アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
くると wrote:
>> あと人からは奇妙だと言われますが、外国語の文型や
>語法を読み取るのが大好きです。なぜだかわかりません
>が、本の内容そっちのけで、言葉のパターン調べに熱中
>しています。(くると)
めずらしいですね。でも私も奇妙ですが、家庭の医学が大好です。
百科事典という声もありましたが、私も子供の頃、学校で好きな本を
もって来るように言われ、辞典を持って行き、変だ。と、言われた事が
あります。
家庭の医学は愛読書で、用語や病名がとても新鮮に感じられ、ページ
をめくるとわくわくします。今、仕事(面接士って知ってますか、保険会社
にいる、健康に関する告知を促す仕事)に非常に役立っています。
きっと、人それぞれ、なぜだか解らない興味の対象があるんでしょうね。
くると wrote:
>
>(1)常識主義的「普通」
>
> 多数の人間が従っているルールやマナーに忠実であるという意味
>での「普通」。
>
>(例1)「そんな普通(常識的)なことも守れないのか」という叱
> 責
>
> →人間ならモラルを守って当然という前提があるようだ。
僕も時々「おまえ普通にやれよ!」と言われたりします。
>
>(2)正常主義的「普通」
>
> 社会的に正常とみなされる人間の立ち振る舞いを基準にして、決
>定される奇異ではない立ち振る舞い。
>
>(例1)「もっと普通にできないのか」という叱責
>(例2)「あいつ、普通じゃないよ」といううわさ話
>
> →常識主義的普通が善悪を問題とするのに対し、こちらは
> 正常か異常かを問題にする。
僕は、学校の友達から「普通にしゃべれよ」「歩き方が変だよ」と、時々言われたりします。
>
>(3)自然主義的「普通」
>
> 「人間は欲望に従って行動している」という前提の下に、それに
>反する行動や考えに対して反論する時に使用される「普通」。
>
>(例1)「またまた、無理をしちゃって(笑)」というからかい
>
> →本能に反する行動は「普通じゃない」と思われるようだ。
> 常識主義的「普通」とは矛盾しているような気がする。
>
>
>(4)快楽主義的「普通」
>
> 「人間は本来明るいものだ」という前提の下に、使用される「普
>通」。暗い表情の人間は「普通」とはみなされないようだ。
>
>(例1)カメラ屋さんが写真撮影をする時にいう言葉。「はい!普
> 通(の表情)にしてー。」
>
>(例2)飲み会の席でボーとしている時。「もっと普通にしていて
> いいのよ。」
>
> →笑えない男であるわたしにはむしろ不自然である。でも
> 明るくしていないと不自然だと思われるらしい。
僕はいつも明るく笑っているけど、「おまえ笑い方が変」と時々言われます
>
> わたしが分類できたのはここまでです。もっと分類できるかもし
>れませんし、いくつかの項目で同義反復している部分があるかもし
>れません。未熟者のわたしに対して、様々な角度からご教示いただ
>ければ幸いです。
>
> 他人から見れば、こんな分類は無意味に見えるかもしれません。
>しかし、わたしは日常会話で、多義性を含む言葉に非常に混乱する
>傾向があります。このように普段から我流の言語分析をしてロール
>プレイングしておかなければ、テンポのよい会話にはついていけな
>いのです。(シクシク)
僕もテンポのよい会話についていけない時「おまえノリが悪いナー」と言われることがあります。
>
> 他の人たちがなんでこんな多義性を持つ言葉を直感的に理解し、
>自由に使用できるのか不思議でたまりません。(???)
まったくそのとうりです。僕も不思議で不思議でたまりません。
(スッタ・ニパータより抜粋、内容は変えていないが言葉は分かりやすいように変えた)
師は食物を配給しているところに近付いて、傍らに立たれた。田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、師が食を受けるために立っているのを見た。そこで師に告げて言った。
「道の人よ。私は耕して種を播く。耕して種を播いた後で食う。あなたもまた耕せ、また種を播け。耕して種を播いた後で食え」
「バラモンよ。私もまた耕して種を播く。耕して種を播いてから食う」
そこで田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは詩をもって師に呼び掛けた。
「あなたは農夫であると自ら称しておられますが、我らはあなたが耕作するのを見たことがない。お尋ねします、あなたが耕作するということを、我らが了解し得るように話して下さい」
「私にとっては、信仰が種に当たる。苦行が雨に、智慧がくびきと鋤に、はじることが鋤棒に、心がそれを縛る縄に、心を落ち着けることが鋤先と突棒に、それそれ相当する。
身を慎み、言葉を慎み、食物を節して過食しない。私は真実を守ることで草刈りの役割としている。柔和が私にとっては、終わった後の牛のくびきを離すことに当たる。
耕作はこのようになされ、甘露の果実をもたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる」
そのとき田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは、大きな青銅の鉢に粥を盛って、師に捧げた。
「あなたは耕作者です。ゴータマ様は甘露の果実をもたらす耕作をなさるのですから」
仏教の布教をしたい訳ではなくて、「役割分担」ということを考えてみました。
「アスペルガー共和国」という考え方は、以前は私も賛成だったのですが、最近はそれでは役割分担ができないのではないかと思うようになりました。
世の中には田を耕す人も重要ですが、それだけが全てではなく心を耕す人も必要です。
(もちろん、それ以外の役目の人もです)
「アスペルガー共和国」では、不足する役目も出てくるでしょう。
だから、独立した国ではなく、ある社会の中に存在する「アスペルガー株式会社」のように、得意な分野を担当する存在になることがいいのではないかと考えています。
問題はむしろ、偏見を持つ人々などが、自分の役割を分担しようとしないことにあるのではないかと感じています。
Mariaさん wrote:
> 「理屈っぽい笑い」「ハイソな笑い」というのが好きだったりします。
私も、「ハイソな笑い」は、嫌いじゃありません。
#大学の時にクイズ研にいたんですけど、
#ここの集団のギャグセンスは、ちょっと、いっちゃってます。
#共有している知識が、普通じゃないからでしょうか。。
でも、もっと好きなのが、シュールな笑いです。
点取占いとか、
http://www.hanaichi.net/tentori/
VOWとか。
http://www.mag2.com/vow/
http://www.takarajimasha.co.jp/tj/free/vow/vow_free/index_f.htm
武田好史 wrote:
怪我のご心配いただいてありがとう。
私の幸せは、静かな茶室で(四畳半がいいかな)お香を焚き
お茶を点てること。釜の松風を聞きながら、アルファー波がでている
状態を感じること。 最近幸せしてない。
かおりさん wrote:
>Mariaさんのこの明るさ、知識の豊富さ、とーても好きです。
ありがとうございますぅ〜!
>私が好きな本のジャンルはファンタジー系、物語系でハッピーエンドが好きです。
ファンタジーじゃなくてSFだけど、『夏への扉』とか好きでしょう?
あたしは御都合主義のハッピーエンドは嫌いで、説得力のある、主人公が冷静な計算に基づいて果敢に行動した結果勝ちとったハッピーエンドが好きです。
映画だと、『レッド・オクトーバーを追え!』や『2010年』、『ヒドゥン』なんかが好きです。
>ボケとツッコミって、私にとっては結構難しいですね。ボケてるつもりが
>無いのに「お前ボケてんのか」とか、よく言われました。相手がボケてる
>のが分かってもどうツッコンでいいものやら。
あたしの周囲には真顔でボケるひとが多いので、ツッコミに苦慮します。
「さいきん物忘れがひどくてなぁ」
「マドレーヌを紅茶に浸して食うと効くらしいぞ」
「誰がマルセル・プルーストやねん!」(←読み筋は、『失われた時を求めて』)
ほとんど真剣勝負です。
>駄洒落は笑えますが、なんというか相方をバシバシ叩きながらの漫才は苦手
>です。面白いと感じる閾値とか方向性がちょっと違うのかと思いますが、こ
>れは皆さん様々なのでしょう。
「理屈っぽい笑い」「ハイソな笑い」というのが好きだったりします。ダウンタウンの松ちゃんは好きだけど浜田さんはちょっと、とか。お気に入りのユニットは、ウッチャン・ナンチャンの『ウリナリ!』の、「父さんのコップ」だったりします(マイナーだ……)。堀部さんのファンなんだけど、総選挙でレギュラーから外れてしまいました。しくしく。
そういえば、先日の横浜オフライン・ミーティングでは、『カレー博物館』に行きました。そこで出たネタ二題。
「可愛らしいカレー」=「ニクらしいものがひとかけらも感じられない」。
「感動的なカレー」=「胸の奥から熱いものがこみあげてくる」(超辛い)。
あとは最近、金曜日の午後十一時五十五分からやっている、『でぶや』という番組にハマッています。あと、マンガだと「月刊まんがくらぶ」「月刊まんがライフ」連載の『かいしゃいんのメロディー』(大橋ツヨシ)が好きです。
あたしは何を話してるんだろぉ Maria
LDのくるとです。『ずっと「普通」になりたかった』(グニラ・
ガーラント著・ニキリンコ訳)を読んでからずっと気になっていた
ことがあります。
どうも、わたし以外の人間は「普通」という言葉を様々な意味で
使っているみたいです。不肖くるとは現時点で「普通」という言葉
に以下の4つの用例を確認しています。
(1)常識主義的「普通」
多数の人間が従っているルールやマナーに忠実であるという意味
での「普通」。
(例1)「そんな普通(常識的)なことも守れないのか」という叱
責
→人間ならモラルを守って当然という前提があるようだ。
(2)正常主義的「普通」
社会的に正常とみなされる人間の立ち振る舞いを基準にして、決
定される奇異ではない立ち振る舞い。
(例1)「もっと普通にできないのか」という叱責
(例2)「あいつ、普通じゃないよ」といううわさ話
→常識主義的普通が善悪を問題とするのに対し、こちらは
正常か異常かを問題にする。
(3)自然主義的「普通」
「人間は欲望に従って行動している」という前提の下に、それに
反する行動や考えに対して反論する時に使用される「普通」。
(例1)「またまた、無理をしちゃって(笑)」というからかい
→本能に反する行動は「普通じゃない」と思われるようだ。
常識主義的「普通」とは矛盾しているような気がする。
(4)快楽主義的「普通」
「人間は本来明るいものだ」という前提の下に、使用される「普
通」。暗い表情の人間は「普通」とはみなされないようだ。
(例1)カメラ屋さんが写真撮影をする時にいう言葉。「はい!普
通(の表情)にしてー。」
(例2)飲み会の席でボーとしている時。「もっと普通にしていて
いいのよ。」
→笑えない男であるわたしにはむしろ不自然である。でも
明るくしていないと不自然だと思われるらしい。
わたしが分類できたのはここまでです。もっと分類できるかもし
れませんし、いくつかの項目で同義反復している部分があるかもし
れません。未熟者のわたしに対して、様々な角度からご教示いただ
ければ幸いです。
他人から見れば、こんな分類は無意味に見えるかもしれません。
しかし、わたしは日常会話で、多義性を含む言葉に非常に混乱する
傾向があります。このように普段から我流の言語分析をしてロール
プレイングしておかなければ、テンポのよい会話にはついていけな
いのです。(シクシク)
他の人たちがなんでこんな多義性を持つ言葉を直感的に理解し、
自由に使用できるのか不思議でたまりません。(???)
