アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
僕は今、普通の脳みそが欲しくてウズウズしている・・・・・・
普通の脳みそをよこせ・・・・・・・・・・・・・
僕の脳みそは腐ってる・・・・・・・・・・・・・
だから社会に適用できないんだ・・・・・・・・・
今の脳みそなんていらない・・・・・・・・・・・
早く普通の脳みそが欲しい・・・・・・・・・・・
シンタロウ wrote:
> 僕は今、自分に向いている職業を探しています。でも、どんな職業が向いているのかわかりません。いったい僕みたいなLDはどんな職業が向いているのでしょうか?
僕も判らない。なんか何をやってもダメな気がする・・・・・
Maria wrote:
>> うえのうえは「うえ」。したのしたは「した」。
> (ちきゅうのまんなかに、「うえ」や「した」はあるのかな?)
> (うちゅうにいったら、「うえ」や「した」はあるのかな?)
先週のこと、私はNHKのラジオ第一の「夏休み子供科学電話相談」を聞いていました。
ある小学生の女の子が、こんな質問をしていました。
「南半球にいる人は、逆さまに地球に乗っているのに、どうして地球から落っこちないのですか?」
解説員の人の答は、
「地球の上にあるものはみんな地球に引っ張られているんだ・・・そしてね・・人間はその力のせいでね・・・地球の中心の方向を「した」って感じるようになっているわけ。あと地球ってとっても大きいでしょ。だからね南半球の人も、北半球の人と同じように地面があるほうを下って感じているわけ。」
でした。
さてかくゆう私も、幼いときから疑問に思っていることがあります。それは、
「地球の北極と南極から、ロケットを発射させてどこまでもどこまでも飛ばしたら、どこへ行くだろうか・・・まさか北極のは天国に、南極のは地獄にということにはならないだろうか・・・」ということです。
僕は今、自分に向いている職業を探しています。でも、どんな職業が向いているのかわかりません。いったい僕みたいなLDはどんな職業が向いているのでしょうか?
今日って日曜日なんだ。
豆腐屋も、ついでに八百屋も休みでした。
(_ _;
そうだ、そばだ。
蕎麦蕎麦。
またひとつ賢くなっちゃったよ〜。どうしよう。
おなかすいた。
茄子もいいねぇ〜!
海苔もいいね〜!
トカゲのしっぽにあうんだよね〜。
あ〜おなかすいちゃったよう。
でもね、買物行くと疲れるからやなんだよね〜。
角のとうふ屋のおじさん、いっつもニコニコして挨拶してくれるし、
その挨拶するタイミングがわかんなくて困っちゃうの。
だからうつむいて通りすぎる。
たまにはとうふ買うけど。
うぅ考えただけで疲れてきた(_ _;
でも茄子食いたい〜。
八百屋まで行く間には、和菓子屋のおばちゃんもいるし・・・。
昼間はとくに、まぶしいから外に出るのきらい。
ノンちゃん(猫)、かわりに買物行ってきてくれー。
一穂さん wrote:
>のぼせに効く、?麦。←これ
>なんて読むの?
そば。レタスもよいようです。ただ、どっちも夏は旬ではありません。夏場に食べすぎると腹を冷やして下痢するそうです。
レタスといえば焼肉につきものの生菜(サムチュ)があります。夏は焼肉、という印象がありますが、あれも元々は冬に身体を温めるために食べたもののようです。
鰻(うなぎ)も、「夏痩せに効く」とされたものですから(万葉集に出てきます)、江戸時代までは真夏に食べるものではありませんでした。
>ナス ジェットブラック、そうそうそれです。
>なんで知ってるの??
>もしかしてMariaさんも使ってるんですか??
>やっぱ黒Mariaだから、黒いものには目がないとか・・・。
大森総合研究所はその名の通り大森(大森屋も白子海苔も大森です)にありますので、「黒いもの」で好物というとやっぱり海苔ですね。チーズに海苔を巻いて食べる、とかいうのはよくします。焼餅+塩うに+海苔とか、焼餅+からすみ+海苔とかもおいしかったりします。
茄子は油と合うので、なんといっても油焼きがおいしいです。カロリーが心配ですが。
「吉兆」の湯木貞一さんは、「柳川鍋は牛蒡より茄子が合う」とおっしゃっていました。確かにおいしいです。「牛肉と茄子の柳川風」とかも、けっこうおいしいです。
筒井ガンコ堂編著『鬼平味ばなし』に「茄子のかやき」というのが紹介されています。
茄子の皮をむいて、縦に細切りにして水にさらします。なるべく大量に。
卓上のコンロを用意し、上に鍋をのせ(土鍋ではなく薄いアルミ製がいいかも)、に鮭缶二個を開けて適宜崩し、好みにより酒でのばします。そこで火をつけ、煮えてきたところで茄子を入れ、煮えたはしから小皿に取って、好みで七色唐辛子を振って食べます。おいしいです。暑気払いにいいかも。
なんか食べ物のことばっかり書いてる気がする……
(Maria)
あたしはあたし、あなたはあなた。あたしのあなたはあなたの「わたし」。
あたしのまえにあなたがいて、あなたのまえにあたしがいる。
むかってみぎは、あたしの「ひだり」。むかってひだりは、あたしの「みぎ」。
みぎがわのみぎがわは「みぎがわ」。ひだりがわのひだりがわは「ひだりがわ」。
うえのうえは「うえ」。したのしたは「した」。
(ちきゅうのまんなかに、「うえ」や「した」はあるのかな?)
(うちゅうにいったら、「うえ」や「した」はあるのかな?)
あしたのあしたは「あさって」。きのうのきのうは「おととい」。
となりのとなりは「なんなのかな?」
つぎのつぎは「なんなのかな?」
むこうのむこうは「ずーっとむこう?」
こっちのこっちはやっぱりこっち。
そっちのそっちもやっぱり「こっち」
あっちのあっちは「どっちかな?」
あたしはあたし、あなたはあなた。あたしのあなたはあなたのわたし。
あたしのまえにあなたがいて、あなたのまえにあたしがいる。
あなたのうしろはあたしのまえで、あたしのうしろもあなたのまえ。
あたしのまえで、あなたのまえ、
あたしとあなたのあいだ。
「あたしたち」になれるのは、いつだろう。
「あたしたち」がわかるのは、いつだろう。
(Maria)
わたしも持ってる辞書には載ってなかった
(oTwTo)
げ〜ん。
わたしも、沖縄とかインドとか、なんだかひかれる。
色彩、音楽、食べ物、その中にある土地の空気やにおい、血?、
…独特の何かにひかれる。
全然関係ないけど、大学生のときインド人のすごい金持ちの留学生に、こう言われたことがある。
〃インドはカースト制度きびしい〜私日本人と結婚できない〜お父さんの決めた人と結婚しま〜す。あなたかわいい、私日本に来てさびしい、日本の恋人がほしい〜。"
それに対してわたしは真面目に、
"日本で恋人がほしいんだったら、結婚できないことは内緒にしたほうがいいんじゃない?"
と答えていた。
あとでよく考えてみたら、汗。
それはおいといて、
生姜、茗荷、鬱金。
冬瓜に緑豆、イモリの目。
いぇ〜い♪一気に知識が増えたぞ!
Mariaさんありがとう♪
わたしは気功整体に通ってるんだけど、気功の先生が言うにはわたしはひどいオケツ
(於にヤマイダレの"お"なんて・・・やっぱ出ないか。しかもわたしPCじゃなくてドリキャスだし)
らしいので、血流をよくして発汗を促すのはとても良いと思う。
わたし、汗あんまり出ない。(ひざの裏だけは出る)
でもいっこ読めないのがあった・・・
のぼせに効く、?麦。←これ
なんて読むの?
(oTwTo)←サルの脳味噌人間の図
早く人間になりた〜い(わたしのテーマ)
ブランマージュに触ってみたい。
それにしてもMariaさんて物知り!
さすがは15世紀生まれ!!?
ホメオパシーについても
まさか詳しく知ってるひとがいると思わなかったからびっくり!
ナス ジェットブラック、そうそうそれです。
なんで知ってるの??
もしかしてMariaさんも使ってるんですか??
やっぱ黒Mariaだから、黒いものには目がないとか・・・。
たあさんwrote:
> ASの人と普通の人では、話し合う・議論するということが可能なのでしょうか?
議論には、「誰が正しいのか」を議論する「属人型(裁判型)」と「何が正しいのか」を議論する「属事型(是々非々型/問題解決型)」の二種類があります。
普通の人は、ついつい勝ち負けにこだわり、属人型議論に引っ掛かって論理をねじまげてしまいます。職業的・性格的に、問題解決型の議論に慣れている研究者のような人が相手でないと、議論は難しいと思います。
> 人が言ったことを、正確に解釈するコツのようなものはないでしょうか?
人の言ったことを、自分の言葉で、別の言い方で表現して、相手に確認を取る。
なお、暗黙の前提が食い違っていると、論理の道筋は正しいのに議論が噛み合わないということは意識しておいたほうがいいと思います。
「鉄一キログラムと綿一キログラムではどちらが重いか?」と質問されると、たいていの人は「同じ」と答えると思います。ところが、かつて広く使用されていた工学単位系では「キログラム」は重さの単位(力の単位)だったので「同じ」だったのですが、現在広く使われているSI単位系ではキログラムは質量の単位なのですね。したがって、空気の浮力が働くぶんだけ、綿一キログラムのほうが軽くなります。
こういうことを言っていると、「そういうことを言ってるんじゃない!」とかいって怒る人がいますが、そういう人は、議論をしようとしているのではなくて、自分が信じている「事実」を相手に認めさせようとしているだけです。
これとは逆のパターンで、相手が話している途中で、勝手に結論を理解したつもりになって、相手の話を遮って自分の言いたいことを喋りだしてしまう人がいます。こういう人は小咄のオチを聞かずに「退屈な話だ」とか言っているのと同じなのですね。いわゆる思考の硬直化というものです。「わかったつもりにならない」というのは、けっこう大切なことです。
「カレーというのは手で食べるのが正式だそうだ。」
「足で喰う奴がいるのか?」
「あんたならやりそうな気がする。」
「いや、試したが無理だった。」
「試したんかいっ!」
(Maria)
まろんす wrote:
>前から疑問に思っていたのですが
>Aタイプは遺伝子的にはどうなっているのでしょうか?
>普通の人と同じなのかな?
アスペルガー症候群の人の家系をたどっていくと、やはり固執性が強い・人付き合いが下手だったというようなアスペもどきのような人がいるようです。また兄弟が重い自閉症であるという人もかなりいます。また分裂病や鬱病による自殺者が、家系をたどるといたということもあります。
だからといって、「自分が変わっている・頭が変なのはこいつのせいだ!」なんて思ってはいけません。むしろ「彼らは、僕や私と同じ苦しい思いをして大変だったんだ・・・」と哀れんでやってください。
さて興味深いことなのですが、自閉症とLDの男女における発症の比率は共に、男:女=4:1となっています。つまり男のほうが自閉症やLDになりやすいということですが、未だにこの原因については未解明のままです。
また、最近自閉症の発症率が増加しているようですが、これは人工的な自然界にない化学物質が周りの環境へ放出され、食料を通じて人間の体に入り、悪さをするようになったためではないか、という可能性も指摘されはじめています。
Xanadiiさん wrote:
> 注目すべきはこのタイトルロールの名前の由来となった「赤ずきん」そのもの
>なのだが、これはカッセルの伝統的な民族衣装で、正式なものは、頭のてっぺん
>に髪をお団子状にまとめて、丁度コップを裏返しにしたような小さな帽子をちょ
>こんとかぶせる、これがほんとうの「赤ずきん」なのだそうだ。
えー、Xanadiiさんがおっしゃっておられる「赤ずきん」は、ドイツ語でケプヒェンというものですね。未婚女性は赤いケプヒェンをつけるというのが、カッセル地方の風習でございます。金成陽一さんは「マフィンのような形」と表現しておられました。
これに対してペローの「赤ずきん」は、「シャペロン」です。
「シャペロン」というのは英語でいうカプチン。カフェ・カプチーノのカプチンです。修道僧が着るような、フード付きの、全身をすっぽりと覆うマントです。カフェ・カプチーノの名前は、カプチン派の修道僧が着ているカプチンの色に似ているところからつけられました。
ついでながら、フランス語で「狼のダンス」というと「恋の駆引き」、「彼女は狼を見た」というのは「彼女は男を知った」という意味だとか。
で、赤ずきん本人のイメージとしては、髪は金髪というより赤毛で巻き毛。ごわごわのもしゃもしゃで、全身を覆うくらい長いのね。で、目は黒。年齢は十三歳から十四歳。つまりは三大殉教聖女のひとり聖アグネスのイメージだったりするわけです。聖アグネスはローマ人に殺されたのち、死後キリストの妻として迎えられたとされるひとなのだけど、ローマといえば狼、というのはサッカーにちょっと詳しい人なら知っているはず。
で、狼というのは、動物の狼ではなくて人狼、つまり動物の毛皮をまとった不死者のイメージだったりします。これは「赤ずきん」というお話が、「死者の国の探訪」をテーマにしているからなんですね。で、ペローはこの要素をばっさりと切りすててしまいましたが、グリムは『狼と七匹の仔山羊』というお話のパターンを借用してきて、旧約聖書の『大魚に呑まれたヨナ』のような「死者の国からの生還」テーマのお話にしたわけです。その意味でグリムの『赤ずきん』は原点回帰なのですね。
ですから、原・赤ずきんでは「結婚=娘時代の死と女としての再生」であった(ペルセポネと冥王ハデスの結婚と同じテーマ)ものが、グリムの場合は「ヨナ」テーマになっているということだったりします。
創作童話としてのグリムの『赤ずきん』は、あたしも好きだったりします。いい作品だし。だけど、あたしの中の黒Mariaさんは、もっとどろどろとした、土俗的なものを求めているのだな。どろどろどろ。
ちなみに黒Mariaというのは、地母神信仰としてのドルイド教で信仰され、後にキリスト教に習合された豊穣の女神です。詳しくは馬杉宗夫(うますぎ・むねお)『黒い聖母と悪魔の謎 キリスト教 異形の図像学』、講談社現代新書1411、660円をどーぞ。
(Maria)
ミッドランド wrote:
> 今回はASからだいぶ離れた話題をひとつ。
>
> 皆さんは「歯の妖精」の話をご存知ですか? ご存知ないという方のために、その話を述べます。
>
> 子供の乳歯が抜けました。子供はその晩は抜けた乳歯を枕の下に置いて寝ます。
> すると寝ている間に歯の妖精がやってきて、その乳歯を持って行きます。
> 妖精はそれと引き換えに、コインを一枚、枕の下に置いて行きます。
>
>こういった話です(あ、そこの人、「こっそり親が取り替えているだけだろ」などと言わぬよーに。それを言っちゃーおしまいです)。
>
> ここで疑問がひとつ。「歯の妖精は、乳歯をどこへもっていき、何に使うのか?」
> 以下はわしの勝手な推察による仮説です。
>
> 仮説1:自分たちの国へ持っていき、家造りの材料にする
> 小さな乳歯をたくさん集めて、自分たちの家を造りあげていく。作業が少しずつなので完成まで時間を要す。スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア並み。
> だが、これだと「コインはどこから出たのか」の点でひっかかる。
>
> 仮説2:歯の聖女、アポロニアに捧げる
> 世界中に(といっても、欧米の一部かもしれないが)まつられている、歯の聖女とうたわれるアポロニアに「ご神体の一部」として歯を捧げる。コインは寄付金の中から出たと解釈。
> だが、その後の歯の行方が定かでない。
>
> 仮説3:大地にカルシウムを行き渡らせる
> 集めた歯からカルシウムを取り出し、大地にしみ込ませる。農作物は地中のカルシウムを吸収し、それが歯を丈夫にしていく。
> これも、コインの出所がわからない。
>
>…………いやー、好き勝手に仮説たてた割には、随所にボロが出ていますねー。
> んでも、「このテーマで童話を書け!」てなことになると、おそらく何通りもの話が出来上がるんじゃーないかって思うんですわい。わしの穴だらけの仮説よりも数倍マシな話をつくる人がいると思います。
>
> ところで実際のところ、歯の妖精と歯の聖女アポロニアの間には、なにか関連性があるのでしょうか? ふとした疑問。
>
> 今夜はマイ・ファンタジー・タイム ミッドランド
ミッドランドさん はじめまして こんばんわ
なーんか ミッドランドさんっていじわる。
でも いい人なんだってわかる・・・
とても純粋だからハード。
・・・ちなみに童話を書いたわけではないです。
子供の世界では、可能になることもあるよ。
今回はASからだいぶ離れた話題をひとつ。
皆さんは「歯の妖精」の話をご存知ですか? ご存知ないという方のために、その話を述べます。
子供の乳歯が抜けました。子供はその晩は抜けた乳歯を枕の下に置いて寝ます。
すると寝ている間に歯の妖精がやってきて、その乳歯を持って行きます。
妖精はそれと引き換えに、コインを一枚、枕の下に置いて行きます。
こういった話です(あ、そこの人、「こっそり親が取り替えているだけだろ」などと言わぬよーに。それを言っちゃーおしまいです)。
ここで疑問がひとつ。「歯の妖精は、乳歯をどこへもっていき、何に使うのか?」
以下はわしの勝手な推察による仮説です。
仮説1:自分たちの国へ持っていき、家造りの材料にする
小さな乳歯をたくさん集めて、自分たちの家を造りあげていく。作業が少しずつなので完成まで時間を要す。スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリア並み。
だが、これだと「コインはどこから出たのか」の点でひっかかる。
仮説2:歯の聖女、アポロニアに捧げる
世界中に(といっても、欧米の一部かもしれないが)まつられている、歯の聖女とうたわれるアポロニアに「ご神体の一部」として歯を捧げる。コインは寄付金の中から出たと解釈。
だが、その後の歯の行方が定かでない。
仮説3:大地にカルシウムを行き渡らせる
集めた歯からカルシウムを取り出し、大地にしみ込ませる。農作物は地中のカルシウムを吸収し、それが歯を丈夫にしていく。
これも、コインの出所がわからない。
…………いやー、好き勝手に仮説たてた割には、随所にボロが出ていますねー。
んでも、「このテーマで童話を書け!」てなことになると、おそらく何通りもの話が出来上がるんじゃーないかって思うんですわい。わしの穴だらけの仮説よりも数倍マシな話をつくる人がいると思います。
ところで実際のところ、歯の妖精と歯の聖女アポロニアの間には、なにか関連性があるのでしょうか? ふとした疑問。
今夜はマイ・ファンタジー・タイム ミッドランド
たあ wrote:
> ASの人と普通の人では、話し合う・議論するということが可能なのでしょうか?
>
> 普通の人が、ASという障害の特性を知っていれば、有意義な話し合いができるのでしょうか?
>
> 普通の人に「話し合おう」と言われています。私にとって、話し合いというのは、お互いに後味の悪さを残す儀式のようなものです。相手の話を、いつも自己流に解釈してしまっているようです。後になって、トラブルが発生して、自分の解釈が間違っていたことに気が付きます。
>
> 人が言ったことを、正確に解釈するコツのようなものはないでしょうか?
たあさん はじめまして。
かなり久しぶりな慢性感冒といいます。
私の過去をさわさわと泳いでみましたら、かなり通じあわない者同士が何か話しあうには、
間にどちらにも通じる者が入り通訳する・・・と言う場面があったようにおもいます。
・・・ちょっと分かりにくいけど、この人の言いたいことはね・・・なんて具合に
やるんです。実際に昔、同類さんや、同類君と時間を共にしていたころ、
普通の子>アスペっぽい普通の子>普通っぽいアスペの子>アスペらしいアスペの子
みたいなメンバーでそれらしい事が可能になっていたと思います。
だから、本当に昔が恋しい・・・
自閉症スペクトラムを有効に利用できたら・・・なんてのん気かなぁ
もっとてっとりばやくできたりして・・・
的外れでしたらすみません。
ASの人と普通の人では、話し合う・議論するということが可能なのでしょうか?
普通の人が、ASという障害の特性を知っていれば、有意義な話し合いができるのでしょうか?
普通の人に「話し合おう」と言われています。私にとって、話し合いというのは、お互いに後味の悪さを残す儀式のようなものです。相手の話を、いつも自己流に解釈してしまっているようです。後になって、トラブルが発生して、自分の解釈が間違っていたことに気が付きます。
人が言ったことを、正確に解釈するコツのようなものはないでしょうか?
Maria wrote:
> だから、我々はしばしば「サディズム」という色眼鏡をつけて物語を見てしまう、ということをしてしまいます。で、あたしは『赤ずきん』というお話は、もともとはこの人間の傾向を逆手にとったミステリー……というか、中世ヨーロッパには珍しくなかった、怪談仕立ての艶笑小話だったのではないか、と考えています。
>
> オリジナルの『赤ずきん』(『おばあさんの話』といいます。ついでながら、世界最古の『赤ずきん』とされるペローの『小さな赤ずきん』が収められている『ペロー寓話集』の原題も『ガチョウおばさん(マ・メール・ロア)のお話』です)では、狼はわざわざ「十字の辻」という不吉な場所に現れて、赤ずきんに「お前は縫い針の道を行くのか、それとも留め針の道を行くのか」という質問をします。これは、「いずれにせよ痛い目にあうぞ」という、遠回しの警告なのですね。
> これに気がつくと、狼の行動というのは、赤ずきんを襲おうとしているにしてはどこか妙。ベッドで待ち伏せをするなんていうのはその最たるものです。で、オリジナル・ストーリーでは、赤ずきんに「服を脱いで、ベッドにお入り」とかいって命令しています。
> で、赤ずきんは赤ずきんで、ストリップ・ティーズまがいのことをしてたりするのね。「脱いだエプロンはどこへ置けばいいの?」「暖炉の火にくべておしまい。もう必要ないから」とかいった会話があって、赤ずきんは着ているものを全部暖炉の火にくべてしまいます。
>
> そう。『赤ずきん』というのは、赤ずきんが狼にプロポーズするお話だったのですよ。
>
> ですから、最後のあの場面も、
>
> 「ねぇ、おばあさん、おばあさんの目はどうしてこんなに大きいの?」
> 「それはね、おまえをよく見るためだよ」
> 「ねぇ、おばあさん、おばあさんの口はどうしてこんなに大きいの?」
> 「それはおまえにいっぱいキスするために大きいのだよ」
> 「ねぇ、おばあさんの腕はどうしてこんなに太いの?」
> 「それはね、おまえをしっかりと抱き締めるために太いのだよ」
> 「ねぇ、おばあさん、おばあさんの尻尾はどうしてこんなに立派なの?」
> 「それはお前を悦ばせるため……って、違うだろっ!」
> 「だってほら、こんなに大きく立派になって」
> 「触るなぁーっ!」
というわけで、赤ずきんは狼を飲み込んでしまいましたとさ。
んもう、おとなのひとって、さいって〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
ていうか、あたし今日、デリケェトな日なの。さいわい今回は、前後に微妙に喫煙量がふえたってだけで(それでも一日平均10本以下なのだが)済んだけれど、前回は生理痛で仕事はリタイアしてしまった。毎回毎回、症状が変わるのはそれだけでもけっこうな苦痛だ。マジで。
漢方以外で、アレの諸症状に効くレシピってないものですかね?
ドイツのあるクラスで、女の子たちに「赤ずきん」の絵を描かせたら、みんな「ブロンドのおさげ髪」にしたそうだ。その表情や物腰は不安げに控え目に描かれ、これに対して狼は、不気味な力の権化として描かれている。
一方、十歳のフランスの女の子たちが描いた狼は、犬のようにペット化されて不気味さは感じられず、それどころか、優雅な紳士のごとくであるという。これはペローとグリムの違いなのか、あるいは、フランスとドイツという国柄の根本的差異によるのか。
フランスの場合、「赤ずきん」は、子供というより、小さな婦人としてとらえられているし、頭巾の下からでている髪の色は黒である。フランスに金髪はほとんど見当たらないから、それも当然ではあるのだが...。日本の子供達は、一体どのようなイメージをもって、「赤ずきん」を描くことだろう。
(金成陽一『誰が赤ずきんを開放したか』大和書房・1989年刊)
この本、赤ずきんのイラストを豊富に掲載しているんだけど、悲しいかなその出典が示されてないんだよね。
私の中の「赤ずきん」原体験というと、どうしてもグリム兄弟に軍配を挙げたくなってしまうのよね。小学校の頃むさぼるように読み倒した(回数はかるく三桁には上るであろう)、学習研究社の『グリム童話集』大塚勇三訳・堀内誠一画で1969年刊のやつ。
大学時代、母と中国は桂林を旅行した時、ひとりのドイツ人のおばあさんと出会い、母とは音楽の話ですっかり意気投合し(当然私とはコミュニケート不能)、今度あなたの住むドイツへおじゃまします、と約束して、2年前それを果たした。
このおばあさんはドイツでは「赤ずきん」の発祥の地としてかたく信じられているカッセルと呼ばれる地方在住で、陶製のアンティーク人形の、レプリカとして再現された手法で、人形の頭の部分をを窯で焼成することを生業としておられた。地下室にはまさに「赤ずきんの訪ねていったおばあさんの家」を、天蓋付きベッドから何まで忠実に再現してあり、おばあさんは自慢の作品からそのひとつ「赤ずきん人形」を、プレゼントとして気前よく持たせてくれた。名前は「カトリーヌ」ちゃん。日本人にも昔懐かしい「ママー人形」仕立てで、傾けると目を閉じ「マァ〜」と応じる。今ではカトリーヌちゃんは実家の玄関で、付属のてんとう虫の飾りのついたソファで眠たげにしている。
注目すべきはこのタイトルロールの名前の由来となった「赤ずきん」そのものなのだが、これはカッセルの伝統的な民族衣装で、正式なものは、頭のてっぺんに髪をお団子状にまとめて、丁度コップを裏返しにしたような小さな帽子をちょこんとかぶせる、これがほんとうの「赤ずきん」なのだそうだ。
先に紹介した堀内版のイラストでは、この「赤ずきん」が最も正確に再現されてある。たいていの「子供向け」と称される絵本の類では、ずきんの形が非常にあいまいで、「真っ赤なスカーフ」が一般化されているような気がする。統計を取ったわけではないけれど日本ではたぶん、このグリム版のイメージが流布されているはずなので、ぜひとも大塚・堀内版の再発を、私としては希望するものなのであります(もちろん実家には捨てずにあるけどね。もうボロボロで茶変(笑)してっから)。
「そんなもの何度読んだって同じだからやめろ!」と兄にののしられつつ、取り付かれたようにページをめくっていたあの頃。うーんまた読み返したくなってきた。
ふたたび、あの日が廻ってくる。
あの年の8月、私の父は特別攻撃隊志願兵として、出撃するはずだった。
すべてのいわれなき死者達の霊に、花を。
そして人類すべての、あくなき闘争心には犬のションベンを。
いま望む地へ赴こう 心の声に耳傾けつつ。
―Xanadii―
ぶはははは。おもしれーよこいつ。ほんとならこの人、単なる“背表紙・奥付けフェチ”なのかしら?ってことで釈放してあげようと思ったけど、相当こじらしちゃってるみたいだね。
Chipぱす忘れ wrote:
>しかし、どうだ。よく見て見ろ。
>実際は、浅見淳子、浅見昇吾のように金の為に悪魔に魂を売り、
>利用できる学会員を動員して、自分の商売に利用するような悪魔のような人間の
>味方をして、その事で、何万人もの自閉症児を虐げているのだ。
判事「答えよ、女、おまえはいったいいかなるブラックマンを見たのか?」
女 「判事さま、あたくしは、判事さまのお姿以外にブラックマンを見ておりませぬ。」
これは有名な“セーレムの魔女裁判”に残されている審理記録なのだが。
かわいそうにこの女もまた、火にくべられたことであろう。
何年か前に、散歩の途中偶然に明治大学の刑事博物館で、「中世ヨーロッパ拷問展」が開催されていたので入ってみたら、悪名高きアイアン・メイデンはじめ、当時実際使用された拷問道具のかずかずが展示されていたんだよね。その間を歩きつつひとことでいえば「胸くそ悪くなった」って感じが込み上げてくるんだけど、なんて表現すればうまく伝わるだろう。“この自分がフランス料理のフルコースを食しつつ、防弾ガラス越しに戦場で年若い兵士たちが銃弾に倒れていくのを見物させられている”感じ...とでもいったらいいのか。
いかに見物人たちを楽しませ、いかに苦痛を長引かせ、いかに屈辱を強いるか(ちなみに「ギロチン」は、王族のため考案された最も苦痛のすくない処刑方法だったとか。ただし“うまく切りそこねた”話も、よく聞くよな)。じっさい楽しめたんだと思うよ。ちなみに私がぜったい受けたくない拷問は、なんといっても“耳や鼻から水を流し込まれる”かな。小さいころ中耳炎やったし。あと“両手を縛られて耳をふさげないようにして、永久に続くピチョン、ピチョンという規則正しい雨音を聴かされる”。「自動的で、規則正しいもの」が私駄目でさ。
「疑わしきは罰せず」という原則があるが、文学的価値判断の世界では「疑わしきは厳罰!」が適用されることもある。「Aをウソツキ呼ばわりする人間Bがじつはほんとうのウソツキなのだ」とわけ知り顔に諭すXanadiiがじつは3人のなかでいちばんのウソツキだ、と指摘する方もいよう。そうなると私はメタ・ウソツキということになるけど、Chipさんのごとき方法論では、たとえば大学の卒業論文の構想発表の場だったら、ここぞとばかりめちゃめちゃに叩かれるぞ。見ていてもうこっちが苦しくなってくるんだよね。これぞイジメだ。きっとこの人、これまでのいろんな人生、こういうパターンを踏んできたんだろうなあ。かわいそうに。ただ同じウソつくんだったら、せめてもう少しみんなを楽しませる、退屈でないウソをつこうね。察するにこの人どうせ他人のスレッド読んでいないだろうから、もう書きたいほうだい...
前から疑問に思っていたのですが
Aタイプは遺伝子的にはどうなっているのでしょうか?
普通の人と同じなのかな?
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