アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みどりさん wrote:
>所属。となると、やはり「名前が付くと個性とは呼ばないこともある」の極端な例かなあ。
>
>日本人が一人でいきなりアフリカの民族のなかで暮らすことになったとき、日本人であることは個性かしら。
>医者ばかりがあつまる同窓会で、いつもくるけど唯一医者じゃない道に進んだ人の職業は個性かしら。
>個性から発芽されたもの、といったらいいのかな。
まだ、未整理のままですが、もう1点。「個性」と呼ばれるものには非同一性
が必要なのではないかと思います。つまり「自分にしかないかけがえのないもの
」とでもいいましょうか。少数であっても同じ特徴を持っている人が仲間意識を
持つのであれば、それは「所属」ということになると思います。
こうして考えていくと、「障害」には「個性」と「所属」という二面性がある
のかな、と。(まだ自信がないのですが)つまり
(1)同じ「障害」を持つ人同士が連帯感を持つのであれば「障害」は「所属」
(2)「障害」の中に自分にしかないかけがえのないものを見つけ出したり生み
出したりのであれば「個性」
という具合です。具体例を挙げるとわたしが参加している「成人LDの会」は
「障害」を「所属」としてとらえた会です。でも、これとは別にわたしは自分の
特異性に魅力を感じている部分もあるので、この部分は「個性」ととらえている
ふしがあります。
ひとまず、今日はここまでにします
名加野さん wrote:
> つきつめていくと、結局人間とは、何を理解できるのか。そして何を理解で
>きないのかという話になっていくのでしょうか?(なんかずれてる気がしますが……)
いえいえ、哲学をはじめてから真っ先に気になったのがこの問題です。いわ
ゆる人間の理性の限界って奴。そして、わたしが今回提示したコメントは、多
くの人が持つ健常者のイメージが明らかに生身の人間の限界を越えているので
はないかという点にありました。
> そして、「健常者」が理想であるとすれば、他人の目は「気にするな」と
>いう事になり、どこのレスか忘れましたが「体に正直に生きる」とすれば、
>社会の常識や意識さえも、まさに「ただ暗黙のルールがあり、従うか従わな
>いかは自由デース。ただし、多数派に所属しないと不自由ダヨーン」と言っ
>てる気がします。
ちなみにニーチェという哲学者はこういうのを「奴隷道徳」と厳しく非難
しました。ニーチェのこの言葉を見た時、「健常者の猿真似をしながら生き
ているわたしこそ、こういう奴なんだ」とがっくりきました。
みどりさん wrote:
>ここでさらに検討すべきことは「自閉症者が気持ちや意図を理解できる相手
>は誰か」というものです。
>これが自閉症者も同じ仲間の気持ちや意図を理解できるのであれば、この「
>自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解することができ
>る」は、自閉・非自閉にまたがる普遍的な事実とになります。
わたしはあくまで教育学的LDの判断しか受けていませんが、社会認知に
おおきな困難を抱える立場から発言します。わたしの場合、特定の場面にお
いて妙に他人の気持ちを的確に言い当てられることがあります。それは
(1)類似する障害を抱えている者同士の会話
(2)類似する経験(いじめ、社会不適応など)を持っている者同士の会話
のような場面です。しかし、(1)にしろ(2)にしろ類似する経験を持っ
ている人は少数なので、あまりたくさんの人に共感することができません。
だから、わたしの障害について言えば、「共感性の欠如」というよりは「共
感できる対象が狭く限定されている」という状態なのです。
>自閉症の心を理解したかどうかテスト。対象者も自閉症者。誰が作ればい
>いんだろう。それを学会レベルに認めてもらうことができるのだろうか。
本当に迷いますよね。仮に自閉者が作ったとしても、同じ自閉症者の間に
も差異がひしめきあっているし…。「普通の人になりたい」という人から、
「自分のあるがままが好きだ」という人まで様々ですからね。
みどりさんwrote:
>>反社会的な病気とか非社会的な病気というのは一体…(絶句)
>身体は完璧でも、反社会的な行動に走ったり、社会にとけこめなくて悩んでた
>りというのも「不健康の要因」である、ということですね。
そうか…。考えてみれば、神経症や人格障害のように脳機能障害を伴なわな
い心因性の病気というのがありましたよね。
>そういう遺伝的影響があるからこそ、「与えられた遺伝的条件下で」という文
>が追加されたのではないでしょうか。
>そうでないと、たとえば盲目で生まれた人はいきなりそれで「はい不健康」に
>なっちゃう。
>「遺伝子と環境が許す限りの健康さ」を目標にしましょうってことじゃないで
>すかね。
すると、発達障害やその他遺伝病であること自体は「不健康」ではないとい
うことですね?そこに情緒的にこじれが重なって不健康になる、ということで
いいのですか?
>
>そういえば白人の青い目も遺伝子的欠陥によるものだって聞きました。
>そうすると、特定の地域 (太陽がまぶしいところ) で偶然隔世遺伝かなんかで
>一人だけ産まれた青い目の子供は、「遺伝子による障害者」となるでしょう。
>で、その子が大きくなってヨーロッパの北の方に旅行して、「この国は障害者
>ばかりだ、障害者が国を支配している」と思ったりするんだろうか。
うーむ。ここは以前コメントした「困難度の有無」が関わってくるような気
もします。でも、こうしてみると「健常者」を考えるうえで、遺伝病の問題は
ちょっと難しいですね。アイデアが浮かんだらまたコメントします。では
くると wrote:
> >
>(1)「わたしは健常者のように普通になりたかった」
>(2)「健常者はわたしたちのことを理解していない」
> この掲示板にもよく登場するコメントですが、意外に健常者というの
>が何者なのかははっきりしていません。例えば自閉症との対比でいうな
>らば、「他人の気持ちに共感できる」というのは健常者(非自閉者)の
>条件ということになるでしょう。
こんにちは
健常者のみちるです。
確かに、健常者というのは何者なんでしょうね。
簡単にいうと、この世の中に起こる事を回りの人達からとくに逸脱せず
処理できる心を持っている人。
ということかなと、思います。
確かに、健常者といっても、人格者もいれば、そうじゃない人もいます。
それは、自閉の人達にも言えることで、努力している人、そうじゃない人が
いるのと同じです。
>
> しかし、現実的には健常者と呼ばれている人たちが全ての他人の気持
>ちに共感できる訳ではありません。現に(2)にあるように「健常者」
>と呼ばれている人たちは「自閉症者」の意図を理解するのが困難です。
>「自閉者」本人が書いた手記がもてはやされる背景には、「自閉者」の
>意図や気持ちを読み取れる「健常者」が少ないという事情もあると思わ
>れます。
そのとおりです。
>
> 「自閉者」ができなくて「健常者」ができることとして、非言語情報
>(表情、しぐさ、声色など)と暗黙の了解の察知が挙げられます。しか
>しそれらをもってしても自閉者の意図や気持ちを読み取るのは困難なの
>です。
そう思います。
でも、普通の人同士でも、気持ちや意図をくみとる、本当に相手の身になって
なんて、できないのです。
私たち普通の人ができるのは、それはそれとして、尊重し、相手の心を
傷つけないように、心配りをして上げられる事なんだと思っています。
私の知るかぎりですが、自閉圏の人達は自分に始まり、自分に終わる人が
多いように思います。たとえば、「誰もわかってくれない」ってじれたりね。
それはお互い様でしょう。と思っています。
>
> こう考えますと、「健常者なら他人の気持ちや意図を理解できる」と
>いうのは幻想,あるいは健常者の願望に過ぎないことになります。正確
>には「自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解する
>ことができる」と言うべきでしょう。
うーん、それプラス、それ以外の思考パターンを持つ人の気持ちや、意図を
理解しようとできる。尊重することができる。
自閉者も非自閉者も自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を
理解し、同じような方たちと友達になるでしょう。夫婦になるでしょう。
そういう意味では、健常者も非健常者も同じだと思います。
私が、今、家族のなかに自閉圏の人三人、境界一人、普通ふたりで生活をしているので、言えることは、自閉圏の人達は、やはり、一方方向からしか、物事を
とらえない、ということを感じます。とくに感情の面でその傾向をつよくしますね。ただ自分が関心あることには、沢山の思考回路で対応し驚きますが、私たち非自閉圏の人間にも出来ないことではないと思っています。
ただ私たちはほどほどということを知っているから、なにもかもそのことに没頭してという事をしないだけで。よく高機能の知能の高い人達が傲慢にこんなこともできないのかという態度でこられると、「だからどうしたの」と言う思いをつよくします。
その分私たちは、あなたがやり遂げられるよう配慮していたのよ。あなたがしないことを陰で全部していたのよ。貴方のために・・・。知っていた?
って事になるわけです。
>
> いったい健常者とはどのような人を指すのでしょうか?障害者とされ
>る人ができないことを完全に実現できる「健常者」は存在しないように
>思われます。謎(???)です。
マニュアル化しているわけではないから当然です。そこを追求することが
そもそも違うと思える私です。
健常者というくくりで見るからかもね。
私から見る自閉の人達って、
自分の世界に住んでいて、私たちと共存している人
でも私たちの見る世界と別なところからの視点で物事を感じ、受け止める人
それで、私たちの世界にはいるのだけど、平行した別の世界で自分なりに生きている人たち。人を受け入れられない人たち。相手の考えを尊重できない人達。
とおもいます。
良いことはあえて書き込みませんが。
いろんなこと書きました。敵をつくったかも・・・。
キロイさんみたいに、考えをちゃんとした日本語でまとめられないので
解り辛かったでしょう。ごめんなさい。
今、ASの人のお陰で苦しんでいるものだから、辛口な評価だったかも。
みちることなおみの夢
ぺりこさん、こんにちは。
>その本には、”言葉は頭の言葉であって、体の言葉ではない。本来ストレスは体からの言葉(感覚)に正直で有れば生じないものである。
>不安や恐怖を感じるのは頭ではなく体である。
>体からの言葉(感覚)をないがしろにするのは、体を否定して頭で生きようとすることであり、それを続けていくと一応はかない一時的な平和は訪れても、体は納得しないので、不安、恐怖を生産し続けることになる。
>その(感覚)を感じないように対処しようとする頭の働きこそ、ストレスの原因になる。
>頭(考えること)よりも体(感じること)を大切にするべきである。”と書かれてあります。
この文章だと「体」の方が心になるのでしょう。それとも、心は分散してるのかな。「頭=考える心」「体=感じる心」? 何でしょうね? ふと疑問に思いました。
ぱうぜさん、こんにちは。
>私などは別に「これこれが好き」という自覚がないままに、いろいろな知識が溜
>まっていたりします。正常と思われる人と話していると知識があることについて
>は、全て趣味と理解されるらしく「多趣味な人だ」と言われます。
>私自身は「趣味といえるものはない」と思っているのですが。
ふむふむ、「本人にとってすらどうでも良い事」を覚えている……と。
うーん、そう言うのって、どう言う時に思い出しますか? もしくは、ずっと記憶したままって事ですか?
……考えれば考えるだけ「中途半端」な存在になって行くな僕。ASでなく、自閉症でもなかったら、なんなんだろう。やはり、診断してもらわなきゃなりませんね。自己の精神安定のために。
なんか独り言ばかりでごめんなさい。それでは。
こんにちは、ミッドランドさん。
> イデオロギーに縛られるのは甚だ御免
この言葉に興味を持ったので調べてみました。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3776/ideologie.html
http://www.law.keio.ac.jp/~hagiwara/lawsemi4.html
すると、全然関係無い事が目に入りました。多分色覚異常の話にもつながってくると思います。下のURL「悪魔の科学」から抜粋しました。あまりイデオロギー自体には関係ないですが。
# 「ものを見る」場合に、「目」で見ると思っている人が多いかもしれないが、実はわれわれは「頭」でものを見ている。願望、予想、期待、仮説などの観念のフィルターを通してしかわれわれにはものを見ることはできない。だからこそ、夜道で風にそよぐ柳が幽霊に見えたりもする。「ものの見方」を教えるとは、比喩的に言えば、われわれが眼鏡なしにものを見ることが不可能なので、とりあえず眼鏡を作り、それをかけさせてみることである。ところがこの眼鏡にはどうしても歪みがあり、色もついているのだ。歪みも色もない眼鏡、それさえかければ真理を見ることのできる眼鏡など存在しないのである。だからこそ必要なのは、徹底した懐疑の精神なのかもしれない。すべてが疑いうる。いや、本当に自明なものなど何ひとつ存在しないのである。その懐疑の精神の芽生えまでたどりつけてはじめて、教育はイデオロギーの呪縛から半歩ほど抜け出せるのかもしれない。
ちょっと違うとは思うんですが、まだまだ勉強不足のため、コメントが出来ません。ただ、イデオロギー自体は悪くないんだな。と思いました。良く聞く言葉なのに、全然調べてなかったので良い機会だったと思います。それでは。
みなさま、お久しぶりです。
私は、高次脳機能障害があるにもかかわらず、周囲に気づかれず、つい最近
自分で気づいたものです。ASという診断はされてませんが、この掲示板の
経験談ととても良く似た経験があります。
ミッドランド wrote:
> 皆さんは「日常生活では役立たない、どうでもいい知識」が多く記憶される、ということはありませんか? 僕はそうです。
>
> たとえば、僕は大相撲が好きなのですが、次のような本当に「知っててどーなる!?」というようなことを記憶しています。
>……いくらでも出てきます。こういったことは数多く覚えるのに、なぜか実生活で役に立つ知識はなかなか頭に入らないのです。現に僕が大学で学んだことは、もうほとんど吹き飛んでいます。
>
> 記憶回路にこのような謎があるのも、A−typeの特徴なのでしょうか?
ミッドランドさんは「大相撲が好き」という自覚があるので、それが趣味と考え
ればその知識が豊富なのは、ASに限らず普通のことではないかと思います。
私などは別に「これこれが好き」という自覚がないままに、いろいろな知識が溜
まっていたりします。正常と思われる人と話していると知識があることについて
は、全て趣味と理解されるらしく「多趣味な人だ」と言われます。
私自身は「趣味といえるものはない」と思っているのですが。
では。
くるとさん、こんにちは。
> こう考えますと、「健常者なら他人の気持ちや意図を理解できる」と
>いうのは幻想,あるいは健常者の願望に過ぎないことになります。正確
>には「自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解する
>ことができる」と言うべきでしょう。
つきつめていくと、結局人間とは、何を理解できるのか。そして何を理解できないのかという話になっていくのでしょうか?(なんかずれてる気がしますが……)
そして、「健常者」が理想であるとすれば、他人の目は「気にするな」という事になり、どこのレスか忘れましたが「体に正直に生きる」とすれば、社会の常識や意識さえも、まさに「ただ暗黙のルールがあり、従うか従わないかは自由デース。ただし、多数派に所属しないと不自由ダヨーン」と言ってる気がします。
そう考えると、多数派ってそれだけで「権力の塊」見たいな気もします。
変な返事になりましたが、心から勝手に出てきましたので、ここに書いておきます。やっぱアホだな僕は(笑。それでは。
追伸 最近ASじゃないかもしれないと思い始めました。でも、やはり何かが違う。この浮いてる気持ちは一体。一般と自閉の「間」のはみ出た存在なのかな……。
みどり wrote:
>
>例の彼女 (いま名前がでてきませんが、自閉症だった私へを書いた人) も、同じ自閉症の子供のことはわかるような感じで書いてますよね。
>それが思い過ごしなのか、本当にわかっているのか、診断するのはまた難しいですね。自閉症の心を理解したかどうかテスト。対象者も自閉症者。
>誰が作ればいいんだろう。それを学会レベルに認めてもらうことができるのだろうか。
横レスで失礼します。自閉児母の青りんごです。
娘のクラスには、もうひとり自閉方面のお子さんがいましてこの二人は波長が合うのか、とても仲がいいのです。
子供部屋で一緒に大笑いしながら遊んでいますが、二人ともとても感情豊かに見えますね。
「共感できない」といわれている自閉児同士なんですけど、「共感している」ように見えますね。お互いの「心」を理解しているように、感じますよ。
ただ「笑うツボ」が非自閉の子とは「違う」という感じでしょうかね。
ハマッているPCソフトも同じだし……。「感性」が似ているのでしょうかね。
私は非自閉者(のつもり)だけれど、自分は「自然に他者の心を理解できる」とは思っていません。「努力しないと出来ない」です。(「努力している」ということは「自分は非自閉ではない」という事なんでしょうかね?)
非自閉者だって「努力しないと他者の心は理解できない」と思っています。
くると wrote:
> トラブル続きですっかり亀レスになってしまったくるとです。
のんびり行きましょう。
> ひょっとしてみどりさんって学問畑の人???(これは余談です)
学問畑につよいあこがれをいだき、大学もちょっと長めに行ったりしてみたけど、あまりの自分の研究能力のなさに挫折してエンジニアにおちついてます。
やってみたら研究よりエンジニアの方が100倍楽しかった。でもあこがれはまだまだ続いている。
> この点についてまだ整理できていませんが、自分の考えを述べてみます。
>いずれも、「個性」というよりは本人の「所属」になってしまうのではない
>でしょうか。例えば性別について言えば、代表的な性別の分類は男女という
>二分法です。(染色体レベルではもっと細かく分類できるし、両方の特徴を
>兼ね備えている人もいるのだが)世の中のほとんどの人が男か女のどちらか
>に分類されてしまう以上、これは個性というよりは所属だと思います。
所属。となると、やはり「名前が付くと個性とは呼ばないこともある」の極端な例かなあ。
日本人が一人でいきなりアフリカの民族のなかで暮らすことになったとき、日本人であることは個性かしら。
医者ばかりがあつまる同窓会で、いつもくるけど唯一医者じゃない道に進んだ人の職業は個性かしら。
個性から発芽されたもの、といったらいいのかな。
くると wrote:
> こう考えますと、「健常者なら他人の気持ちや意図を理解できる」と
>いうのは幻想,あるいは健常者の願望に過ぎないことになります。正確
>には「自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解する
>ことができる」と言うべきでしょう。
ここでさらに検討すべきことは「自閉症者が気持ちや意図を理解できる相手は誰か」というものです。
これが自閉症者も同じ仲間の気持ちや意図を理解できるのであれば、この
「自分に類似する思考パターンを持つ人の気持ちや意図を理解することができる」
は、自閉・非自閉にまたがる普遍的な事実とになります。
例の彼女 (いま名前がでてきませんが、自閉症だった私へを書いた人) も、同じ自閉症の子供のことはわかるような感じで書いてますよね。
それが思い過ごしなのか、本当にわかっているのか、診断するのはまた難しいですね。自閉症の心を理解したかどうかテスト。対象者も自閉症者。
誰が作ればいいんだろう。それを学会レベルに認めてもらうことができるのだろうか。
くると wrote:
> うーむ、これは確かに不可能でしょうね。あと1つ気になったのが「社会
>的に良好である」という部分です。反社会的な病気とか非社会的な病気とい
>うのは一体…(絶句)
身体は完璧でも、反社会的な行動に走ったり、社会にとけこめなくて悩んでたりというのも「不健康の要因」である、ということですね。
>>#健康とは相対的な概念であって、与えられた遺伝的・環境的条件下で、身
>>#体的部位が適切に機能を発揮するような個体の状態あるいは性質を意味す
>>#る。
>
> しかし、「与えられた遺伝的条件」というのがひっかかりますね。遺伝が
>大きな影響を持つとされる発達障害やその他遺伝病はど〜なってしまうので
>ありましょ〜か!?
そういう遺伝的影響があるからこそ、「与えられた遺伝的条件下で」という文が追加されたのではないでしょうか。
そうでないと、たとえば盲目で生まれた人はいきなりそれで「はい不健康」になっちゃう。
「遺伝子と環境が許す限りの健康さ」を目標にしましょうってことじゃないですかね。
そういえば白人の青い目も遺伝子的欠陥によるものだって聞きました。
そうすると、特定の地域 (太陽がまぶしいところ) で偶然隔世遺伝かなんかで一人だけ産まれた青い目の子供は、「遺伝子による障害者」となるでしょう。。
で、その子が大きくなってヨーロッパの北の方に旅行して、「この国は障害者ばかりだ、障害者が国を支配している」と思ったりするんだろうか。
仮定の話がすきな みどり
truth wrote:
>昔と自分が違う・・・以前のこの掲示板で、「非アスベ時代の記憶がある。」場合・・・という記述を読みましたが、突然アスペ的になるという事はあるのでしょうか?
この文を書いたみどりです。これは「仮定として、後天性のアスペがあったとしたら」という文脈のなかで出た物なので、実際に「突然アスペになる可能性」についてはさっぱり考えていません。
私の場合も、現在自称ASと言っていますが、就職してしばらくはごく普通に、変わった女の子だね、くらいで過ごしてきました。
ここ数年いろいろ問題が発生して、それでASを調べて、そうか私は小さい頃からこれだったんだなって思いました。環境に恵まれたおかげで、当時はまったく問題にならなかっただけですね。
でも、広い地球のどこかには「本当に後天性」のアスペがいるかもしれませんし、 truth さんがそうでないという確証もありません。
最近ともだちが少ない理由を考えてみた。
学生時代は友達が多くて楽しかったのに、その友達がほとんど男性だったので、彼らが結婚してからはなんとなく壁ができて、疎遠になってしまったんだな。
でも女の子で私と気があう子はなかなか少ないのよ。
職場の新人君タチはまだ独身だけど、歳が離れすぎちゃって、最近の私のウツはその元気さについていけない。
やっぱお見合いかなー
なんかはげしく話題をずらした気がする
truthさん wrote:
>私は、ある時から突然・・・神経過敏な状態になり、ドナさんの本を読んで「同じだ・・」と思ったのですが、小中学校までは、普通?にというか、あまり、悩まずに学校で過ごしていました。
私がレスするのも妙な気がするのですが、今読んでいる本に気になる記述を見つけて、もしかしたら関係有るかな?と思ったので書いてみますね。
その本には、”言葉は頭の言葉であって、体の言葉ではない。本来ストレスは体からの言葉(感覚)に正直で有れば生じないものである。
不安や恐怖を感じるのは頭ではなく体である。
体からの言葉(感覚)をないがしろにするのは、体を否定して頭で生きようとすることであり、それを続けていくと一応はかない一時的な平和は訪れても、体は納得しないので、不安、恐怖を生産し続けることになる。
その(感覚)を感じないように対処しようとする頭の働きこそ、ストレスの原因になる。
頭(考えること)よりも体(感じること)を大切にするべきである。”と書かれてあります。
>昔と自分が違う・・・以前のこの掲示板で、「非アスベ時代の記憶がある。」場合・・・という記述を読みましたが、突然アスペ的になるという事はあるのでしょうか?ドナさん、ウェンディ・ローソンさんの本を読んでも、「本当にそうなんだよね。」と思うのですが、でも、子ども時代・・・思春期に入るまでは、感覚過敏とかいう状況もなく過ごしました。
この本に従って考えてみると、truthさんは、昔から感覚過敏は有ったのだけれど、子供の時は体に正直に生きていたのでわからなかった、のではないでしょうか?
それが思春期に入り、周りが見えるようになってきた。それで、自分が感覚過敏であることに気づき、体に正直であるよりもそれを解決しようとする方向に心が向いて、頭で考え行動するようになった。
>分裂症?とも違うと思います。感覚が鋭すぎて、ストレスを感じやすく、パニックを起こす事もあるのですが・・・。
感覚が鋭いと言うことは体の状態としてあるのでしょうが、それに対して、ストレスやパニックすを起こすのは又別の問題だと思います。
その体の感覚を否定しようとして、頭を働かせているからじゃないのでしょうか?
全くの見当違いだったらごめんなさい。
この本に書いてあることが、私の場合当てはまることが多かったもので・・・
私は現在、体の言葉(感覚)の一部が分からない状態になってしまっている(心地良いのか悪いのか分からない)ので、それを取り戻す練習をしています。
皆さんは「日常生活では役立たない、どうでもいい知識」が多く記憶される、ということはありませんか? 僕はそうです。
たとえば、僕は大相撲が好きなのですが、次のような本当に「知っててどーなる!?」というようなことを記憶しています。
・「ちりちょうず」は武器を持っていないことを示す動作
・土俵下の控え力士も、審判同様「物言い」を出すことができる
・行司の木村家と式守家とは、軍配の持ち方が違う
・吊り屋根の四隅の房は、それぞれ朱雀神・白虎神・青龍神・玄武神を表す
・「しこ名」は正式には「醜名」である
・「さがり」の数は常に奇数である
・金星とは、平幕力士が横綱を倒すことである
・雪駄が履けるようになるのは三段目からである
・まわしは洗わない
……いくらでも出てきます。こういったことは数多く覚えるのに、なぜか実生活で役に立つ知識はなかなか頭に入らないのです。現に僕が大学で学んだことは、もうほとんど吹き飛んでいます。
記憶回路にこのような謎があるのも、A−typeの特徴なのでしょうか?
両国国技館へまだ行ったことがない ミッドランド
truth wrote:
>こんにちは。この掲示板に書き込むのは努力がいりますが、どうしても聞きたい事があって、書き込む事にしました。
>
>私は、ある時から突然・・・神経過敏な状態になり、ドナさんの本を読んで「同じだ・・」と思ったのですが、小中学校までは、普通?にというか、あまり、悩まずに学校で過ごしていました。
>
>昔と自分が違う・・・以前のこの掲示板で、「非アスベ時代の記憶がある。」場合・・・という記述を読みましたが、突然アスペ的になるという事はあるのでしょうか?ドナさん、ウェンディ・ローソンさんの本を読んでも、「本当にそうなんだよね。」と思うのですが、でも、子ども時代・・・思春期に入るまでは、感覚過敏とかいう状況もなく過ごしました。
>
>分裂症?とも違うと思います。感覚が鋭すぎて、ストレスを感じやすく、パニックを起こす事もあるのですが・・・。
>
>突然掲示板におじゃまして、こんな事を書いて、迷惑かな・・・とも思いましたが、書かせていただきました。
これは、周囲に適応するための能力>自分の持っている能力という状況に陥ってしまったのだと思います。
また男女を問わず、自閉症の人のなかには、思春期の頃から極度の不安・パニック・鬱状態などの精神的な混乱を起こしやすくなる場合もあるようです。
こんにちは。この掲示板に書き込むのは努力がいりますが、どうしても聞きたい事があって、書き込む事にしました。
私は、ある時から突然・・・神経過敏な状態になり、ドナさんの本を読んで「同じだ・・」と思ったのですが、小中学校までは、普通?にというか、あまり、悩まずに学校で過ごしていました。
昔と自分が違う・・・以前のこの掲示板で、「非アスベ時代の記憶がある。」場合・・・という記述を読みましたが、突然アスペ的になるという事はあるのでしょうか?ドナさん、ウェンディ・ローソンさんの本を読んでも、「本当にそうなんだよね。」と思うのですが、でも、子ども時代・・・思春期に入るまでは、感覚過敏とかいう状況もなく過ごしました。
分裂症?とも違うと思います。感覚が鋭すぎて、ストレスを感じやすく、パニックを起こす事もあるのですが・・・。
突然掲示板におじゃまして、こんな事を書いて、迷惑かな・・・とも思いましたが、書かせていただきました。
武田さん、みどりさん、脳波・CT検査の件でのレスありがとうございます。
私は今のところ自称ASですが(今のところすぐに診断してくれる医療機関の
予約が取れないため)、ASであるのかそれとも性格の偏りであるのか、はっきり
診断を受けたいと思っています。なぜなら脳の機能障害か性格の問題かで
対処の仕方が大きく異なるからです。ASと診断されなければリタリンなどの薬は
まず処方されないし、性格の問題とされると「努力が足りない」、「生き方に問題
がある」、「だらしない」、「親の教育が悪い」といった根性論、社会的道徳論に
すりかえられて非難されることに結びつくからです。以前あるクリニックでカウン
セリングを受けていましたが、カウンセラーは脳機能障害ではなく性格の偏りと
見ているため、お互い全く話がかみあわず、良くなるどころかイライラがたまって
かえって状態が悪くなってしまい通院を中止した経験があります。
(まだ十分な研究は進んでいないようですが)ASに関しては「心の病気」とい
うより「脳の機能障害」という表現の方が正確かつ客観的でわかりやすいのではな
いかと個人的に考えています。ASや自閉症の治療は心理学からのアプローチでは
いずれ限界が出てくると思います。いつの日か医学や脳科学が特効薬を開発する事
で根本的に解決されるのを待つしかないでしょう。
ASと診断されたところで現在の段階では有効な治療法はないし、大阪の事件も
あって精神疾患者に対する偏見や誤解などのリスクもあるでしょう。しかし少しでも適当な治療プログラムや投薬治療を受けた方がはるかにベストであり、これから、自分に少しでも合った環境、適職を選択する上で事実を認識する事は必要であ
るし、1つの指針になると(私に関しては)考えています。
この国の医療制度、行政制度、社会認識の不備が結果としてわれわれに「被害者
意識」というものをを感じさせているのでしょう。欧米のAS患者が受けているよ
うな最新かつ有効な治療プログラムを日本のAS患者が享受できないのはやはりそ
れらの不備が原因にあるのでしょう。
昨年からこの掲示板を見ていましたが自分の言いたい事がほとんど書いてあるの
で自分で書くことなくずっと閲覧しているだけでしたが、これからもときどき掲示
板に参加したいと思います。よろしくおねがいします。
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