アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Mr.Moto wrote:
> ところがである。アメリカあたりから日本に来てみると、日本という国が
>どれほど天国に近い国かがよく分かる。
藤尾潔『大震災名言録 次の災害を乗り越えるための知恵』(光文社 知恵の森文庫) P.110より
【気配り的暴動】
ロス地震などに比べて、阪神では略奪のようなひどいことはなかったと言われている。
一日目、水を求めてさまよう被災者は、バタバタと道に倒れている自動販売機に駆けよった。そこからがロスと違うところで、阪神被災者たちは、
「WOOOO!」
と絶叫するかわりに、
「皆さん、これは倒れておりますからもうもらっとってもいいでしょうかね」
とか、誰にともなく言いながら、ロスなればハンマーで叩き壊すところを、日曜大工のねじまわしのようなものでちょこちょこと開け、
なお、
「まだたくさんありますから、どうぞ皆さんもお持ち帰りください」
と、周囲に気配りしながら持ち帰っていた。
パトカーも彼らを捕まえ、蹴り回す代わりに見て見ぬふりをして去り、シンポジウムでその状況を報告したジャーナリストも、
「私も一本もらいましたけど」
と最後につけ加えるなど、みんな大人であった。
(Maria)
I wrote:
> 人生は山あり谷あり Maria
あさかぜさん wrote:
> ……川あり空あり・・・・・・なんてやるから、嫌われるんだわ(すみません)。
働きあり女王あり、くろおおありとびいろけあり、ぐんたいありはきりあり……
(Maria)
Mariaさん wrote:
> ……玉井さんはこれを単に名前の多義性、みたいな形でとらえているけれど、じつはこれはけっこう厄介なことなのね。
まだ自閉症が腑に落ちていません。娘しか見ていないので、自分の体験と一般的な概念がどうつながるのか分からないけれど、書いてみます。
娘は言葉の獲得は「ふつう」の範囲でした。他のお子さんと比べたことがないし、兄弟もいないので、わたしが気にならなかったというだけのことですが。「他の人と比べない」「人より遅くても気にしない」がモットーでしたので。
ただ保育園の頃、他のお子さんが自身を呼ぶのに「○はね」「Mちゃんはね」と名前を使っていたのに、娘は「わたしね」「あたしはね」を使っていました。いつ頃からなのかは忘れましたが、ずいぶん大人びた感じがしたものです。
「お母さんのお母さんはおばあちゃんだよね?」とか「おじいちゃんはお母さんのお父さんのこと?」とか、たくさん質問してきて、じじ・ばば・おじいちゃん・おばあちゃん・祖父・祖母・叔父・叔母・父・母などの概念を自分でつかんでいるようでした。
わたしの呼び方は、かか→かあかあ→かあちゃん→おかあさんへと変化しました。「ママ」という呼び方はわたしが断固として認めなかったので、英語ではそう呼ぶらしいということが分かった時点で気にしなくなったようです。
ある日突然「あんた」と呼ばれてビックリ! つい一ヶ月ほど前のことです。「お母さんは血のつながった他人でしょ?他人だからあんたって呼んでもいいじゃん」が、娘の理屈でした。その通りなので、「そうだね。いいね」と答えて気にかけずにいたら、じきに呼ばなくなりました。
言葉で気になることがあると、娘はどんどん質問をしてきます。納得がいくまで親は答え続けるしかありません。漠然とした概念をとらえるには「想像力」が必要なのかな?とわたしは考えましたが、正しいかどうかは分からないです。
> はてさて。あたしたちはいったい何を教えればいいんでしょうか?
> あるいは、あたしたちは自分たちの知らないことを、どうやって子供に教えればいいんでしょうか?
