アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
あさかぜさん、初めて、レスさせていただきます。
タレイヌには、身につまされる、内容でした。
くるとさんの、いくつかのコメントに、助けられて、
レス、してみようと、思い立ちました。
(分かりにくかったら、ごめんなさい。)
あさかぜ wrote:
>くるとさん wrote:
>
>>(1)医学・心理学・教育学の専門家が集まって診断基準を統一する。
>>(2)ただし、診断名にはこだわらず、障害者本人が抱えている問題に合わ
>> せて支援の計画を立てる
本当にそうです。
特に重要なのは、(2)
速い診断が、命を救う!という、切羽詰ったものではないけれど、だからといって、
「様子を、見ましょう」でも、困ってしまいます。まして、正しい「診断名」をつけて頂いたとしても、・・だから、どうしたらいいんでしょう?
一応、見通しの立つ程度の、支援計画は、しらせていただきたいものですよね。
あさかぜさんが、「怒り」として、表現している事は、正しいとおもいます。
> 「考えること」という言葉は漠然とした言い方かもしれませんが、とても大切だと感じています。「よく考えてから行動しよう」と常に思っているはずなのですが、どうもわたしは衝動的でいけません(苦笑)
そんな事無いです。
文章化されている、という事は、すくなくとも、「考えた」結果ですもの。
医学と心理学と教育学、一人の子供を中心に、連携できるのが、一番大切なことですよね。親としては、これは、切実な問題です。タレイヌもくぐり抜けて来ました。(いま、中心人物が22歳なので、ちょっと小休止してるところかもしれません。くるとさんには、就職してからが、本番!と、鋭い指摘を受けているところです)
話はちょっと逸れてしまいますが。
今回くるとさんが、「オフ会」報告をなさっています。日本のあちこちに、共通の問題意識を持った人たちの、集う場を作り出そう(いえ、現実に作っています)とする、底力を、感じて、うれしくなります。(完全ボランタリー!!みたいね?)
「連携する」って、こうやって、少しずつ、必要と思う人間が、なけなしのお金や、時間、そして活動するエネルギーをつぎ込んで、地道な積み重ねを繰り返しながら、試行錯誤しつつ、行動しつづけることでしか、できない事なのかもしれません。
(余談ですが、ここの掲示板にも、管理人さんの素晴らしいエネルギーを感じます)
あさかぜさんが、お書きになっていた本のお話(すみません。下手なので消してしまったの、「哲学は、学ぶのではなく、するもの」でしたっけ・・?)は、本当にその通りだと、感じている、タレイヌです。
ところで、こういうレスを書き込んだところで、今の、あさかぜさんに、どの程度の助けになるのか、タレイヌとしては、本当は疑問です。
「掲示板」初体験ですので、こういう、公の場に、どの程度まで、書いてよいものか
はっきり言って全然わからないんです。(年寄りのせいかも・・?!)
Mariaさん初め、皆さん、とても、わかりやすく、それでいて、かなり突っ込んだやり取りをなさっていらっしゃるのは、よくわかります。(だからこそ、毎日多大な時間を、つぎ込んで読んだりしているんですけれど・・・読み理解が遅いので)
ただでさえ、多岐にわたる話題性と、それぞれに、突っ込んだカキコの応酬・・・
掲示板上で、これ以上、ある種個人的な、やり取りは、遠慮した方がよろしいですよね?
(本当は、あさかぜさんにとっては、的外れで、余計なおせっかいになるのかもしれませんが、タレイヌ自身の経験で、何か、お役に立てる事があるやも知れません。
もし、必要と思われる“とき”が参りましたら、管理人さんに、アドレスを、お聞きになって頂いて、かまいません。)
管理人さん、よろしくお願いいたします・・・・って書いていいのか、不安・・・・
(タレイヌ)
くると(成人LD)です。
昔から「白痴天才」と呼ばれる人たちはわたしにとってヒーローでした。
尊敬する偉人のほとんどは「白痴天才」でした。
でも、周囲の人間がわたしに求める理想像は「常識人」でした。(常識と
は何か、という問題もありますが、ここではその問題には触れません)他人
の欲望を受け入れて「常識人」になろうとしたわたしの欲望は見事に破綻し
ました。それはわたしにとって自己背信以外の何者でもなかったからです。
今わたしが目指している理想の人間像はやはり「白痴天才」です。
自分がどんな人間になりたいかがはっきりしてそれを目指すようになった
時、わたしの精神の破綻は収まりました。しかし、今度は周囲の人間との意
識の違いが表面化しました。「常識人」になろうとしているわたしに好感を
持っていた人も多かったからです。
こんな欲望の不一致に悩んだことのある人はいますか?
