アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
るおう wrote:
>一穂(いちほ) wrote:
>>次はわたしもじゃがいもジュースに挑戦したいと思ってます。
>
>じゃがいもジュースってどんな味で、どんなしろものなんでしょうか?
>とても不思議。
その不思議な飲物に挑戦したのはくるとさんです。
生のじゃがいもをしぼったジュースですが、
くるとさんによると、ほんのりと甘い味がしたそうです。
色は淡い緑色だった。
(昨日のオフ会で新宿御苑に行った帰りに、
御苑の新宿門の近くにある生野菜ジュースの店に寄りました。
(行きたいっていったのはわたしです(^-^;)
わたしは、セロリやらパセリやらにんじんやらが入ったジュースを飲みました。)
武田さん wrote:
>「自閉症」と呼ばれる人たちはその範囲になんとかくいこもうと四苦八苦します。
「普通」って流される中でうまくやろうとする人たちでしょ。Aタイプは、そのフォーメーションの行き先に疑念があってフォーメーションはずしたとこへ出てるんだと思う。フォーメーション自体が求心力なくしてまとまるのが難しくなってるとも言えるけど、いずれにせよ適材適所でうまく居直れないと。おしくら饅頭でつぶれたがんないで。
このスタンスは好きだなー。
Mr.Moto wrote:
>しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見えない。
一穂(いちほ) wrote:
>次はわたしもじゃがいもジュースに挑戦したいと思ってます。
じゃがいもジュースってどんな味で、どんなしろものなんでしょうか?
とても不思議。
みちる wrote:
>そうなんだ。私OPIUM好きなんですよ。だから虫系が好きなのかな。
>蝶も好きですよ。このあいだ釣りにいったら、ちょっと変わった蝶をみつけまし
>た。その辺の図鑑にのっていなくて、調べてみようと思っていました。
>お好きな蝶ってありますか。
Tienです。好きな蝶は、レテノールモルフォと烏揚羽蝶です★
Tien wrote:
>Xanadii wrote:
>>カブト虫って、あの匂いがたまりまへんな、私は苦手です。クワガタ虫の方がだ
>>んぜん好み。←こういうのって横レス?
>
>横道ですが、香水の「OPIUM」は、外国人の方に言わせると「エキゾチック」だそうですが、まさにカブト虫の香りでございます。でもクワガタ虫も似たような匂いじゃないですかねえ。(+_+)
そうなんだ。私OPIUM好きなんですよ。だから虫系が好きなのかな。
蝶も好きですよ。このあいだ釣りにいったら、ちょっと変わった蝶をみつけましたた。その辺の図鑑にのっていなくて、調べてみようと思っていました。
お好きな蝶ってありますか。
みちることなおみの夢
Maria wrote:
>
> そんなわけで、世の中の多くの人がほぼ共通に持っている「世界観」のようなものがあり、あたしたち自閉症方面の人間の多くがほぼ共通に持っている「自閉症的世界観」のようなものが存在する。で、この二つは異質なのですね。で、前者よりも後者により「しっくりくる」人間が、「自閉症方面の人間」だとあたしは定義しました。
なるほど、わかりやすいです。このごろ難しいことが考えられなくなっている
私にとって、ありがたいです。
> この定義だと、医学的にはどこをどう調べても「自閉症」ではないのだけれど、なぜか「自閉症的な世界」に強く惹かれ、その世界を居心地よく感じる人たちというのも、「自閉症」と認められることになります。
>
> そんなわけで、あたしは「自閉症」を「病気」としてではなく、「世界観の違い」として捉えています。あたしはこの姿勢を変えるつもりはありません。がうがうがう。(←べつに武田さんに吼えているわけではない。)
>
>
私もそう捉えています。ただその独自の世界観を誇示しすぎる人は疲れちゃいます
けどね。少しでも譲歩しようとか、相手の世界観も見つめてみようかな・・・。
と、言う人とはOKですが。誰でも人づきあいは気を使っているわけですから
そのことをマニュアルとしてでいいから頭に入れて置いてほしいものです。
私はASの皆さんの独自の世界観の持ち方というか、捉え方は好きですよ。
私たち普通人にはないから・・・。
このところ館では健常者の批判が多いようにお見受けしました。なんだか私も書き込みしずらくって、傍観していたところもあります。
どうか、世界観の違う人間として受け止めてみてはくださいませんかしら。
(Mariaちゃんのことじゃなくってよ。)
このごろ私、息子がうらやましい。自分の世界があって、そのことだけに集中できるから。彼の世界では自分のやりたいことがすべてで、迷うことがないから。
みんな普通の人にあわせて、心身共につかれているのよね。その対極にわたしがいる。不思議なご縁です。
とんだ横レスでごめんね。
みちることなおみの夢
武田好史 wrote:
>「普通」「自閉症」という言葉のあなたとしての定義は、どんなものですか?
僕の稚拙な考えを述べさせていただくとすれば、
自閉症者は「霊能力者」みたいなものである。普通の人には見えない(感じない)ものが感じられる(見える)人。逆に普通の人に見える物が見えない人。それが見えることによって活躍する事もあるし、逆に怯えてしまう事もある。心の中にそれぞれ個人の「宇宙」がある。「普通人の考える孤独」は耐えられる方である(誤へいがあるかもしれないので先に誤っときます)。時にスカウターが壊れる程のエネルギーを出すことがある。個人行動が主である。記号で言えば「><」。類似語に「NT」がある。
普通の人は「平均的な人」オールラウンドに対応できる(そんな人は居なさそうだが(苦笑。)が特筆した能力は無い。心の中に「連帯感」がある。「孤独」を排除したがっているらしい。スカウターは多分壊れないだろう。団体行動が主である。記号で言うと「=」。類似語に「一般兵」がある。
このような感じです。
くるとさんwrote:
>武田好史さん wrote:
>>今日はオフ会でお会いできてよかったです。
> こんにちわ、くるとです。
>
>この掲示板から参加をされたみなさん。名前を公表できない方もいるけど
>どうもありがとうございました。
>
> そうそう、一穂さんには実質的なウラ幹事をお任せすることになってし
>まい、ありがとうございました。わたしの手際がもっとよければ…
>
> 今後もオフ会をたまに開きますので、よければ遊びに来てください。以
>上、昨日の携帯電話の嵐でくたばりかけているくるとでした。
昨日は楽しかったです。
なのになぜか一番印象に残っているのは、
半分ねぼけた状態で食べた、お夕飯のえびのてんぷらの味。
おいしかった〜!
(わたしはえびのしっぽが大好物なのだ。)
とかいって、でもみんなの顔はちゃんと覚えてますよ。
帰りは眠くて眠くて、
うちについたとたん寝てしまいました。
かなり疲れたらしく、それからぶっとおしで
12時間くらい寝てしまった。
・・・ウラ幹事って(^-^;
声がでかいだけだと思う。
くるとさん、うまくまとめていたと思いますよ。
くるとさんが男性だったことにはびっくりでしたけど。
・・・また、オフ会やるときは誘ってください。
成人LDの会のみなさまにも、よろしくお伝えください。
次はわたしもじゃがいもジュースに挑戦したいと思ってます。
皆さん、昨日はよく眠れたでしょうか。名加野でございます。
昨日は途中で僕の我侭のため抜け出してごめんなさい。
次回はゆっくりお話したいと思います。
東京へ行くと、せっかく(貧乏性)だから秋葉原へ行きたくなってしまいますね……。困った。
Baca wrote:
>あなたの言葉は、本当に人を追いこみかねない。自分で窮状を選ぶ人間などいませ>ん。乱暴な言葉遣いは謝ります。ごめんなさい。
いいのよ、よく人を追い込んで、とは言われます。私こそ気に触ったらごめんなさいね。ちゃんとご飯食べてる?自分を追いつめないでね。
私だってほんとうはやさしいんだよ...。
武田好史さん wrote:
>「普通」「自閉症」という言葉のあなたとしての定義は、どんなものですか?
これは現在執筆中の文章のテーマと密接に結びついているのでコメントすることにしました。ただ、「普通」の定義についてはまた別に論じたいと思います(もう論じているかもしれない。過去ログを見てみます)。「ふつう」と「普通」と「フツー」はあたしにとって別ですし。
「自閉症」という言葉はドイツ医学的な「病因論」から来ています。そんなわけで、身体のどこかに「自閉症」というものが「ある」のが自閉症の患者。
とはいえ、べつに自閉症の病巣があるとか自閉症筋が検出されたとかいう話ではないので、この定義はあんまり役に立たないのですね。困ったにゃあ。で、アメリカ流の治療医学から来る考え方としては、『「症状」があって「治療法」がある』という、この対応関係こそが問題にされるべきだということになるわけですね。これが「症候群」という考え方です。
で、あたしはこのどっちの立場も取らないのですね。
自閉症の症状を「症状」として意識しないところまで高度に社会に適応した自閉症方面の人間がいます。たとえばあたしです。あたしにとって「症状」と呼べるものがあるとすれば、それは「何かが違っている」という「違和感」なのですね。
そんなわけで、世の中の多くの人がほぼ共通に持っている「世界観」のようなものがあり、あたしたち自閉症方面の人間の多くがほぼ共通に持っている「自閉症的世界観」のようなものが存在する。で、この二つは異質なのですね。で、前者よりも後者により「しっくりくる」人間が、「自閉症方面の人間」だとあたしは定義しました。
この定義だと、医学的にはどこをどう調べても「自閉症」ではないのだけれど、なぜか「自閉症的な世界」に強く惹かれ、その世界を居心地よく感じる人たちというのも、「自閉症」と認められることになります。
逆に、本来その人は自閉症的な世界の住人なのに、そうでない世界に生きようとして苦しんでいたりすると、これは一種の同一性障害だと考えることができます。いわゆる『みにくいあひるの子』的な状況ですね。
あるいは、本人は自閉症的世界の住人としてのアイデンティティを持っているのに、周囲がそうでない世界の人間として生きることを要求する、というケースもあります。「どうしてあなたはそんなに烏賊らしくないの?」「だから、私は蛸なんだってば」(No.6239、『「他者」って何だろう』)みたいな状況です。
そんなわけで、あたしは「自閉症」を「病気」としてではなく、「世界観の違い」として捉えています。あたしはこの姿勢を変えるつもりはありません。がうがうがう。(←べつに武田さんに吼えているわけではない。)
(Maria)
Tien wrote:
>みちるさん、掲示板よく見てなくてお返事遅れてごめんなさい。お礼と言っては些少ですが、国産カブトムシについてはここを見て連絡してみてください。
>http://www.interq.or.jp/world/fio/index.html
>サイトも、最近は私のすきな甲虫ゴライアスとかヘラクレスとかの外産ものの通販サイト(当然高い!)ばかりですね。
ありがとう。Tienさん。
私ではここまで探せなかったわ。本当にありがとう。息子も喜びます。
本当にどうしようと思っていたほど??????がいっぱいつく息子だったけど
(いまだに日本語は起承転結がちゃんとできず意味不明)少しずつお兄さんになり
いろんな興味もでてきました。よかった。何とかカブトムシの件はちゃんとやらせたかったので、助かります。
本当にありがとう。
息子もヘラクレス好きみたい。コーカサスもいいなあって言っています。
自分にはない強さに対する憧れがあると、親のあたしはみてますが・・・。
ところでTienさん。もうだいじょうぶ?
つきなみだけどがんばってね。
私も、だいぶ良くなったよ。好きなことするのが一番だね。
昨日も海に行って、少し秋のにおいのする海を見つめていました。
子供たちは、砂浜を走り回り、流木でいかだづくりをしていました。
どこに行きたいんだろう・・・。
焚き火をして、ぼーっとしていました。周りの人はシャケ釣りをしていて
時々歓声があがるのを、見ていました。いい型の四キロはあるいいシャケでした
自然だなあって感じ・・・。
秋がやってきます。心静かになれますね。秋大好きなんです。
いつも助けて下さってありがとう。
またカキコしましょうね。
みちることなおみの夢
武田好史さん wrote:
>今日はオフ会でお会いできてよかったです。
>他の参加者にも、よろしくお伝え下さい。
>では、そろそろ寝ます。またあいましょう!
>おやすみなさい。
こんにちわ、くるとです。
この掲示板から参加をされたみなさん。名前を公表できない方もいるけど
どうもありがとうございました。
そうそう、一穂さんには実質的なウラ幹事をお任せすることになってし
まい、ありがとうございました。わたしの手際がもっとよければ…
今後もオフ会をたまに開きますので、よければ遊びに来てください。以
上、昨日の携帯電話の嵐でくたばりかけているくるとでした。
> うちの御大(Joshya氏である)は心臓病持ちなものだから、実質的にプログラマーくらいしか再就職の道がない。ところが、もといた会社が在職中に開発した技術に関する権利を主張したがために、実質上同業種への再雇用の道を断たれてしまったという経緯がある。こういうのは憲法違反のはずだが、それを明らかにしようと思ったら下手をすると最高裁まで争わねばならない。問題はその裁判費用はどこから出るかというとJoshya氏が開発した製品から上がった利益から出るのであり、裁判に勝ったところで相手企業がコケていたら一文にもならず裁判費用が持ち出しとなり、何のために裁判を起こしたのかわからん、ということになる。まして負けでもしたら大損である。
>話がよく見えないのですが、一時的に休職しているあいだに、そのひとが開発
>した技術に関する権利を会社が所有することにしたということでしょうか。
>それだけの能力があるわけでしたら、さらに新しい技術の開発を期待されても
>との会社で働くことはできないでしょうか。あるいは、給与の取得のシステム
>が、当事者にとってあまりにも不利なため、受け入れ不可能ということでしょ
>うか。
Joshya氏本人については、一応は時効のはずだが事実関係に関してはパス。
青色発光ダイオードの発明者の中村さんは会社を辞めて渡米したのだが、企業に就職すると訴えられそうだったので大学に就職した。ところがそれでも訴えられた。なお、移った先の大学で研究しているのは青色発光ダイオードの延長である青色半導体レーザーである。もといた会社では、青色発光ダイオードの発明の報酬として得たのは報奨金が四万円とかいっていた。給料だって決して高くはなかったそうである。そんなわけで、中村さんは米国の研究者に「スレイヴ(奴隷)・ナカムラ」と呼ばれていたそうである。中村さんは発明報酬として二十億円を会社に請求中だが、会社のほうは対決姿勢を崩していないらしい。
問題は、「さらに新しい技術の開発を期待される」といっても、それ以前に開発した技術とはまったく連続性のない「全く新しい技術」を開発できるような才能を持った人間はめったにいないということなのである。Joshya氏やKILROY氏はそれができる希有な才能の持ち主で、日本語処理システムの中の意味表現理論や記述文法や「チャート法解析エンジン」や「トリプル配列による高速ディジタル辞書システム」はそれぞれまったく別の技術ではあるが、これはそれぞれの単独ではほとんど役に立たず、全体が一つになってJAI-Parserという日本語処理システムを構築している。視覚情報処理システムなんていう一見畑違いの技術も開発はしているのだが、これも日本語処理システムと中枢部の処理エンジンを共有している。
そんなわけで現在のJoshya氏はライター稼業に身をやつして(まあ、ライターという職業は本人けっこう気に入っているらしいし、特に賤業意識もないのだが)いるのである。
>その、ときどき登場する「大森総合研究所」とは何でしょうか?
とりあえずコラボレーション・ユニットか何かだと思っていてくれ。過去ログを探るとどっかに出てくる。
>あえて労働者の公約数の立場で言うなら、労働はおもしろくないことのほうが
>多いのではないでしょうか。
>たとえばですよ、もしも数10億円ものお金が入ったら、ぼくだったらすぐに仕
>事は辞めますね。
人間はなかなかパンのみにて生きられないのだよ。マズローの「欲求の段階説」というのがあって、人間は衣食が足りると礼節を知るようになってしまう。外人女性を殺害して逮捕された織原という男がいたが、バブル時代に隠した資産があって収入はあったのだが、国税局にバレたら資産を押さえらてしまうので、貯金もできなきゃ投資もできん。けっきょく女遊びに注ぎこむくらいしか金の使い道がないのだ。で、金を持っているだけでは人間は尊敬されない。そんなわけで頭がおかしくなって殺人である。犯罪に走る前に世の無常を悟り、さっさと仏門にでも入ればまだ救われたのだろうがね。
そういえば、父親の遺産数億円が転がりこんできたのでスーパーコンピュータを買った、という流体力学の研究者がいた。それまでは半年待って十五分使えるかどうか、みたいな状態だったのが、いきなり二十四時間使用可能なパーソナル・コンピュータである。とにかく論文を書くのが追いつかないほど研究が進み、「もう、いつ死んでもいい」とマジで思ったそうである。そのうえマシンタイムの切り売りが商売になって、あろうことか企業として成立してしまったという。
本気で実現したいことに金を使うと、けっきょく「仕事」になってしまいそうな気がする。金というのはなかなか無駄には使えないものである。
>> しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。
>>それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見え
>>ない。
>たしかにそうですが、たくさんの健常者を十把ひとからげにしてバカ扱いする
>のには賛成しませんが。
「メメント・モリ(死を想え)」という言葉があってだな、人間一度死にかけると、「やっぱり命は金で買えん」とつくづく納得する。まあ、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」という奴も多いのだがね。その意味で、「健常者」というのは「大病をしたりして、死ぬような目にあったことのない人間」くらいに思っといていただきたい。
なお、「そういう大多数の人間が納得するような表現ができるのなら、どうして最初っからそういう表現をしないのか」と言われそうだが、こうやってわざと過激な発言をして他人のツッコミを誘い、そこから議論を深めてゆくというのもひとつのテクニックである。すべって無視されるとけっこうサムいが。
(Mr.Moto)
Bacaさん wrote:
># くるとさんへ
>「引きこもり」とは、人生の一時期における身の処し方であるとぼくは考え
>ます。したがって、社会問題ではあるけれど、それを理由に個人の選択に関
>して、他者が口をはさむことはできないと考えています。晩婚化を理由に、
>30歳以上の女性に一様に結婚・出産を強制することなどできないように。
考え方について、Bacaさんの「引きこもり観」はわたしと大きな違い
はありません。(というか、よく似ていることに今回のコメントで気がつい
た)
ただ、できれば皮肉や罵詈雑言を使用せずに討論を展開していただければ
幸いです。今回のようなコメントでしたら、納得ができます。
昨日の新宿オフ会に参加して、私は一つ疑問に思ったことがありました。
「普通」「自閉症(アスペ)」の定義というのは、相対的なもので、人それぞれ異なっています。
「普通」と呼ばれる人たちは、ある範囲を逸脱してしまった人を「自閉症」としてつまはじきにし、「自閉症」と呼ばれる人たちはその範囲になんとかくいこもうと四苦八苦します。
さてここからが問題です。とどのつまり「普通」「自閉症」という言葉は、「普通」と呼ばれている人からの視点と「自閉症(アスペ)」と呼ばれている人からの視点では、大きな開きがあるように思えます。
そこでみなさんに質問です。
「普通」「自閉症」という言葉のあなたとしての定義は、どんなものですか?
Mr.Moto wrote:
>ひま人さん wrote:
>>憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険が
>>あるからということだろうか? たとえば、就業できる能力があるのに、何か
>>の口実をつけて働かせないとか?
>
> たとえばの話、研究開発部門で働いていた人物が会社を退職した場合、他社に就職して同じような仕事をしようとすると、「トレード・シークレットの漏洩」ということで訴えられる可能性がある。したがってその人物を雇用しようとする会社はその人のもっとも利用価値のある技術を利用できないわけで、したがってその人物は別の職種を選ばなければならなくなる。
なるほど。
> うちの御大(Joshya氏である)は心臓病持ちなものだから、実質的にプログラマーくらいしか再就職の道がない。ところが、もといた会社が在職中に開発した技術に関する権利を主張したがために、実質上同業種への再雇用の道を断たれてしまったという経緯がある。こういうのは憲法違反のはずだが、それを明らかにしようと思ったら下手をすると最高裁まで争わねばならない。問題はその裁判費用はどこから出るかというとJoshya氏が開発した製品から上がった利益から出るのであり、裁判に勝ったところで相手企業がコケていたら一文にもならず裁判費用が持ち出しとなり、何のために裁判を起こしたのかわからん、ということになる。まして負けでもしたら大損である。
話がよく見えないのですが、一時的に休職しているあいだに、そのひとが開発した技術に関する権利を会社が所有することにしたということでしょうか。
それだけの能力があるわけでしたら、さらに新しい技術の開発を期待されてもとの会社で働くことはできないでしょうか。あるいは、給与の取得のシステムが、当事者にとってあまりにも不利なため、受け入れ不可能ということでしょうか。
> そんなわけで我々大森総研のメンバーが『アスペルガーの館の掲示板』にこうして顔を出していたりするのである。世の中は何が起こるかわからない。
その、ときどき登場する「大森総合研究所」とは何でしょうか?
>>「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば
>>資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人まで
>>も、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうに
>>も能力的に無理な人はどうなるのか?
>
> 資産家にしろ宝くじが当たった人にしろ、その金は自分が稼いだ金なのである。それを使う権利は当然ある。投資や資産運用で金を稼いでいる人は、投資や資産運用という形で「勤労」しているのである。
たしかに、投資で利益を得ようとすれば、かなり頭を使わなくてはならず、これも労働の一種と考えることもできるでしょう。
そんなわけで、遺産相続とかいうと、ごっそりと相続税なるものを取られるのである。それは「不労所得」といって、「勤労」の結果として得られた金ではないからである。
> 要するに、働く能力があるのに働かない奴は尻を叩かれる、ということなのである。叩かれて痛いか痛くないかはまた別問題なのだ。
働く能力があるかどうかを区別するのは難しいし、かりに働く能力があってもニーズがなければ仕事はこないわけで、そのへんをどう考えるべきか。
> 日本には義務教育というものがあって、子供には必ず必要な教育を受けさせなければならない。だからといって子供を作らなくてはいけない、というものでもない。
>
> ちなみに、頭脳労働者は「勤労者」に入れてもらえないという風潮が日本にはある。うちのJoshya氏はおそろしく有能なアルゴリズム開発者なのだが、儲けた金はみな持ってゆかれてしまった。
そもそもお金を稼ぐこと自体を罪悪視するようなところもあり、お金が儲かればそれに逆比例して心が貧しくなるなどと考える風潮もある。
>>そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので
>>仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。
>
> 労働を苦役とするのは、カトリック的、あるいは儒教的発想である。日本人は「生涯現役」こそが理想なのである。日本では、「働けるのに働かない」のは病気であるとみなされる。逆にインドのバラモン階級の大富豪の御曹子が「働きたい」とか言ったら精神科医のところに連れてゆかれる。
あえて労働者の公約数の立場で言うなら、労働はおもしろくないことのほうが多いのではないでしょうか。
たとえばですよ、もしも数10億円ものお金が入ったら、ぼくだったらすぐに仕事は辞めますね。
> 韓国も儒教の国だから、日本人が職業を訊きかれて「タクシーの運転手をしています」「ラーメン屋をしています」と<恥ずかしげもなく>答えるのを見て、「恥知らずな、犬のような連中」だとあざ笑うのだそうである。こういうとき、韓国人は「事業をしています」と答えるのだそうだ。まして、「日本一のラーメン屋を目指しています」とかいったら、狂人以外の何者でもない、と思うらしい。
それはおもしろい。
> パクリ屋、という連中がいる。立件して有罪に持込むのが難しい、という意味では「合法」である(「脱法」という言葉もないではないが、被害者の立場からいうと気休めにしかすぎない)し、仮に有罪判決が出ても金が戻ってくるわけではないので実効性がない。これを「ビジネス」、すなわち仕事と認め、働いても金が入ってこないものを仕事と認めないならば、パクリ屋の被害者は「仕事をしていない」ことになり、パクリ屋は「仕事をしている」ことになる。
>
> 『「仕事」とは、畢竟「自分の仕事」である』と断じたのは哲学者の福田定良である。自分の価値観において何事かを為すのが「仕事」である。
同感。
> Mariaが自閉症方面の本を執筆している、というのも、どう考えても儲かりそうにない。けれどもあの仕事はMariaにしかできんのである。だとすると、あれはどう考えても仕事ではあるまいか。もっとも、「いま現在生活に困っていないお金持ちのお遊び」という反論があるのは仕方ないと思うのだがね。
そのようなことを言うのは、妬みからでしょう。
> 確かに、「ゼニに換算できんものには価値がないのだ」という人間はいる。それはたぶん「健常者」にとって当然の発想なのであろうと思う。
価値のあるものはすべて金額に換算できるか、あるいは金額に換算できなくて価値のあるものはあるか、ということですが、これはようするに、市場が形成できるかどうか、多数の人間にとっての、価値の度合いの平均値と、売り手との妥協点(相場)があるかどうか、
極端な話、貝殻マニアが特定の貝に魅了されていてしかも入手困難だとする。この場合、もしも誰かがこの貝殻を採取してくれれば、法外な値段でも買い付けると本人は言う、そして誰かが苦労して入手し、両者の間で交渉の後ある値段で売買された。ところがこの特異な貝殻に興味を示すのはこの人だけで、だれも見向きもしない。とうぜん値段もつかない。こんな場合は、当人にとっては絶大な価値があるのに、金銭に換算できない。
ボランティア活動は、金額に換算できないがすばらしい行為だ。というのも、ひねくれて考えてみれば、それをしている人たちにとって何か意味のあることだからするのであって、実際にお金のやりとりはないものの、される側とする側とで、何かの交換があるのではなかろうか。さらに余計なことを言えば、その活動を労働として、どれくらいの金額に相当するのかを算出するのも不可能ではなかろう。
「人のいのちはお金に換算できない」のかというと、死亡したときの賠償額の査定などでは、本人の学歴、収入、職種の偏差値などに基づいて金額が決まるらしいが、このように必ずしも人間の価値を金額で表せないわけでもなさそうである。
> しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見えない。
たしかにそうですが、たくさんの健常者を十把ひとからげにしてバカ扱いするのには賛成しませんが。
>みどり wrote:
>>普通のノズルのまわりにつけると、除去直後に雑巾がけしてくれるようなアタッチメントを作ったら売れるかしら。
るう wrote:
>雑巾がくっついてる(布がくっつけてある)ノズルもすでにあったような気がします。ははは、ざ〜んねん。
うむむ、やられた。(だからまず本体を買ってから考えろって)
>通販のテレビ見るのが好きな、るう
スカイパーフェクTVの機械はあるけど契約してないもんだから、テレビ通販 (無料チャンネルは大抵これ) ばかり見ている、 みどり
# それで満足しているもんだからなかなか契約しない。でももう少し頻繁に新製品に切り替わってほしい。(そんなに毎日見るなって)
ひま人さん wrote:
>憲法で勤労の権利を保障しているということは、その権利が脅かされる危険が
>あるからということだろうか? たとえば、就業できる能力があるのに、何か
>の口実をつけて働かせないとか?
たとえばの話、研究開発部門で働いていた人物が会社を退職した場合、他社に就職して同じような仕事をしようとすると、「トレード・シークレットの漏洩」ということで訴えられる可能性がある。したがってその人物を雇用しようとする会社はその人のもっとも利用価値のある技術を利用できないわけで、したがってその人物は別の職種を選ばなければならなくなる。
うちの御大(Joshya氏である)は心臓病持ちなものだから、実質的にプログラマーくらいしか再就職の道がない。ところが、もといた会社が在職中に開発した技術に関する権利を主張したがために、実質上同業種への再雇用の道を断たれてしまったという経緯がある。こういうのは憲法違反のはずだが、それを明らかにしようと思ったら下手をすると最高裁まで争わねばならない。問題はその裁判費用はどこから出るかというとJoshya氏が開発した製品から上がった利益から出るのであり、裁判に勝ったところで相手企業がコケていたら一文にもならず裁判費用が持ち出しとなり、何のために裁判を起こしたのかわからん、ということになる。まして負けでもしたら大損である。
そんなわけで我々大森総研のメンバーが『アスペルガーの館の掲示板』にこうして顔を出していたりするのである。世の中は何が起こるかわからない。
>「すべての国民が勤労の義務を負う」というのもおかしな話である。たとえば
>資産家とか、宝くじが当たった人、投資や資産運用で資金を稼いでいる人まで
>も、勤労の義務があるのだろうか? あるいは重度の障害者のように、働こうに
>も能力的に無理な人はどうなるのか?
資産家にしろ宝くじが当たった人にしろ、その金は自分が稼いだ金なのである。それを使う権利は当然ある。投資や資産運用で金を稼いでいる人は、投資や資産運用という形で「勤労」しているのである。そんなわけで、遺産相続とかいうと、ごっそりと相続税なるものを取られるのである。それは「不労所得」といって、「勤労」の結果として得られた金ではないからである。
要するに、働く能力があるのに働かない奴は尻を叩かれる、ということなのである。叩かれて痛いか痛くないかはまた別問題なのだ。
日本には義務教育というものがあって、子供には必ず必要な教育を受けさせなければならない。だからといって子供を作らなくてはいけない、というものでもない。
ちなみに、頭脳労働者は「勤労者」に入れてもらえないという風潮が日本にはある。うちのJoshya氏はおそろしく有能なアルゴリズム開発者なのだが、儲けた金はみな持ってゆかれてしまった。
>そもそも仕事というものは働きたくて働くものではなく、働かざるをえないので
>仕方なく働くものではないか(お金を稼がないと生活できませんから)。
労働を苦役とするのは、カトリック的、あるいは儒教的発想である。日本人は「生涯現役」こそが理想なのである。日本では、「働けるのに働かない」のは病気であるとみなされる。逆にインドのバラモン階級の大富豪の御曹子が「働きたい」とか言ったら精神科医のところに連れてゆかれる。
韓国も儒教の国だから、日本人が職業を訊きかれて「タクシーの運転手をしています」「ラーメン屋をしています」と<恥ずかしげもなく>答えるのを見て、「恥知らずな、犬のような連中」だとあざ笑うのだそうである。こういうとき、韓国人は「事業をしています」と答えるのだそうだ。まして、「日本一のラーメン屋を目指しています」とかいったら、狂人以外の何者でもない、と思うらしい。
パクリ屋、という連中がいる。立件して有罪に持込むのが難しい、という意味では「合法」である(「脱法」という言葉もないではないが、被害者の立場からいうと気休めにしかすぎない)し、仮に有罪判決が出ても金が戻ってくるわけではないので実効性がない。これを「ビジネス」、すなわち仕事と認め、働いても金が入ってこないものを仕事と認めないならば、パクリ屋の被害者は「仕事をしていない」ことになり、パクリ屋は「仕事をしている」ことになる。
『「仕事」とは、畢竟「自分の仕事」である』と断じたのは哲学者の福田定良である。自分の価値観において何事かを為すのが「仕事」である。
Mariaが自閉症方面の本を執筆している、というのも、どう考えても儲かりそうにない。けれどもあの仕事はMariaにしかできんのである。だとすると、あれはどう考えても仕事ではあるまいか。もっとも、「いま現在生活に困っていないお金持ちのお遊び」という反論があるのは仕方ないと思うのだがね。
確かに、「ゼニに換算できんものには価値がないのだ」という人間はいる。それはたぶん「健常者」にとって当然の発想なのであろうと思う。
しかしながら、ゼニカネではどうにもならんものが世の中には存在する。それを知っている人間にとっては、「健常者」連中はただのバカにしか見えない。
(Mr.Moto)
今日はオフ会でお会いできてよかったです。
他の参加者にも、よろしくお伝え下さい。
では、そろそろ寝ます。またあいましょう!
おやすみなさい。
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