「想像力」と言ってしまうと、これがまた説明のしにくいものですが、伸びる時期に目いっぱい伸ばしてやれれば、何かの役に立つのではないかという気がします。確信はないのですが。少なくともわたしはそういう方向で娘を育てています。
言葉遊びみたいなものも、既成の(たとえば谷川俊太郎さんの詩など)ものを使うより、独自に編み出したやりかたのほうを娘は好みました。
> たとえば、お母さんは自分のことを「ママ」と呼び、お父さんはお母さんのことを「お母さん」と呼ぶ、というのはひとつの方法だと思います。もちろんお父さんは自分のことを「パパ」と呼び、お母さんはお父さんのことを「お父さん」と呼びます。
これは思いつきませんでした。娘に呼びかけるときに「そこの娘さん」「姫さま」「お嬢さん」「やい、そこのわたし」など、そのときに思いつくかぎりの呼び方を使い、それもできるだけ楽しく聞こえるようにしました。と言うより、わたしがその呼びかけを楽しんだと言ったほうが正しいです。
> 人生は山あり谷あり Maria
……川あり空あり・・・・・・なんてやるから、嫌われるんだわ(すみません)。
「群れない。逃げない。」
某新聞のキャッチコピーですが、僕はこの言葉を初めて目にしたとき、「そうだ!」と瞬時に思いました。
「いわゆる普通の人(僕は『健常者』という言葉は、わざわざ相手を優位に立たせているように感じるので、こう言っています。)」は、群れている人、本当に多いですねー。
子供の時分、誰かと一緒でないとトイレに行けないヤツがいました。いま思うと、「お前アホちゃうか?」と言いたくなります。個人差のあるはずの生理現象がなぜ、集団で起こらなければならないのでしょうか?
大人の世界でも、昼飯は誰かと一緒でないと行けないだとか、自分の買い物をするのに他人を付き合わせたり、まさしく群れをなして井戸端会議なんてのも行われます。
こういった連中に一言。「アンタら、『自分の意思』っつうもんがないんかいっっ!!」
「逃げない」ということ、ASでなくとも人間にとって「自分を試す」ことであり、いいことだと思います。
でも、世間は「責任逃れ」の形で「逃げる」人、多いですねー。特に自分の発言に責任を持たない(掲示板荒らしをする人なんぞその代表格)、あるいは責任を問われるのを恐れて「逃げ口上」をする人。
かく言う僕も、今まで何度失敗や誤解を恐れて「逃げて」きたかわかりません。
しかし、前出のコピーを見て今までの自分のおろかさを痛感し、「逃げてはだめだ!」と自分に言い聞かせるようになりました。
また、この某新聞の広告には「オンリーワン」とも書かれていました。これもわが意を得ました。
そうです。自分は「ただひとり」なのですから、無理してうわべだけの関係で他人に付和雷同することなど無用です。「強固な意志」「裸の自分(ヘンなことを想像しないように!)」で世間に臨んでいこうではありませんか。
群れない。逃げない。オンリーワン。
これからのASの人にとっての「人生のモットー」であるように思います。(「いわゆる普通の人」にも捧げたいですけど)
それと、一度自分を疑ってみるのも大事だと思う ミッドランド
おにいさんのおにいさんは、おにいさん。
おねえさんのおねえさんは、おねえさん。
おかあさんのおかあさんは、おかあさんではなくて、おばあさん。
おとうさんのおとうさんは、おとうさんではなくて、おじいさん。
なんだかふしぎ。
おともだちのおともだちは、みんな、おともだちだ。
(みんなでひろげよう。おともだちの、わ)
かぞくのかぞくは、みんなかぞく。
おともだちがけんかをすると、かなしい。
かぞくがけんかすると、かなしい。
じんせいは、かんたんなほうが、いいとおもう。
(Maria)
どうも、シンタロウです。
またまた質問します。
皆さんは趣味に没頭する事はありませんか?
Maria wrote:
>
> 『ある子は、それまではやおなを「ママ」と呼んできた。それを「おかあさん」と呼ばせることにした。それは成功した。つまり、そのレベルの二重の構造の獲得には、成功したのである。すると、おもしろいことがおこった。ある日、いきなり「母」と呼んだそうである。その次には、しばらくして「女」といったという。これはどういうことだろうか。』
娘から「おかあさん」と呼ばれてました。就学してからしばらくすると突然「ママ」と呼ばれるようになり……。時々「母」と呼ばれたり「母親」と呼ばれる事もありました。
「女」や「祖母」や「長女」なども「引っ掛かる」言葉のようです。
>
> ……玉井さんはこれを単に名前の多義性、みたいな形でとらえているけれど、じつはこれはけっこう厄介なことなのね。
ほんとに厄介です。
>
> はてさて。あたしたちはいったい何を教えればいいんでしょうか?
> あるいは、あたしたちは自分たちの知らないことを、どうやって子供に教えればいいんでしょうか?
結局「いろんな意味を含んでいるのだ」としか教えられませんでしたね。
そこから先は経験値を上げる事で学んでくれーという心境です。
>
> こんなことを考えていると、なかなか筆も進みません。
そうそう。日常生活が円滑に進んでくれなくなりますよね。
いちいち「引っ掛かりながら」生活してますが、それでも慣れたらなかなか楽しい生活です。
『○○くんのおとうさんは「お年寄りに近い」んだって。』
『○○くんのおとうさんは幾つなの?』
『四十八歳だって』
『へ?じゃあ、お年寄りって幾つからなの?』
『五十一歳から』
『そんな若くで年寄りなの〜。』
『じゃあ、お年寄りって幾つからなの?』
『う〜〜〜ん。わかんない』
『?????』
年金の受給年齢からなのか?
バスのフリーパスをもらえる歳からか?
髪が白くなってからなのか?
「お年寄り」って幾つからなんでしょう?
> 人生は山あり谷あり Maria
山あり谷ありだけど、あの子なりに成長しているようですよ。青りんご
玉井収介さんの『自閉症』(講談社現代新書697)には、こんなエピソードが出てきます。
『ある子は、それまではやおなを「ママ」と呼んできた。それを「おかあさん」と呼ばせることにした。それは成功した。つまり、そのレベルの二重の構造の獲得には、成功したのである。すると、おもしろいことがおこった。ある日、いきなり「母」と呼んだそうである。その次には、しばらくして「女」といったという。これはどういうことだろうか。』
……玉井さんはこれを単に名前の多義性、みたいな形でとらえているけれど、じつはこれはけっこう厄介なことなのね。
たとえば、
「あなたはママについてどう思いますか?」
「あなたは母についてどう思いますか?」
というのと、
「あなたはおかあさんについてどう思いますか?」
というのでは、意味が違ってきます。したがって、「ママ」=「おかあさん」ではありません。
また、
「ママ!」
と呼ぶことはあっても、
「母!」
と呼ぶことはありません。ですから、「ママ」=「母」ではありません。
さらに、「母親」というのはまた別だったりします。
「あなたは母親についてどう思いますか?」
の場合は、話しかけている人の「母親」だし、
「母親!」
と呼ぶことはないからです。
また、「母」と「女」の関係というのも、けっこう難しいものがあります。
「彼女は美しい女性です」
は、
「彼女は美しい女です」
と同じ意味です。
だけど、女性⊂人間⊂動物だからといって、
「彼女は美しい女性です」
が、
「彼女は美しい人間です」
や、
「彼女は美しい動物です」
を含意すると考えちゃっていいのでしょうか。
「彼女は私の母です」
と、
「彼女は私の女です」
を含意しません。
また、
「その鼠は大きい鼠です」
から、
「その鼠は大きい動物です」
は言えません。
はてさて。あたしたちはいったい何を教えればいいんでしょうか?
あるいは、あたしたちは自分たちの知らないことを、どうやって子供に教えればいいんでしょうか?
たとえば、お母さんは自分のことを「ママ」と呼び、お父さんはお母さんのことを「お母さん」と呼ぶ、というのはひとつの方法だと思います。もちろんお父さんは自分のことを「パパ」と呼び、お母さんはお父さんのことを「お父さん」と呼びます。
こんなことを考えていると、なかなか筆も進みません。
人生は山あり谷あり Maria
Tien wrote:
>シンタロウ wrote:
>>どうも、シンタロウです。
>> 久々のカキコです。ところで皆さんに質問します。
>>皆さんは「日本の社会は腐ってる!」と思ったことはありませんか?
>
>こんばんは、シンタロウさん。
>私もそう思いはしますが、考えてみると自分も蒸留水のように純粋なわけはなく、
>むしろ、腐っていると思えます。どこでも同じじゃないですか?
>腐っているのが嫌いなら、腐ったのがないところ=秘境カイラス山にでも
>行くしかないんじゃないですかねえ。もうすぐ中国政府が開山許可すると
>いって騒動になっていますけど。
>
>腐った中から花を咲かせる気でいる蓮根女、Tienでした。
そうである!私たちAS族は腐敗したものを食い尽くしていく、浄水バクテリアでありたいものだ!
Tienさんwrote:
>重水って何色をしているのでしょうね?
見た目はふつうの水とおんなじ。無色透明。
話はぜんぜん違いますが、日大習志野校の風洞実験室のお向かいは原子力棟でした。だから(「だから」とか言ってていいのか?)、そこの裏山には近づくひとがいませんでした。牧野研究室と内藤研究室のメンバー以外は。
だから、季節になると「あけび」が採り放題。「原子力あけび」と呼ばれていました。
(Maria)
Tienさん wrote:
>ところで、原子力発電所の冷却水をご覧になったことはありますか?
>宝石で言うと、グリーンアクアマリンというかパライバトルマリンというか、
>引き込まれそうになる色で、やっぱり美しい物には毒があるんだなあと実感した
>ことがあります。
ぷちさん wrote:
>余談ですが、原子炉って出力あげると、すごく綺麗な青に水(そこは
>軽水炉)が光るんですよ(研究用の炉で見た)。放射線バリバリかと思うと、
>「きれー」とだけは言ってられないんですけどね。
「チェレンコフ輻射光」ですね?
あたしはつねづね『ゴジラ』シリーズを見ていて、あの蒼さをどうして表現してくれないんだぁ、と憤っています。
「ゴジラ」の名付け親、網蔵史朗さんには、スキーでコブ斜面におけるターン技術を教わったことがあります(石打丸山スキー場、ジャイアントコースです)。立教大学出身で、ラグビー部で鳴らしたそうです。一度、立教大のラグビー部OBの試合をニュースで取り上げたときに、網蔵さんが写っていて、「あっ! 網さんだぁ!」と思ったことがあります。
網蔵さんは、『ゴジラ』が製作された昭和二十九年当時、東宝の宣伝部にいました(NHKの『プロジェクトX』では、俳優養成所にいたということになっていましたが、あれは映画に出るというので一時的に在籍していただけです)。で、現在はIOC委員である猪谷千春さんなんかと一緒に、当時は一般的ではなかったスキーの振興に力を入れておられました。
で、『ゴジラ』の企画が持ち上がったときに、宣伝部にいた網蔵さんに、怪獣のネーミングについて相談が持ちかけられました。
「巨大で凶暴なイメージっていったら、何だろう」
「そりゃあ、ゴリラか鯨だろう」
ということで、「ゴジラ」という名前がつけられたのだそうです。
網蔵さんは、「容貌魁偉なおっさん」みたいに言われていますが、はっきり言って二枚目です。戦後、誰もが栄養失調みたいな生活をしてた中で、横綱・輪島もかくやという感じの(当時まだ輪島は生まれてもいなかったと思いますが)網蔵さんは、かなりおモテになったようです。
で、「ゴジラの網蔵さん」と呼ばれていたのが単に「ゴジラ」と呼ばれるようになり、そのうち「アミゴン」とかいろいろ呼ばれていました。だから、「網蔵さんのニックネーム=ゴジラ」から「ゴジラ」というネーミングがされた、というのは本当ではありません。
ついでながら、Joshyaさんの従妹にあたる女性(めちゃめちゃ美人です)が就職したら、社内で網蔵さんを見かけたのだそうです。
「あ〜ら、網さんお久ぶりぃ。どうしたの? こんな所で」
「ユキちゃん(従妹さんはそういう名前です)、『網さん』はやめてくんないか。」
「なんでぇ?」
「オレ、ここの社長なんだよ」
その後しばらく、「あんなに若くて美人の愛人がいたとは。さすが網蔵さん」みたいな話が社内にあったとか。
『アスペルガーの館の掲示板』にはなんの関係もありませんが、とりあえずは網蔵さんの名誉のために。
合掌。 (Maria)
こんにちは、ぶちです。すっかり横レスです。
Maria wrote:
> 同位元素の化学的性質は本当なら同じはずなんですけど、重水は比重が1.1とかいう重い分子なので、さすがに生物にとっては「異物」みたいです。ですからビール工場の廃水には代謝されなかったカスとしての重水が多く含まれているという話を聞いたことがあります。
> そんなわけで、飲んだら下痢くらいしそうな気がします。試したわけではありませんが。
え?ダメなの?知らんかった・・・化学的には同じだから大丈夫
かと思ってました。重水素って自然界にも少量ながら存在するわけ
だから平気なんだと思ってました。
先生も大丈夫って言ってたような気が・・・(でも主婦生活が長すぎて、
記憶が・・・すごい曖昧)
うーんと、私も飲んだことはないですが、大丈夫か、Mariaさんの
言う通り、ちょっと体調崩すくらいですむと思うんですが・・・
(自信なし)
余談ですが、原子炉って出力あげると、すごく綺麗な青に水(そこは
軽水炉)が光るんですよ(研究用の炉で見た)。放射線バリバリかと思うと、
「きれー」とだけは言ってられないんですけどね。
Mariaさん、重水のことについてありがとうございました。
すっきりしました。
ところで、原子力発電所の冷却水をご覧になったことはありますか?
宝石で言うと、グリーンアクアマリンというかパライバトルマリンというか、
引き込まれそうになる色で、やっぱり美しい物には毒があるんだなあと実感した
ことがあります。
重水って何色をしているのでしょうね?しつこくてごめんなさい。
Maria wrote:
>Tien(蝶)さん wrote:
>>腐った中から花を咲かせる気でいる蓮根女、Tienでした。
>毒を喰らいつつ毒に犯されない孔雀女じゃなかったんですか?
>あなたのファンであるMariaより。
孔雀女=そうです!腐った、に引っかけて蓮根を登場させてみたわけです。
ファン(様)がいるなんて、もう感涙です。私にはもったいない...。
以前何かの本で読みましたが、高野山でも「孔雀明王経」を唱えることが
できるのは特別の高僧だけが特別の時だけで、読経すると空が割れると言います。
法隆寺宝物特別展で「孔雀明王像の掛け軸」を奈良で見ましたが、
それはすごいものでした...。
こんにちは。ぶちです。
Tien wrote:
>あと、フランス原作の「ぞうのババール」もお勧めなんですけど。
>「メアリー・ポピンズ」「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」も好きです。
そうか、ぞうのババールって面白いんだ。今度探して読んでみます。
アリスは英文で読むといいですよね。でもちょっと難しいけど・・・
私は解説書を脇において読みました。
>天沢さんという詩人の方はしりませんでした。探してみます♪
ずーっと知らなかったけど、私の持っている宮沢賢治の詩集
(これまた文庫・・・ほほほ・・・)の後ろの解説を書いてらっしゃい
ました。機会があったら読んでみて下さい。
>でも、意外と童話をちゃんと?読んだ人って少ないと思いませんか?
>私はいつのまにかそろえて貰ってたので、そんなものだ、と思ってました。
え、そうなの? いいなー!! 羨ましいなー!
うちはなんとか少年文庫とか子供文庫とかいう、大正の終わりから
昭和の初め発行の本が幅を利かせていて(それもすごい量)、シリーズ
物で揃っていたのは、シートンとファーブルくらいでした。もちろん
本は買ってもらいましたけど、基本的には学校や公共の図書館で
読みました。一番初めはちゃんとは読んでないですが、好きな物は少しずつ
小遣いや(大きくなってからは)給料で買って、何度も読み直しました。
>フランス本国で「ぞうのババール」のぬいぐるみをいい年して購入したのは
>私ぐらいなものでしょう。(^^;)
うちはおさるのジョージのTシャツ、家族で着てます。
(もちろんうちの旦那さんも)
ぶちです。すっかり横レスですが・・・
青りんご wrote:
>かもしれないけど、お若いお二人には諦めてほしくないなぁ〜。
>オバサンは諦めてないぞ〜。
うーん、諦めて欲しくないなー、私も・・・
私も諦めてないぞー!!
なんとかなるって信じたいですっ!
シンタロウさん wrote:
>皆さんは「日本の社会は腐ってる!」と思ったことはありませんか?
ないです。
しかし腐ったことを言う人や腐ったことをする人はいますね。
Tien(蝶)さん wrote:
>腐った中から花を咲かせる気でいる蓮根女、Tienでした。
毒を喰らいつつ毒に犯されない孔雀女じゃなかったんですか?
あなたのファンであるMariaより。
Tienさんwrote:
>すみません、唐突なんですけど、ちょっと前から気になってしょうがない物が
>あります。「重水」って何に使えるのですか? 飲用に出来るのですか?
>ああ、気になる。どなたかご存じ無いでしょうか?
水爆の原料になります。水爆というのは、早い話が原爆の周りに「重水素化リチウム」という物質をくっつけたものですから。
また、原子炉にも使われることがあります。核分裂によって発生する中性子は、そのままでは持っている運動エネルギーが大きすぎて(スピードが速すぎて)、連鎖反応を起こしにくいんです。ですから、減速材として、重水が使われます。同じように減速材として使われるものに炭素棒(いわゆる制御棒)がありますが、炭素ってほら、固体じゃないですか。暴走したときに怖いんですよね。だけど、重水だったら水だから蒸発してしまいます。それで連鎖反応が止まって暴走しないわけです。そこで、一次冷却水兼減速材として重水を使うのが「重水炉」。ふつうの水を使うタイプの原子炉を、「軽水炉」といいます。
同位元素の化学的性質は本当なら同じはずなんですけど、重水は比重が1.1とかいう重い分子なので、さすがに生物にとっては「異物」みたいです。ですからビール工場の廃水には代謝されなかったカスとしての重水が多く含まれているという話を聞いたことがあります。
そんなわけで、飲んだら下痢くらいしそうな気がします。試したわけではありませんが。
なお、重水素には二種類あります。陽子一個から成る水素の元素記号はHですが、陽子一個と中性子一個の重水素デューティウムがD、陽子一個と中性子二個からなる三重水素トリチウムがTです。
これ以上詳しい話になると、KILROYさんの出番です。水爆を自作して東京を壊滅させる、とかいう御要望がございましたら、そのむねお問い合わせください。もっとも核兵器の自作はなかなか大変です。あたし個人としては生物兵器をお勧めします。
なお、核兵器(インプロージョン型、いわゆる「ファット・マン」タイプの原爆)の自作については、沢田研二主演の映画『太陽を盗んだ男』が参考になります。
本日は黒MariaなMariaでした。まる。
(Maria)
3 wrote:
>スペクトラムってあの光を色に分けたものですよね?
>自閉症〜普通の間って、赤・紫・青といった明確な線引きはなくて、白から黒への
>グレーゾーンだと思います。
>この掲示板に参加している人は濃淡の差こそあれ、色がないという共通点で
>分かり合えちゃうのかな。
>ところで、自分のこと好きになれますか?
3さん、こんばんは。
自分のことは最近好きになりました。ここにおいでになる方々の励ましの
賜物だと感謝しています。
誰も好きになってくれなければ、自分で自分を好きにならないとあまりに
自分が可哀想だな、と思うようにもなりました。
自分を色でたとえると、角度で色が変わるプリズムだと思います。
あるいは全てを包括した黒色かも。
そういえば最近気が付いたことがあります。
私は黒板をチョークでひっかく音、機械のキキーッと言う音を聞くと
なぜか、金臭ーいにおいが、鼻と頭の中に同時に出現します。
これは「共感覚」なのでしょうか?
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© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami