アスペルガーの館の掲示板(旧)

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Re: どうして「下ネタ」なのだろうか…… 6901へのコメント
No.6924  Sun, 26 Aug 2001 22:25:45 +0900  Yan [この発言にコメントする]

たしかに名加野さんに「下ネタ」を押し付ける人たちは、何かで傷ついているわけでも、心のケアを親しい人に求めているわけでもないと思われるので、引用箇所の「丸ごとの受容」とは異なります。けれども、お互いに無理を押し付け合うことで保つ共同体意識もあります。(ノーの言えない共同体)

名加野さんが置かれた情況は、他者または共同体意識の「丸ごとの受容」が求められた場面だったのではないでしょうか。そんなとき(またはそのような共同体では)、「筋道を通すコミュニケーション」は嫌われます。「いやだ」とは言えません。他者と違う自己を主張することが悪となります。悪を犯した者は制裁(いじめ)を受けるか、共同体から離脱するかのどっちかです。

ぶっちゃけた話、「なんで人と合わせへんねん、何様のつもり?」ということだと思います。
(ワケありで正真正銘、関東弁と関西弁のバイリンガル)

Maria さんへ、以下の文章を KILROY さんにお伝えください。コード・ネーム「キジ石」。

No.6774 Maria さん wrote:
>もっともKILROYさんは、「砂漠の民は何で尻を拭くのか? 砂だろうか?」みたいな話に「石で拭くのだぁ〜!」とかいったレスをつけてこの『アスペルガーの館の掲示板』にデビューした人だからな。その場の雰囲気に即していれば、まあ許されるかもしれない。

ほんとはサウジアラビアは砂だそうです。小石はエジプト方面みたいです。ごめんなさい、メール出さなくて。本名見た途端にガードが上がっちゃいました。No.6872 3 さんが書いた、

>「普通ではない」という意のレッテルを色々もらってきた自分はガードも堅いし、皆さんもそうなのでは。防御するためにね。

が当たっています。ずっと裏切ったような気がしていました。許してください。解氷期がいずれ来ると思います。それに卒業式なんかされるから、どうやって帰ってきたらいいのかわかりませんでした。あと『自己診断ガイド』、役に立ちました。ありがとうございました。カタレプシーです。分裂病であれば、破瓜型と緊張型の混合のようです。幻覚と幻聴はありません。妄想は罪業妄想が少し。他は今のところ特にありません。主に陰性症状だけです(といっても軽いものです)。でもこの前一度だけ、生れてはじめて幻聴を聞きました。あんなにハッキリと聞こえるものだとは思いませんでした。自分の声でしたよ。何を言ってるのかは聞き取れませんでしたが、なかなかボリュームのある一声でした。あれでは抵抗できませんよね。
精神分裂病はドーパミン受容体に問題があるみたいなので、躁状態と疲労が重なったときに似た症状が出てもおかしくないようです。前回は興奮状態が一ヶ月程続いてほとんど寝られなかったので、醜い書き込みをしてしまいました。御心配かけて申し訳ありませんでした。

No.3490 KILROY さん wrote:
>とはいえ元気んなって帰ってきたら、また容赦なく議論吹っかけるから覚悟しとけ。

あのときは、「その時は、どうぞよろしく」なんて生意気なことを書きました。でも相変わらず一つのことに夢中になると、あっと言う間に時間が経ちます。またおかしくなっても困るし、他にやりたいことも控えているので、掲示板がメインの生活は選びません。でも前みたいに自分のやったことを何もかも無駄だとは思わなくなりました。KILROY さんのおかげです。そしてこの掲示板のみなさんの。ありがとう。
すぐに名乗りでなくてごめんなさい。メールで書くべき内容をここに載せたことも許してください。
(ちなみに生殖器はオス)

精神分裂病って・・・?
http://www6.plala.or.jp/OKANOIE/mental-01.html
妄想の種類
http://bme.ahs.kitasato-u.ac.jp:8080/docs/qrs/psy/psy00013.html
抗精神病薬とは?
http://akatan.cool.ne.jp/major.htm#major
カタレプってるマウス
http://www15.u-page.so-net.ne.jp/pb4/ma37na/vetlab/gazou/cata.htm
引きこもりを再考する(長いので、興味のある方は真ん中当たりを見てください)
http://www15.big.or.jp/~frenz/komatu.html


Re: リンコさんにあえるかも 6922へのコメント
No.6923  Sun, 26 Aug 2001 21:15:20 +0900  niina [この発言にコメントする]

そうそう、「自閉はアイデンティティである・・・」、
私もそう思います。
もっと広く「発達障害はアイデンティティである」と
言い切りましょう!!

私も子供の頃から「変わってる」と言われ続けていて、
私の場合はそれは「私は人とは違う。私は特別な人なんだ」という
ポジティブイメージとして植え付けられた人なんです。
今も「変わってる」という言葉を誉め言葉として受け止めています。
だから、それを生かせる業界に入りました。
と言うか、それしか出来ないというただ一つの能力を生かせる世界が
ここでした。
ただ、ただ、一芸だけで生きています。
(コミュニケーションはぜんぜん・・・、必要最小限しかできません。)

そういうところがリンコさんとリンクしていて、
リンコさんに対する余り嬉しくない発言に反応してしまいました。

「変わってる」ってすばらしいことだよ!!


