アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
某所で恐竜展示を見に行って来ました。楽しかった!!!
骨好きな私...。
konetama wrote:
>こんばんわ。はじめまして。ADD LD 非言語性LDのkonetamaといいます。
>こちらの掲示板はいつもロム専門なのですが、みなさんがとても丁寧な事と、みな>さんの知識が豊富ということ、頭が下がります。とても私個人感謝しております。
こんにちは。質問ばかりのペシミスト、Tienです。私なんか見ていただいたら
分かりますが、くだらない拙問専門です。でも周りに相談できる(アスペ関係の事を)なかなかいないので、ここは私のオアシス♪です。
私が言える立場なんかではないのですが、困った時はお互い様で、助け合いましょう。またおいでください☆
Makichanさん wrote:
> ネチケットに反するのだったらゴメンナサイ。
いえいえ、全然!(笑)
> ただ医学的解釈体系というのもないように思えます。医師の見解の相違とい
>うのが大きすぎます。医学会自体混乱してるんじゃないですか。そうとしか思
>えない。
全くない訳ではなくて、どの範囲までを障害と認定するのかについて、合意
がないということだと思います。いちおう、現行のASの診断基準はほとんど
の専門家が把握しているでしょう。
> そんな感じしますね。今の医者見てると。ビジネスマンが営業努力するのと
>同じ感じですかね。(例えが悪いかなあ。笑)
成人本人が発達障害の診断を受けに行くのはまさに営業努力が必要です。面
接や商談をしにいくぐらいの準備が必要だし(笑)
> 私は大雑把な人間ですから、こんなふうにしか言えないんですが、医学的で
>あれ、哲学的・倫理的であれ、解釈体系つくること自体無理だし、しない方が
>むしろいいのかなあって思ってるんです。いかなる定義づけをしてもいつか訂
>正修正する時が来ると思うんです。
修正されることは別に構わないんです。じっさい、哲学的な学説のほとんど
はその後、本人によって否定されていますから。全ての解釈体系はあくまでた
たき台としての意味を持っていると思います。
例えば、現行のAS,LDの説明にはまだ欠陥がたくさんあります。でも、
「知的障害を伴なわない発達障害者」という問題を提起した点はやはり大きな
功績だと思います。
pocksさん wrote:
>小学生のころ特殊学級に行けとののしられて涙していた私ですが、ここのとこ
>ろ、「知的障害を見下す価値観」にしっかり巻き込まれていたことがフラッシ
>ュバックしていて心が悲鳴を上げています。
わたしもPTAで級友の保護者からよくそんな風に言われていたみたいです。
でも、言語IQだけは平均以上だったので、当時の規定では特殊学級に行くこと
ができなかった…。で、今じゃ障害がなかったことのように扱われてしまう。な
んか理不尽です。
konetamaさん wrote:
>こんばんわ。はじめまして。ADD LD 非言語性LDのkonetamaといいます。
わ〜、konetamaさん、こちらでもよろしくです。(喜)
>上手く表現する事が苦手ではありますが、もし皆さんが、よろしかったら、
>こちらにも書き込みをちょくちょくさせていただきたいのですが、
>ご了承を得たく、書き込みしました。
ここは特に了承というのはないみたいです。(笑)とりあえず、関心のあ
る人は誰でも書きこんでいるという状態です。
Makichanさん wrote:
> 途中で文章ぶち切ってすみません。「医学的に認められた障害に分類(診断
>)された人が障害者」というところがひっかかるんです。20年の通院経験上
>感じるんですが、診断基準というのは医師によってかなり違うんですよ。
ふたつの原因があります。
(1)この20年間の間に主要な診断基準(WHOとアメリカ精神医学会)の
基準が何度か変わっている
(2)Makichanさんが指摘するように、どの範囲までをASとするの
かについては合意がない
このうち(1)の問題はわたしには深刻でした。わたしが子供の時には知的
障害がない限り発達障害の診断がされなかったのですが、現在ある特異性発達
障害やASならば診断基準を満たしていた可能性があります。つまり、かつて
の発達障害の診断基準には当てはまらないが、今の基準には当てはまるという
人がたくさんいる訳です。
(2)も当然のことながら問題です。検査をした医療機関によって、同じぐ
らいの困難を抱えている人が診断されたりされなかったりするのはやはりおか
しいと思います。
>そんなこと聞いてどうするんだなんて言われ、そりゃ自分におこった異変は
>なんなのか知りたいでしょう、と答えたら今の医学界は過渡期にあると一言
>でいわれました。まあ自分自身周りを見渡したらそのとおりだなと思ってい
>ます。(無茶苦茶な句読点の打ち方ですみません。)ただ学会が混乱してた
>ら患者さんの方も混乱すると思うんですね。
もちろん、この世界の診断基準がうつろいやすいのは確かですが、それは
ひとまず現行の診断基準通りに診断しておけば済む問題です。そして診断基
準が変わって、その患者が別の診断基準に該当するということになれば、そ
のことを書き加えておけば問題なかろうと思います。
患者が一生つきあっていく障害がなんであるかを教えないのは、本人に出
発点を与えないという意味ですごく問題です。
> こんな時は知的障害を見下す価値観に巻きこまれないようにすることが大切
>です。
小学生のころ特殊学級に行けとののしられて涙していた私ですが、ここのところ、「知的障害を見下す価値観」にしっかり巻き込まれていたことがフラッシュバックしていて心が悲鳴を上げています。
(この話題がきっかけでフラッシュバックが起きているわけではありません。)
> たとえば、「いじめ」に関しても、親や教師に訴えたとしても、ほとんどの場
>合、解決はしないわけです。むしろその結果は、親や教師からは非難され、いじめ
>は激化するという、より悲惨なものだったりします。
> このように、「他人に頼ること」に対して絶望しちゃった人間は、「冷淡な態度
>を示す(14)」ように見えるでしょうし、
一見説得力のある説明ですが、このポイントは疑問があります。
この(14)に対する説明は、自閉症ではなく情緒障害に対応するはずです。
覗き趣味の下劣なワイドショーが視聴率をあげる(支持される)ことからもわかるように、非自閉者には、他人のことに異常に強い興味を示す(自閉者比)という特性があります。
対して自閉者の興味の持ち方はヒトにもモノにも中立的ですから、非自閉者から見れば自閉者は「冷淡な態度を示す」ように見えることになります。
このことに関してはドナ・ウィリアムズさんの「自閉症だったわたしへ」冒頭の兄妹一緒に写った写真における彼女の兄の態度に付けられた解説が参考になるでしょう。
くるとさんレスありがとうです。
くるとさん wrote:
> おんや???このスレッドになぜかわたしの名前がでてきているど〜
ネチケットに反するのだったらゴメンナサイ。
>(YANさんのコメント)
>
>>失礼だけど、Makichan も人間を分類しているという点では医者とあまり変
>>わらんような気がする。ゴメンね。健常者と障害者という分類は単なる幻想
>>だと思うよ。
>
> 正確に言えば、現在の医学の解釈体系では説明しきれていないということ
>だと思います。夜と昼が同じではないように障害者と健常者にも違いはあり
>ます。ただし
>
>(1)その分け方が恣意的だ
>(2)どちらにも分類できない人が多数存在する
>(3)一方的な分類だ
>
>という批判なら正しいと思います。特に(2)は軽度発達障害や人格障害の
>世界のことを考えるうえで重要だと思います。
全くそのとうりだと思います。
>
> また、医学的分類をくつがえすためには、医学以外の解釈体系で説明して
>いかなければならないのですが、まだ全ての人に承認されるような医学以外
>の解釈体系はありません。
そのとうりだと思います。
確かにわたし自身も医学的評価から離れてASに
>ついて語っていきたいとは思っているのですが。でも、AS概念自体がすで
>に医学的解釈体系の手のうちにあります。
ただ医学的解釈体系というのもないように思えます。医師の見解の相違というの
が大きすぎます。医学会自体混乱してるんじゃないですか。そうとしか思えない。
>(Makichanさんのコメント)
>
>> 私はくるとさんとは逆で、社会からの援助(つまりは年金)は得られたら
>>いいなと思っていますが、その実障害者呼ばわりされるのは嫌だなあ、なん
>>てムシのいいこと考えてますね。
>
> でも、社会から援助を引き出すって、自分が障害者であることを強くアピ
>ールする必要があるんですよね〜。以前いたボランティア先でも障害者手帳
>を取得したり、年金がとれるようになるために涙ぐましい努力をしている保
>護者の方がいました。
そんな感じしますね。今の医者見てると。ビジネスマンが営業努力するのと
同じ感じですかね。(例えが悪いかなあ。笑)
>
>(YANさんのコメント)
>
>>自分を障害者と位置付けてその点ばかり見るのは、罠にはまるのと同じこと
>>じゃない?
>
> これはむしろ所属とかアイデンティティーの問題ではないでしょうか?「
>罠にはまる」というのであれば、まさに前述したように医学から離れた独自
>の解釈体系を作ってコメントをしていくしかないでしょうね。
>
> でも、これはけっこう骨が折れます。わたしがコメントしていても思うの
>ですが、医学的解釈から逸脱したことをコメントするとけっこう反発を受け
>ますしね。ついでに言えば、医学以外の解釈体系というのは、それが他の人
>に通じるようになるまで、長い年月を必要とします。
>
> で、わたしとしては、医学的な説明を援用しながら説明していくという形
>をとらざるを得ない場合が多いです。哲学的・倫理学的解釈を援用して説明
>してもいいのですが、たぶん話が通じにくくなると思われます。
少し意見のべさせていただきます。
私は大雑把な人間ですから、こんなふうにしか言えないんですが、医学的で
あれ、哲学的・倫理的であれ、解釈体系つくること自体無理だし、しない方が
むしろいいのかなあって思ってるんです。いかなる定義づけをしてもいつか訂正
修正する時が来ると思うんです。修正の都度混乱まねいてたんじゃかなわないで
すよ。それなら初めからないほうが・・。さらに暴論カマシますが、精神医学は結局医師個人の名人芸に頼るしかないんじゃないかしらん思います。相性もあるし。
あ〜またまとまらない。
くるとさんの障害者教育のお話非常におもしろく拝見してるんです。なんだかんだ言っても私の周囲にいる「障害者」らしき人の中では、私自身が一番重症のように思えます。そんなのが他者をどうのこうのいっても・・・。その点くるとさんはいろんな人みてるわけで、その分相対化して見られますから。
もう遅くなったので寝ます。また相手してくださいね。ではまた。
こんばんわ。はじめまして。ADD LD 非言語性LDのkonetamaといいます。
こちらの掲示板はいつもロム専門なのですが、みなさんがとても丁寧な事と、みなさんの知識が豊富ということ、頭が下がります。
とても私個人感謝しております。
ありがとうございます。
上手く表現する事が苦手ではありますが、もし皆さんが、よろしかったら、
こちらにも書き込みをちょくちょくさせていただきたいのですが、
ご了承を得たく、書き込みしました。
では。
Yanさん wrote:
>
>むむむっ。障害者と呼ばれる人がいることも、精神病院というものが現実にあることも知ってる。DSMも知ってる。だから現存する分類そのものは幻想じゃない。その点は認めます。
>ある人が障害者かどうか区別するのは簡単。障害があって、その障害が社会的に認められれば障害者。別の言い方をすれば、医学的に認められた障害に分類(診断)された人が障害者。
>新しい病名を作って、患者を増やして、業界全体の規模を大きくしようという魂胆ではないかと、邪推したことがあります。でもそれによって、今まで自分は健康で普通なんだと考えていた人が、自分にも少しおかしなところがあるかもしれないと考えるかもしれない。だったらよい面もあるのかなとも思った。自分のことをよりよく知るきっかけになるだろうから。そしたら安易に障害者に対して優越感を持てなくなる。
またお話できて嬉しいです。
途中で文章ぶち切ってすみません。「医学的に認められた障害に分類(診断)された人が障害者」というところがひっかかるんです。20年の通院経験上感じるんですが、診断基準というのは医師によってかなり違うんですよ。今の精神医学会にオーソリティはないに等しんじゃないかとさえ思います。今掛かりつけの医者はウタ・フリスの「アスペルガー=自閉症ー言語障害」という定義は無茶だと言い切っています。昔の話ですが、私の症名はなにか聞いたら(どういうことがあったかは
少し前に書きましたがナンバー今探せません)そんなこと聞いてどうするんだなんて言われ、そりゃ自分におこった異変はなんなのか知りたいでしょう、と答えたら
今の医学界は過渡期にあると一言でいわれました。まあ自分自身周りを見渡したら
そのとおりだなと思っています。(無茶苦茶な句読点の打ち方ですみません。)ただ学会が混乱してたら患者さんの方も混乱すると思うんですね。先のカキコでも言いたかったのはそのことなんです。
Yanさんの以下のお言葉は、全くそのとうりだと思います。きょうは時間ないので
このぐらいにします。ではまた。
シュッツ wrote:
>前にNo.5867で書いた私の考えを、もう一度別の例で書いてみます。
>
>Yan wrote:
>
>>Makichan wrote:
>>>ASは先天性の障害だとされています。そういう人もいるんでしょうが、私や私の知り合いを見る限り、後天的要因つまりは社会的背景もあるんじゃないかというのが私の意見なんです。(そういうのをASとは言わないんだと言われればそれまでですが。)
>>
>>先天性と後天性の区別は、困ってる人にとっては何の意味もないです。
>
>外から分かる、肉体的な病気で例えます。
>頭痛の時に、軽い症状ならば市販の鎮痛剤を飲んで直ることも多いでしょう。
>これは対症療法です。
>これを心の話に当てはめれば:
>>先天性と後天性の区別は、困ってる人にとっては何の意味もないです。
>ということに相当すると思います。
>
>しかし、症状が重いときなどに、その原因から根本的に直したいとします。
>単に頭痛といっても原因は一つではなく、代表的なものとしては偏頭痛と筋肉性頭痛があります。
>この二つは、使用する薬も違うし、(どっちがどっちだか忘れましたが)冷やすと軽くなるものと、暖めると軽くなるものという違いもあります。
>このように、原因の違いで対処を変えた方がいい場合もあります。
>これを心に当てはめれば、先天性と後天性を区別することに相当すると思います。
>
>ただし、先天性と後天性のそれぞれに合った対処法が確立しているかどうかはまた別問題で、現時点ではそこまで医療が進んでいないのではないでしょうか。
>だから、取りあえず両者をあまり区別することなく対応するのが現状で、それを区別するのはこれからの研究課題だと考えます。
レスありがとうございます。後日お返事したいです。今日は考えまとまりません。
シュッツさん wrote:
>困りました。
>私の文章が下手なのか、Mariaさんの文章を読み取れないのか、
>議論の対象が別のことになっているように思えます。
>意味がよくわからないです。
えー、シュッツさんにはあたしの個人的な事情によりご迷惑をおかけしたようで、まず最初にその件について謝罪をしておきたいと思います。ごめんなさい。ぺこぺこ。
まずもって問題なのが、『「心の理論」よりも「感情による推論」のほうが、人間の行動をより適確かつ容易に推測しうる』というあたしの主張について、あたしが説明をサボッていたということなのですね。でまあ、話は横道に逸れてしまうのだけど、まずあたしの主張を簡単に述べておきます。
ノアム・チョムスキー(本当はホムスキー。本人がそう言ってた)というひとが、「言語の生得説」ということを主張しています。
人間が普通に喋ってる言葉というのは、省略だの音韻による崩れだのといった「雑音」をたっぷりと含んでいるため、その中から理論によって「文法」を抽出することは非常に困難なわけですね。だからこそ、「文法学者」なんていうものが「文法」を研究していたりなんかもする訳です。「あんた、普通に日本語喋ってんだからさぁ、日本語の文法解ってんでしょ? だったら分りやすく説明してよ」と言われて説明できる人って、いないんですよ。
そんなわけで、人間は決して「データとして与えられた会話から、文法を抽出している」わけではなくて、「すでに文法の雛形を身につけていて、それを現実の会話をうまく説明するようにモディファイしている」のではないか、ということが考えられるわけ。つまり、人間は生まれながらに「汎文法(コモン・グラマー。CGと略します)」というものを身につけているのだと。
で、「心の理論」というのは、言語学でいう「獲得説」に相当し、あたしの支持する(アージ理論などを含めた)「感情による推論」は「生得説」に相当するわけです。つまり、人間が生まれながらに「感情の文法」を持っているのだと。
ところが人間の場合、この「感情の文法」というものが、「文化」というものにくるまれて、見えにくくなっているのだと。で、その「文化」に相当するものが、「自我の形成」であり、それを形作る力というのが、いわばフェスティンガー防衛機構なのだと。こういうことなわけですね。
で、非・自閉症方面の人間と自閉症方面の人間の差は、フェスティンガー防衛機構にかかわる部分の理解の度合の差なんではないか、という気はするのですよ。
でまあ、「感情による推論」に関してはまたしても説明をサボッてしまうのだけど、少なくとも非・自閉症方面の人間が「心の理論」のような形では人間の行動予測をしていないのではないだろうか、というのは確からしいとあたしは判断したのね。
で、それに対して
シュッツさん wrote(in No.6615):
>例えばMariaさんが支持しているアージ理論も、私には「思いつき」に見えて
>しまいます。
という発言があったので、あたしは「シュッツさんはあたしが<思いつき>で発言をするような人間だと判断している」と解釈し、研究者としてのプライドをいたく傷つけられたわけです。「どうせ思いつきで喋ってるんだろ?」とか思われてしまったら、評価を受けることができなくなってしまいますから。
まあ、べつに『アスペルガーの館の掲示板』は学術専門誌でもなければ学会誌でもないんだから、思いつきで喋ってると思われようがなんだろうが関係ないんだろうけどさぁ、やっぱり「藁にもすがる思いでこの『アスペルガーの館』を訪れる人がいらっしゃるのだから、ちゃんとしたことを書かねばならない」と思ってカキコをしておるわけです。で、そういう私としては、ちょっとめげてしまったのですね。
だけど、これは単にあたしが研究者の立場で発言しているというあたし自身の問題であって、たとえばアスペっ子のお母さまがたが、「これって、こういうことなんじゃないの?」みたいな形でご自分の見解を発表なさるというのはむしろ奨励されるべきことだし、あたしはそれをフォローする側に回るわけです。
自閉症方面に関わる人間は、現在のところ、誰もがかなり専門的な分野に踏みこまざるを得ない状況にあります。『ガイドブック アスペルガー症候群』にしたって、決して分りやすい本ではありません! だから、すべての人に研究者レベルの検討を要求する訳にはゆかないわけです。そこで、
> ただし、これはあくまであたしの態度であって、他人に期待はしても要求は
>できない性質のものだとも思ってます。
ということになるわけです。
……とまあ、ここまでは周知の話なんだけど、同時にここまでの話は白Mariaさん状態で喋ってたりするわけです。
で、黒Mariaさん状態で言わせていただいちゃうんだけど(←「いや、許さない。言うな」とか言われても黒Mariaさんだからやっぱり言う)、衒学的なというか、ペダンチックなというか、そういう自分の教養学識を見せびらかすような物言いというのは、本人がそのいやらしさと滑稽さを十分承知のうえで、しかもそれが解る人の前でやっちゃうんならまだ洒落で済むんだけど(←「いや、済まさない」とか言われても無理矢理済ませてしまうぞ)、素人さん相手にマジでやられると、でけー面してんじゃねーよこの半可通の似非インテリが、げしげし、とかいって足蹴にしてやりたくなるのですね。
でもまあそれに対して正面切って喧嘩売っても「まぁ、なんと大人気(「だいにんき」ではなく「おとなげ」)ない」とか言われちゃうし、「見苦しい」とかも言われそうだから、知らんぷりして「あんた本当に自分の言ってることちゃんと把握してるぅ?」という秘めたメッセージを托して「あんたの言ってることボロボロじゃん」という反論をぶつけてしまいたくなるのですよ、あたしは。
そんでもって、その時にシュッツさんが「思いつき」なる言葉をあたしにぶつけてきた(ように見えた)もんだから、ちょっとカチンと来てしまったわけです。
で、反論された相手があたしの「悪意」をしっかりと受けとめて、なおかつその「悪意」を表に出さずに反撃してくると、世にも陰険な漫才が始まってしまって非常にオモロカシイ状態になるわけです(←毎度毎度引き合いに出して申し訳ないけどXanadiiさんとかこういうの好きそう)。
で、その『そこはかとない「悪意」』が、
>べつにひま人さんやシュッツさんがそうだと決めつけるつもりはありませんが、
>ねっ。
といった物言いに表れているのですね。
とはいえ、この「悪意」というものが、しばしば通じなかったりするわけですね。なにしろ、「てめーは俺に喧嘩売ってんのかよ(-_-X)」「あーら、そういうふうに読めまして?(-_^)b」みたいな陰険な関係を想定しておりますので、どうしても婉曲な表現になってしまうわけです。
だもんだから、
>それでここへのつながりがよく分からないし、この文章だけ取り出しても、
>字面の意味は分かりますが、話の内容にどう絡んでくるかが読み取れない
>です。
みたいな話にもなってしまうのですね。
たとえば、外交交渉なんかにおいては、あくまで「友好的関係」を結びつつも「不快感」を相手方に伝えなければならない、みたいな事態がしばしば出来(しゅったい)します。そんなわけで、「遺憾に思う」とか「懸念する」とかいった、なんだかよくわからない言葉が頻繁に使われたりするのだな。ところが、相手が中国人だとかロシア人だとかアメリカ人だとかだと、こっちが「オメーラえーかげんにせんといーかげんこっちもブチ切れるかんね」というメッセージを出しまくってるのにそれに気がつかなくて(気がつかないフリをしてるだけかも知れないけど)、強気でゴリゴリ押してきたあげく最後の藁の一本(“last straw”で辞書を引いてね)を積んでしまって、ABCD包囲網とかハル・ノートとか国際連盟脱退とかパールハーバーとかいう話になってしまうわけであります。考えたら「最近の若者はキれやすい」とか言ってる大人って、そういう「隠れたメッセージ」に鈍感なだけじゃないんだろーか、とか思いますね。
そんなわけで、
>昔から国語の成績が悪かったです。
といったところに逃げこんでしまってはいけないのですよ(←シュッツさんにしてみれば、べつに「逃げこんで」いるつもりはないのでしょうけど)。
「敵か味方か」みたいな二分法というのは、かなり幼稚な発想なのね。子供が人間を善人と悪人のどちらかに分類したがるのと同じことです。あたしは「敵」にあたる交渉の相手方にしばしば味方を見つけ、逆に「味方」に背中から撃たれるような経験をしています。
シュッツさんがASかどうかはさておいて、自閉症方面の人間は、利害関係において個人的な好き嫌いを横に置いて、人間関係を操作的に考えることに長けているように思います。そうした「老獪さ」「陰険さ」を身につけておくのも、悪くありませんよ。
(Maria)
ミッドランドです。
このたび、わしの地元・岡山でのAS本人のメーリングリストを立ち上げました。ML名は
「ASソサエティ岡山」
です。興味がある方、参加したいとお思いの方は、わしに直接メールを送ってください。(↓)
nariwata@mti.biglobe.ne.jp
ちなみに現在の参加人数は、わしを含めて3人です。
> 気に病むこたない。「男は存在そのものが暴力」なんだって、女は知ってるからね。ただ、「尊敬されることと怖がられることはまったくの別物」ってことだけは、いくらLDでも、覚えておきなすったほうがいいかも。クマやゴリラみたいに、アタマ悪くて何してくるか分からないっていう恐怖と、一緒にされている人物の見苦しさっていうのは、けっこうな見ものだから、私個人としてはそういう人間もいてほしいんだけどね。自分より弱い人間を見逃さないやつらっているよな。そういう馬鹿にだけはなってほしくないんだよね。以上、若きミュージシャン、シンタロウ君へ。
そうそう俺だって、昔いたいけない子猫を二匹殺したな。
未だに悔やんでいる。
悪事は悔やみに寄ってしか、やめられないものなんだよ!
>
> 都市部に住んでいるとむずかしいですが、たとえば防音設備の整ったスタジオを借りきって楽器を思い切り弾きながら歌うとかもできるのでは?
> 田舎だと山や川、あるいは海辺で人の来ないところを探して、叫びながら石を投げるとかできるんですけどね。←人に見られて何か言われても気にしません。「ストレスの発散してるんですから、ほっといてください!」と言い返します。
>
> 雨降りの夜中に道を歩き続けて、車が来ないことを確かめてから十字路に大の字に寝転がったこともあったっけなぁ……。目や耳にびしゃびしゃと泥はねが入ってきて、こんちくしょうと思ったっけ(ははは)
>
俺は学生の頃、好きだった女の子に冷たくされて、むしゃくやして寒空の中を海沿いの道を走っていったことがあったな・・・
帰りに見た星空がきれいだったな。
その道には、今台風からの暴浪が打ち付けているだろうな。
みんな、あまりおもしろい事書きすぎないでくれ〜。
書いてあれば、読んでしまうし、レスしてしまうし、クラッシュ寸前だ。
自分の書きたかったこと、忘れてしまうでないの。
一穂さんへ。“ざなでぃ”と読みます。ふつう読めないだろうし、キーボードの扱いの不得手な人々には、入力する場合酷だろうし、そろそろHN変えようかと思ってはや36年。ウソつけ(でもいつかは現実になりそうな気も...)。
大槻いつきさんへ。お久し振りです。って忘れられてるか。もし、御用とお急ぎでないときで結構ですので、“外郎売り”全文掲載していただければ...って、わりかしトンデモな要求かも?
ちなみにXanadiiは、印刷会社のオペレーター時代、入力速度は、調子のよいときで3,600w/hでありました(ローマ字入力時)。4000字の壁は私にとっては高いっす。まあ入力が速くても、“正確さ”の方がはるかに大事ではあるな。
シンタロウ wrote:
>
> 僕は最近、自分が行為障害ではないかと思うようになりました。
>僕は中学生のころナイフを振り回したり、万引きや窃盗をしたり、親の財布から金を盗んだり、物を破壊したり、大きな声で叫んだり、親に反抗的になったり、悪口を言われたら鋭い目つきで相手をにらみつけたり、殴られたら相手に殴りかえしたり、いろんなことをしてきました。
> LDの二次障害として行為障害があると聞いたことがあります。僕は行為障害ではないかと思ってます。
もともとオスっていう生き物は、無意識の領域で「暴力」に全幅の信頼を置きすぎている傾向があると思うんだよね。「乗り越えられない」と感じる事柄に対して、暴力ですべてを突き抜けよう、突き抜けることができるんじゃないかっていう、最後の希望みたいのが。ポジティヴなようでいて破局的ではある。
ま、「万引き」の快感ってやつは、私も味わったことがあります。あ、いままでの人生でたったの4回のうちの1回だけだぞ!(「たったの」って、そういうのを五十歩百歩という)なんだか「そうか!これでよかったんだ!常識をレイプしてやったぜい。ひゃっほう」って、あの一種すがすがしいまでの開放感ね。まあ愚かですわな。
気に病むこたない。「男は存在そのものが暴力」なんだって、女は知ってるからね。ただ、「尊敬されることと怖がられることはまったくの別物」ってことだけは、いくらLDでも、覚えておきなすったほうがいいかも。クマやゴリラみたいに、アタマ悪くて何してくるか分からないっていう恐怖と、一緒にされている人物の見苦しさっていうのは、けっこうな見ものだから、私個人としてはそういう人間もいてほしいんだけどね。自分より弱い人間を見逃さないやつらっているよな。そういう馬鹿にだけはなってほしくないんだよね。以上、若きミュージシャン、シンタロウ君へ。
Xanadii wrote:
> _____________
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>
>
ひょえー。崩れてる。自分でウケてしまった。枠は気にしないでね。
大丈夫とか言っておれまへんな。
Maria wrote:
> この中の「通常の」「不適切な」「明らかな」「鈍感」「おかしな」「冷淡」といった言葉は、「健常者による評価」です。ですから、これらの「特徴」については、「健常者が自閉症の人を見た時に、『特徴』として捉えるもの」という形で、「自閉症者」の立場で「健常者」の感性を分析する必要があるわけです。
研究者は、「健常」という文字に全幅の信頼を置きすぎてしまっているんだな。彼らの論文を読んでいる内に、何だかまるでこんな風に書いてあるように思えてくるのよねー。“我々は自閉症児Aの片腕を切り落としてみました。彼はひどく痛がっているようでした。しかし、彼の態度を観察しただけでは、ほんとうに苦痛を感じているのかという確信は持てません。なにせ彼らは、我々とは完全に異質な存在なのですから”アスペルガー博士にしたって、彼のような人物でも自閉症児に対しては、しばしばつい憎らしく思えてくることもあったんだろうなー、などと、彼の文脈から邪推をはじめてしまう自分がいる。まさに“偉大なる凡人”が、“天才的白痴”を発見したということか?Bitch Zanadee全開。
>(中略) 自閉症本来のメカニズムに由来するものと考えます。
わかれよぉ。キガクルってやってるんじゃねえんだよ。ってな感じですわな。
> で、最後に気になるのが、これ。
>
>>15.ブロック積みはできてもボールけりをしない(粗大運動と微細運動に
>>アンバランスがある)
>
> けん玉、ジャグリング(お手玉)、ブーメラン、フライングディスク、ダーツといった遊びはたぶん粗大運動に入るのだろうけど、こういうのには適性がありそうに思うんですよね。サッカーのリフティングとか、テニスの壁打ちとか。
自分のとこでも書いたが、投擲系はよくないってこともあります。特にボールの扱いについては。ボールをつかんで、頭の上に振りかぶった瞬間、肩のあたりで“グキッ???”という違和感があって、ポロリと取り落としてしまうの。
> つまり「対人的要素を含む不確定要素が大きく、リアルタイムの判断を要求される競技」、つまり「モノが相手で、考えなくてもできる運動」に対しては強いのではないかと。さらに言うなら、「考えながらする運動」に関しては極端に弱い、ということでもあります。ボーリングだったら一投めはいいんだけど二投めがダメとかね。
「長期にわたる、間断ない集中力」「反射神経」「複雑なルールへの柔軟な対応」への要求が含まれるものは、マスターさせようと思ったら、根気よく、健常者が「これが初歩の初歩、基本の基本」と考えている、さらに前の段階から始めるしかないと思う。私個人の経験を普遍化させるのは危険だが。ボーリングだったら、待ち時間での雑談(観戦)のやりかたとか。「ゲーム終了!」のあと、なぜ人々がすぐ帰ろうとせずいつまでも溜まってべちゃくちゃ喋ったりしているのか、一体全体そんなことの何がおもしろいのか、そういったことに自分はどう対処したらよさそうかってことも何から何まで全部な。
> 「頭が身体を邪魔してしまう」ところが自閉症方面の人間にはあるように思います。いかがなものでしょうか。
「Xanadiiって、鉄板にパンを並べるとき、かならず一度“ウッ”と詰まるよね」と笑われたことがある。認めるのはムカつくけど、まったくその通り。長方形の鉄板に、パン生地を16個、バランス良く熱が通るように並べるにはどうしたら一番よいでしょうか?いちいち考えてからでないと、私の体は動いてくれない。
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こんなのいちいち図示しなくったって、いっぱつでできないの私だけだって(笑)!!
頭がパニクるから体がパニクる。それを体現してきた私としては、とりあえず鈍臭いといわれても、用心深く確認しつつ動くことぐらいかな。死に物狂いでやってやっと人並み以下。ちくしょうなんだけど、まあ悲観しすぎることはありません。自分の“才”を超えたことでなければ、大丈夫いつかは出来るようになりますよ皆さん。
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