アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
PSW wrote:
>
>こんなもので、病名など都合上つけるのであって、一つの個性としてしまえばそれはそれでいいのではありませんか?世の中にはもっと変わった人、個性の強い人、
>偏屈な人がたくさんいても本人はさほど気にもせず普通に暮らしていますから・・
>社会生活が出来るようでしたら何の問題もないでしょう。そうではなくて、同じ
>ASでも障害者手帳を申請しなくては生活が困難な人もいます。ASでは認定
>してもらえないので精神障害者という病名を付けざるを得ません。ここに
>書き込みをされる方なんかは私からみればホントに普通のかたと同じに見えます。
こんにちは。さきほど書き込みしたばかりのマルハナバチです。書いてしまってから、どうもうまく言えてない気がして、ずっと考えこんでいました。やっと、自分が違和感を感じたのがどの部分だったか見えてきたので、改めてもう一度書きますね。
重度の方をたくさん見ておられる方から見たら、軽度のくせにぜいたくに見えるのでしょうね。でもね、「一つの個性と思う」っていうのと、「診断名をつけてもらう」っていうのは、排他的な概念ではないと思うんですよ。
私の場合、「診断名をつけてもらったこと」によって、初めて、「一つの個性」って思えるようになったからです。
それまで、なんていうのかなあ、健常者のクズ、ゴミ健常者、健常者の出来損ないって思ってたのが、「AS」って診断がついて、その後、自助団体でおおぜい他のASの人や自閉症の人や発達性言語障害の人やチック障害の人と会ってみて、「ここでは普通だ」って思えて、それから初めて、「AS族」みたいな、集団アイデンティティみたいなものを手にすることができたのです。
そうそう、「個性」って、世間では簡単に使われているけど、これ、けっこうキツイ言葉ですよ。天才的な芸術家とかならともかく、一人で一流派、一人で一看板を張れる人なんて、そうそういるはずがありません。天才的芸術家でさえ、芸風があり、流派があり、その中での個性を発揮してるわけでしょう?
私は「AS」っていう診断を受けて、厳密に言えば「個性」というレッテルではなく「流派」「芸風」というレッテルを手にしたのだと思います。でもまあ、「AS」は人数が少ないから、一人しかいない地域社会に戻れば、そこでは「個性」になるわけですけどね。
「仲間がほしい」「自分がどの流派なのか、どんな芸風なのか知りたい」っていう思いを持っている人に対して、「一つの個性と思え」っていうのは、ある意味で、とても残酷な言葉になってしまう危険を感じます。
もう一つ、思い出話を許していただけますか。
私は今、めったに外出しませんし(外出しないでいい仕事を見つけたからです)、外出するときは、帽子をかぶっているか、丸坊主スタイルにしているか、どちらかなのですが、
高校までは、制服ですから、帽子をかぶるわけには行きませんでした。
私はね、抜毛でハゲだらけなんですよ(笑)
いまでは、帽子もかぶれる、丸坊主にもできるっていうので、ハゲはそんなに気にしていません。でも、なぜ気にならなくなったか。それはある本を読んでからです。とっくにご存じの方も多いのに、無知扱いするな、って怒られそうですが、違うんです、話の流れなんだから許してください。
ジュディス・ラパポート「手を洗うのが止められない」晶文社 っていう本でした。
もちろん、タイトルの通り、強迫性障害の本です。私はたまたま、神経科の本読むの、趣味なんですよ。心の本っていうか精神科関係とか精神分析の本とかは、わけわからないし難しいし嫌いなんです。神経科の本は、ほら、自分がどうとかっていうんじゃなくて、科学書として好きなんですよね。地質の本が好きとか、進化の本が好きというのとおんなじで。だからこの本も、趣味の科学書として読みました。でも、そしたら、中に一章、抜毛の話が出てきたのですよ。
うわ、抜毛も強迫のお仲間っていうか、親戚だったのか! しかも、生物学的なもので、内服薬がきくこともあるのか! 意志が弱い、ダメ人間だからじゃなかったのか!
もう、びっくりしましたね。何て言うか、すごく救われたけど、これまでの私の人生、何だったの、っていう取り返しのつかなさっていうか、徒労感みたいなものを感じました。
子どものときは、抜毛を叱られ、罰を受けていました。直そうというので、睡眠学習テープ(マクラにエンドレステープ入れるやつです)とか、いろんな方法もやりました。あと、親は私がいやだというのに高価なカツラを作ってくれて、私はいやだからかぶらないので、せっかく大金を出したのにともめたり、そんなこともありました。
大きくなってからは、抜毛が治るならって思って(まあ抜毛だけじゃないんですけどね。カンの悪さとか、物忘れとか、全部ひっくるめてですが)、断食とかヨガとか、新興宗教みたいなのとか、ナントカ訓練みたいなのとか、いろんなことを試して、大金を失い、時間を失い、自信も自尊心も失いました。
今思えば、新興宗教みたいなとこへ行ったときも、チックを直そうとして来た人がいました。今思ったら何だかすごくADHDっぽい雰囲気の人(もちろん、ADHDかどうかなんて、素人の私がわかることではありませんから、あくまで可能性だけの話ですが)で、遅刻や物忘れや失くし物や整理整頓下手や大言壮語や飽きっぽさを気にして断食をしているという人もいました。
あと、直接会った人ではないのですが、言語性LDの人で、診断がつく前は、「内向的な性格のせいだろう」と思い込んでいたので、東洋の宗教にのめり込んだっていう人の話も聞きました。瞑想とか、苦行とか、お金もずいぶん使わされたそうなので、きっと何か、カルトみたいなものだったのかもしれません。
でも、その人の場合、名詞の想起が弱いっていうタイプだったらしいから、そりゃあ会話してて単語がなかなか出てこなかったら、コミュニケーションだってしにくいし、「内向的な性格」みたいに見えるかもしれませんけど。
何かね、名前がつくことによって、別の原因(怠けている、親との葛藤が原因、性格が悪い、意志が弱い、等々)の可能性がつぶせますから、無駄なあがきをしなくてすむようになります。
たとえ、治療法のないものであったとしても、
あるいは、治療法はあるけれど、名前を知ったらそれ以上はもういいやと思って治療を求めないにしろ(ADHDと聞いただけで安心して、別にリタリンとかはいりませんっていうのがこのタイプですよね)、
「ほかのものじゃない」って知るっていうのは、それだけで、弾丸数をしぼれるようになるんですよ。下手な鉄砲だから数撃たなくては、っていうシバリがとれる。
そういえば、ASとかADHDとかの存在を知る前は、自分はACかな?と思ってた人って結構、いるんじゃないでしょうか? ASやADHDやLDの子って育てにくいから、子どもが親を育児ノイローゼにしちゃったりすることがあるかもしれないし。
そういう人が、たとえば自分のAS的傾向に気づくことで、「親に虐待されたのは、自分がたまたま育てにくい子だったからなんだ」とか、「親が冷淡だったのは、親にもチョッピリASっぽい素因があったのかなあ」とか、「親があんなにカッとなってキレては乱暴してたのは、ちょっとADHDっぽいタイプだったのかなあ」とか、そう思って、「親への恨み」から脱却していける、「親問題」から卒業していけることもあるのかもしれません。
PSW wrote:
>こんなもので、病名など都合上つけるのであって、一つの個性としてしまえばそれはそれでいいのではありませんか?世の中にはもっと変わった人、個性の強い人、
>偏屈な人がたくさんいても本人はさほど気にもせず普通に暮らしていますから・・
>社会生活が出来るようでしたら何の問題もないでしょう。そうではなくて、同じ
>ASでも障害者手帳を申請しなくては生活が困難な人もいます。ASでは認定
>してもらえないので精神障害者という病名を付けざるを得ません。ここに
>書き込みをされる方なんかは私からみればホントに普通のかたと同じに見えます。
>内面のことは本人しかわからないので文章だけでは判断できませんが。
こんにちは。こだわりとパニックと感覚過敏に縛られていますが普通のかたのマルハナバチです。社会生活は、できていますね。月に1、2度しか外出しないで、メールで納品する仕事についてからは。それまでは、できてませんでしたけど。
ここに集まっている人たちは、普通に生活できているのに、どうしてASの診断などほしいのか、不思議に思われてる方は多いみたいです。
私自身は、ASの診断を求めて専門家を訪ねたことはなくて、ADHDかなあ、もしかしたらLDも重なっているのかも? と思って調べてもらったら「そうじゃなくてAS」って向こうから言われたクチなので、「ASかなあ?」って思って調べてもらおうとしている人たちの代わりに発言するみたいなことは失礼だからしてはいけないのかもしれないのですが、でも、私が「ADHDかなあ?」って思っていたときの状態に似ているので、ちょっと書いてみますね。
