アスペルガーの館の掲示板(旧)
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青りんご wrote:
>
>表情も顔の一部だと考えると「顔について意見する」なんて失礼よね。
>
> 放っておいてくれー 青りんご
そうだ〜 放っておいてくれ〜^^;
私の一番の望みは、静かな所で、静かに暮らすことかな。
(うるさい人は嫌いだ)
なおみの夢 wrote:
>
>うーん。私はコントロールされるのが、嫌いな性質なのね。
私も嫌いな性質なの。
でも周囲にはコントロールされていながら幸せでいられる女性も存在してると感じるのね。
たぶん、コントロールする側が上手なんでしょうね。
>今の状況がそうだからかもしれないけど、ASの夫が自分はASとは知らないから
>ASのこだわりがあたりまえ・・・妻は俺の気に入るようにしろ。と思っているので
>私は、理不尽と思いながらも、ASのこだわりに付き合わざるをえない状態に
>なっています。合わせて行く事はなんとかやって行くのですが、極端でとことん
>までやらなくては気がすまない人なので、本当に疲れる。この頃限界を感じ始めて
>きています。元々マイ、ファンタジーや、自分を持ちすぎている私なので、皆さん
>のカキコのように「はまる」「しっくりする」感じ。
なんだか妻とか嫁という「駒」として行動を制御されている気持ちでいました。
ゲームの「駒」みたいな感じ。
>色のついたタイルを選んで歩くあのほっとするしっくり感が、自分の世界で欲しい。我慢ができるのは、ここで言うふつうの人だからなのかな。(AS夫は我慢できない)皆、自分の「こだわり」ってありますよね。それを人から奪わないでくれって感じ。おまかせする人生は全然楽チンじゃない。私にとっては・・・。
いろんな行動を決定するまでは、自由に考えさせてと感じるの。
お互いに折衝しつつ、一番バランスのいい線で決定してもらいたかった。
>現在、自分でいきたほうが幸せと思っている。でもそれじゃ、相手にとっては
>捨てられたって事になるでしょう。彼の子も彼も、わたしにとって責任があるから
>今、そのことだけが、切り捨てたり、割り切ったりできなくて、どこかにいい方法
>や、なにか違う道筋はないか、さがしているの。
ず〜っと「母」という責任だけで生きてた感じでした。
>>
>私の元夫はわたしに男ができたから家を出て行った・・・と自分のことは全て棚上げして吹聴して歩きました。
ありがちですよね。これで泣かされた女も多いと思う。
>まったくの事実無根だったので悔しい思いをしました。弱いふりをしてよよ・・・と泣き崩れ、あの人が、あんなに悪かったのよ。と、吹聴して歩きたかった。
忘れたころにココでしてる気がしてる(笑)
>男は強くないってことでしょうね。保身にまわらなくちゃいけないなんて、でも女も強くないのよ。泣き崩れる事のできない女はつらいのよ。まあ、母子家庭はお陰様で弱者として、守っていただいていて、ありがたいですが。
>やっぱり、「届」は躊躇しちゃうな。こんな前回があり、自分の本質を知っていて
>我慢することで成り立つ夫婦生活は、私にはむいてないのかも・・・。
>ごめんね。青りんごさん、横レスで・・・今、こんな思いで生活しています。
>
>
> 弱い女に生まれたかったなおみの夢より
「母の責任」があるから、そうそうに逃げられないもんね。「女」としては弱いけど「母」となると不思議と我慢強くなれるんだよね。
でも「致命的なダメージ」を受けて精神を病んだり身体を壊したりすると
その「責任」さえ果たすことが出来なくなると思うのね。「子」と共倒れという可能性だってあると思うの。
「自分しか果たせない責任」なら、余計に自分の保身も考えないといけないと思うよ。
泣きたいときには泣いた方がいいよ。(でもAS系夫の前で泣くとパニック起こされて攻撃される可能性があるので避けましょう。コワイからね。)
当時の私は「よし。今夜は泣こう!」と夜中に意図的にひとりで「びーびー」泣いておりました。(これがなかなかスッキリするんだよ。)
女性なんだから感情を吐き出さないと、キツイと思うよ。
女同士でココで愚痴っちゃ駄目かしらね(笑)
自分の身体も心も労わってあげようね。青りんご
ミッドランドさんwrote:
>皆さんは電話(携帯電話にかぎらず)について、どう感じていますか?
