アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: 方言と共通語の使い分け。 6258へのコメント
No.6267  Sun, 29 Jul 2001 10:04:45 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ミッドランドさんwrote:
> 岡山弁独特の言い回しのひとつに「〜なら」というのがあります。
> この言葉、疑問文の末尾につけてさらに疑問の意を強める表現なのです。

> (用例)なんしょんなら。(なにしてるの。)
>     どけぇいきょうんなら。(どこへ行くの。)
>     あいつ、でぇなら。(あいつ、誰だ。)
>     なんで、そげんなことゆうんなら。(なんで、そんなこと言うの。)

>ちなみに上の用例、「なら」をつけなくても十分疑問文として通じます。
> わしは子供の時分に当たり前のごとく使っていた言葉だったのですが、大きく
>なって、共通語にこのような表現が見当たらないことに気づきました。

 「共通語」というのがどういうものであるかには議論の余地がありますが、関東地方の方言の中にはちゃんと存在します。

 「ん」は『いわゆる準体助詞の「の」』。その音便が「ん」。
 「なら」は、「ですか」。

 以下は用例。

 「なんしょん。」→「何をするの。」
 「なんしょんなら。」→「何をするんですか。」
 「どけぇいきょん。」→「どこへ行くの。」
 「どけぇいきょうんなら。」→「どこへ行くのですか。」
 「あいつ、でぇ。」→「あいつ、誰。」
 「あいつ、でぇなら。」→「あいつ、誰ですか。」
 「なんで、そげんなことゆうん。」→「なぜ、そんなことを言うの。」
 「なんで、そげんなことゆうんなら。」→「なぜ、そんなことを言うんですか。」

 地方性を排除したオフィシャルな関東地方の言い回し(これを仮に「共通語」と呼びましょう)からは駆逐されてしまって、他の地方の方言には残っているという表現には、

 形容詞の連用形ウ音便+動詞「ござる」

があります。現在残っているのは、「ありがとうございます」と「おめでとうございます」くらいでしょうか。

 関東地方の駅、あるいは主要幹線鉄道の駅では、「危ないですから白線の後ろへ下がってお待ちください」といったアナウンスが流れますが、これがローカル鉄道だと「危のうございますから」になります。

 これは、明治時代に本来は九州方言だった「です・ます」言葉が関東方言の「ござんす」言葉を駆逐したため、と考えられます。今でもお年寄りなんかは、「もったいのうござんす」「うれしゅうござんす」なんかを使います。

 皇室の方々は「ございます」を「思います」と言い換えて、「もったいなく思います」「うれしく思います」などと使っていらっしゃいます。

 関東方言で好きな言葉というと、「取着(とっつ)き」とか「〜方(っかた)」ですかね。共通語では、「入ってすぐ(の周辺)」、「〜の方(ほう)」にあたります。「入ってすぐ右の方」が、「とっつきの右っかた」となります。なお、「入ってすぐの右側」は、「とっつきの右手」。
 ついでながら、「大阪のど真ん中」は正しく、「東京のど真ん中」は誤用。正解は「東京の真ん真ん中」。「でかい」(「ど・いかい」が詰まった)も「いかい」が正解なんだけど、最近は使われません。「この漬物はいかく(=大変に、大層)塩が利いている」なんていうのが、用例。

 (Maria)


Re: ・・・で、Chipさんのこと。 6236へのコメント
No.6266  Sun, 29 Jul 2001 09:38:39 +0900  くると [この発言にコメントする]

Mebiusさん wrote:

>人間界の群れにも入れないけれど、アスペの群れにも入れない。
>きっとそんなアスペ達が掲示板の向こう側にはたくさんいる。
>息を潜めているしかないから誰にも気付いてもらえない。
>時折、存在を主張したくなる。それが出来ないから辛くなる。

 
 この事は理解できます。わたしも、ダイレクトメールで掲示板には投
稿していない様々な人からコメントをいただくことがあります。

 でも、そのことを以って、「あなたは偽者だ」とか「あなたは自閉者
じゃない」と決めつけられてしまうのは辛いのです。

 医学的な診断名というのは診断名を受けた本人にとって様々な意味を
持ちます。

(1)障害 (2)個性 (3)所属 (4)支援の対象 (5)弱者
(6)逸脱 (6)違い (7)アイデンティティー

 で、わたし自身は現時点で(4)支援の対象や(5)弱者ではないと
いう意味では「自閉者」とは言えないかもしれません。

 しかし、(3)所属や(7)アイデンティティーという意味では、ま
だ発達障害者であることを必要としています。特に(3)についてだけ
もう少し詳しく説明しておきましょう。

(3)所属

 医学的には健常者とも障害者とも判断されなかったわたしにはつい最
近まで、問題を共有できる仲間がいませんでした。わたしが悩みを語っ
ても、障害者の世界では「あなたの問題は軽い」と片づけられ、健常者
の世界では問題の意味そのものが理解されにくいという現状です。

 さらにネックになったのは、わたしが幼児の頃の診断基準では知的障
害がなければ発達障害ではないという風潮がありました。このため、「
健常者」と「発達障害者」の両方の特徴を持っている人はよくて個別対
応という形になってしまい、類似する問題を抱えた仲間に出会うことが
なく大人になってしまったのです。

 このようなことがあって、わたしはLDとかASという「所属」を捨
てることはできないのです。問題を共有できる相手はこの世界にしか存
在しないので。

 この件についてのコメントはこれで終りにしようと思います。


Re: 強くなりたい 6243へのコメント
No.6264  Sun, 29 Jul 2001 08:29:29 +0900  くると [この発言にコメントする]

パックン wrote:
> 自閉症者のぱっくんです。
> 今日、親戚が集まって食事をすることになり、午後2時半には帰ってこら
>れたのだけど、ヘロヘロで、グッタリです。 結局、今日一日何もできず
>に潰してしまいました(こういった時、脳内では何が起こってんだろうね
>〜)。 アルコールを飲んだり、マッサージチェアに頼ったりしたけど、
>全然回復しない(シクシク)。

 2年前まで、そのような状態が続きました。距離の近い人間関係が脅威
になってしまうわたしにとって、家族との接触はかなり精神的にこたえま
した。(ヘロヘロ)

 ちなみに恋愛にはそれなりにあこがれを持っているけど、実現しようと
すればこの恐怖と戦わなければならないのかな、と思うと…(シクシク)

 とにかく過度に感情的なやりとりのある場に出席するのは苦手です。

>で、この先だって、何かの集まりにも耐えていかねばならないわけで、も
>うお薬に頼ろうと思うんだけど(母がお薬が嫌いで、だから私もお薬が嫌
>いで、先生から貰ったお薬も飲んでいない。パニックだって、今のところ
>環境がいいから最近、ないし)、お薬で、こういった耐性が得られるんだ
>ろうか???

う〜ん。薬を使ってみたことはありますが、不快であるということ自体
に変わりはなかったような…。逆に薬の副作用でボーとしてしまうことが
あったので、やめてしまいました。


Re: AS・ADHD・LDの人にQ(あなたが今、一番ハンディに感じていることは何ですか?) 6252へのコメント
No.6263  Sun, 29 Jul 2001 08:13:17 +0900  くると [この発言にコメントする]

 pocksさん、おはようございます。

pocksさん wrote:
>(1)彼等は私の自転車の近くに陣取っていた。
>(2)暗くなってから帰ると、自転車を壊される被害に遭うことがある。
>(3)遭遇は日没寸前
>
>いや、まさに究極の選択状態。(って、そんな呑気な話なのか、これ?)

 う〜む、本当に究極の選択だなや〜。で、わたしがやっているもう1つ
の選択肢はわざと目立つように口論をすること。これは、恥ずかしがりや
な人にはお薦めできませんが…。

 昔、中国の西安という所に行った時、西安人はしょっちゅう路上でケン
カをしていました。しかも、当事者同士はヤジウマをいやがるどころか、
ヤジウマに向かって自分が正しいということをアピールしながらケンカし
ているのです。で、このやり方は日本人には非常に有効でした。絡んでく
るような人間も、周りに人だかりができるとひいてしまうことが多かった
ので。

 話を戻しますと、絡まれた時は、できるだけたくさんのヤジウマが出て
くる状況を作り出すというのも1つの戦略です。


Re: AS・ADHD・LDの人にQ(あなたが今、一番ハンディに感じていることは何ですか?) 6252へのコメント
No.6262  Sun, 29 Jul 2001 08:12:48 +0900  くると [この発言にコメントする]

 pocksさん、おはようございます。

pocksさん wrote:
>(1)彼等は私の自転車の近くに陣取っていた。
>(2)暗くなってから帰ると、自転車を壊される被害に遭うことがある。
>(3)遭遇は日没寸前
>
>いや、まさに究極の選択状態。(って、そんな呑気な話なのか、これ?)

 う〜む、本当に究極の選択だなや〜。で、わたしがやっているもう1つ
の選択肢はわざと目立つように口論をすること。これは、恥ずかしがりや
な人にはお薦めできませんが…。

 昔、中国の西安という所に行った時、西安人はしょっちゅう路上でケン
カをしていました。しかも、当事者同士はヤジウマをいやがるどころか、
ヤジウマに向かって自分が正しいということをアピールしながらケンカし
ているのです。で、このやり方は日本人には非常に有効でした。絡んでく
るような人間も、周りに人だかりができるとひいてしまうことが多かった
ので。

 話を戻しますと、絡まれた時は、できるだけたくさんのヤジウマが出て
くる状況を作り出すというのも1つの戦略です。


Re: 「他者」って何だろう 6251へのコメント
No.6261  Sun, 29 Jul 2001 07:52:31 +0900  くると [この発言にコメントする]

>Maria wrote:
>>
>> 面と向かって「気狂(きちが)い!」と言われた、という体験をされた方は多いと思います。
>>(←「多いわけねーだろ」といったツッコミが入るべくもないのがこの掲示板の恐いところ)

わたしのハンドルネーム「くると」(漢字に直すと狂人)の由来ですね。
「きちがい」「変な奴」という評価を受けてきたわたしの空想世界に中学生
の頃から登場してきた人物が「くると」という放浪の呪術師でした。

 本人が狂気のレッテルを貼られた不可触民で、他人を発狂させる力を持っ
ているという設定でした。キャラクターの性格は今から考えれば、ASか分
裂病質人格障害の人の状態像に似ていますね。

 わたしは中学の頃「20才ぐらいまでに死にたい」と思っていましたが、
空想世界の「くると」は20才で何百発もの銃弾を受けて銃殺される設定に
もなっていました。自分のことを投影して作った架空の人物だったと思いま
す。


Re: 方言と共通語の使い分け。(横レスか?) 6259へのコメント
No.6260  Sun, 29 Jul 2001 06:43:45 +0900  へなちょこ [この発言にコメントする]

すみません、つい興奮して岡山弁で一生懸命書いてしまいました。


Re: 方言と共通語の使い分け。(横レスか?) 6258へのコメント
No.6259  Sun, 29 Jul 2001 06:40:36 +0900  へなちょこ [この発言にコメントする]

ミッドランド wrote:

> 岡山弁独特の言い回しのひとつに「〜なら」というのがあります。
> この言葉、疑問文の末尾につけてさらに疑問の意を強める表現なのです。
>
> (用例)なんしょんなら。(なにしてるの。)
>     どけぇいきょうんなら。(どこへ行くの。)
>     あいつ、でぇなら。(あいつ、誰だ。)
>     なんで、そげんなことゆうんなら。(なんで、そんなこと言うの。)

> 現在、岡山県在住の   ミッドランド


うわ〜、でぇれぇ、なつかしいわ〜。私も子供の頃から数年前まで岡山におったけん、わかるわぁ。ぼっけぇなつかし〜。
こっち来てすぐの頃は、関西の人はどこ行っても関西弁しゃべりょうるのに私の岡山弁は全然通じとらんけぇ、えれぇ苦労したんよ〜。特に私は標準語と岡山弁の区別がようつきょうらんかったけん。今ではインチキ関西弁を喋るようになってしもうたんじゃけど、岡山とか広島とかの人におうたら、やっぱり岡山弁で喋りとうなるんよ。

仕事の同僚に「昨日、○○しょうたんじゃぁ」ってゆうたら、(この同僚は大阪人で、関西が世の中で一番エラいと思っている、すごい人)
「はぁ?」
「昨日、○○しょうたんじゃぁ」
「はぁ?」
「じゃけぇ○○しょうたんじゃぁ」
「はぁ?」
ここで「しょうたんじゃぁ」の部分通じとらんことに気が付いて「○○しててん」と言い直してようやく通じる、ゆうことがあったんじゃぁ。岡山弁しゃべっとったらおえんなぁ思うたのは、これがあってからなんじゃ〜。それからは、関西のアクセントを一生懸命覚えたんよ〜。でもやっぱり私にとっては岡山弁が一番!なんじゃ。


方言と共通語の使い分け。 6253へのコメント
No.6258  Sun, 29 Jul 2001 05:32:19 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

やんちゃんさん wrote:
>「進行形は『○○しょうる』、完了形は『○○しとる」というのです。共通語に、こんな区別があるかっ!?ないでしょー。ゆえに方言はえらい。そう思いません?」
>
>↑これは高校1年のときに岡山弁について書いたもので、実際提出したものです。
>今思うと勇気があったなと思えるのですが、なんでもこんな調子でした。
>場所によって適用できる文体というのは違うので、堅めの文章も読んでおくのは必要だったなと反省しております。

 岡山弁独特の言い回しのひとつに「〜なら」というのがあります。
 この言葉、疑問文の末尾につけてさらに疑問の意を強める表現なのです。

 (用例)なんしょんなら。(なにしてるの。)
     どけぇいきょうんなら。(どこへ行くの。)
     あいつ、でぇなら。(あいつ、誰だ。)
     なんで、そげんなことゆうんなら。(なんで、そんなこと言うの。)

ちなみに上の用例、「なら」をつけなくても十分疑問文として通じます。
 わしは子供の時分に当たり前のごとく使っていた言葉だったのですが、大きくなって、共通語にこのような表現が見当たらないことに気づきました。

 大学進学のため岡山から単身横浜へ来たとき、なぜか話をするとき「なるべく方言を使わないようにしよう」と思ってしまいました。そのせいで、わしの話し言葉は方言と共通語が入り混じった、妙チクリンなものとなってしまいました。
 どうやら「周りに合わせよう」の思いが働いたようです。

 方言自体は「地元文化の一端」の意味からも素晴らしいものです。しかしわしは周りに合わせようと思うあまり、わざわざそれを覆い隠してしまったのです。人付き合いがうまくできるように、ヘンに思われないようにと思って。
 自分自身がすでに「AS」という「異文化」だとも気づかず、無理に協調しようとしていたのです。無駄なことをしたものです……。

 今のわしは、もうそんな無駄なことはするまいと肝に銘じています。ただし、こうして掲示板に書くときは、共通語を使うようにはします。全国で目にされる場所ですから、全国の人にわかるように、ということからです。
 これが「使い分け」というものですね。

 現在、岡山県在住の   ミッドランド


Re: 質問(日本の良いところ・悪いところは?) 6233へのコメント
No.6257  Sun, 29 Jul 2001 01:54:58 +0900  Makichan [この発言にコメントする]

武田好史 さんwrote:
>
>そこでみなさんに質問です。
>
> あなたが思うところ、「これは譲ってはならない」という日本の良いところは、どんなところですか?

 日本人が日本人でいられること。

 冗談に聞こえるかもしれませんが、煎じ詰めて言うとこうなると思います。幕末のころは他国に植民地化される危険おおいにあったと思います。終戦後はドイツや今の「朝鮮」のように二分化されていた可能性だってあります。世界には国家を持たない民族はいくらでもあります。日本が秀吉以来数百年間統一国家でいられたのは幸せだったといわねばなりません。将来は世界統一国家が誕生するかもしれません。けど日本の文化は守っていかねばなりません。過去を否定しては将来はなりたたないからです。

> また逆に、「真の国益のために、これは改めなければならない」という、よくないところはどんなところですか?

 己を信じる力がチト弱いところ。

 今の科学技術文明の多くは、欧米人がつくったものです。だからかしらん日本の知識人諸君は欧米人の言説に振り回されすぎていると思う。将来のことなんて誰一人わからないんですよ。生きていくには己の感覚信じるしかないんです。自分の感覚をみがき、自分の意見や生き方を正当化する術日本人は下手だと思いますね。
 話は少しずれますが、日本の教育で悪いところを一言でいうなら、一方通行だということに尽きると思います。教師から生徒への知識のやりとりがー方通行だということです。どんな学問であれ全ては関係のなかで成り立つものだと思います。法律や経済であれば人と人の関係、科学なら観察する人と対象物との関係です。全ては相対的なものであるはずです。それを教師は、理論や法則をはなから自明なことのように、絶対的真理であるかにように教え込むのです。敏感な若い人の脳がパニックおこすのは当たり前です。
 私は20歳代のころ親に無理いってアメリカの英会話学校に行かせてもらいました。その時大学の授業風景覗き見る機会ありました。驚いたのは(一般化するのは危険かもしれないが)生徒の態度が無作法なのと、なにかにつけ教師は生徒に発言を求めるし、生徒は必死になって自己主張しようとするのです。悪く言うと騒々しいんです。けど良く言うと熱気があるんですね。起立、礼、着席で始まる静かな日本の授業とは対照的でした。アメリカの教育がすばらしいと言うつもりはありませんがね。少なくとも教師と生徒の間にコミュニケーションあるように思うんです。コミュニケーションあるからものごとの関係性が解かり、距離の取り方もはかられるんじゃないかと思うんですね。言葉としてあるいは数式であっても、できあがってしまったものは、すでにぬけがらです。そんな知識や技術は本やコンピューターに保存すればいいのです。人が真に喜びをかんじるのは、自分自身による発見であり、感知することであり、それと関係しあえる事だろうと思います。
 また抽象的になってしまった。もう寝ようっと。


他者について、他
No.6256  Sun, 29 Jul 2001 00:42:22 +0900  Tien [この発言にコメントする]

Mariaさんwrote:
では、私たちはいわゆる「普通の人」のように、「他己」として他者を理解することは不可能なのでしょうか?ということになるんですが……「ある程度は可能」なんですよ、確かに。ですが、私たちに苦手なのは、むしろ「異化」のプロセスだったりするわけです。「自己であって自己でない」という中途半端な存在としての「他者」という概念が、実感として得られない。「心の理論」に基づいた課題がうまくクリアできないのは、「心の理論」が厳密に構築されていないためというよりも、対象となる他者に貼りつけるべき「他己」が、自己とはっきりと分化されず、自己をそのまま「他己」として貼りつけちゃうからなんじゃないかな、とも思うわけです。

こんばんは。私は↑とは全く違います。他者はどこまでも他者であり、
決して私の心の中とは同調するものではない、と感じています。
他者と共感することはあっても、同化はしません。
固い殻がある、と言うか...。

★「強くなりたい」のぱっくんさんへ
薬も使いようでかなり楽になりますよ。私もいつまでも内面は脆弱なままだけど、
薬の使用や、思考回路を変えたり、自己コントロールで自分なりに外面は強くなりました。

 


鬣(たてがみ)のうた
No.6255  Sun, 29 Jul 2001 00:13:41 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

 人目なく歯止めなき場に人を打つひとの遊戯にわれ従いき
 
 
 われ人といてそこに無き者として数えらること多き人なり

 
 人心地もとより足らず居心地の無さは木馬のごとくまつはる


 複葉のわれドラゴンは虹を吐く雲間海市の渦に巻かれて


 


Re: 横レス 6247へのコメント
No.6254  Sat, 28 Jul 2001 23:55:39 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>めちゃめちゃ声が低いので「ケーサツにゆうで」と逆に脅しときました。

問題は、けーさつが彼らにナメられてるかもしれん、ちゅーことでんな。
被害を訴えても出動しないよーなおまわりに言うと脅されても
ちっとも恐くなかろう。

(だから、これってそーゆー問題なのか?>自分)


KILROYさん&文月立斎さんへ
No.6253  Sat, 28 Jul 2001 23:53:24 +0900  やんちゃん [この発言にコメントする]

ずううっと前の話ですが、「文書作成法」について質問しておきながら、
レスをもらってお礼も言っていませんでした。
返事を考えているうちにタイミングを逃してしまった。
今さらですが、ありがとうございました。

レスはちゃんと読んでますよ。
そういえば、新聞や興味のあることの解説書なんかはよく読んでいるのに、
一般的な「文学書」(小説とか)をほとんど読んでいないことに気が付いた。
最近、大学の付属図書館の利用者カードを作って、ときどき通うことにしました。
借りた本が「エミリ・ブロンテ全詩集」「場面緘黙児の指導法」とかなんとかいうタイトル。あまり文章の参考にはならないような。

昔、新井素子さんというSF作家にはまっていた頃、自分の書く文体が全て新井素子風になったことがありました。知っている人もいると思いますが、会話文(というか、心の声)がそのまま地の文になったような文体。
それが、学校の課題の作文までその文体になっていました。

「進行形は『○○しょうる』、完了形は『○○しとる」というのです。共通語に、こんな区別があるかっ!?ないでしょー。ゆえに方言はえらい。そう思いません?」

↑これは高校1年のときに岡山弁について書いたもので、実際提出したものです。
今思うと勇気があったなと思えるのですが、なんでもこんな調子でした。
場所によって適用できる文体というのは違うので、堅めの文章も読んでおくのは必要だったなと反省しております。


Re: AS・ADHD・LDの人にQ(あなたが今、一番ハンディに感じていることは何ですか?) 6244へのコメント
No.6252  Sat, 28 Jul 2001 23:51:32 +0900  pocks [この発言にコメントする]

くると wrote:
>目立たない服装をしていた人が全く絡まれなかったとい
>う統計はありません。

「目立たない服装」だった保証はないのですが。(^_^:)

>何か自分にとって危険そうな相手が近づいてきたら、
>目立たないようにその場を離れます。

(1)彼等は私の自転車の近くに陣取っていた。
(2)暗くなってから帰ると、自転車を壊される被害に遭うことがある。
(3)遭遇は日没寸前

いや、まさに究極の選択状態。(って、そんな呑気な話なのか、これ?)


Re: 「他者」って何だろう 6239へのコメント
No.6251  Sat, 28 Jul 2001 23:49:00 +0900  ゆ〜り [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>
> 面と向かって「気狂(きちが)い!」と言われた、という体験をされた方は多いと思います。
>(←「多いわけねーだろ」といったツッコミが入るべくもないのがこの掲示板の恐いところ)

あはっ母親に言われたことある・・・・
あの時は、傷ついたよー。


Re: 「他者」って何だろう 6240へのコメント
No.6250  Sat, 28 Jul 2001 23:44:07 +0900  pocks [この発言にコメントする]

るおう wrote:
>Maria wrote:
>>
>> 面と向かって「気狂(きちが)い!」と言われた、という体験をされた方は多いと思います。(←「多いわけねーだろ」といったツッコミが入るべくもないのがこの掲示板の恐いところ)
>
>ありますね。

「気違い」は私の仇名の一つでした。 :-p


Re: すこしでも良心がある人へ 6186へのコメント
No.6249  Sat, 28 Jul 2001 23:43:45 +0900  Xanadii [この発言にコメントする]

Chipパスワード忘れた wrote:

>すでに、次の犠牲者候補がいるのだ。 管理人 いつから知ってた。

 なにを言っているのか、私にはまるで理解できないのだが。

 私はこの、Chipさんとやらいう方の文章は「不適切である」という自己判断の元、以下の拙文を作成するものであります。

 ようするに「便所の差別落書き」といっしょだ。たしかに「自閉症者は死ね。社会から出て行け」という書き方はしていない。ただChipさんはこういった文を投稿することで御自分の価値を「下げて」おられる。メジャーの名前を借用して、メディア上に公開されているとかいう情報をまるうつしであり、彼(女?)の人柄を感じさせる情報が見受けられない。「実感」とか「本音」とかいった、その人の「体温」が、まるで感じられないのね。

 せいいっぱいの好意で解釈するなら、Chipさんはここで、「自分は弱者の味方である」ということを印象付けたかったのかも知れない。しかし匿名じゃ意味ねえじゃん?という見地から、私個人はこの解釈ははずすつもり。自分がそれほどの者なら、私はこれこれこういう運動をやってます、というスローガンなり経歴なりをまずここに示すはずだしな。ま、あまりそういったことを長々とぶち述べられてもそれこそ掲示板ジャック状態になっちまうけどさ。
 
 それとやたらに、正確なような、正確でないような情報流すんだったら書かずもがなやね。情報を受ける側の「記憶・判断のあいまいさ」につけ込むような真似はさ。たちの悪い新聞屋といっしょで。いきなり人ん家にやってきて「あんたは三ヶ月前、ここに来た自分に向かって“又にしてください”といったろ。だから“又”来たんだ」っていうようなさ。“そういえば言ったような、言わないような...”と、証明しようのない事で、こちらをなんだか申し訳ない気にさせる心理テクニックなんだよね。
 コンサートの受付のバイトをやっていた時、私がしばらく席外して戻ってきたら、男が寄ってきて、「自分は今入場したばかりで、さっきここにいた黒い服を着た女の人にチケットを渡したんだが、急用が出来て出なければならない。そういった事情で私はまだ着席していないから、入場料千円払い戻させてくれ」確認しようのない事実で、言われたとおりにする人間はいないんだよね。“黒い服を着た女の人(これはたぶん彼の中では「受付嬢」のイメージなんだろう)”なんてそこら中にいるしさ。これじゃ単なる千円めあてのゴロツキさね。

 こういった人々のゆきつく先は、つまるところ“トラブル”だ。関わりあわないほうがいいってことになる。そんな人間になってみたいのか?

 Chipさんが、文章で自分の気持ちをさらけ出すというのが苦手な人物であるので、自分の言葉がないのだろう、という解釈は、してやんねえぞ私は。「演じているとしか思えない」とか「無知」とかいった装飾は、余計だしな。仲間に入れて欲しいんだったら、そう書きなよ。何があったか知らないけど。誰もあんたのことバカだなんて思いやしないから。以上。


  
   

    

 

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