シンタロウさん wrote:
> 完璧主義とは一体何か?
>
> 僕には理解できない・・・・
わたしの場合、自分に完璧を求めるのはOK、他人に完璧を求めるのは
許されないと思います。
シンタロウさん wrote:
> 完璧主義とは一体何か?
> 僕には理解できない・・・・
ちょっと違う形でわたしの感じたことを述べます。
人が「あんたは完璧主義だから」と言うとき、あまり好意的な意味には使わないような気がします。
ものごとをきちんとしたいとか、ものごとを深くじっくり考えたいとかの自分の気持ちがあって、何かに取り組んでいたり、取り組もうという意思を表現すると、人によっては「完璧主義なのね」という言い方をします。
その裏には「なにもそんなにムキになることないのに」とか「それほど一生懸命やることでもないだろうに」などの考え方が潜んでいる場合があるように思います。
すべての人が上記のような言い方をするわけではないですが、「完璧主義」という一見分かりやすそうで実は意味の分かりにくい言葉でひとくくりにして、「自分はそうではない」「自分には関係のないこと」としてそっぽをむいてしまおうという人は多いかもしれません。
完璧主義に限らず、↑こういうふうに使われる言葉は、非自閉人には多いのではないでしょうか。
おーい!
元気かーい!
シンタロウ wrote:
> 完璧主義とは一体何か?
> 僕には理解できない・・・・
私はそれは絶対なる完璧を求める人の考え方だと思いますよ。
私にはなれないな...。
Chipぱす忘れ wrote:
>胸に手をあてよく考えるが良い。
>悪魔と取引をしたのだから自業自得だ。
あらかじめ申し上げておきますが、私は穏健派です。
しかし、誰もが参加できる、そして世間からずれたり排他されたりする悩みを
どうしたらいいか、前向きに善処して相談しあうこの貴重な場所に
Chipさんがどうして上記のような、個人攻撃としか思えない書き込みをされますか?私は品川裕香さんなる方はもちろん存じ上げませんし、その方がどのような
極悪非道な方かも知りません。しかし、前回に続き、個人攻撃および個人がなにか
非難されるようなことを他の人が憶測できるに十分な書き込みは、どんな
常識にも反することだと思います。これは他のところで存分になさったら如何かと存じます。貴方の書き込みで、貴方がどのような素晴らしい効果を期待されているかは存じませんが。
呪いをかけると呪いは自分にも返って来る、という普遍の法則をご存じですか?
シンタロウ wrote:
>武田好史 wrote:
>>シンタロウ wrote:
>>> 完璧主義とは一体何か?
>>>
>>> 僕には理解できない・・・・
>>
>>「考え方が硬直して、ゆとりがないこと!」
>>だと思うな。
>
> あとそれと、「独創性を許さないこと」だと思います。
>
> 今の社会は独創性が無い・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 平均的な物は受け入れられて、独創的な物は排除される・・・・・
結構、仕事でも「完璧主義」と「ていげい」の両輪を求められるものもあるよな・・・例えば福祉関係とか・・・
武田好史 wrote:
>シンタロウ wrote:
>> 完璧主義とは一体何か?
>>
>> 僕には理解できない・・・・
>
>「考え方が硬直して、ゆとりがないこと!」
>だと思うな。
あとそれと、「独創性を許さないこと」だと思います。
今の社会は独創性が無い・・・・・・・・・・・・・・・
平均的な物は受け入れられて、独創的な物は排除される・・・・・
シンタロウさん wrote:
>> 完璧主義とは一体何か?
>>
>> 僕には理解できない・・・・
武田好史さん wrote:
>「考え方が硬直して、ゆとりがないこと!」
>だと思うな。
お二人に相対するようになりますが、わしは「完璧主義」を否定しません。
ただ、わしの考える「完璧主義」の概念は、「100%完璧でなくとも、それに近づける努力をする」というものですが。
というのは、わしの職業(歯科技工士)は、詰め物の適合性や、入れ歯の噛み具合といったものがとてもシビアに要求されるのです。
もし詰め物が歯にぴったり合わず、歯とのあいだに大きな隙間があったりしたら、そこから二次カリエス(治療した歯が再びムシ歯になる)が発生したりします。だからこそ、できるだけ詰め物と歯の隙間を限りなく小さくすることを考えなければならないのです。「隙間ゼロ」が理想なのは言うまでもありませんが、実質それは不可能に近いです。そこでわしは「完璧に近づける」という「信念」をもってして、「隙間をできるだけゼロに近づける」ことを考えているのです。
入れ歯の場合もそうです。入れ歯の歯の並びは決して出鱈目にされているのではありません。外見、機能性の両方を熟慮したうえで、少しでも「よく噛める」歯の並び方にしているのです。
このように、わしらの業界では「完璧に近づける」ことが要求されます。けして手抜きは許されないのです。
ですから、「完璧主義」を簡単に「考え方が硬直して、ゆとりがない」と言ってしまうのはどうかと、わしは思うのです。
仕事のことではやけにマジメになってしまう ミッドランド
シンタロウ wrote:
> 完璧主義とは一体何か?
>
> 僕には理解できない・・・・
「考え方が硬直して、ゆとりがないこと!」
だと思うな。
完璧主義とは一体何か?
僕には理解できない・・・・
あさかぜさん wrote:
> わたしの発言は「怒り」の表現だったのかもしれないとか、ひとりの臨床心
>理士さんの例だけをあげて一般論にすりかえようとした可能性もあるとか、い
>ろいろと考えてしまって心穏やかではなく、反省コメントを書こうとしたので
>すが……くるとさんが真摯なコメントを書いて下さったので、力が抜けてしま
>いました。
実はわたし自身、この問題には少し感情的になっている部分があります。わ
たし自身が診断なことで混乱させられたということもありますが、それ以上に
自主グループを作る時に大きな問題に直面したことが大きいです。
医学的にみれば、AS,社会性に困難を持つ非言語LD,分裂病質人格障害
,分裂病型人格障害は臨床像に共通する部分があります。社会性の非言語LD
とAS、あるいは分裂病型(質)人格障害とASを同じ障害とみなす説さえ出
されたことがあるぐらいで、それぞれの診断を受けた患者が共通する問題を抱
えている可能性も高いのです。
もしかすると同じ障害を抱えているかもしれない人たちが診断名によって所
属を分断されてしまう,あるいは連携できなくなってしまうというのはとても
悲しいことだと思います。
そして、教育学と医学における診断(判断)基準の混乱は本人同士の所属を
分断してしまったという意味ですごくおおきな問題です。
胸に手をあてよく考えるが良い。
悪魔と取引をしたのだから自業自得だ。
くると(複合型LD)です。ちょっと遅くなったけど、広島と福岡のオフ
会の報告をします。
(広島のオフ会)8月4日
広島のAD(H)Dの会「ダイヤモンドな仲間たち」の主催で行われまし
た。(わたしには似合わないグループ名だ)わたしは自分自身はAD(H)
Dではないと思っていますが、この団体の設立に始めから関わっていたこと
もあり、福岡への移動中に寄らせてもらいました。
今回のオフ会は「ダイヤモンドな仲間たち」の記念すべき第1回目のオフ
会でした。参加者は5人で、JR広島駅の近くにある公民館の近くで開かれ
ました。
「ダイヤモンドな仲間たち」自体はAD(H)Dのグループですが、AS
やLDの人が地元で自主グループを作りたい時は協力してくださるとのこと
。成人LDの会の方でもご好意に甘えさせてもらっています。
青春18きっぷでの移動だったので残念ながら長居をすることはできず、
4:30ごろに福岡に出発しました。
(福岡のオフ会)8月5日
福岡Aタイプ(AS,ADHD,LDの集まり)が主催して開かれたオフ
会でした。出席者は7人でAS,ADHD,LDの人が妙にバランスよく集
まっていました。この掲示板の利用者としてはミッドランドさんとわたしが
参加しています。岡山・熊本からはるばる出席された方もあり、会の活動の
今後・今望んでいること・現在それぞれが悩んでいる悩みについて語り合い
ました。
福岡Aタイプでは、6月ぐらいからミニオフ会が開かれていましたが、大
きなオフ会は今回がはじめてでした。成人LDの会にも参加しておられる女
性の方2名が周到な準備をしてくださり、とてもすばらしい会になったと思
います。わたしも迷惑をかけてしまった部分はありましたが、この自主グル
ープの結成にささやかながら協力することができたのは光栄です。
また、長い間メールでしかやりとりできなかった成人LDの会の会員さん
たちと感動の対面をすることができ、感無量でした。
(全体的なまとめ)
やっと、九州と中国地方に軽度発達障害者同士の自主グループの灯がとも
りました。地元に大人向けの相談機関がないか少ないという条件下で結成さ
れた2つのグループが大きく発展することを願ってやみません。
Mariaさん wrote:
> で、自閉症方面の人間の感情と非・自閉症者の感情が一致しなかった場
>合、非・自閉症方面の人間の感情は、「作り物の感情」「にせものの感情
>」であると非・自閉症者によって断定されてしまうと思います。なぜかと
>いえば、非・自閉症者にとって、感情というものは、非・論理的で不合理
>で説明不能なものだからです。
これが、自閉症研究者が「共感」をうまく説明できない理由なのかも…
> その点、掲示板上での喧嘩はいいです。十分考える時間があるし、相手
>が逃げないし。だから、あたしは「この件についてはもう議論したくあり
>ません」なんていうことは言いません。徹底的にやります。ただ、「これ
>をやると嫌われる」と、中島義道先生は言っておられました。この掲示板
>でも、「私はそれで嫌われる」と告白された方が数名いらっしゃいます。
納得。わたしは中島義道先生の知り合いの先生からよく言われました。
「このやり方をするとどんどん人が離れていくよ。」と。
悲しいけど、受容するしかないんでしょうね。
pocksさん wrote:
>その理解力を「感性」と言ってよいものかどうか疑問があります。感じるの
>ではなく、冷めた目で距離を置いて分析しているような所がありませんか?
>言い換えれば、「社会化されたAS」が相手の感情を理解しようとするとき
>の態度は、人類心理学を修めた「火星の人類学者」が異生物を観察するよう
>な視線というか、そんなものではないのでしょうか?
他人に対して観察的な態度をとっているということはありえると思います。
ただし、観察した結果をどのように解釈し、どのように対応するかについては
本人の「感性」が関わってくると思います。
人類学でもそうですが、解釈体系は客観的なものではなく、かなり個性的な
ものだと思います。
こんばんわ、やっと帰ってきたくるとです。
pocksさん wrote:
>>(1)「共感」とは他人が自分とは異なる信念・考え・感覚を持ってい
>> てもそれを知ることのできる能力である
>
>私はこれを「理解」と称しています。
わたしの語感でもこれは「理解」に近いんですよね。だから、ウタ・フ
リス氏の言葉に違和感を感じてしまったのです。
>私の言う「同情」は、感情のみを他人に同調させることを言います。どう
>いう感情を抱いているか理解できても同じ感情を抱けなければ同情した事
>にはならない一方、わけがわからないままにもらい泣きするならそれは同
>情した事になるわけです。
わたしの語感では「わけがわからないままもらい泣きする」のは感情移
入です。
>私の言う「同情」を示された場合、非自閉人は癒されますが自閉人は居心
>地が悪くなるので「同情するなら金をくれ」と言って実際的な援助を求め
>ようとしたりします。
これは、どうでしょうか?わたしは何よりも放っておいてもらえた方が
助かります。
>> (1)に関しては、幼児期の発達において自閉症方面の人間に発達の遅れが
>>あるのは間違いありません。ですが、「社会化された自閉症方面の人間」につ
>>いていえば、かえって「相手の感情を理解する能力」は高いと思います。
>
>そうですね。これまでオフ会などで話してきた限り、「社会化されたAS」
>は、相手の感情を理解することにかけてはむしろ平均以上に鋭い感性を持って
>いるという印象があります。
その理解力を「感性」と言ってよいものかどうか疑問があります。感じるのではなく、冷めた目で距離を置いて分析しているような所がありませんか?言い換えれば、「社会化されたAS」が相手の感情を理解しようとするときの態度は、人類心理学を修めた「火星の人類学者」が異生物を観察するような視線というか、そんなものではないのでしょうか?
う、もう実践済みなのね。
お願いだから死なない程度にやってください。シャレにならなくなったらシャレにならない(何を言っているのやら。)
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami