アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
> この光の点は、普通の人も見ているのでしょうか・・・・それとも、自閉症の症状の一つなのでしょうか??
「飛蚊症」「閃光暗点」という単語でサーチしてみると、何かわかるかも。
私は診断を受けていないのでASかどうかわかりません。
武田好史 wrote:
> 私には、妙な視覚の異常があります。
> 物ははっきりと見えているのですが、同時に紫や緑・黄色の無数の光の点が見えるのです。いえ、そんなふうにチラチラした薄い膜を通して、世の中の様子を見ているといったほうが正確かもしれません。印象派の画家の絵には、よく画面を細かい点の集まりで示した「モザイク」といった技法がとられているのがありますが、私の見ている世の中の景色も、そんな感じなのです。
私にもよく似た視覚の症状があります。
いつもではありませんが、赤と緑の同心円状の小さな粒粒が無数にみえます。
> 朝起きたばかりの時や立ちくらみをしたときには、その光の点は大きくなって、物を見えにくくします。また目を閉じたときにも見えます。
私の場合、まわりが明るい時はあまり目立ちませんが、
暗くなるとよく目立ちます。
物を見えにくくするほどになることはありません。
朝起きたばかりの時よくみえます。目を閉じたときにもみえます。
> この光の点は、普通の人も見ているのでしょうか・・・・それとも、自閉症の症状の一つなのでしょうか??
私はASの診断を受けていなく、ASかどうかわからないので、
自閉症の症状の一つであるのか、あるいは普通の人も見ているのかわかりません。
私もこの光の粒粒が、普通の人も見ているのか(自閉症の症状の一つなのか)知りたいです。
武田好史さん wrote:
>
> 私には、妙な視覚の異常があります。
> 物ははっきりと見えているのですが、同時に紫や緑・黄色の無数の光の点が見えるのです。いえ、そんなふうにチラチラした薄い膜を通して、世の中の様子を見ているといったほうが正確かもしれません。印象派の画家の絵には、よく画面を細かい点の集まりで示した「モザイク」といった技法がとられているのがありますが、私の見ている世の中の景色も、そんな感じなのです。
> 朝起きたばかりの時や立ちくらみをしたときには、その光の点は大きくなって、物を見えにくくします。また目を閉じたときにも見えます。
>
> この光の点は、普通の人も見ているのでしょうか・・・・それとも、自閉症の症状の一つなのでしょうか??
いつもつまんないレスばかりつけております。
「残像」とは違うのでしょうか?
というより、そもそも普通どの程度クリアに見えているものなのかな?
ちなみに、私は目の表面にアメーバの顕微鏡写真みたいなのが見えてます(普段は全く気にならない。バックが白いときに目立つ程度)。
それと、一生懸命歩いた後、こめかみあたりに蝶々が飛んでいるようにキュルキュル動くものが見えたりします。
たあさん wrote:
> 私は、人から嫌味を言われたり、からかわれたりした時は、怒りを感
>じる前にパニックになってしまいます。からかってきた人と一緒の部屋
>にいることも、我慢できなくなってしまいます。その人に対して、強い
>敵意を持ってしまいます。
他人に憎しみを抱いたり、嫌悪感を抱いたりするのはある意味で自然
な感情だと思います。
> 過去には、私をからかって、混乱させて、それを観察して楽しむ、と
>いうような(たぶん、いじめの一種だと思います。)ことをする人達ま
>でいたので、私は人と一緒にいると緊張してしまいます。
わたしもいじめられた経験を持っていますが、今でも他人に心を開く
のが難しいです。最近、いじめられていた子供の親が裁判をおこして、
いじめっ子やいじめを止めなかった教師に勝訴しました。
わたしがこどもの頃もこれぐらいのことをしておけばよかったと後悔
しています。
ぺりこさん。本当にお久しぶりです。
ぺりこさん wrote:
>2ヶ月くらい前に ”あなたがこの世に存在すると言うだけで、僕は落
>ち着かなくなる。あなたは怖い、僕を侵略してくる。あなたを見かけた
>ら僕は逃げるんで、あなたも僕を見かけたら逃げて下さい。”とゆう言
>葉を聞いた。
ジャック・ラカンという精神分析学者が「他者の欲望」という概念を
提示しています。なんでも、わたしたちが「自分の欲望」だと思ってい
るものは、本当は「他人の欲望」を取り入れただけなんだそうです。(
本当かよ!!)そしてその事に気がついてしまった人が精神分裂病にな
ってしまうんだそうな。ラカンは精神分裂病を発病した人が被害妄想を
持つのはこれが原因だとしています。
しかし、それにしてもあまり後味のいい経験でないことは確かです。
2ヶ月も悩まされていたとはお気の毒に…(くると)
オフ会の件について重要なことを書き忘れていました。
不肖くると wrote:
>(費用)1500円のコースを注文する予定
飲み物を注文する場合は別料金になってしまいます。うちの会員は
アルコールを飲まない人がほとんどなので、うっかりしてました。
たあさん wrote:
> 私は、人から嫌味を言われたり、からかわれたりした時は、怒りを感じる前にパニックになってしまいます。からかってきた人と一緒の部屋にいることも、我慢できなくなってしまいます。その人に対して、強い敵意を持ってしまいます。
>
> 過去には、私をからかって、混乱させて、それを観察して楽しむ、というような(たぶん、いじめの一種だと思います。)ことをする人達までいたので、私は人と一緒にいると緊張してしまいます。
>
> どうして、世の中には人をからかうのが好きな人がいるのでしょうか?
おそらくそんな連中は、「優越感」をなにがなんでも持ちたい、と思っているのでしょう。それで満足したいのでしょう。
僕は子供の時分、次のような体験をしています。(僕の話は体験談が多いな)
「ヘンなヤツ」とからかわれるのは日常茶飯事。僕がそれに反応してパニック状態になるので、それをまたからかわれるの悪循環。
ひどかったのは中学のとき。パンツを脱がされその状態で歩かされたり、竹の棒で頭をなぐられたり、廊下を歩いていていきなり蹴りを入れられたり。
僕は「ヘン」だけれども、成績は上位だったので、いじめるヤツらはそこが気に食わなかったようです。
当時、僕は自分がいじめられるのは自分の性格の問題とばかり思っていたので、次第に「自分は欠陥品」と「劣等感」を持つようになってしまいました。
しかし、この「劣等感」が、「からかい好き」に付け入るスキを与えかねないのです。「優越感」の対極にあるのが「劣等感」ですから。
かと言って、逆に「優越感」を持っても、ヤツらと同じ穴のムジナになってしまいます。ま、両者のバランスが大事ってことですかね。
「『優越感』を持ちたがる人間」と、「『劣等感』で固まった人間」。
僕はどちらも嫌いです。
今回、書いてて少し悲しくなった、 ミッドランド
私は、人から嫌味を言われたり、からかわれたりした時は、怒りを感じる前にパニックになってしまいます。からかってきた人と一緒の部屋にいることも、我慢できなくなってしまいます。その人に対して、強い敵意を持ってしまいます。
過去には、私をからかって、混乱させて、それを観察して楽しむ、というような(たぶん、いじめの一種だと思います。)ことをする人達までいたので、私は人と一緒にいると緊張してしまいます。
どうして、世の中には人をからかうのが好きな人がいるのでしょうか?
私には、妙な視覚の異常があります。
物ははっきりと見えているのですが、同時に紫や緑・黄色の無数の光の点が見えるのです。いえ、そんなふうにチラチラした薄い膜を通して、世の中の様子を見ているといったほうが正確かもしれません。印象派の画家の絵には、よく画面を細かい点の集まりで示した「モザイク」といった技法がとられているのがありますが、私の見ている世の中の景色も、そんな感じなのです。
朝起きたばかりの時や立ちくらみをしたときには、その光の点は大きくなって、物を見えにくくします。また目を閉じたときにも見えます。
この光の点は、普通の人も見ているのでしょうか・・・・それとも、自閉症の症状の一つなのでしょうか??
さくらかのえ wrote:
>
>ひとからされたり言われたりしたことに限らず「嫌な気持ち」になることがあると、
>「どうして嫌な気持ちになるのか?」「どうしてわたしはこのひとの言葉や
>態度に怒りを覚えるのか?」って考えます。脳味噌フル回転です。
そうそう。感情に直結してないと感じる。
(私はASでは無いはずなんだけどな?)
>(個人的には「直接された」ことよりも新聞記事などに怒ってることが多い)
>それは果たして「正当な」怒りなのか?
私は新聞とかTVとか雑誌には、反応しないんですね。
あんまり信用していないから…。
どうしても「商品」に感じてしまうんですよ。
「売りたい」「見せたい」という作り手の願望を感じてしまうの。
自分の目で見た範囲で「怒り」が生まれます。
>ときどき「言われている内容は正しいけど、あんたに言われたくない」など
>相手の人格を無視した見当違いの怒りを覚えている場合もあるので、
「はいはい。お言葉だけいただきますよー。ありがとさん。」
と心の中で答えます。(その後はあえて近寄らない)
>慎重に検討して「この場合、文句を言ってもいいかどうか」を決めています。
>(言った後で「自分のほうが不当だった」と気づいて一生懸命自己正当化してる場合も多々・・・ちょっと自分が嫌になります)
自己嫌悪で凹むんで、後日謝ります。
>他人と共存するためのルールづくりの参考にもなるので、
>ぶつぶつ腹を立てているのも、役には立っているかもしれません。
かなり役立っていると思います。
人付き合いって、そうやって上達するものだと思っています。
>
>口にされない感情や雰囲気を読みとるのが苦手なわたしとしては
>「自分にも相手にも楽しい会話を続ける」のは至難の業だったりします。
「相手は雰囲気を読んでいる」とすると「自分の見た目の雰囲気」って重要なことかもしれませんね。顔や体型は替えられないけど、洋服などで穏やかな雰囲気を作ると人間関係も少しは円滑にいくのかな。
>気を付けようと思いつつ、いつもひとりではしゃぎすぎたり、
>正論を言い過ぎたりしてしまう・・・
若い頃は、↑これでよく失敗しましたよ。
加齢とともに自分の中で「おばさん化」する部分と「穏やか」になる部分とがあるように感じます。そういえば、歳とともに頑固になる人もいれば、穏やかになる人もいますよね。同じ人間でも変化していきますよね。
人生経験を積むというのは、そうゆう事をいうのかしら。
まだまだ未熟者 青りんご
Joshyaである。
「うぉお、また増えやがった!」と思っていらっしゃるそこのあなた、違うのですね。なんといってもリニューアルなのですよ。今まで「所長」(号は「鬼子」)、あるいはJoshyaとして喋っていたふたりが同一人物であることが解って、めでたく「KILROY」から独立した、ということだったりする。はっきり言ってKILROYとは性格が違う。もっとも私が抜けたぶんだけKILROYの性格が変化するかもしれないが。
さて、リニューアルの原因、あるいは我々がヘコんでいた原因というのは、つまるところ「失恋」だったりする。toriちゃんとASの妻もどきさんが「卒業」しちゃったときもけっこうこたえた(妻もどきさんに至っては去り際の一発で「失恋」だというのが分かったもんな)が、今回はさすがにヘコんだ。
とはいえ男と女の関係の埒外にとりあえず去ったというだけの話で、べつに喧嘩別れをしたわけでもなんでもなく、私の大切な友人であることには変わりはない。じつはこういう形での「失恋」というのは私にとっても初体験で、ちょっと新鮮ではあるのだ。今後相手の女性とつきあう相手に心から同情する……とか言ってもおられんか。私に惚れてくれた女性(今後そういう女性が表れたとしてだが)にとっては相当に落ちつかない存在であろう。これは今世紀中は結婚できないかな?(←まだ百年近く残ってるってば。おっと、これでは「まだ少ないながらも可能性はある」なのか「死ぬまでできないだろう」なのかわからんな)
今回のことで私がどれだけ祖父や父親の影、あるいは「家族」をひきずっているかがよく分かった。べつに私の家の事情が相手の女性に影響を与えてどうこう、という話ではなくて、自分自身の内面的なものである。『ふたりで聖書を』はMariaにとっても自伝的小説だが、それと同時に私にとっても自伝的小説である。だから作中では著者名である「救世義也(Joshya Xet)」は「火消しのナジャ」こと納屋稔さん(ハンドルは「Najas Minor」)とマリアちゃん(蘇好美。ハンドルはMaria)の合作ペンネームということになっている。
で、けっきょく私が抱えているコンプレックス(劣等感ではない。それは「インフィリオリティ・コンプレックス」)というのは、「王の不在」である。永遠のNo.2でありながら、No.1が見つからない。で、その「失われた王」というのが、私が高校一年生のときに亡くなった私の祖父である。『ふたりで聖書を』には蘇太陽おじいちゃんとして出てくるひとだ。
私はイエス・キリストはバプテスマのヨハネのNo.2であり、バプテスマのヨハネの死後は弟子である聖ヨハネ(ゼベダイの子ヨハネ)のNo.2だと解釈した。ところがあくまでNo.2でしかない自分が組織のトップに立ってしまったという苦悩がイエスの苦悩だし私の苦悩だった。で、世に伝えられるイエスの最後というのは私が仕事と健康と婚約者を同時に失ったのと似たり寄ったりの状況であり、残された弟子たちは自分たちの罪悪感をごまかすために、「キリスト受難」はあらかじめ与えられた運命であり、イエスは復活して天に上げられたのであり、「神のひとり子」だったとかいった幻想をでっち上げた、ということだったりするのである。
……でまあ、「それではあまりに救いがない」というので福音書を裏の裏まで読み通し、従来のイエス観をひっくり返したのが『ふたりで聖書を』だったりする。
そう思ってJoshya名義の書込みを見てみると、私が「人の上に立つ」「人から尊敬される」ということからどれだけ逃げ回っていたのかがよく分かる。けれど、この『アスペルガーの館の掲示板』で私はカリスマになりかかっており、実際に頼りにされていた。で、その重圧に堪えかねてMariaというキャラクター……つまり、私の片割れであると同時に不動のNo.2、ヤなもんはヤだしどーせ頭悪いし、あたしなんにもできなぁい、と言っちゃえるマリアちゃんを自分の作品の中から引っ張りだしてきた、ということだったりする。
ところが納屋さんとマリアちゃんの関係(イエスとベタニアのマリアの関係)が、現実の私とある女性の関係の上に重なってきて、もはや逃げ場がない、と結婚を考えたところで幸か不幸かそういう関係がとある事情で発展的解消をしてしまった(何の説明にもなっとらんな)、という事情だったりする。なんでもわれわれには「愛の神様」かなんかがついているらしく(本人には何にも御利益がない。困ったものである)、Mariaの書込みを読んでいるうちに夫婦関係が改善されたとか『ふたりで聖書を』を読んだら男女関係が順調になったとかいった話が何度も出た。おかげでわれわれは一部で「お師匠さん」とか「Maria様」とか呼ばれていたりするのである。『ふたりで聖書を』はお師匠さんグッズとして売れると断言する人もいる(なべつかみの開発が遅れているのは慚愧に堪えない)。
で、いままで作品の中に封印されていた自分と出会った私は、Mariaともども二人三脚(?)で活動を続けてゆくことにした。なおKILROYはKILROYで博覧強記のデータベース・マンとして、Mr.Motoは相も変わらずネットワークの番犬たる毒舌男として、今後とも変わることがない。十年前、『雑魚亭』なるBBSで活躍していた三人組にMariaが加わった新体制である。
そんな訳で今後はJoshyaといったら所長さんである。そもそも『アスペルガーの館』という人んちの軒先を借りているというのに「所長」などという肩書を振り回すのも失礼というものだ。のちのち自前でBBSを張ったらそちらでは「所長」に戻るかもしれない。以前は個人として発言できなくて「SysOp」と「所長」の二つのハンドルネームを使いわけて(はっきりと使いわけていたのはこの二つだけである)いたのだけれど、今はMariaがいるから気楽でいい(そういえば今日はMariaが出る気配がまったくない。自分でも不思議なものだ)。
そんなわけでご挨拶まで。今後ともよろしく。 (Joshya)
横レスです。
青りんご さんwrote:
>相手に行動に対しては「怒る」以前に「なぜ?あの人はそうゆう行動にでたのか?」という分析作業に入っていまうのです。その分析結果が「これは不当である」と出てから「ちくしょー!ムカつくー!」と怒りが込み上げてきます。
ひとからされたり言われたりしたことに限らず「嫌な気持ち」になることがあると、
「どうして嫌な気持ちになるのか?」「どうしてわたしはこのひとの言葉や
態度に怒りを覚えるのか?」って考えます。脳味噌フル回転です。
(個人的には「直接された」ことよりも新聞記事などに怒ってることが多い)
それは果たして「正当な」怒りなのか?
ときどき「言われている内容は正しいけど、あんたに言われたくない」など
相手の人格を無視した見当違いの怒りを覚えている場合もあるので、
慎重に検討して「この場合、文句を言ってもいいかどうか」を決めています。
(言った後で「自分のほうが不当だった」と気づいて一生懸命自己正当化してる場合も多々・・・ちょっと自分が嫌になります)
単に自分の思い通りにコトが進んでいなかったとか、
偏見に基づいた怒りとか批判の気持ちもあるわけですから。
他人と共存するためのルールづくりの参考にもなるので、
ぶつぶつ腹を立てているのも、役には立っているかもしれません。
>周囲では「話す内容」でなく、その「話口調」で喧嘩する人が多い気がしています。「いい方」とか「口のきき方」がカンに触るという感じでしょうか。
ひとは「話す内容の妥当性」ではなく、言葉にくっついてくる話し手の「感情」を
重要視してコミュニケーションしているのだ、といいますね。
口にされない感情や雰囲気を読みとるのが苦手なわたしとしては
「自分にも相手にも楽しい会話を続ける」のは至難の業だったりします。
気を付けようと思いつつ、いつもひとりではしゃぎすぎたり、
正論を言い過ぎたりしてしまう・・・
Tien wrote:
>Q:失礼な言葉&行為に対して正当に怒って良いんですよね?
>Q:上手な怒り方ってありますか?←今からの課題とも思えるので。
>以上教えて下さったら助かります。
Tienさんこんばんは
私も上手に感情表現できたらいいなあと思っていますが、
怒りに限らず喜怒哀楽の表現が苦手で、やはり無表情で
いたほうが楽なので、自分でも抑えきれない時以外は怒
らなくなりました。抑えきれない時は喧嘩になるのでし
ょうが最近そこまで行ったことがないです。
喧嘩もめんどうくさいと考えてしまうからでしょうか。
ほとんど答えになってなくて恐縮です。
シンタロウさん wrote:
> 僕は今、アルバイトがしたいです。でも、僕は人とコミュニケーションをとるのが苦手で、どんなバイトが向いてるかわかりません。
>人とのコミュニケーションが苦手な僕にはどんなアルバイトができるのでしょうか?教えてください。
僕が大学時代によくやっていたアルバイトは、運送会社の荷物の仕分け作業でした。
荷物を送り先別に分けるという、単純そうで、結構重要な仕事です。
荷物にも軽くて小さなものもあれば、重くて大きなものもあり、ワレモノもあれば、天地無用のものもある。荷物ひとつひとつに気を配ることが何より肝心。
そして大事なことは、送り先を間違えずに仕分けをすること。間違えると発送が遅れてしまうのです。
汗をかく作業で、少しばかりキツかったですが、僕にとってはこの仕事は苦痛になりませんでした。
なぜならこの仕事、ほとんど「人間」を相手にすることがなかったからです。
共同で作業をしますが、「人とのコミュニケーション」よりも「手際のよさ」のほうが重要になります。つまり、「口を動かすあいだに手を動かせ」ってことです。
それと、僕は荷物に貼られている送り先伝票の県名や、市町村を見たりして、
「へー、こんな名前の市があるんだ。」
なんて次々と市の名前を覚えたりしていました。僕は地図を見るのが好きなので、あとで覚えた市を地図で確認なんかしたりしました。
裏でこんな楽しみもできて、いい体験になりました。
参考になりましたか? ミッドランド
シンタロウくん wrote:
>どうも、シンタロウです。
> 僕は今、アルバイトがしたいです。でも、僕は人とコミュニケーションをとるのが苦手で、どんなバイトが向いてるかわかりません。
>人とのコミュニケーションが苦手な僕にはどんなアルバイトができるのでしょうか?教えてください。
今、高校生でしたよね?
となると、コンビニかマクドナルドのようなファーストフードの店
が一般的です。ファーストフードの店なら、男はレジではなく製造の
仕事をすることになりそうだし…
他には工場で、単純作業をするという道もあります。(くると)
Maria wrote:
> なんだか涙が出てしまいました。
>……とかいっても誰にもわかんないですよね。孤独、についてです。
> ここ数年、ずっと独りでした。人と関わるのが嫌とかじゃなくて、不幸になり傷> ついたあたしと関わることに苦痛を覚える、という人たちが多かったので、あた> しは自分から人との関わりあいを避けてきました。
> だから、誰かと会いたいとか、人恋しいとか、そういった感情とは無縁になって> しまったのだと思っていました。
> だけど、『アスペルガーの館の掲示板』を訪れて約三か月、いろんな人とかかわ> ることになりました。で、不意に自分が「孤独」だったことに気づいてしまいま> した。
こんばんは、Mairaさん。そうだったんですね。私の場合と逆ですが。
> ここしばらく、孤独についてずいぶん真剣に考えました。それで一度は納得した> んです。ですが、それとはまったく別のことから、あたしは急に「寂しく」なっ> てしまいました。そうか、あたしってこんなに孤独だったんだ、というのが、身> 体でわかってしまいました。
> 理性のレベルではなく、本当に「寂しい」と思ったことなんか、本当に久しぶり> なんです。だけど……これって苦痛ではあるんですけど、反面、「そうか、あた> しは癒されてたんだ」という驚きというか、感動があります。自分は「寂しい」> とか「人恋しい」とか「哀しい」とかいう感情を持てないくらいひどい状態にあ> ったのか、としみじみ気づきました。
> 自分がちょっと変わったように思います。
> 『アスペルガーの館の掲示板』のみなさんへ。ありがとうございました。
とんでもございません。私は人と合わない、という理由から、つまり、人と関わっても結局自分が変だとか、友達を作れないという理由でここ何年か積極的に人と関わることは無意識に避けてきたような気がします。あんまり寂しすぎると、慣れもあって、それが自分にとって日常になってしまいますよね。
感情が戻った?のは良いことだと思います。ただ、人の世の常で、今度は関わろうとするとまた傷を負う...それがつらいですよね。どんな道でも楽路はない。
> だけどMariaはやっぱりMariaでありつづけ、この掲示板で今後もみなさんとお
> 話ししつづける予定です。べつにさよならとかじゃないからね。心配しないでく> ださいね。ちょっとした「リニューアル」です。
どんななのかな?期待しちゃいます!
> そう。こうやってあたしが「自分」というものを見つめられるようになったの
> も、あたしには「書く」ということができたからだと思います。あたしはひたす> ら「書く」ことで、みなさんと関わってきました。だけど、「書く」ことに自信> がなくて、声を上げる勇気が出ないひとだって、おおぜいいると思います。
> そこで、電子メールを使った文芸サークルのようなものを開いて、文章指導みた> いなものをしてみようかと思い立ちました。暫定名称「POP」。もっぱら小説を
> 書いているあたし以外にも、テクニカル・ライティングのプロフェッショナルで> あるKILROYさんや、無敵のオンライン・ディベーターMr.Motoがいます。
> ただ、特別なことをしよう、という意識はあんまりありません。いままで何度か> 「ねこ会議(ネチケット向上会議)」で行なってきたことの延長です。
> 文章に自信のあるかたないかた、それに「話したい!」というひと、以下のアド> レスでメール待ってます。
私も話したい!話せば明るくなるし、自分が見えてくるし。
> cfb47300@syd.odn.ne.jp
>
> 「なにはともあれ資料かなんかありませんか?」みたいな方には、いままで「ね> こ会議」で発言してきたことをまとめた文章をお送りします(HTMLファイルや添> 付ファイルじゃなくて、もろにテキストでゆきます。こういうのがうちの、つま> り大森総研がかつて運営していた『雑魚亭』というBBSのスタイルです)。
Q:ジャンルは問わないのですか?
> そんなわけで、今後ともよろしく。 (Maria)
いえいえ、こちらこそ♪まぜてもらえたら嬉しいです♪
早速メールしてしまいました。ご迷惑だったらごめんなさい。
SUN wrote:
>> 皆さんは電話(携帯電話にかぎらず)について、どう感じていますか?
>
>また、出先で突然気分が悪くなったらどうしようとか、待合わせで会えなかったらどうしようとか、知らない町ではぐれたらどうしようとかいった不安も、
>携帯電話を持っているだけで「いざとなったらいつでも連絡し合える」と思えて安心できます。
「パニック発作」の経験者なので、持ってるだけで安心します。
>
>電話で話すという論点からはずれてしまいましたが、
>私の携帯はおしゃべりの道具じゃなくて、コーチ&お守りです。
私もおしゃべりの道具ではなくて、目覚まし時計&電話帳ですね。
毎朝七時前に「サモアの島の歌」で目を覚ましてますよ。青りんご
武田好史 wrote:
>> アメリカでは、CASEといって、いろいろな側面から自閉症の子供たちの障害の様子を把握する検査があります。日本でも、この国の文化に即した・障害を抱えている人たちの物事の捉え方を意識した・周りの人とのトラブル解決の糸口となるような、独自の新しい評価を模索するときが来ていると思います。
一カ所訂正!
CASE→CARS
今日は、よこはま発達クリニックへIQのテストを受けに行きました。
知識と積み木模様・パズルは結構よくできました。しかし、抽象的な言葉や数的理解および数の逆唱は散々でした。
数的理解の問題で
「60,000円の品物を15%引きで買ったらいくら?」といった問題がありました。
正解は51,000円(消費税5%まで考えると53,550円)ですが、私は間違えて、58,500円と答えてしまいました。
新しい評価には、「自らの間違いに気づける」という能力も、もりこむことが必要だと感じました。それが本当の頭の良さなのではないでしょうか??
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