アスペルガーの館の掲示板(旧)
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こんにちわ、くるとです。まとまりの悪いコメントにレスをつけていただき
感謝感謝です。
自分の頭脳をはるかに超えるテーマを扱っているために、まだ内容が錯綜し
てしまいますが、レスしておきます。
Mariaさん wrote:
> えー、ここで「愛着形成」と「対人親和性」という言葉を使うことにしま
>す。「愛着形成」のほうは分りやすいですね。「手に入れたい」「手放した
>くない」「離れたくない」「逃がしたくない」といった感情です。「対人親
>和性」というのは、「相手と感情を共有する」傾向です。
なるほど、この説明なら納得です。わたしが日常生活で悩んでいた問題の
1つに、周囲の人間に「愛着形成」や「対人親和性」が高いように見られて
しまうという問題があります。
わたし自身の「愛着形成」や「対人親和性」はこどもの頃からほとんど変
わっていません。でも、「愛着」や「親和性」を表現しアピールする能力だ
けが身についてしまい、色々と他人から誤解を受けるようになってしまった
のです。
つまり、わたしが最後に書いたコメント「共感する」と「共感をアピール
する」の違いは、わたしの悩みを反映したテーマなんです。「共感をアピー
ルする」だけで「共感性」が高いと判断されてしまうのはなんか変だな〜、
と…
> で(2)で言っていることは、「相手の感情を理解する能力」と「対人親和
>性」を欠いた場合は、仮にたまたま同じ信念・考え・感覚を持っていたとして
>も、「共感」ではない、ということを言っているのですね。それを「同情」と
>呼ぶのはどうかと思うけど。
で、自閉症研究では、自閉症児が「相手の感情を理解する能力」と「対人親
和性」が欠如していると言っていることになるんですね。
ここで、わたしはつまづいてしまったんです。わたしは子供の頃から他人の
意図を誤解することが多かったのですが、同時に非自閉圏の人から意図を誤解
されることも多かったんです。
どうも、この問題は自閉圏の側にだけある問題とは思えないのですが、自閉
症研究では自閉圏の側だけにある問題だと考えられているようです。厳密な意
味での「共感」ができる人(Mariaさんが挙げた「愛着形成」「対人親和
性」「他人の感情を理解している」となると、自閉者・非自閉者を問わず少数
なのではないかと思います。
> 1)「相手の感情を理解する能力」は、高いほうが望ましい。
こちらはすごく痛感しています。わたしが日常生活で悩んでいる問題の1つ
に「他人から意図を誤解される」というのがあります。(非自閉圏の人が聞い
たらずっこけるかもしれない)わたしも、「他人の意図を誤解しやすい」とい
うのが問題なので人のことは言えませんが、「相手の感情を理解しようとする
努力目標」は必要だと思います。
> 2)「愛着形成」と「対人親和性」については、相手との人間関係において
、適切に生起されることが望ましい。
まだ「相手との人間関係において適切に表現(アピール)される」という段
階で、「生起される」までには至っていません。(笑)
1)と2)はけっきょくのところ、自閉圏・非自閉圏の人を問わず、努力目
標だと思うんです。でも、自閉症研究では「自閉者になくて非自閉者にあるも
の」として紹介されてしまう…。これは怖いことです。
最近読むばかりだったのですが、大学の専門領域なのでおもわずレスします。
窒素が「窒」という字を含む理由。
窒素が発見された実験はたしか、「ケースでかこんだなかで、
酸素を使いきるまでものを燃焼させる。その酸素が使いきられたあとの
ケースにラットを入れると、ラットは窒息して死んでしまう」
というものだったと思います。
手順までは忘れたけど。
その実験の中で、「酸素が使いきられたあとにのこる空気は
生物を窒息させてしまうものだ」という誤解がうまれたために、
空気中にある酸素以外の成分(の中でもっとも主要なもの)を
窒素と名づけたのではないでしょうか。
同じように、水素が発見されたときは「気体のなかにも燃えるものがある!」
「この気体を燃やしたら水ができる!」という衝撃が強かったのでは。
酸素は、「水の材料になるもの」という以外にも、いろいろな性質が
ありますものね。
で、酸素について。
ものが燃焼するのは「酸化」ですよね。
(って、いいかげんすぎ)詳しい説明は面倒になってしまった。
タレイヌさん wrote:
>どちらのMariaさんにも、つい、からみ(?)たくなってしまいます。
あたしも、こういう訳のわかんないネタでじゃれるのが好きです。
以下は、おまけ。
ハロゲン族元素の暗記のしかた。
「ふっくらブラジャー愛のあと。」(F・Cl・Br・J(I)・At)
弗素、塩素、ホウ素、沃素(ドイツだとJ)、アスタチン。
なお、タングステンという呼び名も、日本の化学界の関心がドイツの化学に向いていた時代の名残り。英語では、ウォルフラム。
アクチニウム系列には、ウラニウム(92)・ネプツニウム(93)・プルトニウム(94)が並んでいます(括弧内は原子番号)。
天王星・海王星・冥王星は、それぞれウラヌス・ネプチューン・プルートーです。
植物に必要な十大元素、というのがあります。
C(炭素)・H(水素)・O(酸素)・N(窒素)・S(硫黄)・P(燐)・K(カリウム)・Ca(カルシウム)・Mg(マグネシウム)・Fe(鉄)
これを、「ちょんすとっぷけんかまて」と暗記している人がいました。
で、これに対して「語呂が悪い」と、次のような暗記法を考えたひとがいます。
C・H・O・N・Mg・Fe・Ca・K・S・P
「ちょんまげふえかくし、ぴぃ」
「Mg・Fe」を「まげふえ」と読ませる技巧に光るものを感じます。
東大教授の息子で神野嘉久くんというひとでした。
(Maria)
Maria wrote:
> 水の分子量は18ですが、そのうち九割ほどを占めている酸素は、「水素」ではなく「酸素」と呼ばれています。よくわかりません。
はい。
水はH2O(すみません、2が、ちいさくできないんです。どなたかお教えください)
原子の直径が、全然違うので、分子量(大きさ?重さ?)は、酸素の勝ち。
でも、とても単純に、「数」で比べるなら、水素は、酸素の、2倍数あるはずです。
1個の酸素に、2個の水素が、くっついているわけですから。
塩酸(HCl)や青酸(HCN)などで、「酸」としての反応をつかさどっている水素は、「酸素」ではなく「水素」と呼ばれています。よくわかりません。
はい・・・・
もう、30年近く前のことですので、いまやキチンと説明できる力はありません。
が、「水素イオン濃度」というのが、確か、酸性度の、指数となっていたと思います。これは「酸」にくっつきたがる、その辺をうろついている自由な「水素」が、どのくらいの数いるのか?という、表示です。
「酸」にくっつきたがる=「酸」を引っ張り出す=化合物を破壊する=とかす・・・
人間の目に映る現象では、とけてしまう(あるいはヤケド)・・ですよね。
「現象」中心に名付けると、本来の意味とは、正反対の語順になることは、科学世界ばかりでなく、心理世界でも、多々ありますよね。(文字化困難症のタレイヌ)
> 窒素の「窒」の字は、「窒息」という言葉があるように、「むせぶ」という意味があります。空気の八割は窒素ですが、息が詰まるということはありません。よくわかりません。
はい。
だんだんと・・・深みにはまりつつ・・・(Mariaさんに、脱帽)
海に潜るときに、酸素ボンベ(空気ボンベですね)を、必要としますが、酸素のみでは、人間、生存できないそうです。また、未熟児の保育器も、酸素の濃度比率が高すぎると、目が、障害されるので、濃度管理は重要らしいです。
「必要不可欠」「大切」なもので、全てを、おおい尽くす事は、「善」には、結びつかない。バランスを、考慮しながら、進みたいものです・・・・(論点ズレしてますね)
> 炭素が「炭素」というのはとてもよくわかります。うれしいです。
はい、はい!!
タレイヌも、これは、とっても、嬉しかったです。
組み方で、地上最強の、固い物質(ダイヤモンド)にもなるし、だけど、火にあうと
燃えてしまって、炭になるなんて、両極端が内在してて、わかりやすく現象もみえる。
こういうのが・・・?好きなんです。
ですから・・・?!
> 仕事疲れで黒Mariaさん全開 Maria
どちらのMariaさんにも、つい、からみ(?)たくなってしまいます。
また、気侭な、書き込みいたしました。
おじゃまいたしました。
(タレイヌ)
ミッドランド wrote:
>Mariaさん wrote:
>> 「ガラスの原石」は、「珪砂(けいしゃ)」といいます。英語では“silica”。“silicon”は「硅素」。「硅」と「珪」の二種類の字があるんだけど……忙しくて調べている暇がありません。どなたか代わりにお願いします。いそいそ。
> 「silica」をもっと厳密に言うと、「二酸化珪素」「無水珪酸」。
> 「silicon」と綴ると「珪素」の意味だが、「silicone」と綴ると合成ゴムの「シリコーンゴム」を形成する化合物の意味になります。
> 「silicon」と「silicone」、このふたつは珪素そのものと、珪素を含んでいる化合物、物質的に似て非なるものです。合成ゴムの場合は「シリコンゴム」よりも「シリコーンゴム」の方が正確です。
O.Si.Al.Fe.Mg.Ca.Na.K・・・
これは何かというと、元素を地球の地殻すなわち地面から地球の中心へ向かって50kmぐらいまでの所での存在量が多い順に並べたものです。
「えー!地面って石や岩・・・、土や砂があるところは判るけど、掘れば岩石でしょ・・・どうしてそれなのに酸素(O)が一番の多いの??」
と思った人がいるかもしれません。
確かに酸素は、大気中にかなり豊富にあって、気体で、私たち生物が呼吸して食べ物をエネルギーに変えるのに必要な物、物が燃えるのは空気中の酸素と激しい化合が起こるからだよといわれる物です。
ではその酸素が、どうして硬い岩石の多いと思われる地殻で存在量NO.1なのということですが、それには第二位の珪素が一役かっています。
石はいくつかの種類の鉱物が集まってできていますが、その中でも一番多いのが「珪酸塩鉱物」といわれる種類です。これらの鉱物の中に酸素が入っています。酸素の原子は珪素の原子をを中心にして四面体の頂点に並んで、一つのユニットをつくります。これはSiO4四面体と呼ばれています。珪酸塩鉱物はSiO4四面体が一つあるいはつながった状態で並んでいる隙間を、金属元素(Fe・Mg・Ca
など)が埋めるという構造をしています。
宝石の類では、ペリドット・エメラルド・トルマリン・翡翠・ガーネットがこの珪酸塩鉱物にあたります。なお水晶はSiO4四面体が立体的にびっしり並んでできており、金属元素がわずかしかないということなので、珪酸塩鉱物ではなく酸素が直接金属元素と結びついてできる「酸化鉱物」のなかまとされています。
珪素(Si)の後ろのアルミニウム(Al)も酸素と結びついて石の中にはいっています。ルビーとサファイヤという宝石はみなさんご存じかと思いますが、あれは酸化アルミニウムの結晶です。ルビーの赤はクロム・サファイアの青は鉄またはチタンが不純物として含まれているからです。
アルミ箔に使う金属アルミニウムは、ボーキサイトという鉱石を酸化アルミニウムを氷晶石と一緒に高温で溶かしたものを電気分解して作ります。この方法をアメリカの科学者(名前はちょっと忘れてしまいましたが)が編み出すまでは、アルミニウムは地殻での存在量がNO.3と多いにもかかわらずほんの少ししか得られなかったので、貴金属の類でした。なぜかというと酸素との結合する力が強いので、還元して金属状態するためには、水に入れると燃えさかって飛び跳ねる金属カリウムを使わなければならなかったからでした。なんとナポレオンは、アルミを「かるい銀」と呼び、宝石箱に大事にしまっていたそうです。
>おうちの借金を30年ぐらいで返していっていて、
おうちを買うという非自閉の連れ合いに、
「自宅なんぞを買っても経費で落とせないので、家を買うのだったら他人に
貸すための家を買って自分は家賃の安いボロ屋に住みつづけるべきだ」
とか主張して彼女の顰蹙を買っていたのは私です。
#持家政策採るんだったら、経費扱いにするのがスジだろ>国
>普通って何だ・・・・・・・・!
>WIACS-Rでオール評点20っていうことか?
>情緒が安定しているってことか?
>精神が安定しているってことか?
>頭がぼーっとしていないってことか?
>責任のある行動がとれるってことか?
>仕事ができるってことか?
>難しい試験にパスできるってことか?
>障害者じゃないっていうことか?
>.
オール20はさすがに無理だが、すべてまともかそれ以上。
情緒精神バッチリ「安定」。(いままでひどい目にあわされてきた「被害」を
反映して被害妄想・鬱病的な形にではあるが(笑)、これもまたひとつの
「安定」。)
頭脳明晰、あるいは冷徹。
法的責任お手の物。
難関資格も持っている。
それでも僕は「普通」じゃない。
私はいわゆる「障害者」
〜〜〜
IQ検査は自閉症自体の診断には無力だと思っています。
Tien wrote:
>
>一穂さん、体調が微妙で大変ですね。慢性疲労症候群は私も雑誌で見た事が
>あり、なんて大変な症状だろうか、とびっくりした事があります。
>お大事に★
Tienさんありがとう。
そうなんです、慢性疲労症候群って、名前聞いただけだとナンダたいした病気じゃないや、ってかんじがするけど、実際なってみるとスッゲ〜辛い病気です。
今日は気功整体(気功マッサージとツボ押しを合わせたようなかんじのもの)
に行ってきました。
でも、往復の電車でかえって疲れてしまいました。
疲れると、別に悲しくないのに、からだが悲しい悲しいって言ってるみたいなかんじ。
今日みたいな日は文字を読むのも大変で、なかなか文章の意味がつかめないので、いろんなおもしろそうなカキコがあっても読めないの。
しくしく。
ミッドランドさん wrote:
>本来の日本語表記を記せば、その元素がどういった感じなのかが、なんとなく
>つかめる気がするのですが。
水の分子量は18ですが、そのうち九割ほどを占めている酸素は、「水素」ではなく「酸素」と呼ばれています。よくわかりません。
塩酸(HCl)や青酸(HCN)などで、「酸」としての反応をつかさどっている水素は、「酸素」ではなく「水素」と呼ばれています。よくわかりません。
窒素の「窒」の字は、「窒息」という言葉があるように、「むせぶ」という意味があります。空気の八割は窒素ですが、息が詰まるということはありません。よくわかりません。
炭素が「炭素」というのはとてもよくわかります。うれしいです。
仕事疲れで黒Mariaさん全開 Maria
あさかぜ wrote:
> 名加野さん、22歳のお誕生日おめでとうございます。
ども。ありがとうございます。
> 絵描きさんの力量によるところは大いにありますね。図鑑でも絵の気に入らないものは、わたしは買いませんもの。
> 「フタバスズキリュウ」って魚竜ですか? 恐竜学(古生物学)は日々進歩しているので、わたしが子供の頃に教わったものとは随分内容が違ってきて、それだけにワクワクもします。
僕が見た図鑑によれば、首長竜だったと思います。ブロントサウルスの足がひれになったもの。と思ってください。といいますか、この記憶は、幼稚園の時の記憶なので、あいまいです(その図鑑が無いので)。でもなぜか覚えてます。よほど強烈だったのでしょう。他には「サーベルタイガー(恐竜じゃない!)」が、その時の記憶として残ってます。
くるとさん wrote:
> 電車のなかで、自閉症における「共感性の欠如」という問題について
>考えこんでいました。自閉症研究の第一人者ウタ・フリス氏によると
>
>(1)「共感」とは他人が自分とは異なる信念・考え・感覚を持ってい
> てもそれを知ることのできる能力である
>
>(2)2人以上の人間がたまたま同じ信念・考え・感覚を持っているの
> は「同情」であり、「共感」ではない
>
>(3)自閉症児の特徴として、他人の苦悩に無関心なこと、他人に慰み
> を与えられないこと、慰みを人から受けることさえできないこと
> である
>
>ということになります。
えー、ここで「愛着形成」と「対人親和性」という言葉を使うことにします。「愛着形成」のほうは分りやすいですね。「手に入れたい」「手放したくない」「離れたくない」「逃がしたくない」といった感情です。「対人親和性」というのは、「相手と感情を共有する」傾向です。
さて、(1)でいう「共感」というのは、
・相手の感情を理解する能力
・愛着形成
・対人親和性
のどれを含みどれを含まないのか、ということになります。
日本語における「同情」は、「相手の感情を理解する能力」と「対人親和性」の組み合わせであり、「愛着形成」を必ずしも含まないように思います。「まあ、かわいそうに」と泣くだけで、具体的に何をするでもない人というのは多いですから。つまり、「同情するけど所詮は他人事」みたいなことがあるんですね。
で、下手をすると「相手の感情を理解する能力」というのも日本語でいう「同情」のうちに入んなくなっちゃう可能性があるのね。たとえば、「私、ホモなんです。」「まあ、かわいそうに。」というのは、当人にしてみれば「余計なお世話」であって「同情」でもなんでもなかったりする場合もあるのね。
で、日本語の……というより外来語としての「シンパシー」というのは、上記三つをすべて含んでいるように思います。相手が悲しめば自分も悲しく、相手が怒れば自分も同じように怒る。
ただ、母親が子供に抱くのは「シンパシー」とは違いますね。子供が泣いていたら自分も悲しくなるかといえば、そうではない。自分が何かをしてやらなければいけない、と思っておろおろするのが母親です。その意味で対人親和性が欠けているという部分があります。
で、「かわいい」(あるいは「おいしい」。「おっ……おいしいヤツ!」みたいに使います)というのは、この「母親が子供に抱く感情」とよく似た、「相手の感情を理解する能力」+「愛着形成」の組合せなのですね。「ありがたい」もそうです。男性が女性のために、ちょっと不器用にお料理をつくってくれている、みたいな状況は「かわいい」し「ありがたい」んだけど、作ってる本人は真剣そのものだったりします。
「おまえ、何ニヤニヤしてんの。」
「べ・つ・に」。うふふふふ。
……こういう場合、感情を共有してはいないわけです。
で(2)で言っていることは、「相手の感情を理解する能力」と「対人親和性」を欠いた場合は、仮にたまたま同じ信念・考え・感覚を持っていたとしても、「共感」ではない、ということを言っているのですね。それを「同情」と呼ぶのはどうかと思うけど。
強いて言えば、「同調」なんですけどね。もっとも、日本語で「同調」と言った場合、「ある状況に対して、他人の態度を見た上で、それと同じ態度を取る」ということだと思うのですが。
で、(3)のうち、「他人の苦悩に無関心なこと」は、「相手の感情を理解する能力」がそもそも欠けている場合もあれば、「愛着形成」や「対人親和性」が欠けている場合もあるだろうと。で、「他人に慰めを与えられないこと」や「慰めを人から受けることができない」というのはまた別の問題だったりします。
ただ、最後の「慰めを人から受けることができない」に関しては、「自分より悲惨な状況にいる人を見て『自分のほうがまだましだ』と思う」ことも「慰めを人から受ける」に含めるとすると、なんとなく「愛着形成」と「対人親和性」の能力が欠如しているように思えてしまいます。さらにこの場合、
>(3)ウタ・フリス氏の説明では「共感する」と「共感を示す」の区別
> がはっきりしていないのではないか?
のうちの「共感を示す」というのが、「わはははは、ざまぁ見ろ!」とかいったものでもいいのだろうか、ということなんですね。相手の苦しみをまざまざと想像することができる、という意味では確かに「共感している」わけだし、それに基づいて感情を表出しているのだから、「共感を示す」のうちに含まれないでもないわけです。まあ、「自閉症ではない」という意味では正常なんでしょうが、あまり健全な反応ではないように思います。
そんなわけで、
>(1)そもそも自閉者に限らず、全ての人間にとってウタ・フリス氏が
> 述べる意味での「共感」は可能か?
> 結論から言えば、ウタ・フリス氏は人間の能力を過信しすぎていると思
>います。人間が他人の気持ちを把握する能力は、ウタ・フリス氏が主張す
>る「同情」の域を抜け出すことが困難です。
>
> ほとんどの人間にとって、ウタ・フリス氏の述べるところの「共感」は
>実現不可能な要求です。相手に「同情」するか、うまくいっても類似する
>個人的な経験に基づいて相手の気持ちを類推するまでが限界でしょう。
に関しては、
1)「相手の感情を理解する能力」は、高いほうが望ましい。
2)「愛着形成」と「対人親和性」については、相手との人間関係において、適切に生起されることが望ましい。
ということなんじゃないのかなー、と思います。
なお、「ふっふっふっふっふ、もっと苦しめ。」というのは、こうした理解ではちょっと説明が難しいように思います。もう少し、考察が必要な気がします。
(Maria)
Mariaさん wrote:
> 「ガラスの原石」は、「珪砂(けいしゃ)」といいます。英語では“silica”。“silicon”は「硅素」。「硅」と「珪」の二種類の字があるんだけど……忙しくて調べている暇がありません。どなたか代わりにお願いします。いそいそ。
「silica」をもっと厳密に言うと、「二酸化珪素」「無水珪酸」。
「silicon」と綴ると「珪素」の意味だが、「silicone」と綴ると合成ゴムの「シリコーンゴム」を形成する化合物の意味になります。
「silicon」と「silicone」、このふたつは珪素そのものと、珪素を含んでいる化合物、物質的に似て非なるものです。合成ゴムの場合は「シリコンゴム」よりも「シリコーンゴム」の方が正確です。
ちなみにこのシリコーンゴムは、歯科の領域では研磨材料として使われます。
アルミナなどの粒子をシリコーンゴムにしみ込ませたものを、バー(研磨機械の先端につける、着脱できる棒状の部分)の先端につけた、シリコーンポイントとよばれるものは、主に金属の研磨に多く使われます。
(以上、医歯薬出版「歯科技工辞典」を参考としました。)
話は変わりますが、化学の教科書にでている元素名は、なぜ「カタカナ混じり」の名前が多いのでしょうか?
例えば「ホウ素」「フッ素」「ケイ素」「ヒ素」「ヨウ素」といったものです。
なぜ「硼素」「弗素」「珪素」「砒素」「沃素」と書かないのでしょうか?本来の日本語表記を記せば、その元素がどういった感じなのかが、なんとなくつかめる気がするのですが。加えて「炭素」「窒素」「臭素」は漢字表記です。いったいこれはどーいうことなんでしょー???
「けいそ」で変換しても「珪素」としか出なかった ミッドランド
不肖くると wrote:
>自閉症研究の第一人者ウタ・フリス氏によると
>
>(1)「共感」とは他人が自分とは異なる信念・考え・感覚を持ってい
> てもそれを知ることのできる能力である
>
>(2)2人以上の人間がたまたま同じ信念・考え・感覚を持っているの
> は「同情」であり、「共感」ではない
>
>(3)自閉症児の特徴として、他人の苦悩に無関心なこと、他人に慰み
> を与えられないこと、慰みを人から受けることさえできないこと
> である
>
>ということになります。これに対してわたしが考え込んでいた問題は以
>下の通りです。
>(3)ウタ・フリス氏の説明では「共感する」と「共感を示す」の区別
> がはっきりしていないのではないか?
ウタ・フリス氏の共感に関する説明のなかで(1)と(3)では共感の
意味が変わっています。わたしの考えでは
(A)「共感できるかどうか」を問題にしている
(B)「共感を示すことができるかどうか」を問題にしている
というふうに区別することができます。(A)は本人の内面的な問題です
が、(B)は「わたしはあなたに対して共感をしているということをアピ
ールするための技術的な問題です。別に相手の気持ちにじっさいに共感を
していなくても、「共感をアピールする」という行為は独立して行うこと
ができるからです。そして、ウタ・フリス氏の「共感」の定義ではこの区
別が少しあいまいです。
けっきょく、わたしの疑問は「共感性の欠如」という言葉がでてきた時
、それが
(あ)共感性自体に困難を抱えているのか
(い)共感をアピールできる技術のみに困難を抱えているのか
(う)両方に困難を抱えているのか
という点にあります。この点はまだよくわからないのですが、ひとまず
コメントを終りにしたいと思います。
不肖くると wrote:
>自閉症研究の第一人者ウタ・フリス氏によると
>
>(1)「共感」とは他人が自分とは異なる信念・考え・感覚を持ってい
> てもそれを知ることのできる能力である
>
>(2)2人以上の人間がたまたま同じ信念・考え・感覚を持っているの
> は「同情」であり、「共感」ではない
>
>(3)自閉症児の特徴として、他人の苦悩に無関心なこと、他人に慰み
> を与えられないこと、慰みを人から受けることさえできないこと
> である
>
>ということになります。これに対してわたしが考え込んでいた問題は以
>下の通りです。
>(2)日本において「共感」と「同情」の意味が混乱してしまっていな
> いか?
どうも、ウタ・フリス氏のいう(1)の共感の意味は日本語の「共感」
という意味とは同じではありません。どちらかといえば、ウタ・フリス氏
のいう「同情」に近い意味を持っていると思われます。
以前、コメントをした時に「共感とは意識的にできるものではない」と
いう言葉を引用しましたが、これは共感という言葉をウタ・フリス氏のい
う「同情」に近い意味でとらえているからです。「意識的に他人と同じ信
念・考え・気持ちを持つ」というのであれば、確かに実現は困難でしょう
。自分の立場や好みを捨てて、相手と同じ信念・考え・気持ちを持つこと
など簡単にできるはずがありません。
話をまとめると、ウタ・フリス氏の「共感」には「違いを理解する」と
いう意味が含まれているのですが、日本語の「共感」にはそのような意味
はあまり含まれていません。「同情」に近い概念が「共感」と入れ替わっ
て使用されていると考えます。(ついでに日本語の「同情」は「哀れみ」
とほぼ同じ意味で使用されているような…)
わたしたちが自閉症を考える時「共感するのが困難なのか」「同情する
のが困難なのか」をよく見極めておく必要があります。
不肖くると wrote:
>自閉症研究の第一人者ウタ・フリス氏によると
>
>(1)「共感」とは他人が自分とは異なる信念・考え・感覚を持ってい
> てもそれを知ることのできる能力である
>
>(2)2人以上の人間がたまたま同じ信念・考え・感覚を持っているの
> は「同情」であり、「共感」ではない
>
>(3)自閉症児の特徴として、他人の苦悩に無関心なこと、他人に慰み
> を与えられないこと、慰みを人から受けることさえできないこと
> である
今回は以下のテーマでコメントします。
>(1)そもそも自閉者に限らず、全ての人間にとってウタ・フリス氏が
> 述べる意味での「共感」は可能か?
結論から言えば、ウタ・フリス氏は人間の能力を過信しすぎていると思
います。人間が他人の気持ちを把握する能力は、ウタ・フリス氏が主張す
る「同情」の域を抜け出すことが困難です。
ほとんどの人間にとって、ウタ・フリス氏の述べるところの「共感」は
実現不可能な要求です。相手に「同情」するか、うまくいっても類似する
個人的な経験に基づいて相手の気持ちを類推するまでが限界でしょう。
ウタ・フリス氏が述べる意味での「共感」は自閉者ではないという事実
によって実現できるわけではありません。
くると(包括性LD)です。今回は旅の途中に瞑想していたことでも
コメントします。タイトルは大げさですが、それほどたいした内容では
ないのであしからず。
電車のなかで、自閉症における「共感性の欠如」という問題について
考えこんでいました。自閉症研究の第一人者ウタ・フリス氏によると
(1)「共感」とは他人が自分とは異なる信念・考え・感覚を持ってい
てもそれを知ることのできる能力である
(2)2人以上の人間がたまたま同じ信念・考え・感覚を持っているの
は「同情」であり、「共感」ではない
(3)自閉症児の特徴として、他人の苦悩に無関心なこと、他人に慰み
を与えられないこと、慰みを人から受けることさえできないこと
である
ということになります。これに対してわたしが考え込んでいた問題は以
下の通りです。
(1)そもそも自閉者に限らず、全ての人間にとってウタ・フリス氏が
述べる意味での「共感」は可能か?
(2)日本において「共感」と「同情」の意味が混乱してしまっていな
いか?
(3)ウタ・フリス氏の説明では「共感する」と「共感を示す」の区別
がはっきりしていないのではないか?
全てを1つのコメントにまとめるとえらい長文になってしまうので、
コメントを上記に3つのテーマに分けてコメントしたいと思います。
まだ、未整理な部分も多いので、その点はご容赦くださいませ。
では
一穂(いちほ) wrote:
>武田好史 wrote:
>>名加野 wrote:
>>> くるとさんこんにちは。
>>>> 簡単に言えば、自閉症のなかにも3つの性格のタイプがあるそうです。
>>>>(本当はもっとありそうだが)
>>>>(1)積極奇異型
>>>>(2)受動型
>>>>(3)孤立型>>
>>これはイギリスのローナ・ウィングさんの分類ですね。
私は多分2+3ですね...。嫌な人とは口はききたくないし、
なんか最近自分から働きかけ、っていうのが面倒な時期です。
>今日はわたしあんま調子よくない。
>おしゃべりなわたしじゃないです。
>わたしは本当に調子がわるいときは外に一歩も出ることができない。
>調子がいいときはすっごい元気、場を盛り上げるのが得意で、
>聞き上手にもなれる。
>差が激しいね、ってよく言われる。
一穂さん、体調が微妙で大変ですね。慢性疲労症候群は私も雑誌で見た事が
あり、なんて大変な症状だろうか、とびっくりした事があります。
お大事に★
I wrote:
>「ガラスの原石」は、「珪砂(けいしゃ)」といいます。英語では“silica”。
>“silicon”は「硅素」。「硅」と「珪」の二種類の字があるんだけど……忙し
>くて調べている暇がありません。どなたか代わりにお願いします。いそいそ。
所用が一段落(「イチダンラク」と読んではなりません。「ひとダンラク」と読むのだぞ。「大人数」を「ダイニンンズウ」と読まずに「おおニンズウ」と読むのと同じ。ちなみに「小人数」は「ショウニンズウ」ではなく「こニンズウ」)したので、調査再開。
「珪」は「圭」の古字だそうです。意味は、「諸侯が身分を表わすために持った玉」。「升」の十万分の一、つまり十八ミリグラム(←計算合ってるのか?)を表わす量の単位でもあります。で、「硅」=「珪」と辞書にはありました。
いま洗濯が終わりました。仕事再開。
(Maria)
武田好史 wrote:
>名加野 wrote:
>> くるとさんこんにちは。
>>
>>> 簡単に言えば、自閉症のなかにも3つの性格のタイプがあるそうです。
>>>(本当はもっとありそうだが)
>>>
>>>(1)積極奇異型
>>>(2)受動型
>>>(3)孤立型>>
>>
>これはイギリスのローナ・ウィングさんの分類ですね。
>
>> で、(1)積極奇異型の自閉症の人はすごくおしゃべりだと思いますよ。
>>>わたし自身はどちらかというと(2)受動型に近いんですけど、仕事(塾の
>>>講師)をしているうちにちょっと(1)に近づいてきたかも???
>>
>> ふうむ、僕は(1)と(2)の中間ですね。日によって違うです。僕も一穂さんのように、2歳半からおしゃべりでした。カセットテープが残ってるんですが、聞いてないので、暇があったら聞いてみたいと思います。多分大部分が「歌ってる」と思います。(笑
>>
>>追伸 病院とかでうるさかったらしいです……あはは。
>
> 私はボランティアや職業訓練などで、けっこう自閉症の人と会ったことがあるのですが、重度の人は調子のよいときは受動型・奇異型、悪いときは孤立型になることが多く、軽度の人は調子がよいときは受動型で悪いときは奇異型・孤立型になるようです。
(o^w^o)
みなさんこんにちは。
くるとさん、名加野さん、レスありがとう。
今日はわたしあんま調子よくない。
おしゃべりなわたしじゃないです。
名加野さんも!
わたしもよく歌ってました。
今でも意味もなく突然歌いだすことがよくあります。
ははは。
わたしは本当に調子がわるいときは外に一歩も出ることができない。
なんとか電車に乗っても、辛くなって、目的地につく前に降りてしまったり。
他人が目に入る空間にいるのが苦痛。
目を閉じて、イヤホンで直接音楽を耳に流し込んで
それでなんとかやり過ごす。
でも歩けばなにかにぶつかるし、
ひとと話すこともできない。
できればそんな日は外に出たくない。
調子がいいときはすっごい元気、場を盛り上げるのが得意で、
聞き上手にもなれる。
差が激しいね、ってよく言われる。
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