アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
Baca wrote:
>あなたの言葉は、本当に人を追いこみかねない。自分で窮状を選ぶ人間などいませ>ん。乱暴な言葉遣いは謝ります。ごめんなさい。
いいのよ、よく人を追い込んで、とは言われます。私こそ気に触ったらごめんなさいね。ちゃんとご飯食べてる?自分を追いつめないでね。
私だってほんとうはやさしいんだよ...。
武田好史さん wrote:
>「普通」「自閉症」という言葉のあなたとしての定義は、どんなものですか?
これは現在執筆中の文章のテーマと密接に結びついているのでコメントすることにしました。ただ、「普通」の定義についてはまた別に論じたいと思います(もう論じているかもしれない。過去ログを見てみます)。「ふつう」と「普通」と「フツー」はあたしにとって別ですし。
「自閉症」という言葉はドイツ医学的な「病因論」から来ています。そんなわけで、身体のどこかに「自閉症」というものが「ある」のが自閉症の患者。
とはいえ、べつに自閉症の病巣があるとか自閉症筋が検出されたとかいう話ではないので、この定義はあんまり役に立たないのですね。困ったにゃあ。で、アメリカ流の治療医学から来る考え方としては、『「症状」があって「治療法」がある』という、この対応関係こそが問題にされるべきだということになるわけですね。これが「症候群」という考え方です。
で、あたしはこのどっちの立場も取らないのですね。
自閉症の症状を「症状」として意識しないところまで高度に社会に適応した自閉症方面の人間がいます。たとえばあたしです。あたしにとって「症状」と呼べるものがあるとすれば、それは「何かが違っている」という「違和感」なのですね。
そんなわけで、世の中の多くの人がほぼ共通に持っている「世界観」のようなものがあり、あたしたち自閉症方面の人間の多くがほぼ共通に持っている「自閉症的世界観」のようなものが存在する。で、この二つは異質なのですね。で、前者よりも後者により「しっくりくる」人間が、「自閉症方面の人間」だとあたしは定義しました。
この定義だと、医学的にはどこをどう調べても「自閉症」ではないのだけれど、なぜか「自閉症的な世界」に強く惹かれ、その世界を居心地よく感じる人たちというのも、「自閉症」と認められることになります。
逆に、本来その人は自閉症的な世界の住人なのに、そうでない世界に生きようとして苦しんでいたりすると、これは一種の同一性障害だと考えることができます。いわゆる『みにくいあひるの子』的な状況ですね。
あるいは、本人は自閉症的世界の住人としてのアイデンティティを持っているのに、周囲がそうでない世界の人間として生きることを要求する、というケースもあります。「どうしてあなたはそんなに烏賊らしくないの?」「だから、私は蛸なんだってば」(No.6239、『「他者」って何だろう』)みたいな状況です。
そんなわけで、あたしは「自閉症」を「病気」としてではなく、「世界観の違い」として捉えています。あたしはこの姿勢を変えるつもりはありません。がうがうがう。(←べつに武田さんに吼えているわけではない。)
(Maria)
Tien wrote:
>みちるさん、掲示板よく見てなくてお返事遅れてごめんなさい。お礼と言っては些少ですが、国産カブトムシについてはここを見て連絡してみてください。
>http://www.interq.or.jp/world/fio/index.html
>サイトも、最近は私のすきな甲虫ゴライアスとかヘラクレスとかの外産ものの通販サイト(当然高い!)ばかりですね。
ありがとう。Tienさん。
私ではここまで探せなかったわ。本当にありがとう。息子も喜びます。
本当にどうしようと思っていたほど??????がいっぱいつく息子だったけど
(いまだに日本語は起承転結がちゃんとできず意味不明)少しずつお兄さんになり
いろんな興味もでてきました。よかった。何とかカブトムシの件はちゃんとやらせたかったので、助かります。
本当にありがとう。
息子もヘラクレス好きみたい。コーカサスもいいなあって言っています。
自分にはない強さに対する憧れがあると、親のあたしはみてますが・・・。
ところでTienさん。もうだいじょうぶ?
つきなみだけどがんばってね。
私も、だいぶ良くなったよ。好きなことするのが一番だね。
昨日も海に行って、少し秋のにおいのする海を見つめていました。
子供たちは、砂浜を走り回り、流木でいかだづくりをしていました。
どこに行きたいんだろう・・・。
焚き火をして、ぼーっとしていました。周りの人はシャケ釣りをしていて
時々歓声があがるのを、見ていました。いい型の四キロはあるいいシャケでした
自然だなあって感じ・・・。
秋がやってきます。心静かになれますね。秋大好きなんです。
いつも助けて下さってありがとう。
またカキコしましょうね。
みちることなおみの夢
武田好史さん wrote:
>今日はオフ会でお会いできてよかったです。
>他の参加者にも、よろしくお伝え下さい。
>では、そろそろ寝ます。またあいましょう!
>おやすみなさい。
こんにちわ、くるとです。
この掲示板から参加をされたみなさん。名前を公表できない方もいるけど
どうもありがとうございました。
そうそう、一穂さんには実質的なウラ幹事をお任せすることになってし
まい、ありがとうございました。わたしの手際がもっとよければ…
今後もオフ会をたまに開きますので、よければ遊びに来てください。以
上、昨日の携帯電話の嵐でくたばりかけているくるとでした。
> うちの御大(Joshya氏である)は心臓病持ちなものだから、実質的にプログラマーくらいしか再就職の道がない。ところが、もといた会社が在職中に開発した技術に関する権利を主張したがために、実質上同業種への再雇用の道を断たれてしまったという経緯がある。こういうのは憲法違反のはずだが、それを明らかにしようと思ったら下手をすると最高裁まで争わねばならない。問題はその裁判費用はどこから出るかというとJoshya氏が開発した製品から上がった利益から出るのであり、裁判に勝ったところで相手企業がコケていたら一文にもならず裁判費用が持ち出しとなり、何のために裁判を起こしたのかわからん、ということになる。まして負けでもしたら大損である。
>話がよく見えないのですが、一時的に休職しているあいだに、そのひとが開発
>した技術に関する権利を会社が所有することにしたということでしょうか。
>それだけの能力があるわけでしたら、さらに新しい技術の開発を期待されても
>との会社で働くことはできないでしょうか。あるいは、給与の取得のシステム
>が、当事者にとってあまりにも不利なため、受け入れ不可能ということでしょ
>うか。
Joshya氏本人については、一応は時効のはずだが事実関係に関してはパス。
青色発光ダイオードの発明者の中村さんは会社を辞めて渡米したのだが、企業に就職すると訴えられそうだったので大学に就職した。ところがそれでも訴えられた。なお、移った先の大学で研究しているのは青色発光ダイオードの延長である青色半導体レーザーである。もといた会社では、青色発光ダイオードの発明の報酬として得たのは報奨金が四万円とかいっていた。給料だって決して高くはなかったそうである。そんなわけで、中村さんは米国の研究者に「スレイヴ(奴隷)・ナカムラ」と呼ばれていたそうである。中村さんは発明報酬として二十億円を会社に請求中だが、会社のほうは対決姿勢を崩していないらしい。
問題は、「さらに新しい技術の開発を期待される」といっても、それ以前に開発した技術とはまったく連続性のない「全く新しい技術」を開発できるような才能を持った人間はめったにいないということなのである。Joshya氏やKILROY氏はそれができる希有な才能の持ち主で、日本語処理システムの中の意味表現理論や記述文法や「チャート法解析エンジン」や「トリプル配列による高速ディジタル辞書システム」はそれぞれまったく別の技術ではあるが、これはそれぞれの単独ではほとんど役に立たず、全体が一つになってJAI-Parserという日本語処理システムを構築している。視覚情報処理システムなんていう一見畑違いの技術も開発はしているのだが、これも日本語処理システムと中枢部の処理エンジンを共有している。
そんなわけで現在のJoshya氏はライター稼業に身をやつして(まあ、ライターという職業は本人けっこう気に入っているらしいし、特に賤業意識もないのだが)いるのである。
>その、ときどき登場する「大森総合研究所」とは何でしょうか?
とりあえずコラボレーション・ユニットか何かだと思っていてくれ。過去ログを探るとどっかに出てくる。
>あえて労働者の公約数の立場で言うなら、労働はおもしろくないことのほうが
>多いのではないでしょうか。
>たとえばですよ、もしも数10億円ものお金が入ったら、ぼくだったらすぐに仕
>事は辞めますね。
人間はなかなかパンのみにて生きられないのだよ。マズローの「欲求の段階説」というのがあって、人間は衣食が足りると礼節を知るようになってしまう。外人女性を殺害して逮捕された織原という男がいたが、バブル時代に隠した資産があって収入はあったのだが、国税局にバレたら資産を押さえらてしまうので、貯金もできなきゃ投資もできん。けっきょく女遊びに注ぎこむくらいしか金の使い道がないのだ。で、金を持っているだけでは人間は尊敬されない。そんなわけで頭がおかしくなって殺人である。犯罪に走る前に世の無常を悟り、さっさと仏門にでも入ればまだ救われたのだろうがね。
そういえば、父親の遺産数億円が転がりこんできたのでスーパーコンピュータを買った、という流体力学の研究者がいた。それまでは半年待って十五分使えるかどうか、みたいな状態だったのが、いきなり二十四時間使用可能なパーソナル・コンピュータである。とにかく論文を書くのが追いつかないほど研究が進み、「もう、いつ死んでもいい」とマジで思ったそうである。そのうえマシンタイムの切り売りが商売になって、あろうことか企業として成立してしまったという。
本気で実現したいことに金を使うと、けっきょく「仕事」になってしまいそうな気がする。金というのはなかなか無駄には使えないものである。
>> しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。
>>それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見え
>>ない。
>たしかにそうですが、たくさんの健常者を十把ひとからげにしてバカ扱いする
>のには賛成しませんが。
「メメント・モリ(死を想え)」という言葉があってだな、人間一度死にかけると、「やっぱり命は金で買えん」とつくづく納得する。まあ、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という奴も多いのだがね。その意味で、「健常者」というのは「大病をしたりして、死ぬような目にあったことのない人間」くらいに思っといていただきたい。
なお、「そういう大多数の人間が納得するような表現ができるのなら、どうして最初っからそういう表現をしないのか」と言われそうだが、こうやってわざと過激な発言をして他人のツッコミを誘い、そこから議論を深めてゆくというのもひとつのテクニックである。すべって無視されるとけっこうサムいが。
(Mr.Moto)
Bacaさん wrote:
># くるとさんへ
>「引きこもり」とは、人生の一時期における身の処し方であるとぼくは考え
>ます。したがって、社会問題ではあるけれど、それを理由に個人の選択に関
>して、他者が口をはさむことはできないと考えています。晩婚化を理由に、
>30歳以上の女性に一様に結婚・出産を強制することなどできないように。
考え方について、Bacaさんの「引きこもり観」はわたしと大きな違い
はありません。(というか、よく似ていることに今回のコメントで気がつい
た)
ただ、できれば皮肉や罵詈雑言を使用せずに討論を展開していただければ
幸いです。今回のようなコメントでしたら、納得ができます。
昨日の新宿オフ会に参加して、私は一つ疑問に思ったことがありました。
「普通」「自閉症(アスペ)」の定義というのは、相対的なもので、人それぞれ異なっています。
「普通」と呼ばれる人たちは、ある範囲を逸脱してしまった人を「自閉症」としてつまはじきにし、「自閉症」と呼ばれる人たちはその範囲になんとかくいこもうと四苦八苦します。
さてここからが問題です。とどのつまり「普通」「自閉症」という言葉は、「普通」と呼ばれている人からの視点と「自閉症(アスペ)」と呼ばれている人からの視点では、大きな開きがあるように思えます。
そこでみなさんに質問です。
「普通」「自閉症」という言葉のあなたとしての定義は、どんなものですか?
Mr.Moto wrote:
>ひま人さん wrote:
>>憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険が
>>あるからということだろうか? たとえば、就業できる能力があるのに、何か
>>の口実をつけて働かせないとか?
>
> たとえばの話、研究開発部門で働いていた人物が会社を退職した場合、他社に就職して同じような仕事をしようとすると、「トレード・シークレットの漏洩」ということで訴えられる可能性がある。したがってその人物を雇用しようとする会社はその人のもっとも利用価値のある技術を利用できないわけで、したがってその人物は別の職種を選ばなければならなくなる。
なるほど。
> うちの御大(Joshya氏である)は心臓病持ちなものだから、実質的にプログラマーくらいしか再就職の道がない。ところが、もといた会社が在職中に開発した技術に関する権利を主張したがために、実質上同業種への再雇用の道を断たれてしまったという経緯がある。こういうのは憲法違反のはずだが、それを明らかにしようと思ったら下手をすると最高裁まで争わねばならない。問題はその裁判費用はどこから出るかというとJoshya氏が開発した製品から上がった利益から出るのであり、裁判に勝ったところで相手企業がコケていたら一文にもならず裁判費用が持ち出しとなり、何のために裁判を起こしたのかわからん、ということになる。まして負けでもしたら大損である。
話がよく見えないのですが、一時的に休職しているあいだに、そのひとが開発した技術に関する権利を会社が所有することにしたということでしょうか。
それだけの能力があるわけでしたら、さらに新しい技術の開発を期待されてもとの会社で働くことはできないでしょうか。あるいは、給与の取得のシステムが、当事者にとってあまりにも不利なため、受け入れ不可能ということでしょうか。
> そんなわけで我々大森総研のメンバーが『アスペルガーの館の掲示板』にこうして顔を出していたりするのである。世の中は何が起こるかわからない。
その、ときどき登場する「大森総合研究所」とは何でしょうか?
>>「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば
>>資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人まで
>>も、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうに
>>も能力的に無理な人はどうなるのか?
>
> 資産家にしろ宝くじが当たった人にしろ、その金は自分が稼いだ金なのである。それを使う権利は当然ある。投資や資産運用で金を稼いでいる人は、投資や資産運用という形で「勤労」しているのである。
たしかに、投資で利益を得ようとすれば、かなり頭を使わなくてはならず、これも労働の一種と考えることもできるでしょう。
そんなわけで、遺産相続とかいうと、ごっそりと相続税なるものを取られるのである。それは「不労所得」といって、「勤労」の結果として得られた金ではないからである。
> 要するに、働く能力があるのに働かない奴は尻を叩かれる、ということなのである。叩かれて痛いか痛くないかはまた別問題なのだ。
働く能力があるかどうかを区別するのは難しいし、かりに働く能力があってもニーズがなければ仕事はこないわけで、そのへんをどう考えるべきか。
> 日本には義務教育というものがあって、子供には必ず必要な教育を受けさせなければならない。だからといって子供を作らなくてはいけない、というものでもない。
>
> ちなみに、頭脳労働者は「勤労者」に入れてもらえないという風潮が日本にはある。うちのJoshya氏はおそろしく有能なアルゴリズム開発者なのだが、儲けた金はみな持ってゆかれてしまった。
そもそもお金を稼ぐこと自体を罪悪視するようなところもあり、お金が儲かればそれに逆比例して心が貧しくなるなどと考える風潮もある。
>>そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので
>>仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。
>
> 労働を苦役とするのは、カトリック的、あるいは儒教的発想である。日本人は「生涯現役」こそが理想なのである。日本では、「働けるのに働かない」のは病気であるとみなされる。逆にインドのバラモン階級の大富豪の御曹子が「働きたい」とか言ったら精神科医のところに連れてゆかれる。
あえて労働者の公約数の立場で言うなら、労働はおもしろくないことのほうが多いのではないでしょうか。
たとえばですよ、もしも数10億円ものお金が入ったら、ぼくだったらすぐに仕事は辞めますね。
> 韓国も儒教の国だから、日本人が職業を訊きかれて「タクシーの運転手をしています」「ラーメン屋をしています」と<恥ずかしげもなく>答えるのを見て、「恥知らずな、犬のような連中」だとあざ笑うのだそうである。こういうとき、韓国人は「事業をしています」と答えるのだそうだ。まして、「日本一のラーメン屋を目指しています」とかいったら、狂人以外の何者でもない、と思うらしい。
それはおもしろい。
> パクリ屋、という連中がいる。立件して有罪に持込むのが難しい、という意味では「合法」である(「脱法」という言葉もないではないが、被害者の立場からいうと気休めにしかすぎない)し、仮に有罪判決が出ても金が戻ってくるわけではないので実効性がない。これを「ビジネス」、すなわち仕事と認め、働いても金が入ってこないものを仕事と認めないならば、パクリ屋の被害者は「仕事をしていない」ことになり、パクリ屋は「仕事をしている」ことになる。
>
> 『「仕事」とは、畢竟「自分の仕事」である』と断じたのは哲学者の福田定良である。自分の価値観において何事かを為すのが「仕事」である。
同感。
> Mariaが自閉症方面の本を執筆している、というのも、どう考えても儲かりそうにない。けれどもあの仕事はMariaにしかできんのである。だとすると、あれはどう考えても仕事ではあるまいか。もっとも、「いま現在生活に困っていないお金持ちのお遊び」という反論があるのは仕方ないと思うのだがね。
そのようなことを言うのは、妬みからでしょう。
> 確かに、「ゼニに換算できんものには価値がないのだ」という人間はいる。それはたぶん「健常者」にとって当然の発想なのであろうと思う。
価値のあるものはすべて金額に換算できるか、あるいは金額に換算できなくて価値のあるものはあるか、ということですが、これはようするに、市場が形成できるかどうか、多数の人間にとっての、価値の度合いの平均値と、売り手との妥協点(相場)があるかどうか、
極端な話、貝殻マニアが特定の貝に魅了されていてしかも入手困難だとする。この場合、もしも誰かがこの貝殻を採取してくれれば、法外な値段でも買い付けると本人は言う、そして誰かが苦労して入手し、両者の間で交渉の後ある値段で売買された。ところがこの特異な貝殻に興味を示すのはこの人だけで、だれも見向きもしない。とうぜん値段もつかない。こんな場合は、当人にとっては絶大な価値があるのに、金銭に換算できない。
ボランティア活動は、金額に換算できないがすばらしい行為だ。というのも、ひねくれて考えてみれば、それをしている人たちにとって何か意味のあることだからするのであって、実際にお金のやりとりはないものの、される側とする側とで、何かの交換があるのではなかろうか。さらに余計なことを言えば、その活動を労働として、どれくらいの金額に相当するのかを算出するのも不可能ではなかろう。
「人のいのちはお金に換算できない」のかというと、死亡したときの賠償額の査定などでは、本人の学歴、収入、職種の偏差値などに基づいて金額が決まるらしいが、このように必ずしも人間の価値を金額で表せないわけでもなさそうである。
> しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見えない。
たしかにそうですが、たくさんの健常者を十把ひとからげにしてバカ扱いするのには賛成しませんが。
>みどり wrote:
>>普通のノズルのまわりにつけると、除去直後に雑巾がけしてくれるようなアタッチメントを作ったら売れるかしら。
るう wrote:
>雑巾がくっついてる(布がくっつけてある)ノズルもすでにあったような気がします。ははは、ざ〜んねん。
うむむ、やられた。(だからまず本体を買ってから考えろって)
>通販のテレビ見るのが好きな、るう
スカイパーフェクTVの機械はあるけど契約してないもんだから、テレビ通販 (無料チャンネルは大抵これ) ばかり見ている、 みどり
# それで満足しているもんだからなかなか契約しない。でももう少し頻繁に新製品に切り替わってほしい。(そんなに毎日見るなって)
ひま人さん wrote:
>憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険が
>あるからということだろうか? たとえば、就業できる能力があるのに、何か
>の口実をつけて働かせないとか?
