アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
……ああ、めんどくさい。(←黒Mariaさん全開)
>この二つの文の違いを、もう少し分かるように説明していただけないでしょうか。
Motoちゃんの代わりに質問します。「この二つの文」って、どの文とどの文?(-_-)(←珍しく顔文字)
あたしたちはいちいち「掲示板」全般について言えることと、この『アスペルガーの館の掲示板』について言っていることを区別するために、わざわざ『アスペルガーの館の掲示板』と表記している(『館の掲示板』と略すことすらしていません)ほど気をつかっているのですから、代名詞等を使用される際は、読者がその解釈に手間取らぬよう、なるべく分りやすい表記を心がけていただきたいと思います。シュッツさんはタイピングが苦手なのでいちいち表記するのが苦痛なのかもしれませんが。なお、「かもしれませんが」は「タイピングが苦手なのでいちいち表記するのが苦痛なの」の全部にかかっています。あたしは「シュッツさんがタイピングが苦手である」という可能性を示唆してはいません。したがって、「私はべつにタイピングが苦手であるわけではない」とかいったツッコミは無用に願います。ああ、めんどくさい。
>ふと思い出したのですが、どこかのページに、レス付け禁止の言いっぱなし掲
>示板がありました。
>それも結構有効かも知れないですね。
それはそれで確かに有効だとあたしも思いますが、一般的な、レス付け自由の掲示板である『アスペルガーの館の掲示板』について議論している書込みの中でその点に指摘するよりは、『伝聞と解釈とその対応』(No.7338、11 Sep 2001)のコメントとして、『ふと思い出したのですが』といったタイトルをつけ、
---
Mr.Moto wrote:
> 掲示板というものの性質上、シンタロウさんの文章を好意的に受取らない立
>場の人の視点からのコメントも存在するのは仕方のないことです。コメントさ
>れたくなかったら書込まなきゃいいのね。
どこかのページに、レス付け禁止の言いっぱなし掲示板がありました。
それも結構有効かも知れないですね。
---
とでも書いてくれりゃあよかったのに、と思います。(←これは、「次回以降、似たようなことがあったらそうしてほしい」と暗に要望しています(←すでに「暗に」じゃないけど)。念のため)
>分からないからこそ、しつこく聞き出そうとしているのです。
>だから、上記のことを教えてほしいということです。
---
とはいえ、この「悪意」というものが、しばしば通じなかったりするわけですね。なにしろ、「てめーは俺に喧嘩売ってんのかよ(-_-X)」「あーら、そういうふうに読めまして?(-_^)b」みたいな陰険な関係を想定しておりますので、どうしても婉曲な表現になってしまうわけです。
---
『Re: 読み取れなくてすいません』、No.6712、20 Aug 2001 by Maria
対話というものは、「伝える側」と「受けとる側」の双方の行為によって成立するものであって、その責任もまた双方に分担されるべきものだと思うのですね。「分かんなかったら訊く」という素朴な態度も大事だろうけどさ、「夏バテしてる」と宣言してる人間に「しつこく聞き出そうとする」というのは素朴を通り越して「馬鹿」とか「非常識」とか判断される危険性を孕んでいます。
「相手の意図が分からない」あるいは「相手が意図を明確にしない」という事実を踏まえての対話、というものをシュッツさんは想定していないようにお見受けします。「こいつ馬鹿だな」と思っても、分別ある大人は「あんた馬鹿?」とは言いません。中国政府だって、「南京大虐殺」や「靖国神社・A級戦犯合祀問題」を、「日本から援助を引出すための単なる外交カードでしかない」と思っていたとしても、それは言わないでしょ?
