アスペルガーの館の掲示板(旧)
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おんや???このスレッドになぜかわたしの名前がでてきているど〜
(YANさんのコメント)
>失礼だけど、Makichan も人間を分類しているという点では医者とあまり変
>わらんような気がする。ゴメンね。健常者と障害者という分類は単なる幻想
>だと思うよ。
正確に言えば、現在の医学の解釈体系では説明しきれていないということ
だと思います。夜と昼が同じではないように障害者と健常者にも違いはあり
ます。ただし
(1)その分け方が恣意的だ
(2)どちらにも分類できない人が多数存在する
(3)一方的な分類だ
という批判なら正しいと思います。特に(2)は軽度発達障害や人格障害の
世界のことを考えるうえで重要だと思います。
また、医学的分類をくつがえすためには、医学以外の解釈体系で説明して
いかなければならないのですが、まだ全ての人に承認されるような医学以外
の解釈体系はありません。確かにわたし自身も医学的評価から離れてASに
ついて語っていきたいとは思っているのですが。でも、AS概念自体がすで
に医学的解釈体系の手のうちにあります。
(Makichanさんのコメント)
> 私はくるとさんとは逆で、社会からの援助(つまりは年金)は得られたら
>いいなと思っていますが、その実障害者呼ばわりされるのは嫌だなあ、なん
>てムシのいいこと考えてますね。
でも、社会から援助を引き出すって、自分が障害者であることを強くアピ
ールする必要があるんですよね〜。以前いたボランティア先でも障害者手帳
を取得したり、年金がとれるようになるために涙ぐましい努力をしている保
護者の方がいました。
(YANさんのコメント)
>自分を障害者と位置付けてその点ばかり見るのは、罠にはまるのと同じこと
>じゃない?
これはむしろ所属とかアイデンティティーの問題ではないでしょうか?「
罠にはまる」というのであれば、まさに前述したように医学から離れた独自
の解釈体系を作ってコメントをしていくしかないでしょうね。
でも、これはけっこう骨が折れます。わたしがコメントしていても思うの
ですが、医学的解釈から逸脱したことをコメントするとけっこう反発を受け
ますしね。ついでに言えば、医学以外の解釈体系というのは、それが他の人
に通じるようになるまで、長い年月を必要とします。
で、わたしとしては、医学的な説明を援用しながら説明していくという形
をとらざるを得ない場合が多いです。哲学的・倫理学的解釈を援用して説明
してもいいのですが、たぶん話が通じにくくなると思われます。
武田好史 wrote:
>武田好史 wrote:
>> 健常者が自閉症の人を見た時の特長として、ノースカロライナ州の自閉症協会があげているものを以下に記します。
わ〜い、わたしもやってみよう。
>>
>>1.通常の教育方法にはのらない
わたしの場合、小学校のときは授業を乗っ取ってしまう勢いでした。
先生の質問に対して答えたり、発表したり意見を言ってりすることがたくさんありすぎてわたしの独壇場になってしまうことがよくありました。
わたしも、毎日 本ばかり読んでいて当時はとてもモノシリさんでした。
それで、わたしが教壇に立って一時間しゃべるってゆう授業をやったくらいです。
高学年になってからは、そのせいでみんなに嫌われてしまいました。
聞いているだけの授業はつまらないので、授業中絵ばかり描いてました。
それでいきなり先生にあてられても、スラスラ答えていたので、ますますみんなに嫌われました。
でも高校生になってから、授業についていけなくなって突然落ちこぼれた。
>
>>2.不適切な笑いやくすくす笑いをする
自分ではそんなつもりはなかったけど、友達に、"あんたはよくへんなところで笑う、"と言われた。
よく考えてみたらそうかも。
>>3.「どこへいくの?」と聞かれて「どこへいくの」と答えるようなオウム替えし
わたしのサビアンシンボル(占いの一種・360種類の詩のような抽象的な言葉にあてはめてその人を占う)は、
「ものまねの得意なオウム」
なんです、あはは。
ってそれは関係ないんだけど。
わたしは疲れたり眠いとき、無意識にやっているらしい。
"さっきからずっとオウム返しだけど、眠いの?ちゃんと聞いてる?"
と言われて気付いたりする。
>>4.耳が聞こえないような振る舞いをする
それはどうだろ。よくわかんないけど、耳がよすぎてびっくりされることはときどきある。
>>5.明かな危険に対して恐怖心を示さない
レイプされそうになったときも、超冷静だったし。
そうゆうときって、自分をとりつくろってる暇がないから、本来の自分が出るのかもなぁ。
でも普段は結構おどおどしてる。
>>6.痛みに対して鈍感
注射とか全然平気。点滴失敗されてめちゃめちゃ血管がふくらむまで気付かなかったり、そうゆうようなことはよくある。
いかにも痛そうな状態でもケロッとしているので不気味がられる。
手をカッターで切り、血がいっぱい出ただけで、まったく痛みを感じなかったという経験も何度もした。
でも、ヤケドだけは本当に痛かった。
あんな感覚ははじめてですごくびっくりした。
>>7.泣き叫びやかんしゃくを起こす
よくあった。
言葉にできなくて、泣き叫ぶしかないことってゆうのがあった。
自分にとって一番してほしくないこと、
母が平気な顔でわたしの心を侵害することに対する抗議だったりした。
わたしが大事にしていたもの(母にとってはガラクタ)を平気で捨ててしまったり、かわいがっていた金魚を近所の人にあげてしまったり、キアゲハの蛹をサッシにはさんでつぶしてしまったり、
また、勝手に日記を読んだり。
ことばで言ってもわかってもらえなかった。
>>8.物をくるくる回す
>Y:お風呂の水をかき混ぜて渦巻きを作って、見入っていた。
↑これこれ。これ、わたしも大好きでよくやった。
渦巻きにみとれてしまったせいで、かなしい思いをした記憶もある。
洗面所の排水の穴に向かって、渦巻きと一緒にくるくるまわりながら吸い込まれていくゲンゴロウが、下水に流されてしまうことに気付かずに最後まで見入ってしまった。
あとでどんなに泣いたか。
あと、洗濯機の中もついついじ〜っと見てしまう。
>>9.あやしても反応がない
どうだったのかな。
>>10.おかしな遊びに没頭する
幼稚園のとき、絵の具を、教室の床という床の隙間につめて全部つかってしまったらしい。
>>11.他の子どもたちと一緒に遊べない
他の子どもたちの方がわたしを避けた。
幼稚園〜小学校低学年のころわたしはいつも、自分の空想の世界の話をみんなに聞かせていた。
野原で白い馬をかってるとか、本当のうちは雲の上のお城なんだけどわけがあって地上に降りてきたんだとか。
はじめはその遊びに参加してた子たちも段々飽きてわたしは嘘つきって言われるようになった。
学校では昼休みはいつもひとりで本を読んだり絵を描いたりしてた。
>
>>12.日課や習慣を変えることに抵抗を示す
それはある。
けど、今はからだがついていかないので、習慣もなにも、寝てばっかり。
>>13.視線が合わない
写真をみるとどこ見てるかよくわかんないような目のものが多くて自分で見てもすごく妙な雰囲気があるので結構気にした。
最近だいぶ慣れて写真とるときは気をつけて顔を作るけど、疲れてるときの写真はやっぱ目がへん。
あまり親しくない人の方が目を合わせやすいというのはわたしもそう。
自分がこのひと好きだな〜身近かに感じるな〜などと思う人とはかえって目を合わせられないし、うまく話せなくなる。
でも、それでもわたしのことを受け入れてくれる人に対しては、とっても素直になる。
>>14.冷淡な態度を示す
思いやりがないってわたしもよくいわれた。
>>15.ブロック積みはできてもボールけりをしない(粗大運動と微細運動にアンバランスがある)
小学校のときドッジボールが流行っていたあけど、大嫌いで、必死で拒んだ。
でも学級会で、わたしもドッヂボールに参加しなくてはならないと多数決で決められてしまい、参加するようになった。
戦うことにまったく関心がなかったのもあるけど、球技自体まったく苦手だった。
球の動きを目でしっかりとらえてしまい(そのときの画面はコマ割りみたいになってる)、気付くとボールにあたっていた。
手先は不器用、でも折り紙で1cm以下の小さい鶴を折るのに凝っていたこともあった。
>>16.物に不適切な愛着を示す
>N:むしろ人に対してはあるかもしれない。結構おせっかいなほう。
↑わたしもすごくそれあります。
でも、愛情からというより、こだわりの一部ってかんじ。
物にたいする愛着がある人って結構いると思うのでわたしなんてむしろあまりないほうかもしれないけど、虫とかに対してすごく愛着があるかも。
川を汚したらいろんな生き物にわるいと思うので合成洗剤使わないし。
>>17.非常に多動だったり極端に受け身だったりする
うんうん。
差が激しいので疲れる。
慢性感冒 wrote:
>一穂(いちほ)さんwrote
>
>>軽蔑するって、どんなふうにすればよいのかな・・・
>>「フンッ!」
>>ってかんじかな??
>忘れた頃の亀レス(・・・って言うんですか?)でごめんなさい。 こんばんは。
こんばんは〜(o^w^o)
亀レスって言うんだ、時間がたってからレスもらうのって、わたしも忘れてた分なんだかトクした気分でうれしいかも♪
>うーっ、とんでもない事を、書き込んでしまった。
>やっぱり、軽蔑なんて・・・イヤな言葉ですね。
>私も他人に何度軽蔑されただろう・・・ なんで、そんな事するんだっ、と
>意味不明な人たちに腹を立てたり、考え込んでだりしてるうちに 何だか
>軽蔑をしっかり感じるようになってしまった。あーもー、頭に来るっ、の勢いで
>軽蔑の意思を表していいなんてわけもわからん事を書き込んでしまいました。
>一穂さん、みなさん、ごめんなさい。取り消します。
いやいや、そんなことはないと思う。
態度に出す必要はないけど、心の中でそう思うことで、自分にイヤなことをしてくる相手との間に線を引けることもあると思う。
わたしこそ、ピンとこなくて的はずれなこと言ってしまってごめんなさい。
その人全体を人間として見下すのではなく、その人のした行為・行動を許さないための軽蔑なら、してもよいのではないかな。
罪を憎んで人を憎まずって言うけど、
やっぱ、許せない行動ってあるよ。
我慢するより、軽蔑した方が、からだによさそうな気がするよ。
>でも、わざと混乱させようといろいろ仕掛けてくる人達にたいしては、
>やっぱり、相手しないほうがいいと思う。(どーやって見わけるんじゃいと言われると
>また、困るが。)
加藤諦三の「いじめに負けない心理学」で読んだのですが、こんなことが書いてあり、ほうっと思いました。
"たいていの場合、不満は自分自身に原因があり、不快は相手に原因がある"
不快・不愉快だと感じる人には近付くべからず、と書いてありました。
へなちょこ wrote:
>「強く」というのはなんなのか、ほんまのところ、わからんようになってきました。
>
>今日会ったおっさん
>→ズボンの前全開で、道行くおねえさんをつけまわして、なんかぶつぶつ話しかけてくる。男の人が近づくと、さーっと逃げる。
>で、案の定、私もつけまわされたので、負けちゃいかんと思った。
>しかし今日は時間がなくて急いでた。
>とりあえずかなり大声で「へんしつしゃ〜っっっっっ!!」と叫んだ。
>そこでおっさん逃げちゃった。
>でも他の女性も被害(?)にあっているようなので警備の人にいいつけてしまった。
へなちょこさん、勇気ある行動!
でも実はわたしも結構こうゆう人には強い。
だって、その人は、いじわるな気持ちとか人を傷付けようとかゆう動機でそうゆうことをしてるわけじゃないって気がする。
本人のしたいことが、異常な行動で、しかも他人を巻き込み迷惑をかけることなので、そんなことはしてはダメなのは勿論そうなんだけど、わたしはそうゆう人はその場ではあんまり怖いと感じない方なんので、冷静に対処でき、自分でも驚くことがある。
●以前、帰宅したら家の中に男の人が入っていたことがあった。わたしは冷静に、"あなたはだれですか、こんなとこにいてはいけません早く出ていきなさい、"と言った。男はおとなしく出ていった。窓からの侵入だった。あとから怖くなった。
●深夜歩いていて背後からハガイジメにされ襲われそうになったことがあった。そのときもわたしはとても冷静に相手の態度を観察し、取り乱すこともなく、タイミングを見計らって絶叫した。相手は驚いて逃げたので未遂で済んだ。なぜそんな行動を起こすのか…不思議な人に遭遇したなぁと思った。→あとで警察に行って話していたらだんだん怖くなってしまったけど、はじめ警察官が来たときはわたしはまったく動じずに詳しく状況を説明していた。
・・・その、露出狂の人はやっぱ変質者でしょう。
わたしは自分のことをよく"ヘンタイ"って言ってるけど、普通じゃないってゆう意味で。
>
>しかし、ああいう性的ないやがらせをする人というのも、やはり「障害者」か?
>自分のくちからとっさに出た「変質者」という言葉は「普通でない質」なんだったら、私も変質者なのか?
>だれか教えてください。
その気になったらメールでもくださいな。
Yanさん wrote:
>
>>失礼だけど、Makichan も人間を分類しているという点では医者とあまり変わらんような気がする。ゴメンね。健常者と障害者という分類は単なる幻想だと思うよ。
障害者は世の中に現としていますよ。精神病院があるのはそのためです。人類の幻想から病院ができたんじゃないですよ。どこで線引きするかは難しいですが。
私はくるとさんとは逆で、社会からの援助(つまりは年金)は得られたらいいなと思っていますが、その実障害者呼ばわりされるのは嫌だなあ、なんてムシのいいこと考えてますね。(笑)けど追い詰められればそんなこと言ってられないです。今はまだゆとりはありますが。
>自分を障害者と位置付けてその点ばかり見るのは、罠にはまるのと同じことじゃない?
私はもうすでに罠にはまっています。小さい頃から苦しみ続けました。
>Makichan wrote:
>>こういう分析的知性は本来欧米人のもので、日本人は元来もっとおおらかで共感力あったんじゃないかと思うんですけどねぇ。
>
>共感力のある人間が増えるとよいなあ、という意味なら反対。共感は結局のところ誤解でしかないから。
そうですね。「包容力」という言葉のほうが妥当ですね。
私が先のカキコでいいたかったのは、今の精神医学が、なにひとつこれといった治療法確立していないくせして、むやみに新しい病名をつくるのにやっきになってんじゃないかとい気がして腹立たしい思いがするということなんです。AS的人間
を分析するのはいいですが、じゃあどうしたら克服できるのかも同時に考えるべきです。知りたいのはそこんとこです。世の中にAS的人間がいることは100年も前
にドストエフスキーあたりが小説に書きました。文学をかじったことのある人なら
当たり前に知ってる事です。そこから一歩も今の医学は進歩していないんです。
ASは先天性の障害だとされています。そういう人もいるんでしょうが、私や私の知り合いを見る限り、後天的要因つまりは社会的背景もあるんじゃないかというのが私の意見なんです。(そういうのをASとは言わないんだと言われればそれまでですが。)そのあたりを後日ゆとりあればまとめてみたいと思っています。
tudu wrote:
>24才の学生です。
>
>
>普段の日常生活で、自分で何か物事を決定してそれを他の人に伝えなければいけないときに、自分が他人にどう見られるかを気にして、他人に伝えるのにとても時間がかかります。
>また、自分の心の中では分かっていることを、他人に分かりやすく伝えることができないことや、自分が考えていることと予想に反したことが起こったときに柔軟に対応することがうまくできません。
>その他、できるだけ早くやらなければいけないことを、ぎりぎりまで先延ばしする行動をとることなど、これから社会人になろうとする自分として致命的な欠点が多すぎます。
>
>このことについて何かレスをください。
俺も同じさ!