ASもADHDもLDもOCDも、生物学的障害ですよね(LDとASは器質的だけどADHDやOCDは化学的なっていう違いはあるみたいですが、まあオイトイテ)。ということはね、私は思うんですけど、「ASじゃないか?」「ADHDじゃないか?」って思って確かめたがっている人たちっていうのは、
「健常者→障害者」という移動を求めているというよりも、
「心の問題→脳の問題」という移動を求めているんじゃないかっていう気がするんですよ。
何かもっと、器質的なもののような気がする、何かもっと、認知の問題のような気がする、何かもっと、生理的なもののような気がする…… そういう違和感がある人が割合に多いのではないかしら。
アメリカの人で、成人してから「多動のないADHDの軽症例」って診断された知り合いがいるんですが、その人は、ADHDっていうものの存在が知られるようになる以前、別の診断をされていました。「受動攻撃性人格障害」っていう名前だったそうです。
その人はずっと昔から、「忘れ物」「なくし物」「待ち合わせに遅れる」「締め切りに遅れる」「家事を途中でほったらかしにして忘れる」「人の話を聞いていてうわの空になる」といった問題でひどく悩んでいました。確かに、ADHDの人には「ああ、あなたもね!」と言われるようなものばっかりですね。で、この人が「受動攻撃性人格障害」って言われていた根拠も、おんなじ症状でした。「待ち合わせに遅れるのは、無意識のうちに相手を待たせてやりたいと思っているから」「借りた物をなくすのは、本当は、貸してくれた人を傷つけたいから」という解釈をされていたのだそうです。
でもその人は、「何か違う気がする」「そんな心の問題よりも、何かもっと生理的なもののような気がする」「何かもっと認知の問題のような気がする……」っていう違和感をずっと持ち続けていたそうです。
彼女はそこで、「忘れるのは、やはり無意識の攻撃ではなくて、ただの物忘れだという気がする。痴呆かもしれない」と考え、長年通っていた精神科を離れて、神経科に行き、「痴呆の検査をしてほしい」と言ったのだそうです。そして、その神経科で、「痴呆ではなくADHD」と言われたとのことでした。
アメリカでこの人に会ってこの話を聞いたとき、私はとても他人事とは思えませんでした。私は日本に住んでいたので、そして、日本では「受動攻撃性人格障害」なんて言葉がハヤリになったり、通俗解説書が売れたりしてなかったから、そう言われないですんだだけで、私がずっと昔、通っていた病院での説明も、内容的には似たような説明でした。教室が見つけられなくて講義に遅れるのは、講義に出たくないから。待ち合わせに遅れるのは、会いたくない相手だから。そんなに失敗ばかりしたくなる原因を一緒に探りましょうね、というような感じだった気がします。
でも違和感は残りました。「あの、予習バッチリで自信満々の講義でも、やはり迷子になるんですが……」「あの、お金をためて買った、お気に入りの時計も、やはり失くしたんですが……」っていう違和感です。
だから私も、ADHDを知らなかったころ、痴呆を疑ってみたことがありました。もう一つ、私は七歳のときに頭部外傷をやってるので、そのときに小さな傷でも残ったかなとも思いましたが、でも、私は二歳ごろからうっかり者のぼんやり者のオッチョコチョイだった記憶があって(それ以前の記憶はありません)、頭部外傷の前後で変化した覚えが全然ないから、それも違うという気がしました。で、そのときかかっていた先生に、「痴呆の検査してください」って言って笑われて断られたことがありました。「痴呆だったら大学に入れるわけありませんよ」ってね。
こんなこともありました。
私は、「奥行きがよくわからなくて、景色が平べったく見える」と先生に訴えたことがありました。
それで、いろいろと、あれはどうですか、これはどうですか、こんなことがありますか、と先生にきかれたのですが、何か話がかみ合わない。
先生は現実感の喪失みたいな話をしておられて、私は奥行き知覚の話をしてたんですよ(爆)
「そういうことじゃなくて、先生。ドアのノブで突き指をするし、つり革の手前で空中をつかむし。私は、コップにジュースなんかをこぼさずに注げるようになりたいのです」って言ったのですが、聞いてもらえませんでした。「いつごろからですか?」「生まれたときからですっ!」「そんなはずはないでしょう」(笑)
「ASかも」「LDかも」「ADHDかも」っていう人たちの中には、これに似た違和感を抱えている人たちがけっこう多いのではないかしらね。
余計なお世話をしてすみませんでした。
シュッツさん、あなたはとても正直な方だと思います。
私が、あのコピーを貼り付けたのは、何もだれそれが○○障害だという
見方をしているとかいないとかそんなことではなくて、正しい見識を持って
理解してみたら・・というつもりだったのです。
あなたが書かれたように、
シュッツ wrote:
>私の場合は(変人?)
