アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
>
>普通の人とは 悩むことができる人です
>僕は脳がボケていて気持ちに反応しないので人として使い物になりません
>会話してて自分と他人という感覚を感じれる人は幸せです
>僕は自分の立場が曖昧でつまり赤ん坊とおなじなのです
>いつもだれかがたすけてくれるだろうという甘えがあります
>
>あなたは普通の人です
>常識を感じとれて 文章を見ても意味のこもった書きかたで
>伝える という人らしいことができています
>
>私はまるで辞書のように偉そうな語り事でしか言葉を使えません
>頑固なおじさんのように堅苦しいひとりごとしかできません
>
>精神的に幼稚なので言葉でかっこつけて大人の皆さんに
>相手にしてもらおうと企んでしまう
かわいそうに、君はよっぽどひどいイジメにあったんだろうね。だからどうしてもそんなふうに自分を責めてしまう。消えてしまいたいと思う。
けれども、そんな風な「劣等感」「マイナス面」は、君だけに特別という物じゃないんだよ。
小児麻痺で車椅子に乗っている女の子はきっと、「ああ私は、どうして地面の上をしっかっり歩けないのかな・・・」と悩んでいるだろう。僕が、昔ボランティアをしていた福祉作業所には、知的障害に加えて病気のために失明してしまった人がいた。その人は、音楽療法の時ははしゃぐけども、普段はとても寂しそうな顔をしていた。苦悩がありありと伝わってきた。余暇活動でカラオケに行ったときには、知的障害+聞こえないという女の人がマイクをもって歌った。歌と言ってもほとんど犬の遠吠えのような声だったので、聴覚過敏の僕は必死に「止めて!」と言うのをこらえた。周りにいた人の中には「もう止めて!」と言ってしまった人がいた。それを見て彼女はとっても傷ついたと思う。
そんなことに比べれば、僕たちの障害なんて、ちっぽけな物に過ぎないと思わないか。僕たちは動ける・僕たちは考えられる・僕たちは語り合える。それだけで、十分なほど「普通」だと思う。ないのはそれを上手に使いこなせる「統合力」だけ!
コメントを有難う。嬉しくて、皆さんが好きです。
私はだいぶ「世の中的」になりましたが、本来なにも感じない人間です。そんな私が「世の中」との接点としてはじめにつかんだ感情が、「好き」なのです。だからこそ私は「いくらいじめてもヘラヘラ笑っている子供」だったのです。
どうしてみんな私をいじめるの?私はみんなが好きなのに。
なかよくしたくて微笑むと、人はますます離れていく。
「人を嫌う」という感情は、感じないと言うより、激しすぎて私の手には負えないので、多分意識化に深く押し込めてしまうのでしょう。
Mariaさん、私の書いたことで嫌な思いをさせたのなら、ごめんなさい。私はただ、あなたがやさしい人なので、仲良くなりたいと思ったのです。自分なりのやり方で、理解しようとしたのです。Raboniさん、私が聖書の言葉を使うのは、私の好きな言葉をただ誰かと分かち合いたいからです。
私は分かち合いたくてここにきたのです。「世の中のものを何も感じない」障害を持った人と。
Tien wrote:
>Q:脳細胞が壊れても最後まで残る記憶とはなんだろう?
>あなたはどう思いますか?
最後まで残ってほしい記憶は、木漏れ日のキラキラした芝生の上での昼寝&読書した日
でも、最後まで残るだろう記憶は、、、、、、わかんない???多分自分の中の一番古い記憶?一番大切なもの?でもそれってどうすれば分かるのかなあ?
もうちょっと考えてみます。 かおり
くりすさん、青りんごさん、そしてみなさん、こんにちは。
初めて書き込みします、ぶちと申します。ずーっとこの掲示板を
読ませていただいていたんですが、くりすさんと同じくパソコン
苦手なもんですから、書き込むのは初めてです。
>>私は主人と会って心が解放され、母となった今では五感もいつのまにか正常に働くようになったが、「自分の世界」に戻ることは出来なくなってしまった。すてきな記憶が、あるだけ。
>
>長い間、忘れていた「すてきな記憶」をココにお邪魔するようになって芋ズル式に思い出してしまいました(笑)
>
>>私は、何? 私は、あなたがたの仲間ですか?
>>私のたどった道は、なんだったのでしょう?
>
>私も未だにわかりません。
>今は別に分ける必要性も感じないのでどちらでも構いません。
>「垣根」は存在しているのだろうか?
>自分の過去の検証作業が娘を育てる上での指針になっているような気がしています。
(くりすさんの「私はASなんでしょうか?」という問いには、
返事になっていませんが)くりすさんの小さい頃のお話を聞いて、
ルドルフ・シュタイナーという人の小さい頃の話を思い出しました。
オカルト方面と日本では特に教育方面で有名な人らしいんですが、
シュタイナーが書いたという小さい頃の思い出に非常に似ているよう
な気がしました。私も詳しくなくて、ただの聞きかじりなんですが・・
(その自伝を私が読んだわけではなくて、引用やその伝記について
書かれたものを読んだだけなんですが)
青りんごさんも同じような経験をお持ちなんですか?
ふふふ、私もちょっとだけ・・・でも私も出産後ほとんど
そういう感覚がなくなりました。どうしてなんでしょうね?
私もシュタイナーのその話を聞いた時に、「この人もAS的傾向
があるのではないか?」と思いました。シュタイナーの自伝という
のを読んでみると、何か手がかりが掴めるかしら?
私自身は他人の感情が読めないわけではないし、ASか?って
言ったら違うような気がします。でもそれっぽい傾向はあるかな?
実家の兄が小さい頃「問題行動」が多いとされて、母は毎週学校に
呼び出されるし、兄はクラス全員からいじめられるし・・・
そこで先生の勧めで、カウンセリングを受けた所、下された診断が
「多動」でした(後に母から聞いた話)。でも私は兄のどこがそんな
に問題だったのか分かりませんでした。確かに個性的だけど、他人に
危害を加えるわけではないし(不当な扱いに対しては戦ったけど)、
協調性がないと言われたけど、きちんと理由を話して彼を納得させれば、
ちゃんと分かるんですよ。
「それはただ言う事を聞かせようとする先生がいけないんじゃない
の?」・・・というのが小さい頃の私の感想。
結婚して自分に子供が出来て、小さい子の相手をするようになって、
あの頃の記憶が蘇ってきました。「兄の多動ってそんなに困った事?」
などいろいろ考えて、あちこち調べているうちにここに行き当たり
ました。兄はASっぽいのかもしれません。
そんな兄も今は元気に会社に通ってます。得意不得意の激しい兄妹
でしたが、兄は自分の得意なことを生かして、会社でも重宝がられて
いるようですし、彼の個性もまわりに受け入れてもらって、けっこう
ハッピーにくらしているようです(むしろ「世渡り上手」な私の方が
得意分野も生かしてないし、いつももがいてます)。
兄のように学校から色々言われるようなお子さんをお持ちの親御さん、
大丈夫ですよ!ちゃんと自分の道を見つけて行きますって。
兄を担当したカウンセラーさんがおっしゃってたそうです。
「彼は大丈夫です。心配は要りません。愛してあげて下さい。
守ってあげて下さい。自分はまわりから嫌われているって感じて
傷ついたり、いじめられたりして心に大きな傷を負う方が、
重大な問題です。大きくなるにつれて次第に色んな事を身につけて
行きます。大丈夫ですよ」って。
少なくとも兄は、その通りになりました。
ありのままを受け入れてやって、愛してあげれば大丈夫!
どんどん話がずれましたね・・・最近ちょっと支離滅裂なぶちでした。
くると wrote:
>ゆうろ wrote:
>>ASはなおるんですか
>
> ゆうろさんが言う「普通の人」に近づくことはできると思い
>ます。ただし、外国人が日本人と完全に同化することができな
>いように、「普通の人」と完全に同化することはできないので
>はないでしょうか。
>
>>少しでも普通の人の能力にちかずくには具体的になにを実行
>>すべきですか
>
> ゆうろさんが「この人は普通の人だ」と思える人を徹底的に
>観察し、真似をしてみることだと思います。
>
> ただし、実行する前に次の質問について考えていただけない
>でしょうか?
>
>(1)「普通の人」とは具体的にどのような人ですか?
>(2)「普通の人」とそうでない人を判定するのは誰ですか?
>(3)ゆうろさんは「普通の人」とどの点において違っている
> のですか?
>(4)「普通」になることによって、どのようなメリットがあ
> ると思いますか?
>(5)ゆうろさん自身は「普通でない人」を軽蔑しますか?
>(6)「普通である」とはどのようなことですか?