普通の人でもたぶん同じさ。
まあ、あんまりうまくしようとしないほうがいいと思うな。
うまくしようとすればするほど、良くない方へ物事っていうものは、運んでしまうものさ。
もちろんそれなりの努力をする必要がある。
けど、がんじがらめじゃダメさ。
メリハリが必要。
それが判らないから、俺は引きこもりさ。
そうゆう問題意識を持っている君にはきっと幸せが待っているよ!
tudu wrote:
>24才の学生です。
>普段の日常生活で、自分で何か物事を決定してそれを他の人に伝えなければい
>けないときに、自分が他人にどう見られるかを気にして、他人に伝えるのにと
>ても時間がかかります。
>また、自分の心の中では分かっていることを、他人に分かりやすく伝えること
>ができないことや、自分が考えていることと予想に反したことが起こったとき
>に柔軟に対応することがうまくできません。
>その他、できるだけ早くやらなければいけないことを、ぎりぎりまで先延ばし
>する行動をとることなど、これから社会人になろうとする自分として致命的な
>欠点が多すぎます。
>
>このことについて何かレスをください。
少し迷っています。
(1)コミュニケーションや作業能率の困難が根本的な問題なのか
(2)それに伴なう自信低下の方が問題なのか
tuduさん自身はどちらに悩んでおられますか?それとも両方に悩んでおられ
るのですか?
はじめまして、シンタロウです。
tudu wrote:
>24才の学生です。
>
>
>普段の日常生活で、自分で何か物事を決定してそれを他の人に伝えなければいけないときに、自分が他人にどう見られるかを気にして、他人に伝えるのにとても時間がかかります。
僕もよく↑のようによく時間がかかります。
>また、自分の心の中では分かっていることを、他人に分かりやすく伝えることができないことや、自分が考えていることと予想に反したことが起こったときに柔軟に対応することがうまくできません。
僕も心の中で分かってることを、他人に分かりやすく伝えることが苦手です。いざ説明しようとするととても苦労します。
>その他、できるだけ早くやらなければいけないことを、ぎりぎりまで先延ばしする行動をとることなど、これから社会人になろうとする自分として致命的な欠点が多すぎます。
>
僕もよく宿題とかを先伸ばししてしまいます。その結果成績が不認定になった事がよくあります。
武田好史 wrote:
> 健常者が自閉症の人を見た時の特長として、ノースカロライナ州の自閉症協会があげているものを以下に記します。
>
>1.通常の教育方法にはのらない
私の場合、一応面白くて入りやすい先生の授業は成績がよかった。
興味がないのはほとんど先生の話しを「聞いている振り」。
>2.不適切な笑いやくすくす笑いをする
こ、これはほとんどいつものことです。
あだ名は「へにょ」。へらへらしていっつも笑っていたから。
>3.「どこへいくの?」と聞かれて「どこへいくの」と答えるようなオウム替えし
「ああ。ビックリした。」
「ああ。ビックリした。」←ビックリしているのか分からないのに、ついつられ口言葉。
>4.耳が聞こえないような振る舞いをする
「振る舞い」に捕らえるのは、きっとなんか、そう言う側の感じ方じゃないの?
聞こえているけど、その内容のうち一体その時点で何に対して返せばいいのかワカラナイです。私の場合・・。
逆に周囲には聞こえていない音を「聞きまくっている」ことの方が多いわ。
>5.明かな危険に対して恐怖心を示さない
たしかに、自分の身に降りかかる関係立場の「教授」も「おっさん」もほとんど同じ目線だったしなー。あ、ちょっと違う?態度の切り替えがさっぱりわかんなかった。
電ノコで木材を切る時、周りが「うわああー!ちょちょちょっと!」だった。
「指を落とさない様に」の忠告に、「ふーん」で終わり。
ガンタッカーを手のひらに打ち込んでしまった時は、
周りが先に「いったあー!」「きゃあ、血!」だった。
>6.痛みに対して鈍感
バイトで、気が付くと親指が腱鞘炎の酷いやつで全く動かなくなっていた。
痛かったと思うんだけど、
なんか自分でよくわかんないんだよね。医者が「い、痛くないのか?なんでこんなになるまで放っておいたんですか?」って言ってた。
知らないよ。そんなことイッタッテ。動き取れねーんだよ。
>7.泣き叫びやかんしゃくを起こす
大人しい子だったのが、急変。
これは、20歳ころからあった(汗)「わからああん」と身をよじる。
>8.物をくるくる回す
体操服の袋をよく振り回し、学校のちょっと低めの建物の屋上によく飛ばした。
髪の毛をくるくるいじる。
ちょっと違うか?
>9.あやしても反応がない
逆に避けた。
>10.おかしな遊びに没頭する
んんんー。無かったと思う。
あ、折り紙で同じ形を延々と造り、並べて「パズルごっこ」。
色識別で振分けて「遊ぶ」。
で、「何意味の無いことやってんの?」といわれた。
>11.他の子どもたちと一緒に遊べない
遊んでたけど加わっていないに近かったかも。
「入って」いたけど、「加わって」いない遊び。
>12.日課や習慣を変えることに抵抗を示す
いきなり「外出」モードになるのが駄目だった。
休日の家族レジャーが「怖い」という・・・。
>13.視線が合わない
昔の写真をみても視線が合っていないのがほとんど。
>14.冷淡な態度を示す
らしいですな。
>15.ブロック積みはできてもボールけりをしない(粗大運動と微細運動にアンバランスがある)
できてた方です。
>16.物に不適切な愛着を示す
すごい有り。自覚なくても周りがよく私をみて分かっていたようです。
>17.非常に多動だったり極端に受け身だったりする
すごい有り。
> みなさんはどんなものにあてはまりますか?またそういう行動をしているひとは、何故そうしてしまうのでしょうか?
え?気持ちよく落ち着けるからです。きっと。
24才の学生です。
普段の日常生活で、自分で何か物事を決定してそれを他の人に伝えなければいけないときに、自分が他人にどう見られるかを気にして、他人に伝えるのにとても時間がかかります。
また、自分の心の中では分かっていることを、他人に分かりやすく伝えることができないことや、自分が考えていることと予想に反したことが起こったときに柔軟に対応することがうまくできません。
その他、できるだけ早くやらなければいけないことを、ぎりぎりまで先延ばしする行動をとることなど、これから社会人になろうとする自分として致命的な欠点が多すぎます。
このことについて何かレスをください。
こんにちわ、あさかぜさん。
> 自分の中ではケリがついていることに関して、周りとのやりとりでは軋轢を
>生じてしまうことがある、という意味に解釈してよろしいのでしょうか?(も
>し間違っていたら、ごめんなさい)
今回の障害の問題についてはそうです。わたしの方は自分が障害を持ってい
ることをほぼ自己肯定している状態です。(というか、自分の個性はけっこう
気に入っていたりする)で、あと必要なのは
(1)医学的な診断がごちゃごちゃしているので、情報を整理しておきたい
(2)社会で生きていくための自己対策を立てていかなければならない
という段階にきています。ところが、まだ周囲の人間はわたしが障害を持って
いることに悩んでいると解釈してしまいので、話がかみ合わなくなってしまう
ようです。相手はこちらに気を使っているようなので、感謝はきちんと表明し
ているのですが、自分のなかではストレスがたまっています。
> で、わたしとしては単なる事実を述べているだけであって、慰めてほしい
>とか同情してほしいとかいうわけではなく、知っておいてもらいたいくらい
>の意味合いで話しているつもりなのですが、反応はさまざまです。
>
> 「大変だね」「そうだったの、知らなくてごめんね」「たいしたことじゃ
>ないわよ、だってあんなに頭がいいじゃない」「心配することないわよ、大
>丈夫」etc.etc.
今のわたしはまさにこの状態です。(笑)むしろ自分の障害については強
い好奇心を持っているぐらいなんですけど。わたしはだいたい自分の障害に
ついて話す時はあさかぜさんと同じ意図を持って話しています。
> 〔分からない人には分からないままでいいことなんだ〕ということは学び
>した。
そうですね〜。発達障害の支援関係者だということで、それ以上のことを期
待してしまったのが誤まりなのかも???
> この掲示板へ来た理由が〔娘がASならわたしもASだろう〕という単純
>思い込みからでしたが、多くの方のカキコを読み、あれこれ考えた末に〔今
>現在、生きにくさを抱えてはいるが、わたしは「障害者」の範疇には入らな
>い〕と思うようになりました。
「今、現在どの程度の困難を抱えているのだ」という尺度で考えれば、わ
たしも障害者ではなくなりつつあります。(すでに3年近く病院からは遠ざ
かっている)
でも、所属意識だけは「健常者」の側にはないんです。あまりにも長い期
間「障害者」と「健常者」の狭間であつれきを味わい続けてしまったからで
しょうね。
> わたしにも、何かできることはあるはずだ、と考えているからです。
たぶん、どちらに所属意識を持つ人でも、この感覚は持っていると思いま
す。
こんにちは。Naveです。
以下の理由や気持ちは、「私」の場合です。他の人のことはわかりません。
>1.通常の教育方法にはのらない
だって、つまんないんだもん。あれに耐えられるほうが、すごいと思う。
教科書に書いてあることを覚えるだけなら、一人でやったほうがずっと効率的だし。それ以上の授業って、あんま、なかったような。
基本的に、勉強は自分のペースでやるもんだと思っていますが、どうでしょ。
>2.不適切な笑いやくすくす笑いをする
おかしいから、楽しいから、笑います。
笑いのツボが、「適切(一般的ってこと?)」かどうかは、わかりません。
不適切な時や場所で笑いがこみあげてきたら、咳き込んだフリをしてごまかします。
>3.「どこへいくの?」と聞かれて「どこへいくの」と答えるようなオウム替えし
自分については、記憶にありません。
息子はよくやってます。言われたことがわからないときにするみたいです。
>4.耳が聞こえないような振る舞いをする
それは、本当に、聞こえなかったから。
何かに集中していると、「お耳はお留守」になるのです。
>5.明かな危険に対して恐怖心を示さない
何が危険か、教えてもらわないとわからないことがある。
特に、どの人がどんな状態のとき危険かは、ケースバイケースで実地に学ぶしかない。
>6.痛みに対して鈍感
なんでかわからないが、ニブいもんはしゃーないじゃん。
でも、おかげでお産はラクだった(^^)v
困ることは、虫歯に気付くと、たいてい神経までいっちゃってること。
>7.泣き叫びやかんしゃくを起こす
イライラを抑え、がまんにがまんを重ねて、もう、いっぱいいっぱいになったとき。
>8.物をくるくる回す
きれいだから。吸い込まれるような気持ち。
>9.あやしても反応がない
さすがに記憶がない。息子はあやすとニヤリとしていたな。
>10.おかしな遊びに没頭する
「おかしな遊び」って、どんな遊び?
>11.他の子どもたちと一緒に遊べない
だって、テレビの話とかばっかりで、つまんないんだもん。
たのきんトリオなんて、どこがいいんだか。
…とか思ってました。ああ、トシがばれる…。
ゴムとびの順番待ちの間も本を読んでいた、ヘンなヤツでした。
>12.日課や習慣を変えることに抵抗を示す
雑多な日課をルーチンにすることで、やっと生活がなりたっているのです。
何か一つでも普段どおりにいかないと、リズムが崩れて、ドミノ倒し的にいろんなことがうまくできなくなり、本当にイライラしてしまいます。
だから、普段とちがうことをするのは不安だし、それなりの心の準備をさせてもらいたい。
>13.視線が合わない
めったなことでは目は見ない。恥ずかしいから。
特に、大事なことやホントの気持ちを言うときは、目を見ない。
恥ずかしいから。
実は、はにかみ屋さんなのか?
目を見ると、相手の感情がこちらに流れ込んでくるような気がして怖いです。(流れ込んできても平気な、または心地よい感情の場合は、喜んで目を合わせます。)
案外、知らない人とのほうが目を合わせやすかったりもします。
無関係な人だと、感情がこちらに流れ込んでくることもないし。
>14.冷淡な態度を示す
触覚だけでなく、感情にも過敏なのかもしれません。
言葉や態度で気持ちを表すのは苦手です。
(でも、表現するとなると、ストレートにします。もう、直球どまんなか。)
自分の気持ちを表現するのは、とても恥ずかしい。
逆に、人からの感情の大きな波が自分に向けられると、ものすごい脅威と、生理的な嫌悪を感じます。(頭かかえて、うへ〜、やめてくれ、って感じです。)
で、感情センサー(?)を意識して遮断していることもある。
基本的に、できるだけ、感情に起伏をつけたくないのです。
派手なリアクションもしたくない。(顔の筋肉を動かすのにだって、かなりのエネルギーがいるのだ。それに、リアクションがないように見えても、楽しむときは楽しんでいるんですよ。)
淡々と、心おだやかに、生きていきたいだけなんです。
それが冷淡に見えるのかもしれません。
>15.ブロック積みはできてもボールけりをしない(粗大運動と微細運動にアンバランスがある)
わるうございましたね、不器用で。(^^;)
でも、ピアノは弾けるし、キーボード入力も速いぞ。
球技は苦手です。ボールを蹴るくらいはまだしも、あの細い棒の先にあの小さいボールを当てるなんて、どうやったらいいのか見当もつきません。
ボール遊びに関しては、ルールが覚えられないってこともあります。
その前に、ゲーム一般が楽しくないってこともあり。(勝ったから、何?って感じなんです。)
ボールゲームでは、体育会系の人が大きな声を出すのもイヤ。
>16.物に不適切な愛着を示す
不適切って、どのくらい?または、どんなことが不適切?
>17.非常に多動だったり極端に受け身だったりする
多動はありません。
「極端に受身」かどうかわかりませんが、かなり寡動ではあります。(これは生まれつきで、ごく幼いころから「マイペース」とか、単に「グズ」とか「なまけもの」と言われてきました。まず考えをまとめるのが遅い。それから、考えたことを抹消の神経に伝えるのが遅いのです。)
少しだけ食べて、ゆっくり動くのだ。省エネルギー型なのだ。
密林に住み、少しの葉っぱを食べ、移動するときは、身体に付いた小さな生き物たちを落とさないようにそーっと動く(らしい)、心優しいナマケモノ(←動物)にあこがれています。
冬眠できる、リスやヤマネのような皆さんも、うらやましい。(冬はできれば冬眠したい、と思っているのです。寒いのキライ、眠るのだいすき。)
こんにちは、くるとさん。
くるとさん wrote:
> 周囲の人間はそうは見てくれないようです。わたしが「健常者」
>の側に所属したがっていると意図を誤解してしまうようです。そして、
>上記のように「君はどこからどうみても普通に見える」と言ってしまいま
>す。自分の所属を否定されたようで、すごくやりきれない気分になってし
>まいます。「君は健常者だ」と言われて喜ぶのは「健常者」の側に所属意
>識を持っている人だけで、わたしには無関係です。
>
> しかも、自分が「障害者」であることを強調すれば、「支援を受けたが
>っているのか」と誤解されてしまう…。なんか八方ふさがりです。
>
> こんな悩みを持っている人はいますか?
自分の中ではケリがついていることに関して、周りとのやりとりでは軋轢を生じてしまうことがある、という意味に解釈してよろしいのでしょうか?(もし間違っていたら、ごめんなさい)
もし上記のような意味でしたら、わたしも似たような思いをしたことがあると感じました。
わたしはAS児の母ですが、それを周りの人に言うとき「娘は自閉性の障害があって……」というような言葉を使います。『アスペルガー症候群』という言い方をしないのは、世間の認知度が低いからです。『自閉症』と言えば「障害」であるということは知っている人のほうが多いからです。
で、わたしとしては単なる事実を述べているだけであって、慰めてほしいとか同情してほしいとかいうわけではなく、知っておいてもらいたいくらいの意味合いで話しているつもりなのですが、反応はさまざまです。
「大変だね」「そうだったの、知らなくてごめんね」「たいしたことじゃないわよ、だってあんなに頭がいいじゃない」「心配することないわよ、大丈夫」etc.etc.
ちがうんですけど〜! 困っていたら、そう言います。悩んでいたら、そう言います。支援がほしければ、「支援してください」とはっきり要求しますってば!! ←とまぁ、心の中では叫びたいと思いつつ、「うん、まぁいろいろあるわ」なんて言いながら苦笑を浮かべて見せるにとどまる……といったところでしょうか。
〔分からない人には分からないままでいいことなんだ〕ということは学びました。
なんか話がずれているような気がしてきました。「所属論」でしたね。
わたし自身に関して言えば、つい最近〔どうやら自分は子どもの頃にはASとADDであった可能性が高い。今でもいくつかの特性を残しているらしい。が、日常生活に著しく支障をきたすわけではなく、とりあえず社会人として暮らしている。気分障害(うつ)を患ってはいるが、心療内科に通い服薬治療とカウンセリングを受けることによって、改善の方向へと向かっている。〕という状態であると結論づけたところです。
この掲示板へ来た理由が〔娘がASならわたしもASだろう〕という単純な思い込みからでしたが、多くの方のカキコを読み、あれこれ考えた末に〔今現在、生きにくさを抱えてはいるが、わたしは「障害者」の範疇には入らない〕と思うようになりました。
ひとりでほっといてもらえりゃ、生きるのはなんぼか楽じゃい!! 本音を言えばそうなりますが、夫がいて娘がいて、娘は支援を必要としている以上、自分だけ逃げることはかなわないし、逃げたいとも思わないです。
わたしにも、何かできることはあるはずだ、と考えているからです。
思いっきり本題からはずれました。(なんでこうなるの?)
武田好史 wrote:
> 健常者が自閉症の人を見た時の特長として、ノースカロライナ州の自閉症協会があげているものを以下に記します。
>
>1.通常の教育方法にはのらない
Y:学校の授業よりも、読書で覚えたことの方が多い。
>2.不適切な笑いやくすくす笑いをする
Y:小学6年の時、一過性躁状態でそうだった。担任の先生から「分裂病じゃないのか・・・」といわれて、ショックだった。
>3.「どこへいくの?」と聞かれて「どこへいくの」と答えるようなオウム替えし
Y:新しいことを覚えようとするとき、自然とそうする。
>4.耳が聞こえないような振る舞いをする
Y:意識が低下しているとき。
>5.明かな危険に対して恐怖心を示さない
N:命にかかわるような危険には敏感!
>6.痛みに対して鈍感
Y:手首を骨折したとき、大学の保健室の人が「そんなに腫れて・だらっとしてるなら病院へ行かないと・・・」と言うまで、ことの重大性に気づかなかった。
>7.泣き叫びやかんしゃくを起こす
Y:家族に対しては、あった。
>8.物をくるくる回す
Y:子どもの頃、体育の時間などで体を動かさなくてもよい時、ボールを独楽のように回した。お風呂の水をかき混ぜて渦巻きを作って、見入っていた。
>9.あやしても反応がない
不明。
>10.おかしな遊びに没頭する
Y:学生時代ストレスがたまると、海岸に何故かあった小川で泥遊びをした。
小学生の頃ミルクや絵の具の粒子が水中へ広がっていく様子が神秘的で見入っていた。
>11.他の子どもたちと一緒に遊べない
Y:1人で遊ぶことが多かった。でも、学生時代はわりと飲み会に参加した。
>12.日課や習慣を変えることに抵抗を示す
N:自分はそうでもなかった。
>13.視線が合わない
Y:話すときはあわせない方が多い。でも、可愛い女性を凝視してしまう癖がある。
>14.冷淡な態度を示す
Y:他人からよく「思いやりのないやつだ!」と非難された。自分の入る余地がないと感じると手伝わない。
>15.ブロック積みはできてもボールけりをしない(粗大運動と微細運動にアンバランスがある)
Y:ピアノは弾けるけど、キーボードを打つのは苦手。
>16.物に不適切な愛着を示す
N:むしろ人に対してはあるかもしれない。結構おせっかいなほう。
>17.非常に多動だったり極端に受け身だったりする
Y:気分の変動が激しい。1年がんばれても、翌年はからっきしだめということがある。
>「私たちには防災に対する放送が聞こえないので、ど
>んなことが起きているのか?が判りません!メールやFAXなどでの伝達体制を作
>って下さい!」という陳情がありました。それに対しての市長さんのの答弁は「予
>算が・・・」とのふがいないものでした。
役所側に必要なもの(FAX編)
防災放送の原稿
FAX一台
聴覚障害者数に応じたFネットの契約
同報なので送信の手間は一回分。通信費は一枚数十円×送り先数。メールならメーリングリストを設定して送信一回とくれば、金はほとんどいらないだろ?どんなシステムを考えてたら予算がないっていう発言になるんや?それとも、携帯を買ってくれとか通話料を補助してくれとかいう話とセットで陳情したのか?そうだとしてもいまどき携帯の本体の値段など知れているし、バイブのない機種は考えられない(聴覚障害者専用に特殊な端末を用意する必要はない)から、結局やる気の問題じゃないのか?予算は付けるものだ。わずかな予算も付けないということは、災害が起きたら障害者は死んでくれという意味になるんだが。
はじめまして。横レスです。
Makichan wrote:
>私は今の精神医学が気にいらないんですね。なぜかというに、ASとかADHDとかあるいは分裂病とか、患者さんを、あたかも昆虫採集で捕まえた虫をピンでとめるかのように、一方的にレッテル張りするきらいが有るからです。全ての医者が というわけじゃないですがね。
アイもそう思う。人間を分類するのに、肌の色や身長や体重や使用言語で分類するならまだわかる。でも精神医学の場合はわけわからん。根拠は医者の診断か? 百人の医者のうちどれくらいの医者が同じ診断をくだすものなんだろうかと考えると、信用できない。
それにレッテルというものは、往々にして優越感に浸るか貶めるのに使われるような気がする。どっちが上でどっちが下みたいな。レッテルはある一面を表したに過ぎないのに、それが人間全体の評価と錯覚される。
Makichan wrote:
>私が言いたかったのは、観察する対象としての我々と、観察者の医者とが干渉していないと言う事なんです。(口まねしてすみません。このセリフとても気に入ったんです。)医者の方が、健常者の方が、もっとこちら側にすりよってきてくれてもいいんじゃないかと思うんですね。我々から学べることきっとあるはずです。こういう分析的知性は本来欧米人のもので、日本人は元来もっとおおらかで共感力あったんじゃないかと思うんですけどねぇ。
失礼だけど、Makichan も人間を分類しているという点では医者とあまり変わらんような気がする。ゴメンね。健常者と障害者という分類は単なる幻想だと思うよ。自分を障害者と位置付けてその点ばかり見るのは、罠にはまるのと同じことじゃない?
Makichan wrote:
>こういう分析的知性は本来欧米人のもので、日本人は元来もっとおおらかで共感力あったんじゃないかと思うんですけどねぇ。
共感力のある人間が増えるとよいなあ、という意味なら反対。共感は結局のところ誤解でしかないから。
マザーさん、こんばんわ。どうも失礼なコメントばかりですみません。
マザーさん wrote:
>くるとさんが望まれる指導者の理想像は、親の立場の私にはありがたい存在
>だと思えるけど、子供には窮屈を強いられそうな気もします・・・・・。
そう思われましたか?わたしの方はどちらかと言うと障害者本人の立場から
コメントしたつもりだったのですが…。
で、「押しつけ」の問題について言えば、ズンドロという心理学者が問題を
指摘しています。全体的に心理学の支援プログラムは通常の教育よりも管理的
(おしつけ)になってしまうんだそうです。発達障害児の支援プログラムもま
た例外ではありません。(これほど子供のことをすみからすみまで観察してし
まう管理教育はないかもしれない)
じっさい、わたしは発達障害児の支援は大切だと思いますが、わたしがその
ような支援を受けたかったどうかは疑問です。
> 人は相手の人が、心を開いて悩みを打ち明けてくれない限り表面だけで
>判断してしまうのではないでしょうか。もしかするとくるとさんの悩みが
>周囲の人たちにうまく伝わっていないのかもしれませんね。
(中略)
>というより今のくるとさんが、苦しんでいるのは周囲の人達の無理解ではな
>く自分自身に対してのような気がします。ありのままの自分をさらけ出した
>い欲望に苦しんでおられるような気がします。
これについては若干の検討を要します。
まず、第1にわたしは悩むことや苦しむことにそれほど抵抗感を持っていま
せん。長い不適応の時期が終わった時、わたしは悩みや苦しみがなくなった訳
ではありません。悩みや苦しみとうまくつきあっていけるようになっただけで
す。そして、現在ではむしろ適度に不調和感や違和感を持っている状態の方が
生きやすくなっています。それどころか、わたしが抱えている不調和感や違和
感はわたしが生きていくうえで不可欠なものです。ですから、わたしは自分の
悩みや苦しみについてはあまり他人に取り除いてもらおうと考えたことはあり
ません。悩みや苦しみを保留して徹底的に考えていくことこそが、自分の成長
につながると考えています。
ですから、わたしが悩みを他人に語る場合は、その問題を違う角度から検討
してもらうことを期待しているのですが、多くの人は「悩みや苦しみを軽減し
よう」と反応してしまいます。そのためにわたしと周囲の人間は同じ土俵に立
って話をすることができず、けっきょく話がすれ違ってしまうだけなのです。
これはわたしと周囲の人間どちらかに非があるのではなく、単なる感覚の不一
致だと思ってます。
この点は周囲の人間にはきちんと説明しているのですが、なかなか意図が理
解されないみたいです。今回コメントした「所属」の問題もその延長線上にあ
ります。この件については相談する相手を選んで、それ以外の人に対しては沈
黙するしかないのかな、と思っています。
武田好史さん wrote:
> 健常者が自閉症の人を見た時の特長として、ノースカロライナ州の自閉症協会があげているものを以下に記します。
>
>1.通常の教育方法にはのらない
>
>2.不適切な笑いやくすくす笑いをする
>
>3.「どこへいくの?」と聞かれて「どこへいくの」と答えるようなオウム替えし
>
>4.耳が聞こえないような振る舞いをする
>
>5.明かな危険に対して恐怖心を示さない
>
>6.痛みに対して鈍感
>
>7.泣き叫びやかんしゃくを起こす
>
>8.物をくるくる回す
>
>9.あやしても反応がない
>
>10.おかしな遊びに没頭する
>
>11.他の子どもたちと一緒に遊べない
>
>12.日課や習慣を変えることに抵抗を示す
>
>13.視線が合わない
>
>14.冷淡な態度を示す
>
>15.ブロック積みはできてもボールけりをしない(粗大運動と微細運動にアンバランスがある)
>
>16.物に不適切な愛着を示す
>
>17.非常に多動だったり極端に受け身だったりする
わしの場合、
幼少期にあてはまったもの 2,3,7,8,10,11,13,15,16,17
現在でもあてはまるもの 2,8,10,13,17
です。ただしこれは周囲からの指摘で、自分が気づいたことです。
歳を経るにつれ、当てはまる項目が半分になっているということは、社会に対応する能力が身についたと言うことでしょうか。
> またそういう行動をしているひとは、何故そうしてしまうのでしょうか?
残念ながらわしにはわかりません。
それにしても、幼少期にこれだけ当てはまるということは、当時AS診断が確立されていたなら、AS(あるいは高機能自閉症)と診断されていたでしょう。
今はもう該当項目が少なくなって、ASと診断を受けるのは難しいことでしょう。
あらためて正確な診断機関の普及を望む ミッドランド
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