では、失礼します。
KILROYさん wrote:
> とはいえ、気狂い扱いはされるわ、ようやく認められればハゲタカやハイエナみたいな連中は寄ってくるわ……
ううみゅ、たしかに。
「大人って…。ぶつぶつ。」という感じでしょうか。
武田好史 wrote:
>
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
本を読みながら、とろとろと眠りにつく事。
灯りも消さないですすすすす〜っと眠りにつけるのが理想です。
(消してくれる人がいないのでちゃんと消して寝てますが…)
時々失敗して朝方まで読んでて、翌日悲惨な目に遭ってます。
青りんご
武田好史さん wrote:
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
人類がいまだかつて手にしたことのないものを、発見あるいは創造したときの、絶対的な孤独。
とはいえ、気狂い扱いはされるわ、ようやく認められればハゲタカやハイエナみたいな連中は寄ってくるわ……
平凡な幸せを犠牲にしてまで得ようとするものではないような気もしているし、「平凡な幸せ」を取り上げられて、それを餌にそこに追い立てられている人間も少なからずいるように思う。
Mariaがうらやましい気が、しないでもない。
(KILROY)
武田好史さん wrote:
> みなさんおはようございます。
>今日は本当につかないことをお尋ねします。
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
考え事をしていることです。あと、自分の頭のなかで
勝手な物語を作ってみることです。
あと人からは奇妙だと言われますが、外国語の文型や
語法を読み取るのが大好きです。なぜだかわかりません
が、本の内容そっちのけで、言葉のパターン調べに熱中
しています。(くると)
武田好史 wrote:
> みなさんおはようございます。
>今日は本当につかないことをお尋ねします。
>
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
研究中
それが分かったら博士(幸福学)をもらえるだろうか
武田好史さん wrote:
>
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
何も考えずに眠りにつくこと。
一日のおわりに「ああ今日も終わったなぁ」と心地よい疲労感につつまれ、穏やかな気分で眠りに落ちてゆくことができたら、最高に幸せ。
ほとんどないです(^^;) あさかぜ
武田好史 さんwrote:
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
本を読む、ドラマを見る、その感想を言葉にする。
仕事が休みで用事もなくて、ついでに身体の調子も良くて、
一日中、自分のペースで上記のことをしていられれば幸せ。
言葉にした感想を真面目にきいてくれて、
自分の感想もきかせてくれたり、
読んだもの見たものの内容について話し合ったりしてくれる人が
いればいいなぁと思うのですが、
それはいないのだな。
わたしのまわりのひとは、みんな忙しくて、
ほとんどドラマ見てないし、なぜかわたしの読んでる本は読まれていない。
Maria さんwrote:
>「さくら・かのえ」さんでいいんですよね? ポリネシア出身で「さ・くらかのえ」だったりすると失礼なので
「さくら・かのえ」です。
ちなみにどうしてこういうハンドルネームかというと、
この掲示板に書き込みをはじめるまで、
「SAKURA」というハンドルネームと「かのえ」というハンドルネームを
掲示板のジャンルごとに使い分けていまして、
新たなジャンルであるここに参加しようと思ったときに
ふたつをくっつけてみたというわけです。
> 「言いたいことを言っていい」。それがこの掲示板のいいところだと思います。
わたしもそう思います。
もう一つ、汚い言葉を使った「感情的な罵りあい」が
めったに起こらないのもいいところ。
武田好史さん wrote:
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
「Hネタの女王」としては、言うことはひとつ。
パートナーと一体になるあの光輝の瞬間と、その後の、時間が止まっちゃってるとろとろの陶酔感の中で、お互いの存在を確認しあいながら見つめあってる時間。
つまりは「愛を確かめあう時間」ということでしょうか。
愛と真実の使徒 Maria
ひま人 wrote:
>自分がASなのかどうか気になっている人からの投稿がときどき入っているようですが、健常者とASとの境界領域としてのAT(アスペルガー傾向)である可能性
>もあるのではないでしょうか?
>かつての哲学者・思想家・批評家・科学者らのなかには、ASを疑わせる人もいますが、むしろATであった人たちのほうが多いのではないかと思われます。
>ところで、ニキ・リンコさん訳のADDとADHDの本は新刊がいくつか出ているのに、ASやATの新書は出てきませんが、なぜでしょうか? そのほか、ハイパーレキシアやNLDについての本も出てきません。
アマゾンドットコム(アメリカのとイギリスの)で検索すると、去年今年にかけて、ASについての本が発売され、あるいは発売予定にはなっています。出版社、訳者の関係で、日本語版の販売は決まると思いますが、、、はっきり言って後は売れるかどうかですね。アメリカ、イギリスで話題になれば、日本でもすぐに訳本が出ると思います。つまり、日本全国の中の何割がこのASに興味があるのでしょうか、ということです。ドナの「自閉症だったわたし」が話題になったのは、出版社の力が大きいのではと私は思います。もちろん、内容が良いからこそ新潮社は版権を買ったわけですが。でもこの本を買った日本人の一体何割がその後もASについての本を買い続けるか、わたしは疑問です。
日本人による著書もあるのでしょうが、恐らくは専門書、いわゆる医学書の中の精神科あるいは心療内科の中の一項目に過ぎないのでは。もしくは、自費出版とか、あまり有名でない出版社から体験本がでているのかもしれませんが、商業ベースに乗せるのは難しいのではと考えます。Donaの3冊めの本が今翻訳中とのことですが(自閉症だったわたしへIIの後書きによれば)、それ以外のドジョウはASではなく、ADDやADHDに移ったのかもしれません。かえって、インターネットでHPを検索した方がより最新の情報が得られ、自分の知りたい事が直接聞けるのではないのでしょうか?
