アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Xanadiiさん wrote:
> ごく最近の例としては、私が最近引っ越してきたアパートの私の隣室に、4人家族が住んでいるのですが、その末っ子の女の子(私が出会った時点では、まだやっとよちよち歩きだった)の「ミズホ(仮名)」ちゃん。普段滅多に会わないんだけど、彼女は、私を見かけるととことこ走ってきて、私の眼をじい〜っと見つめるので、カワイイな〜っと、思ってしまうのですが。
>
> 現在、まだ発語はないらしくて、「アア〜」しか言えないみたい。アパートの室内では、しょっちゅう彼女の「ピィ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」とか、「キャア〜〜〜〜〜〜〜っ」というような、金切り声というか超音波みたいな悲鳴?が壁を通して聞こえてくる。同時にドタン!バタン!と音がするので、彼女がかんしゃくを起こして暴れているのか、それとも考えたくないけど、せっかんを受けているのか...
>
> 上のお姉ちゃんは、ミナ(仮名)ちゃんと言って、小学校低学年くらい。私を見るとちゃんと「コンニチハ」って挨拶してくれるのですが、どうやら彼女、自分の妹のことちゃんと理解してやれなくて、辛くあたっちゃってるみたいだ。おもてで遊ぶときなんかも。「ミズホッ!ほらあ、おいでったら!もう、バイバ〜イ」なんていう、苛立ったような声が、よく聞こえてくる。
>
> ミズホちゃんは、果たして潜在的な自閉性障害を抱えている子なのか?それは、もっと彼女が大きくなってからでないと、私にも分からない。他人事とはいえ、つい気になってしまうんだけれど。今の私にできることは、陰ながら彼女の様子を見守ってあげて、もしいつか、ミズホちゃんがこの私に助けを求めてきたら、できるだけかばってあげようってことぐらいかな。人攫いになってしまわない程度にネ。「子ども110番」だってあることだしね。「ちびっこ園」の例だって...。
>
> これからもちょこちょこ、こんな「A-type発見秘話」を、私も続けていこうかなと、思っている。
僕には現在2歳1ヶ月の姪がいます。その子は発育は順調、言葉はすでに「これなーに?」「お絵かきするー」などが出てきて、周りのあらゆるものに興味を示す「いわゆる普通の人」です。
姪はしばしば僕の住んでいる家に来るのですが、どうも僕は姪とうまく遊んでやることができません。「いわゆる普通の人」の子供がいかなるものか理解できていないのです。
その姪の父親は僕の兄です。兄もまた「いわゆる普通の人」です。その奥さんも。
Xanadiiさんの投稿に出てきたミズホちゃんに対するミナちゃんのように、兄も僕を理解できないらしく、人格攻撃に近い悪口を言われるのはしょっちゅうでした(本人は軽いつもりで言ったのでしょうが、僕にはこう感じられました。)。ちなみに兄にはASのことは言っていません。いまさら言ったってどうなるものでもありませんから……。
まさしく、「A−type」と「いわゆる普通の人」は「異なる世界」です。
姪が大きくなって、僕のことをどういう風に見るのか少し不安になっています。なにせその子の両親が「A−type」を見ていない、理解が足りないのですから。
でも、もし仮にその家族に「A−type」の子が生まれてきたならば、僕はきっと適切なアドバイスができると思っています。「A−type」を見る目は「A−type」が最も確かなのですから。
「A−type」の子供たちのアドバイザーになりたい ミッドランド
みなさん、すばらしくたくさんのレス、ありがとうございました!!
ひじょうに興味深かったです。
私がこのことを質問したのには、みどりさんの意見、
>このあたりって、すごく「一般の人が変人 (含AS) を嫌がる理由」
>につながってるのではないかと思うのです。
>『危害を与えるわけではない。会話などの直接の接触があるわけでもない。でも嫌だ』
>というときに、無意識の中にある「嫌だと思う理由」を聞いてみたいのです。
というものと共通する疑問があったからです。
A−TYPEを自称する人々は、自分を「変わり者」だと認識していると、
ゆーりは思っています。
しかし、その「変わり者」たちが、別の方向性をもつ「変わり者」を見た場合、
どういう反応を示すか、ちょっと知りたかったのです。
アンケートをとってみて、分かったのは、やっぱりA−TYPEでも
「不快なものは不快」、「非常識」、「マナー違反」、「迷惑」、
「自分の感覚には合わない」と感じることがあるということです。
ふだん、輪の中からはずされている人間、そのひとりの内部にも、
理解不能な他人の行動は排除しようとする本能みたいなものがある。
この事実は、人間という生物を理解する上でひじょ〜うに大切なんではないか。
思うに、この不快さは、
「自分の信じていた暗黙の了解が破られることによって、自分の立つ
安全で心やすらける世界が壊されるのではないかという恐怖や不安から
生み出される感覚」なのではないか。
一種の、人間の生物的本能ではないかと思うのです。
とすると、一般人がA−TYPEの存在を不快に感じるのか、
ちょっと見えてきたような気もします。
ちなみに、私は
>● 電車の中でカップラーメンを食べていた若者。
>● 電車の中でひげをそっていたおじさん。
>● 電車の中で靴下をはきかえていた女子高生。
>● 電車の中でヘアアイロンをしていた女子大生。
>● 電車の中でミニスカなのに足を広げてパンツを見せていた大胆不敵な女子高生。
の人々は、羞恥心が欠如しているのだと思います。
私も電車の中で、おにぎりを食べているのであまり人のことは言えませんが。
「恥ずかしい」と思う感覚、それじたいが1つの文化であるような気がします。
でも開き直れば何でもできる、というのが人間の長所なのかもしれません。
「カップラーメンを買い、国家試験場まで食いながら走った」名加野さん、
火傷しなかったですか?スーツに汁はかかりませんでしたか?
見てみたかったなあ。
青春してるって感じですね。
武田さん、みなさん、こんばんわ。就職試験の後遺症で頭がまとまらない
くるとです。
あと、視覚異常に関する医学的な知見の整理をありがとうございました。
武田さん。
今日はコメントがまとまらないので、質疑だけで勘弁願います。
武田好史さん wrote:
> 目に障害があっても、視神経に障害があっても、脳に障害があっても私たち
>人間は正常な視認知ができなくなります。つまり「正常な視覚を持っている」
>ということは、「目からの外界の様子が正常に脳に伝わり、かつ脳が正常にそ
>の情報から画像を作り出せる」という2つの条件が満たされているということ
>なのです。
(1)目から外界の様子が正常に脳に伝わる
(2)脳が正常にその情報から画像を作り出せる
という点について質問です。そもそも、「正常な視覚を持っている」人が見
ている外界の様子は、実際の世界の様子を正しく知覚できていると言うことが
できるのでしょうか?
伝統的な哲学の解釈では、実際に存在する世界の様子とわたしたちが知覚で
きる世界(現象)は同じではありません。つまり、わたしたちが見ることので
きる現象と、実際の世界の様子は別物なのではないかという疑問があるのです。
色覚についても同じことが言えます。「正常な視覚を持っている」とされる
人が色を見ているからと言って、この世界に色が存在することが証明できるの
かどうか謎です。
人間が知覚している現象面の説明としては、医学的な説明は正しいと思いま
す。でも、わたしが頭を悩ませているのは、実際に存在する世界に色は存在す
るのか、という点にあります。
> このように「見える」ということは、目と脳が同時に正常でないと「正常
>に体験できない」感覚なのです。
色というものが「人間の感覚と独立して存在しているのか」「人間の脳や目
の共同作業によって作り出された虚構なのか」というのが、質問のまとめにな
ります。
余裕があったら、お答えいただければ幸いです。それにしても、話が自分の
知能では手に負えないところまで来てしまったような気がする…。ちょっと、
頭がショートしてきたくるとでした。
みどりさん、みなさん、こんにちわ。ちょっとハードな就職試験を受けて
ヘロヘロ状態のくるとです。(ちょっと疲れ方が異常だ)
>つまり、くるとさんも、基本的には「危害」を基準に「非常識かどうか」を判断している (もしくは、判断しているつもりである) のですね。
>でも、これらの事項については、非常識だと思ったのに、基準となるべき危害が見つからなかった。それで困った。
>
>... 合ってます?
正確には「危害」があるかどうかだけが基準なんです。で、常識から外れて
いても、具体的な危害がなければいちいち腹を立てる必要はない、と考えなが
ら生きていました。だから、ゆーりさんが例に挙げたような行動をなぜ自分が
しないのか不思議でした。根拠もなくマナーに従っていたとしか思えないので
す。
>なんでこんなにしつこく聞くのかと言うと、このあたりって、すごく「一般の
>人が変人 (含AS) を嫌がる理由」につながってるのではないかと思うのです。
>
>『危害を与えるわけではない。会話などの直接の接触があるわけでもない。で
> も嫌だ』 というときに、無意識の中にある「嫌だと思う理由」を聞いてみた
> いのです。
今回の件について、わたし自身は「感覚的に嫌だ」と思ったことはありませ
ん。ただ単に、自分がそうしなかっただけという感じです。
でも、「一般の人が変人を嫌がる理由」については、ちょっと気になります
ね。まだ、まとまりませんが、1つだけ仮説でも出しておきます。
これはわたしの例ですが、親戚の50代の男性を「感覚的に嫌だ」と感じた
ことがあります。その男性は家族の中の鼻つまみ者であり、両親はたびたび彼
を反面教師として、わたしの行動や性格を矯正しようとしました。ところが、
今から思えば、その男性というのは家族の中では1番わたしに似ているんです
ね。わたしを更に極端にしたタイプの人間と言っていいでしょう。おそらく、
家族はわたしの中にその男性に似た特徴を見出したため、その人をわたしの反
面教師に設定したのでしょう。
で、以上のことからわたしが考えた仮説です。「一般の人が変人を嫌がる理
由」は、一種の自己嫌悪なのではないでしょうか。つまり、自分が子供の頃に
やってとがめられた奇行(?)を、他の人が目の前で実行したために自己嫌悪
に陥ってしまった状態なのではないかと考えます。
ちょっと、頭がまとまらないので、今日はここまでにしておきます。では
Xanadii wrote:
> 今、“ナルコレプシー”について、めっちゃ勉強中です。
> なぜなら、自身が各診断項目に、かなりの部分該当していることに気がついてしまったので...。診断は、自己診断になってしまわざるを得ないけど、今の日本の医療事情を思うとさ。そういう金銭的余裕がないという恨みなきにしもあらずって訳で...
> しかし、As/ADD/LDときて、さらにナルコレプシーということになったら、一体、何ヶ所破壊されていることになるのかしらね、私の脳は(-_-)?
ナルコレプシーというのは、正常の意識状態にある人が不意に眠り込んでしまう発作のことを指します。
発作を起こした人の話によると、日中に耐え難い眠気に襲われ数十分から数時間眠り込んでしまい、眠りに落ちる際に悪夢を見ているようです。
またこの発作を起こす人は笑ったり・驚いたりすると力が抜けてしまう傾向があるようです。
ミッドランド wrote:
>
> 今思うと、彼はもしかしたら僕同様、なんらかの発達障害を抱えていたのでは? と思うのです。人に関心がないという特徴は僕も持っていましたから。
> だとすると、これが僕にとって最初の「A−type」の人との接触だということになります。もし気軽に「どこから来たの?」「歳は?」「どうしてここに来たの?」と話し掛けることができたなら、彼といい友達になれていたかもしれません。「いわゆる普通の人」はこれで難なく友達を作れるんでしょうね。ああ……
まあ、本やマンガに没頭して、一時的に周囲への関心が全くなくなるっていうことは、非A-typeの人々にもあることだから...それでも、ミッドランドさんがそう感じたって事は、ご自分に通じる「何か」を、その子に発見したのかも知れないですよね。カッコ良く表現するなら、「ヴァンパイア・ハンターがヴァンパイアを見分ける」みたいにして?
> 皆さんはそんな「一瞬だけの思い出の人」はいませんか?
>
子供時代から今にいたるまで、まさにヴァンパイア・ハンター(ヴァンパイアと人間のハーフみたいな存在)として、見分けてきておりまですすよ、わたしゃ(^o^)。
まさしくビビビ!とくる人と、「これはちょっと微妙なところだなあ〜...」といういわゆるグレイ・ゾーン・タイプに至るまで、ピンキリですけど。
ごく最近の例としては、私が最近引っ越してきたアパートの私の隣室に、4人家族が住んでいるのですが、その末っ子の女の子(私が出会った時点では、まだやっとよちよち歩きだった)の「ミズホ(仮名)」ちゃん。普段滅多に会わないんだけど、彼女は、私を見かけるととことこ走ってきて、私の眼をじい〜っと見つめるので、カワイイな〜っと、思ってしまうのですが。
現在、まだ発語はないらしくて、「アア〜」しか言えないみたい。アパートの室内では、しょっちゅう彼女の「ピィ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」とか、「キャア〜〜〜〜〜〜〜っ」というような、金切り声というか超音波みたいな悲鳴?が壁を通して聞こえてくる。同時にドタン!バタン!と音がするので、彼女がかんしゃくを起こして暴れているのか、それとも考えたくないけど、せっかんを受けているのか...
上のお姉ちゃんは、ミナ(仮名)ちゃんと言って、小学校低学年くらい。私を見るとちゃんと「コンニチハ」って挨拶してくれるのですが、どうやら彼女、自分の妹のことちゃんと理解してやれなくて、辛くあたっちゃってるみたいだ。おもてで遊ぶときなんかも。「ミズホッ!ほらあ、おいでったら!もう、バイバ〜イ」なんていう、苛立ったような声が、よく聞こえてくる。
ミズホちゃんは、果たして潜在的な自閉性障害を抱えている子なのか?それは、もっと彼女が大きくなってからでないと、私にも分からない。他人事とはいえ、つい気になってしまうんだけれど。今の私にできることは、陰ながら彼女の様子を見守ってあげて、もしいつか、ミズホちゃんがこの私に助けを求めてきたら、できるだけかばってあげようってことぐらいかな。人攫いになってしまわない程度にネ。「子ども110番」だってあることだしね。「ちびっこ園」の例だって...。
全くの余談だが、私が昔勤めてたレコード屋のすぐ横の雑居ビルに、「ちびっこ園」があったのよね。ぜったいヤバイって思ってたもん。中を見たことはないけれど、もういちんち中、子どもが泣きっぱなしで、それも一人や二人の声じゃなくって。ニュースを見て、問題があったのは、経営者側で、保母さんの方ではなかった(中には無資格の人もいたらしいが)というのが、せめてもの救いかな。
とにかく、子どもの悲鳴が聞こえ続ける環境に、真の心の安らぎと、幸福はありえことないだろう。
これからもちょこちょこ、こんな「A-type発見秘話」を、私も続けていこうかなと、思っている。
武田好史 wrote:
>ミッドランド wrote:
>> 皆さんレスありがとうございました。まだその気にはなれませんが、ご意見を参考にして今後の糧とさせていただきます。
>>
>> さて今回は、前回の投稿でふと思い出したことがあったので、それを綴ります。
>>
>>ミッドランド wrote:
>>> まずは小学校入学後間もないとき。僕が他人とどこか違うということで、大学病院へと連れて行かれました。ちなみにこのとき受診したのは「小児科」でした。当然、正確な診断など下されるはずもなく、「精神科の方へ行って下さい。」のアドバイスすらありませんでした(今から21年前の話。そんなことを期待する方が無理があったかもしれない)。
>>
>> > 今思うと、彼はもしかしたら僕同様、なんらかの発達障害を抱えていたのでは? と思うのです。人に関心がないという特徴は僕も持っていましたから。
>> だとすると、これが僕にとって最初の「A−type」の人との接触だということになります。もし気軽に「どこから来たの?」「歳は?」「どうしてここに来たの?」と話し掛けることができたなら、彼といい友達になれていたかもしれません。「いわゆる普通の人」はこれで難なく友達を作れるんでしょうね。ああ……
>>
>> 皆さんはそんな「一瞬だけの思い出の人」はいませんか?
>>
>> 子供時代の「貴重な出会い」は本当に大切と感じる ミッドランド
>
私も結構「あれ、もしかしてこの子アスペッ子??」という子にあっていますが、その中でも忘れられないのは、去年の夏地元の身体障害者のケア施設でボランティアをしたときにあった、やはりボランティアの中学生の女の子です。
彼女は、恐らくは目から入った情報を基に身体を動かすことが非常に苦手であったのでしょう。私が施設の職員に教わってその日のうちにマスターした、タオル箱を組み立てる作業がその子は全くできず、「みんなどうしてそんなに簡単にできるんですか??私には気が遠くなりそうなことなんです・・・・」と泣き出してしまいました。一緒に作業をしていた年輩のボランティアの人が、「そんなのはなれるしかないよ!」とその子にこぼしました。
彼女はそのことがよっぽどショックだったらしく、予定を切り上げて帰ってしまいました。私は昼ご飯を早めに済ませて、懸命にその子が残していった箱を組み立てました。
未だに「もっと優しくしてあげれば・・・」「もしかして重い鬱病に陥ってないだろうか・・・」ということが気にかかります。
今、“ナルコレプシー”について、めっちゃ勉強中です。
なぜなら、自身が各診断項目に、かなりの部分該当していることに気がついてしまったので...。診断は、自己診断になってしまわざるを得ないけど、今の日本の医療事情を思うとさ。そういう金銭的余裕がないという恨みなきにしもあらずって訳で...
しかし、As/ADD/LDときて、さらにナルコレプシーということになったら、一体、何ヶ所破壊されていることになるのかしらね、私の脳は(-_-)?
皆さんレスありがとうございました。まだその気にはなれませんが、ご意見を参考にして今後の糧とさせていただきます。
さて今回は、前回の投稿でふと思い出したことがあったので、それを綴ります。
ミッドランド wrote:
> まずは小学校入学後間もないとき。僕が他人とどこか違うということで、大学病院へと連れて行かれました。ちなみにこのとき受診したのは「小児科」でした。当然、正確な診断など下されるはずもなく、「精神科の方へ行って下さい。」のアドバイスすらありませんでした(今から21年前の話。そんなことを期待する方が無理があったかもしれない)。
このとき行った病院の待合室でのこと。僕は母親のとなりに座り、家から持ってきたマンガ雑誌を読んでいました。
すると、僕がマンガ雑誌を読んでいるのを見ている、ひとりの男の子が僕のとなりにいました。僕は彼のことなど気にも留めなかったのですが、僕の母親が、
「そのマンガ、その子に読ませてあげたら。」
と言ったので、僕は言われるままに彼にマンガを渡しました。どうやら彼はマンガを読みたかったようです。僕はまったく気づきませんでしたが。
当時の僕は、マンガを読むときは「ボソボソ独り言状態」でした。もともと文章(この場合はセリフ)を読むのが苦手だったので、自分の脳に響かせて意味をとる、ということからです。
ところが、彼の場合はセリフを声に出して読む、つまり音読していたのです。
しかも、セリフの一字一字をゆっくり、追うようにしてたどたどしく声を出して読んだのです。
僕はそばで彼の読む(自分のなのに)マンガを一緒に読みました。彼が声に出してくれるので、僕もゆっくりと読めました。
しかし、彼は僕の存在に気づく様子はなく、ただひたすらマンガを読みつづけていました。同時に僕も彼のことよりマンガの方に関心が行っていました。
時間が過ぎていき、僕の番が近づいてきたのですが、僕は自発的に彼に「もうマンガ返して。」と言えませんでした。母親に促されて、とりあえず「返して。」とだけボソッというと、彼は何もいわずに僕にマンガを返して、それからどこかへ行ってしまいました。
今思うと、彼はもしかしたら僕同様、なんらかの発達障害を抱えていたのでは? と思うのです。人に関心がないという特徴は僕も持っていましたから。
だとすると、これが僕にとって最初の「A−type」の人との接触だということになります。もし気軽に「どこから来たの?」「歳は?」「どうしてここに来たの?」と話し掛けることができたなら、彼といい友達になれていたかもしれません。「いわゆる普通の人」はこれで難なく友達を作れるんでしょうね。ああ……
皆さんはそんな「一瞬だけの思い出の人」はいませんか?
子供時代の「貴重な出会い」は本当に大切と感じる ミッドランド
武田好史 wrote:
>くると wrote:
>> 医学的説明では、色がこの世界に存在することを前提で、色覚異常を説明し
>>ているように思える。しかし、そもそもこの世界には色が存在するのであろう
>>か?色が見えるということ自体が、わたしたちの幻覚に過ぎないということは
>>ないだろうか?
>> この仮定が成り立つとすると、「色覚が正常か」という問いは「正しく幻覚
>>が見えているか」という奇妙な問いに変質してしまうことになる。そして、「
>>色覚異常」とは「多くの人が見えている正しい幻覚とは異なる幻覚をみてしま
>>う障害」ということになる。これは奇妙な考え方である。
>> そもそも、幻覚を「正しいか否か」という尺度で判断することは不可能であ
>>る。この場合、「多くの人と同じ幻覚を見ている人」が健常者と判断され、「
>>異なる幻覚を見ている人」が障害者とみなされることになるであろう。
>> 以上のことから、「健常=正しい」という認識は誤まりであり、「健常=典
>>型的」という判断をすべきであると考える。
>> 以上です。
>
健常すなわち典型的な人間の視覚系は、優れた3次元カラー画像送受信システムとして稼働しています。目は外界の様子を捉えるテレビカメラ・視神経は捉えた映像を変換した電気信号がとおるケーブル・脳は電気信号を画像に変えて編集するテレビであると見なせます。
目に障害があっても、視神経に障害があっても、脳に障害があっても私たち人間は正常な視認知ができなくなります。つまり「正常な視覚を持っている」ということは、「目からの外界の様子が正常に脳に伝わり、かつ脳が正常にその情報から画像を作り出せる」という2つの条件が満たされているということなのです。
色覚異常は、網膜の光の波長を感じて色に変換する細胞が正常に機能していないので目の障害といえますし、片方の目が見えない人は奥行きが捉えられなくなります。両眼の視神経に障害があれば全く目が見えなくなります。これらは目からの情報が正常に脳に届かないという障害です。
「目の前にあるものは、目の後ろから来る」これはあるアメリカの現代美術家の言葉で、「我々の視覚は脳を抜きにして語れない」ということですが、脳に原因がある視覚の障害もあります。例えばある種の学習障害の子は視覚野に欠陥があり、「X」が「><」のように分離して見えてしまいます。分裂病で見える幻視は海馬や大脳辺縁系に記憶され蓄えられている過去の視覚情報が、その部分のドーパミンの濃度上昇と前頭葉の機能低下によってごちゃこちゃに視覚野に送られることによって生じています。また目に問題のない鬱病の人が見ている、すすがおりたようなくすんだ光景もやはり脳の異常によって生じた視覚異常といえます。
このように「見える」ということは、目と脳が同時に正常でないと「正常に体験できない」感覚なのです。
みどりさん wrote:
>自称ASのみどりです。
>
>もしも Makichan さんが本当に後天性なのであれば、そしてかつ発症の過程に可逆性があれば、もと(?)に戻るという可能性が先天性の場合よりも高いかもしれません。
>まあ、現在のところ、事実上は変わりないでしょうが。
先のカキコで書かなかったんですが、20歳の時頭の中でなにか(としか言いようないです。)が起こってですね、24歳で「Identity defusionではないか」と診断れたその直後またなにかが起こったんです。奇妙な体験です。癲癇の発作に似てるのかな、頭の中でなにかが爆発したって感じでしたね。その日一日涙が溢れ出して止まりませんでした。街で流れる音楽に感動しては泣き、写真屋に掛けてある花の絵をみては涙をながしていました。4年間感情てものがまるでなかったんですよ。それがイッキに戻っちゃうんだから。周囲の人に随分ヘンに見られていたでしょうね。大の男が泣きながら一人歩いてるんだから。けど完全に前とつまり20歳以前と同じように戻ったわけじゃないんです。自閉症状が残ってるんですね。知覚過敏とか離人症、集中力、短期記憶力低下とかです。24歳以後はさほど変化はないです。
戻ることはないでしょう。過去に戻って生きれないのと同じですよ。
>
>対症療法 (現実社会への対処法) ということで言えば、「非アスペ時代の記憶がある」かどうかでずいぶん違うんじゃないかと思います。記憶があるがゆえに楽なことも、あるがゆえに苦しいこともあるでしょうけど。(そこら辺が本にしたらおもしろそうだと思うわけです)
違うと思います。ドナウィリアムスさんの本なんか読むとびっくりします。あれを読むと、自閉症名乗るのは失礼かなと思ったりします。テンプルグランディンさんには少し似てるかなと思いますが。
読み手としてはおもしろいかもしれませんが、書くほうとしては大変だと思います。文章書き慣れていませんし、記憶が随分薄れてきてますからね。。私は不純なおとなですから、オカネになるとわかれば考えますが(笑)。同じような経験してる人けっこういますよ。本としては余り読みませんが。「大うつ病」と同じじゃないかなあ。わかりませんけどね。
>そういう医療的な部分から離れれば、「○○同士は理解しやすい」ということと、「○○でなければ○○は理解できない」ということはまったく違うと思います。理解できるひとがそこにいるのなら、自分や相手が○○であろうがなかろうが、いいじゃないですか。
すみません。ここの意味いまひとつ理解できません。私はここに居易さ感じてるんです。Aタイプの人私の周囲には結構いるんですね。ただ身近すぎるとなんかつらいもの感じるんです。ここは適度な距離保てそうでいいんです。自分が勝手にそう思っているだけでここの人たちは迷惑してるかもしれませんが(笑)。迷惑かけてるようでしたらはっきりそう言ってください。それのほうが自分としては嬉しいんです。この場に出るのも社交マナー身に付けるいい勉強になると思ってます。
くると wrote:
>みどりさん wrote:
>>くるとさんは、「これらは他者危害の原則には反していない、困ったことに」
>>と書かれましたが、「困ったことに」というのは、なにが困るんでしょう??
>>具体的に解説してもらえると、助かります。
>
> しかし、ゆーりさんが挙げた行為のどこに問題があるのかということを説明
>しようとすると理論的に説明することができませんでした。とりわけ、それら
>の行為が他人にどのような危害を与えているのかを説明するのは困難でした。
つまり、くるとさんも、基本的には「危害」を基準に「非常識かどうか」を判断している (もしくは、判断しているつもりである) のですね。
でも、これらの事項については、非常識だと思ったのに、基準となるべき危害が見つからなかった。それで困った。
... 合ってます?
なんでこんなにしつこく聞くのかと言うと、このあたりって、すごく「一般の人が変人 (含AS) を嫌がる理由」につながってるのではないかと思うのです。
『危害を与えるわけではない。会話などの直接の接触があるわけでもない。でも嫌だ』 というときに、無意識の中にある「嫌だと思う理由」を聞いてみたいのです。
(実際の場で相手に聞くとキレられて終わりそうだから、こういうじっくり考えてもらえる仮想場面はちょうどいいなあと)
くるとです。武田さんに教えてもらったサイトで、色覚異常(色盲,色弱)
について調べてみました、問題を設定しなおしておきますね。
(色覚異常とは)
医学的には、人の網膜にあるとされる視物質がうまく機能しないために発生
すると考えられている
色盲→視物質が欠けている状態
色弱→視物質がうまく機能しない状態
(不肖くるとの問題提起)
医学的説明では、色がこの世界に存在することを前提で、色覚異常を説明し
ているように思える。しかし、そもそもこの世界には色が存在するのであろう
か?色が見えるということ自体が、わたしたちの幻覚に過ぎないということは
ないだろうか?
この仮定が成り立つとすると、「色覚が正常か」という問いは「正しく幻覚
が見えているか」という奇妙な問いに変質してしまうことになる。そして、「
色覚異常」とは「多くの人が見えている正しい幻覚とは異なる幻覚をみてしま
う障害」ということになる。これは奇妙な考え方である。
そもそも、幻覚を「正しいか否か」という尺度で判断することは不可能であ
る。この場合、「多くの人と同じ幻覚を見ている人」が健常者と判断され、「
異なる幻覚を見ている人」が障害者とみなされることになるであろう。
以上のことから、「健常=正しい」という認識は誤まりであり、「健常=典
型的」という判断をすべきであると考える。
以上です。
武田好史 wrote:
>武田好史 wrote:
>>>http://www.eandc.org/faq/shikikaku.html
>>>>>>>>
>>>http://www.ne.jp/ashahi/shinsei/saitama/shikijyaku/doc/data.htm
>>>>>
>>>>> このサイトに直接入ってみようと試みたのですが、うまく入れません。ウェ
>>>>>ブ検索してみようと思うので、どなたかサイト名を教えていただけないでしょ
>>>>>うか?
>上のアドレスのほうが正確です。すいません。
みどりさん wrote:
>くるとさんは、「これらは他者危害の原則には反していない、困ったことに」
>と書かれましたが、「困ったことに」というのは、なにが困るんでしょう??
>具体的に解説してもらえると、助かります。
ゆーりさんが例として挙げたマナー違反に属する行為は、感覚的には自分が
実践することに抵抗があります。わたしがここに挙げられた行為を実践するこ
とはまずないと言っていいでしょう。
しかし、ゆーりさんが挙げた行為のどこに問題があるのかということを説明
しようとすると理論的に説明することができませんでした。とりわけ、それら
の行為が他人にどのような危害を与えているのかを説明するのは困難でした。
これらの行為を「みっともない」とか「見苦しい」という言葉で片づけるこ
とは可能です。しかし、これだけでは他者に迷惑をかけているということには
なりません。むしろ、その人たちより自分のマナーがいいことを知って、優越
感にひたる人さえいるのではないでしょうか。
こんなことをごちゃごちゃ考えているうちに、つい「困ったことに」という
表現が入ってしまったようです。言葉足らずで失礼しやした。もうちょっと考
えがまとまったら、「他者危害の原則」についてコメントを書いてみたいと思
います。では(くると)
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