あたしもMotoちゃんも心の奥底に抱えこんでるどす黒いドロドロを、『アスペルガーの館の掲示板』という公共の場に準じる場所にぶちまけてメンバーの顰蹙を買いたくはないのですよ。
同時に「いちいち説明しませんよ。分からん人放っときますよ。」(←吉本興行のネタであるらしい。東京の人間だからよく知らない)という思いもあるわけです。だけど、日常生活に差し支えない範囲で誠実に対応したい、という思いもあるもんだから、普段だったら「めんどくさいからヤダ」とかいった本音はあんまり言わないわけ。質問者に気も使わせたくないしね。
そういったことについて深く思いを巡らせていただきたいのだけど、「いや、深く思いを巡らせたのだけど、やっぱり分かんなかったから教えてくれ」と言われると非常に困るんですよ。「あんた、本当に必死に、本当に真剣に、本当に死にもの狂いで考えた上でそう訊いてるの?」と問い返しても、「いや、本当に必死に、本当に真剣に、本当に死にもの狂いで考えた上でなおかつ分からないから訊いてるいるのです」と言われたら堂々巡りになっちゃうし。「それって甘えじゃないの?」とか問い返しても、「いや、私の能力の範囲内で精一杯努力した結果、なおかつ分からないから訊いているのです」と言われたらまた堂々巡り。
『だから、そういうことは普通はあんまり訊かないことになっているのですよ』と言っても、「いや、知らなかったのだ。それに、私はそれを知ったとしても、なおかつ切実に答えを知りたいのだ」と言われればまた堂々巡り。
そんなわけで、シュッツさんにはもう少し質問する側としての配慮をお願いしたいと思います。少なくとも、義務教育における作文の時間に習ったように、行頭はスペースを一文字空けていただきたいと思います。読みにくくって辛いです。
(Maria)
Makichan wrote:
>>いま私は、あえて健常者としてみなさんに(ここでいういわゆる普通の人と言う意味での健常者なんですが)
>>普通の人はこう思う。こう反応する。ということをしらしめたいのですね。
>>ASの反応を理解することが大変だったわたしに、みなさんが私の発言になんでー
>>とかふざけんなと、思うのもわかりますよ。
>>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えている事を悲しく思うんですよね。
>>そうじゃなく、御互いを理解しあうためにこの書き込みはあったような気がします。最初のころは・・・。
>>博識のキロイさんにわらいながら楽しんだり、Tienさんのやさしさにこころすくわれたり。あさかぜさんのそこぬけの明るさに心洗われたり。
>
>
> 私自身ここのカキコでは「健常者」の人たちを侮蔑してきた人の一人です。私の
>発言が、なおみの夢さんや、ログされてる多くの「健常者」の方を怯えさせ、傷つけてきたのでしたら大変申し訳なく思います。すみません。ただただ私は、もうすこし多くの人たちが、自閉タイプのことを理解してくれてもいいのになあという苛立ちがそういう発言に結びついたのです。私にとってこの世は神秘に満ち満ちています。解からないことだらけで、迷ってばかりしてます。カル〜クやり過ごせる人が羨ましくも憎たらしくもあるのは事実ですが。
いえいえ。ただやはり私も自閉圏の人間が過半数を占めている家で生活していて、
どちらの気持ちもわかるし、非自閉圏の人間が非難されるのはつらいし、痛し痒しと言う気持ちだったんです。貴方のつらくて文句のひとつもいいたくなる気持ちもわかるんですよ。私は逆で自閉の人に理解してもらえず指摘ばかりされて神経を病んでしまいましたから・・・。でも自閉圏の人も非自閉圏の人も同じだと。
個性の違い、考え方の違いなのだという気持ちに変わりはありません。
私も自閉圏の人が自分の世界に集中できるのを羨ましく憎たらしくもありますよ。
> 私が20歳の頃経験したことは、私のとってはそれこそ(おおげさでもなんでもなく)天と地とがひっくり返るようなことでした。ですから私の発言を理解してもらうには、その人にも同じように天と地がひっくり返って頂かないと無理なのかな
>と思ったりもします。他者にそれを期待する権利は私にはないですね。解かってるんですけど・・。ただ医者の中にも、私から逃げようとする人たちがいるのは残念だし悔しいんですけどね。
それって悲しいですよね。息子の場合はいいお医者様にあえたのでよかったのですが、学校の先生はいろいろでした。低くしか評価できない先生がいるかと思えば、
根気よく教えてくれる先生。図工の苦手が息子が必死につくったカブトムシをほめてほめて飾ってくれた先生。人によって人は変わります。理解するってことは相手の人格も立場も性格も考え方もすべて否定しないことと私は思っているのですが
それはだれでもそうなわけではありませんよね。
私も息子がADHDだと分かった時、私の常識(私自身の常識です)がすべて覆され、天と地ほども考え方をかえねばならなかったのですが、それもよかったと思っていますよ。だってここまでと思っていた世界がもっと広がったわけでしょ。
素敵って思いましたよ。
>
>>
>>私はそのお礼の気持ちもあって、健常者のここがしりたいコーナーの一人として
>>ここにこようと思っていたのです。
>>みなさんのお母さんは普通の人ですか
>>シンタロウくんのお母さんだって、普通に生活を営んでいる方でしょ。
>>私はシンタロウくんのお母
>様をとやかく言う発言が悲しかっただけ。
>>子供を心配するのは当然です。そのことを解って欲しいと思っただけ。
>>私は健常者だとか、ASだからとかもともと思っていない。
>>みんな個性なんだから。
>>
>> 以上
>
> 我々への理解深めようとしてらっしゃるなおみの夢さんには感謝してます。いつまでカキコ続けて頂きたいです。そしてそれはおかしいんじゃないかと思われることにはどんどん突っ込み入れて下さい。自分をより客観視し、自分の発言により普遍性持たせる為にもそれの方が嬉しいのです。勝手なことばかり言ってすみませんでした。
いえいえ感謝なんて、とんでもない。私の意図していることを理解してくださって
ありがとうございます。
でしゃばりかもしれないけど、私がつねづね、自閉圏の人間といっしょにいて
ここをこうすれば、他の人とうまくやれるのに・・・とか、こういう言い方しなければ傷つかないのに・・・。と思うことが多いのでその辺のことをテクニックとして身に付ければAS他の皆さんも無用に傷つかないのにと思うことがあるものですから。傾向と対策ですよね。
そう言い方は傷つくよ。とはっきり夫にもいっていたら、最近気をつけていますしね。仕事でも、ミスった人間に突き詰めて逃げ道をなくし、相手がひいてしまって仕事上影響がでたりしているんですよ。その後自分が言い過ぎたとわかって自分で傷ついている夫をみているものですから、みなさんもそういうことってあるだろうなあ。とおもうんですよね。みんないい人なのにね。テクニック不足で変な人って
思われてしまう。みんなピュアな可愛い人たちなのに。
でも人間いろんな人がるから、非自閉圏の人も自閉圏の人も自分の理解不足や
ふところのせまさゆえに知らずに傷つけたり、していると思います。
お互い様だと思う。私の発言で、もし傷ついた人がいるなら許してくださいね。
良かった。もうカキコするのやめようって思っていたくらいなのだけど
元気がでたわ。
みちることなおみの夢
大野晋さんという、国語学に興味をお持ちの方でしたら必ず知っている、というくらい有名な国語学者さんがいます。最近では、『日本語練習帳』(岩波新書)というベストセラーをお出しになったので、ご存じの方もおられると思います。
日本語には、所有・所属をあらわす助詞として「の」と「が」というのがありまして、「が」の方は「君が代」「我が国」「我が家」「我が名」「おらが春」「梅が香」などと、古めかしい言い方であるというふうに一般には思われています。
大野晋さんは、古代においては「が」の使い方はきわめて限定されていて、「が」を伴う名詞は、自分または自分に非常に近しい人間の下についた、と述べています。つまり、「が」は「内(ウチ)」の関係、「の」は「外(ソト)」の関係を表わしたのである、というふうにおっしゃっておられます。
ただ、あたしはこの説はちょっと違っているのでは、と思っているのですね。というか、より素直な解釈というものが、あるのではないかと思うのです。それは、とりたて詞(強調助詞)「は」と「が」の関係が、「『は』=とりたて」「『が』=より強いとりたて」と見ることができることから、所有・所属の「が」は「の」の「所有・所属」という意味をより強めた表現なのではないか、ということなのですね。
こう考えると、とりたて詞(強調助詞)「が」と所有・所属の助詞「が」は、基本的に同じもの、と考えることもできなくはありません。とはいえとりたて詞(強調助詞)「が」の前にくる名詞は動詞に対する格をもった語であるのに対して、所有・所属の助詞「が」の前にくる名詞は単に名詞を修飾するだけの存在でしかないという点で、決定的に違っているのですが。
さて、なんでこんな国語学上の専門知識を『アスペルガーの館の掲示板』に書いているか、なのですね。
去年(二〇〇〇年)、『正論』(産経新聞社発行)という月刊誌の十月号に、『大ベストセラー『日本語練習帳』は奇書である』という文章が掲載されました。著者は産業能率大学の教授、萩野貞樹(はぎの・さだき)さんという方です。
ところがこの方は、『とりたて詞(強調助詞)「が」』と、『所有・所属の助詞「が」』を、ごっちゃにしていて、『「が」の用法にはいくらでも例外がある』と批判(あたしから見れば言いがかりでしかないのですが)をぶつけ、『日本語練習帳』という本を批判(あたしから見れば侮辱でしかないのですが)していたりするわけです。
で、しかもこの荻野教授が問題にしているのは、『日本語練習帳』という本の中の、たった二ページのコラムだったりするわけです。
じつは、あたしは大野さんの『日本語練習帳』という本の国語学上の価値を、それほど高くは評価していません。まあ、これで国語学に興味を持ってくれる人が増えたらいいな、くらいにしか思っていません。ですが、この本というのはけっこう凄い本なのですよ。
大野さんは、いわゆる「狭山事件」で、犯人が書いたとされる脅迫状を鑑定したひとです。で、その脅迫状は「ちゃんとした文章が書ける人間が、わざと稚拙な文章を書いたものであり、ちゃんとした学校教育を受けていない被告が書いたものとは思えない」という鑑定結果を出したひとなのですね(けっきょくこの鑑定結果は証拠としては採用されませんでしたが)。で、このことを『日本語練習帳』の中でふたたび主張しているわけです。あたしはここに大野さんの国語学者としての執念を見ました。その意味で、この『日本語練習帳』は、「凄い」本なんです。
荻野教授はもっと慎重であってほしかった。まず大野さんの主張を、よくよく検討したうえで、批判をなすべきだった。そして、『日本語練習帳』という著書ではなく、大野さんの国語学上の説を批判すべきだった。
あたしの見るところ、荻野教授は左翼勢力に「検察と司法に代表される国家権力の犬」と罵倒されても文句は言えない立場であり、同和問題に取組む人たちから学者としての態度を批判されてもしかたがない(「狭山事件」の容疑者は同和地区の出身者でした。警察の捜査にその点について予断があった疑いがある、というのが当時大きな問題とされました)と思われます。あたしが六十年代の左派大学生だったら抗議集会を開いて萩野教授を糾弾して「自己批判せよ」と迫ってしまうところです。頭に三角帽子をかぶせて、首から「私は学究精神を国家権力に売り渡したあ曲学阿世の犬畜生です」という看板を提げさせて市中を引回してしまいます(←読み筋は文化大革命)。下放して農業生産に貢献させてしまいます。まあ、あたしは紅衛兵でもクメール・ルージュでもヒトラー・ユーゲントでもないからやんないけどさ。
「批判」というものは、つねにサディズムに結びついて暴走する危険性をはらんでいます。それは常に意識していなければなりません。とはいえ学問的態度その他についての怒りというものを表明するな、というわけではないのですね。怒りは怒りとして表明しなさい、と言っているわけです。それを「批判」の中にすべり込ませ、あたかも冷静な批判のように装って提示するな、とあたしは主張します。とはいえどうしても無意識のうちにすべり込んできちゃうんですけどね。そこんところはつねづね自戒はしておるのですけれど、やっぱり聖人君子ではないあたしには難しいものがあります。
その点、Motoちゃんはずるいよな。わざとごっちゃにしてちくちく責めるのがスタイルだから。確信犯です。あの人は。そんなわけで、あたしもついつい真似をして黒Maria化してしまうのですがね。
批判者には、批判する対象への深い理解と「肯定」が必要です。それは「愛」と言ってもいいと思うのですね。あたしたちは「愛ある批判者」でありたいと思います。
(Maria)
>なおみの夢さん wrote:
>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増え
>ている事を悲しく思うんですよね。
少し問題を分けて考えてみたいと思います。なおみの夢さんが指摘している
ポイントは大きく分けて3点あります。
(1)健常者や普通の人を馬鹿にしたコメントがある。
(2)健常者や普通の人を理解できないというコメントがある。
(3)なにを考えているんだというコメントがある。
で、なおみの夢さんはこれを一括して「非難」として受けとめておられます
が、わたしの見方は少し違います。
3つの項目のうち、明らかに非難に当てはまるのは(1)です。わたし自身
もこれは明らかに問題があると思います。
しかし(2)は「非難」として評価することができません。むしろ理解でき
ないと言う感覚は自閉者と非自閉者の相互理解にとって重要です。国際交流で
もそうですが、相互理解は「お互いのことを理解するのは困難である」という
ことが出発点になります。この場合、「お互いのことを分かっている」のでは
なく「分からない」という前提で出発する方が正しいと思います
微妙なのは(3)です。意志疎通がうまくいかない時、わたしたちは苛立ち
を怒りを感じることがあります。この状態がずっと続くのは好ましくないと思
いますが、相互理解のためには避けることのできない段階なのではないでしょ
うか。「理解できていない」のに「理解できている」と言い張ってしまうより
はよほど良心的な態度だと思います。
結論としては、(1)についてはやめた方がいいが(2)と(3)について
は相互理解に到達するための不可欠な階梯である、ということになります。
niina wrote:
>>なおみの夢さん wrote:
>>>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>>>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えている事を悲しく思うんですよね。
>
>なおみの夢さん、
>それらは非難の書き込みではないのでは?
>非難の書き込みだと捉えてしまうのは、早計ではないでしょうか。
>やむにやまれぬ場合もあるのでは?
>マジョリティがマイノリティを「ばかにしたり
>理解できないとか、なに考えているんだというような非難」している
>世の中です。
>そういうような非難を、現実世界で経験している人間が多いのですから、
>書くことによって発散するという場合もあるでしょう。
>それは良いことだと思うのですが。
>なおみの夢さんが、そういう書き込みを「非難」と思われるのであれば、
>相互理解はまだまだ難しいのでしょうね。
そうかもしれませんね。
私もやむにやまれぬ思いで書き込みいたしました。
それはそれでいいんじゃないですか。まあそのことをとやかく言うのは自由ですから。
ASの夫と暮らしていて、いいこと悪いことをはっきり言われすぎ、これはこうじゃなくちゃいけないというこだわりを押し付けられつづけ、じゃあ私はどうすればいいのという気持ちになり、精神をいためました。
あなたの書き込みはそれに似た気持ちにさせられます。
私がASの人と付き合うのがしんどくなるのはそういう時ですね。
つきつめてつきつめて、言葉尻つかまえて議論して・・・・。
非自閉の人はそういう逃げ道をあいてに作らない突き詰め方を(なるほどそういう考え方もあるのでしょうね。と、相手の立場や考えを尊重しない)いじめられた。と感じる場合もあるのですよ。
いちいち私のいう事が引っかかるんだたら、わたしのかきこみにレスしなきゃいいんじゃないかしら。考え方が違うのねと、そっとしてくれていいんだけど・・・。
みちることなおみの夢
みどりさん wrote:
>診断モノが大好きで、見つけるたびについやってみるのですが、上のサイトで
>性別判断したら、しっかり「男性」にされました。
>
>くるとさんと Maria ちゃんの診断結果を聞いてみたい みどり
ご要望におこたえしてやってみました。
結果は名加野さんと全く同じでした。
本当の性別→女性(男性度46・8% 女性度53・2%)
生物学的な性別→男性
で、名加野さんと同様、あちらの傾向があるのだとか…(???)どうもこ
の診断は性の自己認知と肉体的な性の不一致の問題を扱っているようです。
ちなみにこの世界のことをもっと追求していきたければ講談現代新書の伏見
憲明著『性のミステリー』がおすすめです。この本ではクィア理論に基づいて、
性別を
(1)肉体的な性(医学的な判断による性別)
(2)ジェンダー(文化的な性別)
(3)性の自己認知(自分を男性だと思うか、女性だと思うか)
(4)性愛の対象(異性愛か同性愛か両性愛か)
という4つの観点から考察しています。また、和訳で『クィア・スタディー
ズ』と言う本が出版されていましたが出版社がわからないっす。
夏バテのところお邪魔してすみませんが
まず最初に
Maria wrote:
> なお、Motoちゃんはもともと「心情的にはきわめて認めがたいものの、確かにありうべき立場」として論陣を張る「悪魔の代弁者」として鳴らしたひとです。あのひとの本音を分かったつもりになるのは、危険です。
分かったつもりにはなっていません。
文字から読み取ったことに対して意見を述べているだけで、文字と本音が合っているかどうかは関知しません。
それは書き手の問題です。
分からないからこそ、しつこく聞き出そうとしているのです。
>>ところでMr.Motoさんがどのような立場に立って発言しているのかが、今一つ
>>読み取れません。
>
>と書いていらっしゃるのだけれど、そこが今一つ読み取れないまま発言をしているから話が余計にややこしくなっているようにあたしには見えるのよ。
何が読み取れないかというと、繰り返しになりますが
>世間ではこういうのを「失礼」だということになっているようである
の部分が、「伝達」なのかどうか、伝達だとして「伝達者」の立場はどういうものか、その表明の仕方は、実際の立場を反映しているかどうか。
これがあいまいなために、記事全体が「主張している内容」と受け取れるものと違っているように感じられるためです。
だから、上記のことを教えてほしいということです。
> これは、「ルーズベルト大統領閣下が、『日本人は馬鹿だ』とおっしゃっていました」という文章に対するコメントなのですが、これに対しては、Motoちゃんが
>
>>前者ははっきり日本人に対する侮辱である。でなければ皮肉であるが、それが
>>皮肉だとしても後に続く文章を読まねば皮肉だということは分からない。した
>>がって、これだけの文章なら、これは単なる侮辱以外の何物でもない。
>
>というふうに、『伝えた人がルーズベルトを皮肉をもって「侮辱」している』可能性に言及しているのですね。で、ことの起こりは、『お母さんの一言』、No.7207、5 Sep 2001、by シンタロウ)の
本当ですか。
ちょっと分かりませんでした。
でもそれだと、二つ(正確には三つ)の例文を挙げたことの意味が分からなくなります。
複数を取り上げる時は比較のためにするのが常套手段ですが、この場合は何を比較したかったのかが分からなくなりました。
>>昨日、僕のお母さんが「アスペルガーの館は役にたたん書き込みばっかりだ、
>>話が偏ったものばかりだ、こんなの実生活に何の役にも立たない、」と言って
>>ました。
>
>というのが、言いっぱなしに終わってしまっていて、この発言だけを見た第三者にとっては、単なる『アスペルガーの館の掲示板』に対する侮辱にしか見えないのではないだろーか、というところなのですね。
> でまあ、たしかにこの『お母さんの一言』が、シンタロウさんがシンタロウさんのお母さんを皮肉をもって侮辱しているように読めなくもないのですが、Motoちゃんがそう読み取らず、「侮辱」と受取って、そのことに対して『Re: お母さんの一言』(No.7212、5 Sep 2001)において「あーそーかよそりゃよかったなそれがどうしたバカヤロウ、みたいな気分だが」と不快の念を表明することは言ってみればMotoちゃんの「自由」です。さらに、これに続く文章のほとんどはシンタロウさんに対する攻撃に費やされているわけではまったくなくて、シンタロウさんのお母さんの立場を代弁し、あるいは分析したものなわけですね。
受け取り方は個人によって違うことがあって当然ですから、それを争点にすることはできないでしょうね。
むしろ私としては、自分の脳が受け取った内容を踏まえてどう対応するかを検討したいのです。
>>これはどういうことでしょうか。
>>心臓を鍛えて、心臓病でも走って倒れない技術を磨くべきだということですか。
>
>みたいなことを、Motoちゃんは言っていません。ですが、シュッツさんはそれに続けて
これは純粋に分からなかったので質問しました。
それに続く部分は、上記の仮定の上で考えたことです。
仮定であることを明示しなかったのはすみませんでした。
>と書いています。これを読むと、Motoちゃんが『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方が足りない」とみなしている』みたいに見えてしまうのね。だけど、Motoちゃんは、『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであるならば、結果から「鍛え方が足りない」とみなされることが往々にしてあり、それは場合によっては正当でもある』ということを言っているだけなの。
こう感じたのは
>「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けといいたい。
この文を受けています。
この二つの文の違いを、もう少し分かるように説明していただけないでしょうか。
> 掲示板というものの性質上、シンタロウさんの文章を好意的に受取らない立場の人の視点からのコメントも存在するのは仕方のないことです。コメントされたくなかったら書込まなきゃいいのね。
ふと思い出したのですが、どこかのページに、レス付け禁止の言いっぱなし掲示板がありました。
それも結構有効かも知れないですね。
#議論することは、いろいろな問題点や新しい視点などを明確にするので、研究所員の記事は有用だと思います。
釈さん wrote:
>この頃、痛ましくて見るに堪えません。私も心臓が苦しくなってしまいます。
>これでは、ASは残酷だと宣伝しているようなので、
>どうか、大森研究所の人たち(Joshyaさん、Motoさん、Mariaさん達)をよ
>く休ませてあげてください。お願いします。
釈さんは佛弟子の方であられるのでしょう。元ワンギャルで巨乳、というわけではなさそうに思います。御心配いたみいります。なむなむなむ。
えー、ただあたくしは仕事でこの『アスペルガーの館の掲示板』でごそごそしているわけではなくて(まあ、本を書くついで、という意味では仕事の部分もあるわけでございますけれども)、これはあくまで趣味の領域なのでございますよ。
で、こちらに顔出しをしていると仕事に差し支える、とかいう訳でもなくて、仕事が忙しいので『アスペルガーの館の掲示板』に逃避している、というのが実態なのでございます。
あたしがものすごい量の書きこみをしているように見えるのは、単にあたしのタイプスピードが速い、というだけの理由にすぎません。問題はむしろ書込んでいる文章を作成するのにかかる手間なのね。で、あたしはこのところ、そっちのバックグラウンド作業を大幅にサボッています。
シュッツさんに対するお返事(『Re: お母さんの一言』、No.7318、10 Sep 2001)は、過去の発言を拾うのが確かに面倒臭かったです。だけどあたしはエディタを使って文章を管理しているので、検索機能を使ってるからそれほど面倒じゃありませんし、そもそもあたしは自分でいうのもなんだけどかなりの腕前のプログラマーなので、この手の切り貼りはソフトウェア開発におけるコードの切り貼りで慣れております。それに対して反論を書くのはいろいろと頭使ったりしなきゃいけないのね。そんなわけで、あたしが自分で書いているように、
> えー、今回は大森総研スタッフが少々訳あって夏バテ気味なので、一回休み。
なのでございます。
JJさんには申し訳ないと思ったのですが、『Re: 気になっていたこと。』(No.7324、 11 Sep 2001)なんかは手ぇ抜きまくりです。普段のあたしだったら参考文献リストをきっちりつけてお返事するところだけれど、今回はうろ覚えのまま書いてしまいました。文章講座も過去ログのなかにいくつかあるのですが、それを検索するのもサボッております。
あたしのレスが早いのは、仕事上の習慣です(だもんだから『国文法について』(No.7327、11 Sep 2001)なんていう書込みもしてしまう)。オンライン情報は鮮度が命。風が当たっても味が落ちる(←仮想空間に風は吹かないのですが)のがオンライン情報。それでもあたしは午前二時から午前六時間までの四時間は必ず睡眠時間に当てる、という習慣を自らに科しております。お酒を飲むと眠りが浅くなるので、ビールは自動販売機が酒類の販売を停止する午後十一時までで、それ以降は麦茶。眠れないときは精神安定剤を飲む。食後のお昼寝、というのが習慣になっているのでトータルでは七八時間寝てるし。
そんなわけで、あたしへのコメントが減っても困るのですよ。興味のないコメントは流すだけだから、コメントが多いのはべつに負担になりません。
ただし、今回の釈さんのコメントはあたしに直接かかわることであるだけに、流すわけにはゆきませんでした。
釈さん、裏目ってます。釈さんはあたしの仕事を増やしてしまいました。
そんなわけで、しばらく昼寝します。Makichanさんに対する『国文法について』のレスにはじつはまだ続きがあって、それを書こうと思っていたのですが、それは昼寝のあとにしとうございます。ぐー。(_ _)zzZ
(Maria)
niina wrote:
>>なおみの夢さん wrote:
>>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えてい>>る事を悲しく思うんですよね。
こんにちは、niinaさん。
>なおみの夢さん、それらは非難の書き込みではないのでは?
>非難の書き込みだと捉えてしまうのは、早計ではないでしょうか。
>やむにやまれぬ場合もあるのでは?
>マジョリティがマイノリティを「ばかにしたり
>理解できないとか、なに考えているんだというような非難」している
>世の中です。そういうような非難を、現実世界で経験している人間が多いのですか>ら、書くことによって発散するという場合もあるでしょう。
>それは良いことだと思うのですが。
>なおみの夢さんが、そういう書き込みを「非難」と思われるのであれば、
>相互理解はまだまだ難しいのでしょうね。
確かにいじめられた、という事象には、常にいじめる側といじめられる側が
存在するし、私もどちらかというと雰囲気が読めないためにいじめられたんだなあという事は多いけれど、なんというか、私をいじめた側のために記憶細胞を使うなんて親切な事はしたくもないので、いじめた側のことは忘れるようにしています。
本題からずれちゃいましたけど...。
いじめる側といじめられる側って永遠に存在するような気がするし。ただ、あいつらおれをいじめやがって、と何百万回と唱えても事態は進まないような気もします...。井の中の何とかにならないためにも、いろんな立場の人のカキコは必要と思います。そうでないと、「ああ私たちって可哀相!」の大合唱になっちゃいます。「こんなの実生活の役に立たない」という悲しい感想を以前お聞きしましたけど、一歩進んで、「じゃあ何の掲示板の討論ならあなたは役に立つと思うのか」、まで進んだらまた違う方向に行けるかも。
まだまだ夏ばてのTienでした★
釈 wrote:
>
>この頃、痛ましくて見るに堪えません。私も心臓が苦しくなってしまいます。
>これでは、ASは残酷だと宣伝しているようなので、
>どうか、大森研究所の人たち(Joshyaさん、Motoさん、Mariaさん達)をよく休ませてあげてください。お願いします。
釈さんはやさしいですね。
でも、大森研究所の方達にレスや質問がいっぱいつくのは、
大森研究所の方達の望むところじゃないのかな。
「大変だ」というのも嬉しい悲鳴ってやつではないのかな。
大森研究所の人達は、レスや質問をしてくる人を「残酷だ」とは
思ってないのではないかと推測するのですが。
大森研究所の方がここに来られてから、この掲示板の書き込みが
すごく増えました。
大森研究所の方には感謝です。
この頃、痛ましくて見るに堪えません。私も心臓が苦しくなってしまいます。
これでは、ASは残酷だと宣伝しているようなので、
どうか、大森研究所の人たち(Joshyaさん、Motoさん、Mariaさん達)をよく休ませてあげてください。お願いします。
やってみました……何だろ……否定は出来ませんが。「あちら」って一体……(汗
◆あなたの本当の性別は女性です◆
男性度 46.8%
女性度 53.2%
[コメント]
あなたは女性ですが、実際は限りなく男性でしょう。まだ、あなたは気が付いてないかも知れませんが、あちらの傾向が高いです。これから女として生活するかどうかはあなたの気持ち次第です。頑張ってくださいね。
◆ あなたは生物学的には男性です◆
[コメント]
少々結果が違っていますね。でも男性的な部分が結構あるとの診断。殆ど当たっているようなものでしょう。
……一応男です。(爆
>なおみの夢さん wrote:
>>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えている事を悲しく思うんですよね。
なおみの夢さん、
それらは非難の書き込みではないのでは?
非難の書き込みだと捉えてしまうのは、早計ではないでしょうか。
やむにやまれぬ場合もあるのでは?
マジョリティがマイノリティを「ばかにしたり
理解できないとか、なに考えているんだというような非難」している
世の中です。
そういうような非難を、現実世界で経験している人間が多いのですから、
書くことによって発散するという場合もあるでしょう。
それは良いことだと思うのですが。
なおみの夢さんが、そういう書き込みを「非難」と思われるのであれば、
相互理解はまだまだ難しいのでしょうね。
なおみの夢さん wrote:
>>
>
>いま私は、あえて健常者としてみなさんに(ここでいういわゆる普通の人と言う意味での健常者なんですが)
>普通の人はこう思う。こう反応する。ということをしらしめたいのですね。
>ASの反応を理解することが大変だったわたしに、みなさんが私の発言になんでー
>とかふざけんなと、思うのもわかりますよ。
>ただ、わたしはここで、ともすれば健常者いわゆる普通の人をばかにしたり
>理解できないとか、なに考えているんだというような非難の書き込みが増えている事を悲しく思うんですよね。
>そうじゃなく、御互いを理解しあうためにこの書き込みはあったような気がします。最初のころは・・・。
>博識のキロイさんにわらいながら楽しんだり、Tienさんのやさしさにこころすくわれたり。あさかぜさんのそこぬけの明るさに心洗われたり。
私自身ここのカキコでは「健常者」の人たちを侮蔑してきた人の一人です。私の
発言が、なおみの夢さんや、ログされてる多くの「健常者」の方を怯えさせ、傷つけてきたのでしたら大変申し訳なく思います。すみません。ただただ私は、もうすこし多くの人たちが、自閉タイプのことを理解してくれてもいいのになあという苛立ちがそういう発言に結びついたのです。私にとってこの世は神秘に満ち満ちています。解からないことだらけで、迷ってばかりしてます。カル〜クやり過ごせる人が羨ましくも憎たらしくもあるのは事実ですが。
私が20歳の頃経験したことは、私のとってはそれこそ(おおげさでもなんでもなく)天と地とがひっくり返るようなことでした。ですから私の発言を理解してもらうには、その人にも同じように天と地がひっくり返って頂かないと無理なのかな
と思ったりもします。他者にそれを期待する権利は私にはないですね。解かってるんですけど・・。ただ医者の中にも、私から逃げようとする人たちがいるのは残念だし悔しいんですけどね。
>
>私はそのお礼の気持ちもあって、健常者のここがしりたいコーナーの一人として
>ここにこようと思っていたのです。
>みなさんのお母さんは普通の人ですか
>シンタロウくんのお母さんだって、普通に生活を営んでいる方でしょ。
>私はシンタロウくんのお母
様をとやかく言う発言が悲しかっただけ。
>子供を心配するのは当然です。そのことを解って欲しいと思っただけ。
>私は健常者だとか、ASだからとかもともと思っていない。
>みんな個性なんだから。
>
> 以上
我々への理解深めようとしてらっしゃるなおみの夢さんには感謝してます。いつまでカキコ続けて頂きたいです。そしてそれはおかしいんじゃないかと思われることにはどんどん突っ込み入れて下さい。自分をより客観視し、自分の発言により普遍性持たせる為にもそれの方が嬉しいのです。勝手なことばかり言ってすみませんでした。
書かなきゃいいのにレスしてしまう。ねむいよー。誰かあたしを止めてくれー。しくしく。(←バカ)
I wrote:
> だけど、「持ってる」がちゃんと変換されるというのは、「愛する」が変換で
>きるように、「る」という名詞が辞書登録されているからなんですね。つまり
>「愛す」「食す」「欲す」が本来の形なのだけど、「愛する」「食する」「欲す
>る」が変換できるように、「愛す(連体形)+る(名詞)」「食す(連体形)+
>る(名詞)」「欲す(連体形)+る(名詞)」と解析されるように名詞「る」を
>登録しておく。こういうのを「シンタックス・シュガー」、別名「鼻薬」と呼び
>ます。知らなかったでしょ。
Makichanさん wrote:
>それで思ったのですが、「愛する」の「る」を名詞というのはちょっと無茶じゃ
>ないかなあ。「私が愛する人」の「愛する」はそれだけで連体形で、「私は言葉
>を愛する。」の「愛する」は「言葉を愛する(人です。)」と言う意味の「人で
>す」が省略された形じゃないかしらん。
ちょっとどころか、あからさまに無茶です。Makichanさんは正しいのでございます。ですから、正確には『「る」という名詞が辞書登録されている』ではなく、『「る」が名詞として辞書登録されている』です。シンタッックス・シュガーというのは、「本当はおかしいのだけれど、そうやっとくと見た目はちゃんとしているように見える」というだけのものです。
Makichanさんは終止形というものを立てないという点で、あたしと同じ立場です(詳しくは『日本語文法の「なぜ」に答える』という資料にまとめてあります)。だけど、文語には形容詞の終止形と動詞(ナリ・タリ含む)の終止形の終止形があったので、現代語にもあるのだ、というのがいわゆる学校文法の立場です。そんなわけで、中学生がそれを答案に書くと「間違い」にされてしまいます。あたしはバカヤローと大声で言うぞ。ばかやろー! あたしの青春を返せー!(←ちょっと間違えている)
> 現代語は品詞分解するのが難しいですね。古文の方がよほど文法的にまとまっ
>ているように思えます。
そうなんですよ。論文とか書くときは、文語で書いたほうがよっぽどすっきりします。「〜するべきです。」なんていうのは、すごくイヤ。「〜すべし。」でいいじゃないの、と思います。「美しいです」「赤いです」「見事です」もイヤ。「美しゅうございます」「赤し」「見事なり」と書きとうございます。
そんなわけで、今宵はここまでにしとうございます。おやすみなさい。
(Maria)
私はくるとさんと逆に、たいてい男性に間違えられます。
さすがに「みどり」と書けば女性だとバレ(?)ますが、名字を名乗っているところでは、脇にローマ字でフルネームを添えてあっても、男性と思いこむ人が多いようです。
http://www.da.il24.net/~noby/karisuma/sindan.htm
診断モノが大好きで、見つけるたびについやってみるのですが、上のサイトで性別判断したら、しっかり「男性」にされました。
くるとさんと Maria ちゃんの診断結果を聞いてみたい みどり
# なんとなく Maria ちゃんは私と似た結果が出そうな気がするのだ
午前中にやっていた仕事を転職することになり大忙しのくるとです。
武田好史さん wrote:
>そうだな・・・案外・・・君の尊敬している人は、男性よりも女性の方が多い
>って言うことはないだろうか?
ヴィトゲンシュタイン,ニーチェ,ミシェル・フーコー,デービッド・ヒュ
ーム,ジャック・ラカン…
どちらかという言語狂の男の哲学者,思想家が多いです。
>またはかつては女性でないとなれない職業・・・例えば・・看護婦さんとか保
>母さんにあこがれたりとかはなかっただろうか?
はじめて印象に残った女性は保母さんでしたね。障害児の扱いにも定評があ
る方でしたし。
>あるいは、姉貴か妹がいるとか・・・
これはいないです。
>小さいときの絵が電車など機械的な物よりも花園とか自然的な物であるとか・
>・
どちらにも1度は興味を持ちました。でも、けっきょくは言語的なものや抽
象的なものに関心が移ってしまいました。
やっぱり謎です。(???)
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami