アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 知ってた方にはごめんなさいよっ 5279へのコメント
No.5328  Mon, 11 Jun 2001 09:59:31 +0900  みちる [この発言にコメントする]

あさかぜプラス wrote:
> 蜂さんがぶんぶん元気です。
>
>『重曹』を使います。タンサンとも言いますね。山菜のあくぬきや膨張剤としてクッキーに入れたりと、大抵のご家庭に常備してある食品添加物です。スーパーなどで気軽に手に入ります。

いいこと聞いた。試してみるね。
>
> ここでポイントがふたつあります。
>いち♪あくまでも「刺された本人の唾液」を使うということ。

そうだったのか。
このところ、山に入ってたけのこ取りをしていたのよ。
もう、ダニだの、あぶだのにさされて、いまかゆいのよ。
さされる前の準備としては、ハッカ油が、かなり効果的ですよ。
ま、それでもスキマをぬって刺されるんだけどね

> お出かけの際には、フィルムの空きケースや小ビンに重曹を入れて携帯なさるといいのではないでしょうか。

重曹っていいもんだよね。
台所のシンク洗いにつけてこするとあら不思議。ステンレスの曇りが取れるのよ。
ありがとうあさかぜさん。ためしてみるね。
>
    池田市の例の子供が犠牲になった事件ですっかり滅入っていた
    いた、私でした。
    親の思いを考えると、どう、表現していいかわからないくらい
    つらいね。あんまり悲しいので、文字で表現したくなくて、固まって
    いました。子供たちの冥福を心から祈ります。
    祈るしかない。本当に・・・。
      みちることなおみの夢でした。  


Re: 質問です。 5326へのコメント
No.5327  Mon, 11 Jun 2001 09:48:54 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ひま人さん wrote:
>同じく、このテーマを提言した人は、男達にもっと発言してほしいと思って
>いる のか、それとも好奇心なのか?

 私ことMariaは、青りんごさん他の「AS児のお母さま」方の相談役、みたいなことをしております。不思議なことにというか当然のようにというか、あたしにはAS児の感覚がわかるというか、AS児そのままの感性で生きており、なぜかそのまま社会に(過剰なまでに)適応してしまいました。

 で、従来の自閉症/アスペルガー症候群に関する文献というのは、

 ・医師または教師による診断・治療・療育の手引き
 ・心理学者・生理学者による原因等に関する研究書
 ・本人による自伝

あたりに限られていたのですね。つまり、「健常のひと」と「自閉圏のひと」の間のギャップを対等な立場でつなぐものがない。映画『レインマン』なんていうのはやや近いのだけれど、やはり「健常のひと」と「自閉圏のひと」の関係は対等ではない。

 だから、お母さんは自分の子供が考えていることがわからない。「自閉」が理解できない。「こだわり」がわからない。だけど、「健常のひと」と「自閉圏のひと」のメンタリティを両方そなえているあたしからすれば、とてもよくわかる。
 「国語辞典を読みながらげらげら笑っている子供」などというのは相当に無気味かもしれないなー、と「世間の常識」の部分で考えているあたしは思うのですが、反面「AS傾向者」としてのあたしは「わかるわかる。人工知能の研究者とかいったら、そういうひと珍しくないもんな」と思います。

 あたしは理系と文系の間をひらひらと飛び回る蝙蝠か、はたまた健常者とASの間を行き来する黄昏の空を音もなく飛翔するミネルヴァの梟か、まあ、そんな役どころを演じることができそうなのですね。

 でまあ、そんなこんなで以下のようなブックレットを作成しよう、と思い立ったわけです。

題名:『自閉症/アスペルガー症候群ハンドブック 「関係性発達障磑」の理解と対応』

目次

 ・隣人としてのRDD

 ・「関係性発達障磑(RDD)」って何だろう
   誰にでもあるRDD傾向

 ・診断名とその内容・歴史について
   「自閉症」「アスペルガー症候群」「高機能広汎性発達障害」……

    アスペルガー(氏)症候群(Asperger's syndrome)
    高機能広汎性発達障害
      (high-functioning pervasive developmental disorder)
    「自閉」と「自閉症」
    早発性痴呆症→精神分裂性
    幼児分裂症→自閉症
     カナー型自閉症
     アスペルガー型自閉症
    「障害」か「精神病」か「神経症」か「性格の偏り」か「症候群」か
    「関係性発達障磑(RDD)」という名前を採用するにあたって

    スキーマ、フレーム、アクシアム、コンテキスト……

 ・家族としてのRDD
   夫・妻・子供がRDDだったら

 ・教育と学習障害(LD)
   RDDの子供の育ちかた

 ・働くRDD
   RDDの職業適性

 ・RDDであることの苦しみについて
   いじめ、PTSD、フラッシュバック発作、二次症状など

 ・RDDの診断
   診断規準/知能検査/知能指数
   RDD児童の知能指数が低く出るのはなぜか
   RDD児童は本当に「不器用」なのか?
    注意力と運動協調性

 まあ、実際にどの程度お役に立てるものができるかは未知数なのですけど、少なくとも叩き台になるようなものはできるのではないか、とは思うのですよ。

 でまあ、こういうものを切実に求めているひとがいるとすれば、AS児のお母さまや成人AS本人であろうと思うのですが、そういうひとにとって必要なのは中身であってタイトルではありません。

 で、もうひとつ。多くのAS関係者は、「二次症状」というものに悩まされています。つまり、社会との軋轢が新しい症状を生みだしちゃってるわけですね。したがって、社会の側にも理解を求めなければならない。だとすれば、『自閉症/アスペルガー症候群ハンドブック 「関係性発達障磑」の理解と対応』という書名はあんまりではないか。

 どうせだったら一般の人にも読んでいただきたい。で、そのためには売れてほしいのね。一般向けと当事者向けに分けることも考えたんだけど、よく考えれば「素人が読んでわかりやすいもの」となると、けっきょく似たようなところに収束せざるをえない。だったら一緒にしてしまえー、ということに決めました。

 そんなわけで、「自閉圏」というものを端的に表わす言葉ってなんだろう、と考えたんです。

 たとえば「自閉」。たしかに本質なんだろうけど、この言葉はあまりに誤解が多い。引っ込み思案や引きこもりを想像してしまう。だいいち、普通の人との接点がない。

 「関係性発達障磑」。この「関係性」っていうのも確かに重要なタームです。だけど、青土社の『自閉症とマインド・ブラインドネス』なんかを読むと、明らかに「欠陥」とか「欠損」として捉えているのね。ところがあたしなんかは、「人の気持ちがわからない」となじられたことも数多くあるけれど、「どこかもっと深いところで人間を見ている」と言われることも負けず劣らずあるわけです。決して人の心が理解できないわけではないから、「マインド・ブラインドネス」というには、あたらない。

 で、「人の気持がわかる/わからない」みたいな軋轢がどこから来るかといえば、「わかる」の部分は「心のずっと深い部分まで組織化されている」という意味で「わかる」であり、「多くの『健常者』が抱えている心の中の対象化されていない感情的なぐちゃぐちゃというものに、無関心あるいは冷淡である」という意味で「わからない」だということに思い至ったわけですよ。「もっと自分の心を深く掘りなさい」と言ってやりたくなっちゃうのね。

 反面、あたしたち(そう、そういうくくりで発言しちゃいましょう)は「どっちでもいいこと」を決めることができません。

 「こだわりの味」とかいった間違った日本語が最近横行しています。必要なことを徹底することを「こだわり」とはいいません。「どっちでもいいこと」を固定的に捉えずにはいられない心性、それが「こだわり」。この「こだわり」を端的に表わす言葉はないもんか、と思って思いついたのが、これ。

 『「どっちでもいいこと」が決められない。』

 ……とはいえ、これがひとりよがりであってはいけない。あたしたちの感性にぴったりとフィットし、「健常者」にとっては「理解はできるが気持ちはわからない」であってほしいと思います。で、この掲示板で問うてみたわけです。

 そしたら、この『アスペルガーの館の掲示板』における貴重な「健常者」メンバーであるあさかぜさんは、ものの見事に「頭では解るが気持はわからん」側をお選びになりました。

>> 「『どっちでもいい』んだったら、どっちでもいいんじゃない?」
>> 「そうなんだけど、やっぱり『どっちでもいい』というと決められないんだよ」
>> こういうタイプって、ASに多い……というか、ASの本質ってこういうところ
>>にありそうな気がします。それが「AS特有のこだわり」に見えるのかもしれない。

> そうなんですか……。「どっちでもいい」ことはどっちでもいいので、どう決まっ
>ても平気なんだけどなぁ、わたしは。自分で決めたいことは自分で決めてしまいま
>すしね。

 これってイケてんじゃない?と思いましたね。

 そんなわけで、『「どっちでもいいこと」が決められない。』執筆中。
 FQA(よくある質問とその答え)も掲載予定なので、「こういうことに対してどう答えてくれるのか?」みたいな質問があればお寄せください。待ってます。

 また、今後ともご協力をお願いすることもあると思います。その時はまたよろしくお願いします。

 (Maria)


Re: 質問です。 5315へのコメント
No.5326  Mon, 11 Jun 2001 05:58:59 +0900  ひま人 [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>
> 公開質問です。
>
>質問1.
> なぜASの男性は発言しないのか。

たまに発言していますが・・

> 先日の横浜OfflineMeetingでも話題になったことです。
> ASのひとというのは、男性5に対して女性1程度の割合で存在する、とされています。だけど、実際にお会いしたりメールを戴いたりする方は女性のほうが多いくらいなんですよね。これって何故なんでしょう?
>
> 男性は、比較的社会に適応しやすいから、「障害」というところまで深刻化しにくいのか。

社会に適応できるなら、ASではないのではないでしょうか?

> 男性の場合、「仕事」との関係で捕えるから、あんまり「個人の問題」として捉えないのか。逆にいうと、女性のほうが「ASである自分」というものに向き合う傾向が強いのか。

部分的には当たっているかと思われます。

> それとも、深刻すぎて、ASというものを対象化することが困難なのか。これはひょっとしたら、女性の場合はASというものが男性にくらべてそれほど「障害」にならないのかもしれない、という推定にも結びつきます。実際には男女比はもっと接近しているのかもしれない。だけど、女性は「健常者」として社会に適応しているのかもしれない。

ケースバイケースなのではないか
それと、対象化するにしても、そのスタイルが若干異なるような気もします。

>質問2.
> 自分で、「『どっちでもいいこと』が決められない」と思います?
>
> 「『どっちでもいい』んだったら、どっちでもいいんじゃない?」
> 「そうなんだけど、やっぱり『どっちでもいい』というと決められないんだよ」
> こういうタイプって、ASに多い……というか、ASの本質ってこういうところにありそうな気がします。それが「AS特有のこだわり」に見えるのかもしれない。

医学的には、前頭葉の機能低下が関連しているらしい。ここは行動の企図化に
関連が深い領野だそうで・・

> 「喫茶店で食事をするときは、必ずピラフ」とか、「カレー専門店では必ずチキンカレー」とか、「町の定食屋だったら必ずカツ丼」とか、そういった明確な「ルール」を持っているひとって多いような気がします。そうすると、迷わなくてすむから。
>
> で、「コインをトスして決めよう。表だったらラ−メン、裏だったらチャーハン」とかいって百円玉投げて、「おお、表だ」「え? 百円玉って、『日本国』って書いてあるほうが表なんじゃないの?」「……えーい面倒臭い! 両方食ってやるぅ!」。
> こういう人がいるから「半チャンラーメンセット」とか、「盛り蕎麦とミニカツ丼のセット」とかいうセットメニューができたのかもしれない。
>
> どう思います? (Maria)

私事では、少し以前に、ASの夫をもつ女性が開設したホームページのちゃっと
に書き込みをしたことがありますが、どうも性に合わないらしくやめました。と
いうのも、いったん書き始めると長くなってしまうのです。
いまのところ、ASのご子息をもつ女性が参加していますが、会話のテンポが早
いのです。ひとこと書き込んで、また短いセンテンスで応じてというふうに
ベストセラーになったらしい「話を聞かない男、地図が読めない女」とかいう本
には、ここのテーマを連想するようなことが書かれています。が、大多数の健常
者の傾向を、ASにも当てはめていいものなのかどうか・・
ひとつだけ一致しないのは、ASとの異同が問題のNLDでは、右半球側の機能
が低下しているらしいということで、このことは男児は左よりも右脳が発達し、
男性ホルモンが左脳の発達を遅らせ右脳優位になるということと反対です。
ところで、この本の巻末に書かれていた対処策のようなものには賛同しません。
御都合主義的であまり効果的でないとおもうので。
同じく、このテーマを提言した人は、男達にもっと発言してほしいと思っている
のか、それとも好奇心なのか?


薬について 5321へのコメント
No.5325  Mon, 11 Jun 2001 01:29:40 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

みどり wrote:
>それと、別に武田さんに質問というわけではないんですが、この手の話でいつもわからなくなるのが、天然系とはなにかということです。
>この世にある物質は、すべて元をたどれば天然にあったのに、その後いろいろ手を加えているうちに、いつのまにか「化学物質」と言われることになります。その境界はどこにあるのでしょう?
>いくら調べてもまだ明確な解答にたどりつけずにいます。
>ツムラの漢方薬だって、天然の物質そのままではなく、乾燥、抽出などの過程をへているわけですよね。
>過程だけ考えると、これはガソリンの精製よりもよっぽどいろいろな手を加えているように思えます。

 昔は薬と言えば、生の物を乾燥させたり・薬研という道具で粉にしたりして、水や酒に成分を浸出させた物が多かったようです。つまり精製してある成分のみを使うということをしていないのです。そのことがかえって望ましい効果を上げていたのです。また、複数の生薬を混ぜてよりその効果を高めるということも行われていました。もちろんそれでも副作用は避けられないので、こと中国では、体質にあった薬の処方を見極める技術が発展していたようです。体という自然のバランスを重視して、薬は用いられていました。また「食べ物は薬である」という「医食同源」という発想もあり、食生活も一つの癒しと見なされていました。 
 これに対し現在では、化学的に合成・精製された成分を素にした薬が多くなりました。それによって、今までは助からなかった人が助かるという恩恵もあります。しかしながら、濃厚な状態の人体にとっては未知な物質を体にとりいれるということは、それだけ副作用のリスクも高いといえます。さらに常に良い薬・利益のあがる薬ということで競争することによって、十分な安全性が確かめられないままに薬が世の中へ出ていってしまうことも多いようです。
 精神科領域の薬は長期間にわたって服用しなければならない場合が多く、できるだけ体に負担がかからないものが望ましいと思います。そのためには、新しい薬を
作ることと同じくらい、ハーブや漢方といった天然系の素材を生かす伝統的な方法を検証し高めていくことが大切だと思います。
 フリーズドライによって生の素材を粉末にするという技術は、きっと天然系の素材の可能性を広げると思います。すでにある製薬会社がこの方法で漢方の胃薬を作っているようですが・・・


Re: 質問です。 5315へのコメント
No.5324  Mon, 11 Jun 2001 00:15:44 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

Maria さんwrote:

>質問1.
> なぜASの男性は発言しないのか。

ASに限らず、男性は私的なことは語らない傾向がある。
(「私小説」などを書いている作家は別として)
また仮に語りたくなっても
「男が私的なこと(しかも疎外感を味わったなどのネガティヴなこと)を語る
なんて格好悪い」と思わせる無言の圧力が社会全体にある。
男性は「勝った負けた」で物事を考える傾向がある。周囲も「勝ったか負けたか」で見る。
「自分がひとりでは対処できないような困難な状況にある」ということを
認めることは、人生の「負け」に相当すること(と思われている)なので、
男性は自分の困難を語らないばかりか認めようともしていない場合が
女性に較べて多いのではないだろうか。

>質問2.
> 自分で、「『どっちでもいいこと』が決められない」と思います?

わたしには「どっちでもいいこと」が多いです。
決めないといけないときは消去法を使います。
「昼食はうどんかそばか」
「今日は暑いからうどんという気分じゃないなー」
(と言うと、そばを選択したものと勝手に思われる)


Re: 光を見た 5314へのコメント
No.5323  Sun, 10 Jun 2001 23:28:18 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

ゆーり さんwrote:
>コピーライターの糸井重里さんが
>「ほぼ日刊イトイ新聞」で、このようなことを↓
>
>http://www.1101.com/home.html
>
>大学で心理学を教えている碓井真史さんが
>「こころの散歩道」で、次のようなことを↓
>
>http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/2001/syougaku/ippou.htm
>
>述べておられます。

鳥越俊太郎さんのコーナーにもこういう文が↓

http://www.1101.com/torigoe/index.html


Re: 質問です。 5315へのコメント
No.5322  Sun, 10 Jun 2001 22:28:56 +0900  みどり [この発言にコメントする]

自称ASのみどりです。

>質問1.
> なぜASの男性は発言しないのか。

このあたりには「ASの子供を抱えたお母さん」という立場の女性が多い、とうのはどうでしょう。
自分のことならあきらめたり気づかなかったり放置したりしても、自分の子供のこととなると違いますよね、たぶん。(私は当事者じゃないから推測)

>質問2.
> 自分で、「『どっちでもいいこと』が決められない」と思います?

決められません。どうでもいいことほど決められません。
そういう状況になると、頭フル回転で、決めるための (自分への) 口実を探します。

食欲のないときに「お昼どこに食べに行くか」を決めさせられそうになると、暴れたくなります。
「わからないから決めて」と言っても、遠慮してると思われて、余計に押しつけられたりして。

最近そういう集団から遠ざかってるから楽だけど、今度はひとりでレストラン街をうろつきながらボウゼンとしてます。
で、そのうち歩きつかれたり時間が来たりするので、そうするとその場からもっとも便利な場所に決めることができます。


Re: 精神障害者はみんなが犯罪者ではないのに… 5310へのコメント
No.5321  Sun, 10 Jun 2001 22:18:33 +0900  みどり [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
> 安全かつ天然系ということです。もっとも分裂病の薬は人工的に作るしかないでしょう。
> でも、比較的軽症と言えるレベルの精神障害ならば、漢方などの天然系ほうがしっかりとした処方に基づいてやれば、はっきりとした効果が出そうな気がします。
>「飲んでもただ眠くなるだけ」というトランキナイザーへの不満は、無視できないと思います。
> 「人工のもの」そして「天然系のもの」この2つ系統があれば、「自分の体に合った薬」を見つけられるチャンスが増えるものと思います。

んーと、漢方なのが重要なのか、天然系なのが重要なのか?? 漢方ということなら、ツボとかハリとかでもいいの? そして、西洋薬でない方がいいのはなぜ?
漢方薬については私も結構飲むのですが、西洋薬とどちらがどうという考えはあまりなくて。

それと、別に武田さんに質問というわけではないんですが、この手の話でいつもわからなくなるのが、天然系とはなにかということです。
この世にある物質は、すべて元をたどれば天然にあったのに、その後いろいろ手を加えているうちに、いつのまにか「化学物質」と言われることになります。その境界はどこにあるのでしょう?
いくら調べてもまだ明確な解答にたどりつけずにいます。

ツムラの漢方薬だって、天然の物質そのままではなく、乾燥、抽出などの過程をへているわけですよね。
過程だけ考えると、これはガソリンの精製よりもよっぽどいろいろな手を加えているように思えます。


Re: 質問です。 5315へのコメント
No.5320  Sun, 10 Jun 2001 20:19:57 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:

>質問1.
> なぜASの男性は発言しないのか。

 プライドの問題でしょうかね〜。育てられ方にもよるとは思いますが、日本ではまだ「男はこうあるべき」みたいな考えかたが根強いような気がしますので、たとえば自身がASであることを受け入れたとしても、他者に向かって発言するところまでいかないのではないかな〜という感じがします。

> 実際には男女比はもっと接近しているのかもしれない。だけど、女性は「健常者」として社会に適応しているのかもしれない。

 わたしは↑これが一番近いような気がします。
 海外の事情にはうといので、あくまでも日本に限ってとしてですが……。女性のほうが「親の基準」も緩いのかもしれないです。各家庭で違うとは思うので、一般化はしにくいですが、わたしの想像です。
 今までは、同じ長子でも「長男」と「長女」では親のかける期待が違うというような面があったと思うのですよね。でも少子化社会になってきて、これからはASの男女比はますます近くなるんじゃないかという気がします。

>質問2.
> 自分で、「『どっちでもいいこと』が決められない」と思います?

 「どっちでもいいや」と思った時点で他人に決定権を預けたことになるので、それ以上は気にしません。わたしは、「決められない」タイプではなさそうです。

> 「『どっちでもいい』んだったら、どっちでもいいんじゃない?」
> 「そうなんだけど、やっぱり『どっちでもいい』というと決められないんだよ」
> こういうタイプって、ASに多い……というか、ASの本質ってこういうところにありそうな気がします。それが「AS特有のこだわり」に見えるのかもしれない。

 そうなんですか……。「どっちでもいい」ことはどっちでもいいので、どう決まっても平気なんだけどなぁ、わたしは。自分で決めたいことは自分で決めてしまいますしね。ううう、答えになっていないですか?


Re: 質問です。 5315へのコメント
No.5319  Sun, 10 Jun 2001 19:35:19 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:

>
>質問1.
> なぜASの男性は発言しないのか。
(中略)
>
> それとも、深刻すぎて、ASというものを対象化することが困難なのか。これはひょっとしたら、女性の場合はASというものが男性にくらべてそれほど「障害」にならないのかもしれない、という推定にも結びつきます。実際には男女比はもっと接近しているのかもしれない。だけど、女性は「健常者」として社会に適応しているのかもしれない。
>
AS似のやんちゃんです。
このことは私も考えたことがあります。「ガイドブック アスペルガー症候群」にも似たような記述がありました。
自閉症の発症率の男女差は5:1というけれど、1人の女性の陰に4人の目立たない自閉
者がいるのかもしれない。
女性の方がいわゆる「問題行動」が少ないのかな(何でかな)。でも、外見でわからなくても困難という面では同じですよね。私自身、ひょっとしたら、本当ならもっとできないはずなのに、奇跡的に適応しているのかも、と思うことがあります。
そういえばここの掲示板でも「ASかどうかわからない」という状態の男性の投稿って少ない気がする。

>質問2.
> 自分で、「『どっちでもいいこと』が決められない」と思います?

うーん。それは普通のことのような気がするけど・・・。
ただ、私の場合「どっちでもいい」でも「決め手がない」ことが、普通の人より多いのだと思います。幼少の頃から、困っていることといえばそのことに尽きるかも知れません。
どう動くか、何を喋るか、何を着るか、といったことを四六時中悩んでしまう。
例えば買い物に行っても(買い物自体あまり好きではないが)、服売り場には全く入れなかったりする。店員さんがついてこないところでも、少し見たら疲れてしまう。いろんなものが秩序もなく並べてあって、「さあ、選べ!」と言ってるみたいで。なにか自分の中で基準があればいいんだけど(私はこのテイストでいく、みたいな)、それもなくて足場のない山に挑むような感じ。見ているうちに訳が分からなくなってしまう・・・。
最近の買い物はもっぱら「通販」です。カタログにまとまっていれば、ちゃんと選べる(しかも楽しむことさえできる!)んですよね。


Re: 質問です。 5315へのコメント
No.5318  Sun, 10 Jun 2001 18:12:59 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>
> 公開質問です。
>
>質問1.
> なぜASの男性は発言しないのか。
>

>
> 男性は、比較的社会に適応しやすいから、「障害」というところまで深刻化しにくいのか。
> 男性の場合、「仕事」との関係で捕えるから、あんまり「個人の問題」として捉えないのか。逆にいうと、女性のほうが「ASである自分」というものに向き合う傾向が強いのか。
> それとも、深刻すぎて、ASというものを対象化することが困難なのか。これはひょっとしたら、女性の場合はASというものが男性にくらべてそれほど「障害」にならないのかもしれない、という推定にも結びつきます。実際には男女比はもっと接近しているのかもしれない。だけど、女性は「健常者」として社会に適応しているのかもしれない。

 私は後者の方がウェートとして大きいのではないかと思います。男にとって「自分は何者なのか?」「社会との折り合いをいかに付けるか?」「どうやって生きていこうか?」という悩みは、女性よりも深刻であろうと思います。ASはこの3この悩みのどれにも影を落とすものです。
 「混沌の中で苦しみもがいていて、とても自分の悩みをあからさまにできない」これがAS男子の実像なのではないでしょうか。でも、ごく一例だけドイツの自閉症の青年が書いた手記があったように思えます。 

>質問2.
> 自分で、「『どっちでもいいこと』が決められない」と思います?
>
よく私も迷います。特に、物の両者の価値が同程度であるときには、とことん悩む方です。


Re: 精神障害者はみんなが犯罪者ではないのに… 5310へのコメント
No.5317  Sun, 10 Jun 2001 17:47:30 +0900  マザー [この発言にコメントする]

武田好史さん wrote:

> 一番の薬というのはやはり周りの人の「愛」なのでしょう。もちろんもらってばかりはいられず、返さなくてはならないので苦しいのですが・・・。人間は「愛」というものをやりとりしないと、まともに生きていけない脆いものだとこの事件を通して感じました。


 私は(9日付読売新聞朝刊)に載っていた容疑者の父親の発言に憤りを
感じました。無責任すぎるのではないでしょうか?!
  一部抜粋
  「あいつには、『死ね』と言いたい。私も死にたい」
  「息子が起こしたトラブルをきっかけに20年ほど前に勘当した」

 20年前といったら容疑者が、17歳の頃ではないでしょうか。
どうしようもない息子だったから放りだしてしまったのでしょうか・・・。

 うちの息子(AS)も抑うつ状態で精神科に通院中ですが、病院で処方して
もらっている『薬』よりも愛情がなによりの『薬』だと感じています。 
周りの人の支えが必要なのです。

 
 
 


Re: 質問です。 5315へのコメント
No.5316  Sun, 10 Jun 2001 16:07:49 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> 公開質問です。
>
>質問1.
> なぜASの男性は発言しないのか。
 
 Mariaさんの意見と多少重なる部分がありますが、僕なりの見解です。
 男性の場合、「社会」を「個人」より重んじる傾向があり、それは「個人の問題」で「社会」に向けることではない、という意識が働いているからだと思います。
 この意識は、「自分の素性がさらされる不安」「どうしようもない、というあきらめ・割り切り」が根底にあるものと見ています。
 一方、女性の場合は「個人」を「社会」より優位に見る傾向があり、ASを「個性」ととらえているので、アピールの手段にできるのだと思います。
 (あくまで総合的な、大まかな見方です。念のため)

> 男性は、比較的社会に適応しやすいから、「障害」というところまで深刻化しにくいのか。
> 男性の場合、「仕事」との関係で捕えるから、あんまり「個人の問題」として捉えないのか。逆にいうと、女性のほうが「ASである自分」というものに向き合う傾向が強いのか。
> それとも、深刻すぎて、ASというものを対象化することが困難なのか。これはひょっとしたら、女性の場合はASというものが男性にくらべてそれほど「障害」にならないのかもしれない、という推定にも結びつきます。実際には男女比はもっと接近しているのかもしれない。だけど、女性は「健常者」として社会に適応しているのかもしれない。

 これらも一理あります。本当の答えはどうか、とは簡単には決められないようです。
 
>質問2.
> 自分で、「『どっちでもいいこと』が決められない」と思います?

 大いに思います。「どっちでもいい」ということほど、「どちらかでないとダメ」と思う場合が多いと思います。二者択一を迫られたとき、「どっちか選んで。」と言われると、決まって一瞬迷ってしまいます。
 今はそうではありませんが、子供の時分は「選ばれなかった方がかわいそう。」などと変な感情移入をしてしまい、よく選択することを嫌っていました。迷った末、残された方に不要な「すまない気持ち」を抱いたりして…。
 
 やっぱりこれ、世間から見ると「変」ですか?       ミッドランド


質問です。
No.5315  Sun, 10 Jun 2001 14:52:04 +0900  Maria [この発言にコメントする]


 公開質問です。

質問1.
 なぜASの男性は発言しないのか。

 先日の横浜OfflineMeetingでも話題になったことです。
 ASのひとというのは、男性5に対して女性1程度の割合で存在する、とされています。だけど、実際にお会いしたりメールを戴いたりする方は女性のほうが多いくらいなんですよね。これって何故なんでしょう?

 男性は、比較的社会に適応しやすいから、「障害」というところまで深刻化しにくいのか。
 男性の場合、「仕事」との関係で捕えるから、あんまり「個人の問題」として捉えないのか。逆にいうと、女性のほうが「ASである自分」というものに向き合う傾向が強いのか。
 それとも、深刻すぎて、ASというものを対象化することが困難なのか。これはひょっとしたら、女性の場合はASというものが男性にくらべてそれほど「障害」にならないのかもしれない、という推定にも結びつきます。実際には男女比はもっと接近しているのかもしれない。だけど、女性は「健常者」として社会に適応しているのかもしれない。

質問2.
 自分で、「『どっちでもいいこと』が決められない」と思います?

 「『どっちでもいい』んだったら、どっちでもいいんじゃない?」
 「そうなんだけど、やっぱり『どっちでもいい』というと決められないんだよ」
 こういうタイプって、ASに多い……というか、ASの本質ってこういうところにありそうな気がします。それが「AS特有のこだわり」に見えるのかもしれない。

 「喫茶店で食事をするときは、必ずピラフ」とか、「カレー専門店では必ずチキンカレー」とか、「町の定食屋だったら必ずカツ丼」とか、そういった明確な「ルール」を持っているひとって多いような気がします。そうすると、迷わなくてすむから。

 で、「コインをトスして決めよう。表だったらラ−メン、裏だったらチャーハン」とかいって百円玉投げて、「おお、表だ」「え? 百円玉って、『日本国』って書いてあるほうが表なんじゃないの?」「……えーい面倒臭い! 両方食ってやるぅ!」。
 こういう人がいるから「半チャンラーメンセット」とか、「盛り蕎麦とミニカツ丼のセット」とかいうセットメニューができたのかもしれない。

 どう思います? (Maria)


光を見た 5283へのコメント
No.5314  Sun, 10 Jun 2001 13:49:21 +0900  ゆーり [この発言にコメントする]

コピーライターの糸井重里さんが
「ほぼ日刊イトイ新聞」で、このようなことを↓

http://www.1101.com/home.html

大学で心理学を教えている碓井真史さんが
「こころの散歩道」で、次のようなことを↓

http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/2001/syougaku/ippou.htm

述べておられます。
ネットというメディアで大きな影響力をもつお二人が
このような見解を述べられているということに、
ちょっと希望の光を見た気がしました。

まだまだ日本も、捨てたものじゃありません。


「サークル空間」
No.5312  Sun, 10 Jun 2001 13:00:40 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

 自己嫌悪に陥り、半壊状態だった僕でしたが、Mr.Motoさんの投稿でいくらか持ち直しました。
 では本題。

 皆さんは、サークル(同好会)活動の経験はありますか?
 ここで言う「サークル」とは、「あるもの、ことに興味や好意をもった者たちの寄り合い的集まり」で、「クラブ(部)」とは違った色彩の集団、と解釈してください。

 僕はこの「サークル」がASの人にはよい効果を発揮するのでは、と考えています。

 僕は大学時代、「クイズ研究会」に入っていました(確かこの場で同じようなことを言っていた人がいましたねー。ぴよさんだったか)。
 僕が「実生活でほとんど役に立ちそうにない知識」を多くもっていたので、これはピッタリだと思い、入りました。僕の「いいところ」を発揮するにはもってこいだと思ったのです。

 サークルでは、色々なことを経験しました。
 問題作りでは、内容の正確さが求められるため、図書館へ頻繁に行き入念に調べて調べまくりました。もともと「調査癖」のある僕にとっては、次々と新しい知識が入っていき、楽しいひとときでした。 
 クイズ大会の運営では、スポンサーへのアポイント(これは最も苦手)や、「どうやってお客を楽しませるか」を考えて企画を練るなど、「社会」へ触れる第一歩を経験しました(これが自分の社会性に疑念を抱くきっかけとなりましたが)。

 ここでよかったことは、サークルの人たちと僕がいくつか「共通項」を持っていた、ということでした(例:特定のジャンルにやけに詳しい、など)。ASの有無など関係なかったのです。「共通項」でつながっていたので、僕も違和感を感じなかったし、周囲も僕を「異常」とはみなしませんでした。
 
 僕はこう感じました。「サークルは、『特定の興味』『共通項』のつながり」であるのでは、と。「類は友を呼ぶ」ともいえます。
 ここでまたまた造語です(懲りないヤツ!)。僕はこれを「サークル空間」と呼ぶことにします。
 
 生まれてはじめて、「人とのつながり」がうまくできた、貴重な時間を送れたのです。(でも、それはこのときだけ。卒業後はまたつらい日々)
 そういった意味からも、サークル活動はASの人たちにとって、有益ではないか(所属するサークルにもよりますが)と思うのです。友人づくりのきっかけにもなりますし。

 「サークル空間」が本当にASへの助けになればいいと思っています。

 次の造語をひそかに模索している          ミッドランド


Re: 哀悼 5308へのコメント
No.5311  Sun, 10 Jun 2001 08:10:55 +0900  シンタロウ [この発言にコメントする]

くると wrote:
>
> また、何か障害がなければ凶悪な犯罪をおこすはずはないという
>のはちょっと短絡な気がします。

 僕もそう思います。何か障害が無ければ凶悪な犯罪をおこすはずが無いというのは間違っています。健常者でも凶悪な犯罪を起こす事もあります。
 障害を持っていても、本来なら凶悪な犯罪を起こす事は稀だと思います。
 近年、障害者による犯罪が増えてる要因の一つは、ひどいいじめが原因で人格が歪んでしまったことにあると思います。僕も小学生の頃ひどいいじめを受けていました。僕はいじめられる度に「殺したい」「いじめてる奴らを皆殺しにしたい」と、いつも思っていました。


Re: 精神障害者はみんなが犯罪者ではないのに… 5303へのコメント
No.5310  Sun, 10 Jun 2001 00:10:04 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

みどり wrote:
>話はそれますが
>
>> 製薬会社も、もっと安全な成分(天然系)の薬を作るべきだ!
>
>安全な成分(天然系) というのは、なんか大誤解を含んでる気がします。
>それとも、安全でかつ天然系の薬を作ってほしいの?
>
 安全かつ天然系ということです。もっとも分裂病の薬は人工的に作るしかないでしょう。
 でも、比較的軽症と言えるレベルの精神障害ならば、漢方などの天然系ほうがしっかりとした処方に基づいてやれば、はっきりとした効果が出そうな気がします。
「飲んでもただ眠くなるだけ」というトランキナイザーへの不満は、無視できないと思います。
 「人工のもの」そして「天然系のもの」この2つ系統があれば、「自分の体に合った薬」を見つけられるチャンスが増えるものと思います。

 しかしよく考えてみると、どんな薬でも100%症状を改善させることは難しいでしょう。ことに精神障害は、様々な要因が絡み合って生じているものです。その人が生きやすい環境を整えることも・いかなる困難さを持っているか理解することも・彼らをどのレベルまで周りの環境に順応させていくのかも、薬を飲ませるのと同じくらい大切なことのように思えます。

 一番の薬というのはやはり周りの人の「愛」なのでしょう。もちろんもらってばかりはいられず、返さなくてはならないので苦しいのですが・・・。人間は「愛」というものをやりとりしないと、まともに生きていけない脆いものだとこの事件を通して感じました。

 この事件で亡くなった8名の子供たちの冥福をお祈りすると共に、犯人が自分の犯した罪の重大さを速やかに悟ってくれることを願わずにはいられません。また、残された子供たちの心の傷が、本当に気がかりです。


Re: デリカシーの問題 5300へのコメント
No.5309  Sat, 9 Jun 2001 23:38:18 +0900  さくらかのえ [この発言にコメントする]

ゆーりさん wrote:
>マスコミの姿勢がこれから問われてくるでしょうが
>なんにせよ、
>
>子どもを取り囲んでマイクを突きつけるのはやめろ〜〜〜〜!!!!
>
>おまえたちには心がないのか?!

事件の第一報が載った8日の夕刊を見ましたが、どこもひどいものです。
生徒の証言をつなぎ合わせて、現場再現ドキュメンタリー風物語に
仕立て上げられた記事。どこに人が倒れていたとか悲鳴がどうとか・・・
新聞によっては、卒倒している保護者の姿や血塗れで手当を受けている生徒の姿の
写真などを載せている。9日の夕刊には、犠牲になった生徒のひとりの
プロフィール(どういう子どもだったかなど)を記事にしているところもあったし、
容疑者の「異常性」を強調するかのごとき、過去の話や近所の人のコメントなど、
被害者に対しても、容疑者と似たようなプロフィールを持つ人たちに対しても、
配慮のないことおびただしい。なにが原因だったのか検証もなされないうちから、
通院歴があったとか、安定剤を飲んでいたとかいうことを見出しに出した報道には、
これからいったいどうなっちゃうのかと恐ろしさを感じます。

新聞でさえこうなのですから、テレビの報道のひどさは想像する気にもなれない。

そしてまた、
こういう事件を口実にして、学校や公共の場などに警察が監視の目を光らせ、
「普通に見えない」人物は即尋問というような事態になる可能性まで
思い浮かべてしまいました。
扇情的な報道で一般市民の危機感を煽り、
それに乗じて、管理を強める。
考え過ぎでしょうか。

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