アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
自閉症とは関係ありませんが
もうひとつの飛蚊症がありませんか?
もうひとつの飛蚊症は
多くの人が気づいている飛蚊症にとても似ているのですが
何が違うかといえば見える状況が違うものです。
おそらく多くの人が気づいている飛蚊症は、
空などの背景が明るい状況下で見えると思いますが、
もうひとつの飛蚊症は強く絞った比較的明るい光だけが
目に入ってくる状況で見えます。
もうひとつの飛蚊症のほうがより飛蚊症らしいく私には見えます。
私のほかに「もうひとつの飛蚊症」に気づいている人いませんか?
ウィローモス wrote:
>「飛蚊症」「閃光暗点」という単語でサーチしてみると、何かわかるかも。
無数の光の点は「飛蚊症」「閃光暗点」とは違うものだと思います。
飛蚊症は目を閉じた状態でみることはできません。
閃光暗点はきらきらしたもであるとか歯車様のもので偏頭痛が普通伴います。
無数の光の点はもっといつもみえているもので頭痛がともなったりはしません。
Xanadii さんwrote:
> それにね、世の中どうも「精神障害=犯罪者の予備軍」という図式が、潜在的にはあるような気がしてならないんだな、わたしは。
わたしもそう思います。新聞などで犯罪を犯した人に通院歴があったりすると、
さも関係があるかのような書き方をしてたり、ひとりごとを言ってる人を
むやみに怖がったりね。
> で、「ああいう」というのが、「社会的に扱いづらくて付き合いづらく」、「その者の日常の生活形態というものが想像しにくく」、「感情の動きが乏しくて、何を考えているか分かりにくい」人、を指していて...あ。これ、決して揶揄的に書いているんじゃないんですよ!私個人が「世の中」側のもつ「負的見地」とでもいうべきものを観察した結果、「だいたいこういうことなんじゃないか?」と想定し、分類してみたことですんで。
> で、「キレると怖い」の「怖い」は、「そうなった場合何が起こるか予測がつかない」という、未知なるものへの恐怖、といったことなんでしょう。
「社会的に扱いづらくて付き合いづらく」、「その者の日常の生活形態というものが想像しにくく」、「感情の動きが乏しくて、何を考えているか分かりにくい」
という存在に対する恐怖というのは、ある意味わからないでもないです。
未知のものへの警戒心や恐怖があるからこそ、人類は生き延びてこられたとも
言えるわけで、そのような感情が芽生えること自体は「本能」のようなものなのでしょう。
>
> でもさあ、冷静になって考えてみれば、「キレて怖くない人間」なんていないと思う(まあもともとキレやすい人とそうではない人っていうのもいて、その個人の成熟度とかとも関係あるのかもしれないが)し、「あの人はキレたら怖い人」などとカテゴライズすることはまったくの無根拠なんだと、人間だれもが本来は自覚しているべきなんだ。
> ただし、だからこそ、「障害者」は「正常者」のカテゴリー内に入れておくべき、っていうことも、もっと世の中に浸透してほしい気もするんですよ私は。たとえ「健常者」と見られている人だって、殺人、レイプ、恐喝、盗み、いじめ等、人倫に反する行為をしたとしら、その最中は「異常」なんですよね(ずーっと前にも書いた気がする)。繰り返しやったら立派な「異常者」だ。もち、「障害者」だって、そういうことをしたら、きっぱり「異常」と呼ばれなきゃいけない。
まったくその通り。
誰だって「キレ」たら恐い。怒ったら恐い。近くで暴れられたら恐い。
そして「健常者」がキレるのには(たとえ傍目にはささいなことであっても)何か理由があるように、
「障害者」だって理由もないのにキレたりしない。
> 「罪を憎んで人を憎まず」とは言うが、やはりそういった行為に走る人間の「内面の裁判」ということも、本来は併せてやっていくべきなんだと思う。そりゃもちろん、個人的なリベンジ行為はだめだよ。その内容だって、「異常」になってっちゃったら困るしな。ちゃんと、人間のできた人に手助けしてもらって、加害者、被害者双方の「人間性の回復」につとめなきゃならないと思う。
「間違った」考え方の矯正は必要でしょうね。
(この場合の「間違った」は「他人に害をなすことを正当化する考え方」くらいの意味)
怒りが暴力に直結してしまう人の場合は、衝動を抑える訓練も必要だと思います。
アルコールやある種のドラッグなど、自制力を減退させる類のものとの付き合い方の教育も。
犯罪者の内面への働きかけも必要だし、
なにか外に原因があるなら、それについても考えなくちゃいけない。
>>カテゴリーで考えるのはやめようよ。
と書いたけど、世の中の差別構造を明らかにし、考えるためのカテゴライズは
否定しないし、必要だと思う。不公平な取り扱いを是正するために
とりあえずあるカテゴリーの人を対象とした特別措置をとったり、
批判の対象にしたりするのも、今のところは仕方がない。
ただ個人として見るときに、
カテゴリーで考えるのはなるべくやめたい。
カテゴリーで考える癖がついているから、難しいんだけど。
> 異質な人間を排除し尽くしたはずのに、なお自分達は幸福にならない。なぜなんだ?