電話は相手の都合に関係なくかかってきます。真夜中だろうが葬式の最中だろうが。しかも相手が誰だかもわかりません。
「ナンバーディスプレイがあるじゃないか」とか言われても、いつも同じ場所からかかってくる訳じゃありませんから、相手の特定はほぼ不可能です。そんなわけで留守番電話にしておくと、留守電のメッセージを聞いただけで電話を切られ、あとで散々に怒られます。つまり、自分からのメッセージは「ホット・ライン」に乗ってなければ我慢できない、という人がいるんですね。
緊急性を要する仕事(大規模ソフトウェアの障害対応や、精神科医など)では、たしかにそういう「ホット・ライン」を持っていて、いつでも「ファイアー・コール(エマージェンシィ・コール)」を受けられるようにしておく必要があります。だけど、「顧客だから」「患者だから」ということで、この「ホット・ライン」を濫用する人がいます。
そういえば、最近話題になっている「ガチャ切り」も多いんですよね。自分の要求だけ言って電話を切ってしまう。こういう人は、仕事関係では以前から珍しくなかったように思います。電話がダメとなるとメモ一枚置いて「対応してくれ」とか、人づてに用事を頼んで後になって「ちゃんと頼んでおいたじゃないか!」と逆上したりとかするわけです。
あるいは、「行けばわかるようになってるから」とか言われて行った先の現場がとんでもないことになっていて、向こうはこっち側の会社の対応の悪さにすでに怒り心頭で、いきなり「おたくは何をやってるんだぁっ!」とかいって頭ごなしに怒鳴りつけられたりすることもあります。だけどこっちがひたすら平身低頭して事情を分かってもらうと、そもそも怒りの鉾先が違う方を向いていたものだから怒りが治まったりします。で、こういう人を陥れるようなことをする上司に「ひどいじゃないですか」とかいって文句をいうと、反省するどころかげらげら笑ってたりします。で、あげくの果てに「キミ、それがビジネスっていうものなんだよ」みたいな有難いお言葉を頂戴してしまったりするわけです。
……なんであたしの周りってこんな奴らばっかりだったんだろ。ふぅ。
こういう人はほとんどがボーダーライナーです。突然パニックを起こしたとか、寂しくなったからといって仕事中にでも真夜中にでも電話をかけてきます。で、仕事とか睡眠とかいった用事を脇において、自分に関心を振り向けてくれないと我慢ができません。「いま、忙しいから」「眠いから」とかいってもダメです。そんな「些末な」ものと天秤にかけられること自体が赦せません。世界の何よりも誰よりも、重要なものとして扱ってもらいたいのです。
拒絶すれば、自殺未遂をやらかすか、仕事関係だったらこちらと繋がりのあるあらゆる場所にとばっちりの電話が掛かってきます。
で、なんとかかんとか気分が治まると、今度は罪悪感が首をもたげてきて、こちらがちょっとでも不機嫌な様子を見せようものなら解放してくれません。何度も何度も、そして何時間でも「謝罪」の言葉が続きます。これを遮ったりすると、また元の木阿弥です。「快く」赦してあげなければいけないのです。
そして、最後には「また同じようなことがあったら、いつでも連絡してきていいですよ」みたいな約束を勝ちとるまでは絶対に解放してくれません。
こういうのは、「弱者偽装型アルファ・シンドローム」といいます。「お前が駄目だから、俺が面倒をみてやってるんだ」的な虐めをほぼ逆にしたのがこれです。
普通のアルファ・シンドロームは弱者を虐めることで自己確認をしますが、その罪悪感がまた自分の正当性をぐらつかせ、さらに過酷な虐めに向かいます。
「弱者偽装型アルファ・シンドローム」は、相手を振り回すことで自己確認をしますが、その裏には相手に対する劣等感、あるいは屈辱に対する復讐、というものがあります。
一般的な「ヒモと情婦の関係」というのが、この「弱者偽装型アルファ・シンドローム」の典型です。で、被害者の女性は「この人はあたしがいなきゃダメなのよ」とか言ってるんですね。いわゆる共依存状態です。だけど、男のほうは女性のほうを見ていません。愛情飢餓を癒すことで頭が一杯になっています。で、その「愛情への渇望」を、男もその女性も「愛情」と勘違いしてるんですね。
だけど、実際には男は女性を憎んでいたりします。劣等感と屈辱を感じています。女性を振り回すことで、女性に対して「復讐」しています。困ったものです。
鬱病の後輩に振り回されて、過労でぶっ倒れちゃった知合いもいます。これが異性で恋愛がらみだったらストーカーということで警察も動いてくれるんですが、周囲の人は自分のところにとばっちりが及ぶのを嫌って、「あなたしか頼りになる人がいないんだから、なんとかしてあげなさい」とその人に押しつけちゃったわけです。「医者に行け」と言ってももちろん抵抗しますし、そうなると強制入院しか手がありませんが、家族はそういった対応にためらいがあるからこそ、「なんとかしてほしい」とすがってくるわけです。
携帯電話というのは便利です。個人と個人だから、相手を選べます。メールが使えるから、向こうはこっちの都合を優先しつつ、自分の都合も尊重できます。「何時から何時の間に電話ちょうだいね」と言えるし。それに、家の中でも便利なんですよ。トイレでも受けられるから。
あとは、電話受けたくないときは、電源切っとけばいいし。
残る最大の難関は、「携帯の電話番号を教えろ」としつこく迫ってくる人です。これは各人で対応してください。あしからず。
(Maria)
ミッドランド wrote:
> 僕が苦手としているもののひとつ、それは「電話」です。
> もともと話をするのが苦手ということもありますが、僕の場合はそれに加えて、
>
> ・話をしていて相手が見えず、ただでさえ苦労している「意思の伝達」の困難に 拍車をかける。
> ・一方的に言葉を話されているように感じて、言われたことの整理がつかない。
> ・自分が話をするとなると、呼吸がうまくできなくなり、息苦しさをおぼえる。
>
>といった状態になります。だから電話は苦手です。
私も電話は大嫌い。
自分の方から知らない相手にかけることは、どうしても必要なとき以外にはしません。
この春から転職&転居&単身赴任で家に電話を置かずに携帯のみにしました。
仕事上は携帯のほうが便利だし、調べられにくいという利点もあります。
メールは、番号ではないものに変えた方がいいですね。
青りんご wrote:
>
>
>どうも男性は女性をコントロールしたがる傾向があるようです。
>社会的にそうゆう位置に置かれている気がします。
>確かにコントロールされているのは楽チンでしょう。自己決定権を握らないのだから、どうゆう結果でも被害者でいられる。「いいお相手」さえ見つければ、その後の人生も楽チンなのでしょう。(それに失敗したから悲惨な目に遭ってしまったんですが…。「男を見る目」が無かったのでしょう。未だに自信が無い。)
>個人的には「男の人ってご苦労さんだな〜」と感じます。
>誰がコントロールしてくれと頼んだのだろう…。創造主の女かいな?
うーん。私はコントロールされるのが、嫌いな性質なのね。
今の状況がそうだからかもしれないけど、ASの夫が自分はASとは知らないから
ASのこだわりがあたりまえ・・・妻は俺の気に入るようにしろ。と思っているので
私は、理不尽と思いながらも、ASのこだわりに付き合わざるをえない状態に
なっています。合わせて行く事はなんとかやって行くのですが、極端でとことん
までやらなくては気がすまない人なので、本当に疲れる。この頃限界を感じ始めて
きています。元々マイ、ファンタジーや、自分を持ちすぎている私なので、皆さん
のカキコのように「はまる」「しっくりする」感じ。
色のついたタイルを選んで歩くあのほっとするしっくり感が、自分の世界で欲しい。我慢ができるのは、ここで言うふつうの人だからなのかな。(AS夫は我慢できない)皆、自分の「こだわり」ってありますよね。それを人から奪わないでくれって感じ。おまかせする人生は全然楽チンじゃない。私にとっては・・・。
現在、自分でいきたほうが幸せと思っている。でもそれじゃ、相手にとっては
捨てられたって事になるでしょう。彼の子も彼も、わたしにとって責任があるから
今、そのことだけが、切り捨てたり、割り切ったりできなくて、どこかにいい方法
や、なにか違う道筋はないか、さがしているの。
>でも、自分のコントロールさえ難しいストレス過多の日常で自分以外の人をコントロールできるわけが無いと思いません?
>自分以外の誰かを変えることなんて出来ないと思うの。
>こちらが変ることによって相手との「関係」を変えていくしか手がないのでは?
>
本当にそう。それが悩み。
>自分の限界を知って自分から「去る」という選択も悪くないと思う。
>「去れる」環境に身を置くというのも自己防衛手段のひとつだと思いますよ。
>「ズルイ男」「悪い男」と非難されたとしても「致命的なダメージ」を受けるより
>被害が少ないと思います。そんなに男は強くないと思います。どちらかというと女性の方が弱いフリできるので、まだ生き易い世の中だと感じています。
>
> 男も女もご苦労さん 青りんご
>
私の元夫はわたしに男ができたから家を出て行った・・・と自分のことは全て棚上げして吹聴して歩きました。
まったくの事実無根だったので悔しい思いをしました。弱いふりをしてよよ・・・と泣き崩れ、あの人が、あんなに悪かったのよ。と、吹聴して歩きたかった。
男は強くないってことでしょうね。保身にまわらなくちゃいけないなんて、でも女も強くないのよ。泣き崩れる事のできない女はつらいのよ。まあ、母子家庭はお陰様で弱者として、守っていただいていて、ありがたいですが。
やっぱり、「届」は躊躇しちゃうな。こんな前回があり、自分の本質を知っていて
我慢することで成り立つ夫婦生活は、私にはむいてないのかも・・・。
ごめんね。青りんごさん、横レスで・・・今、こんな思いで生活しています。
弱い女に生まれたかったなおみの夢より
Maria wrote:
>
> こういうことを言うと、「あなたには子供がいないから分からないんだ」とか言われそうだから言いたくないんですけど、親っていうのは(ここで「親」って一般化しちゃうとまた「私は違う」っていう人もいるんだけど)どうして子供を「ちゃんとした」子供にしようとするんでしょうか。
私は子供がいるけど、同感です。
>
> 世の中に合わせるのが苦痛な人間だっているんです。で、世の中に合わせることを強要された結果、不幸になったあたしみたいな人間もいるんです。親が子供にできることといえば、せいぜい「子供が世の中とうまく折合ってゆく方法を探すお手伝いをする」くらいのことなんです。
そうそう。「折り合いをつけるための方法」を一緒に考えていくという事かな。
>
> 頑固じゃいけませんか? 神経質じゃいけませんか? そういうものが求められる職業を選べばいいだけじゃないですか。
腕のいい職人さんなんてどうかなー?(うちは不器用だから駄目かも?)
>
> 「世間並みの幸せ」というのは、「世間にあるような幸せ」を子供に押しつけることではありません。本人が「世間の人と同じくらい幸せ」になる、ということです。
>
> 幸せに一般論は通じません。 (Maria)
一生「幸せな居場所探し」をし続けるものなのかもね。青りんご
武田好史 wrote:
> するとむしろ、純粋なAS・ADHD・LDはというものは存在せず、軽度発達障害というものは、三つの金属を溶かしまぜた「合金」のようなものなのではないでしょうか?
それを「個性」というのではないかな?
> 知能・社会性・精神状態および行動の各項目の障害の度合いを、あらたな尺度として、明白な評価をするようにしたほうがよいと思いますが、みなさんはどう思いますか?
>
どうゆう目的でその「評価」を必要とするのかな?
誰がその「評価」を「活用しよう」とするのかな?
当の本人だけが「誰かの期待」のために「自分を変えよう」と努力しなければいけないものかな?本人はそれが「自然」なんでしょう。
困っているのは周囲の大人で、「変ってほしいという願い(エゴだと思うんだが)」を持っているのは周囲の大人だと思うのね。
だったら周囲の大人が、当の本人自身が「変りたいという意欲(というか折り合いをつけたいという意欲)」を持たせる努力が必要だと思うんですよ。
その努力のためにその「評価」を参考資料として周囲の大人が活用するのは構わないけれど、「評価」を上げるためだけに叱咤激励でもされたら当の本人はどうなるかしら?周囲の大人も「評価」に振り回されることにならないかな?
私は「評価」の存在自体が「ちと危険かな?」という気がしますよ。
青りんご
ミッドランド さんwrote:
> 皆さんは電話(携帯電話にかぎらず)について、どう感じていますか?
わたしは「電話で仲良く話す友達」というのが存在せず、
電話というと「仕事で仕方なくかける」
(しかもものを頼むというワタシにとっては最大の苦手ごとをしなければならないことが多い)
「間違い電話」(よくかかってくる)「セールス」「親」(ときどきかかってくる)
の4種類しかありません。「用があるとき使う」というレベルのものです。
「親」と電話で話すときには
心にもない上辺だけのことを言わなければならないことが多いので、
あとで、かなり嫌な気分になります。
「仕事の電話」は苦手な「敬語」(どうしても覚えられない)
を使い、相手を怒らせないようにしないといけないので、いつも気が重い。
聞き取りが下手なので相手の言ったことを何度も聞き返し怒らせるのでは
ないかと思うと聞き返すこともためらわれて、
いい加減な応対をしてしまうこともあります。(反省)
以前職場の同僚でなぜか毎晩電話してきて長話する人がいて、困りました。
たぶん携帯を持っていても使わないと思うので、維持費がもったいない。
私はひょっとしたら「自閉症」というのも一つのものではなく、「正常」といわれる枠の中からはみ出した人々の総称なのではないかという気がしています。「診断基準」でみると同じように見えても、本質的にはひとりひとり違うのかもしれない。
日本にいれば中国人もアメリカ人もブラジル人もみんな「外国人」であって、母国との習慣の違いにとまどっていたりするでしょ。それと同じ状態じゃないのかなあって。
単なる想像ですけど。
ミッドランド wrote:
> 僕が苦手としているもののひとつ、それは「電話」です。
> もともと話をするのが苦手ということもありますが、僕の場合はそれに加えて、
>
> ・話をしていて相手が見えず、ただでさえ苦労している「意思の伝達」の困難に 拍車をかける。
> ・一方的に言葉を話されているように感じて、言われたことの整理がつかない。
> ・自分が話をするとなると、呼吸がうまくできなくなり、息苦しさをおぼえる。
>
>といった状態になります。だから電話は苦手です。
> 今の世の中、携帯電話があふれていますが、僕はアレを好んで使う人の気が知れないのです。街を歩いていて、携帯電話で重要な話を頻繁にしている人がいったいどのくらいいるのでしょうか!?TVで
>「コレ(携帯電話)がないと生活できなーい♪」
>などとほざく女を見たとき、 僕は、
>「こいつ、正気か!?」
>と思ってしまいました。そのくらい僕は携帯電話に嫌悪感を持っています。
> だから、どうしても必要に迫られるときが来るまで、僕は携帯電話を持つつもりはありません。
>
> 皆さんは電話(携帯電話にかぎらず)について、どう感じていますか?
> ご意見をお待ちしています。 ミッドランド
私も、「どうしても持たなければならない」事態にならないかぎり、持ちません!
ASは社会性の構築不全・言葉の意味の取り違え・こだわりが、ADHDは、多動性・気分障害(鬱状態等)・注意力や集中力の持続の困難、そしてLDはある特定の能力の不全が特徴的であるといえます。
しかしながら、LDと診断された子でも多動性が強く出たり・こだわりが強かったり、多動はないのに不注意だったり・あることが苦手だったり、ASでもおとなしい子もいれば、飛び跳ねてばかりいる子もいます。また気分障害は、三者の共通項であるといえます。またLDは最も軽い自閉症だという学者もいます。つまりこれらは、互いに重なり合っています。
するとむしろ、純粋なAS・ADHD・LDはというものは存在せず、軽度発達障害というものは、三つの金属を溶かしまぜた「合金」のようなものなのではないでしょうか?
知能・社会性・精神状態および行動の各項目の障害の度合いを、あらたな尺度として、明白な評価をするようにしたほうがよいと思いますが、みなさんはどう思いますか?
sion さん wrote:
>これらの感覚の抑制って制御可能なんでしょうか?
>息子を見てると一生そのことだけをやってそうでなんだかなって感じです。
こういうことを言うと、「あなたには子供がいないから分からないんだ」とか言われそうだから言いたくないんですけど、親っていうのは(ここで「親」って一般化しちゃうとまた「私は違う」っていう人もいるんだけど)どうして子供を「ちゃんとした」子供にしようとするんでしょうか。
世の中に合わせるのが苦痛な人間だっているんです。で、世の中に合わせることを強要された結果、不幸になったあたしみたいな人間もいるんです。親が子供にできることといえば、せいぜい「子供が世の中とうまく折合ってゆく方法を探すお手伝いをする」くらいのことなんです。
あたしがコンピュータのプログラムを書くときは、こういう感覚のお世話になっています。かっちりした、収まりのいいプログラムは、結果的に質の高いプログラムになります。
で、その質を維持するためには、単にプログラムを書くだけじゃなくて、文書化や内部の詳細設計やユーザ・インタフェースの部分の隅々まで、そういった「収まり」感を徹底することになります。ですが、他の人は「そんなに神経質になることないじゃないか。疲れるだろう?」とか言うんです。なぜかといえば、早くプログラムが完成してほしいからなんですね。だけど、その結果バグが出たとして、責任を追求され、対処しなきゃならないのはあたしなんです。だけど、そういう人たちは、自分たちの無責任さをぜんぜん理解していないんです。
頑固じゃいけませんか? 神経質じゃいけませんか? そういうものが求められる職業を選べばいいだけじゃないですか。
「世間並みの幸せ」というのは、「世間にあるような幸せ」を子供に押しつけることではありません。本人が「世間の人と同じくらい幸せ」になる、ということです。
幸せに一般論は通じません。 (Maria)
ミッドランドです。
sionさん wrote:
>無意識ですか。それでは息子に「そんなことやめたら」って言ってもそれがどんなことなのかもわからないんでしょうね。
>ただずっと「マイファンタジー」の世界にいてもらっても困るし・・・親としては悩ましいです。
>現実世界と空想世界の境界線をどのようにミッドランドさんはひかれていったんでしょうか。現在でも続いているとのお話ですが、家の息子はきっと私の何らかの関与がなければ、きっとずっと「マイファンタジー」から抜けられないのでしょうね。
>もしよろしければ、教えて戴けないでしょうか?
うーん、困りましたねー。
実は僕自身も、「現実と空想の使い分け」がいつからできるようになったのか、わからないのです。
しかし、僕には次のような経験があります。
僕が小学校に入ってからは、まだ「社会」という「現実」の概念が乏しく、「マイ・ファンタジー」にひたることが多くありました。そのためか、「ここで何をしていいのか、いけないのか」がわからず、よく教師から注意をうけました。
しかし、年月がたつにつれ、「社会のルール」を少しずつ汲み取っていき、それに従うようになりました。この「ルール」を認識してから「現実」を認識できるようになった気がします。「ルールに固執する」ことは自閉症やASの特徴のひとつで、それがよい方向へ向かったようです。
そして徐々に「現実と空想の使い分け」をする「テクニック」を身に付け、今日に至っています。
とは言っても、そこまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。
僕が「周囲から見ると異様に見える行動」をするたびに、周りから怒られ、罵られ、「ダメなヤツ」のレッテルを貼られたりしました。そのたびに、
「自分が今やっていることは、今しちゃダメなんだ。」
と気づき、「社会」では抑えよう、と思いました。それが「テクニック」に結びついたようです。
しかし、「現実と空想の使い分け」ができるようになったとはいえ、それでも「空想(マイ・ファンタジー)」のほうが頭の中を占める割合が大きい状態です。今でも無意識に「マイ・ファンタジー」に入ることが、(昔に比べるとぐっと減ったものの)あります。
sionさんへ
息子さんのことが心配なのは察しますが、彼を信じて、長い目で見てあげるのが一番いいのではないでしょうか。
「社会のルール」を少しずつ、それとなく教えるのもいいかもしれません。決してきつく言うことなく。 ミッドランド
Jane Doe wrote:
>孤独って本当は何なのですか。
>あなたは死にたくなったことがありますか。
>あなたが死ななかったのはなぜですか。
「本当は」とあるので、たぶん「あたし自身の孤独」というのではなく、「孤独」というものに対する質問なのだと思います。ですが、「孤独」という言葉にはふつう「苦痛」という意味があるので、あたしがどういう「孤独」を苦痛と感じるか、ということについてお返事したいと思います。
あたしの場合、あたしにとってよかれと思って、あるいはそれが当然のことと思って周囲がしたことが、結果的にあたしを追いつめ、現在の状況(病気療養中・仕事ナシ)に追いやってしまったというのがあります(このあたりの事情は、KILROY名義のNo.3390、No.3409、No.3415あたりを参照してください。そうです。あたしはいわゆるネカマです)。ですから、あたしの周りの「善意の人たち」というのは、あたしを見ると罪悪感に苛まれてしまいます。あたしはただでさえしんどい現状に加え、そういう人たちの視線を浴びることが苦痛なので、ひっそりと、そういう人たちがあたしのことを忘れていられるように生活しています。
ですから、死にたくなったことはやっぱりあります。ですが、これであたしが死んじゃったら、周りの人はまた罪悪感に苦しめられる……と思う反面、さっさと忘れられてしまうだろうな、という怒りがあります。だから死ぬのを思いとどまった、という気もしないではありません。
あたしをこういう状況に追いつめた人のなかには、あたしに対する明確な悪意、あるいは敵意を持った人もいました。だけど、そういう人はあたしをあざ笑うどころか、あたしのことなんて思い出しもしないでしょう。今頃は別のカモを物色あるいは餌食にしているかもしれません。あたしがこういう目にあったことに関して状況はまったく変化していませんから、あたしは今後また同じような目にあう可能性もあります。
ですから、あたしが死ななかったのは、そういった人たちを意識したからではありません。
けっきょく、なぜ死ななかったかといえば、単に「死にたくなかった」からかもしれません。その結果かえって苦しむだけなら、あたしは馬鹿なことをしていると言えるかもしれません。だけど生きてます。これが業(ごう)というものかもしれない、とも思います。
ただでさえヘコんでいるときにこういう質問に答えるのは苦しい Maria
ミッドランド wrote:
>
> 皆さんは電話(携帯電話にかぎらず)について、どう感じていますか?
> ご意見をお待ちしています。 ミッドランド
僕は携帯電話を持ってます。インターネットやEメールをしていて、話はほとんどしません。最近の携帯電話は、インターネットやEメールができるから話すだけの道具ではありませんよ。
それではまた(シンタロウ)
Mariaさん、ご返事有難うございます。
> それが「楽しい」というのとはちょっと違いそうに思います。「面白い」かというと、ちょっと脅迫反復っぽいところもあって、断言できません。ですが、頭の中に「むじむじむじむじむじ」とした、妙なもぞもぞ感があって、なんかそこにピタッとハマる感覚があります。
なんかよくわかります。息子のみならず私にもそんなところがあるんですが、言われるまで息子の行動とそのことが直結できてなかったように思えます。
これらの感覚の抑制って制御可能なんでしょうか?
息子を見てると一生そのことだけをやってそうでなんだかなって感じです。
(sion)
ミッドランドさん、お世話になります。さっそくのご返事ありがとうございます。
> 自分が安心できる「世界」であり、僕はこれを「マイ・ファンタジー」と呼んでいます。
>
> また、意識うんぬんについてですが、僕も無意識のうちに「マイ・ファンタジー」の中にはいります。これは現在でも続いています。「意識が衰えたとき」というよりは、「意識しないで」行動にでるのです。
無意識ですか。それでは息子に「そんなことやめたら」って言ってもそれがどんなことなのかもわからないんでしょうね。
ただずっと「マイファンタジー」の世界にいてもらっても困るし・・・親としては悩ましいです。
現実世界と空想世界の境界線をどのようにミッドランドさんはひかれていったんでしょうか。現在でも続いているとのお話ですが、家の息子はきっと私の何らかの関与がなければ、きっとずっと「マイファンタジー」から抜けられないのでしょうね。
もしよろしければ、教えて戴けないでしょうか?
ミッドランドさん wrote:
>
> 皆さんは電話(携帯電話にかぎらず)について、どう感じていますか?
> ご意見をお待ちしています。
こんばんは。
わたしは電話で話すことが苦手ではありませんが、長電話(女同士でたまにします)のあとは筋肉痛になることがあります。なぜか体が緊張したり、腕に力が入ったりしているらしいのです。無意識にそうなるので、気がついたときには「あら、またやってしまった…」ということになります。これって「電話が苦手」ということになるのかしら???
携帯電話は使いこなせないので、やはり解約すべきだろうとは思っています。が、田舎に住んでいるので……出先からの連絡や緊急時のことを考えると、一台は持っていたいような気もします。「出会い系サイト」や「メル友」は、わたしの知らない世界です。(ネットのメル友はいますけどね)
「要はかかりゃ〜いいだよ」が40〜50代の本音みたいな感じですね。単にわたしの周りの人たちがそうだということですが(笑)。
携帯基本料がもうちょっと安ければいいんだけどなぁ あさかぜ
竹田さん、はじめまして。そしてご返答ありがとうございます。
> もう一つは、そのことに神秘性や楽しみを感じているということがあります。
うちの息子の行為はおそらくこちらの理由からきているようです。
> このような場合は、その行為が人に迷惑でない限り、制止しないでください。また、そのくせを課題をこなしたあとのリラックスの手段として認めてやるのもよいでしょう。また次の段階へのステップとして利用することもいいでしょう。
そうですね、ご教示戴いたように検討してみます。
課題中はあまり手の常同行動はでないんですよ。(独り言は出ますが)
もちろん本人はやりたいばっかりなんでしょうが。うまくそこらあたりのコントロールが息子自身で出来るようになれば良いのですが。
今後とも宜しくお願い致します。
Maria wrote:
>Jane Doe wrote:
>>私はローレライだ。
>
> あたしもローレライだ。
>
> Jane Doe が Jane Doe になっちゃったら洒落にもならない。
> 苦しかったらメールすること。あたしも孤独だ。
>
> (Maria)
孤独って本当は何な
のですか。
あなたは死にたくなったことがありますか。
あなたが死ななかったのはなぜですか。
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