アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: FUN!FUN!けみかるワールド 6465へのコメント
No.6484  Fri, 10 Aug 2001 03:59:53 +0900  pocks [この発言にコメントする]

> 話は変わりますが、化学の教科書にでている元素名は、なぜ「カタカナ混じり」
>の名前が多いのでしょうか?
> 例えば「ホウ素」「フッ素」「ケイ素」「ヒ素」「ヨウ素」といったものです。
> なぜ「硼素」「弗素」「珪素」「砒素」「沃素」と書かないのでしょうか?本来
>の日本語表記を記せば、その元素がどういった感じなのかが、なんとなくつかめる
>気がするのですが。加えて「炭素」「窒素」「臭素」は漢字表記です。いったいこ
>れはどーいうことなんでしょー???

昔の「当用漢字」に含まれているか否かだと思われます。


「笑い」の効用
No.6483  Fri, 10 Aug 2001 00:07:06 +0900  Maria [この発言にコメントする]


 先日、某所で哲学者の中島義道さんによく似たかたをお見かけしました。

 とはいえ賞賛されることが何より嫌いな中島先生のことだから「ファンなんです」と声をかけるもならず、喧嘩を売ろうにも先生は移動中のご様子だったので、空しく見送りました。

 中島義道さんの『ひとを<嫌う>ということ』(角川書店)の「はじめに」の章には、けっこう凄いことが書いてあります。

---
 思えば、母は父を嫌って死の直前まで四〇年間彼に罵倒に近い言葉を浴びせつづけていた。その言葉とほとんど同じ言葉が、今や妻の口から出てくる。そして、私も父を死ぬまで嫌っていた。いや、死んでからもなお嫌っている。息子が、また私をはっきり嫌っている。これは一体何なのだ! 私はみずから生きてゆくために「嫌い」を研究するほかはないと悟った。つまり、私は自分を納得させるために本書を書いたというわけです。
---

 この『ひとを<嫌う>ということ』はとても面白い本なのだけど、今回はこの本の紹介でもなく、この本のテーマに即したものでもありません。

 中島さんは、「嫌い」は「好き」の対概念だと論じ、「相手を<嫌う>こと」が人生を豊かにする、という結論でこの本を結んでいます。ところが、同時に中島さんは、「あとがき」を編集者に対する「おふたりがあまり嫌いでないのが残念です……。」という言葉で結んでいます。

 そう。「嫌い」と「好き」は、多くの人が考えるように、「嫌いだから好きじゃない」「好きだから嫌いじゃない」というものではないんですね。
 で、多くの人は、好きな相手に対する「嫌い」という感情を、「いけないこと」「悪いこと」だと考えます。「純粋な気持」こそが貴いのだと。だから、『相手を好きだったら、自分の「嫌い」という感情は消さなければいけない』とかいった無理なことを考えてしまったりもするわけです。で、好きな相手に嫌われることを、死ぬほど怖れてみたりもするわけです。

 だけどですね、自分の「嫌い」という感情に向き合わなかったら、相手を好きになることだってできないように思うんです。

 ……とまあ、こんなことを書くと恋愛論とか家族論とかそっちの方へ行っちゃいそうな風情だったりもしますが、そうではありません。あたしたち自閉症方面の人間がいわゆる健常者になぜ嫌われるか、ということなんですね。

 障害者というのは、はっきり言って鬱陶しい存在です。健常者にとっては、思い出したくない暗部というものを思い出させるイヤなものなのですね。で、これは障害者の多くにとってもそうなわけで、「こんなふうに生まれたくなかった」「こんなふうになりたくなかった」とかいって嘆いている人は少なからずおられるわけです。

 だけど、障害者(それ以外にも、病人とか、老人とか、外国人とかいろいろですが)に対する「イヤだ」という感情を表に出してはいけない、という社会的な風潮というものがあったりするわけで、それを押さえつけることが、少なからずフラストレーションになるわけです。
 で、このフラストレーションをうまく解消できない人が、障害者に対して攻撃的になったりするわけです。

 で……ここでひとつ指摘したいことがあります。

 障害者というのは、健常者の無理解に対してけっこう傷ついていたりするわけですが、健常者に「お世話になっている」手前、それをあからさまに口にできないという部分があります。たとえば病院で医者や看護婦の態度に対して文句を言いたくてもなかなか言えませんし、仮に言ったとしても、周囲の人が「そんなことは言うもんじゃない」と押しとどめると思います。これは普通の関係でもままあることで、なんでも言えそうな夫婦の間でも、鬱憤を溜めまくったあげく罵りあいになったりするのは最初に引用した中島先生の文章を見ても明らかなのね。

 そこで……なんです。

 こうした相互のフラストレーションを解消するいちばん有効な手段が、「笑い」なんじゃないかな、と。

---
 ある人が、夜道で按摩が提灯をさして歩いているのを見かけた。
 「按摩さん、盲でも提灯がいるかい。」
 「ええ、目明きの方が驚かれるものですから。」
---

 これなんかは江戸小咄ですけど、これを放送する放送局って、ちょっとなさそうに思います。小人プロレス(今はミゼットプロレスと言うそうですが)なんかも、現在はほとんどTVで放送されることはありません。

 同じ中島先生の著書で、『騒音文化論 なぜ日本の街はこんなにうるさいのか』(講談社+α文庫)の中で、中島先生は『中洲通信』という雑誌が中島先生の騒音との戦いを面白おかしくとりあげたのを評価しつつも、『私は編集者に「あなたは身体障害者が苦痛を覚えているとき、その記事をこういうふうには書かないでしょう」と書き送った。』そうです。

---
私が車椅子を利用する身体障害者であったとして、日本の街がまったく利用できないことをいたるところで訴えているとしよう。私は車椅子の上からアチラでもコチラでも罵倒し、怒鳴りつけ、顔をゆがめて苦痛を訴える。それに『中洲通信』が目をつけ「孤高のファイティングマン……」特集を組んだとしても、それは絶対におもしろい記事にはならないだろう。
 (中略)
 私が言いたいことはこうだ。私は心から、こうして車椅子に乗って大奮闘する人が出てきて、マジョリティとそれこそ体当たりの戦いをしてくれることを願っている。それをおもしろおかしくまさに「苦しみのうちにある滑稽さ」を十分わかって記事にする編集者(記者)が出現することを渇望している。
---

 こーいう観点からいうと、あたしたち(『アスペルガーの館の掲示板』の常連メンバー)ってけっこうイケてるように思います。アスペとかLDとかADHDとかいったメンバーの飲み会に雑誌記者とか引きずりこんで、A-Type方面のネタで盛り上がって、「言っとくけど、ここは笑うところだから」とかいって、記者さんがひきつり笑いをしている図、なんていうのは、Xanadiiさんあたりが同席してたら大ウケしそうに思います。

 あたしたちの悩みは、健常者から見れば滑稽です。だけど、それを笑う、というのは健全な反応であるように思います。それが現状の改善につながれば。

 (Maria)


Re: 共感性批判 6481へのコメント
No.6482  Thu, 9 Aug 2001 22:19:21 +0900  Maria [この発言にコメントする]

I wrote:
>> 「愛着形成」の能力に関しては、方向性がやや違うものの、自閉症方面の
>>人間も能力的な差はありません。

くるとさん wrote:
>これはどうでしょうか?わたし自身は幼児の頃に「人見知りをしない」
>「親を後追いしない」「誰と一緒にいても平然としている」という問題が
>指摘されていました。

> 幼児期について言えば、「手放したくない」「逃したくない」「離れたく
>ない」という感覚が希薄だったように思います。(わたし自身は教育学的L
>Dなので参考になりにくいかもしれませんが)

 アスペっ子の愛着形成っていうと、ちょっと違うんですよ。いわゆる「こだわり」と、「愛着形成」の間に明確な区分がないんです。

 「おかあさんと朝ごはんとどっちが好き?」「おかあさん」
 「おかあさんとお昼ごはんとどっちが好き?」「うーん……」
 悩まないでほしいとは思いますけどね(^_^;)。(←思わずめったに使わない顔文字が出るほどヘコんでいる)

 古代人が昨日出た太陽と今日出た太陽が同じ太陽だとは思っていなかったのと同じように、昨日のおかあさんと今日のおかあさんが同じおかあさんであることを、小さなアスペっ子は理解していないかもしれません。

 朝炊いた炊き込みごはんを、おむすびにしてお昼にも食べたとします。これは、朝ごはんなのでしょうか。お昼ごはんなのでしょうか。お昼ごはんだとしたら、いつお昼ごはんになったのでしょうか。あるいは、朝から晩までごはんを食べつづけたら(新井和響さんや小林尊くんならやりそうです)、それは何ごはんなのでしょうか。わかりません。

 「家庭訪問」とかいうと、けっこう訳わかんなかったりします。学校にいるはずの先生が、うちでお茶飲んでるわけですから。制服警官がうちでお茶飲んでるくらい、びっくりです。地方の農村だったら、駐在さんが縁側で制服のままお茶飲んでても違和感はないでしょうけどね。

 自閉症方面の人には、基本的に「ひと」と「もの」の区別がありません。だから、「愛着形成」が必ずしも人間に向くかどうかはわかりません。

 黒人やユダヤ人や日本人に愛着形成しない欧米人というのは、かつて少なからずいました。人と人の愛着形成にしたって、同僚としてとか、友人としてとか、恋人としてとか、夫婦としてとか、いろんな形式があります。

 で、いわゆる健常者でも、そこのところをごっちゃにしちゃう人がいるんですね。教え子に手を出してしまう学校の先生とか。
 そういうことを考えると、あたしは自閉症方面の人間でも、愛着形成の能力が低いとは思わなかったりします。

 (Maria)


Re: 共感性批判 6480へのコメント
No.6481  Thu, 9 Aug 2001 19:32:08 +0900  くると [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:

>> 1)「相手の感情を理解する能力」は、高いほうが望ましい。
>> 2)「愛着形成」と「対人親和性」については、相手との人間関係において、
>>適切に生起されることが望ましい。

> (1)に関しては、幼児期の発達において自閉症方面の人間に発達の遅れが
>あるのは間違いありません。ですが、「社会化された自閉症方面の人間」につ
>いていえば、かえって「相手の感情を理解する能力」は高いと思います。

そうですね。これまでオフ会などで話してきた限り、「社会化されたAS」
は、相手の感情を理解することにかけてはむしろ平均以上に鋭い感性を持って
いるという印象があります。

 幼児期の遅れは確かにあるでしょうね。ASに極めて近い特徴を持っている
わたしの場合も同様です。「他人の感情を理解する」という以前に、他人に全
く関心を持っていませんでした。5才以前の記憶となると積木・絵本・ブロッ
ク・昆虫・恐竜・ビー玉・ロボット人形しか印象に残っていないです。

> 「愛着形成」の能力に関しては、方向性がやや違うものの、自閉症方面の
>人間も能力的な差はありません。

これはどうでしょうか?わたし自身は幼児の頃に「人見知りをしない」「
親を後追いしない」「誰と一緒にいても平然としている」という問題が指摘
されていました。

 幼児期について言えば、「手放したくない」「逃したくない」「離れたく
ない」という感覚が希薄だったように思います。(わたし自身は教育学的L
Dなので参考になりにくいかもしれませんが)

> 自閉症方面の人間が苦労するのは、たぶん「対人親和性」です。
> いわゆる健常者についていえば、愛着形成と対人親和性は不可分なんで
>すね。これをきっちり分離できる人は、「厳しい」人あるいは「冷たい」
>人であり、それが許されるのは、「高い地位にある、指導的な立場の人」
>だけだったりするんですよ。

 これについては同感です。

> あたしは、いわゆる健常者の対人親和性に対してかなり疑問を持ってい
>ます。「こう感じるべきだ」っていって押しつけられる感性に、なんか違
>和感を感じます。

 そうそう、これこそが自閉症研究の理解不能な部分なんです。

『自閉症とアスペルガー症候群』(東京書籍)という本には「自閉者は
他人が自分とは異なる信念や感じを持っているということを理解できてい
ない」という記述がよく登場します。(国際レベルの自閉症研究者が執筆
している)

 ところが、わたしが普段の対人関係のなかで苦しんでいたことの1つに
「他人と自分の区別がはっきりしてくれない人が多い」というのがありま
した。(特に就職へのアドバイスがそうだった)

「自分の尺度でものを語らないでくれ」
「わたしはあなたではないんだ」

 どちらかと言うと、自閉圏に近い特徴を持っているはずのわたしがこん
なセリフを連発していたのですから、自閉症研究の説明とは矛盾していま
すよね。(笑)

 共感の押しつけというのも、「他人と自分の区別がはっきりしない」こ
との病理なのかな、と思っています。(くると)


Re: 共感性批判 6477へのコメント
No.6480  Thu, 9 Aug 2001 17:54:22 +0900  Maria [この発言にコメントする]

I wrote:
> 1)「相手の感情を理解する能力」は、高いほうが望ましい。
> 2)「愛着形成」と「対人親和性」については、相手との人間関係において、
>適切に生起されることが望ましい。

くるとさん wrote:
> (1)と(2)はけっきょくのところ、自閉圏・非自閉圏の人を問わず、努
>力目 標だと思うんです。でも、自閉症研究では「自閉者になくて非自閉者にあ
>るもの」として紹介されてしまう…。これは怖いことです。

 (1)に関しては、幼児期の発達において自閉症方面の人間に発達の遅れがあるのは間違いありません。ですが、「社会化された自閉症方面の人間」についていえば、かえって「相手の感情を理解する能力」は高いと思います。
 現代社会というものは、「感情」というものを高度に社会化した形で成立しているので、「素朴な」「動物的な」感情表現というのは「野蛮な」「洗練されていない」ものとみなされます。その意味で、自閉症方面の人間にとっては、幼児期の人格形成、特に幼稚園や小学校といった集団生活への適応の時期を乗りこえれば、それほどハンディキャップにはならないように思います。

 「愛着形成」の能力に関しては、方向性がやや違うものの、自閉症方面の人間も能力的な差はありません。

 自閉症方面の人間が苦労するのは、たぶん「対人親和性」です。
 いわゆる健常者についていえば、愛着形成と対人親和性は不可分なんですね。これをきっちり分離できる人は、「厳しい」人あるいは「冷たい」人であり、それが許されるのは、「高い地位にある、指導的な立場の人」だけだったりするんですよ。

 「アスペだから」という理由で不利益を被っている人が、同じように「アスペだから」という理由で不利益を被っている人に対して同情するかというと……しないように思うんですよねぇ。「同病愛哀れむ」とかいった言葉がありますけど、けっきょく自分の苦労は自分の苦労だし、他人の苦労は他人の苦労。役立つ情報があったら教えてほしいし、自分が役に立てるなら援助だってするんだけど、だからといって他人事は他人事なんですよね。

 こういう関係を、いわゆる健常者は嫌がります。そのくせ、自分にない能力を持った人間に対しては、「プロだ……」とかいって讃美するんですよ。とはいえそれはあくまで「プロ対プロ」の関係に対してであって、それが自分に向けられるのは厭だったりするわけですが。

 もう十三年も昔のことですから、憶えている人も少ないかもしれません。昭和天皇陛下がご危篤だったころです。世の中、どこもかしこも「自粛」ムードでした。歌舞音曲の類が町から消えてしまいました。だけどさぁ、あれって本当に天皇陛下が望んだことだったのかしら、と思うんですよね。

 あたしは、いわゆる健常者の対人親和性に対してかなり疑問を持っています。「こう感じるべきだ」っていって押しつけられる感性に、なんか違和感を感じます。あたしが死ぬときは、せいぜい賑やかに死にたいな、と思ったりもします。さんざん面と向かって言いたいことを言われてた相手に、「死なないでくれぇ〜っ!」とかいって泣かれて、「地獄でまた会いましょ」かなんか言ってにっこり笑って死ぬ、とかいうのも悪くないと思います。

 「あなたは人の心がわからない」とか言ってる人のほうが、けっこう分かってないんじゃないかなぁ、と思うんですよ。ひょっとしたら、自分の心も。

 (Maria)


Re: けみかるワールド 6478へのコメント
No.6479  Thu, 9 Aug 2001 17:09:14 +0900  武田  好史 [この発言にコメントする]

武田  好史 wrote:
>Maria wrote:
>
>> なお、タングステンという呼び名も、日本の化学界の関心がドイツの化学に向いていた時代の名残り。英語では、ウォルフラム。
>>
>>
>> (Maria)

 ナトリウム・カリウムは英語ではそれぞれ、sodium,potassiumと呼ばれていま。ソジウムはソーダ(炭酸ナトリウムor酸化ナトリウム)に、ポタシュウムは草木の灰に由来しています。ナトリウム・カリウムというのは、かなりの場合通じないようです。
 これらを発見したのは、デービーというイギリス人です。赤いリトマス紙を青く変える実験などで、水酸化ナトリウム・カリウムという、「さわると手が溶けるよ」という結晶状の試薬を使ったと思いますが、デービーはその水酸化物の結晶をしめらせた状態で電気分解(白金性のスプーンの上に結晶を置き、電極の一つをスプーンに置き、もう一方を結晶の上にのせて、電池から電気を流す)させて、単体のナトリウム・カリウムを得たということです。
 それなら元素記号は、So・Poでも良いような気がしますが、硫黄や燐で既に使われているので、ドイツ語の同義のナトリウム・カリウムの頭文字をとったようです。
 
 ダングスデンは、金属の精錬を妨害すると思われていたようで、鉱山関係者のあいだでは、ウルフ(オオカミ)という呼ばれていたようです。それがタングスデンのことを英語でウオルフニウムという由来のようです。鉱石はとても重たいそうです。
> 


Re: 共感性批判 6467へのコメント
No.6477  Thu, 9 Aug 2001 14:24:09 +0900  くると [この発言にコメントする]

こんにちわ、くるとです。まとまりの悪いコメントにレスをつけていただき
感謝感謝です。

 自分の頭脳をはるかに超えるテーマを扱っているために、まだ内容が錯綜し
てしまいますが、レスしておきます。

Mariaさん wrote:

> えー、ここで「愛着形成」と「対人親和性」という言葉を使うことにしま
>す。「愛着形成」のほうは分りやすいですね。「手に入れたい」「手放した
>くない」「離れたくない」「逃がしたくない」といった感情です。「対人親
>和性」というのは、「相手と感情を共有する」傾向です。

なるほど、この説明なら納得です。わたしが日常生活で悩んでいた問題の
1つに、周囲の人間に「愛着形成」や「対人親和性」が高いように見られて
しまうという問題があります。

 わたし自身の「愛着形成」や「対人親和性」はこどもの頃からほとんど変
わっていません。でも、「愛着」や「親和性」を表現しアピールする能力だ
けが身についてしまい、色々と他人から誤解を受けるようになってしまった
のです。

 つまり、わたしが最後に書いたコメント「共感する」と「共感をアピール
する」の違いは、わたしの悩みを反映したテーマなんです。「共感をアピー
ルする」だけで「共感性」が高いと判断されてしまうのはなんか変だな〜、
と…

> で(2)で言っていることは、「相手の感情を理解する能力」と「対人親和
>性」を欠いた場合は、仮にたまたま同じ信念・考え・感覚を持っていたとして
>も、「共感」ではない、ということを言っているのですね。それを「同情」と
>呼ぶのはどうかと思うけど。

 で、自閉症研究では、自閉症児が「相手の感情を理解する能力」と「対人親
和性」が欠如していると言っていることになるんですね。

 ここで、わたしはつまづいてしまったんです。わたしは子供の頃から他人の
意図を誤解することが多かったのですが、同時に非自閉圏の人から意図を誤解
されることも多かったんです。

 どうも、この問題は自閉圏の側にだけある問題とは思えないのですが、自閉
症研究では自閉圏の側だけにある問題だと考えられているようです。厳密な意
味での「共感」ができる人(Mariaさんが挙げた「愛着形成」「対人親和
性」「他人の感情を理解している」となると、自閉者・非自閉者を問わず少数
なのではないかと思います。

> 1)「相手の感情を理解する能力」は、高いほうが望ましい。

 こちらはすごく痛感しています。わたしが日常生活で悩んでいる問題の1つ
に「他人から意図を誤解される」というのがあります。(非自閉圏の人が聞い
たらずっこけるかもしれない)わたしも、「他人の意図を誤解しやすい」とい
うのが問題なので人のことは言えませんが、「相手の感情を理解しようとする
努力目標」は必要だと思います。

> 2)「愛着形成」と「対人親和性」については、相手との人間関係において
   、適切に生起されることが望ましい。

 まだ「相手との人間関係において適切に表現(アピール)される」という段
階で、「生起される」までには至っていません。(笑)

 1)と2)はけっきょくのところ、自閉圏・非自閉圏の人を問わず、努力目
標だと思うんです。でも、自閉症研究では「自閉者になくて非自閉者にあるも
の」として紹介されてしまう…。これは怖いことです。


Re: けみかるワールド 6474へのコメント
No.6476  Thu, 9 Aug 2001 12:58:09 +0900  大槻いつき [この発言にコメントする]

最近読むばかりだったのですが、大学の専門領域なのでおもわずレスします。

窒素が「窒」という字を含む理由。
窒素が発見された実験はたしか、「ケースでかこんだなかで、
酸素を使いきるまでものを燃焼させる。その酸素が使いきられたあとの
ケースにラットを入れると、ラットは窒息して死んでしまう」
というものだったと思います。
手順までは忘れたけど。
その実験の中で、「酸素が使いきられたあとにのこる空気は
生物を窒息させてしまうものだ」という誤解がうまれたために、
空気中にある酸素以外の成分(の中でもっとも主要なもの)を
窒素と名づけたのではないでしょうか。

同じように、水素が発見されたときは「気体のなかにも燃えるものがある!」
「この気体を燃やしたら水ができる!」という衝撃が強かったのでは。
酸素は、「水の材料になるもの」という以外にも、いろいろな性質が
ありますものね。

で、酸素について。
ものが燃焼するのは「酸化」ですよね。
(って、いいかげんすぎ)詳しい説明は面倒になってしまった。


Re: けみかるワールド 6474へのコメント
No.6475  Thu, 9 Aug 2001 12:46:02 +0900  Maria [この発言にコメントする]

タレイヌさん wrote:
>どちらのMariaさんにも、つい、からみ(?)たくなってしまいます。

 あたしも、こういう訳のわかんないネタでじゃれるのが好きです。

 以下は、おまけ。

 ハロゲン族元素の暗記のしかた。
 「ふっくらブラジャー愛のあと。」(F・Cl・Br・J(I)・At)
 弗素、塩素、ホウ素、沃素(ドイツだとJ)、アスタチン。
 なお、タングステンという呼び名も、日本の化学界の関心がドイツの化学に向いていた時代の名残り。英語では、ウォルフラム。

 アクチニウム系列には、ウラニウム(92)・ネプツニウム(93)・プルトニウム(94)が並んでいます(括弧内は原子番号)。
 天王星・海王星・冥王星は、それぞれウラヌス・ネプチューン・プルートーです。

 植物に必要な十大元素、というのがあります。
 C(炭素)・H(水素)・O(酸素)・N(窒素)・S(硫黄)・P(燐)・K(カリウム)・Ca(カルシウム)・Mg(マグネシウム)・Fe(鉄)
 これを、「ちょんすとっぷけんかまて」と暗記している人がいました。
 で、これに対して「語呂が悪い」と、次のような暗記法を考えたひとがいます。
 C・H・O・N・Mg・Fe・Ca・K・S・P
 「ちょんまげふえかくし、ぴぃ」
 「Mg・Fe」を「まげふえ」と読ませる技巧に光るものを感じます。
 東大教授の息子で神野嘉久くんというひとでした。

 (Maria)


Re: けみかるワールド 6469へのコメント
No.6474  Thu, 9 Aug 2001 10:59:45 +0900  タレイヌ [この発言にコメントする]



Maria wrote:
> 水の分子量は18ですが、そのうち九割ほどを占めている酸素は、「水素」ではなく「酸素」と呼ばれています。よくわかりません。

はい。
水はH2O(すみません、2が、ちいさくできないんです。どなたかお教えください)
原子の直径が、全然違うので、分子量(大きさ?重さ?)は、酸素の勝ち。
でも、とても単純に、「数」で比べるなら、水素は、酸素の、2倍数あるはずです。
1個の酸素に、2個の水素が、くっついているわけですから。

塩酸(HCl)や青酸(HCN)などで、「酸」としての反応をつかさどっている水素は、「酸素」ではなく「水素」と呼ばれています。よくわかりません。

はい・・・・
もう、30年近く前のことですので、いまやキチンと説明できる力はありません。
が、「水素イオン濃度」というのが、確か、酸性度の、指数となっていたと思います。これは「酸」にくっつきたがる、その辺をうろついている自由な「水素」が、どのくらいの数いるのか?という、表示です。
「酸」にくっつきたがる=「酸」を引っ張り出す=化合物を破壊する=とかす・・・
人間の目に映る現象では、とけてしまう(あるいはヤケド)・・ですよね。
「現象」中心に名付けると、本来の意味とは、正反対の語順になることは、科学世界ばかりでなく、心理世界でも、多々ありますよね。(文字化困難症のタレイヌ)

> 窒素の「窒」の字は、「窒息」という言葉があるように、「むせぶ」という意味があります。空気の八割は窒素ですが、息が詰まるということはありません。よくわかりません。

はい。
だんだんと・・・深みにはまりつつ・・・(Mariaさんに、脱帽)

海に潜るときに、酸素ボンベ(空気ボンベですね)を、必要としますが、酸素のみでは、人間、生存できないそうです。また、未熟児の保育器も、酸素の濃度比率が高すぎると、目が、障害されるので、濃度管理は重要らしいです。

「必要不可欠」「大切」なもので、全てを、おおい尽くす事は、「善」には、結びつかない。バランスを、考慮しながら、進みたいものです・・・・(論点ズレしてますね)


> 炭素が「炭素」というのはとてもよくわかります。うれしいです。

はい、はい!!
タレイヌも、これは、とっても、嬉しかったです。
組み方で、地上最強の、固い物質(ダイヤモンド)にもなるし、だけど、火にあうと
燃えてしまって、炭になるなんて、両極端が内在してて、わかりやすく現象もみえる。
こういうのが・・・?好きなんです。

ですから・・・?!

> 仕事疲れで黒Mariaさん全開 Maria

どちらのMariaさんにも、つい、からみ(?)たくなってしまいます。
 また、気侭な、書き込みいたしました。
 おじゃまいたしました。

   (タレイヌ)


Re: FUN!FUN!けみかるワールド 6465へのコメント
No.6473  Thu, 9 Aug 2001 10:51:22 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

ミッドランド wrote:
>Mariaさん wrote:
>> 「ガラスの原石」は、「珪砂(けいしゃ)」といいます。英語では“silica”。“silicon”は「硅素」。「硅」と「珪」の二種類の字があるんだけど……忙しくて調べている暇がありません。どなたか代わりにお願いします。いそいそ。
> 「silica」をもっと厳密に言うと、「二酸化珪素」「無水珪酸」。
> 「silicon」と綴ると「珪素」の意味だが、「silicone」と綴ると合成ゴムの「シリコーンゴム」を形成する化合物の意味になります。
> 「silicon」と「silicone」、このふたつは珪素そのものと、珪素を含んでいる化合物、物質的に似て非なるものです。合成ゴムの場合は「シリコンゴム」よりも「シリコーンゴム」の方が正確です。


 O.Si.Al.Fe.Mg.Ca.Na.K・・・
 これは何かというと、元素を地球の地殻すなわち地面から地球の中心へ向かって50kmぐらいまでの所での存在量が多い順に並べたものです。
 「えー!地面って石や岩・・・、土や砂があるところは判るけど、掘れば岩石でしょ・・・どうしてそれなのに酸素(O)が一番の多いの??」
と思った人がいるかもしれません。
 確かに酸素は、大気中にかなり豊富にあって、気体で、私たち生物が呼吸して食べ物をエネルギーに変えるのに必要な物、物が燃えるのは空気中の酸素と激しい化合が起こるからだよといわれる物です。
 ではその酸素が、どうして硬い岩石の多いと思われる地殻で存在量NO.1なのということですが、それには第二位の珪素が一役かっています。
 石はいくつかの種類の鉱物が集まってできていますが、その中でも一番多いのが「珪酸塩鉱物」といわれる種類です。これらの鉱物の中に酸素が入っています。酸素の原子は珪素の原子をを中心にして四面体の頂点に並んで、一つのユニットをつくります。これはSiO4四面体と呼ばれています。珪酸塩鉱物はSiO4四面体が一つあるいはつながった状態で並んでいる隙間を、金属元素(Fe・Mg・Ca
など)が埋めるという構造をしています。
 宝石の類では、ペリドット・エメラルド・トルマリン・翡翠・ガーネットがこの珪酸塩鉱物にあたります。なお水晶はSiO4四面体が立体的にびっしり並んでできており、金属元素がわずかしかないということなので、珪酸塩鉱物ではなく酸素が直接金属元素と結びついてできる「酸化鉱物」のなかまとされています。
 珪素(Si)の後ろのアルミニウム(Al)も酸素と結びついて石の中にはいっています。ルビーとサファイヤという宝石はみなさんご存じかと思いますが、あれは酸化アルミニウムの結晶です。ルビーの赤はクロム・サファイアの青は鉄またはチタンが不純物として含まれているからです。
 アルミ箔に使う金属アルミニウムは、ボーキサイトという鉱石を酸化アルミニウムを氷晶石と一緒に高温で溶かしたものを電気分解して作ります。この方法をアメリカの科学者(名前はちょっと忘れてしまいましたが)が編み出すまでは、アルミニウムは地殻での存在量がNO.3と多いにもかかわらずほんの少ししか得られなかったので、貴金属の類でした。なぜかというと酸素との結合する力が強いので、還元して金属状態するためには、水に入れると燃えさかって飛び跳ねる金属カリウムを使わなければならなかったからでした。なんとナポレオンは、アルミを「かるい銀」と呼び、宝石箱に大事にしまっていたそうです。


Re: etc.Mariaさんへ 6405へのコメント
No.6472  Wed, 8 Aug 2001 22:59:17 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>おうちの借金を30年ぐらいで返していっていて、

おうちを買うという非自閉の連れ合いに、
「自宅なんぞを買っても経費で落とせないので、家を買うのだったら他人に
貸すための家を買って自分は家賃の安いボロ屋に住みつづけるべきだ」
とか主張して彼女の顰蹙を買っていたのは私です。

#持家政策採るんだったら、経費扱いにするのがスジだろ>国


Re: 普通ノイローゼ 6428へのコメント
No.6471  Wed, 8 Aug 2001 22:55:53 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>普通って何だ・・・・・・・・!
>WIACS-Rでオール評点20っていうことか?
>情緒が安定しているってことか?
>精神が安定しているってことか?
>頭がぼーっとしていないってことか?
>責任のある行動がとれるってことか?
>仕事ができるってことか?
>難しい試験にパスできるってことか?
>障害者じゃないっていうことか?
>.

オール20はさすがに無理だが、すべてまともかそれ以上。
情緒精神バッチリ「安定」。(いままでひどい目にあわされてきた「被害」を
反映して被害妄想・鬱病的な形にではあるが(笑)、これもまたひとつの
「安定」。)
頭脳明晰、あるいは冷徹。
法的責任お手の物。
難関資格も持っている。

それでも僕は「普通」じゃない。
私はいわゆる「障害者」

〜〜〜

IQ検査は自閉症自体の診断には無力だと思っています。


Re: 自己診断もどき 6460へのコメント
No.6470  Wed, 8 Aug 2001 22:06:11 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

Tien wrote:
>
>一穂さん、体調が微妙で大変ですね。慢性疲労症候群は私も雑誌で見た事が
>あり、なんて大変な症状だろうか、とびっくりした事があります。
>お大事に★

Tienさんありがとう。
そうなんです、慢性疲労症候群って、名前聞いただけだとナンダたいした病気じゃないや、ってかんじがするけど、実際なってみるとスッゲ〜辛い病気です。
今日は気功整体(気功マッサージとツボ押しを合わせたようなかんじのもの)
に行ってきました。
でも、往復の電車でかえって疲れてしまいました。

疲れると、別に悲しくないのに、からだが悲しい悲しいって言ってるみたいなかんじ。
今日みたいな日は文字を読むのも大変で、なかなか文章の意味がつかめないので、いろんなおもしろそうなカキコがあっても読めないの。
しくしく。


Re: けみかるワールド 6465へのコメント
No.6469  Wed, 8 Aug 2001 21:24:37 +0900  Maria [この発言にコメントする]

ミッドランドさん wrote:
>本来の日本語表記を記せば、その元素がどういった感じなのかが、なんとなく
>つかめる気がするのですが。

 水の分子量は18ですが、そのうち九割ほどを占めている酸素は、「水素」ではなく「酸素」と呼ばれています。よくわかりません。

 塩酸(HCl)や青酸(HCN)などで、「酸」としての反応をつかさどっている水素は、「酸素」ではなく「水素」と呼ばれています。よくわかりません。

 窒素の「窒」の字は、「窒息」という言葉があるように、「むせぶ」という意味があります。空気の八割は窒素ですが、息が詰まるということはありません。よくわかりません。

 炭素が「炭素」というのはとてもよくわかります。うれしいです。

 仕事疲れで黒Mariaさん全開 Maria


Re: 恐竜 6438へのコメント
No.6468  Wed, 8 Aug 2001 17:35:24 +0900  名加野 [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:
> 名加野さん、22歳のお誕生日おめでとうございます。

 ども。ありがとうございます。

> 絵描きさんの力量によるところは大いにありますね。図鑑でも絵の気に入らないものは、わたしは買いませんもの。
> 「フタバスズキリュウ」って魚竜ですか? 恐竜学(古生物学)は日々進歩しているので、わたしが子供の頃に教わったものとは随分内容が違ってきて、それだけにワクワクもします。

 僕が見た図鑑によれば、首長竜だったと思います。ブロントサウルスの足がひれになったもの。と思ってください。といいますか、この記憶は、幼稚園の時の記憶なので、あいまいです(その図鑑が無いので)。でもなぜか覚えてます。よほど強烈だったのでしょう。他には「サーベルタイガー(恐竜じゃない!)」が、その時の記憶として残ってます。


Re: 共感性批判 6464へのコメント
No.6467  Wed, 8 Aug 2001 17:17:06 +0900  Maria [この発言にコメントする]

くるとさん wrote:
> 電車のなかで、自閉症における「共感性の欠如」という問題について
>考えこんでいました。自閉症研究の第一人者ウタ・フリス氏によると

>(1)「共感」とは他人が自分とは異なる信念・考え・感覚を持ってい
>   てもそれを知ることのできる能力である

>(2)2人以上の人間がたまたま同じ信念・考え・感覚を持っているの
>   は「同情」であり、「共感」ではない

>(3)自閉症児の特徴として、他人の苦悩に無関心なこと、他人に慰み
>   を与えられないこと、慰みを人から受けることさえできないこと
>   である

>ということになります。

 えー、ここで「愛着形成」と「対人親和性」という言葉を使うことにします。「愛着形成」のほうは分りやすいですね。「手に入れたい」「手放したくない」「離れたくない」「逃がしたくない」といった感情です。「対人親和性」というのは、「相手と感情を共有する」傾向です。

 さて、(1)でいう「共感」というのは、

 ・相手の感情を理解する能力
 ・愛着形成
 ・対人親和性

のどれを含みどれを含まないのか、ということになります。

 日本語における「同情」は、「相手の感情を理解する能力」と「対人親和性」の組み合わせであり、「愛着形成」を必ずしも含まないように思います。「まあ、かわいそうに」と泣くだけで、具体的に何をするでもない人というのは多いですから。つまり、「同情するけど所詮は他人事」みたいなことがあるんですね。
 で、下手をすると「相手の感情を理解する能力」というのも日本語でいう「同情」のうちに入んなくなっちゃう可能性があるのね。たとえば、「私、ホモなんです。」「まあ、かわいそうに。」というのは、当人にしてみれば「余計なお世話」であって「同情」でもなんでもなかったりする場合もあるのね。

 で、日本語の……というより外来語としての「シンパシー」というのは、上記三つをすべて含んでいるように思います。相手が悲しめば自分も悲しく、相手が怒れば自分も同じように怒る。
 ただ、母親が子供に抱くのは「シンパシー」とは違いますね。子供が泣いていたら自分も悲しくなるかといえば、そうではない。自分が何かをしてやらなければいけない、と思っておろおろするのが母親です。その意味で対人親和性が欠けているという部分があります。
 で、「かわいい」(あるいは「おいしい」。「おっ……おいしいヤツ!」みたいに使います)というのは、この「母親が子供に抱く感情」とよく似た、「相手の感情を理解する能力」+「愛着形成」の組合せなのですね。「ありがたい」もそうです。男性が女性のために、ちょっと不器用にお料理をつくってくれている、みたいな状況は「かわいい」し「ありがたい」んだけど、作ってる本人は真剣そのものだったりします。

 「おまえ、何ニヤニヤしてんの。」
 「べ・つ・に」。うふふふふ。

 ……こういう場合、感情を共有してはいないわけです。

 で(2)で言っていることは、「相手の感情を理解する能力」と「対人親和性」を欠いた場合は、仮にたまたま同じ信念・考え・感覚を持っていたとしても、「共感」ではない、ということを言っているのですね。それを「同情」と呼ぶのはどうかと思うけど。
 強いて言えば、「同調」なんですけどね。もっとも、日本語で「同調」と言った場合、「ある状況に対して、他人の態度を見た上で、それと同じ態度を取る」ということだと思うのですが。

 で、(3)のうち、「他人の苦悩に無関心なこと」は、「相手の感情を理解する能力」がそもそも欠けている場合もあれば、「愛着形成」や「対人親和性」が欠けている場合もあるだろうと。で、「他人に慰めを与えられないこと」や「慰めを人から受けることができない」というのはまた別の問題だったりします。

 ただ、最後の「慰めを人から受けることができない」に関しては、「自分より悲惨な状況にいる人を見て『自分のほうがまだましだ』と思う」ことも「慰めを人から受ける」に含めるとすると、なんとなく「愛着形成」と「対人親和性」の能力が欠如しているように思えてしまいます。さらにこの場合、

>(3)ウタ・フリス氏の説明では「共感する」と「共感を示す」の区別
>   がはっきりしていないのではないか?

のうちの「共感を示す」というのが、「わはははは、ざまぁ見ろ!」とかいったものでもいいのだろうか、ということなんですね。相手の苦しみをまざまざと想像することができる、という意味では確かに「共感している」わけだし、それに基づいて感情を表出しているのだから、「共感を示す」のうちに含まれないでもないわけです。まあ、「自閉症ではない」という意味では正常なんでしょうが、あまり健全な反応ではないように思います。

そんなわけで、

>(1)そもそも自閉者に限らず、全ての人間にとってウタ・フリス氏が
>   述べる意味での「共感」は可能か?

> 結論から言えば、ウタ・フリス氏は人間の能力を過信しすぎていると思
>います。人間が他人の気持ちを把握する能力は、ウタ・フリス氏が主張す
>る「同情」の域を抜け出すことが困難です。

> ほとんどの人間にとって、ウタ・フリス氏の述べるところの「共感」は
>実現不可能な要求です。相手に「同情」するか、うまくいっても類似する
>個人的な経験に基づいて相手の気持ちを類推するまでが限界でしょう。

に関しては、

 1)「相手の感情を理解する能力」は、高いほうが望ましい。
 2)「愛着形成」と「対人親和性」については、相手との人間関係において、適切に生起されることが望ましい。

ということなんじゃないのかなー、と思います。

 なお、「ふっふっふっふっふ、もっと苦しめ。」というのは、こうした理解ではちょっと説明が難しいように思います。もう少し、考察が必要な気がします。

 (Maria)


FUN!FUN!けみかるワールド 6455へのコメント
No.6465  Wed, 8 Aug 2001 16:38:01 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

Mariaさん wrote:
> 「ガラスの原石」は、「珪砂(けいしゃ)」といいます。英語では“silica”。“silicon”は「硅素」。「硅」と「珪」の二種類の字があるんだけど……忙しくて調べている暇がありません。どなたか代わりにお願いします。いそいそ。

 「silica」をもっと厳密に言うと、「二酸化珪素」「無水珪酸」。
 「silicon」と綴ると「珪素」の意味だが、「silicone」と綴ると合成ゴムの「シリコーンゴム」を形成する化合物の意味になります。
 「silicon」と「silicone」、このふたつは珪素そのものと、珪素を含んでいる化合物、物質的に似て非なるものです。合成ゴムの場合は「シリコンゴム」よりも「シリコーンゴム」の方が正確です。

 ちなみにこのシリコーンゴムは、歯科の領域では研磨材料として使われます。
 アルミナなどの粒子をシリコーンゴムにしみ込ませたものを、バー(研磨機械の先端につける、着脱できる棒状の部分)の先端につけた、シリコーンポイントとよばれるものは、主に金属の研磨に多く使われます。
 (以上、医歯薬出版「歯科技工辞典」を参考としました。)

 話は変わりますが、化学の教科書にでている元素名は、なぜ「カタカナ混じり」の名前が多いのでしょうか?
 例えば「ホウ素」「フッ素」「ケイ素」「ヒ素」「ヨウ素」といったものです。
 なぜ「硼素」「弗素」「珪素」「砒素」「沃素」と書かないのでしょうか?本来の日本語表記を記せば、その元素がどういった感じなのかが、なんとなくつかめる気がするのですが。加えて「炭素」「窒素」「臭素」は漢字表記です。いったいこれはどーいうことなんでしょー???

 「けいそ」で変換しても「珪素」としか出なかった   ミッドランド  

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