>「『人格障害』と言われたことを議論に取り入れ、『人格障害』とはどういうもので
> どんな特徴があるかなどを分かる範囲で説明し『人格障害』とその周辺の
> 『精神的状態』について互いに理解を深める」
>
>ということです。
まさに、この事だったのですが、いろいろと議論になってしまったようですね。
しばらくぶりに見て驚きました。ごめんなさい。
私が関わっているASの方と違い二重造語や文語体調の言い回しもなく普通に
議論されている事にも驚きました。立派にコミュニケーションがとれていますよね。
同じASでも、△・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・○まで、の間に神経症、強迫症状、鬱などいろいろ症状が出ているかたもいますので、一人一人感じ方や見方が違って来るのはしかたないですね。
成人になってからの診断はとくに困難で最初は「ASの疑い」程度にしか
言えないと思いますが・・これも、「自閉的精神病質」などという言葉だとショックをうけます。アスペルガー症候群というと聞きなれない言葉だとある程度納得します。
こんなもので、病名など都合上つけるのであって、一つの個性としてしまえばそれはそれでいいのではありませんか?世の中にはもっと変わった人、個性の強い人、
偏屈な人がたくさんいても本人はさほど気にもせず普通に暮らしていますから・・
社会生活が出来るようでしたら何の問題もないでしょう。そうではなくて、同じ
ASでも障害者手帳を申請しなくては生活が困難な人もいます。ASでは認定
してもらえないので精神障害者という病名を付けざるを得ません。ここに
書き込みをされる方なんかは私からみればホントに普通のかたと同じに見えます。
内面のことは本人しかわからないので文章だけでは判断できませんが。
また、余計な事を書いたかもしれませんが・・・・・お許しください。
はじめまして、noriといいます。
以前から気になっていました。
私も「アスペルガ−」なのでは?と。
みなさんの書き込みを、ざっとですが、読ませて頂きました。
思い当たるとこや、似てるとこ、いっぱいあるんです。
現在は、(もう長いですが)精神科で、神経症と診断されています。
ただ、神経症の何々と、名前が付かないのです。
色々な症状を、持っている為です。
幼い頃から、症状はありました。
社会人になってからも、仕事は出来ています。
(ここ2ヶ月は、休養中ですが・・・)
ただ、感性を使う仕事しか、できません。
とーとつな書き込みで、すみません。
これからも、よろしくお願いします。
分かりました。
私が私自身の場合として書いた文章は非常に特殊なケースなので、
一般論としては通らないから、それを他人に当てはめようとしてはいけないんですね。
以後気を付けます。
自分の考えていることが普通かどうかを判断しなければならないことが難問ですけど、
勢いに任せてカキコしないで、他人の様子をじっくりと検討してから、
その考え方を実行する、あるいは公表するようにすればいいのでしょうね。
それでも漏れてしまうこともあるかと思いますが、
そのときはなるべく優しく注意して下さい。
マルハナバチ wrote:
>私なんかも、いつまでもどこかで考えていて、後から納得したりするから
>あと知恵人間と思われたりします。
>ネット時代になって、亀レス人間と言われるようになりました・・・
と書かれていますけど、実は私もそうなんです。
それを忘れて、つい考えることよりカキコが先走ることがあって、
それも気を付けなきゃなあと思っています。
シュッツ wrote:
>(しつこすぎると嫌われそうですけどね)
こればっかりは、私たち全員に共通の性質ですからねえ(爆)。
「意識の切り替えが遅い」っていうやつです。
私なんかも、いつまでもどこかで考えていて、後から納得したりするから