Re: リンコさんにあえるかも 6919へのコメント
No.6922  Sun, 26 Aug 2001 19:14:07 +0900  Maria [この発言にコメントする]

niinaさん wrote:
>もしかしたら、
>リンコさんのことを「自閉症を克服した人」と思ってる方が
>多くいらっしゃるのでしょうか?

 あたしが経験上学んだことから言えば、あたしたちにとって非常に迷惑なことに、『いわゆる「健常者」』にとって、彼らが「自閉症」とか「アスペルガー症候群」とか呼んでいるものは、あたしたちが苦しんだり悩んだりしなければいけないもので、あたしたちがそれを堪え忍んだり「克服」しようと努力したりしなければいけないものであり、あたしたちが『いわゆる「健常者」』の価値観を受入れ、『いわゆる「健常者」』の「迷惑」でなくなった状態をもって「障害を克服した人」とみなされるようです。

 ↑これはめいっぱい皮肉です。ただし、niinaさんに対しての、ではなく、『いわゆる「健常者」』に対しての、ですが。念のため。

>自閉症って克服する(克服できる)ものではなく、
>一生共存するものです。

 niinaさんが言いたいことは分かるような気がしますが、「共存」という表現には違和感を感じます。たとえば、あたしが「日本人であること」と「共存」しているかと訊かれたとしたら、「『日本人であること』はあたしのアイデンティティの一部だから、『あたしであること』と『日本人であること』が、『共存』しているという考え方はしない」と答えます。

 niinaさんがご自分で、

>リンコさんは自分の才能を生かして、生活してるだけじゃない?
>それって当たり前のことじゃないの。

とおっしゃっている通り、自閉症者が自閉症者なりの生き方で生きてゆくのは当たり前のことです。
 ですが、日本人が日本人なりの価値観を持ち、日本人なりの生き方で国際社会を生きてゆこうとすると、「グローバル・スタンダードに従え」とか言われて攻撃され、「英語の使用」「日本語の処理に向かないオペレーティング・システム」「日本語の表現に適さない文字コード体系」みたいなものを押しつけられてしまうのですね。
 それと同じように、自閉症者が自閉症者なりの価値観を持ち、自閉症者なりに生きてゆくことを、「わがまま」として攻撃する人々というのが存在するわけです。で、あたしはそういう人々を、『いわゆる「健常者」』と呼んでみたりもするのだな。

 『アスペルガーの館』を訪れる方の多くは、「普通」であること、「普通」にすることを要求されてきたと思います。「あんたは<普通>じゃない!」とか、「どうしてあんたは<普通>にできないんだ!」とか言われたことがない人って、少ないんじゃないかな。だけど、「それって、あくまであなたがたの<普通>であって、あたしたちの<普通>じゃないのよ」と反論すると、「なんて<わがまま>なの? みんな、これが<普通>だって言ってるじゃない!」みたいに言われてしまいます。「えー、それって本当に<みんな>なの? 私は<普通>じゃないと思うけど」とかいう人が出てきても、「あんたも<普通>じゃない!」と一蹴されてしまいます。

 で、

>すこし静かになったようなので、奇跡の自閉 ニキリンコさんの救世主をお知ら
>せします。ニキリンコさん翻訳界デビューの立て役者 浅見淳子さん です。
 (中略)
>リンコさんを取り上げたのですから、自閉症の方にも理解の深い方だと思います。
>運がよければ、奇跡の人ニキリンコさんにも会えるかもしれません。

という一文には、あたしの嫌いな『いわゆる「健常者」』が発する腐臭のようなものがそこはかとなく漂っているような気がするのだな。げろげろ(←気持ち悪くなって吐いている)。

>人は人、自分は自分。
>なんでそんなにリンコさんにこだわるのかな?
>うらやましいから? ファンだから?

 上の文章を書いた(と思われる)ちびのはげさんは、たぶん、

1)浅見淳子さんという人が、ヘレン・ケラーに対するサリバンのように、リンコさんを哀れんで、リンコさんが「障害を克服する」手助けをした「ニキリンコさんの救世主」だと思っている
2)リンコさんが『自分が「自閉症」であることを悩み苦しみ、努力をすることで「自閉症」を克服し、さらには健常者の価値観・メンタリティを身につけ、健常者の仲間入りすることができた人』だと信じているのですね。で、あたしたちがそうした(その人が考えている)リンコさんに憧れていると思っており、あたしたちが(その人が考えている)リンコさんのようになることを期待している

のだな。

 まあ、いずれにせよあたしにはあんまり関係のないことです。救世主は個人的にとりあえず間に合ってますから(救世義也(Joshya Xet)氏というのですがね)。大して役には立たないし、かなりオヤジ臭くはあるけれど、『いわゆる「健常者」』が発する腐臭のようなものは、ほとんどしないので。

 なお、ついでに宣伝。救世義也(くせ・よしや)『ふたりで聖書を』(明窓出版、(03)3380-8303)、一六〇〇円、よろしく。出版社に直接申し込むと、送料出版社負担で数日で入手可能、らしい。

 (Maria)


Re: 成人LDの会の新宿オフ会 6903へのコメント
No.6921  Sun, 26 Aug 2001 18:10:44 +0900  くると [この発言にコメントする]

 どもども、武田さん、おこんばんわ。

武田好史さんwrote:
>不肖くると wrote:
>> くるとです。きたる9月2日に成人LDの会のオフ会を開きますので
>>ここに告知します。
>>
>>(集合)JR新宿駅東口改札口前に9月2日(日)AM11:00集合
>>
>> →わたしがエーリッヒフロムの『破壊』という本を持って立っていま
>>  す
(中略)
> 私も参加したいのだが、東口集合だと範囲が広く迷いやすいのでは・・・。
>南口の方がテレビでおなじみだし、範囲も狭いので集合しやすいと思う。

 貴重なアドバイスありがとうございます。待ち合わせ場所については少
し考えてから変更するかどうか決めます。

 新宿というのは待ち合わせ場所に不便します。で、もし参加の場合はこ
の掲示板か成人LDの会のメールアドレスにその旨を明記してコメントを
してください。武田さんの参加を心よりお待ち申し上げます。では


Re: リンコさんにあえるかも 6902へのコメント
No.6919  Sun, 26 Aug 2001 14:59:33 +0900  niina [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>niinaさん wrote:
>>なぜリンコさんが「奇跡の人」なの?
>>ヒニクなのかな?
>
> 映画『奇跡の人』(ヘレン・ケラーの伝記)がヒットして以来、「障害を克服した人」は、「奇跡の人」と呼ばれることになっています。う、うぉ〜たぁ〜。日本では姫川亜弓さんと北島マヤさんがダブル・キャストで演じたヘレン・ケラーが有名。わかんない人は美内すずえさんの『ガラスの仮面』を参照のこと。
>
> (Maria)


リンコさんは自閉症を克服したわけではない。
今もかなり自閉度の高い自閉症者さんですよ。
奇跡の人でもなんでもありません。
だからヒニクなのかと思いました。

もしかしたら、
リンコさんのことを「自閉症を克服した人」と思ってる方が
多くいらっしゃるのでしょうか?
それは間違いですし、そう思われることは
リンコさんにとっては辛いことだと思います。

自閉症って克服する(克服できる)ものではなく、
一生共存するものです。


Re: カナダ・バンクーバー、アスペ事情! 6917へのコメント
No.6918  Sun, 26 Aug 2001 14:26:30 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

まろんす wrote:
>風呂糸さんへ
>
>リポートありがとう。
>フロイトさんはカナダに住んでいるの?
>
>ちなみにアメリカはどーなってるんだろ?
>
>いつか外国のAタイプの方々と交流出来る機会があればいいなあ。
>世界アスペルガ−集会みたいな・・。

 そのうちこのページを見てる人たちと一緒に、U.S.Aのノウスカロライナ州でも見学へ行けたら・・・
こんなことばっか考えてる僕は馬鹿なのだろうか・・・


Re: カナダ・バンクーバー、アスペ事情! 6916へのコメント
No.6917  Sun, 26 Aug 2001 14:20:44 +0900  まろんす [この発言にコメントする]

風呂糸さんへ

リポートありがとう。
フロイトさんはカナダに住んでいるの?

ちなみにアメリカはどーなってるんだろ?

いつか外国のAタイプの方々と交流出来る機会があればいいなあ。
世界アスペルガ−集会みたいな・・。


カナダ・バンクーバー、アスペ事情!
No.6916  Sun, 26 Aug 2001 13:16:54 +0900  風呂糸 [この発言にコメントする]


 こんにちは、風呂糸です。(このHN恥ずかしいですね・・・)
カインの城に出没している者です。(僕は多分アスペ、でも未診断)

先日カナダ・バンクーバーに行った際、現地のアスペ事情を知りたくて、つたない英語で走り回り(疲れた!)発見しました。

最初に電話帖で Autism Society Of British Columbia、オーティズム・ソサエティ・オブ・ブリティッシュコロンビア、
BC州立自閉症協会、 www.autismbc.ca に問い合わせ事務所まで行き、(ヘタな英語で電話しても殆ど理解不能(^^;)) (最初電話したら、犯罪被害者救済センター?みたいのに繋がり大混乱)

自閉症協会の事務所でパンフなどをもらった後、アスペの事を尋ねると、そこの自閉症協会ではアスペは扱っておらず、「アスペのグループが、別に有るよ」と教えてもらい、数日後にワーク・ショップも有るとの事で、早速電話で予約!

そのアスペグループは、「ANCA] ”アンカ”と言う名称で、(何の略か、聞き忘れました。) www.naturallyautistic.com です。(残念ながらHPは9月1日オープン予定で、まだ見られません)

 僕のヘタな英語での電話の応対に出てくれた人は、吃音が有りました。(英語の吃音は初めて聞きました、そんなに違和感なかったです。) ←この文章悪意は有りません。もし不快に思った方がいたらごめんなさい。
(違和感無かったのは自分の英語力のなさ?)
自分のメチャクチャな英語で、何とか予約に成功し、
いざ、当日!

ゴチャゴチャした、バンクーバー・ダウンタウン東部、(バンクーバー市は東部に行くほど、低所得者、移民の人達などの多く住む地域になります。治安も若干、悪くなります)自動車整備工場の2Fにありました。

 ワークショップと聞いていたので、大人数の集会を予想していたのですが、協会側が4人と、参加者の女性1人だったので、少し拍子抜けしましたが、
「小人数なので皆と仲良くなれるな」と思い、うれしくなりました。

僕は簡単な自己紹介して、代表の Leonora、リオノラさん(白人女性35−40才くらい?自身もアスペ、とても陽気でお喋りな人。)が、会のことを紹介してくれました。
その外に会の人で、Rさん、Tさん、S君などが、いました。

最初は雑談などをして、僕の日本でのバイクに乗った写真などを見せたりして和気藹々って感じかな?

でも途中で代表のリオノラさんが、「用事がある」との事で退席し、それから真面目なワークショップ!て感じに、なりました。
もう一人の参加者の女性(ADDだそうです)が、色々自身の置かれた状況なを、相談していました。
僕も、「何か質問は有るか?」とか「日本の状況は?」などと聞かれたりしましたが、いかんせん言葉の壁は、予想以上に厚く(T.T)
しかも、医学的専門用語のオンパレードで、もうお手上げ!!

いくら耳を凝らして聞いてみても、脳味噌をフル回転させても、分からないものは、やっぱり分からない、 
だんだん僕の集中力も切れてきて「あーもういいや」てな感じになりました。
(T_T)
会の人たちも、最初は一生懸命僕に伝えようと努力してくれましたが、お互い伝わらなくて、ストレスばかりが溜まり、最年少18歳位?のS君は、部屋の中を行ったり来たり・・・
終了時間になり、僕は少しガッカリしつつ、会の人とE-mailアドレスなどを交換しました。

リオノラさん以外の人と、話していて余り打ち解けた雰囲気には、なれずに残念でした。
まぁ初対面だったので仕方がないのでしょうか・・・

まだ会が発足して間も無いそうで、事務所内もガランとして、会の方も手探りでやってる、という感じを受けました。

情報面や、自閉症、アスペ関連の団体、グループなどの数は、日本の方がはるかに充実してる、という印象を受けました。

  詳しいことは分かりませんが、おそらく日本に比べ、国や州の福祉のサポートなどはシッカリしていそうなので、そのぶん当事者の団体などが少ないのかなぁ?

カナダは元々人口も少ないので、「こんなもんなのかなー」と少しガッカリ・・・(自分の語学力の無さを棚に上げて・・・何言ってるんだ)
アメリカやヨーロッパの方が色々な団体が有りそうで、尋ねるのはそっちの方が楽しいかもしれませんね。
 まぁ、でも2−3日ネット上で検索して、たいして下調べもせずに、行っただけなので、実際はもっと様々な団体があるかもしれません。

以上、カナダ・バンクーバー、アスペ探索記でした!!!
長文ですいません。


Re: 我考う 故に我無し。 6910へのコメント
No.6915  Sun, 26 Aug 2001 12:45:10 +0900  Yan [この発言にコメントする]

No.6910 Makichan wrote:
>考えてるのは「我」じゃないかも知れません。「他者」かも・・・。

その他者を想定しているのは誰?


科学教育について思ふ。
No.6914  Sun, 26 Aug 2001 12:23:52 +0900  Maria [この発言にコメントする]

 喫茶店で冷水を作るときは、水指しにたぷとぷと水を入れ、そこにがじゃごぼと氷を入れます。(←ちょっと擬音に凝ってみた)

 で、「の」の字を逆順裏返しに描くように水指しを回して水を撹拌するのですが、そうではなくて氷を入れたまま台の上に置いておくと、下から曇りがゆっくりと上がってくるのがわかります。これは、水面に浮いた氷から、摂氏四度の水が一筋の滝のように水指しの底に下りてきて、下からゆっくりと摂氏四度の「滞水層」を作って上がってくるのが見えているのですね。で、これが氷の下面の位置まで上がってきたときに水指しの表面を乾いた布巾で拭くと、今度は上からさらにゆっくりと曇ってゆくのがわかります。これは摂氏零度の水の層です。

 このとき、水面というのは一旦下がり、それからちょっと上がり、氷が溶けきるまでは下がり、氷が溶けおわったらまた上がりはじめる、というちょっと予想外の挙動をしているはずなのですね。もっとも、その割合はごく僅かで、計測できるかどうかも分からないほどなのですが。ですが、とにかくそうなるらしい。

 よく、「コップの中に水を入れ、氷を浮かべます。氷が溶けたら、水面はどうなるでしょうか?」とかいった理科の問題が出されたりするのですが、あれって自然に向けられるべき鋭敏な観察力を鈍らせるという意味で、けっこう粗雑かつ怠惰な発想の産物だと思うのですよ。少なくとも科学的な態度ではありませんね。「水は冷えると収縮する」と考えれば、「下がる」と考えてもおかしくない。「冷却による収縮分は無視できる」とかいうのだと、「何をもって『無視できる』と決めつけられるのか?」みたいな話になっちゃいます。「だいいちコップだって収縮するじゃん。ガラスと水の収縮率ってどっちが大きいんだ?」みたいな話とか、「水が蒸発することだってあると思う」とか、「それ言ったら凝結で空気中の水分がコップに入ってくることだってあるんじゃない?」みたいな話にもなるわけで……で、そういうことをいろいろ考えて、実際に調べ、予想を立て、実験をし、それを確認する……といった行為こそが、「科学」なのだと思うのですね。

 「ゆとり教育の是非」にからんで「教育の効率」みたいなものがいろいろと議論されておるのですが、肝心の「教えるべきこと」の本質をなおざりにして効率は論じられないのね。「ものごとの本質を教えるのには、手間と暇と金がかかる」ということは、主張しておきたいと思います。

 (Maria)


Re: 思いっきり横レスですが 6908へのコメント
No.6913  Sun, 26 Aug 2001 11:47:26 +0900  Maria [この発言にコメントする]

I wrote:
>わかんない人は美内すずえさんの『ガラスの仮面』を参照のこと。

かおりさん wrote:
>これって完結したのですか?

 あれだけ引っ張っておいてエンディングがしょぼかったらがっかりなので、舞台が「紅天女の里」に移ったあたりから読んでいません。「そういうオチかいっ!」とかいって腹の立つ長篇って多いものですから。

 『サザエさん』にしろ『ちびまる子ちゃん』にしろ『ドラえもん』にしろ、主人公が成長しない物語というのは、ずっと読んでいると言いようのない倦怠感に苛まれてしまいます。その点、『のらくろ』はいいかも。

 (Maria)


よこはまC.待合室にて
No.6912  Sun, 26 Aug 2001 09:02:46 +0900  武田好史 [この発言にコメントする]

車押す 姉弟の姿  可愛きや
子どもなる今 光あふれる 


Re: 我考う 故に我無し。 6910へのコメント
No.6911  Sun, 26 Aug 2001 07:14:15 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Makichan wrote:
> デカルトは「我考う 故に我あり」という言葉で自我意識の存在証明をした
>のだと言います。けんどもそれには問題があります。最初に「我」という言葉
>をつけることですでに「我」の存在を規定しているんです。この言葉は同義語
>反復してるにすぎないんですね。「コギト エルゴ スム」を直訳すると「考
>う 故に我あり」になり、これだとなんら論理になりません。考えてるのは
>「我」じゃないかも知れません。「他者」かも・・・。(このあたりはある本
>に書いてあったパクリだけどネタ本教えてあげないよ。ヘヘッ)

 ラテン語にはとてもうれしい動詞の活用(ほくほく)があって、日本語と同じように主語が省略できるのですね。ですから、「コギト・エルゴ・スム」は、「考えるゆえに存在する」となります。つまりこれは「考える→存在する」という「定義」を述べたものと解釈することもできるのですね。とはいえ天下の豪傑デカルト先生の性格からすると、「考える存在としての<われ>がいてるのやぁ〜!」という強烈な自意識があったようにも思いますが。

 で、考えているのは「脳」なのか「思考」そのものなのか、たとえばとんでもないサイズの計算機(宇宙みたいなものを考えてみましょうか)で脳をシミュレートしたときに、「考えている」実態としての私はどこに存在するのか、みたいな話があったりなんかするんですが……これは唯識論(認識論)からいうと、思考そのものが実体なのだ、ということになるし、中間論(存在論)からいうと、存在(色)と相互作用(空)のかかわりの中に存在する、ということになるのですね。

 これは人工知能の世界では『中国人の部屋』という思考実験で論じられておるのですが、ここで解説するとややこしくなるので『ゲーデル・エッシャー・バッハ』(ダグラス・ホフシュタッター)かなんか読んでください。

 で、日本の伝統であるドイツ医学だと、「病因論」の立場を取るので「おかしい」以上は「原因」があるのだぁ、ということになって、やたら学説だとか病名だとかが増えるだけでさっぱり治療に結びつかないことがあり、アメリカ医学だと「病識論」の立場を取るので「とにかく『苦しい』のだから『治す』」という「症状→治療」という立場を取るのですね。これが「症候群」という考え方の基礎になっています。これも「病気」はどこに「ある」のかという解釈の問題ですね。

 とはいえ病識論の立場からいうと本人が苦しくなかったら治さんでえーのと違うか?みたいな話にもなるわけで、軽度のADHDなんていうのはどーせ放っときゃ治るんだから薬(リタリン)で症状を押さえるなんていうのは親や教師のエゴだ、みたいな主張をする人もいます。まあ、全世界のリタリン製造量のうち九割を消費しているといわれるアメリカだから言えることであってね、日本の場合は周囲との軋轢(学校の先生やお姑さんから叱責されるとか)がけっこう深刻なストレスになっちゃうので、母親が潰れちゃわないように子供の症状を薬で押さえる、というありかたは認められましょう。

 今回は言いっぱなしのMariaでした。まる。

 (Maria)


我考う 故に我無し。 6658へのコメント
No.6910  Sun, 26 Aug 2001 04:50:56 +0900  Makichan [この発言にコメントする]


ちょっと前のYanさんのカキコにねちっこく、しつっこくレスさせて頂きます。
 Yanさんは私が言いたい事を、私以上に上手く説明される方なので、私の出番がな
くなったなあと思ってるんですが、あえて・・・。
 
>Makichan wrote:
>>私が先のカキコでいいたかったのは、今の精神医学が、なにひとつこれといった治療法確立していないくせして、むやみに新しい病名をつくるのにやっきになってんじゃないかとい気がして腹立たしい思いがするということなんです。AS的人間を分析するのはいいですが、じゃあどうしたら克服できるのかも同時に考えるべきです。知りたいのはそこんとこです。
>
>新しい病名を作って、患者を増やして、業界全体の規模を大きくしようという魂胆ではないかと、邪推したことがあります。

 私はそういう意味で発言したこと一度も無いんですよ。わたしゃ関西人で、確かに、なんでもお金に換算してしまう癖ありますけどね(笑)。彼ら(一部の医者たち)は良かれと思ってやってるそれは疑ってないです。ただ仕方がどうかなって思っただけです。CHIPさんは私の言葉を誤解したのかなあ。だとしたら言葉に気をつけなあかんなあと思いつつ、かといってカキコ内容薄めたくないしなあというジレンマ感じてるんですね。私もYanさんのフォロー欲しいです(笑)。

>でもそれによって、今まで自分は健康で普通なんだと考えていた人が、自分にも少しおかしなところがあるかもしれないと考えるかもしれない。だったらよい面もあるのかなとも思った。自分のことをよりよく知るきっかけになるだろうから。そしたら安易に障害者に対して優越感を持てなくなる。

 そのとうりだと思います。

>障害が障害なのは、社会の仕組みと偏見によります。治療が必要なのは、障害者ではなくむしろ障害を異端たらしめている社会の方です。

 全くそのとうりだと思います。私がこの掲示板で言いたいのはその一言に尽きます。ですから非Aタイプの人にむしろ言いたいこと多いんですけどね。

>治療というと、今の社会が絶対で、そこからはみ出した者を治療するという風に聞こえる。実際問題としてね、むにゃむにゃ、医者には治せないし、理解できないんじゃないかな。だから薬を出すだけ。後は自力でってことになります。過剰な期待は禁物ではないでしょうか。生き難さを克服する方法を考えるのは自分であって、医者の仕事ではないですよ。

 ここで一言申します。そもそも障害者は自分で自分をHELPできないから障害者
なんだと思うんです。医師に過剰な期待できないなら、できない分をカウンセラー
に期待したらいいのかなあ。それでも克服できないなら自分が、自分の運が悪いと
思うしかないのかなあ。somosomojibunnantearunokanaa・・・。
 
 デカルトは「我考う 故に我あり」という言葉で自我意識の存在証明をしたのだと言います。けんどもそれには問題があります。最初に「我」という言葉をつけることですでに「我」の存在を規定しているんです。この言葉は同義語反復してるに
すぎないんですね。「コギト エルゴ スム」を直訳すると「考う 故に我あり」
になり、これだとなんら論理になりません。考えてるのは「我」じゃないかも知れません。「他者」かも・・・。(このあたりは或本にかいてあったパクリだけどネタ本教えてあげないよ。ヘヘッ)
 今の社会は「我あり」という西欧の発想を基本に発達してきたように思えます。「オレのことを認めろ、そしたらオマエを認めてやる」というところから権利意識が生まれ。民主主義が発達したんでしょう。そのことが法律、経済、科学技術にまで影響されているのが今日の社会です。
 一方東洋では、というか仏教唯識論(仏教二大根本原理のひとつだってサ)では
自我意識より深いところに、自他未分の集団意識があるんだという。そのあたりから輪廻転生の概念につながるらしいけどね。ユングはそれに影響されてか、無意識な集団意識があるといい、ラカンは無意識なんてなくて言葉があるだけで、それが
集団意識をつくってるんだというふうに言ってる。それ以上のことはわたしゃ知らないんだけどね。(どなたか知ってたら教えていただきたいです。)

 自分とはなにか。他者とは。自我意識はほんとにあるものなのか。それとも単なる錯覚か。そのあたりを見直すことで今の社会全体を検証しなおす必要があるように私は思います。時間をかけてゆっくりとですけど。Aタイプ人にはそれができるし、その任を負っているように思うんです。
 めっちゃ飛躍した論理立てになりました。どなたかフォローしていただければうれしいです。

 わたしゃYanさんの言葉に匂い感じるんだわ。昔なつかしいどこかで嗅いだような。それも女性の。クンクン。
>


Re: 創作小話「サリーとアンのないしょ話」 6906へのコメント
No.6909  Sun, 26 Aug 2001 01:48:11 +0900  みき [この発言にコメントする]

ミッドランド wrote:
>S「話は変わるけど、ASであることって、子供のときに本人に知らされたほうが
> いいのかな。」

 わたしは高校生の時に母から知らされました。でも、実際には自分のどんなところが障害といえるのかは知らされていなくて、「いつかふつうになれるはずだ」と思っていました。大学生の時に学外実習というかたちで初めて社会に出た時、わたしはASだと受け止めました。病院で検査・訓練などの実習(リハビリ関連)をしていたのですが、周囲のスタッフによって自閉症的な障害をもっているらしいということが見抜かれていました。最初は「緊張しているのかな」とか「慣れてないからかな」と思われていたらしいのですが、日が経つにつれて「明らかにおかしい」と思ったそうです。あのときに投げかけられた言葉はちょっとしたことでビデオを巻き戻して再生するかのように思い出して、今でも苦しんでいます。「不器用でイライラする」「あいさつできない」「気をつかえない」「機械みたい」「感情がない」などなど。わたしは必死でやってきたのに、他の人は自然にできているなんて知らなかった。わたしは全然できていないなんて知らなかった。もっとショックだったのは「あんたみたいな人間が選ぶ仕事じゃない。人と関わろうなんて思わなくていい。どうしてもこの仕事がしたいんだったら、研究所みたいなところで1人でやってろ」という言葉でした。
 今でも苦しいのは自分がASだから、ふつうにはなれないからではありません。いつかまた同じトラブルを起こしたり、同じことを言われたりするのではないかと常に感じながら生活を続けていること。そして、わたしの選んだ夢(職業)がやっぱり間違っていたのではないかという不安。ずっと長い間「ふつうになりたい、なれるはず」と信じて必死でやってきたからこそ、そう思うのかもしれません。

>A「いいに決まってるじゃない。最近ここの診療室に、大人で『わたしはASかも
> しれない』って言って来る人がやけに多いもの。その人たち、きっと子供のとき
> すっごく苦しんで、悩んでたんだよ。見た感じは普通なのに、周りと何かが違う
> って思い続けて。自分が『性格の悪い人間』と思い込んで、社会にうまく対処
> できなくてダメな人間だと思ってしまって。だから、早くに知らされてれば、
> こんな思いをせずに済んだんじゃないのかな。」

 わたしは知らされていなかったからこそ、自分のやりたい夢を追いかけました。多分、もっと小さいころに知らされていたら、人と関わる仕事をあきらめて別の夢を選んだことでしょう。やりたいことを選んだ結果、わたしは苦しむことになりました。でも、すごくすごく苦しい時、わたしは小学校の卒業文集を開けます。将来の夢の欄に、すでに今の夢が書かれています。誰もがなりたい仕事に就けるわけじゃない。いろいろな理由で諦めていく人も多いでしょう。わたしはこの夢を数年後には叶えようとしている。そういう意味ではわたしは幸せなのかもしれません。 わたしはこれからも苦しいことがたくさんあるだろうと思います。今の夢を叶えるまでも、叶えてからも。いつ自分がASだと知るのが1番いいのかは分かりません。でも、わたしはこれで良かった。そう思えるのは「わたしはAS、ふつうの人と比べたらできないこと・分からないことがたくさんある。わたしはこのままで生きてく。それでいい。」と障害のことを受け止められるようになったから。そしていつか、母に伝えたい言葉があります。「わたしはお母さんがいなくなっても、ちゃんと生きていけるよ。」

自分の気持ちを確かめるためにも書きたかったのです。
長くなってすみません。


思いっきり横レスですが 6902へのコメント
No.6908  Sun, 26 Aug 2001 01:37:52 +0900  かおり [この発言にコメントする]

Maria さんwrote:
わかんない人は美内すずえさんの『ガラスの仮面』を参照のこと。
>
これって完結したのですか?


創作小話「サリーとアンのないしょ話」
No.6906  Sat, 25 Aug 2001 21:44:54 +0900  ミッドランド [この発言にコメントする]

 とある病院の精神科の診察室。診察が終わり、誰もいないこの部屋で何やら不思議な話し声が聞こえる。
 それはなんと、人形のサリーとアンの会話であった。
 この2体の人形、実は単なる飾りではないのである。さて、2体、いや2人の正体は何なのか、2人の会話を聞いてみよう。

サリー(以下S)「今日もわたしたち、使われちゃったね。」
アン(以下A)「うん、診断の指標だとか言って。」
S「わたしがカゴのなかに入れたビー玉を、わたしが外に出て、いないすきにアン
 が自分の箱に入れました。さてわたし、サリーはカゴ、箱のどちらを探すでしょ
 うか、って患者さんに質問するんだけど、なーんか最近、『これ、本当に診断の
 指標になってるの?』って思っちゃうのよねー。」
A「そうそう。ASっていっても結構いろんなタイプがあって、本当のところは
 ASだけど『カゴをさがす!』って言う人もいるんじゃないのかな。」
S「それはいると思うわ。つまり、わたしたちを使ったテストだけじゃ、ASの
 判断基準にするのは無理がある、ってことね。」
A「でもこれからも使われるんだろうねー。」
S「話は変わるけど、ASであることって、子供のときに本人に知らされたほうが
 いいのかな。」
A「いいに決まってるじゃない。最近ここの診療室に、大人で『わたしはASかも
 しれない』って言って来る人がやけに多いもの。その人たち、きっと子供のとき
 すっごく苦しんで、悩んでたんだよ。見た感じは普通なのに、周りと何かが違う
 って思い続けて。自分が『性格の悪い人間』と思い込んで、社会にうまく対処
 できなくてダメな人間だと思ってしまって。だから、早くに知らされてれば、
 こんな思いをせずに済んだんじゃないのかな。」
S「それはもっともだけど、知らされた子供はどう感じるかしら。多分、ショック
 を受けると思うよ。やっぱりどこかで負い目を感じちゃうんじゃないかな。他の
 子にできることが自分にはできないって。それで夢をあきらめざるを得なくなる
 ってことになって、悲しい思いをすることも考えられるよ。」
A「等身大で受け止めるしかないんじゃないの。わたしは子供のときにASを知ら
 されたほうが、社会への対処法が早くから身につけられていいと思う。」
S「うーん、でも対処法と言ったって、普通の人と同じにできるわけじゃないで
 しょ。」
A「それはそうだけど、少なくとも『自分はもともと普通の人とは違うんだ』って
 いう意識は出るでしょ。知らされないよりだいぶマシよ。」
S「それ、なーんか思いっきり現実主義者になりそう……」
A「現実を知るしかないんじゃない。さっきから自分で酷なことばかり言ってる
 ようだけど。」
S「それだけASの人を取り巻く環境が厳しいってことかな。」
A「同感。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 今回は趣向を変えて、こんな投稿をしてみました。   ミッドランド


Re: これもつまんないことだけど。 6904へのコメント
No.6905  Sat, 25 Aug 2001 19:03:56 +0900  オレンジブルー [この発言にコメントする]

Mariaさんこんばんわ。

Maria wrote:
> そんなわけで、あたしは喫茶店のサービスというものに目覚めてしまったわけです。冷たいおしぼりはあくまで冷たく。熱いおしぼりはあくまで熱く。お客様がお店の中に入ってこられたら、「いらっしゃいませ!」とご挨拶し、一秒でも早くご要望に合ったお席にご案内し、おしぼりとお水で一息ついていただく、というのが、喫茶店のサービスの第一歩なのですね。

Mariaさん!ぜんぜん、「つまんないこと」ではないですよ!
私は19歳の時、鰻屋さんでバイトしてました。
開店前にお絞りを洗濯したり、冷やしたりして用意してる時の、
こりゃまた幸せだったこと!「ああ。これでお客さんが手や顔ふくんだー」って思って、なんかほくそえんで、おしぼりの準備をしていました。
かなり小さい店でして、昼だけのバイトだったんですが、なんとかレジやメニューも聞けてやっていました。
たまに、やな銀行員のおじさんがいて平気でゴミを床にすてることもありましたが。。。
結構どうでも良いことに、嬉しそうに「にこにこ」してるので、
愛想良い子に映ってたみたい(^^)


> あたしはだいたい人間関係というのが苦手だったのですが、こういう「お客様本位の人間関係」というのは、けっこう心地よかったりします。

そうそう。
ホテルのメイドさんもやってたことあるんですが、
私、掃除が大好きなんです(^^)
ほんと、あの作業は、ちょっと結構離れですが「お客様本位の人間関係」だと思っていました。同じメイドさんとの関係は、「一緒な仕事こなしてやっている仲間」ってな感じで、お昼に私は「下宿してる子」ということで、沢山ご馳走を頂いちゃったりしてました(^^)
「あんた若いのにエライねー」って言われてましたが、
何がえらいのか、よくピンとこなかった(汗)

そう!
お客様の為って思うと、なんかすごいやりがいがあるよね。
ややっこい人間関係のうざったさも少ないし!

> 実効性を伴わない「まごころ」だとか「思いやり」だとかは鬱陶しいだけ、みたいな気がします。そういう意味で、自閉症方面の人間って、サービス業に向いてそうな気はしないでもありません。

ただ、レジは駄目だったです(T_T)
ジャスコの店員は、超難しかった。

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