アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 「自己」と「社会」 4724へのコメント
No.4727  Sun, 13 May 2001 21:52:52 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>
>青りんごさんちょっと哀しいぞ。それって「本質的な解決」というものを取れなかったということだし、それだけ切羽詰まった悲惨な境遇にいたということだから。

> だけど、一息ついたところで本質を見つめなおし、抜本的な対策を取る、というところまで道をつけないと、けっきょくトラブル対応に追われるだけで終わっちゃうぞ。

う〜〜ん。わかっちゃいるんだが…。
マニュアルを眺めつつエネルギーの補充をしている状態でしょうかね。
>
> そういうの、やめましょうよ。「適当」「てーげー」「けらけら」でいいんでないかい?と思うのね。
> 「地道」とか、「誠実」とか、「律儀」とか、そういうのって、いいよ、やっぱり。ただ、柔軟性は必要だけどね。

そうだな〜。柔軟性だけはあるつもりなんだけどねー。
>
>で、従来型の手続き記述型システムと組合わせたってべつに問題はないわけで、ケース・バイ・ケースで使い分けてゆけばいいんじゃないでしょうか。

そんなもんかな〜?そう簡単にいくものなんだろうか?
>
> あんまり、人生について固く考えなくてもよろしいんじゃないでしょうか。
>
いえいえ。「棚上げ&保留」はお得意なんで固く考えてはいないんですよ〜。
子供にエネルギー吸われてるもんで、なかなか回復しないんでしょう。
考えるの疲れるし…。

エネルギー補充中のまま「あの世」にいきそう 青りんご


Re: 「自己」と「社会」 4724へのコメント
No.4726  Sun, 13 May 2001 20:55:24 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
>
> うちのお師匠さん……じゃなかった、所長さんの目の前でそゆこと言うと、「貴様ら修行が足りーんっ!」とかいわれて、襟首つかまれてびしばしびしばしびし、と頬を張られてしまいます。しくしく。

 おこられた〜、めそめそめそ……。(笑)

>だけど、一息ついたところで本質を見つめなおし、抜本的な対策を取る、というところまで道をつけないと、けっきょくトラブル対応に追われるだけで終わっちゃうぞ。

 んだ。おめさんの言うとおりだ。わかっちゃいるけど……。

>「適当」「てーげー」「けらけら」でいいんでないかい?と思うのね。

> あんまり、人生について固く考えなくてもよろしいんじゃないでしょうか。
> とかいって自分は気苦労が多い Maria

 「てーげー」に生きとるがね、わし。考えるのは単なる趣味……でもないけんど、楽しみのひとつではありますな。
 今日は頭イカレとります。思考能力低下中。3日ほど休んだ方が良さそうですわな。失礼いたしました。

   それでもMariaさんと話したかったのよ。「あさかぜ」に乗ったことがない あさかぜ


Re: マズローの「欲望の段階説」について。 4717へのコメント
No.4725  Sun, 13 May 2001 20:22:50 +0900  ぶどう [この発言にコメントする]

皆さんはじめまして。
これまで閲覧してるだけだったのですが(私はこの館の「住人」ではないので)、
気になる文章があったので初めて書き込みさせていただきました。

>仮に、共感力が強すぎて、相手の痛みを自分の痛みとして受け取ってしまうひとがいたとすれば?

・・・これに当てはまるのかはわからないんですが、私はこんな体験があります。
ある日、私の兄が仕事で追い詰められて、「もうどっか行っちゃいたいよ〜、胃が痛いよ〜。」って電話してきたんですね。うちの兄は甘えん坊でして(妹にこんな電話してくるぐらいだからして)こーゆーことは1年に2,3回はあることなので、「あ〜またなの〜」ってぐらいの気持ちで「うんうん。」って話を聞いてたんです。(私はこうした愚痴やら悩み相談の聞き役になることが多いんです)
そしたら、電話しはじめて1分半ぐらいたったところで、いきなり私の胃に激痛が!!
「ぐああああ〜、い、いててててっ!!」
・・・・思わず電話口で叫んでしまいました。
ど〜やら兄の胃痛が「うつってしまった」らしいんです。(それまで胃なんかぜ〜んぜん痛くも痒くもなかったんですよ。)
そのあと2時間近くいろんな話をして、なんとか元気を取り戻した兄は、「胃が痛いの治ったから切るね〜」と明るい声で電話を切ったのでした・・・。(やれやれ。)

相手の「精神的苦悩」には引きずられないのに、「肉体の苦しみ」だけが「うつってしまう」。そんな体験が私には他にもいくつかあります。(心は元気なのに体だけがつらくなっちゃうという。)頭(心)で「共感しよう」と思う前に、「体で感じてしまう」んですね。余計なことごちゃごちゃ考える前に、もろに「体にくる」もんだから自分でもびっくりしちゃうんですけど、なかなか便利です。
例えば、「口ではうまいこといってるけど、実は・・・」ってな人だってことがすぐわかったり、世間からは悪口雑言浴びてるけど、人間的にとってもとっても素晴らしい人なんだってことが「体で」わかったり・・・。(体がかーっと熱くなってきて、涙がぼろぼろ出てくるんですよ。)
私以外にもこんな「体質」の方、いらっしゃいますかー?


Re: 「自己」と「社会」 4723へのコメント
No.4724  Sun, 13 May 2001 19:04:01 +0900  Maria [この発言にコメントする]

あさかぜさん wrote:
> さまざまな困難にぶつかって、対症療法的に対応しながら生きてきました。
>その場しのぎと言ってしまえばそれまでですが、そこそこのノウハウは積み重
>ねてきたように思います。

ミッドランドさん wrote:
> そうなんですよねー。僕の人生も「対症療法」のきらいがあったんですよねー。
>「この場合は、こうする」「その時は、そうすべきではない」なんて普通の人
>間ならさほど意識しなくていいことを、強く意識する。そうして「社会」で生
>きていく「テクニック」を身に付ける。そんな調子で生きてきました。でもこれ、
>よく考えると「人生マニュアル」になりかねないんですね。

 うちのお師匠さん……じゃなかった、所長さんの目の前でそゆこと言うと、「貴様ら修行が足りーんっ!」とかいわれて、襟首つかまれてびしばしびしばしびし、と頬を張られてしまいます。しくしく。

 河豚の毒に当った人に解毒剤を注射したりはしません。人工呼吸機につないでおいて、毒が代謝されるのを待ちます。対症療法です。

 コレラに感染した人に、コレラ毒素の抗体を注射したりはしません。徹底的な輸液と栄養補給で、下痢に対抗します。対症療法です。

 盲腸炎になったとき、炎症を鎮めようとはあんまりしません。問答無用で切っちゃいます。対症療法です。

 状況の推移によって事態が悪化しそうな場合、まず対症療法によってそれをくいとめる、というのは基本です。あたしたちマイノリティはなかなか状況を味方につけるということができません。したがって必然的に対症療法に頼らざるを得ません。

 うちの所長さんは「天才ハッカー」と呼ばれています。「Hack」という言葉には、「(対症療法的な)やっつけ仕事」という意味があります。

 ですから、

青りんごさん wrote:
>私も対症療法的に生きてきたと思いますよ。
>でも、これって「皆、そうなんだ」と
>思ってました。もしかして?違うの〜?

っていう認識は正しいんだけど……青りんごさんちょっと哀しいぞ。それって「本質的な解決」というものを取れなかったということだし、それだけ切羽詰まった悲惨な境遇にいたということだから。
 うちの所長さんはしょうがないんですよね。もともとが「火消し」って呼ばれるプロジェクトの立直し屋さんだから、そういう悲惨なところを渡り歩いていたわけだし。だけど、一息ついたところで本質を見つめなおし、抜本的な対策を取る、というところまで道をつけないと、けっきょくトラブル対応に追われるだけで終わっちゃうぞ。

 「今は大事な時なんだ!」とか、「この非常時に何を言ってるんだ!」とか、「いまがどういう時期なのか解ってるのか!」とか、「君には危機意識っていうものがないのか!」とか、「そんなことでこの社会で生き残ってゆくことができると思っているのか!」とかいって危機感を煽ってばたばたしてると、なぁーんか割と好き放題できちゃったりするもんだから、そうやってやたらカッカしてる人って多いんですよね。そういうの、やめましょうよ。「適当」「てーげー」「けらけら」でいいんでないかい?と思うのね。

 「地道」とか、「誠実」とか、「律儀」とか、そういうのって、いいよ、やっぱり。ただ、柔軟性は必要だけどね。

>「柳」のような「自己」かもしれない 青りんご
 「柳に雪折れなし」といいます。「いなす」というのは重要な技法です。中国武術では、「化(ホァ)」といいます。

 なお、そういう対症療法的な情報処理手法を「データ駆動型」といって、人工知能の世界ではわりと一般的な手法です(うちの所長さんが開発した汎用日本語処理システム「JAI-Parser」も基本的にはそのデータ駆動型システムです)。で、従来型の手続き記述型システムと組合わせたってべつに問題はないわけで、ケース・バイ・ケースで使い分けてゆけばいいんじゃないでしょうか。

 なお、うちの所長さんは、この『アスペルガーの館の掲示板』のメンバーの多くがご存じのように、「人生、マニュアルがあれば大抵のことは何とかなる」という、「歩くマニュアル」です。「人生マニュアル」だって、それが有効ならなんにも問題はないわけで、うちの所長さんは初期の大型コンピュータ並のマニュアルを抱えているように思います。

 「ちょっと普通の人には真似できないのではないでしょうか。」と言ったら、「ビギナーズ・マニュアルとかチュートリアルとかFAQリストとか攻略本とかもございますけど?」と笑っていました。

 あんまり、人生について固く考えなくてもよろしいんじゃないでしょうか。

 とかいって自分は気苦労が多い Maria


Re: 「自己」と「社会」 4722へのコメント
No.4723  Sun, 13 May 2001 17:40:41 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

ミッドランド wrote:
>あさかぜ wrote:
>> さまざまな困難にぶつかって、対症療法的に対応しながら生きてきました。その場しのぎと言ってしまえばそれまでですが、そこそこのノウハウは積み重ねてきたように思います。
>
> そうなんですよねー。僕の人生も「対症療法」のきらいがあったんですよねー。 「この場合は、こうする」「その時は、そうすべきではない」なんて普通の人間ならさほど意識しなくていいことを、強く意識する。そうして「社会」で生きていく「テクニック」を身に付ける。そんな調子で生きてきました。でもこれ、よく考えると「人生マニュアル」になりかねないんですね。
> 僕自身は「強烈な自己」を持っているという意識はさほどありません。ひょっとしたら他人はそう思っているのかもしれません。
> 現に僕は「テクニック」を駆使しながらも、無意識な「自己」を「社会」にアピールする結果となっているのですから。
> それがいいのか悪いのか?しばしば自問自答してしまうミッドランドでした。

私も対症療法的に生きてきたと思いますよ。
でも、これって「皆、そうなんだ」と
思ってました。もしかして?違うの〜?

>    「柳」のような「自己」かもしれない 青りんご


「自己」と「社会」 4720へのコメント
No.4722  Sun, 13 May 2001 16:53:44 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
> さまざまな困難にぶつかって、対症療法的に対応しながら生きてきました。その場しのぎと言ってしまえばそれまでですが、そこそこのノウハウは積み重ねてきたように思います。
>
> ドナの本もつい先日読んだばかりです。自閉症であるなしに関係なく、「強烈な自己」を持っている人というのは、それだけで人を魅きつけるものなんだなぁと感じました。

 そうなんですよねー。僕の人生も「対症療法」のきらいがあったんですよねー。 「この場合は、こうする」「その時は、そうすべきではない」なんて普通の人間ならさほど意識しなくていいことを、強く意識する。そうして「社会」で生きていく「テクニック」を身に付ける。そんな調子で生きてきました。でもこれ、よく考えると「人生マニュアル」になりかねないんですね。
 僕自身は「強烈な自己」を持っているという意識はさほどありません。ひょっとしたら他人はそう思っているのかもしれません。
 現に僕は「テクニック」を駆使しながらも、無意識な「自己」を「社会」にアピールする結果となっているのですから。
 それがいいのか悪いのか?しばしば自問自答してしまうミッドランドでした。

 追伸 あさかぜさんへ
 僕は鉄道好きなので、「あさかぜ」という名前、結構好感持ってしまいます。
                     


Re: マズローの「欲望の段階説」について。 4717へのコメント
No.4721  Sun, 13 May 2001 14:41:45 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

ぴよ wrote:
>
>仮に、「自分と他人は、自分にとって同じようなもの」
>と、自分・他人・環境をわけへだてなく考えるひとがいたとすれば?

それら全てを「愛する人」と「愛せない人」がいるような気がします。
後者の人の方が多いのかな。
>
>仮に、共感力が強すぎて、相手の痛みを自分の痛みとして受け取ってしまうひとがいたとすれば?

相手の喜びを自分の喜びに出来る人もいそうです。
でも「妬んだり」「ひがんだり」する人の方が多いかな。
>
>そうすると、「欲望の段階説」も、なんだか、よくわからなくなってしまいます。
>
>そんなことを、ふと考えてしまいました。

段階的ではなくて、領域別に別々にレベルが上がっていくのかな〜。
バランスの悪そうな人も多そうだしー。

   書いててますますわからなくなった悩む主婦 青りんご


Re: 見つけた場所。 4714へのコメント
No.4720  Sun, 13 May 2001 13:31:16 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

  ミッドランドさん、はじめまして。

 AS児の母親です。
「娘がASなら、わたしもASだろう、多分」と思ってここへ参加させてもらっています。わたしは診断は受けていません。「診断を必要としない段階に達した」と自分では思っています。

 さまざまな困難にぶつかって、対症療法的に対応しながら生きてきました。その場しのぎと言ってしまえばそれまでですが、そこそこのノウハウは積み重ねてきたように思います。

 ドナの本もつい先日読んだばかりです。自閉症であるなしに関係なく、「強烈な自己」を持っている人というのは、それだけで人を魅きつけるものなんだなぁと感じました。

                    よろしくお願いします。  あさかぜ


Re: わけの判らない痛み 4718へのコメント
No.4719  Sun, 13 May 2001 13:16:42 +0900  ゆーり [この発言にコメントする]


わたしも疲れてるときや睡眠不足のとき、鼻の上がツーン、キーンとなって
「すっぱい感じ」になることがあります。
なんだか疲れが、顔の中央に集まっちゃうみたいです。
これって何ででしょうかねぇ?

あと、長時間コンピューターや机に向かってると、からだが前のめりになって
支えられなくなっちゃいます。 だから事務の仕事は苦手なんだー。


わけの判らない痛み
No.4718  Sun, 13 May 2001 11:15:29 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

 私はしばしば疲労しているときに、指先や口の周り腰などに、針で刺したような感じのちくちくした痛みを感じることがあります。
 ドナ・ウイリアムズさんも、「自閉症だった私へ」のなかで、鬱状態の時に関節が痛くてしょうがなくて困ったと述べていました。
 みなさんの中にも、こんな感じの痛みで悩んでいる人はいますか?


マズローの「欲望の段階説」について。 4713へのコメント
No.4717  Sat, 12 May 2001 23:56:11 +0900  ぴよ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> さて、マズローという人が「欲望の段階説」というのを唱えています。「生存の欲望」「快感の欲望」「自己実現の欲望」というふうに、人間は動物的な欲望が満たされると、より人間的な欲望にシフトしてゆくという考え方です。つまり、人間は「衣食足りて礼節を知る」わけですね。

「欲望の段階説」をみて、私は、こんなことを考えたりしました。

仮に、「自分と他人は、自分にとって同じようなもの」
と、自分・他人・環境をわけへだてなく考えるひとがいたとすれば?

仮に、共感力が強すぎて、相手の痛みを自分の痛みとして受け取ってしまうひとがいたとすれば?

そうすると、「欲望の段階説」も、なんだか、よくわからなくなってしまいます。

そんなことを、ふと考えてしまいました。


Xanadiiちゃまへ。愛をこめて。 4712へのコメント
No.4716  Sat, 12 May 2001 23:55:10 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Crispy で Zappy なXanadii ちゃま wrote:
> それからもひとつ。Mariaの姐さんのことネカマネカマと連呼するのは、
>非常に礼儀に反することだと、重々、承知いたしております。彼女には、
>どうなぐさめの言葉をかけてあげればよいのでしょうかね。何度も書きか
>けてやめた。やめだやめだ!!やっぱわたしに「個人の内の異性性」とや
>らを認識させるのは無理があるぜ。なんせクソガキだしな。こいつが出て
>きて邪魔するのですよ(都合がいいよな、人格交代!)以上説明終わり。
>何を説明したんだか.……

 了ぉっ解っ! なぐさめの言葉なんかいっ・ら・なっ・いっ・ぜぇ! 「Maria is four letter word + α」(スージー・クワトロなんか誰が覚えてるんだろぉ)、Hネタの女王のマリアちゃんだぜぇっ!(とーとつですが、例のなべつかみの話は「坂本廣子のがんばれひとりのごはん」シリーズ第一巻、『ひとりでも安心手料理 【炎のない蝶理のすすめ】』、農文協、1300円に出ています。お年寄りのいらっしゃるご家庭や、小学校高学年のお子さんがおられるご家庭ではなかなかにお役立ちの本です。子供は喜んでお料理のお手伝いをしてくれますが、なかなか危なっかしくて手伝わせにくいんですよね。ですが、これならけっこう安心です。なべつかみー!(←興奮している))

> で、Ms.Mariaの、この私の中にいまだ明確な名前を与えられていない
>人格がいるというご指摘は正しい。すくなくとも3人は存在するのではないか
>というところも、ただし私の場合秩序立てて使い分けているわけでないようで
>混乱し、やりにくいというところも。私のほうでもそうではないかなと
>感じてはいたんですけどね。

 そこんところはあたしの場合学齢期に折合っちゃったからな。この掲示板で知り合ったAS児の母様といろいろメールをやりとりした結果理解したのだけれど、あたしの場合は環境的に「そういう部分」の受け皿になってくれるひとがいたので、「自分の世界」としてのその部分と折り合いがついた気がします。だけど、そういう場所が見つからなかったひとはどうしてもそうなるよね。

> 私はKILROY氏と異なり、Web上に常駐しているわけではないので、時間が
>無い。なんせ、まだやっと月半ばだってのに、持ち金¥1000切っちまってる
>しよお、銀行預金も確か¥3000くらいだった……って、小学生かよ!って、
>こーゆー無秩序な人格交代が困るってんだろ(^_^)?いまのは「翻訳文学調なげ
>やりクソガキ理由無き反抗期ケンカ腰文体」とでも名づけておきましょうかね?
>長すぎる?これが一匹目。名前はまだ無い。よろしかったら、どーぞお好きに
>呼んどいて。

 あたしなんかなぁ、あたしなんかなぁ、Motoさんが出てくるんだぞぉ!(←そんなに嫌わんでも(^_^!) by Mr.Moto)

> ちゅーことで。今夜は以上。いや、皆さんとお話するのは楽しいのよ。
> Have a good night !

 あたしもXanadiiさんとお話しするの楽しいよ! 愛してるよぉ!
 Happy Hacking, Yeah !(←わかんないか。わかんないよな。)

 Xanadiiさんとは世界が違うけどなんか嬉しいぞ Maria


Re: 横レスです。ごめんなさい。 4713へのコメント
No.4715  Sat, 12 May 2001 23:05:43 +0900  青りんご [この発言にコメントする]

横レスです。ごめんなさ〜い。
Maria wrote:
>
> さて、マズローという人が「欲望の段階説」というのを唱えています。「生存の欲望」「快感の欲望」「自己実現の欲望」というふうに、人間は動物的な欲望が満たされると、より人間的な欲望にシフトしてゆくという考え方です。つまり、人間は「衣食足りて礼節を知る」わけですね。


自閉児の母。青りんごです。
この「マズローの欲望の段階説」の「生存の欲望」が満たされにくい環境下で生きているようだから、うちの娘は先に進みにくいのではないかな〜?と考えてました。
(あちこちが過敏で普通に生活していても不快感だらけで生きてるようだから…。あくまでも親の想像なんだけど。)
「生理的」⇒「安全」⇒「所属と愛」⇒「承認」⇒「自己実現」と五つに大別するとこの「安全」あたりで進み辛くなるのではないかな〜?と考えつつ育てていたんですけど…。
こんな事を考えていた親の方は他にいらっしゃいませんか?
すでに「所属と愛」までは進んできた気がする  青りんご


見つけた場所。
No.4714  Sat, 12 May 2001 22:29:08 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

 はじめまして。
 ミッドランドといいます。27歳、男性です。
 僕も幼いときから周囲の人間に対して違和感を感じ、それが生活のうえで少なからず支障をきたしてきた者です。以下は現在の僕から見た、過去の自分についてのデータです。
 
 ・幼少のころは一人遊びが好きで、公園などの遊具では他人が一人でもいると遊  べなかった。
 ・幼稚園では、ふとしたことで泣き叫ぶなどパニック状態によく陥った。
  (小学校入学後も、しばらくこのようなことが続いた。)
 ・地図記号、天気記号などのマーク類に興味を持った。
 ・言葉の使い方がよくわからず、意思の疎通がうまくいかなかった。
 
 このような人間だったので、当然社会では苦労の連続でした。
 同じクラスの人間と話をして、こっちは普通に話しているのに、その場をシラけさせてしまったり、ヘンなヤツだと様々なイヤガラセを受けたり、教師からは、
「社会性のない人間」などと言われたこともありました。
 僕があまりに他人と違いすぎるので、幾度か小児科や精神科を受診しました。しかし、結果は決まって「異常なし」。
 そのため当時、これは自分の性格の問題だとずっと思っていました。自分を変える。そう思いながらあれこれ画策してきましたが、徒労に終わりました。
 大人になってから、ドナ・ウィリアムズの本と出会い、自分と似ている点がいくつもあったことに衝撃をうけました。このときからです。これは性格の問題ではない、生まれついての障害では?と思い始めたのは。性格の問題でなければ、治るはずはない、と。
 正確な診断を仰ごうと、また精神科へ行きました。しかしここでも答えは、
「障害ではない、異常なし。」でした。どうにも腑に落ちません。
 その後、杉山氏や辻井氏の著書を読み、アスペルガー症候群の存在を知りました。「これこそ自分だ。」そう思いました。
 でも、もう医者の診断は仰ぎません。現状はASのことすら知らない医者が大多数でしょうし。
 
 ようやく自分の思いを吐き出せる場所が見つかったように思います。これから
できるだけ投稿していこうとおもいます。皆さんよろしくお願いします。

 

 
 


Re: 今の生活に疲れています 4711へのコメント
No.4713  Sat, 12 May 2001 21:47:57 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Yukiさん wrote:
>今私は、原因不明のやる気の無さに襲われています。
>だったらうつ病?とお思いでしょうがそうではないようです。
>なぜなら、病気ではないのに、病気になるために、病気の演技をしてしまうからです。

>友達もできて楽しいのですが、自殺して入院したときの快感が忘れられなくて、
>また入院してみたいと思っています。
>管理人さんやみなさんは再入院したいと思ったことはありませんか?

 「疾病利得(しっぺいりとく)」という言葉があって、それに依存するケースはわりと珍しくありません。なんとかいう病名もついています。

 ただ、「代理による」なんたかかんたら症候群、という「母親が子供を病気にすることで疾病利得を得る」という極めて悪質なやつがあります。

 したがって、Yukiさんの場合は特に問題はないと思います。「詐病(仮病)」について気にしてらっしゃるかもしれませんが、ヒステリー障害(最近では「乖離性障害」といいます)の患者の場合は無意識に同じことをやってるわけだから罪悪感と病識があるだけマシという気もしますし、「普通の人間はそこまでやらない」という意味で「(本人はそう自覚していないかもしれないけれど)精神的に追いつめられている」からこそそういう行動に走るわけでもあるわけだからそれほど気に病む必要はないと思います。

 ここからさきは別にプロでもなんでもないあたしの個人的分析ですから、信じる必要はありません。専門のカウンセラーなり精神科医なり(最近は思春期外来という窓口もあります)に意見を求めるときに「こんなことを言っている人がいるんですけど、どうなんでしょう?」みたいな形でネタを振るのに使える、という意味でダシに使っていただくのもいいと思います。あたしも意見聞きたいし、カウンセラーさんも話のきっかけに困ってらっしゃることが多いですから(なお、業界では一流といわれる先生で、「で、私は何を伺ったらよろしいですか?」というほとんど反則スレスレの業を使う方がいらっしゃいます)。

 さて、マズローという人が「欲望の段階説」というのを唱えています。「生存の欲望」「快感の欲望」「自己実現の欲望」というふうに、人間は動物的な欲望が満たされると、より人間的な欲望にシフトしてゆくという考え方です。つまり、人間は「衣食足りて礼節を知る」わけですね。

 そんなわけで、Yukiさんは「生存の欲望」が十分に満たされていないので、大脳新皮質が大脳旧皮質に支配されてしまっている状態なわけです。で、この状態を脱するには、「再養育療法」という治療法があります。これは何かというと、「親子関係をもう一度やりなおす」ことで生存の欲望、すなわち「愛情飢餓」を埋める、ということだったりします。ところがそもそもそういう状態になっちゃう女性というのは母親との関係がうまくいってなかった女性ですので、けっきょく脅迫反復してしまって治療にならない、みたいなことになります。でまあ、決定的なのは生活力と包容力と柔軟性のある男性をつかまえて、精神が退行しちゃうくらい甘やかされて、言葉まで赤ちゃんしゃべりになってしまってごろごろごろ、とかいう状態をゲロを吐くほど続ければ(まあ、よっぽどの人でもせいぜい三週間です。一ヶ月続いたら相当なものでしょう)、旧資質は新皮質の統制下に入ります。

 そうしたら、おしゃれと贅沢に走ってください。そんな金はない、という場合は思想とか理念に走ること。自分の経済状態の許す範囲内で「これだ!」というファッション、「これだ!」というライフスタイルを確立してください。プライド、自尊心、そういうものが湧いてきたらこの段階は卒業です。

 で、後は自己実現に向かって歩きだすことです。ごくごく身近なところからチャレンジして、それを実現してゆきます。「カレーを極める!」でも「紅茶を極める!」でもけっこう。「あたしにはこれができる!」という自信をつけること。

 だけど、「原因不明のやる気の無さ」というのが気になりますね。ちょっと燃え尽きちゃってるのかな? その「やる気の無さ」というのを具体的に知りたい気はします。「疲れ」なのか、「新しいことをする気力が起きない」のか、「将来に希望が持てない」のか。

 なお、あたしはこの件についてまるまる一冊本を書いてしまったことがあります。救世義也(くせ・よしや)、『ふたりで聖書を』、明窓出版、1600円です。P.87およびP.130以降をご参照ください。まる。

 (Maria)


Mr.Motoへ(ショートメッセージ)
No.4712  Sat, 12 May 2001 21:20:53 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

 KILROYさんとこの面々とは、私のほうでも話を整合させるのは難しいらしいっていうことは、ご察しのとおりです。で、さまざまなレスのことについては、いましばらく待っていただきたし。
 で、Ms.Mariaの、この私の中にいまだ明確な名前を与えられていない人格がいるというご指摘は正しい。すくなくとも3人は存在するのではないかというところも、ただし私の場合秩序立てて使い分けているわけでないようで混乱し、やりにくいというところも。私のほうでもそうではないかなと感じてはいたんですけどね。
 私はKILROY氏と異なり、Web上に常駐しているわけではないので、時間が無い。なんせ、まだやっと月半ばだってのに、持ち金¥1000切っちまってるしよお、銀行預金も確か¥3000くらいだった...って、小学生かよ!って、こーゆー無秩序な人格交代が困るってんだろ(^_^)?いまのは「翻訳文学調なげやりクソガキ理由無き反抗期ケンカ腰文体」とでも名づけておきましょうかね?長すぎる?これが一匹目。名前はまだ無い。よろしかったら、どーぞお好きに呼んどいて。
 ちゅーことで。今夜は以上。いや、皆さんとお話するのは楽しいのよ。
 Have a good night!  
 
 ああ。忘れるとこでした。KILROYさんとこの皆さんが、私と話しづらさを感じるもうひとつの理由として、私はとりあえず皆さん各人格にレスをつけるという、形をとってはいるのだけれど、実際はこのサイトに立ち入るすべての人を意識して発言していたりもするからなのではなかろうか。
 
 それからもひとつ。Mariaの姐さんのことネカマネカマと連呼するのは、非常に礼儀に反することだと、重々、承知いたしております。彼女には、どうなぐさめの言葉をかけてあげればよいのでしょうかね。何度も書きかけてやめた。やめだやめだ!!やっぱわたしに「個人の内の異性性」とやらを認識させるのは無理があるぜ。なんせクソガキだしな。こいつが出てきて邪魔するのですよ(都合がいいよな、人格交代!)以上説明終わり。何を説明したんだか... 
 


Re: 今の生活に疲れています 4710へのコメント
No.4711  Sat, 12 May 2001 20:41:59 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

Yuki wrote:
>今私は、原因不明のやる気の無さに襲われています。
>だったらうつ病?とお思いでしょうがそうではないようです。
>なぜなら、病気ではないのに、病気になるために、病気の演技をしてしまうからです。
>具体的に言うと、小学校のころは失神した振りをして授業をサボったり、
>適当に怪我をしたと偽って保健室に行っていました。
>でも、中学では入学時からブラックリストに載っていたので、
>演技のほうも巧妙になって結構大げさなこともしました。
>運良く県立の高校に入学できたのですが、1年生の10月になってまたやる気を失って、いろいろ演技をはじめました。
>その技術は、救急車まで出動させるほどのものでした。
>彼を失ったのもこの時期で、それ以来失うものは何も無いと思って、さまざまな名演技(?)を続けました。
>学校には非常勤のセラピストがいたのですが、その人にもいろいろ嘘ついちゃって困らせました。
>具体的に言うと、自殺の演技や薬の大量服用(嘘)です。でもなんとかギリギリの成績で高校は出て、今、専修学校に行っています。
>友達もできて楽しいのですが、自殺して入院したときの快感が忘れられなくて、
>また入院してみたいと思っています。
>管理人さんやみなさんは再入院したいと思ったことはありませんか?
>ここは辛口な意見が多そうなので怖いけど、ROMもつまらないので初投稿です。

 Hi! I think It’s very nice to meet you!

 またすごい経歴をお持ちのようですな。
 私なんかは「仮病」は、幼稚園時代で終わっているけどね。
 さて、こういうひとには、どう応じてあげるのがいいだろう。 
 とことん嘘をつき通して、いくところまでいっちまっといたほうがいいというのはまったくの無責任だしね。あなたの行動はいろいろな意味で社会に影響をおよぼしてると思うの。(それは忘れないでいてね!)。そういった意味では、あなたの存在感は、もう周囲の人にとってピカいちになってしまっているんだろうな。
 でもあなたの行動は、もうすでに人生そのものが「病むのが目的で病んでいる」領域にいってしまっている気がする。「人の気をひくために病を装う」レベルを超えてね。そんなあなたを「哀れ」と思おうものなら、わが身の破滅だってこと、そろそろ周囲も気づき始めているかも知れない。
 あなたは、お医者さんが好きなの?私には、どうにも肌の合わない人種なんだけどな。やつら、「きな臭え」ぞ、はっきり言って。
 こーゆー事書いてると、Yuriさんともどもこのあたくしまで‘Mr.Moto’とやらいうナイスな叔父貴にどやされっから、ひとまず消えます。
 ここまで頼ってきた、あなたのことを、私は例の、ボーダーラインとやらいう診断名で、すべてくくったりはしたくないのね。以上。bye!




 


今の生活に疲れています
No.4710  Sat, 12 May 2001 19:26:16 +0900  Yuki [この発言にコメントする]

今私は、原因不明のやる気の無さに襲われています。
だったらうつ病?とお思いでしょうがそうではないようです。
なぜなら、病気ではないのに、病気になるために、病気の演技をしてしまうからです。
具体的に言うと、小学校のころは失神した振りをして授業をサボったり、
適当に怪我をしたと偽って保健室に行っていました。
でも、中学では入学時からブラックリストに載っていたので、
演技のほうも巧妙になって結構大げさなこともしました。
運良く県立の高校に入学できたのですが、1年生の10月になってまたやる気を失って、いろいろ演技をはじめました。
その技術は、救急車まで出動させるほどのものでした。
彼を失ったのもこの時期で、それ以来失うものは何も無いと思って、さまざまな名演技(?)を続けました。
学校には非常勤のセラピストがいたのですが、その人にもいろいろ嘘ついちゃって困らせました。
具体的に言うと、自殺の演技や薬の大量服用(嘘)です。でもなんとかギリギリの成績で高校は出て、今、専修学校に行っています。
友達もできて楽しいのですが、自殺して入院したときの快感が忘れられなくて、
また入院してみたいと思っています。
管理人さんやみなさんは再入院したいと思ったことはありませんか?
ここは辛口な意見が多そうなので怖いけど、ROMもつまらないので初投稿です。


Re: いつ知った? 4707へのコメント
No.4709  Sat, 12 May 2001 17:56:32 +0900  Maria [この発言にコメントする]


Xanadiiさん wrote:
> あなたが「自閉症」という言葉を知った、もっとも古い記憶について、
>教えていただけますか?

 Xanadiiさんの質問の主旨とはちょっと違う点からお答えします。ごめんなさい。

 「言葉を知った」の「知った」の部分について、私は思うところがあるのですね。つまり、「自閉症患者」と呼ばれている人々の世界に身を置く、つまり自分が「自閉症になる」ことで、「自閉症」という言葉の意味を知ったときのことについてちょっと話したいと思います。

 この話の前提として、「自閉症」という病気とは何であるか、ということが問題になります。この点についてはKILROY(所長)さんが考える、「自分」と同じような「意識とか意志とか感情とか理性とかを持った存在」として他者を認知しない、という病気だという見解を採用します。つまり、相手をブリキのオモチャと変わらない、ただの「自働的物体」だと見なす病気、だということです。言い方は変だけど、ある意味「人を人と思わない」「傍若無人」な人、という存在なのですね。

 で、そういう「病気」がある、という存在があると知ったときから、あたしは「自閉症」の世界に入ってゆきました。

 それまで、私は人間に対してマイナスのイメージを持つことを「いけないこと」だと思っていました。ですが、世の中には不快でねじくれた有害な人間が歴然といます。蛇や毒蜘蛛や蠍のほうがまだしも感情移入の対象になりやすいような人間というのがいるものです。ですが、「みんな仲良くしなければいけない」「ひとりひとりの個性や権利を尊重しなければならない」とかいった固定的な観念が、私に人間に対するマイナスのイメージを持つことを許しませんでした。

 ですが、世の中には「人間に対する認識の病」というものが存在するのだ、と思うと、私にとって世の中はかなり生きやすい世界になりました。同時に、「自閉症」といわゆる「ソシオパス(サイコパス)」に似たものを感じました。ソシオパスの場合は、相手が自分と同じような存在であることを認識しながらも、「共感」ということができません。したがって「同情」ということができません。「相手が痛いと感じている」ことは理解できるんですが、それを自分の痛みとして感じることができません。確かに肉体的には痛くも痒くもありませんし。

 ただし、それは「相手の痛みを引き受けてしまうと自分にとって苦痛だから抑圧してしまう」とかいったものではなくて、そもそもそういう「共感能力がない」人間だったりするわけです。で、あたしはこの部分に一時期めちゃめちゃ魅かれました。
 「世の中には壊れたロボットが人間のふりをして紛れこんでいるのだ。そんなものはぶっ壊しちゃってどっかに棄てちゃっても、バレなかったらべつに罪でもなんでもないんだ」。一時期はそこまで行っちゃっていました。あたしはある種の人々に対して、同情や共感といったものを持つことを放棄しちゃったんです。

 ところが、そういう精神状態に身をおいていたら、感覚というか感性が、そっちに寄ってきた感じがするんですよ。

 たとえば、人間のオーラのようなものが見えるようになってしまいました。べつに「本当に色がついている」わけではないのだけれど、「そのひとだけははっきりと色がついて見える」人から「古いモノクロのテレビの中の映像のように見える」人までいろんな人が世の中にはいて、中には極彩色で後光まで射してるようなひとだっていたりするわけです。
 私はキリスト象や仏像の意味がその時にはっきり分かったような気がしました。そーかこれって最初は写実だったんだぁ。そう思いました。

 もっとも、このオーラと人間としてのよしあし、みたいなものはほとんど関係なくて、単に感情移入できるかできないかの差だったりします。「ああ、こいつ解ってない」と思った瞬間に、すぅっと色が抜けてしまって、言葉が言葉でなくて単なる音になってしまって言葉の意味が頭に入ってこなくなる、ということもありました。こういう人は目の前で苦しんでいても、ただ鬱陶しいだけです。ハエとかゴキブリのように、なんかでひっぱたいて止めを刺してどっかに捨てちゃいたくなります。
 世の中の身勝手な連中にしてみれば、他人っていうのはこういう存在でしかないんだろうな、とはっきり解りました。ですからあたしは社会のダニみたいな連中は人権だのなんだのとうざったいことを言わずにさっさと殺しちゃったほうがいいと思ってます。

 で、こうしたオーラは文章を通してもけっこう見えるのですね。ついでながら、Xanadiiさんはちょっと毛色の変わったオーラが出ていて面白いです。三人分くらいのオーラが交代交代で出てきてる感じ。セルフイメージが複数あって、それが融合されずに「同居」してる感じ。だからちょっと怖い気はします。どのXanadiiさんが出てくるかわからないから。あたしにレスつけるとMr.Motoが出る、みたいな話がありましたが、所長さんとあたしとMr.Motoが同じハンドルでごっちゃに喋ったらXanadiiさんみたいになりそうな気がします。

 あたしはオーラが強くなったり弱くなったりしている人を見ると、助けてあげたくなります。ただし、もともとの強さ弱さというものがあって、もともと弱いひとだと、「人とかかわる」能力が上がることによって世の中に振り回されてしまって潰れてしまうひともいるようです。

 ASの妻もどきさんやあさかぜさんはもともとはっきりしたオーラをもっている人だと感じました。だけど、ちょっと「世の中」というものと距離を置いて、あまり心の中に波風を立てたくない、といった「現在静養中」の札が下がっているようなひとのように見えました。だけどなんかこう……きれいなというか、いい匂いのしそうなというか、そういう感じだったんですね。そういうひとを見つけると、私は猫のようにすりよってしまいたくなります。すりすり。ごろごろ。

 青りんごさんはぼかっと明るくてあったかくて、聖人伝に出てくる愛と真実の使徒、みたいなシンプルなオーラを感じます。太陽みたいな感じかな? 甘えたがりの人が寄ってきそうな感じ。逆にTienさんは夜を照らす明かりです。悲しかったり傷ついたりした人に好かれそうな優しい明かりです。

 ですから、「自閉症」の人というのは、あたしより色が薄くてコントラストが弱い世界に住んでいるように思います。普通の人は世界全体に色がついていて、コントラストも普通。
 で、ASの人間が「普通の人」が見ているような映像を見ているとそこいらじゅうガチャガチャしちゃってうるさくてしょうがない。そんなわけでボリューム絞って濃いサングラス掛けて、なんとか堪えてるんじゃないかと思います。で、私は自前の画像処理システムと音声処理システムを脳の中に持っていて、自分にとって有用な情報だけをフィルタリングして、シュードカラー表示をして見ていると。
 つまり「カクテルパーティ効果」のように、「自分に関係のある話はちゃんと聞こえるのだけれど、自分とは関係ない話はざわざわとした騒音にしか聞こえない」みたいな情報選択能力を発達させることで、世の中と折合っているわけです。世の中には母親になると子供の泣き声だけははっきり聞こえる、みたいな話がありますから、後天的に自分をそういう状態に持ってゆくことはそれほど特異なことではないように思います。

 むつかしい話になっちゃってごめんなさい Maria

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