たとえばの話、研究開発部門で働いていた人物が会社を退職した場合、他社に就職して同じような仕事をしようとすると、「トレード・シークレットの漏洩」ということで訴えられる可能性がある。したがってその人物を雇用しようとする会社はその人のもっとも利用価値のある技術を利用できないわけで、したがってその人物は別の職種を選ばなければならなくなる。
うちの御大(Joshya氏である)は心臓病持ちなものだから、実質的にプログラマーくらいしか再就職の道がない。ところが、もといた会社が在職中に開発した技術に関する権利を主張したがために、実質上同業種への再雇用の道を断たれてしまったという経緯がある。こういうのは憲法違反のはずだが、それを明らかにしようと思ったら下手をすると最高裁まで争わねばならない。問題はその裁判費用はどこから出るかというとJoshya氏が開発した製品から上がった利益から出るのであり、裁判に勝ったところで相手企業がコケていたら一文にもならず裁判費用が持ち出しとなり、何のために裁判を起こしたのかわからん、ということになる。まして負けでもしたら大損である。
そんなわけで我々大森総研のメンバーが『アスペルガーの館の掲示板』にこうして顔を出していたりするのである。世の中は何が起こるかわからない。
>「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば
>資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人まで
>も、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうに
>も能力的に無理な人はどうなるのか?
資産家にしろ宝くじが当たった人にしろ、その金は自分が稼いだ金なのである。それを使う権利は当然ある。投資や資産運用で金を稼いでいる人は、投資や資産運用という形で「勤労」しているのである。そんなわけで、遺産相続とかいうと、ごっそりと相続税なるものを取られるのである。それは「不労所得」といって、「勤労」の結果として得られた金ではないからである。
要するに、働く能力があるのに働かない奴は尻を叩かれる、ということなのである。叩かれて痛いか痛くないかはまた別問題なのだ。
日本には義務教育というものがあって、子供には必ず必要な教育を受けさせなければならない。だからといって子供を作らなくてはいけない、というものでもない。
ちなみに、頭脳労働者は「勤労者」に入れてもらえないという風潮が日本にはある。うちのJoshya氏はおそろしく有能なアルゴリズム開発者なのだが、儲けた金はみな持ってゆかれてしまった。
>そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので
>仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。
労働を苦役とするのは、カトリック的、あるいは儒教的発想である。日本人は「生涯現役」こそが理想なのである。日本では、「働けるのに働かない」のは病気であるとみなされる。逆にインドのバラモン階級の大富豪の御曹子が「働きたい」とか言ったら精神科医のところに連れてゆかれる。
韓国も儒教の国だから、日本人が職業を訊きかれて「タクシーの運転手をしています」「ラーメン屋をしています」と<恥ずかしげもなく>答えるのを見て、「恥知らずな、犬のような連中」だとあざ笑うのだそうである。こういうとき、韓国人は「事業をしています」と答えるのだそうだ。まして、「日本一のラーメン屋を目指しています」とかいったら、狂人以外の何者でもない、と思うらしい。
パクリ屋、という連中がいる。立件して有罪に持込むのが難しい、という意味では「合法」である(「脱法」という言葉もないではないが、被害者の立場からいうと気休めにしかすぎない)し、仮に有罪判決が出ても金が戻ってくるわけではないので実効性がない。これを「ビジネス」、すなわち仕事と認め、働いても金が入ってこないものを仕事と認めないならば、パクリ屋の被害者は「仕事をしていない」ことになり、パクリ屋は「仕事をしている」ことになる。
『「仕事」とは、畢竟「自分の仕事」である』と断じたのは哲学者の福田定良である。自分の価値観において何事かを為すのが「仕事」である。
Mariaが自閉症方面の本を執筆している、というのも、どう考えても儲かりそうにない。けれどもあの仕事はMariaにしかできんのである。だとすると、あれはどう考えても仕事ではあるまいか。もっとも、「いま現在生活に困っていないお金持ちのお遊び」という反論があるのは仕方ないと思うのだがね。
確かに、「ゼニに換算できんものには価値がないのだ」という人間はいる。それはたぶん「健常者」にとって当然の発想なのであろうと思う。
しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見えない。
(Mr.Moto)
今日はオフ会でお会いできてよかったです。
他の参加者にも、よろしくお伝え下さい。
では、そろそろ寝ます。またあいましょう!
おやすみなさい。
Baca wrote:
>>
># 武田好史さんへ
>べつに武田さんに怒ってるんじゃないんだってば。
いえいえこちらこそ、無理に笑えなどいってすいません。
なんか「ちゅらさん」のエリーと同じ失敗をしてしまったようです。
Mr.Moto wrote:
> 日本国憲法・第二十七条には、『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う』と書いてある。
「勤労の権利を有し、義務を負う」とはどういうことか?
憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険があるからということだろうか? たとえば、就業できる能力があるのに、何かの口実をつけて働かせないとか?
「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人までも、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうにも能力的に無理な人はどうなるのか?
納税の義務のように、本来義務というのは、それをしないと罰せられる(たとえば脱税すれば、みんなが税金を支払っているのに、脱税した人は国家からのサービスを代価なしでただ食いすることになり、犯罪であろう)とか、あるひとが誰かに先行して何らかの負債を負っている場合、それに値する行為をしなければならないような状態のことを指すものなのではないだろうか。
そもそも「国民」は何(誰)に対して「義務を負う」のだろうか?
> そんなわけで、非自発的失業者は、その「勤労の権利」を行使しえない状況に置かれているのだから、救済されるべき存在なのである。
非自発的失業者、つまり自分は働きたいのに就業できないというのも、厳密には正しくなかろう。そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。
> 多くの人が仕事(より広い意味では、生産的な立場で社会活動に参加する行為)から「やりがい」「生きがい」を得ている。そうした人々は失業者や「引きこもり」の人々に嫉妬する理由はない。
> これに対して、自発的失業者や「引きこもり」の人間を声高に批判する人間の多くは、「仕事が楽しくもなければ辞めたくもない」という人間で、なおかつ「失業するのではないか」という不安を抑圧している人間である。まあ、そうした人間のメンタリティを取込んでそれを声高に叫ぶことで商売にしている評論家なんていう生き物もいるのだが、これは同じ穴の狢ということにしておこう。
失業者やひきこもりを非難する人たちは、嫉妬から発言しているというよりも、そうやって他者を批判することでかろうじて自分の位置を確認しようとしているのではないか。
(後略)
日本国憲法・第二十七条には、『すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う』と書いてある。
そんなわけで、非自発的失業者は、その「勤労の権利」を行使しえない状況に置かれているのだから、救済されるべき存在なのである。
多くの人が仕事(より広い意味では、生産的な立場で社会活動に参加する行為)から「やりがい」「生きがい」を得ている。そうした人々は失業者や「引きこもり」の人々に嫉妬する理由はない。
これに対して、自発的失業者や「引きこもり」の人間を声高に批判する人間の多くは、「仕事が楽しくもなければ辞めたくもない」という人間で、なおかつ「失業するのではないか」という不安を抑圧している人間である。まあ、そうした人間のメンタリティを取込んでそれを声高に叫ぶことで商売にしている評論家なんていう生き物もいるのだが、これは同じ穴の狢ということにしておこう。
「自分もいつ失業するかわからない」という不安を抑圧するためには、「ちゃんと仕事をする(ちゃんと仕事ができる)人間は、失業したりしない」といった精神の歯止めといったものが必要である。
ところが実際には経営者がヘタを打ったり取引先がパクられたりして ほとんど理由なく人間は失業するのであり、下手をすると有能であるがゆえに仕事に追い立てられて障害を負い、失業したあげく再就職もままならなかったりもするのである。
そんなわけで、そうした連中というのは、「あいつらはダメなのだ。だけどおれはちゃんとしているのだ。だからおれは大丈夫なのだ」とか訳のわかんないことを言いだすのである。「あいつら」というのが誰で、なにが「ダメ」で、どこが「ちゃんとして」いて、それがどうして「大丈夫」という結論に結びつくのかはまったく不明なのだが、とにかく理屈でも蜂の頭でも持ってきて「大丈夫」ということにしなければ治まらない。治まらないのだけれど治まるかといえばやっぱり治まらない。なにしろ、それが「気休め」「ごまかし」「自己欺瞞」であることを心の底ではうすうす気づいているからだ。
こうした病んだ連中が、自分らが勤労者の意見を代表しているような気になって失業者だの「引きこもり」の人間だのを攻撃するものだから、それに対する反撃というのが、彼らが代表しているつもりの人間のところに降りかかってきたりするのである。
つまり、こういう病んだ連中というのは軍事的に言ってみれば便衣隊、有り体に言ってスパイなのである。一般市民と紛らわしい格好をしてその中にまぎれこみ、「敵」と狙いをつけた相手に対して発砲する。反撃を受ける頃にはさっさと自分らは安全地帯に引っ込んでおり、攻撃を受けた一般市民はやみくもに反撃を行ない、けっきょく戦う理由のない人間同士がドンパチを始めることになってしまうのだ。
Maria wrote in 『いじわるについて。』(No.6681):
> あたしは、いわゆる「健常者」が自分をごまかして自分を正当化することを、
>自閉症方面の人間が理解してあげて、それを赦してあげる必要があるんだろう
>か、と思っちゃうんですね。だって、いわゆる「健常者」は、あたしたちに対
>してそんなに優しくないんだもの。あさかぜさんや青りんごさんやくるとさん
>みたいに(そして、あたしみたいに)、機能の上では「実質上の健常者」なん
>だけど、メンタリティとしては「障害者」の側に立っている人間としては、そ
>ういう『いわゆる「健常者」』というのが、二重に迷惑なんですよね。ぷんぷ
>ん。
Mariaのこの発言は、病んだ連中が『いわゆる「健常者」』の立場を代表すると称して行なう攻撃の被害を受け、同時に「障害者」の側からの反論も受け止めざるを得ない立場の人間としての発言である。
本人に直接質したわけでもないし本人が正直に答えてくれるかはまた別問題なのだが、武田さんやくるとさんは病んだ奴も病んでいない奴もひっくるめてそうした「攻撃」に対して「先守防衛」の態度を取っておられるようにお見受けする。Mariaも本来は同じ立場なのだが、
> いわゆる「健常者」は、いわゆる「健常者」に対して寛容です。「人間の
>弱さ」だとか「人間の哀しさ」だとかいった形で、お互いのわがままを正当
>化し、赦しあっています。そういう連中に、優しくしてやる理由があるのか
>なぁ、と思っちゃうんですよね。
> 自分をごまかして生きる人間は、決して幸せになれません。だったら人生
>のなるべく早い時期に、「自己欺瞞するんじゃねーよ」と思い知らせてやる
>のが親切というもの。あなたがたが正心に立ちかえれば、この世は神の国に
>なるのです。汝ら悔い改めよ、天の国は近づけり、げしげし、とかいって足
>蹴にしてやろうかしら、とか思ってしまいます。そういう奴は、口で言って
>も決して納得しません。だって、言葉というのは理性に働きかけるものでしょ
>う? そういう奴は、自分の理性をごまかしてるんだもの。やっぱり大脳旧
>皮質辺縁系とかに訴えてあげないと。
といった発言を見ると、病んだ連中を「彼らにふさわしく正当に遇して」やるべきだと考えている点でやや攻撃的である。こうなるとちょっとテロリズムの臭いがしてくる。
私はといえば、「スパイにはジュネーブ条約は適用されないから、たっぷりと拷問した上で見せしめに処刑してやればよい」という立場だ。ただし、この『アスペルガーの館の掲示板』に出てくるような輩は加害者側のメンタリティを取込むことでようやく自我を支えていうような奴ばっかりなので、Mariaがちょいと呪文を唱えるとたちどころに呪縛が解けてしまう。おれとしては出番がなくて物足りないことおびただしい。どうせなら「失業者どもや引きこもりの連中がなぜ人間のクズなのか」といった論陣を堂々と張ってくれる、十分に手強いディベーター(上祐・青山クラスではまったくの力不足である。苫米地もあかん)でも出てきてくれんかなぁ、と思う。
失業者や「引きこもり」を非難する連中は、せいぜい家庭を避けて職場に引きこもっているような連中なのである。「世の中はゼニ掴んだ奴がいちばん偉いんじゃあ!」と思っていることを素直に言えよバーカ、そのほうが楽だぜ?と言ってやったらよろしい。それ言うたらそういうバカ自身がゼニの奴隷で廃残者だということがよくわかる。
まともにとりあってイライラし、健康を害することもないと思うのだが。
(Mr.Moto)
Mr.Motoさん wrote:
> 私はカナリアだ。沈黙はすなわち死である。けれども、ただ鳴くだけでは仕方があるまい。
(カナリアの意味がMotoさんとは違っちゃうけど)
「カナリア」と「ひきこもり」で、下の詩を思い出しました。
さねよしいさこさんの詩(うろ覚え)です。
(著作権的にやばいのかな…掲示板に書いちゃうのは。そうだったら教えてください。削除するので。)
私が以前、かなりディープにひきこもっていた時、勇気づけられて繰り返し呟いていた詩です。(今現在も、ひきこもり中ですが。)(いや、「戦略的撤退」? ←Mariaさん、これいい言葉〜。)
私的な解釈。最後の「だいじょうぶ」っていうのは、無責任な「だいじょうぶ」ではなく、もっと決意とか信念を込めた言葉だと私は思います。「私はこのまま行くんだ、自分を信じる」みたいな。
でも私の場合、ちょと弱々しい信念かもしれないですが(笑)
自分に言い聞かせてる感じ。「きっと、大丈夫だから、大丈夫なはず」って。
なんとなく、武田さんへ。
あと、今までに歌えなくなったことがある全部の方へ。
わたし いま うたを忘れた カナリアだよ
でも カナリアだってことは 忘れないでいよう
そうすれば だいじょうぶ
くると(包括性LD) wrote:
>武田好史さんwrote:
>>私の特徴
>>身長178cm。
>>縮れ毛の髪。
>>青いチェックの半袖ワイシャツ・ジーンズ・眼鏡という服装。
>>早く来られれば、ドナ・ウイリアムズさんの「こころへの贈り物」を読んでいる。
>>
>>以上見つけておくれ!
>
> 了解!!ちなみに対抗してわたしの特徴を…
>
> なぜか「般若心経」が書いているTシャツを着ていて、ボロボロのメガネ
>をかけている。
おはようございます。
昨日今日と、少し涼しくて気持ちよい天気ですね♪
新宿オフ、わたしも参加します、参加者のみなさん
よろしくおねがいしま〜す。
服装は、まだ決まってない・・・
Baca wrote:
>>謝らんでいい、掲示板のルールとも関係ない
Mr.Moto wrote:
>という態度は立派だと思う。もちろん、オレンジブルーちゃんを『アスペルガーの館の掲示板』からいびり出>した、という汚名を着たくない、といった小狡い計算が……それほどなければの話だが。
そこまで考えておりません。
Mr.Moto wrote:
>武田さんがハズしまくっているというのはとりあえず事実として(事実なのか(^_^;))、「それは言わない約束でしょう?」みたいな暗黙の了解があるのもまた事実なのだ。そこにツッコミを入れる君も十分に顰蹙を買う程度にはハズしているということが認識できない点で、すでに武田さんを笑えない程度に十分にハズしているとは言えまいか。まして「SSRI の効き過ぎか?」は、Bacaちゃんの品性を疑われる以上の結果を生まないように思う。おれの知っているBacaちゃんはそういう人物ではなかったように思うが如何。
顰蹙を買うのは承知でした。「SSRI の効き過ぎか?」については品性を疑われても仕方がありません。仰る通りです。
しかし武田さんは、オレンジブルーさん wrote:
>引きこもりの人って、それこそなんだか我が侭に見えてしまう?。。。。
というような言葉に人一倍傷ついてきたはずです。
2001年2月13日
>あなたは甘えていると思います。
>あなたを支えている人たちがかわいそうです。
>あなたは、なぜインターネットができているのですか?
>あなたは、なぜ暖かい場所で眠れるのですか?
というある人の発言に対し、武田さんは「その通りです」というような趣旨の発言をしました。ぼく(tori)はそれが許せずに、「それは違うだろう」という趣旨の書き込みをしたのが、この掲示板との出会いです。武田さんは他にも「世の中の役に立ちたい」というようなことを何度か書き込んでいます。武田さんがどう考えようと、どのような発言をしようと一向に構いません。けれども、実際は人が働くのは自分の利益のためです。ですから、働いていないという理由で「人」を批判できるのは、「扶養者」を除いては他に誰もいないはずです。
自発的、非自発的に関係なく、失業者に対しては、個人の生活の質にまで立ち入って口出しできると考えている人には、「社会の役に立っていないのだから当然、贅沢するなどもっての他」と誤った思い込みがあると思われます。そしてその元にあるのは、おそらく嫉妬の感情ではないかと思われます。そのような理由から、働きたいが働けない非自発的失業者に対する上記のような発言は、決して許されることではないと考えます(自発的失業者に対しても同様ですが)。
No.7125 は、武田さんに対する精一杯の皮肉のつもりでした。
なぜならNo.7114 のような一連の怒りの発言は、武田さんのような人たちが必要とする「盾」であると思うからです。
No.7117 の武田さんの「ただどんなに落ちぶれようと、笑顔だけは忘れたくない」という言葉で肩透かしを食らったので、そのことを訴えたいと思い、あのような発言内容となりました。それと、武田さんに対して若干の怒りを覚えたことも、ここに付け加えておきます。
# 武田さん、そして他にも不愉快に感じられた方がいらっしゃれば、この場でお詫びします。
# 申し訳ありませんでした。
>「わからんかったら、あとは自分で考えろ!」という発言は、おれの視点から見れば甘えでしかない。「心の理論」をめぐるシュッツさんとMariaの論争を見てほしい。「わからんのなら、わかるように説明する」のが掲示板におけるありかただと信じているからこそ、ああいったねちっこい論争に発展したのである。
# オレンジブルーさんへ
このレスを読めば、No.7127 の発言の趣旨を理解していただけると思います。
わからなければ、その旨書き込んでください。お待ちしています。
# Tien さんへ
あなたの言葉は、本当に人を追いこみかねない。自分で窮状を選ぶ人間などいません。乱暴な言葉遣いは謝ります。ごめんなさい。
# Mr.Moto さんへ
何かわからない点があれば指摘してください。
# くるとさんへ
「引きこもり」とは、人生の一時期における身の処し方であるとぼくは考えます。したがって、社会問題ではあるけれど、それを理由に個人の選択に関して、他者が口をはさむことはできないと考えています。晩婚化を理由に、30歳以上の女性に一様に結婚・出産を強制することなどできないように。
# 武田好史さんへ
べつに武田さんに怒ってるんじゃないんだってば。
Bacaさん wrote:
>お前みたいに下見て優越感に浸ってる奴見ると
>日本は腐ってるなあ、と思うな
オレンジブルーさんは別に見下していた訳ではなく、単に事実誤認が
あっただけだと思いますよ。
要するにBacaさんが
(1)どの点において事実誤認があるのか?
(2)どの点において怒りを感じるのか?
を冷静に語ればいいことなのです。意見の異なる相手と同じ土俵に立た
ず、かたぱっしからののしっていく態度にはあまり賛成できません。
Bacaさん wrote:
>わからんかったら、あとは自分で考えろ!
より正確な議論が展開されるため、Bacaさんが理解するところの「引き
こもり観」を提示してください。そして、その「引きこもり観」がオレンジブ
ルーさんやTienさんや武田さんの「引きこもり観」とどの点において異な
っているのか提示すべきだと思います。
今の段階では他の方の「引きこもり観」は理解できましたが、Bacaさん
自体の「引きこもり感」が提示されていません。
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