なおみの夢 wrote:
>Maria wrote:
>> 青りんごさんはぼかっと明るくてあったかくて、聖人伝に出てくる愛と真実の使徒、みたいなシンプルなオーラを感じます。太陽みたいな感じかな? 甘えたがりの人が寄ってきそうな感じ。
>
>本当にそのとおり、青りんごさんには、ついすりよって行きたくなる。
>>
ども。シンプルな青りんごです。
そう言われるとバーチャル以外でも「すりすり」される事が多かったかな…。
見た目も「ぼ〜」っとしてるようだし…。
こちらにお邪魔するようになってから、忘れていた記憶を掘り起す事が多くなりました。自分って何だろう?なんて考えます。皆が考えてるようだから…。
幼児期の私は「ぼ〜っと周囲を眺めているだけ」の子だったのだと思います。
星と猫と犬と砂と虫と水と図鑑があれば「時間を忘れる」子供でした。
どなたかと一緒で「水溜りと水溜りを繋げて川を作る」遊びが大好きで、何時間でも熱中しておりました。同年代の子供は興味の対象にはなってませんでしたし、既に「面倒くさ〜い」という自覚がありました。
「子供は風の子」という標語が「迷惑だな〜」と感じてましたし、昼休みは教室から外を眺めて過ごすのが日課でした。小学校時代は友達はいなかったと思います。
でも周囲との違和感は感じていませんでした。
物の「製造過程」を眺めているのが好きで、パン屋や靴屋などの商店の裏口はなぜか出入り自由になっていました。(高学年あたりだと「雀荘」や「焼き鳥屋」までウロウロしていた記憶がある。なぜ?)田舎でしたので「子供に優しい」土地柄だったのだと思います。(親は全く知りません)
中学・高校は「成績さえ押えていれば後は自由かな?」と感じてましたので、そこそこの成績を取っていました。あまり勉強をした記憶は無いのですが成績は上位を保っておりました。好きな教科、嫌いな教科という意識がなくて未だに何が好きなのかわかりません。その為か「何かひとつのモノに秀でる人」に非常に惹かれる傾向があります。(それでここに来てるのかもしれません。)
自分から「友達を求める行動」は昔からしていないんですが、いつも誰かが側にいたように記憶しています。幼児期のその友達は「いじめられっこ」だったり、思春期は「何らかの傷をもった子」(教師の子とか警察官の子とか。なぜか社会的に立派だと認められた職業を持つ親の子が多かった。)でした。
ずっと「来る者は拒まず、去る者は追わず」できたんですよね。
ひとりの快適さも知ってるし…。
そんな私が「オバサン化」したら「いじめっ子」を「いじめる」側に回っておりました。女だらけの環境下では何度も「痛い目」に遭ってしまいました。
「来る者」の中には、砂かけてくヤツがいる事を初めて知りました。(それも集団で!)
そんな私を「お馬鹿だね〜(笑)」と慰めてくれるのが現在の友人たちです。
で急遽、方針を転換「来る者はよくよく吟味し、去る者は追わず」としたわけです。それからは比較的、平和な日々です。
まぁ、いろんな事があるけど「娘は娘でいい」し「私は私でいい」し「人は人でいい」と思ってますね。 頭もシンプル 青りんご
武田好史 wrote:
> みなさんおはようございます。
>今日は本当につかないことをお尋ねします。
>あなたにとって、一番の幸せって何ですか?
はい。話しをして、そうなのって穏やかに言葉を交わしてくれる相手が居る事。
穏やかな空間があることです。
とにかくおこられたり、行動を批判されたりすることは頭の中が真っ白になる位
嫌なことなので。あとは、自分を認めてくれる人が居たらいいなあと思います。
もういじめられたり、あんたはこういうところがだめなのよ!と責められるのは
ごめんです。とにかく心安らぐ空間・雰囲気の場所が一番好きです。
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