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Re: 6991へのコメント
No.7017  Wed, 29 Aug 2001 13:15:16 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

niina wrote:
>一般人は、「言い切らない」という手法を取るらしいです。
>   ↑この場合、「らしいです」という言葉で言い切りをさけて>います。
>    これは、「私が言ってるのではなくて、伝聞で書いていま>す」という逃げを入れるというテクニック(?)もあります。
>
>そんなテクニックはいかがでしょうか。

わたしはオミズをやっていたので
ハナシコトバによって自分をどう演出するか、ってゆうのは
仕事上とても大事なことだったから、
いろんなひとの会話してるのを参考にして
自分なりに工夫してつかっていたと思います。

しかしオミズでは、なるべく頭わるそうに見せる!?のがコツ??なんだそうで・・・。
(わたしの場合、大卒というだけでお客さんがひいてしまう場合がよくあったので、なるべくアホっぽさを強調するように心がけてました。
・・・え?なに?もともとアホっぽい性格だから大丈夫だって?、まぁそれはたしかにそうなんですけど。)
なので、普通の一般社会で求められている会話とはまたちがうのかもしれないけど、
ことばを道具としてよくつかう仕事ではあります。

(ただしお仕事以外でオミズモードをはなれた途端、ことば遣いから何からすべてかわってしまうわたしなのでした。)


文章に関しては
imodeのメール(250文字以内)の影響で、
もともと語尾の長い文章をできるだけ簡潔にしようと、
書いたあとでバサバサ省くようになり、
簡潔どころかしりきれとんぼの中途半端な表現をするのが
またなぜか自分で気に入っちゃったもんだから・・・。←こうゆうやつ。
(だから、なに?
ってまた、みどりさんに言われちゃいそうだ。)
(^-^;

>人とのトラブル・特に勘違いで不愉快になられるとかいうのは面倒>なので、
>そういうことに気をつけています。


ちょっとしたことを気をつけるのとそうでないのでずいぶんちがいますよね、本当に。
でも、
ひとそれぞれ個性があった方がいいかなとも思うし、
わたしは多少の誤解はされてもいいときもあると思ってます。
誤解されたくないあまりに自分の言いたいことから遠ざかってしまったりするのはいやだし
指摘されたくないあまり、どこもかしこも防衛しすぎちゃってるひとの文章って、読んでいてもつまらない。
ぬけすぎてもおもしろくないけど、詰まりすぎてもだめ。
(わたしの場合ほぼ、ぬけすぎ。)

・・・
誤解されるかもしれない、と思いつつ書いて、えいやぁ!とう。
それでも理解されたときのうれしさ、ってゆうのもある(ばくちか!?)けど、
わたし自身、誤解を恐れずにそのひとらしいことばでしゃべる朴訥なひとが好きだからかもしれない。

けど、わたしの場合
ぽっと出たことばはやっぱりキツイからダメね。
頭で自分なりに加工しないと。

・・・ぽっと出てもふんわりしてるような
そんなことばが話せたらいいのになぁ。


Re: もう一回はげますよ〜ん 7015へのコメント
No.7016  Wed, 29 Aug 2001 13:05:17 +0900  シュッツ [この発言にコメントする]

Maria wrote:
>一穂さん wrote:
>>わたしなんかネジがカラカラいってます。
>>歩いたあとにいっぱい落っこちてそう。
>>・・・ふまないで!!
>>わざわざ拾って持ってこないで!
>>こっそり、お味噌汁に入れといて。
>
> あたしが思うに、「頭のネジ」というのはビスとかボルトとかの「螺子」ではなく、機械式腕時計に使うぜんまいのほうの「捩子」のような気がするのですが。「ネジを巻く」には「気合を入れる」という意味もありますし。つまりは、「まっきれた」状態が、「捩子が弛んだ状態」なのではないかと。

バカボンのパパが、くしゃみをした拍子に頭の中の歯車が口から飛び出した場面を思い出してしまいました。
#ネジじゃないけど


Re: もう一回はげますよ〜ん 7011へのコメント
No.7015  Wed, 29 Aug 2001 12:53:55 +0900  Maria [この発言にコメントする]

一穂さん wrote:
>わたしなんかネジがカラカラいってます。
>歩いたあとにいっぱい落っこちてそう。
>・・・ふまないで!!
>わざわざ拾って持ってこないで!
>こっそり、お味噌汁に入れといて。

 あたしが思うに、「頭のネジ」というのはビスとかボルトとかの「螺子」ではなく、機械式腕時計に使うぜんまいのほうの「捩子」のような気がするのですが。「ネジを巻く」には「気合を入れる」という意味もありますし。つまりは、「まっきれた」状態が、「捩子が弛んだ状態」なのではないかと。

 どうなんでしょう?

 (Maria)


Re: 顔なし 6987へのコメント
No.7014  Wed, 29 Aug 2001 12:51:21 +0900  Tien [この発言にコメントする]

武田好史 wrote:

>あのうひょんなことを聴きますが、Tienさんはもしかして一人っ子若しくは長女ですか??

こんにちは、武田さん。上記の質問は当たっています。
ほとんど一人っ子状態でしたね。


Re: マユツバ 7012へのコメント
No.7013  Wed, 29 Aug 2001 12:02:19 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

緑 wrote:
>合成洗剤なんか,30年ぐらい前から恐くて使ってないです。
>環境にやさしい石鹸から,新聞で読んだ数年前からは,塩と炭(匂い気にならなければ塩だけ)です。
>アトピーっ気ありで,感触で断然塩です。合成洗剤は肌触り×です。
>ところで,純度高い塩が安いですが,不純な方が洗濯にいいと聞いてますけど?

緑さんは、みどりさんとは別人ですよね!?
わたしも洗濯と、食器を洗うのに、塩を使ってます。

食器洗いは、ほぼ塩。臭いが気になるときはオレンジXも使ってます。
洗濯には塩と、エコロンG(トルマリンと備長炭の入ったお手玉みたいなもの)を併用してる。
(マユツバ、のカキコをさかのぼっていくと、このふたつについて書いてある)

塩で、すごくきれいになりますよね!
(不純な方が洗濯にいいんですか?それは知らないです。)

わたしはお風呂にも塩(天然塩)を入れて入ってます。


Re: マユツバ 7005へのコメント
No.7012  Wed, 29 Aug 2001 11:44:44 +0900  緑 [この発言にコメントする]

合成洗剤なんか,30年ぐらい前から恐くて使ってないです。
環境にやさしい石鹸から,新聞で読んだ数年前からは,塩と炭(匂い気にならなければ塩だけ)です。
アトピーっ気ありで,感触で断然塩です。合成洗剤は肌触り×です。
ところで,純度高い塩が安いですが,不純な方が洗濯にいいと聞いてますけど?


Re: もう一回はげますよ〜ん 7007へのコメント
No.7011  Wed, 29 Aug 2001 11:44:36 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

あさかぜ wrote:

> うほほほほ。ごめんなさいませ。「励ます」だったのでございますよ。

うふふふふ。そうだったのでございますね。
(しかも、もう一回ってとこがミソ。
せ、せっかくはえたのに・・・。)

> 一穂さんの明るさが、わたしは好きです。

あさかぜさん、ありがとう(o^w^o)/~~~♪
素直にうれしい。

でも、自分的には、
もともと根が素直なので逆にちょっとムカつかれるくらいのひねくれキャラでいきたいんだけど
それはサジ加減が難しいっす。
失敗すると敵を作ってしまう!
おーまいがっ。


> わたしは時々アタマのネジが緩む(という表現は許されるのだろうか?)
>ので、あほ〜なコメントを書きます。が、〔書いちゃったモノは仕方ない。
>これもひとつのわたしの姿さ〕と思うことにしています。

わたしなんかネジがカラカラいってます。
歩いたあとにいっぱい落っこちてそう。
・・・ふまないで!!
わざわざ拾って持ってこないで!
こっそり、お味噌汁に入れといて。


なんちゃって。


あさかぜさんありがとう、とってもはげ
まされました。


サンタクロースのいない聖夜。 6953へのコメント
No.7010  Wed, 29 Aug 2001 11:17:38 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Tienさん wrote:
>サンタクロースって...(-_-;)。
>私なんか毎年鞭打たれるクチだわ、って思いました。目からウロコでした。

 あたしはトルコのミュラ、と書いてしまいましたが、正確には現在トルコ領のデムレに相当するミュラ、です。

 聖ニコラスは二七一?(二八〇?)〜三四二頃実在したといわれるひと。当時のミュラはギリシャ人の町で、聖ニコラスもギリシャ人。きっと頑固で理屈っぽいひとだったんでしょう。もちろん宗派は東方系、ギリシャ正教(イースタン・オーソドクス)です。
 聖ニコラスが亡くなったとされるのは十二月六日。したがって、聖ニコラスがやってくるのも十二月六日。それがどうしてクリスマスになっちゃったかというと、三二五年にニケーア公会議という宗教会議があって、そこで十二月二十五日をイエス・キリストの誕生日と定めたんですが、そのとき聖ニコラスもその会議に出席していた、というわりといいかげんな理由だったりします。
 ついでながら、このとき「イエス・キリストは神の子である」という説が採択されました。あたしはイエス先生は人間である、と主張していたのですが、イエス・キリストの聖性を否定したアリウス派はこのとき「異端」とされてしまいました。くそー。
 ちなみに日本の古代宗教にはキリスト教の影響がけっこう含まれているらしいのですが、これが遣唐使・遣随使の時代に日本に入ってきた景教(ネストリウス派)なのか、それとも原始キリスト教が直接入ってきたのか(ケン・ジョセフさんなんていう人が唱えている説です)、それともこのアリウス派やいわゆるグノーシス派がヨーロッパや中央アジアから追い払われてこっちに流れてきたのか、よくわかっていません。古代史マニア、文化人類学マニアにはたまんないテーマです。ナマハゲ(なま剥ぎ)とかトシドン(歳殿)とかメンサマネントウ(面様年頭)とかいった、どう考えても聖ニコラスのご親戚みたいなのが日本にはごろごろいらっしゃるので、調べてみると面白いです。

 なお、現在のサンタクロースのイメージは、一九三一年にコカ・コーラのクリスマス・キャンペーンから生まれたそうです。なんかヤダ。

 さて、十六世紀の終わりから十七世紀の初頭にかけて、カトリックとプロテスタントが喧嘩してどっちも原理主義に走る、という、まるで現在のアイルランドのような情勢がヨーロッパに生まれました。そんでもってカトリックは宗教行事から異端であるギリシャ正教の聖人を追い出し、プロテスタントは万人司祭説に基づいて聖職者を追い出しました。

 そーなんですよ。クリスマス行事から、聖ニコラスが追い出されてしまったわけです。

 で、たまたま一六〇四年というのはへびつかい座で火星・木星・土星が会合する年で、そこにたまたまケプラー新星という新星爆発が観測されたものですから、「ベツレヘムの星と三人の東方の賢者」→「キリスト再誕」という連想が働いたらしく、「幼児(おさなご)キリスト信仰」っちゅーのがブームになりました。現在でもドイツやオーストリア、それにスイスのドイツ語圏では、クリスマスにプレゼントを持ってやって来るのはこのクリストキントです。

 で、このクリストキントが「赤ずきん」のモデルになったのではないか、とあたしは考えているのですね。そんなわけで、赤ずきんの誕生日は一六〇四年十二月二十五日(ただし、ユリウス暦)。もうすぐ生誕四百年です。記念式典でもやってしまおーか、と思っています。

 (Maria)


Re: マユツバ 7005へのコメント
No.7009  Wed, 29 Aug 2001 11:10:07 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

pocks wrote:

>うーん、同じ成分を「界面活性剤」と言い換えただけでそんなに恐>そうに聞こえるようになりますか?

うん、すごく。
(この感覚って、おかしい??神経質すぎ?)

だって、高校のとき生物の先生(自然保護運動みたいなのやってるような先生だった。)が、界面活性剤はこわいって授業で言ってた。
指の先から浸透して、肝臓にたまるって、すごい顔して言ってたんだもん。

>これでは合成洗剤なんか(成分表示を読むだけで)恐くて使えなく>なるだろうなぁ。

うん、表示指定成分の入ってるものはほとんど使ってないです。
化粧品や、整髪料も指定成分入ってないものを使ってます。
でもシャンプーにはパラベンが入ってるけど。
(ちなみにブルーリッジ チコ シャンプー。このシャンプーめっちゃいいです!使ってるひといる?)

でも・・・・
学生時代に、油絵と版画(リトグラフ)をやってたから
さんざん、からだに毒なもの(人体に使用するべからずって書いてあるようなやつ。)を平気で直接触ってたし
今さら遅いと思うけど(^-^;


>#オレンジなんとかが何として売られているか気になってきたぞ。

何として??かな。
合成洗剤ではない洗剤、と書いてあった気がするが・・・
容器移しかえて捨ててしまったから詳しいことはわからないです。


Re: 我考う 故に我無し。 6984へのコメント
No.7008  Wed, 29 Aug 2001 10:12:05 +0900  Maria [この発言にコメントする]

Makichan wrote:
> 考えるのは言葉で考えるわけです。言葉は所詮他者がつっくたものです。私の
>言葉も考えてみれば、国語辞典にのってる単語の組み合わせでしかないわけです
>よ。なにひとつ新しいことを言ってるわけじゃないです。考えれば考えるほど他
>者を内に取り込む結果になるわけです。このあたりはラカンがいってることです。
>文句あるならそっちに言ってちょ。

 「言葉で考える」ことがイコール「考える」ことだとすると、「考える」ことはイコール記号の操作ということになっていまいます。まあ、確かに数式だとか化学式だとか楽譜のような表記体系・記号系というのは思考の道具として欠かせないものだから、ラカンあたりは(あとはウンベルト・エーコとか)そういうことを言いそうな気はします。
 ですが、それが全面的に正しいとすると、あたしたちは記号で表せないものを思考することはできないはずなのですが、あたしたちは言語によって表現しえないものを思考の対象としているがゆえに言語表現に苦労しているように思うのですね。

 言語の獲得というのは言ってみれば出来の悪い伝言ゲームのようなもので、所詮は「自分」というものを基盤にせざるを得ません。「右」「左」とかいった概念は文章だけでは説明しえないし、「カツ丼」「雑煮」なんていう概念はその人個人の体験を基礎にせざるをえません。丼飯の上にキャベツと一口カツが載り青海苔がかかっているのがカツ丼なのか、関西でいう煮カツが載っているのがカツ丼なのかはほとんど個人的体験によります。あたしは関東風の玉子でとじるタイプ。つゆ辛め。玉子は半煮え。ついでながら雑煮は四角い切餅を焼いて入れた醤油澄まし仕立て。小松菜・鶏肉・蒲鉾または鳴門巻入り。柚子プラス三つ葉添え。三つ葉の代わりに焼き芹も可。

>「自己」なんて言葉があるから「自己」が有ると思ってしまうんです。無いと思
>えば無いものなんです。

 唯識論まで持ちだした割にはわりと安易な結論のように思います。『概念としての「自己」に対する実体としての「自己」なるものは存在しない』という主張に矛盾はなさそうだから一応認めざるをえませんが、だとすれば般若経典でいうような、「世の中のすべての現象は、素粒子間の相互作用にすぎない」とかいったニヒリズム的な世界観に行きついてしまいそうに思います。

 で、こうしたニヒルな世界観においては、殺人と器物損壊を区別する必要はなく、あえて言うならその社会あるいは社会制度とのかかわり合いのみが問題となってしまうのですね。人間もしょせん元素の集合体でしかないのだから、「殺す」という行為も単に物理的な意味しか持ちえなくて、殺される側の「痛い」「苦しい」「死にたくない」といった感覚なり感情なりには実体がない、ということになります。

 あたしはこういう発想をする人とあまりかかわりたくないと思っています。そういう人はわりと簡単に自殺に走ってしまうから。『「自己」なんてものはない』と信じる人間が自殺したところで、残された人間が泣いたり笑ったりする必要はない、と割り切れるほどあたしは人間が嫌いではありません。あたしにとって「あたし」という自己が存在するのは自明なのですが、「ない」という人にとっては「ない」のが自明なのでしょう。それは認めるしかありません。

 「自己」の存在を信じるあたしとしてはMakichanさんに死なれたくはありませんが、その反面、本人の意志は尊重するしかないだろうなとも思います。
 そんな訳で、万が一にも自殺されるなら、たとえばロボットが壊れるように、なるべくあてつけがましくなく、しかも世間の迷惑にならないように死んでほしいと思います。そのかわりあたしもそういったニヒリストには「自己」なんていうものは存在しないのだ、思うようにするから。

 (Maria)


Re: もう一回はげますよ〜ん 7000へのコメント
No.7007  Wed, 29 Aug 2001 06:53:37 +0900  あさかぜ [この発言にコメントする]

一穂(いちほ)さん wrote:
>↑今さっき突然意味がわかった・・・!!
>
>もう1回禿げます、って
>なんだろうかとずっと疑問でした。

 うほほほほ。ごめんなさいませ。「励ます」だったのでございますよ。
 一穂さんの明るさが、わたしは好きです。(迷惑だったら、すみません)

 わたしは時々アタマのネジが緩む(という表現は許されるのだろうか?)
ので、あほ〜なコメントを書きます。が、〔書いちゃったモノは仕方ない。
これもひとつのわたしの姿さ〕と思うことにしています。


Re: マユツバ 6963へのコメント
No.7006  Wed, 29 Aug 2001 04:00:29 +0900  pocks [この発言にコメントする]

> あたしはどちらかというと詰問される側だったのですが、「冗談を本気にして怒
>る人がいるから、真顔でハズすのはやめなさい」と言われました。

Mariaさん、あなたは私よりましです。私には「真顔でハズす」他に、「笑顔で(=冗談めかして)事実を喋る」という得意技があるんだから。

#事実は小説より奇なり、ってことは結構あるからネタには困らない。


Re: マユツバ 6965へのコメント
No.7005  Wed, 29 Aug 2001 03:58:19 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>しらなかった。
>乳化剤って、界面活性剤の一種なの?
>100倍に薄めた液は猫がなめても安全って書いてあるから
>ノミよけスプレーとして使ってました。
>やばいかな。

うーん、同じ成分を「界面活性剤」と言い換えただけでそんなに恐そうに聞こえるようになりますか?

これでは合成洗剤なんか(成分表示を読むだけで)恐くて使えなくなるだろうなぁ。
#オレンジなんとかが何として売られているか気になってきたぞ。


Re: マユツバ 6958へのコメント
No.7004  Wed, 29 Aug 2001 03:56:40 +0900  pocks [この発言にコメントする]

>リモネンはよく知ってます。発泡スチロールにかけると、発泡スチロールがじゅわ
>じゅわっっとみるみるうちに溶けてくの。

有機溶剤が主成分だったのね、というわけで私的には納得。


Re: 一穂さんへ 6993へのコメント
No.7003  Wed, 29 Aug 2001 03:53:00 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

Maria wrote:
> 思春期においては、単に自分と外界とのかかわりだけでなく「自
>分」というものを見つめるようになります。これが「メタレベルの
>認識」です。つまりは、「ひとつ外に抜けだすこと」だと思ってく
>ださい。

> あるいは、「第三者の自分」と言ってもいいでしょう。「議論を
>する時には、三つ頭で考えろ」という言葉があります。主張する自
>分、相手、それにその議論を見ている第三者。この場合、自分<相>手<第三者とレベルが上がっていることになります。

あ、それならよく知ってます。
Mariaさんにとっての、お師匠さん?ってひとのこと?だね。
一穂ってゆう名前ももともとは
第三者の自分によってプロデュースされ
本人によって演じられていたひとつの役?の名前ですから。
(傍若無人なキャラとはまた別のわたしなんですが。)


> 一穂さんもご存じのように、あたしはあたしとしてここにいるけ
>れど、実際にはあたしには実体がありません。だからあたしは傷つ
>かないのね。だから、一穂さんも自分としてここに立つ必要はあり
>ません。

うん、ありがとう。


Re: もう一回はげますよ〜ん 6959へのコメント
No.7000  Wed, 29 Aug 2001 02:23:18 +0900  一穂(いちほ) [この発言にコメントする]

↑今さっき突然意味がわかった・・・!!

もう1回禿げます、って
なんだろうかとずっと疑問でした。


(こうゆうのを横レスというのね、すいません。)


Re: 我考う 故に我無し。 6984へのコメント
No.6999  Wed, 29 Aug 2001 01:08:42 +0900  Yan [この発言にコメントする]

(「アイ」はやめて「ぼく」。nazenara osu dakara)

Makichan wrote:
>「自己」とか「他者」とは言葉です。我々はその言葉に行動が規定されているんじゃないかと思うんです。

そういうこともありますね。

>言葉が獲得されていないカナー型は自他未分状態にあるわけです。他者の眼を意識しないし、他人の体も自分の体の一部のように扱うことがあるそうです。

カナー型ではないですが、うちに一人そういうのがいます。自他未分状態にあって他者の眼を意識しないし、他人の体も自分の体の一部のように扱います。50代後半ですが友達は一人もいません。エコラリアがあって、まったく人が言ったとおりのことを繰り返します。「その意味は?」と尋ねると、ようやく何を言われたか考えるという具合で、外での人との会話は大抵、人の言ったことの最後に「ですね」か「だよね」をつけて済ませているようです。技術書と将棋・囲碁の本は読みますが、小説はほとんど読みません。映画もストーリーはわからないようです。新聞は読みますが、人との会話に合わせるためで、ほとんど丸暗記です。仕事から帰ってくるとたまに無自覚に血を流していることがあります。突発的な出来事に弱くすぐパニックになります。掃除機の音や花火の音が苦手です。空間認識能力がほとんどなく、モノの場所が30センチもずれると「ない、ない」と慌てることがあります。引き出しが苦手で、モノが目の前から見えなくなると探せません。他人の持ち物と自分の持ち物をあまり区別しません。ジョークがわかりません。思い込みが激しく頑固な反面、人の話をすぐ鵜呑みにします。

>でもその感覚のほうが案外正しんじゃないか,自我意識でがんじがらめになっている現代人は彼らの感覚から学ぶべきこと多いんじゃないかと思いますね。

学ぶべきことはたくさんあるように思います。と同時に、反面教師としても。家畜のように育てられたぼくにとっては現実問題です。上に書いた某氏もサバイバーですが、ぼくもサバイバーです、虐待のね。今年もこれまでに結構死んだね。あの子たちの親を犯罪者としてしか見ないなら、これからもたくさん死ぬと思うよ。障害はきれいな問題じゃない。人間は、人間同士が語り合うような綺麗なだけの存在じゃないということだけは言っておきたいと思います。健常者、障害者に関係なく。

>「自己」なんて言葉があるから「自己」が有ると思ってしまうんです。無いと思えば無いものなんです。

誰かさんにとってのユートピアは、別の誰かさんにとっての地獄です。


眠くなったのでもう寝ます。おやすみなさい。

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