote:
>
>明日は大阪のホールで第九を歌うのさ!! ドイツ語も発音難しいわ。
ドイツ語って、口を横に開く感じの発音・「ki」みたいに腹筋を使わないとできない発音がやたらに多いので、難しそう・・・フランス語は、口をとがらせる発音が多いので、これまた難しい。
それに比べるとまだ日本語は、基礎的で簡単な気がする・・・やっぱ母国語だからかな。
大槻いつきさん wrote:
>「M」の子音を、唇をあわせずに「上の前歯と下唇をあわせて」発音するくせが
>あります。
>WとMが同じになる。正確にはWも、唇どうしを近づけるのが正しいが。
Wは「唇どうしを近づける」というより、「唇をすぼめる」のほうが正解だと思います。MとBが口唇音、VとWが歯切音、というやりかたもありますが、日本語だとWは「わたり音」が普通です。演劇とか歌唱のほうだとまた違うんですけどね。
>外員売りとか早口言葉の練習とかもいいかも。
>なんなら外員売り全文のせましょうか?
いいかもー(^_^)。『外郎売(ういろううり)』や『あいうえの詩』(「あめんぼ あかいな あいうえお……」っていうアレね)なんかはやっぱり定番という気がします。ちなみに「ういろう」っていうのは長崎や名古屋の「ういろう」ではなくて小田原の「ういろう」。お菓子ではなく薬です。お菓子の「ういろう」は、薬の「ういろう」を飲んだあとに口直しに食べるものでした。
>明日は大阪のホールで第九を歌うのさ!! ドイツ語も発音難しいわ。
あたしはご高齢の先生にドイツ語を教わったので、発音も「巻き舌のR」ではなく「軟口蓋のR」とか、「口蓋音のH」ではなく「喉閉塞音のH」だったりします。だから、「der」は、「デア」ではなくて、「デル」です。
ですから、ドイツの歌唱曲で、『種』という歌があるんですが、その曲を昔のドイツ語で歌うと、サビの部分が、
「でる・ざーめん、でる・ざーめん、でる・ざぁ〜めぇ〜ん!」
ということになってしまいます。
……失礼いたしました。こうしてあたしは着々と品位を落としているのですね。
「いっひ ふんばると でる うんち」とトイレに書いてあったっけ Maria
ご無沙汰してました。ななは改めTien(=蝶)です。
ちょっと外国に行ってました。
機内で読んだNewsweek誌の中に興味深い記事(出版物とその作者の紹介)があった
のでカキコしました。男性作家の名前は忘れましたが、どうもASではないかと思われる彼が最新作を出したそうなのですが、その紹介文&作家自己紹介の中に
「芸術家を目指そうとしたが両親から精神病院に入れられた」とあり、
そして、結びとして、彼が「誰でも自分の中にいる夢見る子供を認識すべきだ。」
とありました。「自分の中にいる夢見る子供」のフレーズが私達&私達の持つ
問題等を顕著に表しているような気がします...。
Xanadiiさん wrote:
>武田好史 wrote:
> 私は最近になって、自分が「ま」行をきちんと発音していないのに気がついた。
> 口をきちんとひきしめて(閉めて・締めて)なくて、「うふぁ」っていうふうな、へんな空気が漏れてたりするのが、自分の耳についたりして、ちょっと嫌。ただでさえB.B.かコートニー・ラブばりのセクシーな唇が、発音の妨害をしていたりするせいかしらね(←無視)。女性のベイビー・トークは、まま歓迎されることはあっても、時と場所を選ぶものではある(あと年齢もか...)。
そうそう!!
私は現役で歌を、過去に芝居をやってるので指摘されることが多かったんだけど、
「M」の子音を、唇をあわせずに「上の前歯と下唇をあわせて」発音するくせがあります。
WとMが同じになる。正確にはWも、唇どうしを近づけるのが正しいが。
鼻かぜひいてる時じゃなくても、な行がだ行になったり。
さ行のSの発音がもれてかすれた音を立てるくせが自分では一番きらい。
「もともと舌が回る方じゃないのにやたら早口で話すから、発音のなまけが癖になってる」
というふうにいわれますが。
外員売りとか早口言葉の練習とかもいいかも。
なんなら外員売り全文のせましょうか?
でもって私信ですが「ふたりで聖書を」の感想はメールでおくらせていただきます。
長くなっちゃいそうだから、ゴールデンウィークあけにでも。
明日は大阪のホールで第九を歌うのさ!! ドイツ語も発音難しいわ。
武田好史 wrote:
>
> 私は、最近家族から「はっきり話せ!」と強く責められるので、風船を膨らますのを繰り返したり、「あき」「いき」・・・「わき」.「あって」「いって」・・・「わって」というように、「五十音+苦手な音」というふうなかんじでずっと言ったりして、話すとき口を動かす筋肉を意識的に鍛えています。
私は最近になって、自分が「ま」行をきちんと発音していないのに気がついた。
口をきちんとひきしめて(閉めて・締めて)なくて、「うふぁ」っていうふうな、へんな空気が漏れてたりするのが、自分の耳についたりして、ちょっと嫌。ただでさえB.B.かコートニー・ラブばりのセクシーな唇が、発音の妨害をしていたりするせいかしらね(←無視)。女性のベイビー・トークは、まま歓迎されることはあっても、時と場所を選ぶものではある(あと年齢もか...)。
ご自分のナレーションを、テープレコーダーに録音・再生したりして、練習されるのがよいかも知れません。プロのナレーターの喋りと、聞き比べたりしながら。自分の、頭の中で響く声と、再生された声って、ショッキングなまでに別物に響くものだから...怖いけど、鮮烈な体験です。あとは口腔周辺だけでなく、腹筋も鍛えとくといいですね。
自分の声がけっこう嫌いな、ザナディである―
#アンハッピー・ガール
見放されてた少女のきみ
あぶれて一人ぼっち
自分相手のカード・ゲームに耽りつつ
自分の正体を監視するのに明け暮れてる
きみ自身で組み立てた
監獄に閉じ込められて
きみは信じられないだろうけど
そんなきみを見つけたこのわたしに
涙を流させたってこと
忘れられてた少女のきみよ
まといつく過去のしがらみなんか破りすてて
壁からおもてを見通したら
今日かぎりこのまぼろしの独房を消し去ろう
きみ自身で組み立てた
監獄に生け捕りされているよりも
見放されてた少女のきみよ
急いでここから飛び出そう、今がその時
謎だらけのおもての世界で、目まいに襲われたとしても
きみ自身で組み立てた
監獄の中で朽ちてゆくより美しいから
ドアーズも、私が解釈すると青春応援歌?
「代名詞の逆転」っていう経験は、私にはないんだけれど、詞の世界では、けっこう日常的に行われている。
特に観念的な詞は、‘You’を‘I’に読み替えると(読み替え可能かそうでないかの見分けは、多少訓練がいるんだけど)、意味深に思えてくるものが多い...
最近少し気になったことがあります。
それは、「日本の国語の時間では、なぜ発音するときの口の形を教えないの?」ということです。
「あ」は口を開けて、「い」は口を横にのばしてということは、音楽の時間で習ったような気がします。リズムに乗って鍛えた方が、身に付きやすいということからでしょうか。
けど「話す」ということは、「歌う」とは意識的に違うので、普段の話し言葉を鍛えるには、また別な訓練をしなければならないような気がします。
私は、最近家族から「はっきり話せ!」と強く責められるので、風船を膨らますのを繰り返したり、「あき」「いき」・・・「わき」.「あって」「いって」・・・「わって」というように、「五十音+苦手な音」というふうなかんじでずっと言ったりして、話すとき口を動かす筋肉を意識的に鍛えています。
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