あと知恵人間と思われたりします。
ネット時代になって、亀レス人間と言われるようになりました・・・
私たちはたぶんほぼ全員、一生、一般社会の人たちから
しつこすぎると言われつつそれに耐え抜いて生きて行くのでしょう。
だから、せめてここくらい、「しつこすぎ」てもいい場所にしたいですね(笑)
>それから
>>うーんと、多分、精神疾患のことを本人ではなく、
>>他の人に聞いたのがまずかったと思います。(この部分はおむにさんの引用)
>の部分は、良く考えれば確かにそうでしたね。
>反省します。
私はね、それだけじゃなくて、たとえ本人にであっても、
本人から「私は○○障害に似てるところがあると思いますか?」と
質問されないかぎり、言わない方がいいと思うんですよ。
ただし、身体疾患や外傷で緊急避難(?)、っていうときは
例外かもしれませんけど。
何でかっていうと、同じ情報を知るのでも、
自分で見つけたり思いついたりするのと、いきなり人から教えられるのとでは、
その情報との、その後のつき合いかたが変わってきてしまいますから。
物ごとを知るのには、タイミングってものがあると思うんです。
何かを知りたいと思ったり、ひどく気になったり、
もう知りたくないと思ったり、他のことに気をとられて忘れたり、
忘れてはいないけど、他のことに手をとられてそれどころではなくなったり、
「気づき」や「学び」や「発見」「あきらめ」「忘却」「納得」、
そういうタイミングの一つ一つが、きわめて個人的なドラマだから。
私が青さんあての書き込みで書いた、
>その人のゲームはその人がクリアするしかないんです
っていうのが、ここにも当てはまると思います。
本人からきかれたら答えていいけど(その場合でも、「似てると思います」
程度にとどめるべきですが。私たちは専門家ではないのですから)、
きかれるまでは、ぐっとがまんした方がいいと思います。
他人が指してる将棋を、「勝てるように手伝ってあげたのに」って言っても
喜ばれないでしょ。
それともう一つ、
相手がすでに○○障害という確定診断を受けていて、知っている場合でも、
この掲示板でそれを公開するかどうか、
公開するにしてもいつ公開するか、どんな文脈で、
どんなタイミングで公開するか、っていうのは、
その人の判断に任されるべきですよね。
診断名っていうのは、本名や住所と同じく、究極の個人情報です。
仮に、アスペルガーと○○障害の重複している人が、
アスペルガーはこの場で既に公開しているけど
○○障害については公開しないつもりでいたとしましょう。
あるいは、いつかは公開しようかと思っているけど、
何かいいタイミングを待っていたとしましょう。
そんなときに、「○○障害ですか?」っていう質問は、
その人の計画とかコントロールとか心の準備とかいったものを、
横から乱してしまいます。
「違います」って言ったら、嘘をついたことになってしまう。
「そうです」って言ってしまったら、
自分のタイミングで、自分が心地よい状況で言い出したい、
心の準備が出来てから自分のペースで話をしたい、と思っていたのを、
放棄させられたことになります。
まあ、無視する権利はあるんですが、それにしたって、
無視するか答えるかという判断を迫られることになってしまうんですよね。
無視しようか、答えようか、と迷うということ自体、
精神的にはかなりの負担になるものです。
おむに wrote:
>シュッツさんに悪意がなかったのは分かります。
そう言って頂いてありがとう御座います。
繰り返しになりますが、簡単にまとめておきます。
(しつこすぎると嫌われそうですけどね)
管理人さんを含めて普通の人の場合は
「『人格障害』などと言われたら自分が考えるという行為自体を否定されたと受け取り
議論にはならずに、同じような言葉を返して単なる喧嘩になりかねない」
私の場合は(変人?)
「『人格障害』と言われたことを議論に取り入れ、『人格障害』とはどういうもので
どんな特徴があるかなどを分かる範囲で説明し『人格障害』とその周辺の
『精神的状態』について互いに理解を深める」
ということです。
それから
>うーんと、多分、精神疾患のことを本人ではなく、
>他の人に聞いたのがまずかったと思います。
の部分は、良く考えれば確かにそうでしたね。
反省します。
はじめまして、私はADHDと思います。
毎日、毎日、怒りが脳天を突きぬける毎日です。
(特に家族に怒り瞬間爆発・・・5分後沈下)
感情の起伏が激しすぎて、大変疲れます。
もう少し穏やかな毎日がほしいと思っています。
何か良い方法はないでしょうか?
他にもADHD要素はふんだんにありますが、
感情の起伏が激しい以外は、あまり生活に支障はきたしていません。
よろしくお願いします。
ルグリン wrote:
>耳が、ゴーっとなっています。
>回りの音が聞きづらいです。
>皆さんもそう言う事ありますか?
突然お邪魔いたします。
あります。
ルグリンさんの書込みを見て、あれ〜これ私じゃないのーって
思うくらい私に似ていたのでやってきたしだいです。
見てのとおり私の文章ハチャメチャでして頭の中で思うこと
うまく文章化できません。文字・単語などを頭の中で組み立てようとすると
分解して弾け飛んでしまいます。どちらかというと絵で考えるほうなので
なかなかそのあたりの変換がうまく行きません。
あーっそうそう耳の話でした。
私の場合は高い音でキィーーンって常に鳴っているのです。
もう慣れましたが疲れたときやパニックを起こしたときは
自分の声を聞き取るのも困難になります。
最近、少しその音に変化があらわれました。
エコーがついてきたのです。電話しているときなど
まるでお風呂の中で話している感じです。
ふーっ、これだけ書くのに2時間30分かかりました。
そうそう、自慢ではないのですが文字を読むのも同じく苦手です。はい。
こんばんは。(^_^)
シュッツ wrote:
>書き方が曖昧だったようです。
そんなことないですよ。理解してるつもりです。
>そういうことでよろしいでしょうか。
はい。
シュッツさんに悪意がなかったのは分かります。
耳が、ゴーっとなっています。
回りの音が聞きづらいです。
皆さんもそう言う事ありますか?
ps
それと、管理人さんこの掲示板を作ってくださってありがとうございます。
やっぱり、ここの掲示板で、ほっとします。
私も、言葉がうまく伝わらなくて、色々な人に勝手に思われてさんざん書かれた事が、あって辛かったことがあったけれど、ここはアスペの人の場だと思うと、悪意があまり感じられなくて、やっぱり違うなあ。とほっとします。
ps以下の書きこみに付いては、最近特に、文章力も,理解力も無いため、コメントできないと思います。すみません、独り言です。耳の事も,コメントできないかもしれないけれど、親の会に載っていた病院に電話をしたら、看護婦さんが,配慮の無い,言い方をする人で、思いきっていこうと思ったのに、また病院に,行けずに、困っている所です。
せめて、そう言う所の看護婦さんくらい、思いやりのある人だといいのに。。。
おむに wrote:
>シュッツ wrote:
>>私の考えが特殊で、普通の人は管理人さんと同じように受け取るのならば、
>>確かに私の言い方、議論の仕方が悪いのでしょう。
>
>うーんと、多分、精神疾患のことを本人ではなく、
>他の人に聞いたのがまずかったと思います。
>
>あの書き方だと、やっぱり管理人さんのように受け取っちゃいます。
書き方が曖昧だったようです。
この一文については、私の発言全体に掛かるのではなく、
次の部分のみについてのことです。
>いうのを、自分だったらどうかとしばらく考えてみました。
>結論までには時間が掛かったのですが、次の二つのパターンになると思います。
>(1)言われた内容が間違いであり、自分には当てはまらない場合
>これは簡単です。どこが違うかを指摘すれば終わりです。
>(2)実際に言われた通りの「疾患」を自分が持っている場合
>この場合には、その「疾患」のために自分がどのような意見になるか、
>他人とはどのように違っていて、それが自分の意見にどのように反映されるかを
>議論の中に入れたいと思います。
そういうことでよろしいでしょうか。
シュッツ wrote:
>私の考えが特殊で、普通の人は管理人さんと同じように受け取るのならば、
>確かに私の言い方、議論の仕方が悪いのでしょう。
うーんと、多分、精神疾患のことを本人ではなく、
他の人に聞いたのがまずかったと思います。
あの書き方だと、やっぱり管理人さんのように受け取っちゃいます。
館の管理人 wrote:
>私はまたしばらく休みます。
もちろん休むのは本人の自由なので誰にも止める権利はないのですが、
せっかくここまで議論してきたことが中途半端に終わってしまうのは
なんだか寂しい気がします。
別に、どうしてもやっつけたいという訳ではなくて、
できるだけ理解し合いたいということです。
しばらく時間が経ってからでもいいですし、
メールでもいいので、もう少し話しませんか?
#私のメアドは事情によりここでは非公開なので、応じて頂けるのならば
#私からメールいたします。
私の方も、鬱が軽い時なら、もうちょっとましな議論ができると思いますので。
別に私は議論好きと言うわけではなくて、むしろ苦手な方です。
しかし中途半端な形で終わるのは気持ち悪いんです。
シュッツ wrote:
> それから、最後の4行については、その通りだとは思うのですが、
> 現在の議論にどう関係しているのかが私には分かりませんでした。
すみません。議論しているという認識がなくて、ついでのことを書いてしまいました。
シュッツさんを苦しめてしまったようで、申し訳ないです。
私はまたしばらく休みます。
今激鬱でつらいのですが、考え出すと止まらないので、
リタリン飲んで頑張って書いてみます。
そういうことなので、もし自己矛盾があったら鬱のせいだと、見逃して下さい。
館の管理人 wrote:
>しかしですね、意見が対立して議論しているときに、相手の精神的疾患などをとりあげるということは、ルール違反だと私
>は思うのですが・・・。
だから私は、
>肉体の病と心の病とを同じように見なしていたこと
と書いたんですが、そう言う意味ではないんでしょうか。
それと、診断名を付けるというほど大げさに書いたつもりはないのですが。
>「あんたは人格障害だ」「おまえこそ人格障害じゃないか」・・・。そんな馬鹿馬鹿しいやりとりは見たくありません。
そうなってしまったら確かに馬鹿馬鹿しいですね。
でも私はそうなることを考えませんでした。
というのは、もう少し前の記事になりますが、
>とくに議論している場で、異なった意見を述べる人に対して、あれは「××型人格障害だ」などとレッテルをはることが、
>どんなことになるか考えてみてください。
>私は自分がASかも知れないし人格障害かも知れないとしても、自分の考えを述べているときに人からそんなことを言われ
>たくはないです。
というのを、自分だったらどうかとしばらく考えてみました。
結論までには時間が掛かったのですが、次の二つのパターンになると思います。
(1)言われた内容が間違いであり、自分には当てはまらない場合
これは簡単です。どこが違うかを指摘すれば終わりです。
(2)実際に言われた通りの「疾患」を自分が持っている場合
この場合には、その「疾患」のために自分がどのような意見になるか、
他人とはどのように違っていて、それが自分の意見にどのように反映されるかを
議論の中に入れたいと思います。
私の考えが特殊で、普通の人は管理人さんと同じように受け取るのならば、
確かに私の言い方、議論の仕方が悪いのでしょう。
ところで、自分の書いたものを読み直してみると、恐らく私の観点はASよりも
鬱の立場に立っているような気がします。
管理人さんは、AS自体による困難ではなく、その先の鬱その他の「心の病」は
持っていますか、あるいは過去にありましたか。
また、多くのメンタル系のHPを見ていますか。
この質問自体の答えを求めているのではなくて、鬱の苦しみを知っていれば
話がしやすいだろうし、もし知らなければ理解して頂くと私としては
幸せだと思っただけのことです。
それから、最後の4行については、その通りだとは思うのですが、
現在の議論にどう関係しているのかが私には分かりませんでした。
はーーー。仕事忙しいのに、勢いに乗ってしまって、止まらなくなってます。
困りました。どうしましょう。
自閉スペクトルのどっかに乗っかってる皆さんなら、分かってくださいますよね、
切り替えの遅さ、こだわりっていうやつを。
本当にもう・・・ 時間管理の敵ですよね、こだわりって(^^;
本題です。
私は1年9か月前に、アスペルガーって診断されたのですが、
診断されたからって、そんなに実用的なレベルでの変化はありません。
もともと、アスペルガーだって思ってなかったのですが、なぜかというと、アスペルガーの「症状」と言われる部分、実用的に不都合と言われる部分の実害っていうのがそんなに自覚できてなかったからです。
確かに人間関係はヘタクソなんですが、もともと人づきあいをそんなに求めていなかった。友だちがほしいと思ってなかったので、友だちができなくても平気だった。就職とかはできないけれど、一人で仕事してるから関係ないといえば関係ない。
あと、聴覚過敏を始めとする感覚異常には、とっても苦しんでいますが、昔からそうだし比較の対象がなかったので、みんながこうなんだと思っていました。自分が聴覚過敏だと知ったというよりは、世界の大多数の人たちはもっと静かな世界に住んで、もっと楽に暮らしている ということを知ったという方が実感に近い。
なにも、アスペで苦しんでないという意味ではありません。軽度だから、恵まれているから特別だろうっていう意味ではありません。苦労はいろいろしているようです。でも、そのほとんどは、生まれてからずっとこうなんだから、私の一部になってるんですよ。まあ、こだわりにふり回され、パニック起こしながら生きてるわけですが、そんなもんだろうと思ってたもので(笑)
さて、それでは診断というのは何で役に立ったかというと、症状とは関係ない部分の趣味・嗜好を恥しく思うのをやめられたということでした。これの影響の方が、大きかったのです。
具体的に言ってしまえば、「アハハ、それほめすぎ」で書いた、「受け売り」と「あと知恵」の再評価でした。それと、表現の内容より形式に目が行く性質です。こんなのがアスペと関係あるなんて知らなかった。診断してくれた専門家だってそんな話はしてくれなかった。みんな、自助団体で聞いたんです。
子どものとき、内容空虚で形式だけ整った作文とか書いていました。定型詩もすきでした。でもそういうのって、「真心がこもってない」とか言って、小学校では批判される。子どもどうしでも、点取りとかゴマすりとか言われる。
「型」が好き。伝統芸能の時代だったら良かっただろうに!
医療の現場で使う診断基準とか、あと、「症状」の記述は、実害のある性質だけを切りとっているわけですが、実害のない部分も私の特徴の一つなわけで、その部分が自閉圏に共通の特徴と知ったことで、それまで「嘘っぽい」「オリジナリティーがない」「本質を外して細部にこだわる」「くり返しが多く、冗長」などと否定的に見ていた性質と、闘うのをやめることができたのです。
こういうことって、医療の現場ではやってくれません。「内容空疎な美文を書く」っていうのは、実害ありませんからね。症状とは言いません。でも、自分がアスペだと知らないころは、「内容空疎な美文」を、自分が見栄っぱりだからだと思っていたのです。「くり返しが多く、冗長」というのを、「相手を引き留めておきたいから」「少しでも長くかまってほしいから」と勝手に思っていたのでした。
内容空疎な美文とか、くり返しの多い冗長な文というのは、実害がないのに、それの解釈、自分が考えた(あるいは人に言われてきた)説明の方に実害があったんですね。
あるいは、聴覚過敏は実害があるけれど、まあ、これはずっと変わらないでしょう診断がついても、聴覚過敏が治るわけではない。
でも、それまで私は、騒音のあるところに長時間いるとひどく疲れるのを、自分が怠け者で横着で無責任だからだと信じていました。音がうるさくて疲れるんだということを知らなかったのです。
診断がついても聴覚過敏は変わりませんが、診断が着いたことで、疲れるのは横着なせいではないことを知ることができました。
いらんことで自分を責めるのをやめられた、ってことですね。
> まよりです。
> パパはよほどつらかったらしくて、もう見ないと言ってるので、すみません。
まよりさん、いつぞやは困った噂話のことでフォローを入れてくれて、ありがとうございました。
まよパパさんが医者として書いてくれたことも、とても感謝しています。つらい思いをさせてしまい、申し訳なく思います。
まよパパさんに、どうぞよろしく。
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