「他の誰より優位に立ちたい」という本能的欲求?
本来「優れた」者だけが生き残るのが生き物の定めなわけで。
(しかしその場合の「優れた」とは「環境に適応できた」というくらいの意味では?)
太古からの「本能」を満たすために、人類は差別を必要とし、蔑む相手を必要とするのだろうか・・・
(弱い者でも生き延びられる世の中になっているにも関わらず)
わたしの書くことには「キレイゴト」が多いのは自分でもわかっているけど、
たとえ「差別」がなくなる可能性が0%に近いとしても、
「差別」がなくなる可能性を考える人は必要だと思うんだよね。
あやこさん wrote:
>私は今,高校二年生なのですが,中三の弟がAS(多分重症の)です。
>小六ごろから学校を休みがちで,今は完全不登校です。
>学校…というか,人のいるところはあまり行きたくない,という。
>要するに引きこもりなんですけど…。
>ASの人は皆悩んでいるんだし,辛いんだという事も分かってます。
>でも,弟は全然悩んでいる風には見えないんです。
>周りの人達を苦労させるばかりで,何度も殺そうと思ったり(マジで)。
>
>けど,本当に悪い奴ではない…と信じたいので,私も頑張ってみようと思います。
>といっても,何を頑張ったらいいんだろう…。
はじめまして。ミッドランドといいます。
現在27歳(男)で、仕事は歯科技工士(歯の職人)をやっています。
僕は診断は下されていませんが、自分はASであると考えてこの場にきています。
弟さんのことが心配でたまらないのですね。人生この先長いですし。
でも、案ずることはありません。この場に来る人たちは、皆親身になって相談に乗ってくれます。ある意味、「最も頼れる隣人」であるといえるでしょう。
僕もこの場に来てから、初めて自分の胸の内を明かせた気がしました。
僕の投稿は自分の体験談が多いので、過去の僕の投稿が少しは参考になるかと思います。(まァエラソーな物言いだこと)
遠慮は不要です。どんどん自分の思いをぶつけていって下さい!
励ましの仕方が今ひとつわからない ミッドランド
いやー。活字好きの私も、疲れました。ほんの10日あまり休んでいただけで、皆さんの生き急ぐがごとき書込みの速度(私も人のこと言えないんだがな)!そう本日は給料日、DISK UNIONで狙っていたThe radiators(知らない人は無視してって)のEP横取りされてて、ヘコんでます。
いやそんなことが言いたかったわけではなく、「いつ知った?」のレスをみなさん、ありがとうございました(時機を逸してる?そんなことないよな!時事問題と違って、共通の話題だもの)。(「アスペルガー症候群」という病名を知ってから、世の中の「自閉症」という語句に関する知識と、自分の状態に感覚的なギャップを感じていて、そういうことが、他の人にもあるのかなーと疑問に思って質問したのですが。
困るのは、あさかぜさんを叱った母親のような、「障害について真に理解しているつもりの善人」が、まだまだ多いってことかな。怒りを感じるわけではないが、やりにくさは感じる。私の両親もそうだしな。
とりあえず私は、「がんばれ」と言われて自殺することもなく、まだまだ元気ではある。
これからも悪あがきしていこうと思う。Have a good nite!
あやこさん wrote:
>初めまして,リンクをたどって流れ着きました。
はじめまして。AS児(8才)のいる母親です。
>私は今,高校二年生なのですが,中三の弟がAS(多分重症の)です。
>小六ごろから学校を休みがちで,今は完全不登校です。
>学校…というか,人のいるところはあまり行きたくない,という。
>要するに引きこもりなんですけど…。
Mariaさんも書いていらしたけど、引きこもりは決して悪いことではないと思いますよ。ただ、ご家族の皆さんの負担(精神的・肉体的)は大変なものであろうことは感じます。
>ASの人は皆悩んでいるんだし,辛いんだという事も分かってます。
>でも,弟は全然悩んでいる風には見えないんです。
>周りの人達を苦労させるばかりで,何度も殺そうと思ったり(マジで)。
人それぞれではないでしょうか。人間て、緊張と弛緩を交互に繰り返して生きているように思います。きりっとしている時もあれば、だら~んとしている時もあるわけで、そのバランスは個人個人で皆違うし、一面からでは判断はできない気がします。
>けど,本当に悪い奴ではない…と信じたいので,私も頑張ってみようと思います。
>といっても,何を頑張ったらいいんだろう…。
弟さんを受け入れようというお気持ちが、よく判ります。がんばりすぎないで下さいね。無理をしないで、ご自分にできることから少しずつでいいと思います。
>スイマセン,何か分けが分からない書き込みで!
>また来ますね。
とても一生懸命な感じが伝わってきました。またいらして下さい。わたしも新参者ですが、ここの皆さんの暖かい励ましで、たくさん元気をもらいました。
武田好史 wrote:
>
> 私には、妙な視覚の異常があります。
> 物ははっきりと見えているのですが、同時に紫や緑・黄色の無数の光の点が見えるのです。いえ、そんなふうにチラチラした薄い膜を通して、世の中の様子を見ているといったほうが正確かもしれません。印象派の画家の絵には、よく画面を細かい点の集まりで示した「モザイク」といった技法がとられているのがありますが、私の見ている世の中の景色も、そんな感じなのです。
> 朝起きたばかりの時や立ちくらみをしたときには、その光の点は大きくなって、物を見えにくくします。また目を閉じたときにも見えます。
>
> この光の点は、普通の人も見ているのでしょうか・・・・それとも、自閉症の症状の一つなのでしょうか??
異常じゃないと思う。私にもあります。特に目を閉じると、無数の光の点が無窮動的に渦巻いてる、あれではないですか?確かに、非自閉の人をつかまえて、「ねえ、こういうの、あなたには見えてる?」って、質問したことはないけれど。
小学校にも上がっていないころは、暗闇の中で、極彩色の光のつぶつぶが現れては消えするのを、目を閉じて凝視して、「お花畑みたいにきれい」と楽しんでいました(ただ体調が悪いときは眩暈を誘われて、苦痛で困った)。長いこと、よーく観察すると、その渦の動きもまったくの無秩序ではなくて、なんというか、「脈動」のような繰り返しのパターンがあったりする。ヴィデオドラッグなんかの手法も、その辺りを流用しているのかもしれない、と思ったりする。
ドナ・ウィリアムズ「自閉症だった私へ」の冒頭に、「空中の‘丸’」という表現が出てきて、おやっと思ったのだが、続刊を見るとその‘丸’は原文ではどうやら‘spots’と表記されているらしい。それなら正しい訳は、‘丸’ではなくて「空中の‘点々’(まだら模様?)」とでもするべきじゃないかなって気がするんですけど。ドナも同じことに気付いていたのかなー。さらにドナ氏は“私の目は非常に感度が高く...”と書いていたが、この現象は、視力の精度の高さと、本当に関係しているものなのだろうか?ちなみに私の視力は裸眼で0.3、やや内斜視です。
「空中の‘丸’」とするなら、ときどき目の端に現れる、透明な見た目0.5ミリくらいの空気の泡みたいのなら見えるんですけどね。目で追おうとすると、ツィーーーと逃げていって捉まらない。あれは目の中のゴミなのか?こっちの方が「飛蚊症」と関係ありそうな気がするんだが...
とにかく、他人にも見えていたってことで、呑気に安心したXanadiiであります。
あやこ wrote:
>初めまして,リンクをたどって流れ着きました。
>
>私は今,高校二年生なのですが,中三の弟がAS(多分重症の)です。
>小六ごろから学校を休みがちで,今は完全不登校です。
>学校…というか,人のいるところはあまり行きたくない,という。
>要するに引きこもりなんですけど…。
>ASの人は皆悩んでいるんだし,辛いんだという事も分かってます。
>でも,弟は全然悩んでいる風には見えないんです。
>周りの人達を苦労させるばかりで,何度も殺そうと思ったり(マジで)。
>
>けど,本当に悪い奴ではない…と信じたいので,私も頑張ってみようと思います。
>といっても,何を頑張ったらいいんだろう…。
>
>スイマセン,何か分けが分からない書き込みで!
>また来ますね。
ようこそいらっしゃいました。どうぞここではくつろいでいってね。(←管理人でもないくせに...)
書込みNo.3617を参照してほしいのですが、私のいとこも、似たような感じです。引きこもり者の家族の緊張とストレスというのは、想像を絶するものなんだろうと、傍から見ていても感じられます。いまだ有効な解法っていうのもないしな。
弟さんも、何も言わないかも知れないが、よほど学校で何かあったのかもしれない。それが意思伝達機能の未熟さゆえに、何かあったら家族に打ち明けなきゃいけないっていう発想もないんだろうと思う。
せめて、何でもいいから、こういった人達が、その人なりの「ことば」を持つようになれたら...「ことば」には、相手の心に働きかけ、動かす力ある手段なんだということを、教えられたらいいのにと思うんだけどね。
弟さんを殺すなんて勿体無い。まあ、お姉さんの場合「結婚」とか、独り暮らしをするため家を出るっていう手段があるけどね。
大丈夫誰もあなたを縛りやしないからさ。
難しいかもしれないけど、楽しくやろう。As者でも、まるで態度に出なくても、「楽しい雰囲気」に惹かれる人達もいるからね。
以上。See Ya!
さくらかのえ wrote:
>これまでの自分の発言への自戒も込めて。
>
>ひとの性質に「健常者」だからどうこう、というのはないと思う。
>いじめるひとがいたとしたら、その人は問題がある人かもしれないけど、
>それは「健常者」だからではないし、
>ひとをバカにするひとや仲間外れにするひとも同様。
>ASをはじめマイノリティの人がみんな聖人でいつも被害者かっていったら、
>そんなことはないと思う。ASが多いところに「健常者」がひとり混じっていたら、
>「変なヤツ」ということでいじめられることもあるのではないだろうか。
>(絶対にないとは言えない)
>人間性や属性が問題だという次元で語ると、
>特定の性質の持ち主を蔑んだり、憎んだりすることになってしまう。
>それではいつまで経っても問題は解決しない。
>ある一群が別の一群をさげすむ構図が延々と続くだけだ。
まったくそのとおりだと思います。
それにね、世の中どうも「精神障害=犯罪者の予備軍」という図式が、潜在的にはあるような気がしてならないんだな、わたしは。
「ああいうやつが、キレると怖えーんだよな」とか。
「キレる」という言葉には、
①「堪忍しきれず感情を露わにしてしまい、後で「あの人キレてたよね」等と噂されてしまうが、気持ちは分からないでもない、という評価もないことはない」という比較的穏やかな意味合いで言うときと、
②「溜まりに溜まっていた負の感情が爆発し、刃物など振り回すなど、自傷他害の行動に走ってしまい、周囲からも「何もそこまで...」と絶句されて、理解の余地もあまりない」場合と、
③もうひとつ「キレ系」、つまり傍目にも危険視されてしまい「近づかないほうがいい、目が合っちゃいけない」と見なされてしまう人々
大体こんなふうな区分けが存在するような気がするんだけども、「ああいうやつが~」云々の「キレる」には、おそらく①はなくて、③<②という強度で入っているんだと思われます(日本語、変?)。
で、「ああいう」というのが、「社会的に扱いづらくて付き合いづらく」、「その者の日常の生活形態というものが想像しにくく」、「感情の動きが乏しくて、何を考えているか分かりにくい」人、を指していて...あ。これ、決して揶揄的に書いているんじゃないんですよ!私個人が「世の中」側のもつ「負的見地」とでもいうべきものを観察した結果、「だいたいこういうことなんじゃないか?」と想定し、分類してみたことですんで。
で、「キレると怖い」の「怖い」は、「そうなった場合何が起こるか予測がつかない」という、未知なるものへの恐怖、といったことなんでしょう。
でもさあ、冷静になって考えてみれば、「キレて怖くない人間」なんていないと思う(まあもともとキレやすい人とそうではない人っていうのもいて、その個人の成熟度とかとも関係あるのかもしれないが)し、「あの人はキレたら怖い人」などとカテゴライズすることはまったくの無根拠なんだと、人間だれもが本来は自覚しているべきなんだ。
ただし、だからこそ、「障害者」は「正常者」のカテゴリー内に入れておくべき、っていうことも、もっと世の中に浸透してほしい気もするんですよ私は。たとえ「健常者」と見られている人だって、殺人、レイプ、恐喝、盗み、いじめ等、人倫に反する行為をしたとしら、その最中は「異常」なんですよね(ずーっと前にも書いた気がする)。繰り返しやったら立派な「異常者」だ。もち、「障害者」だって、そういうことをしたら、きっぱり「異常」と呼ばれなきゃいけない。
「罪を憎んで人を憎まず」とは言うが、やはりそういった行為に走る人間の「内面の裁判」ということも、本来は併せてやっていくべきなんだと思う。そりゃもちろん、個人的なリベンジ行為はだめだよ。その内容だって、「異常」になってっちゃったら困るしな。ちゃんと、人間のできた人に手助けしてもらって、加害者、被害者双方の「人間性の回復」につとめなきゃならないと思う。
話が大きくなってしまった。
>マジョリティやいじめる人間をさげすむというのは、
>心情的には相手と同じコトをやってることにならないか?
>自分をいじめた相手を個人的に憎むのはいいが、
>カテゴリーで考えるのはやめようよ。
それができないから、人類は自縄自縛に陥ってしまっているんじゃなかろうか。
異質な人間を排除し尽くしたはずのに、なお自分達は幸福にならない。なぜなんだ?
悪魔の笑いがこだまするのが聞こえるようだ。
人々からカテゴリーの鎖を外そうとすることは、世の中の差別構造に、真っ向から勝負を挑むことだ。大変なエネルギーが要ると思う。
あ、希望のないような暗いことばかり書いちゃって悪かったですけど、さくらさんのような考えを持つ人は、少なくないと思います。小林よしのり「ゴーマニズム宣言 差別論スペシャル」(幻冬社)あたりが、けっこう元気付けてくれるかもしれない。
あやこ wrote:
>初めまして,リンクをたどって流れ着きました。
初めまして、あやこさん。シンタロウです。
僕もここにきてまだ日が浅いですけど、
いろいろ書き込みますのでよろしくお願いします。
>
>私は今,高校二年生なのですが,中三の弟がAS(多分重症の)です。
僕は高校3年生です。僕にも中三の弟がいるけど普通(健常者)です。
あやこさん wrote:
>初めまして、リンクをたどって流れ着きました。
長旅お疲れさまでした。歓迎いたします。
>私は今、高校二年生なのですが、中三の弟がAS(多分重症の)です。
>小六ごろから学校を休みがちで、今は完全不登校です。
事情も何も存じ上げないので軽率なことは申し上げられませんが、高機能広汎性発達障害に関しては、まだ社会的な理解も受けていませんし、自立プログラムもまだ手探り状態で確立されつつある、といった状態です。
ただ、いくらかづつでも前には進んでいそうだ、ということは言えると思います。
微力ながらお役に立てれば、と思います。
>学校……というか、人のいるところはあまり行きたくない、という。
>要するに引きこもりなんですけど……。
「引きこもり」=「悪いこと」ではありません。引きこもり同然の生活を続けながら社会参加をしている人もいます。サテライト・オフィスやSOHOといった勤務形式もあれば、短時間正社員なんていう制度もできつつあります。
「できること」から探ってゆけばいいと思います。
>ASの人は皆悩んでいるんだし、辛いんだという事も分かってます。
>でも、弟は全然悩んでいる風には見えないんです。
>周りの人達を苦労させるばかりで、何度も殺そうと思ったり(マジで)。
ASだって普通の人間なんですけどね。あたしはASであること(診断は受けてないけど、この掲示板ではASだと認知されてると思う)自体ではぜんぜん悩まなかったし、「辛い」というのも「社会の側に問題があであって、あたしは普通だ」と思ってたし。
それに、本人が悩んでいるかどうかなんて、だいたい分かんないんですよ。教え子や友人が自殺してショックを受けるひとは山ほどいます。
それに、「自分が悩んでいることを言える雰囲気かどうか」っていうのもありますし。不登校とか引きこもりっていうと、傍から見ると気楽そうに見えるもんだから、「悩んでいる」とかいっても「甘ったれるな」とか言われちゃうことが多いんですよ。だけど、そうやって一度社会から外れちゃうと、また社会の中に戻ってゆくというのはものすごい精神力がいるんです。ひょっとしたら、弟さんはそのためのエネルギーを充填しているのかもしれない。だったら余計なことをしてエネルギーを消耗させないことが第一だと思います。
>けど、本当に悪い奴ではない……と信じたいので、私も頑張ってみようと
>思います。といっても、何を頑張ったらいいんだろう……。
あやこさんはまだ高校二年生だから分かんないかも知れないけど、「がんばる」ってあんまりいいことじゃないのね。マラソンでスタートから全力疾走する人、いないでしょ? 力というのは要所要所で無理なく発揮していかないと、長い道のりというのは歩き通せません。たしかトルコの諺に(違うかもしんない)、「ゆっくり歩く者が、もっとも遠くまで行く」というのがあります。焦らずに自分のできることを見つけてください。
>スイマセン、何か分けが分からない書き込みで!
>また来ますね。
いえいえ、書込んでくれた勇気に敬服します。どうかまたいらしてください。
……そうかぁ、高校二年生かぁ。可愛いんだろうなぁ-。
あたしの時代は終わったな。
(Maria)
初めまして,リンクをたどって流れ着きました。
私は今,高校二年生なのですが,中三の弟がAS(多分重症の)です。
小六ごろから学校を休みがちで,今は完全不登校です。
学校…というか,人のいるところはあまり行きたくない,という。
要するに引きこもりなんですけど…。
ASの人は皆悩んでいるんだし,辛いんだという事も分かってます。
でも,弟は全然悩んでいる風には見えないんです。
周りの人達を苦労させるばかりで,何度も殺そうと思ったり(マジで)。
けど,本当に悪い奴ではない…と信じたいので,私も頑張ってみようと思います。
といっても,何を頑張ったらいいんだろう…。
スイマセン,何か分けが分からない書き込みで!
また来ますね。
武田好史さん wrote:
>私は昨日、NHKの「首都圏ネットワーク」を見ました
見損ねてしまいました~(汗)
> 常時的にそうかそれとも不安な時だけかということが、ADHDとASの多動の決定的な違いなような気がしました。すなわち常時的=ADHD、不安時のみ=ASというふうです。
そういえば、娘を見ていてそんな感じがしますね。不安時の多動は激しいです。わたしも、娘の動きを見て今が安心しているか、不安を感じているか判断しています(割と無意識に)。
ADHDのお子さんはあまり知りませんが、わたしの知っている範囲では「元気があり余っている」ような印象を受けました。全てのお子さんがそうだとは言えないのでしょうけど……。
私は昨日、NHKの「首都圏ネットワーク」を見ました。ASの子供についてやっていました。
鉄道模型にこだわって友達がいない子、電車の中で子連れのお母さんに席を譲る訓練(SST)を受けている子が、紹介されていました。彼らの共通項は、多動でした。
彼らを見て気づいたことは、多動症には2通りのケースがあるということです。
一つは常時的に多動であるケースです。SSTを受けていた子は、こっちに当てはまると思います。
もう一つは、自分にとって訳の分からない環境に置かれたときに、際だって多動になるケースです。鉄道模型が好きな子は、病院の診察室ではイスの上に乗ったりおしゃべりでしたが、鉄道模型に見入っているときは、極めて静かでした。
常時的にそうかそれとも不安な時だけかということが、ADHDとASの多動の決定的な違いなような気がしました。すなわち常時的=ADHD、不安時のみ=ASというふうです。
シンタロウくん wrote:
> 僕もいじめられた経験があります。僕がいじめられたの
>は、小学4年の時転校して、養護学級から普通学級に移っ
>た時です。クラスのみんなから殴られたり蹴られたり石を
>投げられたり抓られたり物を隠されたり便所の水をかけら
>れたりして、クラスのみんなから「養護学級へ帰れ」「学
>校に来るな」と言われたりしました。
残酷な目に合っていますね。
> 中学2年の時、いじめられるのが嫌で3回も殺人未遂事
>件を犯しました。僕は、僕をいじめた奴らを殺したくて殺
>したくて仕方ないです。
いじめた相手を憎むのはごく自然な感情です。ただし、で
きるだけしたたかな復讐方法を考えておくべきでしょう。
できれば、シンタロウくん自身が未来を台無しにしないよ
うな方法がいいと思いますよ。最近は『いじめ撃退マニュア
ル』のような本もありますし…
> たぶんそれは健常者の本能だと思います。健常者は、僕
>たち障害者をいじめることしか頭に無いんだ!
いじめを受けた時の注意なのですが、敵はなるべくせまく
とらえておいた方がいいでしょう。例えば
(例1)家族を外国人に殺された→全ての外国人は敵だ
(例2)妻と離婚した→全ての女は敵だ
といった意見は少し乱暴に聞こえるでしょう。直接シンタロ
ウくんをいじめた相手を憎むのは正当な権利だと思いますが
、それ以外の相手まで憎まない方がいいでしょう。(くると)
武田好史さん wrote:
> 私も、明るい方へ目を向けたときに、水玉のようなものが視野の中を上から下の方へ動いていきます。また、糸くずのような物もやはり上から下へ視野を動いていきます。これは眼球の中で、水晶体で集められた光が網膜に像を結ぶまでに通過していく「硝子体」というゼリー状の部分の濁りが見える「飛蚊症」のようです。
> 「水玉の正体は血液の中の赤血球である」と、ある人が教えてくれました。
> モザイク状の光の点は、恐らくは脳の視覚野の不具合で生じているのだと思います。
参天製薬のHP(下記アドレス)を見てみました。
なるほど。参考になりました。
http://www.santen.co.jp/health/hibunn.html
自閉症の人は自分の「外側」だけでなく、「自分の身体そのもの」も知覚の対象にしてしまうという記述を見たことがあります。
自閉症特有の症状というのは、その辺に関わっているとか・・・。
しかし私は専門家でもないし、自分が何なのかすら分かっていない状態なので説得力ないですね。
レスつけるのって苦手で、考えてるうちに時機を逸してしまったり、書いた後でつまらない話したな、と思ったりする事が多いのですが、
変なレスでも、意外と誠実な反応がもらえて有り難いです。。。
気がついたらとりあえず書く、というスタンスでいくことにします。
これまでの自分の発言への自戒も込めて。
ひとの性質に「健常者」だからどうこう、というのはないと思う。
いじめるひとがいたとしたら、その人は問題がある人かもしれないけど、
それは「健常者」だからではないし、
ひとをバカにするひとや仲間外れにするひとも同様。
ASをはじめマイノリティの人がみんな聖人でいつも被害者かっていったら、
そんなことはないと思う。ASが多いところに「健常者」がひとり混じっていたら、
「変なヤツ」ということでいじめられることもあるのではないだろうか。
(絶対にないとは言えない)
人間性や属性が問題だという次元で語ると、
特定の性質の持ち主を蔑んだり、憎んだりすることになってしまう。
それではいつまで経っても問題は解決しない。
ある一群が別の一群をさげすむ構図が延々と続くだけだ。
マジョリティやいじめる人間をさげすむというのは、
心情的には相手と同じコトをやってることにならないか?
自分をいじめた相手を個人的に憎むのはいいが、
カテゴリーで考えるのはやめようよ。
シンタロウさん wrote:
> 中学2年の時、いじめられるのが嫌で3回も殺人未遂事件を犯しました。
> 僕は、僕をいじめた奴らを殺したくて殺したくて仕方ないです。
未遂で終わったのだからよろしいんじゃないでしょうか。
うちの Joshya さんは幼稚園以来の筋金入りの虐められっ子でしたので、暴力というものがどれだけ人格を不可逆的に破壊するかを知っていますし、素人のパンチなんてちゃんと見切っていれば大したことはない、と心得てます。
ですから、「自分は人を殺す力がある」と分かったとたん、とりあえず暴力的な虐めからは解放されました。
「殺す。」「逃がさん。」と思った瞬間に、相手との関係性が変わってしまうのです。その場にヘタりこんで動けなくなった人もいます。心理学の用語、とくに催眠術の世界で「ラポール」というのですが、「殺す」「殺される」という関係が、できあがってしまうんです。連続殺人犯が、被害者の抵抗をほとんど受けない理由もここにあります。「蛇に睨まれた蛙」みたいな感じになっちゃうわけです。ヨーロッパには、「羊は狼が自分を見つける前に狼に見つけられると、目を合わせたとたん動けなくなる」という伝承があります。
たあさん wrote:
> どうして、世の中には人をからかうのが好きな人がいるのでしょうか?
シンタロウさん wrote:
> たぶんそれは健常者の本能だと思います。健常者は、僕たち障害者をいじめる
>ことしか頭に無いんだ!
というのは、たぶん違うと思います。人をからかうのが好きな人は、その「関係性」を確認し、強化しようとしているのです。「相手は暴行犯になるようなリスクを犯して自分を殴ったりはしないだろう」「相手は殺人犯になるようなリスクを犯して自分を殺したりはしないだろう」といった、「文化」「良識」といったものに自分が守られていることを確認したいんです。その人だって、まさかヤクザに喧嘩売ったりはしないでしょう? ヤクザはその関係性を飯の種にしているわけですから、その関係性を崩そうとする相手に対して容赦はしません。ですからボコボコにされてしまいます。
で、こうやって「文化の枠組み」の中で培われた社会的資産を食い物にするお馬鹿な人々というのが、マジョリティ、つまり「健常者」の属する部分に存在するというのは当然のことなんですね。ですから、虐める側の人間は、「べつに本気じゃなかった」「冗談だった」「むきになるような事じゃないだろう」とかいって、「常識」の中に逃げこもうとします。
Joshyaさんは天使のような善人ですが、Mr.Motoは悪鬼のごとき天性のマキャベリストです。だけどその二人は同じコインの表と裏でしかありません。Joshyaさんがある人に対してだけ常にMr.Motoであったとしたら、そしてそれが他の人にはまったく分からなかったら……これくらい怖い虐めはありません。「まさか、あの人が……」みたいに、だれも「虐め」の事実を認めてくれません。
虐めを受けた人間は、虐めた人間を虐めることをこころゆくまで楽しむ権利と義務があるように思います。途中で手を緩めてはなりません。相手が二度と立ち上がってこないように、徹底的に叩き潰さなければなりません。でなければ自分がやられます。
ですが、Joshyaさんを何年もいびり続けたある上司は、会社の経営の中枢にいたために、会社という組織に保護されていてJoshyaさんが手を出せない立場にいました。で、その人は会社のお金を何千万円も横領して雲隠れしてしまい、あげく会社は乗っ取られてしまってJoshyaさんは職を失い、心臓まで壊して入院していたために復讐どころではありませんでした。つまりは、その上司の人というのは、Joshyaさんとの関係性が崩れたら最後、自分が破滅させられると確信していたからこそ、そういう死にものぐるいの行動に出たといえます。
虐めからは距離を置くのがいちばんの方法だと思います。被害者自身が戦っても、世の中や組織を敵にするだけです。虐めをはたらく人は、そういうものが自分を守っているからこそ虐めをはたらくことができるのですから。
「虐め」という現象は、社会全体にかかわってくる問題です。簡単な解決策は、ありません。
(Maria)
シンタロウ wrote:
> 僕もいじめられた経験があります。僕がいじめられたのは、小学4年の時転校し> て、養護学級から普通学級に移った時です。クラスのみんなから殴られたり蹴ら> れたり石を投げられたり抓られたり物を隠されたり便所の水をかけられたりし
> て、クラスのみんなから「養護学級へ帰れ」「学校に来るな」と言われたりしま> した。
> 中学2年の時、いじめられるのが嫌で3回も殺人未遂事件を犯しました。
> 僕は、僕をいじめた奴らを殺したくて殺したくて仕方ないです。
こんばんは、シンタロウさん。大変な経験をされて来たのですね。
読んでいて涙が出てきました。
でも酷な話ですが、いじめた側って意外とそれを覚えてないんですよね。
いじめる人というのは、最低の人間だと私は思います。
そんなつまらない最低の人間に、傷か何か負わせて結果加害者になってまた
苦しめられるのはあなたになります。そしていじめた人間は結果的に応報を
受けると私は思います。
>> どうして、世の中には人をからかうのが好きな人がいるのでしょうか?
> たぶんそれは健常者の本能だと思います。健常者は、僕たち障害者をいじめることしか頭に無いんだ!
私はそうは思いませんよ。いじめられたなら①相手をやっつける②いじめる人が
いないところを探して探しまくる。という方法があります。①は良い結果になる事は希ですのでいけません。そしたら、自分を受け入れてくれる場所を探して探しまくるのですよ。私達はみなそうではありませんか?実際ここに来られたことはとても良いことです。あなたのようにいじめられ、現在もいじめられながらもここみたいに相談しあう場所を見つけられないでいる人はいるのですよ。あなたが家を一歩出たら石を投げつけられる訳ではないでしょう?受け入れてくれ、話し合える人を
探すのが良いと思います。いじめるのが本能の人もいれば、そうでない人も沢山いるはずです。
たあ wrote:
> 私は、人から嫌味を言われたり、からかわれたりした時は、怒りを感じる前にパ
>ニックになってしまいます。からかってきた人と一緒の部屋にいることも、我慢で>きなくなってしまいます。その人に対して、強い敵意を持ってしまいます。
> 過去には、私をからかって、混乱させて、それを観察して楽しむ、というような>(たぶん、いじめの一種だと思います。)ことをする人達までいたので、私は人と>一緒にいると緊張してしまいます。
こんばんは、たあさん。それ私も少し分かります。からかわれたりすると、
「何をからかっているの?→私が悪いの?→どうしたらいい!」という
図式になりませんか?それで瞬時にパニックになるんではないですか?
> どうして、世の中には人をからかうのが好きな人がいるのでしょうか?
ええと、私の経験からしか言えませんが、私は能面面と言われる位、関係ないとか
自分が興味がない人や環境相手には表情が変わりませんで、至ってクールに見えるようです。それが「お上品ぶってる」という嫉妬と批判に繋がり、怒ったらどうなるんだろう、という不作法な意識を持つ人々の興味を引くようです。
「はいはい、そうですか、そんなこと言って面白い?」みたいな対応をすると
大半は引っ込むと思いますよ。私はにらむだけで十分みたいなので、きついと
言われる視線もたまには役に立つのかなーと思ったりします。(^^)
相手のねらいは、「パニックになったあなたを見たい」というだけの
つまらないものですから、本気になって取り合わないことです。
馬鹿どもに付き合う事はありませんよ。落ち着いて、そして相手にペースを
捕まれないことです。
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