>
> ゆうろさん以外の人も考えていただけると幸いです。
>
普通の人とは 悩むことができる人です
僕は脳がボケていて気持ちに反応しないので人として使い物になりません
会話してて自分と他人という感覚を感じれる人は幸せです
僕は自分の立場が曖昧でつまり赤ん坊とおなじなのです
いつもだれかがたすけてくれるだろうという甘えがあります
あなたは普通の人です
常識を感じとれて 文章を見ても意味のこもった書きかたで
伝える という人らしいことができています
私はまるで辞書のように偉そうな語り事でしか言葉を使えません
頑固なおじさんのように堅苦しいひとりごとしかできません
精神的に幼稚なので言葉でかっこつけて大人の皆さんに
相手にしてもらおうと企んでしまう
ゆうろ wrote:
>ASはなおるんですか
ゆうろさんが言う「普通の人」に近づくことはできると思い
ます。ただし、外国人が日本人と完全に同化することができな
いように、「普通の人」と完全に同化することはできないので
はないでしょうか。
>少しでも普通の人の能力にちかずくには具体的になにを実行
>すべきですか
ゆうろさんが「この人は普通の人だ」と思える人を徹底的に
観察し、真似をしてみることだと思います。
ただし、実行する前に次の質問について考えていただけない
でしょうか?
(1)「普通の人」とは具体的にどのような人ですか?
(2)「普通の人」とそうでない人を判定するのは誰ですか?
(3)ゆうろさんは「普通の人」とどの点において違っている
のですか?
(4)「普通」になることによって、どのようなメリットがあ
ると思いますか?
(5)ゆうろさん自身は「普通でない人」を軽蔑しますか?
(6)「普通である」とはどのようなことですか?
ゆうろさん以外の人も考えていただけると幸いです。
LDのくるとです。最近、生きることの辛さや死の願望を
ほのめかすコメントがあったので、思うところがあってコメ
ントします。
わたしは子供の頃から家族や周囲の人間から
(1)いかに正しく生きるか
(2)いかに幸福に生きるか
(3)いかにうまく生きるか
について、様々なアドバイスを受けてきました。しかし、ど
のアドバイスもわたしの問題意識とは少しずれていました。
わたしがいつも引っかかり続けていたのは
『なぜ生きなければならないのか』
というもっと初歩的な問題でした。この問題についてわたし
は未だに根拠を見つけ出せていません。(わたしに自殺願望
がある訳ではありません。あしからず)
ここでみなさまに質問です。みなさまにとって生きる理由
はなんですか?考察過程も含めて教えていただければ幸いで
す。
ASはなおるんですか
少しでも普通の人の能力にちかずくには具体的になにを実行すべきですか
なんかカキコ続けてごめんなさい。
書かないと苦しいので、面倒くさかったら目をそらしておいてください。
ごめんなさい 忘れたんじゃないの すぐ分からなくなるの
怒らないで 怒らないで あたしを嫌いにならないで
なにを話してるの 教えて 仲間に入れて 一緒に居て
あたしとは一緒にいられない?
あいづちも覚えたわ 笑うこつも覚えたわ
でも違うのね 何かが違う 壁の向こうには行かれない
いつか進んだ科学が あたしを造り替えてくれるだろう
その科学が悪魔でも あたしはふつうの頭がほしい
武田好史 wrote:
>みなさんこんにちは。
> 今日もまたつかぬことをお尋ねします。
>
>あなたにとって、アスペルガー症候群(AS)とは、何ですか?
こういう質問には応えとかなきゃ、と思うのだけど、頭がうまくまとまりません。
「ASに似た性格」の私にとってASの概念は、言ってみれば、「物差し」です。
方向音痴で今まであてずっぽうに歩いていたのが、やっと地図を手に入れたようなものです。
私のいる位置や、次にどこへ向かうべきか、を考えるとっかかりができた感じです。
でも本当は頭の中にカーナビが欲しい。
こんな言い方したら、ASであることで本気で悩んでいる方から怒られそう。。
はじめまして、くりすさん。救世義也(くせ・よしや)と申します。
くりすさん、およびついでながら名加野さん、『アスペルガーの館の掲示板』へようこそ。常連書込みメンバーのひとりとして歓迎をいたします。今後ともよろしく。
くりすさん wrote:
>Mariaさん、コメントありがとう。あなたのコメントが気に入りました。
とのこと、Mariaに代わって御礼申し上げます。
>mariaさん、私にはあなたがそんなに怒る訳が、わかりません。多分掲示板を
>見た半数は私の様で、半数はあなたのように怒るのではないでしょうか?
>と言うのは、タイプがあると思うのです。
Mariaはその「半分」のために発言しているのですよ。「医者を必要とするんは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しいとされる人を招くためではなく、罪とされた人を招くためである」(マルコ・2:17)。怒らない人は、放っておけばよろしい。
>Mariaさんは、皮膚感覚が敏感すぎることはありませんか?多分あなたは私の
>娘と似ているのではありませんか?
「皮膚感覚が敏感すぎる」というのは、「『普通の人』に比べて」ということをおっしゃりたいのだと思います。ですが、Mariaの側からすれば、それが「ふつう」なんです。Mariaは「あまりにも鈍感な『普通の人』ども」に悩まされたり煩わされたりせずにどうやって生きるか、のほうに関心があります。
>娘は言葉に敏感で、言葉自体の意味は正確にわかりますが、そこにこめられた
>人の気持ちの真意を受取りずらいのです。例えば私が「バカね」といって笑う
>と私の「かわいい」と思う気持ちは伝わらず、「バカ」「笑われた」とだけ伝
>わってしまうことがあります。好みも感情もはっきりしたものを持っていて、
>自分の基準に合わないものを受け入れられないので本当の姿と違って頑なな印
>象を与えがちです。
ご発言のご様子ですと、Mariaについてあまりご存じでないようにお見受けいたします。Mariaは下手な玄人だったら裸足で逃げ出そうかというカウンセラーとしてこの掲示板では知られており、一部では大学のスタッフよりも信頼されております。できうるならば過去ログをご参照いただけると、うれしく思います。
>貧しい者は幸いです。神の国はあなた方のものだからです。(聖書)
くりすさんはクリスチャンとお見受けいたします。私は「救世義也(Joshya Xet)」を名のっておりますので、おそらくなにがしかのご想像はおありと思われます。
私とMariaは「マリア(Maria)!」「先生(Rabboni)!」、と呼びあう仲です。こと福音書に関する議論では、そこいらの聖職者など歯牙にもかけません。Mariaに説教をするつもりで下手に聖句など引用しようものなら、くりすさん自身の信仰の危機を招きかねません。ご注意のほどを。
(Joshya)
Maria さん wrote:
>かおりさん wrote:
>>皆さんはどんな時に食欲を感じますか?
>
> ……おなかがすいたとき。
どういう時にお腹が空きます?私は仕事最中、それもとってものってる時にお腹が空いたと感じ、でももう一段落したら、と思っているうちに空腹感がどっか飛んじゃいます。でも、食べれるときに食べとかないとと思い、何か食べるわけです。
> でまあ、饂飩を自分で打ったりするのも面倒だし海老の天ぷらも自分では揚げないのでそれは買ってくるとして、お出汁はきっちり取って、お麩だとか葱だとか青菜だとか蒲鉾だとか絹莢豌豆だとか豚肉だとか ちまちまちまちま用意して、根深を刻んだのを仕上げにたっぷりかけていただくわけです。菜切包丁研ぐところからやっちゃうもんね。でないと葱がしゃきっと刻めません。七味唐辛子の辛味と葱の辛味があいまって最高です。暑気払いと称して夏でも食っちゃうぞ。
すごいですね。私の場合、店屋物は嫌いな上に料理も好きじゃない、(お菓子作りは好きだけど)、それでもたまーーーーーーーーーに自分で作ろうかなって、材料買って、作って、で食べる段になって食欲が失せる。作っているうちにお腹がいっぱいになっちゃう感じ、別に味見してないんだけど。
> 「プログラマーは食べられるときに腹が減り、眠れるときに眠くなって一人前」とか言われてたからな。カップ麺も続くと辛いし、胃を悪くしちゃって食べ物を受けつけなくなっちゃったんですよね。それでビールばっか飲んでました。日常生活では野菜炒めと豆腐とキノコを多く取るように心がけてました。あとは台湾料理に沖縄料理。学制時代はお肉とおコメがおいしかったけど、社会人になってからや野菜と豆腐がおいしくなりました。
たしかに、社会人になってからお肉の量が減った気が、、、だからたまに実家に帰って「どーせたいしたもの食べてないんでしょ」と肉がどーんと出たり、「これ大好物だったでしょ」などと、半端でない量で食べろ食べろといわれ。そりゃ昔は確かに好きだったけど、「大好物」だったものの記憶はない。
ビールは飲めと言われれば飲めるけど、日本酒の方が好き。それも越後産よりも南部さんのどっしりしたやつ。もっとも最近はご無沙汰していますが。
>
> そう。「お店の味」ってそんなもんです。でないと「商売」になりませんから。だからあたしは基本的に「食べたいものは自分で作る」派です。
料理をしない私は結局、外食派なのかなあ、取りあえず、お米ぐらいは炊いて、おかずはコンビニかどっかで買って、飢え死にだけはしないようにしていますが。
>>
> 日本茶、紅茶は好き。ほうじ茶も好きだし中国茶も好きなんだけど、しょっちゅう飲むものじゃないから、本当はいいお茶をちょっとだけ飲みたいのね。ところが、「お茶が好き」っていうが人に知れてしまうと、お土産だとかなんだとか、いろんなお茶を貰うものだから、気が重いです。AS傾向のひとはこの点ありがたいです。本当においしいのを厳選してちょっとだけくれたりするから。「そのかわり、新海苔が出たらよろしく」「オッケー!」ってなもんです。
紅茶はレシピエのを愛用しています。東京の千駄ヶ谷に本店があって。全国宅配で送料がたった300円。「トキオ」、「ヴィーナス」が好き。あと風邪をひいた時のために「ノエル」だったかな、シナモンが入っているのをキープしています。
>
> 自分が心の底から打ちこめるものを持ってない人っていうのは、あたしみたいな「バランスの取れていない」「極端な」「偏った」人間が怖いというか気持がわるいというか、そういうものらしいです。で、わざわざ「普通」にするよう「ご指導」くださるのね。ふっざけんじゃないわよ!と言いたいです。
私もほっとけといいたい。あんたには(Mariaさんじゃないよ)それくらい打ち込める物がないのか。ご愁傷様。自分が理解できないからといって他人を自分のレベルに引き込もうとしないで貰いたいと思います。
>
> 味覚に関してはけっこうアンバランスなところがあります。まずくて食べられない、ということもあんまりないし、東京の水道水を平気で飲めるので、厭な顔をされることも多いし。脂っこいもの、塩気のきついもの、乳化剤のいっぱい入っているもの、グルタミン酸の多いもの、すべて平気で食べちゃいますが、あとで気分悪くなったりします。
私は不味くても食べます。胃に入ればみんな一緒。アレルギーは無いし。水道水は駄目だけど。喉が渇くという事がないので、水無しでも平気です。(固形物の中にも水分はある)そうそう、ラーメン、うどん系を食べた後は喉が渇くというより頭痛がします。そう言えば、なんで飲み会の後はみんなラーメン食べたがるんだろう???
> 何かの参考になりましたでしょうか。
はい、とっても。 かおり
名加野さん wrote:
>私は結構な目立ちたがり願望があったりします。それがどうこうではないですけど、言っておいた方が良いのかなと思いまして。でも小心者で心配性です。
はじめまして。ミッドランドです。
目立ちたがり…いいじゃないですか。わざわざ言う必要も気にする必要もないと思います。それが「自分」なのであって、人がどうこう言おうが知ったこっちゃない!と思えるようになりましょうや。
この場で自分の意見を出し続ければ、少しずつでも度胸が身につくんじゃーないでしょうか。「自分の発言に責任を持つ」という観点からも。
かく言う自分も小心者の ミッドランド
みなさんこんばんは。
最近流行なのか流行らせようとしているのか「アルツハイマー病」等が浮上してきています。それを考えていたら、Qが浮かびました。
Q:脳細胞が壊れても最後まで残る記憶とはなんだろう?
あなたはどう思いますか?
武田好史 wrote:
> ああ・・僕もなんどそんな気持ちになったことだろうか・・・
> 致死量寸前まで酒を飲んで、意識を失って気がついたら病院で点滴を受けていた> ことがある。
> 学生時代には、自分が何だか判らなくなって、大学の前の海岸の波打ち際に3時> 間くらい呆然と立ちつくしていたこともある。
> ドグマチールという薬を5こまとめのみしたけど、3時間すうすう眠れただけ。> 今は、生きていれば何か希望がありそうだから、生きてる。年老いた親のすねを> かじりながら・・・
悲しいですね、お互いね。何で生まれてきたんだろうとよく?マークが浮かびます。好きな歌の歌詞をあげます
鏡の中から叫ぶお前の声 聞こえない 移り変わる時を捨て釣り糸を垂らしてる
形も色もにおいもなにもかも無い者と 戯れてるお前を見て悲しみを殺してた
ああ何にも変わらない それなのに それなのに
ああ変わったふりしてる お前のため ほら万物流転
私の好きな頭脳警察の曲で万物流転と言う曲です。
おすすめです。私は今曲自体は持ってないので探すつもりです。
私はビールで、なんかわからないけど市販の睡眠薬と鎮静剤を2箱分飲んだことがあります。(市販のって成分ごちゃ混ぜでえらいこと効きそうじゃないですか?)あららーでもまだ生きてーら、です。
生きてればなんか楽しいことありそうですよ...わかんないけど。
くりす wrote:
>娘が「自閉症(アスペルガ−)では?」と言われ色々な本など読むうちに、自分こそがそうではないか?と思いはじめました。
>でも、違うかも。診断が、いくつか あてはまらないと思うが確信はない。
はじめまして。自閉児の母、青りんごです。
私もくりすさん同様「これって私じゃないか?」と思うようになりました。
>私は主人と会って心が解放され、母となった今では五感もいつのまにか正常に働くようになったが、「自分の世界」に戻ることは出来なくなってしまった。すてきな記憶が、あるだけ。
長い間、忘れていた「すてきな記憶」をココにお邪魔するようになって芋ズル式に思い出してしまいました(笑)
>私は、何? 私は、あなたがたの仲間ですか?
>私のたどった道は、なんだったのでしょう?
私も未だにわかりません。
今は別に分ける必要性も感じないのでどちらでも構いません。
「垣根」は存在しているのだろうか?
自分の過去の検証作業が娘を育てる上での指針になっているような気がしています。
一緒に考えて行きましょう。 青りんご
名加野 wrote:
なかのさん、こんばんは。Mariaさん、いつも心助けて下さってありがとう。
横レスです。
>Maria wrote:
>> こう見えてもここは基本的に非常にマジメなサイトなのね。
>> で、あなたの発言を見てカチンとくる人は、現段階でけっこう多いはずなの
>>よ。あたしたちはべつに目立ちたくてやってるわけじゃないし、「目立つ」こと
>>によってさんざん苦しめられてきた人間なのね。
それは正しいです。クラスとかで(まだ自分の言動の影響が分かっていなかった頃)あるていど級友としゃべってから、なんか薄ら寒い雰囲気を周りと自分との
間に感じた時の恐怖と言ったら!!!ろくに友達でもないくせに、変なとこで
私の事を「変人」とか「コミカル」と表する奴ら。
>・・・大変申し訳無い。こう言う余計な一言をまた言ってしまいました。
>私としては、真面目に書いておりますが、調子に乗って書いていくからこうなるん>ですよね。次回からは歯止めを効かせたいと思います。
いや、Mariaさん、こういう人はむしろ歓迎して良いんじゃないですか?
なかのさんはASかどうか私は疑問だけど。むしろ若年層特有のメランコリック期
じゃないのかなあ。新たな視点として。
>やはり、僕は冗談を上手く使える人間ではないな、、、これに懲りずにまた書きに>来ます。迷惑でないのならですが。・・・まだ、鳥肌が、、、
ここは差別したり・裁いたりするところではないです。熟考して再訪されること
お待ちしています。
KILROY wrote:
> そこで……どうでしょう。「自閉症」と「アスペルガー症候群」をひっくるめて、「関係性発達障礙」と呼ぶというのは。
>
> ご意見をうかがいたいと思います。 (KILROY)
自閉の娘と関わっているうちに「これは関係性に問題があるのではないか?」と考えるようになりました。実際に、家族内外の人々との関係を変化させることにより
娘の症状(体質?)も軽減(改善?)してきたように感じています。
親である私は「自閉症とは関係障礙である」と思いつつ日々を送っておりました。
私も「関係性発達障礙」案に一票投じます。 青りんご
ごめんなさい。なかのさんを「たかのさん」と思っていました。またひらがなで、
ごめんなさい。注意しないと混乱するのよ。セブンイレブンと11pmなんかも。
ASに関していろんなひととメールでいろいろ話しているうちに、ASについての意見を一度まとめる必要があると思い至り、ASに関する簡単なブックレットのようなもの(電子出版が手軽でよさそうだ。検索性も高い)を作成すべく、「自閉症」と「アスペルガー症候群」についてもう一度調べ直している。
その過程で、私がすでに「アスペルガー」の名前に触れていたことに気づかされた。
そんなわけで、一冊の本を紹介しておこうと思う。
玉井収介(たまい・しゅうすけ)『自閉症』、講談社、講談社現代新書697、ISBN4-06-145697-0
「自閉症」における「自閉」という概念について、懇切丁寧に解説してあるという意味でとてもよい本だと思う。本体631円という価格もありがたい。
さて、この玉井先生の『自閉症』では、私が考える「自閉症」と「アスペルガー症候群」をともに「自閉症」という名前でくくり、「自閉症」というカテゴリーの中の「カナー型」と「アスペルガー型」とに分類している。
一部引用してみよう。
『「自閉」という文字がつく用語にしても、自閉症、自閉児、自閉傾向、自閉性障害などといろいろある。これについても、整理をしておかねばなるまい。
本来このことばは、精神分裂病の心性を記述することばとして使われてきた。今日、この分裂病と呼ばれている病気は、かつては早発性痴呆(ちほう)と呼ばれていた。思春期から二〇歳代くらいで発症するので、人生を五〇歳、六〇歳の長さでみたばあいに「早発性」と呼んだのである。
しかし、うら返してみれば、それ以前の幼児には精神病はあり得ない、と考えていたということになる。このことばを幼児に対して使うようになったのは、ある直からであり、偶然にも互いに独立し、ほぼ前後して二人の人が使いはじめた。
昭和十八年ごろ、アメリカの精神科医カナーが、そしてほぼ前後してヨーロッパの小児科医アスペルガーが、極端な孤立ということを主な特徴とした、かなりよく似た子どもを報告した。カナーはのちに、これをEarly Infantile Autism(早期幼年性自閉症)と呼び、アスペルガーはAutistic Psychopath(自閉性性格異常)と呼んだ。この二つの考え方はともに戦後になって入ってきた。
カナーの考え方によれば、それは最も早い時期にはじまる病気であり、したがって順調な発達の過程ではみられないものであった。アスペルガーによれば、自閉性というのは性格特徴のひとつであり、その程度の強いものをいうのであるから、程度の問題ということになる。
この二人の報告が出されたのは戦争の最中であったから、日本に文献が入ってきたのは、もちろん戦後であった。またあまり学問の交流のない時期のことだから、カナーの考え方も、アスペルガーの考え方も、互いに独立したものであった。わが国にカナーの考え方を伝えたのは現東海大学教授の牧田清志(まきた・きよし)氏であり、アスペルガーの考え方を伝えたのは現大妻女子大教授の平井信義(ひらい・のぶよし)氏である。』
で、最初に「カナー型」と診断され、後に「アスペルガー型」と診断されるようになった例は少なくないようなのですね。たとえば『我、自閉症に生まれて』(学習研究社、“EMERGENCE:LABELED AUTISTIC” by Temple Grandin & Margaret M.Scariano)のテンプル・グランディン(Grandin, Temple)さんや、『自閉症だった私』のドナ・ウィリアムさんなんかがそうです。これを「カナー型からアスペルガー型への移行」と考えるかどうかについては意見を保留することにします。
で、ここで困ってしまうのですね。この二つをどう扱うかに。
1)「自閉症」と「アスペルガー症候群」とし、全体を「自閉圏」あるいは「自閉性発達障害」「自閉性障害」でくくる。
2)「自閉症」に、「カナー型」と「アスペルガー型」があるとみる。
3)「広汎性発達障害」で総称し、「アスペルガー症候群」を「高機能広汎性発達障害」というグループとする。
これ以外にもう一つ、あまり一般的ではないものの、十分に通用すると思われる考え方として、
4)「カナー型」と「アスペルガー型」を連続したものと見て、「自閉性発達障害」「自閉性障害」とする。
というものがあります。
本当のことを言えば、「自閉」という言葉は使いたくないわけです。もともと誤解の多い言葉だから。そうすると(3)しかないのですが、これには一つだけ困った問題があるんですよ。それはすなわち「高機能」すなわち「IQが高い」と考えてしまうと、「高機能」と判定された児童の親と、そうでない児童の親の間に、感情的な軋轢が起きる、ということなのですね。
そこで……どうでしょう。「自閉症」と「アスペルガー症候群」をひっくるめて、「関係性発達障礙」と呼ぶというのは。
ご意見をうかがいたいと思います。 (KILROY)
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