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Re: 質問(自分だけ語ってある?) 5540へのコメント
No.5568  Fri, 22 Jun 2001 07:52:29 +0900  Maria [この発言にコメントする]

シュッツさんwrete:
>理工系の本には「スペクトラム」を使うものも多いですよね、だからどちらを
>使っても違和感を感じないです

>「自閉圏」と「自閉症スペクトル」は別だと思ってました。
>自閉症から“健常者”に至るまでの全ての領域での、連続した変化の状態が
>「自閉症スペクトル」
>その中であいまいな境界より自閉症に近い領域が「自閉圏」
>私の頭の中での定義はこうです。

 とてもくだらないことを考えてしまいました。

 「自閉症スペクトル」というのは連続スペクトルなのでしょうか、それとも分散スペクトルなのでしょうか。
 吸収線とか輝線というのは、どうやってできるのでしょうか。

 発達段階において獲得するスキーマ(概念モデル)やアクシアム(基本法即)というのがあらかじめ決まっていて、その獲得の階梯(ステップ)を順次上がってゆくことで「障碍」を乗りこえてゆくことができるなら、分散スペクトル。
 そうではなくて、自閉症とASというのは質的に違うのではなく、単なる程度の差であり、その先に「正常」の世界があると考えると、連続スペクトル。

 発達段階において、ステップを上がってゆくことと、適応の度合いとが単調増加のかたちで進んでゆくのなら、輝線スペクトル。
 「鳥は飛ぶ」という知識のあとに「ペンギンは飛ばない」「ダチョウは飛ばない」「ヤンバルクイナは飛ばない」といった知識が入ってくると混乱してしまうように、「(発達が)進んでいる」「遅れている」と「(障害の度合いが)重い」「軽い」関係は、単純には捉えられない、と考えると吸収スペクトル。

 感じからいうと、「自閉症」というと、ある基本的なステップをクリアしてゆくことで、段がついたように発達してゆく感じがあり、ASのあたりまで来ると、連続的に発達はしてゆくんだけど、「例外」「競合するルール」のところで悩む、みたいな気がします。

 つまり、「分散スペクトル」から「連続スペクトル+吸収線」という感じ。

 そう考えると、「自閉症」は「算数」的で、「AS」は「数学」的という気がします。

 自閉症の場合は、基本となる概念を明らかにしていって、それをひとつひとつ着実に身につけるという「療育的アプローチ」が有効。
 ASの場合は、「こういうところで引っ掛かりやすいですよ」といったチェックポイントを用意しておいて、そこのところの競合を解消してやる「『教育+指導』的アプローチ」が有効。

 ……たんなる思いつきです。あまりマジメに受け止められても困りますが、どうなんでしょうか。

 (Maria)


はじめまして
No.5566  Fri, 22 Jun 2001 06:57:37 +0900  油江宏明 [この発言にコメントする]

始めまして。
私、現在、京都大学理学研究科の地球物理学教室に在籍している、油江(ゆごう)といいます。
実は、私は、大学入学試験前日、京都に向かう電車の中、激しい強迫思考により精神的に致命傷を受け、どん底のうつ状態に陥りました。辛うじて試験を受け、合格通知を得たものの、既に半ば寝たきり状態で、まともに勉強できる状態ではなくなっていたのです。結局、どうしていいかわからないまま月日がながれ、学生相談所から診療所通いを始めたときには、既に、3年半が、たっていました。そうして、10年後の現在に至っています。最近、新聞で、精神医療関係のWebサイトをみつけ、リンクをたどっているうちにこのページにたどりつきました。
小さい頃から対人関係がとれないうえに運動能力が鈍く、いじめにあうこともしばしばでした。苦しい強迫思考にも、いつも襲われていました。
小学校高学年ごろから中学校にかけて、どうも、自分は、周囲の人間から見てよくも悪くも「非常にかわっている」と見られているらしいことを、はっきり自覚しはじめました。それまでは、自分からは周囲の人間しか見えないため、自分も似たようなものだと思っていたものを、周囲と自分との違いをある程度自分自身で分析してみるようになったのです。しかし、自分が何者なのか、さっぱり分からない。この状態にある意味で知見をあたえたのは、高3の夏の、ある事件に関わる報道でした。当時、ある男性が、幼女誘拐殺人の容疑者として、大々的に報道されたことがありました。この数ページにわたる新聞記事を見て、唖然としたのです。これは、まさに自分のことをいっているではないか、いや正確には、周囲の人間が自分を見てこう見えるだろう、ということが書いてあるではないか、と。しかも、何日間かにわたる記事を読むにつけ、さらにその類似性がはっきりしてくる、事件の事実関係はともかく、自分と同じ種類の人間をようやく見つけた、それにしても、短期間で、よくここまで調べたものだと思ったものでした。そうして、責任能力の問題に絡んで、「強い分裂気質であることは確かだが、精神分裂病ではない」とかいう苦しい書き方がしてあったりして、「そうか、自分は分裂病だったのか」とある意味ようやく安心できる大地に着地したような気分でした。
話は、受験当日の朝にとびます。前日、致命傷を被った私は、初めて、精神的ダメージで起きられない、という状況に陥りました。このとき、思い浮かべたのは、不登校の問題で、当人が、大げさじゃない、本当に学校へ行けないんだ、と語っているという幾らかの新聞記事です。当時は、自分が極端な完全癖をもっていると自覚していたこともあって、ある程度、彼ら(彼女ら)のことを理解しているつもりでいたのですが、全くわかっていなかったのだと思いしらされました。自分は、とりあえず幼いころから強迫思考に襲われて、訓練ができているからなんとかなったが、普通の人間がいきなりこんなことになれば、部屋から、いやベッドからでられない、と。
そうして、なんとか大学に合格し、通っているうちに、自閉症やLD障害、精神分裂病などに関する記述がまさに自分のことを指している(すくなくとも自分にはそのように思えた)ことに気づき、その関係の本を、読みあさりました。
しかし、どうしていいかわからないまま時が流れ、学生懇話室に相談にいったのは、3年半後でした。それから、自分と同じような症状で苦しんでいる人が大勢いることをしり、なぜこういう情報をもっとオープンにしてくれていなかったのか、本当に悔しく思いました。もし本当にひどい状態になったときに、直ちに治療を受けていれば、あるいは、やりたい勉強をしっかりやって、希望の進路に進めたかもしれない。現実には、まともに勉強などできないまま、不本意な進路を強要されている。もし、あのとき、直ちに医療施設へ駆け込んでいれば、という無念さが頭をはなれません。
また、小、中学校時に受けたいじめも、なんらかの病名がついていればなかったのではないか、という思いが頭をかすめます。
そういう観点から、私は出来るだけ自分の状況を周囲にオープンにしようと努めてきました。しかし、大部分が、事の深刻性をわかってくれない、無関心、というのが現状です。それにもかかわらず、報道などによれば、多くの人が、精神障害などといった言葉に大きな抵抗をもち、差別を受けるとおそれ、医師も「障害」という言葉を出来るだけ避けているといいます。いったい、どういうことなのでしょうか。私自身は、これだけ自分をさらけ出しているのにもかかわらず、差別など受けたことがない、むしろ、その逆のことで、苦悩しているのです。

まとまりのない文章で申し訳ありませんでした。
よかったら、下記のアドレスのページでも見て下さい。
これから、ちょくちょく書き込ませていただきたいとおもいます。では。


***********************************************
油江宏明

京都大学理学研究科 地球物理学第五講座

E-mail yugo@kugi.kyoto-u.ac.jp
TEL 075-753-3953
URL http://www-step.kugi.kyoto-u.ac.jp/~yugo/
************************************************


Re: こんな形の「共存」がある。 5510へのコメント
No.5565  Fri, 22 Jun 2001 05:48:22 +0900  Nave [この発言にコメントする]


ミッドランド さん、こんにちは。
> 皆さんこんばんは、ミッドランドです。
> 僕の職業は何度も述べましたが、歯科技工士です。
おお、バスチアンくんのお父さんとおんなじだ!
(武田さんも同じこと書いていらっしゃいましたね)
かっこいい!!

> このように、性格も適性も正反対な職業が、歯科医療の世界ではうまく共存しているのです。
> ASと「いわゆる普通の人」の共存ができる、そんな世界のように思います。

"ASと「いわゆる普通の人」の共存"、けっこうありえるんじゃないかと思いました(お互いのいいところを活かしあって)。
ASには「職人」的な仕事が向いているのではと思います。
「歯科技工士」は思いつきませんでしたが、手先が器用であれば、ASな人にぴったりの職業のひとつですね。
私の場合は昔から「職人」の仕事にあこがれてきましたが、手先が不器用なのであきらめていました。でも結局、手先を使わないですむ「職人」的な仕事をしています。

> 神が授けた「一握りのチャンス」を存分に生かしたい      ミッドランド
黙々と真摯にお仕事に取り組むミッドランドさんの姿が目に浮かびます。
これからもいいお仕事、してくださいね。


Re: 落ち着く行為ってありますか? 5556へのコメント
No.5564  Fri, 22 Jun 2001 05:02:22 +0900  コーヒー [この発言にコメントする]

はじめまして、いつもROMさせてもらっています。

Tien wrote:
>こんばんは。最近自分で改めて気が付いたのですが、
>「(やみくもではなく)例えば、カードみたいなものを作成するように、きちんと
>線が引いてある紙を切ること」で、とても気分が落ち着くことに気づきました。
>
>あと、それとは逆に、冷蔵庫にマグネットで止めてある紙がきちんと揃っていない、または書類が揃っていないと(特にはじっこが)、とても嫌になることにも気が付きました。単に私が神経質なのでしょうか?そういう方いらっしゃいますか?

強迫行為を意識しないでやっている時、落ち着きます。
若い頃(中学生)何か対面したくないイメージ・観念を打ち消す時、ジャズの
即興アドリブ、ラップもどきの自己流スキャット、「しとしーとすててすれとと
ちしゃらすたぱっぷ」のような意味のない語を必死に口から唱え(はっきり音に
出しては周りにきこえるのでシャーシャー発声していました)この「強迫行為」
中は落ち着いていました(というか精神の平衡をとろうとしていた?)
若い頃はこれが巧く(?)できていたようでした。というのも「自分がこの行為
をしていること」に対しては意識しないでいたから(いられたから)

今またこのわけのわからないアドリブもどきが巧く(?)なりたいなぁと思ってい
ます。若いころの自分は、やはり自意識にがんじがらめの自分だったけど、ちょっ
とノスタルジィです。


コメニウス 5552へのコメント
No.5563  Fri, 22 Jun 2001 04:10:18 +0900  ぶち [この発言にコメントする]


ゆーりさん、こんにちは。ぶちと申します・・・

ゆーり wrote:

>ときは30年戦争、疫病大流行、魔女裁判、新教大弾圧で
>ヨーロッパの人口が3分の1に減った時代。
>ユートピア思想がもてはやされ、デカルトが登場し、近代科学の勃興で、
>ヨーロッパの思想が大転換する時代。
>
>神の摂理は、超然としてそこにあるのに、
>人間というのは自分が宇宙に組み込まれて
>きちんと役回りを果たしているとも気づかないで
>じたばたして、殺しあったり憎みあったりして、
>なんとあわれでおろかな生き物よ、というのがコメニウスの考え。

おもしろそう!おもしろそう!おもしろそう!
私はアジア文化大好きで、西洋物には全く興味がなかったんですが、
いいですねー。おもしろそう!


>なんか、まじめに語ってしまった。ひまだったら、読んでください。

探して読んでみます。こういう知らない事知ってる人大好き!
そんでもって、興味を持つきっかけをくれる人大好きです!
でも物を知らないんで、何でも誰でも「大好きっ!!」なんですけど。

すごいおもしろがりで、すごい知りたがりな、ぶちでした・・・


Re: 密かな楽しみ 5549へのコメント
No.5562  Fri, 22 Jun 2001 04:02:52 +0900  ぶち [この発言にコメントする]


どーも、こんにちは。ぶちです。
思わず児童文学の話題で、とびついちゃいました。


Maria wrote:
>あさかぜさんwrote:
>> 児童文学になじみのない方にはつまらない話題でしょうから、読み飛ばして
>>くださいね。
>
> 大人にも面白い子供の本は以外に多いです。

そうそう! 確かに子供の頃は楽しかったけど、大人になると・・・って
物もないわけではないですけど、どの年齢で読んでも良い物はたくさん
ありますよね。

私は今でも、時々引っ張り出して読んでます
(ま、私はいつまでたっても、子供みたいなもんなんですけど)。


>> 昔自分の読んだ本を、いつか娘が読んでくれたらいいな〜と思い、それにつ
>>いて語りあえたらいいな〜と密かな楽しみを胸にいだいています。

うちも兄や私が読んだ本がとってあって、小さい子用のものから、
娘が読んでます。引越しが多かったので、その間に知人にあげてしまった
ものもたくさんありますが、強く記憶に残っているものは、探して買い
なおしたりしてます。残っている本は、子供の頃の私の落書きを鑑賞
したり、話を読んでもらったり、自分で読んでみたり、とにかく娘は
楽しんでくれています。

ドリトル先生シリーズや、ナルニア国物語シリーズ等は、大人に
なってから少しずつ、自分のために買いました(図書館で借りてた)。
娘には、「これはもう少し大きくなってからねっ!」って言ってます。
中高の図書委員会の後輩から「指輪物語は文庫なんか買っちゃだめ
ですよぉ、雰囲気ないから!」って言われましたが、文庫です
(活字がちっちゃい・・・)。


> ちくま文庫、詩人の天沢退二郎さんが書いた『光車よ、まわれ!』。泣いたなぁ。ファンタジーの傑作です。

私も天沢退二郎さんのファンです。例の図書委員仲間でもあんまり
話にならなかったから、あんまりメジャーじゃないのかなぁって
思ってました。かなり嬉しいです。


Re: 落ち着く行為ってありますか? 5556へのコメント
No.5561  Fri, 22 Jun 2001 03:21:34 +0900  みどり [この発言にコメントする]

あるある、と思って最初に頭に浮かんだものは、みんな「落ち着く行為」じゃなくて、「しないと落ち着かない行為」でした。
髪の選別。気になる事項のてってー的な調査。ハマったゲーム。こういうのはちょっと違うなあ。半分強迫観念下でやってる気がする。
終わっても落ち着かないし、そもそも終わった気がすることがあまりない。

工作、ミシンかけや片づけもの (ためにためたやつをどっと) は落ち着くかもしれない。始めるまではすごく腰が重いけど、一旦始めたら、淡々と、でも静かな気持ちで作業します。ただし、工作系はできあがりを見て気分が荒れることもしばしば。

スーパーやデパートを意味もなく徘徊するのはすごく落ち着くな。数回目、がいちばん落ち着くかも。初めてだと落ち着くと言うよりはわくわくしすぎ。いつものスーパーでは、おもしろいものが見つからなくていらいら気味。

ちょっとハイになっていても落ち着く感じなのがプログラミング。とくにうまく行ってるときは静かな幸福感の中で、普段の1000倍くらいのスピードでコードを書く。
「明日も会社であのプログラムの続きがかける」と思うとちょっと幸せ。(ドキュメントやミーティングやデバグが控えてるとちょっと不幸せ)


悪知恵
No.5560  Fri, 22 Jun 2001 01:52:26 +0900  ゆうろ [この発言にコメントする]

僕は基本的に独り言しかできません
せっかく返事をかえしてきてきてくれてる人がいても、ありがとうございます
とか感謝の言葉をかえせないんです 
相手の方は反応がなくて物足りない感じをうけるでしょう
どうしても気のかよった会話ができないんです
だから哲学者のように偉そうなことを語り、知的な大人に相手にされようと
しているだけなのです 孤高ではなくまるっきり孤独なのです
反射しないんです 僕は古代の遺跡のようなものです

ここにきているかたは全て会話をしています
悩みを抱えていて誰かに救ってもらいたいわけです
ということは悩みを実感している自分をもっているわけで
他人とはっきり区別されてるわけです 境界ができてて自立しているのです
それが自分にはうらやましく思います
自分も悩みをもってみたいものです 

僕はこのように詩人みたいにかっこつけたしゃべりをします
昔はそんな悟っているような自分に自信をもち傲慢になっていました
ただの屁理屈が虚飾されたのです
そして知識ある大人を騙していったのです


落ち着く行為ってありますか? 5558へのコメント
No.5559  Fri, 22 Jun 2001 00:38:18 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

:
>>こんばんは。最近自分で改めて気が付いたのですが、
>>「(やみくもではなく)例えば、カードみたいなものを作成するように、きちんと
>>線が引いてある紙を切ること」で、とても気分が落ち着くことに気づきました。
>>
>>あと、それとは逆に、冷蔵庫にマグネットで止めてある紙がきちんと揃っていない、または書類が揃っていないと(特にはじっこが)、とても嫌になることにも気が付きました。単に私が神経質なのでしょうか?そういう方いらっしゃいますか?
>
 私の場合、活字・写真・テレビ・風景を見ることです。

 何かどっかで聞いた話ですが、風呂に入らない・鼻くそをいじくる・自慰行為といった人から嫌われる癖も、実は「落ち着きたい」という願望から生じているということらしいです。


ろうあ+知的障害 5551へのコメント
No.5557  Fri, 22 Jun 2001 00:16:17 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

ウミノモクズ wrote:
>
>「ろうあ」+HIVの場合、、
>病気の理解の無さから 人間関係がうまくいかなくなり
>仕事を辞めなくてはならなくなった男性がいます。
>
>+βで 共存は難しくなります 
>
>     
 私は以前、ある福祉作業所でボランティアをしていました。その作業所に1人ですが、「ろうあ+知的障害」という女の人がいました。その人とみんなは、職員の方がその人の手話を読みとって通訳するということで、初めて意志の疎通ができました。
 その人は、とても知りたがり屋でお節介なので、けっこうトラブルメーカでした。でもそれはよく考えてみれば、「孤独でたまらない」「何とかして自分をアピールしたい」ということだったと思います。私がいた間に一度ですが、職員の方を「どうして判ってくれないの!」と突き飛ばしてしまったことがありました。
 朝はいつも一番に、その人は作業所に現れていたようです。よく自閉症の人たちと一緒に袋のひも付け作業ををしている私の所に来て、仕上げたばかりの刺し子の図柄を見せてくれました。音楽療法の時は、太鼓の音の振動をことのほか喜んでいました。朝と帰りの会では、新聞で読んだことを必死になって話してくれました。私の服装のだらしがない所をよく指摘してくれました。
 そんな彼女と「コミュニケーションできるようになりたい」、それが私が手話を覚えたいと思ったきっかけです。もっともASで、物の動きを目で追う・頭の中のことを表現する・適切な覚醒レベルの維持が苦手な自分には、手話を身につけるのは非常に難しく、習い初めて2年たった今でもまだようやく独り言が言えるようになったくらいです。けど少しずつ、少しずつ表現できる言葉を増やしていきたいと思います。


落ち着く行為ってありますか?
No.5556  Fri, 22 Jun 2001 00:08:10 +0900  Tien [この発言にコメントする]

こんばんは。最近自分で改めて気が付いたのですが、
「(やみくもではなく)例えば、カードみたいなものを作成するように、きちんと
線が引いてある紙を切ること」で、とても気分が落ち着くことに気づきました。

あと、それとは逆に、冷蔵庫にマグネットで止めてある紙がきちんと揃っていない、または書類が揃っていないと(特にはじっこが)、とても嫌になることにも気が付きました。単に私が神経質なのでしょうか?そういう方いらっしゃいますか?


Re: 役者 5552へのコメント
No.5555  Fri, 22 Jun 2001 00:02:51 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ゆーりさん wrote:
>ゆうろさんの書き込みを見て、卒論でとりあつかったコメニウス
>を思いだしました。
>コメニウスは17世紀の人で、世界初の絵入り教科書『世界図会』を
>書いたので有名な人です。
>薔薇十字団を通して、後世のシュタイナーとも関連があります。

 コメニウスといえば、『大教授学』を書いたひとですよね。
 アイザック・ニュートンも「薔薇十字団」の、メンバーだと言われています。特にニュートンは、「近代科学の祖」というより、「最後の錬金術師」だという評価をしたひとがいます。

 同じコメニウスの影響を受けながら、ルドルフ・シュタイナーの「教育は芸術である」というテーゼとはまったく逆の、「教育は科学である」というテーゼに基づいて「水道方式」を開発した遠山啓(とおやま・ひらく)さんです。

 あたしはここ数年、三十年戦争当時のアルザス地方について興味を持って調べています。ヨーロッパの十字路、歴史の分岐点、そしてゲルマンとラテン、新教と旧教の衝突点。ヨーロッパ史が凝縮したような時代と場所だと思っています。

 おもしろいですよね。

 (Maria)


Re: 役者 5537へのコメント
No.5554  Thu, 21 Jun 2001 23:08:53 +0900  ノバラ [この発言にコメントする]

 はじめまして、ノバラと申します。

ゆうろ wrote:
>バスとか、電車とか社会的な交通機関を使ってるような人が苦手です
>あんなに人がいるのにキョロキョロしないで堂々としてるのが僕には無理
>都会に行くと自分はすごくちんけな存在だと感じる
>自信がなくなる場所だ 

 電車、とくに山手線のような向かい合わせの座席にちらほら人が座席につ
 いているシチュエーション。人は人を観察している。なにも悪い事してな
 いのに目が合うとドキドキする。心臓が張り裂けそうになる。だからいつ
 も本を持って読んでる振りをする。

>特に高校生は、強力な輝きをはなってて近寄りずらい
>なんでそんなにいかにも高校生なんだあ とか思う
>他にも、いかにも会社員だったり、いかにもフリーターだったり
>みんな自分のキャラというのがしっかりしてる
>オタクだと外見でわかる ギャルだと外見でわかる
>それぞれの人が街の一部、手や足になり精一杯生きてる
>みんな 配役をもらっている
>いじめられて悩む人も、いじめるひともそれも役だろう

 主役もいれば脇役もいる。光と影。

>お互い欠けているところを補完するためできた必然的なものだ
>問題なのは、この地球史の物語を放棄してしまったことだ
>役者じゃなくて観客になってしまった しかも無反応の客
>劇の中しかエネルギーはない
>だから自分も、なにか役をもらわないといけない

 もし叶えば、自分で役を勝ち取りたい! 

>他人から評価されたとき再び自分を知るだろう
>真面目な人だね とか 無口な人とか思われて
>最低レベルの役をもっらたことを実感するだろう

 実感、現実を感じること?登場人物になって現実に参加すること?

>実感できれば成功だ スタートだ 本物の時間が再びながれだした
>劇の中の登場人物になれたのだ  
>このシナリオが僕の理想なのです

 わたしがまだ自分の習性に気付いていない時、やたらと言葉ではない
 表現を求めてジャズダンス、舞、アメリカ人のピアニストにジャズを習
 ったりしました。ジャズダンスと舞(日舞のような)では発表会があり
 ました。舞台にでている瞬間は至福のときでした。そこでは完璧な存
 在になれるからです。言葉でないもので人に表現する、自分を堂々と
 アピール出来る刹那な時間。人には何かが伝わりわたしもそれを実感
 できました。
 わたしも、現実(わたしにとっては人が存在する空間)の世界で登場
 人物になりたい!
 でも、わたしにはまだシナリオは見えない。 
 見つけるまで負けたくない。
 なんだか良く分からないレスでごめんなさい。
 


Re: 役者 5537へのコメント
No.5552  Thu, 21 Jun 2001 22:23:02 +0900  ゆーり [この発言にコメントする]

ゆうろ wrote:
>それぞれの人が街の一部、手や足になり精一杯生きてる
>みんな 配役をもらっている

ゆうろさんの書き込みを見て、卒論でとりあつかったコメニウス
を思いだしました。
コメニウスは17世紀の人で、世界初の絵入り教科書『世界図会』を
書いたので有名な人です。
薔薇十字団を通して、後世のシュタイナーとも関連があります。

『世界図会』は、世界の万物を絵に表し、まるで劇のように見せることで
子どもがありとあらゆることを楽しみながら学べることを目的としていました。

「学習者としての子ども」=「観客」となります。

これを研究していて思ったのは、
コメニウスには、きっとこの世の出来事がまるで劇の中のもののように
思えたのだろうな。ということでした。
ときは30年戦争、疫病大流行、魔女裁判、新教大弾圧で
ヨーロッパの人口が3分の1に減った時代。
ユートピア思想がもてはやされ、デカルトが登場し、近代科学の勃興で、
ヨーロッパの思想が大転換する時代。

神の摂理は、超然としてそこにあるのに、
人間というのは自分が宇宙に組み込まれて
きちんと役回りを果たしているとも気づかないで
じたばたして、殺しあったり憎みあったりして、
なんとあわれでおろかな生き物よ、というのがコメニウスの考え。

でも、もし神が不在なら、
ますますもって、人間は、トンチンカンな役をおたがいに割り振って、
悲しいピエロを演じている、不条理な生き物のような気がする。
観客には、だれもなりえない。
みんなが、そこに、組み込まれているから。

なんか、まじめに語ってしまった。ひまだったら、読んでください。


Re: こんな形の「共存」がある。 5510へのコメント
No.5551  Thu, 21 Jun 2001 21:30:46 +0900  ウミノモクズ [この発言にコメントする]

> 一方、歯科技工士の場合はコミュニケーションなど関係なし、相手にするのは石膏や金属、ガスバーナーや研磨の機械といった、専ら「モノ」です。
> コミュニケーションで余計な苦労をする分を、技術の方にまわせるのです。歯科衛生士の場合、この両方をたずさえてなければなりません。
> 
> また、「ろうあ」であることが、歯科衛生士は欠格条項にひっかかりますが、歯科技工士はOKです。やはりコミュニケーションの頻度の違いからです。現に、ろうあで歯科技工士を務めている人は多数います。
>
> このように、性格も適性も正反対な職業が、歯科医療の世界ではうまく共存しているのです。
> ASと「いわゆる普通の人」の共存ができる、そんな世界のように思います。
>
> 神が授けた「一握りのチャンス」を存分に生かしたい


「ろうあ」+HIVの場合、、
病気の理解の無さから 人間関係がうまくいかなくなり
仕事を辞めなくてはならなくなった男性がいます。

+βで 共存は難しくなります 

     


罰男撲滅法 5520へのコメント
No.5550  Thu, 21 Jun 2001 21:14:30 +0900  KILROY [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> 「罰男」
>  →「人に認められたい」という欲求が強いのだが、判断力や自制心などが
>欠けているためたいていトラブルを起こし、そのトラブルを収拾・隠蔽しよう
>とする努力がさらにトラブルを拡大する、といったタイプの人物。

ぴよさん wrote:
>私は典型的な「罰男」なんですけど、
>仕事をしないと生活していけなさそうだし、困っています。
>どうすれば/どうされればよいのでしょうか。

 かつて私が勤務していた会社には、「棒」という制度があった。
 壁に人名を記した表が常時掲示してあり、誰かが「罰」な行動をすると、被害に遭った人間が合議した上でその「罰度」に応じてポイントを科し、その人物のところにその「罰ポイント」が加算される(「正」の字の一画一画で示されるため、これを「棒」と呼ぶ)しくみになっていたのである。
 で、この「棒」は飲み会のときに一本千円で清算されるのだが、これはそれほど本質的な部分ではない。
 この「棒」の数がその月で一番多い奴が「月間罰男」とされ、全員からの批判を甘んじて受けねばならぬ、ということになっているのである。
 で、これは「責める」「謝る」みたいなものではないのね。あくまで「質問」「説明」です。罰男は、自分がいかなる原因によっていかなる行為を行ない、それがいかなる影響を及ぼしたかを自分の口から説明し、自分がいかに愚かであり、その愚かさを克服するためにいかなる努力をしたかということを、全員が納得するまで説明しなければならないわけです。

 「罰男」の特性は、「すぐ忘れる」「舞い上がる」の二点です。で、「謝りゃ済む」みたいに思っています。

 ところがこのシステムでは、少なくとも一ヶ月間は自分の「罰」を意識していないと「月間罰男」への道が待っているのね。しかも「謝って済むもんじゃない」ということも覚えなければならない。同じ間違いを二度したら「無期限罰男」とみなされ、「無期限罰男扱い」が解除されるまでは職場でのステータスがどん底にまで落とされる、ということ覚悟せねばなりません。

 で、一ヶ月の期間が明けたからといって、油断はできないのね。「上半期罰男」「下半期罰男」「年間罰男(部門別)」みたいなのまでしっかり用意されているわけです。

 で、その時期が近づくと、
 「今月は×川の罰男で決まりだな。だいたいあいつは構造体の使い方がむちゃくちゃだ」
 「いやいや、×山とのダブル受賞もありうるぞ。あいつは設計の詰めが甘いから、真際になってでかいのが出る」
みたいな話にもなってくるわけですよ。

 つまり、職場にいる全員が、
  ・(自分を含めて)誰がどういう弱点を抱えているか
  ・どういう状況のときにどういう「罰行動」を起こすか
について、常に緊張状態を持って相互に監視しあっている、という状況ができあがるのですね。
 ソフトウェア開発において、これほど望ましい状況があるでしょうか。

 そのうちお客さんもこの制度に自主的に首をつっこんできたりします。
 客先でプログラムをいじっていて、「うっ……」とかいって詰まると、
 「……これは棒かなぁ?」とか言われます。
 「いやいやいや、大阪くんだりまで来て棒背負って帰りたくありませんから」
 「棒も荷物になるでぇ? 新幹線乗れるか?」
 「はっはっはっはっは、スキー宅配便で送ったります!」
 横で聞いてる事情を知らない人が変な顔をしてたりします。
 納品物件を納めて帰ると、会社に得意先から「棒でっせ〜!」と電話が掛かってきます。
 「△△の機能、メニューに入っとらんやないですか」
 「だからそれ、メニューアサイン変えたでしょ? ○月○日付の○○っていう文書で確認取ったやないすか。」
 「そっか……惜しかったなぁ……」
 こんな感じで気が抜けません。「ええい、行っちゃえ!」みたいな見切り発車をしてそれっきり忘れちゃう、みたいな態度が減ります。そのつど、きっちりきっちり確認しながら仕事を進めるようになります。

 この方法、なかなかに苛酷ですが効果的です。

 もっとも、これをやると罰男は「こんな、職場の人間関係を悪くするような制度は人権侵害だ! 即刻廃止すべきだ!」とか言いだすんですが。

 (KILROY)


Re: 密かな楽しみ 5545へのコメント
No.5549  Thu, 21 Jun 2001 17:33:16 +0900  Maria [この発言にコメントする]

あさかぜさんwrote:
> 児童文学になじみのない方にはつまらない話題でしょうから、読み飛ばして
>くださいね。

 大人にも面白い子供の本は以外に多いです。「ちくま子供の本」シリーズの中の石田五郎さんの『天文台日記』は、何度読みかえしたか分かりません。

> 昔自分の読んだ本を、いつか娘が読んでくれたらいいな〜と思い、それにつ
>いて語りあえたらいいな〜と密かな楽しみを胸にいだいています。

 子供の頃に読んだ本が、思い入れが強すぎてずっと捨てられませんでした。
 エリナー・ファージョンの『ガラスの靴』
 トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズ、『たのしいムーミン一家』、『ムーミン谷の冬』、『ムーミン谷の彗星』、『ムーミン谷の夏まつり』、『ムーミンパパ 海へゆく』。
 それを青りんごさんのお嬢ちゃんに差上げたら、熱心に読んでくださっているそうです。本にとっても本望だと思います。
 あとは、谷川俊太郎さんの『かさをささないシランさん』(←ちょっとテーマが重い)や、『アンノのアルファベット』の日本語版、安野光雅さんの『へそまがりのアルファベット』、レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』、コンラート・ローレンツの『ソロモンの指輪』。

 『つぶやき岩の秘密』の作者はあの『強力伝(ごうりきでん)』や『アラスカ物語』の新田次郎さん。NHKでドラマ化され、石川セリさんの歌った主題歌がよかったけど、あのラストはなんだぁ〜! NHKのばかやろぉ〜! 視聴料返せぇ〜! ついでながら『笛師』はおすすめ。

 筒井康隆さんの『時をかける少女』もありましたね。筒井さんのエッセーに「子を持って知る子の恩」というのがあって、近くの公園で、息子さんがブランコに乗りながら『時をかける少女』(原田知世が出演した映画のほう)のテーマソングを歌っているのを聞いて思わず涙したそうです。

 寺田寅彦先生が雑誌『赤い鳥』に書いた『茶碗の湯』というエッセーもよかったです。恩師である日大の牧野光雄先生が熱対流の理論に興味を持ったのはこのエッセーがきっかけだったとか。

 あとは忘れてならない『ファーブル昆虫記』。「子供の本」じゃないんだろうけど、子供のときに読んでおいてほしい本です。子供に『ファーブル昆虫記』を読ませる、というのは「押しつけ教育」じゃないと思うんだけどどうだろう。

 子供の頃に読んだ本で印象に残っているのは、岩波新書に入っていて最近岩波文庫で出た松田権六さんの『うるしの話』。これも子供向けの本じゃありませんけど、面白かったです。

 ちくま文庫、詩人の天沢退二郎さんが書いた『光車よ、まわれ!』。泣いたなぁ。ファンタジーの傑作です。

 こういう本は、子供に伝えていってあげてほしいと思います。そして、あたしもそんな本を書きたいと思っています。

 (Maria)

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