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Re: 色盲(ある障害に関する一考察) 5846へのコメント
No.5848  Thu, 5 Jul 2001 21:38:47 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:
>くると wrote:
>> 発達障害者と健常者の狭間を飛ぶコウモリ,くると(LD)です。
>>
>> 発達障害とは直接関係ない話題ですが、障害を考える上で重要だと
>>思ったので、色盲の話題を投稿します。
>>
>> 色盲の人は色が見えないとされています。「されている」というあ
>>やふやな言い方をしたのは、「この世界に色が存在する」ことを認め
>>るのに抵抗があるからです。
>>
>
>くるとさんへ
>色盲・色弱の人がどのように色を認知しているかということが、下記のホームページにまとめてありました。
>
>http://www.eadc.org/faq/shikikaku.html
>
>http://www.ne.jp/asahi/shinsei/saitama/shikijyaku/doc/data.htm


Re: どうやって人に説明すればいいのだろう 5843へのコメント
No.5845  Thu, 5 Jul 2001 17:07:55 +0900  るおう [この発言にコメントする]

名加野 wrote:
> こんにちは名加野です
>
>るおう wrote:

名加野 さん励まされました。ちょっと涙モノでした。。
そしてその変わり者とよばれている先生は素敵な方ですね。
たしかに、、変人と言われるような人は、、器が大きい。
そして私は敏感だ。。そして論理的じゃないと嫌だから、、さっきも色々とここがどうだったと,その原因となった人に書いたけど、、今度は、、皆生活に追われて大変だ見たいなことが書いてあった。
なんだか論理的じゃないなあ。と思ったら真剣に悩むことも馬鹿らしい感じに思えたけど、、
向こうは向こうで気を使ってくれているみたいなんですが。
どうして一般の人って論理が通じないんだろう。。話がどんどん曲がって行く。。
そうですね。。そして一般の人ってどうでもいいっていう態度なんだ。。今回もそうだ。
というより論理が通じなかったのだろうか。。論破して相手が傷つき果てる頃には、友人関係も何も
すべて終わり。ですよね。。
そしてそうか。。他人を理解しようとしてくれても、、変人ではないから。。その人の体験は少ないから色々なことがわからないんだ。。


しかし、、もうこれで何度目かなんですが、、毎回、、傷つく。。
sorette
多分。。相手が間違っていても非論理的であっても、、自信満万でゆらぎがないからなのだろうか


Re: 色盲(ある障害に関する一考察) 5842へのコメント
No.5844  Thu, 5 Jul 2001 16:42:07 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

シュッツ wrote:
>色が見えるといことは、視神経が電磁波の波長を区別できるということでしょう。
>多くの人には見えない紫外線や赤外線の領域も色として認識できる人がいるとすれば、「能力」とも言えるし、多数派でないために「異常」とも呼ばれかねないです。
>
>多数派(の中の大部分)は多数派がかわいい。
>
>でもその多数派をひとまとめに見てしまいたくはありません。

 やっぱり「全ての人間は他人の目から見れば異常」なのではないでしょうか?
「多数派」=「家族」と読み替えればすんなりいくかも。で、「少数派」=「異教徒」・・・・・・行き過ぎですか?


Re: どうやって人に説明すればいいのだろう 5841へのコメント
No.5843  Thu, 5 Jul 2001 16:37:49 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

 こんにちは名加野です

るおう wrote:
>人と付き合うのが得意ではないので、とか人馴れしていないので、、と弁解したりすると。。あとは人が苦手なのでとか嫌いなのでとも言ったりすることがありますが。。そうすると、、今まで沢山生きてきたということは、、それまで社会でやれたと言う子となのだからと言うようなことを言われたりして、、一応言い返しましたが。。。今まで生きてきたから。。というような理屈で来られても、、困るのにと思ったのです。今までも大変だったからここまで頑張って生き延びてきたのに。。あまり通じないんですよね。。自閉症だとかいう言葉を使おうものなら、、あなたはこうして、、会話だってできるんだから、、そんなことを言うんじゃないとか..甘えるなみたいな感じで、、理解してもらえない。。どう言う風にオブラートにくるんで言えば、、理解をしてもらえるのだろうか。。どんなふうに自分のことを説明すればいいのか。。自分でも分析できない。。
>自分は人とやっていくことや接することにとても不安を感じるのだけれど、それも
>伝えられない。伝わらない。

 そうですよね、「普通」と思わしき人は、どんなに相談持ちかけても「大人になれば直る」「気にしなくてもいい」といって大半が相手にはしてくれませんでした。これこれこういう症状があるといったところで、「普通だから安心して」と言ってきました。
 ただ、変わり者と呼ばれてる先生に会ったとき、一週間で「おまえは大成功するか大失敗するかどっちかだ!おれも変な方だがだがおまえはもっと変だ。(変人レベルが)勝てない。おまえと話すときは、テレパシーじゃないと無理」と真顔で言われたときはびっくりでしたが。
 普通でない人のほうが見分ける能力ってあるんでしょうか?
 ……多分他人を理解しようしようと思っている人って少ないんじゃないですか?
だから、ちょっとおかしくても気にしない。自分が関わらなければ。というか、一般の人って、大概の事は「どうでもいい」で済ますからなあ。個人的な感想ですが。もちろんそうでない人もいるんですが。で、一般から外れた人は「敏感」なものだから、不安になる。でも、一般の人はその辺はどうでもいいから、その気持ちがわからないんだと思います。失礼なんですが「鈍感」なんです。
 鈍感な人に伝えるのって、難しいですよね。そういう風に考えれば納得するかもしれません。
 文中おかしな表現があったと思いますが、それでは。


Re: 色盲(ある障害に関する一考察) 5839へのコメント
No.5842  Thu, 5 Jul 2001 13:55:04 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

色が見えるといことは、視神経が電磁波の波長を区別できるということでしょう。
多くの人には見えない紫外線や赤外線の領域も色として認識できる人がいるとすれば、「能力」とも言えるし、多数派でないために「異常」とも呼ばれかねないです。

多数派(の中の大部分)は多数派がかわいい。

でもその多数派をひとまとめに見てしまいたくはありません。


どうやって人に説明すればいいのだろう
No.5841  Thu, 5 Jul 2001 13:29:23 +0900  るおう [この発言にコメントする]

人と付き合うのが得意ではないので、とか人馴れしていないので、、と弁解したりすると。。あとは人が苦手なのでとか嫌いなのでとも言ったりすることがありますが。。そうすると、、今まで沢山生きてきたということは、、それまで社会でやれたと言う子となのだからと言うようなことを言われたりして、、一応言い返しましたが。。。今まで生きてきたから。。というような理屈で来られても、、困るのにと思ったのです。今までも大変だったからここまで頑張って生き延びてきたのに。。あまり通じないんですよね。。自閉症だとかいう言葉を使おうものなら、、あなたはこうして、、会話だってできるんだから、、そんなことを言うんじゃないとか..甘えるなみたいな感じで、、理解してもらえない。。どう言う風にオブラートにくるんで言えば、、理解をしてもらえるのだろうか。。どんなふうに自分のことを説明すればいいのか。。自分でも分析できない。。
自分は人とやっていくことや接することにとても不安を感じるのだけれど、それも
伝えられない。伝わらない。


Re: 色盲(ある障害に関する一考察) 5839へのコメント
No.5840  Thu, 5 Jul 2001 13:15:44 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 人間というのは本人の気づかないところで誰かの影響を受けているものなのかもしれません。

> 発達障害者と健常者の狭間を飛ぶコウモリ、くると(LD)です。
(『色盲(ある障害に関する一考察)』、No.5839、5 Jul 2001、by くるとさん)

> あたしは理系と文系の間をひらひらと飛び回る蝙蝠か、はたまた健常者と
>ASの間を行き来する黄昏の空を音もなく飛翔するミネルヴァの梟か、まあ、
>そんな役どころを演じることができそうなのですね。
(『Re: 質問です。』、No.5327、11 Jun 2001、by Maria)

> 発達障害とは直接関係ない話題ですが、障害を考える上で重要だと
>思ったので、色盲の話題を投稿します。
(中略)
> 色盲というのは、「正しい見え方」をしているかどうかによって決
>定されている訳ではないと思います。多くの人とは非典型的な見え方
>をしているから「障害」に位置づけられるのではないでしょうか。

> わたしは「健常者=正しい運動能力,知覚,認知能力を持つ人」と
>いう図式は否定したいと思います。正確には「健常者=典型的な運動
>能力,知覚,認知を持つ人」という図式でとらえるべきです。
(『色盲(ある障害に関する一考察)』、No.5839、5 Jul 2001、by くるとさん)

> だとすると、「AS」と「健常者」の違いはまさしく「違い」でしかなく、
>「AS」を「AS」であると規定するものは、「一般社会のこういうところが
>苦手」「こういうふうな環境が快適」といった、「本人自身の感覚」だとい
>うことになります。

> 考えてみれば、「AS」は病気ではないとか、「AS」と「健常者」は対等
>であるとかいったあたしの考えに、この発想はマッチしています。

> ASは性別や皮膚の色や目の色のような、ある種の区別である。ただ、それ
>は精神の問題で、外からは判断することができず、本人の感覚によるしかない。
>その意味で、ASはいわゆる「色弱」に似ているともいえます。いわゆる「正
>常な人」と同じように色の区別はできる(ある場合には、「正常な人」より
>もその判断能力は正確です)けれど、異なった色の世界に住んでいる。
(『ASって何なんだろう。』、No.5396、14 Jun 2001、by Maria)

 くるとさんとあたしはASあるいは障害に対する基本的なスタンスがかなり近いように思います。

 現在『「どっちでもいいこと」が決められない。』(旧・仮称『自閉症/アスペルガー症候群ハンドブック その理解と対応のために』)執筆中。くるとさんを始めとする成人LDの会のみなさんにも、ご意見を伺いたいと思っています。どうぞよろしく。

 (Maria)


色盲(ある障害に関する一考察)
No.5839  Thu, 5 Jul 2001 12:28:54 +0900  くると [この発言にコメントする]

 発達障害者と健常者の狭間を飛ぶコウモリ,くると(LD)です。

 発達障害とは直接関係ない話題ですが、障害を考える上で重要だと
思ったので、色盲の話題を投稿します。

 色盲の人は色が見えないとされています。「されている」というあ
やふやな言い方をしたのは、「この世界に色が存在する」ことを認め
るのに抵抗があるからです。

 ある説明によれば、色は物体そのものが持っているのではなく、光
が反射してそう見えているのだそうです。つまり、物体自体が色を持
っているのではなく、多くの人がそう錯覚しているだけです。従って
「色が見える」というのは「正しい見え方」ではないのです。

 不思議なのは、多くの色盲を持たない人たちは色が見えることこそ
が「正しい見え方」だと思っていることです。この価値体系の下では
「色盲を持っている人は正しい見え方をしていない」ことになるでし
ょう。本当はあべこべなのかもしれないのに…。

 色盲というのは、「正しい見え方」をしているかどうかによって決
定されている訳ではないと思います。多くの人とは非典型的な見え方
をしているから「障害」に位置づけられるのではないでしょうか。

 わたしは「健常者=正しい運動能力,知覚,認知能力を持つ人」と
いう図式は否定したいと思います。正確には「健常者=典型的な運動
能力,知覚,認知を持つ人」という図式でとらえるべきです。

 大勢の人がそうだ、ということが「正しさ」を保証している訳では
ないのです。(くると)


Re: リタリンを処方してくれるお医者さんって・・・ 5825へのコメント
No.5838  Thu, 5 Jul 2001 11:49:50 +0900  くると [この発言にコメントする]

Piukoさん wrote:

>きちんとADDの診察をしてくれるお医者さんで、薬の処方などもしてくれる
>いい病院はないでしょうか?できれば東京都内であれば嬉しいのですが・・・。
>誰にも相談できず困っています。

 新宿のさくらいクリニックは大人のAD(H)D専門の病院として有名で
すね。最近は混雑しすぎて、すごく待たされるらしいのですが。

 他には、地元の保険所に行って、「大人の発達障害や器質障害を扱ってい
る医療機関を紹介してほしい」と頼めば、紹介してくれる場合があります。
大人の相談者が殺到するのを恐れているせいか、ネットに名前を公表してい
る医療機関はとても少ないようです。(くると)


Re: キツネ憑き 5816へのコメント
No.5837  Thu, 5 Jul 2001 10:41:16 +0900  Maria [この発言にコメントする]

pocksさんwrote:
>現代であっても、6年前後前(アスペ問題が注目されだした後)の話ですが、
>子供の逸脱についてはまず情緒障害を疑うようで、最近診断の出た子供が
>いじめられて不登校になっていた時に駆け込んだとある大きな病院では、
>いじめはおいといてまずは親子関係の改善とか言ってたくらいです。

>子供は、今の目で見ると教科書に載せたいくらいの典型アスペですが、
>一歳半検診をすり抜け、子供の興味を一方的に聞かされていた教師の
>目も引かず、私がアスペについて知るまで身近な者の誰一人発達障害
>の可能性を指摘しませんでした。(情緒障害あるいは育て方の問題と
>いう指摘ならあった。)

 「情緒障害」という言葉はなかなかに困った言葉で、これには大きく分けて二つの意味(行政上の意味と教育上の意味)があり、そのどちらかによって関連性発達障礙を含んだり含まなかったりします。

 成人の場合、精神的な障害は大別すると以下の四つに分けられます。

1)精神薄弱(智恵遅れ、精神遅滞)
2)精神病。多くは精神分裂症(分裂病)。かつては癲癇、躁鬱病を含んだが、現在は除外。
3)精神病質(サイコパス、またはソシオパス。性格異常、変質者など)
4)神経症(ノイローゼ)。乖離障害(ヒステリー。多重人格を含めることも)や同一性障害はここに入る。

 で、関連性発達障礙(自閉症)はこのうちのどこに入るか、ということになります。

 まず、(1)の精神薄弱は除外していいでしょう。そもそもが、「精神薄弱とは明らかに異なった特徴を見せる一群の子供たちがいる」ということで、「自閉症」という概念ができたのですから。

 つぎに、(2)の精神病。これも「自閉症」はどうか。確かに自閉症と精神分裂症は一見よく似ています。けれどその本質において違いがあるらしい、というのが分かっているのでこれも除外します。

 一方、(3)の精神病質(性格異常)という概念は本人の生育歴などの影響が大きく、大人に対しても問題の多い概念であり、まして人格の形成期にある子供には使わないという考え方が強い。しかし厄介なことに、関連性発達障礙を「性格の偏り」とする説があるので、この「精神病質(性格異常)」という言葉も外すわけにはいかなかったりします。

 で、最後の「神経症」なんですが、この言葉に対しても、

1)そもそも、子供に「神経症」があると考えていいのだろうか。
2)仮にあったとして、子供に対して「神経症」という診断名を使うべきなのかどうか。
3)「子供の神経症」という言葉が使えないとすると、大人の「神経症」にあたる子供の行動異常を何と呼んだらいいのか。

といった問題があります。なお、「行動以上」のことを、「逸脱」とか「問題行動」とかいうこともあります。「問題行動」とかいうと暴力や他動をイメージしがちですが、チックや夜尿症も「問題行動」と呼びます。これでは誤解を受けやすいので、「逸脱」という言葉が使われるようになったようです。

 で、「情緒障害」という言葉は、こうした議論の中から生まれた言葉だったりします。

 昭和三十六年(一九六一年)に、児童福祉法の一部改正により「情緒障害児短期治療施設」が新しいタイプの施設として発足しました。つまり、「情緒障害」という言葉は、もともと行政上の言葉でした。
 法では、「この施設は情緒障害を有する児童をその障害の軽いうちに収容し、あるいは通所させて短期のうちにこれを治すことを目ざす」となっているのだけれど、「情緒障害」とは何かという定義は、法律にもそれを受けた政令にも書かれていませんでした。
 昭和四十二年になって、中央児童福祉審議会が厚生大臣に対して「情緒障害児短期治療施設の対象となるべき子供」についての意見具申を行なったのですが、そこでは施設の対象者を、たとえば人間関係がうまくいかないなどの原因で感情生活に歪みを生じ、そのために行動異常を起したものに限ったため、「自閉症、自閉傾向の強い子は除く」となっていました。

 これに対し、文部省が昭和四十二年(一九六七年)に行なった児童の心身障害に関する実態調査の中では、「情緒障害」として「緘黙の疑い、登校拒否の疑い、神経症の疑い、自閉症の疑い、精神病の疑い」が挙げられています。

 現在、診断上は「人間関係がうまくいかないなどの原因で感情生活に歪みを生じ、そのために行動異常を起した子供」は「病気」とはみなさないため、「情緒障害=人間関係に関する障害=自閉症」という捉え方をされています。

 つまり、診断上は「情緒障害」≒「自閉症方面の障害」という扱いのようです。

 (Maria)


No.5836  Thu, 5 Jul 2001 10:39:21 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

三本の 指を曲げて 温度言い
判ってる けど止められぬ 冷やしすぎ
太陽や 夏は嫌われ 冬はもて
眠り込み 落とした考査 思いだし
里芋や 雨降り恋し 炎天下


Re: Through the looking glass 5831へのコメント
No.5835  Thu, 5 Jul 2001 09:54:14 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

Makichan wrote:
>シュッツ さんwrote:
>>makichan wrote:
>>>みどりさん wrote:
>>> 自閉症は先天性のものだというのが医学の通説です。ただ自分の経験だけでいうと、それはちょっと違うんじゃないかなあと思うんですね。
>>
>>「後天的な要因により“先天的な”自閉症と同じ症状が現れたもので、医学的な自閉症とは別のもの」
>>ということではないでしょうか?
>
> 後天的な要因により“先天的”な自閉症と同じ症状が現れたものなら、医学的な自閉症と同じと言ってはいけないのでしょうか?
>
> ボクも仲間にいれてよ〜。仲良くしようよ〜。バブバブ〜。

社会的、教育学的などのような分野では同じように扱ってもいいと思うのですが、医学的には分けておかないと、先に進めなくなると思います。

例として、「手のしびれ」
(1)筋萎縮症などの病気によるしびれ
(2)凍傷によるしびれ
(3)腕をぶつけたことによるしびれ
(4)癌の転位によるしびれ(これあるのかな?)
これらは社会的生活の上で区別しなくてもいいことが多いと思うのですが(例外あり)、医学的に分類しなければ対処法が進歩しないでしょう。

そういうことなので、仲良くするしないとは無関係の話でした。
今後ともよろしく。


Re: PTSD 5833へのコメント
No.5834  Thu, 5 Jul 2001 02:25:11 +0900  みどり [この発言にコメントする]

みどり wrote:
>大きな事件があったあとの報道でPTSD の話を聞いてると、「そんなの普段のいやなことでもおこるやん」という感じの表現なんですね。

言葉が足らなかった。大きな事件での PTSD がよくあることだと言ってるわけではありません。
PTSDとはなにかの解説が、よくあることと同じ現象にすぎないように読める、ということです。


Re: PTSD 5830へのコメント
No.5833  Thu, 5 Jul 2001 01:19:31 +0900  みどり [この発言にコメントする]

大きな事件があったあとの報道でPTSD の話を聞いてると、「そんなの普段のいやなことでもおこるやん」という感じの表現なんですね。
「事件のことをなんどもありありと思い出してしまう」 思い出ってそういうものじゃないの? 非アスペの人には違うのかしら。

あるときおそらくNの人と話をしたら、「思い出して腹を立てるということはない。あああれは嫌だったなあ、と思うけど」って言われて、びっくりしました。
その人が特別なのか、私の方が特別なのか。

ありありと思い出すのがアスペ特有の現象なら、アスペの人は PTSDになりやすいのかしら。

私のPTSD的行動は、「人によくしてもらうことができない」です。姉との激しい競争社会で育って、「自分ひとりよくしてもらったら、必ずそれ以上の報復が姉からある」ことを学習してしまいました。

誰かにおごってもらうこと、理由もなくものをもらうこと、ケーキを先に選ぶこと、人よりいい評価をしてもらうこと。全部だめです。

おそらく普通の人ならば、「じゃあここはおごりましょう」「いやそんな」「まあそう言わずに」と、甚だ見苦しい光景になるんでしょうが、私はヘンに頭がまわる。
それで、「完全な断り理由」を見つけてしまうのです。それで、「じゃあここはおごりましょう」「いやでも〜〜ですから」「ああそれじゃあね」となってしまいます。

私が鷹揚な性格ならそれでもよかったのでしょうが、こうなった理由が理由ですから、同じ強さで対抗意識も根づいしまっています。ですから、他の誰かが素直におごってもらっているのを見ると、ちゃんと断らない無神経さにメラメラと腹が立ってくるのです。
トクする機会を投げ出すわ、不必要に腹は立つわ、ロクなことがないのはわかってるのに、どうしても、「これ余ってるんだけど、いらない?」と言われると、最初に浮かぶ感情は「こわい、あぶない」なのです。


Through the looking glass(自己同一性拡散について) 5829へのコメント
No.5832  Wed, 4 Jul 2001 23:59:17 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Makichan wrote:
> 自己同一性拡散の名前知ってこんどはエリクソンの本買って読みました。
>が、てんで解からない。それでこんどは地元の県立医科大教授と肩書きの
>つく人を訪ねました。(なぜそうしたかは経緯説明するとややこしくなる
>ので省略します。)そのときの会話がケッサクだったので、記憶の限り再
>現します。
> 私「東京でIdentity defusion(英語でいうとこうなる)と言われたん
>ですが、それってどういうことなんでしょうか?」
> 先生「そんなものなんでもないよ。ただたんに甘やかされて育ってるだ
>けだ。そんなことに私は興味ない。」
> 私「いや、私が興味あるんです。私が。」
> 先生「それならエリクソンを読みたまえ。」

 あはははは……って笑っちゃいけないのか。当人にとっては笑い事じゃないもんな。だけど、その教授はご自身も理解しておられなかったのだけど、患者に見栄張って「わかりません」が言えなかったんですね、きっと。

 「自己同一性拡散」っていうのは、個人主義が徹底してる欧米社会でこそ意味のある概念で、日本にそのまんま持ってくるのには無理があります。たとえば自動車が故障してディーラーに持っていったとしても、決して謝罪の言葉は聞くことはできません。だって、そんなのメーカーの責任なんだもん。日本人みたいに「申し訳ございません」とか謝ったら、それこそ「自己同一性拡散」と診断されてしまいます。

 そんなわけで、日本人に対して「自己同一性拡散」という診断をするのはけっこう無茶なのね。で、うちのJoshya氏が以前あるひとに書いたメールの一部を引用させていただきます。なお、文中の「自我がだらしなく広がっている状態」というのが、「自己同一性拡散」状態です。

---
 「自我がだらしなく広がっている状態」というのは、「プライバシー領域がきちんと閉じていない」ということです。いわゆるムラ社会では、そこいらで立ち小便しようがステテコ一丁で歩いていようが気になりませんが、都会ではそういうわけにはゆきません。ムラ社会の「他者とのプライバシー領域の区分があいまいな社会」から都会へ出てきた人は、他者のプライバシー境界を知らず知らずのうちに侵してしまうため、「田舎者」と呼ばれます。

 都会だと、なかなか隣の家へ行って「すみませーん、味噌とお醤油貸してくださーい」という訳にはいかないし、「親戚が干し柿送ってきたんだけど、いりません?」とかいうのもありません。

 つまり、「他人」と「身内」、「自分」と「他者」という区分があいまい(その社会の規準に比べて、ですが)なのが、「自我がだらしなく広がっている状態」です。
 そこいらに置いてある他人の百円ライターを勝手に使ってついポケットに入れてしまうものだから、机の中に百円ライターがじゃらじゃらしてる奴とか、会社から帰ろうと思ったら雨が降ってたもんだから、傘立てにある傘の中から適当に一本借りて帰るということをしょっちゅうやってるもんだから、家に帰ると誰のものだかわからない傘がいっぱいある、とかいう奴は、こういうタイプ。

 「女っていうのは」「男っていうのは」「理科系っていうのは」「政治家っていうのは」「官僚っていうのは」「警察官っていうのは」みたいに、なんでもカテゴリーでくくっちゃってその中の個人個人の差を無視する、っていうのも同じこと。

 「どうして分かってくれないの? 友達でしょう?」とか「親子でしょう?」とか「夫婦でしょう?」とかいった発言も、プライバシー領域があいまいになっていることのあらわれです。友人だろうが親子だろうが夫婦だろうが言わなきゃわかんないことは言わなきゃわかんない。

 だけど、これって「組織」っていうものの中にいると、けっこうややこしい部分があります。外から見れば全体が組織だから、「それは部署が違います」「それは担当者が違います」とか言っちゃっちゃあまずい。とはいえ組織の中では、いろんな単位でいろんなグループが「ウチ」と「ソト」の関係を構成してます。普通の人だって外からいきなり入ってきたら分からないし、自閉症の人だったらなおさらわからない。

 だから、自分のわかっていることは、なんとなく他人もわかってるような気になっちゃう。誰かが知っていれば、他の人もたぶん知ってるだろう、みたいに思っちゃう。あるまとまりを考えると、その中にいる人がそれぞれ別の人格、別の個性を持った人だというのが実感としてわからない。

 私もNECにいたときに、PC-9801というコンピュータについて質問やら苦情やら受けましたけどね、あれは日本電気グループの新日本電気ホームエレクトロニクスの半導体事業部の製品であって、私は日本電気の通信事業部の人間だ、などということは申しませんでした。普通の人にとっては、「NEC」「コンピュータ」となると、完全にひとくくりです。

 だから、「相手に分からせよう」「分かっておいてもらおう」みたいな配慮ができません。「期日までに仕事が完成してたらいいんだろ?」みたいな考え方を平気でしちゃいます。相手にしてみりゃそうじゃないだろ?と思うわけですよ。

 私の場合は長年ソフトウェア業界にいたものだから、ちゃんとPERT図引いてクリティカル・パス求めてマイルストーンと確認項目決めてスケジュール表と工程表と工数表作ってユーザさんに「これでいきます。これでいいですね?」って確認とって「現在どこどこまで進行中」みたいにやってました。そうすっと最後の方になって「申し訳ないっ! あと二週間くださいっ!」みたいなことになっても「ああ、構わん構わん。こっちも事情は分かっとるし」みたいな話ができるわけですよ。そういう「気配り」ができんのですよね。

 まあ、これ言いだすと、システムエンジニアの七割はダメ、という話になるのですが。「いや、そんなことはない。九割はダメだ」(^_^;)という話もあるんだけどね。
---

 お医者さんというのは、企業に勤めてる人と違って「ウチ/ソト」の関係がややこしくないのね。ある意味ムラ社会だし。大学病院だとかいうとなおさらです。

 ……とはいえ、こういうことをくっちゃべってるあたしは何者なんだぁ、という気はしてくるな。べつに精神科医でもなんでもないんだぞ。こんなの患者に調べさせるなよぉ。ぷんぷん。

 (Maria)


Re: Through the looking glass 5818へのコメント
No.5831  Wed, 4 Jul 2001 22:59:47 +0900  Makichan [この発言にコメントする]

シュッツ さんwrote:
>makichan wrote:
>>みどりさん wrote:
>> 自閉症は先天性のものだというのが医学の通説です。ただ自分の経験だけでいうと、それはちょっと違うんじゃないかなあと思うんですね。
>
>「後天的な要因により“先天的な”自閉症と同じ症状が現れたもので、医学的な自閉症とは別のもの」
>ということではないでしょうか?

 後天的な要因により“先天的”な自閉症と同じ症状が現れたものなら、医学的な自閉症と同じと言ってはいけないのでしょうか?

 ボクも仲間にいれてよ〜。仲良くしようよ〜。バブバブ〜。


PTSD
No.5830  Wed, 4 Jul 2001 22:44:53 +0900  Maria [この発言にコメントする]


 あたしは他罰的な人の下で働くことが多かったせいで、いまだに「人にものを頼む」ということと、「留守番電話を使う」ということが苦痛だったりする。

 「他罰的な人」といっても分かりにくいかもしれない。「自分が叱ってやらなければいけないんだ」とか、「自分が教えてやらなければいけないんだ」とか、「自分が躾けてやらなければいけないんだ」とか、そういう発想に向かいやすい人である。
 で、こういう人が、えてして教育や躾けに名を借りた虐待をする人であったりするわけで、教え子の女の子や部下の女性にセクハラをしてしまう人だったりするのだな。

 で、「人に頼みごとができない」というのは、例えば仕事で必要な資料だとかソフトウェアだとかを会社に買ってもらおうとしたりすると、「それは本当に必要なものなのか?」みたいに「待った」が掛かってしまう。で、「それは本当に必要なのだ」みたいな文書を提出し、決済を待つのだけれど、これがなかなか下りない。で、「まだですか」とかいうと「検討中」とかだったりするのだな。で、「もう結構です」と言うと、「じゃあ、君は必要でもないものを必要だといって請求したのか」みたいな話になってしまうわけです。「それは業務上横領だ」とか言われてしまうのですね。そんなこんなで「当初は必要だったので、これこれこういう理由で必要なくなった」みたいな文書を作って提出させられるはめになったりするわけです。だから、仕事で使う資料やらソフトウェアやら、果てはマシンまで全部自前でした。

 で、同僚に何か頼みごとをすると、上司が割込んできちゃうのね。で、めちゃくちゃにされてしまう。で、「人に頼ってはいけない」とか言われるわけです。その反面、とても一人ではこなせないような量の仕事を押しつけられて文句をいうと、「なんでも自分一人でやろうとしてはいけない」とかいってお説教されてしまうのね。どないせーっちゅーんじゃ。

 留守電が使えない、というのは、とにかく夜昼なしに仕事の電話が上司から掛かってくる、というのがありました。で、こっちも上司からの電話だな、と思うと出ないんですよ。そうすると、何時と何時に電話したけどいなかった、みたいに叱られます。あるいは親の方に連絡が行って「緊急に連絡したいことがあるから」とかいうもんだから、親のほうから電話がかかってくる。
 で、留守電にしておくと、「明日何時に出社のこと」とか一方的に入ってるわけね。明日って休日じゃん、とか思ったりするわけです。で、あとで「留守番電話というのは失礼だ」とかいって怒ってるわけです。つまり、「仕事の電話には即座に対応できるようにしておくのが社員としての義務である」みたいな理屈なのだと思います。プログラマーとはそういう仕事なのだと。だけど自分はプログラマーじゃないから、プライバシーを侵害されるのは嫌だという。

 「人に頼みごとができない」「留守電が利用できない」。この二つの「症状」はけっこう生活上深刻です。「今はそういう上司とは無縁な生活をしてるのだから、関係ないじゃないか」とあたしを責める人もいます。だけど、何かのはずみでかつての上司のような他罰的な人と関わってしまったら、また以前のようにめちゃめちゃに生活を侵蝕されてしまう……そういうリスクを負いたくないんですよ。あたしとしては。

 自分のことは自分でする。電話を掛けても出なかったら、また掛けてもらう。それでいいじゃない?と思ってしまいます。

 だけど、こういうこと言っていると、「傲慢」だとか「偏屈」だとか「異常」だとか言われるんですけどね。

 PTSDは、百年経っても理解されないと思います。「理解したくない」人がいつづける限りは。

 今日はばっちり黒Maria (Maria)


Re: Through the looking glass 5822へのコメント
No.5829  Wed, 4 Jul 2001 22:44:34 +0900  Makichan [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>Makichan wrote:
>> 自分の状態が「病的である」とわかったのはそれから4年後でした。鬱に
>>我慢ならなくなって東京のクリニックに駆け込みました。それでやっと診断
>>もらえたんです。つけられた診断名は「自己同一性拡散」でした。
>
> 「自己同一性拡散」という診断名を見て、「なるほど、そっちへ来たか」と思いました。だけど、それって病名っていうより単なる症状だぞ。
> ともあれ「破瓜型精神分裂病」とか診断されなくてラッキーだと思います。
>
 医学書読んでみて自分では「破瓜型」じゃないかと思っていました。ただ分裂病というには妄想が弱いし(全然ないわけじゃなかったですが)幻覚もなかったですから。ただ限りなく近いところに居たと思います。
 私は基本的に今の精神医学を信用してません。ブンレツビョウと言われようと、アスペと思われようと癒されるわけでもないし、そこに線引くことにあまり意味がないように思えるんですね。うまくは言えませんが。
 自己同一性拡散の名前知ってこんどはエリクソンの本買って読みました。が、てんで解からない。それでこんどは地元の県立医科大教授と肩書きつく人を訪ねました。(なぜそうしたかは経緯説明するとややこしくなるので省略します。)そのときの会話がケッサクだったので、記憶の限り再現します。
 私「東京でIdentity defusion(英語でいうとこうなる)と言われたんです     が、それってどういうことなんでしょうか?」
 先生「そんなものなんでもないよ。ただたんに甘やかされて育ってるだけだ。そ   んなことに私は興味ない。」
 私「いや、私が興味あるんです。私が。」 
 先生「それならエリクソンを読みたまえ。」
 私「エリクソン読むんですけどよくわからないんですよ。」
 先生「読んで解からなければ聞いたってわからんだろう。」
 私「そんなことないでしょう。本だと解からないことも聞けないでしょう。まし   て作者が外人で死んでいたら無理ですよ。」(エリクソンが当時死んでいた   かどうか知りません)
 先生「なるほどね!そういう意味ならそうかもしれんが、私は忙しいんだ。君な   んか相手にしてられない。」

 それで会話は終わってしまったんですけどね。随分乱暴な会話ですが、実際にあった話です。私がここで言いたいのは、読書というのは情報が一方的ですよね。言葉だけだし、時とともに変化するわけでなし。その点会話は相互的だし相手の表情も読み取れるから、情報量が飛躍的に増えると思うんです。私がいまひとつ本とか、活字そのものを信用できないというか物足りなさかんじるのはそういう理由なんです。いくらだってツクレルんですよ。ウソをつけるんですよ。私は恋愛小説にさんざ騙されてきた人間だから、言葉にたいしてどうしようもない不感症になっていたんですね。精神科医との会話ではじめて「なるほど」と思えたのは、そのすぐ後(大学教授の後という意味)にお会いした大阪のT先生との会話においてでした。それが最初で最後かなあ(今の時点で)と思いますね。そのことはまた気が向いたらカキコします。

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