アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
>「だれでも自分の親のことを言われるのはいやでしょう?」というのは
>非自閉の捉え方です。
>しかし本当に親が悪い箇所は、指摘されても不愉快にはならない。
>本当のことなのだから。
このへん同感です。
>その時に「なぜ、この掲示板で、母親からの小言を聞かなくては
>いけないんだ。いつも家で母親から聞いているのと同じような
>ことを書かないでくれ」という反応が強く起こりました。
すると、私が例示した
>「自分の母親が同じような反応を(中略)ただの嫌な言葉」
は、やはりありがちな反応だったのですか。
以下、親御さんたち向けです。
この「ありがちな反応」は、自閉人は非自閉人の「論理」というか、親心が理解できない(と言い切ると誤解を招くが)ところから生まれるものです。そうとわかってしまえばこの種の反応を引き出さない方法は簡単にわかるでしょう。
つまり、心配を前面に押し出すのではなく、常識を理論付けて、理屈っぽいアスペに合う形で提示すれば、少なくとも敵対的な「小言」ととらえられることはなくなります。従って、頭から拒否される可能性は目にみえて下がるでしょう。
もっとも、そうして提示された親御さんの警告が自閉人に受け入れられるかどうかは別問題という悩ましい欠点は残ります。たとえば、自閉人は「他人からどう見られるか」ということに本質的に無頓着ですから、人目を根拠にしても「人は人、俺は俺。俺は我が道を行く」とか言って無視されるのがオチです(少なくとも私はそうしていました)。児童期であれば、アスペルガーがやったように、一般法則として提示する方法(自閉症とアスペルガー症候群』ウタ・フリス編著/冨田真紀訳/東京書籍 120ページ)が有効でしょうが、青年期以降に診断されたケースだと、手の内を見透かされてしまって終わるかもしれません。
それでも、頭から無視されるよりははるかにましだと思うのですが。
もう一つの問題は、常識の理論化は普通の親御さんには荷が重いかもしれないということです。私は自閉人なので、非自閉人にとっての「常識の理論化」はどの程度難しく感じられる作業なのか感覚がつかめないのですが、このへんはどんなもんなのでしょうか。
注意
自閉人が「親心」を理解できないのは、それが感情(愛情?)として提示された場合のみです。社会の現状分析並びに将来予測と、そこからよりよい未来を引き寄せるための対策の提示などの形を取り、感情を排して客観的に理詰めで示されれば、自閉人にも十分親心が通じるでしょう。
申し訳ありませんが、我々はこういう人種なのです。(可能な方は、前掲書99ページ「治療教育への示唆」もご参照下さい。我々と非自閉児との違いが書いてあります。)
「普通のお母さん」にはおそらく大変な、ある種耐え難い作業になろうかと思いますが、どうかよろしくお願いします。
……唐突ですがJJさん。『Re: 気になっていたこと。(補足)』(No.7320、10 Sep 2001)でご質問のあったテクニカル・ライティングというものが、どういうものであるか、ということについて、実例に沿ってご説明いたします。
シュッツさん wrote:
---
>『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方が足りない」とみなしている』みたいに見えてしまうのね。
の『』の中と
>「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けといいたい。
です。
後者の様に発言していて、前者は否定している。
私には同じように見えるのに、否定と主張という形をとっているということは違うということなので、何が違うのかを知りたかったのです。
面倒なら説明しなくてもいいです。
---
これを「理解しろ」というのはいささか無茶という気がします。できれば、(あくまで「それが可能ならば」です。念のため)、せめて以下のように書いていただきとうございました。もっとも、シュッツさんは「そういう意味で書いたんじゃない」って言うかもしれないけど。
---
私が『Re: お母さんの一言』(No.7304、10 Sep 2001 by シュッツ)で書いた、
>結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方
>が足りない」とみなすのはおかしいと言いたいのです。
という文章を、『Re: お母さんの一言』(No.7318、10 Sep 2001 by Maria)において、
>>結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方
>>が足りない」とみなすのはおかしいと言いたいのです。
>
>と書いています。これを読むと、Motoちゃんが『結果的に鍛えた状態が、他人から
>見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方が足りない」とみなしている』みた
>いに見えてしまうのね。だけど、Motoちゃんは、『結果的に鍛えた状態が、他人か
>ら見て低いレベルであるならば、結果から「鍛え方が足りない」とみなされること
>が往々にしてあり、それは場合によっては正当でもある』ということを言っている
>だけなの。
と否定しているにもかかわらず、『Re: お母さんの一言』(No.7254、7 Sep 2001 by Mr.Moto)において、
> 音楽も文章も自己表現の一部であり、おれはその「表現」について問題にしている
>のである。「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けといいたい。
>うちのJoshyaに至っては心臓病持ちだから下手に走るとばったり倒れて死ぬ。「どう
>結果を出すか」について論じるのは悪いことではあるまい。
のように主張しています。
この二つは私には同じように見えるのに、否定と主張という違った形をとっているということは、おそらく「違う」ということなのでしょう。そこで、何が違うのかを知りたかったのです。
もしも説明が面倒ならば、説明してくださらなくても結構です。
---
まあ、これでも何を言いたいのかはあまりよく示されていないように思うのですが、それでも、
---
『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであるならば、結果から「鍛え方が足りない」とみなされることが往々にしてあり、それは場合によっては正当でもある』がゆえに、結果を出すべく訓練を積むなり技術を磨くなりしたほうがいい、ということをおれは言っているのである。
シュッツさんは『Re: お母さんの一言』(No.7251、7 Sep 2001)において、
>「100mを20秒で走る」ということは多くの人にはできても、足の悪い人に
>とっては無理なことですが、「全力で走れ」であれば、他の人から見れば遅くて
>もその人なりの最速の意味で可能です。
といったようなことを言っているが、うちのJoshya氏は心臓病持ちだから、下手に全力疾走などしようものならばったり倒れて死ぬ危険性がある。したがって、その「全力で走れ」の意味するところを明らかにしてもらわなければ困るのである。火災現場から脱出するために「全力で走る」のと、心臓のリハビリテーションのために「(本当は歩いたほうがいいのだが)もっとも効果的に心臓の機能を回復するために全力を発揮する」のとは別問題なのである。
つまり、「目標設定」→「努力」→「結果」という関係がそこには存在するのであり、「本人が求める結果」と「他者が期待する結果」が異なっているならば、『「努力」→「結果」』という関係のありようも、また異なってくるということなのである。
「他者が期待する結果」に対して本人が結果を出さず、「他者が期待する努力」を本人がしていないならば、おそらくは「努力が足りないから結果が出ないのである」と判断される。それは他者が期待する結果において正しい。しかし、本人は別の結果を求めて努力しているのである。その努力を他者に「認めよ」と要求したとしても、「私はそうした結果を求めているのではなく、そうした努力を求めているわけでもない」と言われれば、それまでなのである。
「私は、自分がASであることをまず認めたうえで、自分にとって最善の生き方をすることによって幸福になりたい」と望む子供に対して、「『ASであること』を認めたうえで幸福になる方法などは存在しない。まず『ASであること』を克服し、『普通の人間であること』になることで、幸福になるしかないのだ」と反論する教師は、少なからず存在するように思う。
---
くらいの反論は、できるのですね。で、こんな感じで書いてあれば、他の『アスペルガーの館の掲示板』のメンバーにだって分りやすいし、ツッコミだって入れられる、ということなわけです。
これは、学習と訓練によって手に入れられる「技術」です。「才能」の関わる部分は、それほど多くないように思います。自動車の運転技術と比較しても、難しいものだとは思えません。
(Maria)
>これは「ゲーム」なんですか?
>「ゲーム」だとは思わなかったので「裏」は無視しました。
思考は現実とは言えない。現実の境界を無視した思考ゲームは、資料として以外、人間性を高める役に立たない。
現実の境界を知ることが、私達に必要だ。生命は現実に生かさねばならない。
ASは共感を犠牲にして集中力を手に入れるが、その上に、生命を酷使し、多重人格を駆使して現実を生きる人がいる。
曲芸は楽しめるが、壁の中で思考ゲームをしているだけの人がそれにぶつかるのは見るに堪えない。
>「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けといいたい。
の意味はわかってもらえたろうか?「身体を鍛え」は心臓でなく、精神を鍛えだろう。
私も怒りを覚えました。
ミッドランドさん wrote:
> 今日、ネットで「自閉症」の検索をしていたら、強い怒りを覚えたページがありました。
> ↓こちらです。
>
> http://www1.odn.ne.jp/~aaa08190/Well-Being/mizunara/mizunara1.htm
>
> 内容は、小学校の特殊学級の担任教師が、自閉症の児童の母親に向かって、
>「あなたの子の暴力的性格は、親によりつくられたもの」「だから、わたしが直してやっている」
>と発言(しかも他の児童の親たちがいる場で)、これに怒った児童の両親が教育委員会に実態調査を要望する、というものです。
普通学級の教員(勉強も運動もできる優等生で、いじめを経験したことなく
社会に出るまで学校で立場の弱い生徒と全く付き合いのない地球人(非自閉圏の人)
たちが圧倒的に多い)は、連邦市民(自閉圏)の子どもたちを変わった子扱い
するものとして最初から信頼してないのですが、特殊学級の教員は皆、思いやり
のある人だと信じていました。
特殊学級の教員でこんな差別発言をする人がいたなんて・・・ショックで
なりません。
> 「養護・特殊学級(校)」の教師がすべてそうだとは思いませんが、少なからずこんな教師が潜んでいるように思えてなりません。思い過ごしだといいのですが。
残念ながら、特殊学級の教員は、必ずしも教育学部教員養成課程の養護・特殊
教育科出身ではないようです。
#教員免許を取るのに必要な教職科目に「発達障害学」を必須とする必要性を感じます。
みちる さんwrote:
またしつっこくレスつけてすみません。私はどちらかというと、自閉タイプに
感心もたれている、非自閉タイプの方とお話したいことのほうが多いんです。自分はここでもちょっと異端児かなと思うこともありますし。それにみちるさんは、神経症経験してらっしゃるらしいから、純NタイプというよりANタイプでしょうね。そういう人が自分のまわりにいたらなとはよく思うんです。
でしゃばりかもしれないけど、私がつねづね、自閉圏の人間といっしょにいて
>ここをこうすれば、他の人とうまくやれるのに・・・とか、こういう言い方しなければ傷つかないのに・・・。と思うことが多いのでその辺のことをテクニックとして身に付ければAS他の皆さんも無用に傷つかないのにと思うことがあるものですから。傾向と対策ですよね。
>そう言い方は傷つくよ。とはっきり夫にもいっていたら、最近気をつけていますしね。仕事でも、ミスった人間に突き詰めて逃げ道をなくし、相手がひいてしまって仕事上影響がでたりしているんですよ。その後自分が言い過ぎたとわかって自分で傷ついている夫をみているものですから、みなさんもそういうことってあるだろうなあ。とおもうんですよね。みんないい人なのにね。テクニック不足で変な人って
>思われてしまう。みんなピュアな可愛い人たちなのに。
ふところのせまさゆえに知らずに傷つけたり、していると思います。
>お互い様だと思う。私の発言で、もし傷ついた人がいるなら許してくださいね。
そうなんですよ。好きな相手、自分には大切な人をこそ傷つけてしまうんですよね。相手に過剰な期待をもつから、必要以上のことを言ってしまい、相手を傷つけてしまってることに後で気が付き自分も傷つくんですね。わかってるんだけど、やっぱり同じこと繰り返しちゃう。不器用で、いや不器用以上のものがありますよ。やっぱりビョーキかなあ。
みちるさんは疲れてらっしゃるでしょうから、このカキコのレスは結構です。ただ今後もこの掲示板には出てきて頂きたいです。私もとっぴょうしもないことをよく言いますから、からかわれること多いんですけど本気で言ってる事なんです。文学を真剣かじった人になら簡単にわかってもらえるのになあって思うんだけども。
私のヘンなカキコへのレスでもいいですからまた来てください。ではまた。
みちる wrote:
>Tienさんありがとう。
>わたしも、みんなのお陰でどんなに救われたか。それから貴方の優しさになんど
>慰められたか・・・。ここのお陰でASの夫への傾向と対策を練ることが出来たのだし、武田さんやくるとさんのカキコで息子のことが理解できたりしたのよ。
>ありがたいとおもっています。本当に。
こんばんは、みちるさん。お礼なんてとんでもない。
>カブトムシの件ありがとう。
>ご報告遅れてごめんね。買うことができる状況なのはわかったのだけど、
>北海道ではこれから飼っても、すぐ死んでしまうこと、卵を産ませるにはもう少し
>早くから飼わなければいけないということが解りました。
>結局時期をのがしたということで、息子に説明をして、来年は早い時期に
>手を打とうということになりました。
>ありがとうございました。わたしが国産カブトムシで検索しても探せなかったのに
>助かりました。ありがとうございます。
北海道は寒くなるのが違いますから、ざんねんでしたね。
>今、私は週末ごとに鮭釣りです。
>先日は四キロのメスをつり、いくらは醤油漬けにして食べました。
>今日は塩しておいたアラや身を石狩なべにする予定です。
>アイヌ民族のように鮭の神様に感謝していただきたいと思っています。
自然に触れるというのは意外な特効薬=リラックス出来ますよね。
>Tienさん ありがとうね。元気でたよ。
>身体に気をつけて、がんばろうね。お互いにね。
立場が違っても、年齢が違っても、優しい気持ちが通じるのはありがたいこと
ですね。私はなおみさんのカキコを見て、非ASであろう母にもっと優しくすることが出来るようになったんですよ。私も随分母を苦しめたのだろう、そして、
それに気づかず、ずっと、辛いことが起きたら、人のせいばかりにしてきた
己の身勝手さに気づきました。みちるさん、ご迷惑でなかったら、
これからもよろしく。
そして、環境が変わられたから、体調には気を付けて下さいね。
うぅ NY の事件、こわい。
Maria wrote:
> ううううう、不覚。しくしくしく。
説明よくわかりました。余計にしくしくさせてしまってごめんなさい。
くるとさん wrote:
>なんで悲しんでいるんですか、Mariaさん?
みどりさん wrote:
>> あたしが正直に答えたということだけは、信じていただきたいと思います。
>>しくしく。
>
>それは信じてます。
>でも「しくしく」の理由が気になる。
えー、このあたりの気持を説明するのはかなり難しいのですが、みどりさんが
>「人間を二種類に分けてみる」のはおもしろいと思うんだけど、それに「男」と
>「女」というラベルを貼るのはやめてほしいなと思うのね。
>そりゃ、分けた結果が「男性に多い」と「女性に多い」ということはあるだろう
>けど、それにラベルを貼ってしまうと、「女性はこう」「男性はこう」という逆
>のラベルになって独り歩きして、差別の根拠になってっちゃうわけ。例外なんて
>たくさんあるのに。
>
>差別の基本は、「ずれたグルーピング」だと思っている みどり
と書いてくださっているので、がんばって説明してみようと思います。
端的にいえば、あたしは自分の中の内なる差別を嘆いているのですね。
「男の発想」と「女の発想」というものが、あるというふうに、されています。たとえば男性が女性に対してある主張をしたときに、「それは男の発想よ!」と言い返されて、ぐっ、と詰まってしまうことがあります。つまり、多くの人は、「男の発想」「女の発想」というものがあるということを認めざるを得ないように、社会的に強制されているといっていいでしょう。「いや、私は別に、自分が男だからというのでそういう主張をしているわけじゃない」「それが男の発想だというのよ! 自分が男であることに対して、男は無自覚でいられるのよ!」みたいな議論というのは、たぶん今日もどこかでされているはずなのですね。
「じゃあ、同じことを女として発言したらどうか?」みたいなことも考えてみるわけです。「サラリーマンが『会畜』なら、専業主婦は『家畜』だ」みたいなことを言っているフェミニストの方にだったら、「あなたは男性が望んでいる女性のメンタリティを取りこんじゃってるのよ!」「『女の敵は女だ』っていうけど、あんたみたいな女が女の敵なのよ!」くらいのことは言われかねません。そんなわけで、男であれ女であれ、「男の発想」「女の発想」という二分法から自由であることはできないんですね。
で……具体的にあたしがなにについて嘆かわしいと思ったかというと、あたしが、「自分が女性と判定されたこと」に驚いたことを嘆かわしいと思ったのですね。あたしはずっと「男の発想」で喋っていたつもりでしたから。あたしは「男の発想」からも「男が女性に期待する『女の発想』」からも「男の期待を取込んじゃった女の発想」からも自由であるつもりでありながら、そういったものからニュートラルである自分の発想を、「男のもの」だと信じ込んでいた自分にちょっと愕然としてしまったわけです。つまり、男であるとか女であるとかいったものから自由になった発想というのは、たぶん世間では「男の発想」と呼ばれるものに近いものであるだろう、とうっかり信じこんでいたあたしは、「あなたは女です」と言われてびっくりすることで、その思い込みを意識させられてしまったわけです。
ううううう、不覚。しくしくしく。
あたしはメル友さんに「Mariaちゃんはさいきん男っぽくなった」とか言われていたので、それだけあたしは男だとか女だとかいった分類から精神的に自由になったのだと思っていたのですよ。だけど、女性自身が「女らしさ」「女の発想」だと思っていたものが、「女としての特性」ではないかもしれない、ということに、あたしは思いいたらなかったのですね。
あたしは女性は管理職に向いているようにずっと感じていました。ただ、その理由がはっきりしなかったんですね。で、ひょっとしたらなんですけど、「男の男っぽさ」というのは、偽物なのではないでしょうか。「女の中の男っぽさ」というものが、本来の「男っぽさ」であり、「男の男っぽさ」というのは、「女の中の男っぽさ」を取込んだだけのものなのではないでしょうか。遺伝子レベルの話まで考えちゃうと、なんかそれって理屈に合ってるような気もするんですよね。
まあ、この予想が正しいかどうかは別として、そいう発想に思い至らなかった自分というものを、あたしは恥じています。そんなわけで「しくしく」なのでした。まる。
(Maria)
自称 AS のみどりです。レスは結構と言われているところに横から口をはさみます。
なおみの夢 wrote:
>我が家の自閉という存在に・・・。非自閉が自閉の家族に苦しめられたということを理解してといっても、ここの掲示板でわかってもらおうなんて大きなまちがいでした。
むむ? なんで「理解してない」と思われてるのかなあ。
私はむしろその事象は、あまりにあたりまえのことすぎて、誰もコメントしないだけかと思ってました。
だって、ASの典型的な問題って、「非自閉の考え方 (『人の心』ってやつ) を理解できずに、余計なことをしたり、必要なことをしなかったりする」でしょ。
それで非自閉の人は傷ついて、自閉の人に対して「なんだよあいつ」って怒って、でもまた怒られた方はなんで怒られてんのかわかんなくて。
「そんなつもりはさっぱりないのに相手を傷つけてしまうこと」「その結果、必要な人間関係が結べないこと」
ここに来る人は日常的に直面している問題なんじゃない?
だから、「ここの掲示板の人にわかってもらおうと思うのがまちがい」じゃなくて、「ここの掲示板の人には、言うまでもなくみんなとっくにわかってること」なんじゃないかなあ。
# AS であることを自覚していない (もしくはASのことを知らない) AS の人だったら、「わかってない !!」てことはあるかもしれないけど。なおみの夢さんの配偶者はそうなのかもしれない。
# でも、ここの掲示板の人は、みなそこそこの自覚はあるわけだから、わかってると思うのよ。
はじめまして、なおみさん。
途中で何度か、レス、試みましたが、いつも、消していました。
今、書き始めたものの、最後に至れるか、疑問ですが、がんばります!
個人的な、ご事情が、忙しかった由、ROMしていました。(タレイヌの家族背景は、ご存知ですよね。)ココは、Motoさんがおっしゃるように、「母達の掲示板」ではないですし、タレイヌは文章力ないので、ちぐはぐになってしまいそうだけど・・・なおみさんの、お気持ちや、発言や、立場説明は、タレイヌには痛いほど分かりました。その理由は、私が『非自閉』だからではありません。言葉で、書き込みきれない膨大な経験を経てきていることが、似たような経験を積み上げてきているタレイヌには、感じ取れたからだと思います。(ある意味での共通体験です)
さて、ココの掲示板に、タレイヌが何故、釘ずけになっているか、実は、自分でも良く分からないのですよね、ほんとうは・・・?
あさかぜさんも、なおみさんも、元気をもらえる・・・と、おっしゃっていらっしゃいますが、タレイヌは、その事が、いまいちナニを指すのか、わかっておりません。(もし、お時間ありましたらで結構ですので、お教えください)こんな具合で、タレイヌは自分が、少々ずれを持って、生まれついている事を、割と感じながら、ここまで育って(って言うか?!)来ました。
すみません。途中ですが、家族が、いろいろ言ってきました。尻切れトンボでごめんなさい!
(タレイヌ)
武田好史 wrote:
>あなたの思い出のアニメーションは、何ですか?
「じゃりんこチエ」 かなぁ。
髪の毛を 横で結んだ時 重力に逆らって 横にはねる
姿が 羨ましく、何度も母親に 「チエみたいにして」と
頼んでも、直毛の私の髪の毛は、重力に素直に 下へ向い
垂れていくのでした。
「テンプルちゃん」は 私が覚えている限り 一番幼いころ
好きだった ものです。
Mr.Moto wrote:
>
> 噛み合っていない議論を見るとなにやらイラついてくるのが私の性癖である。
>
> おれが「自閉症児童の健常者の母親の心情」についてそうとうエグいことを言っている(『Re: お母さんの一言』、No.7212、5 Sep 2001)にもかかわらず、非難の言葉をまったく受けないのは下手におれにちょっかいを出そうものなら咬みつかれる、と思っているからではあるまい(ひょっとしたらそうなのか(^_^;))。みちるさんは「親というものはこういうものなのだ」と実際に自閉症児の子供を持つ母親の立場から発言していて、私は「親なんつーものはこの程度のもんだ」と第三者の立場から言っている、というだけのことなのである。そんなわけで、みちるさんは「あんたには言われたくない」というメッセージを受けそこねているのである。
>
> ここんところの齟齬が生じる原因はいくつかあるのだが、ひとつは「障害者」対「健常者」、「子供」対「親&教師」だというのは、ほとんど絶対的ともいうべき「弱者」対「強者」の関係であり、しばしば前者はその関係に基づく後者の発言に対して極めて敏感であり、しばしば後者はその関係に基づく自分自身の発言に対して極めて鈍感である、というものなのだな。
> たとえばの話、どこかの自閉症児の母親に「もっとお子さんのことを理解してあげてください」と言ったら「だって、わかんないものは、わかんないんだもの」はねつけられた場合のことを考えてみてほしい。「わからないものを、わからないなりに努力しようとしているのだけれど、やはり限界があります」くらいのことは言えよオイ、というのが大方の気持だと思う。
なるほど言葉不足でした。
>
> もうひとつは、みちるさんが疲れている、ということにありそうに思う。「いくら頑張ったってわかんないものはわかんないんだから、しょうがないじゃない」という気持をこの『アスペルガーの館の掲示板』で受けとめてもらおうと思ったのだろうけれど、そりゃあんたちょっと無理、という気がするのですね。そういう話は同じ自閉症児のお母さんとメールでこっそり話して「そーだよねー、大変だよねー」と頷きあって子供には言わない、というのが大人の分別というものです。「『わかんねーもんはわかんねーんだ』じゃ済まねーんだコラ」、みたいな話をしているときに母親代表としてのこのこ出てくりゃ、そりゃあ石くらい飛んできますわな。だから、「母親という立場はとりあえず置いておいて、母親の立場を代弁すれば」くらいのエクスキューズをしておく必要がありました。
>
> その点、あさかぜさんは「親としての覚悟」というものを踏まえたうえで、
>
>---
> 「親としての覚悟」が足りない人とか、何かはきちがえている人は、世の中に掃いて捨てるほどいますね。自分がその中の一人にならないためには、学び続けるしかない。我が子から教わることは数多いです。
> 親子は互いに教える・教えられる関係でもあります。なまぬるくないです。少なくとも、わたしはそう思っています。時として、全存在を賭けて激烈に戦うこともあるんだよ〜ん。
>---
> 『Re: お母さんの一言』、No.7240、7 Sep 2001
>といった形で、「時として、全存在を賭けて激烈に戦うこともある」と戦線布告をしておられます。
>
そうですね。立派ですね。私は親として失格なのかもしれません。
> で、こういう形で自分の立場をはっきりさせておいて、「わからないものは、わからないんだ。だから、『わかってほしい』だけじゃ通じないことも、世の中にはあるのだ」と発言するのなら、まあ、たぶんどっからも文句は出ませんわな。どんなに説明しても、どぉぉぉぉぉぉぉおしても理解してもらえないこと、というのが厳然として存在する、という絶望感というのを、すべての自閉症者は抱えていると言っていい。それは確かなことです。
それは私たち非自閉が自閉者に対して思うことでもありますよ。なにもわかってくれないと思っているのは自閉者だけではないのです。そのことを説明したかったのですが、いかんせん皆様と論議するほどわたしには構成力も文才もなかったということでしょう。
私の発言でいやな思いをされた方には深くおわびをいたします。
そうですね。私は疲れているのかも知れません。
我が家の自閉という存在に・・・。非自閉が自閉の家族に苦しめられたということを理解してといっても、ここの掲示板でわかってもらおうなんて大きなまちがいでした。
ごめんなさい。このコメントにはレスは結構です。失礼いたしました。
◆あなたの本当の性別は男性です◆
男性度 67.6%
女性度 32.4%
[コメント]
あなたはきっと男でしょう。女性的な部分が結構ありますので、まかり間違うと危ない方向に行く可能性がありますので気をつけましょう。間違っても人形遊びやママゴトはしてはいけません。
◆ あなたは生物学的には男性です◆
[コメント]
やはりあなたは男でしたね。プログラムの作り手としては一安心。
おれとしては「◆あなたの本当の性別は女性です◆」と出そうに思っていたので、少々意外な結論である。コメントはある意味納得できるものである。お人形遊びやママゴトは嫌いではない、と思う。コスチューム・プレイ、イメージ・プレイの類は嫌いではないから。
(Mr.Moto)
syaku wrote:
> シュッツさんは頭の中のゲームの,裏の現実が見えてない。あるいは無視している。現実が見えれば”場合によっては正当”の意味は,わかるはず。
これは「ゲーム」なんですか?
「ゲーム」だとは思わなかったので「裏」は無視しました。
>>『結果的に鍛えた状態が、他人から見て低いレベルであり、結果だけから「鍛え方が足りない」とみなしている』みたいに見えてしまうのね。
>の『』の中と
>>「全力で走る」のはいいが、それ以前に身体を鍛え技術を磨けといいたい。
>です。
>後者の様に発言していて、前者は否定している。
>私には同じように見えるのに、否定と主張という形をとっているということは違うということなので、何が違うのかを知りたかったのです。
>>> 「相手の意図が分からない」あるいは「相手が意図を明確にしない」という事実を踏まえての対話、というものをシュッツさんは想定していないようにお見受けします。
>
> もちろん想定していません。
>そんなものを想定してしまったら、主題がぼけてしまって、議論にならないからです
シュッツさんは頭の中のゲームの,裏の現実が見えてない。あるいは無視している。現実が見えれば”場合によっては正当”の意味は,わかるはず。
みなさんこんばんは。
またふーっと聞いてみたいことがあったので、質問します。
あなたの思い出のアニメーションは、何ですか?
くるとさん、Maria ちゃん、ぶしつけなお願いを聞いてくれてどうもありがとう。
Maria wrote:
>男性度 26.0%
>女性度 74%
はからずも「私の勘は当たらない」が証明されてしまいました。(「人を見る目がない」が証明されたのかもしれない)
> あたしが正直に答えたということだけは、信じていただきたいと思います。しくしく。
それは信じてます。
でも「しくしく」の理由が気になる。
それはさておき、「地図が読めない女、話を聞かない男」(逆だっけ?) でも私は男側になっちゃうのよね (私は話を聴かず地図は読める女なんだもん)。
「人間を二種類に分けてみる」のはおもしろいと思うんだけど、それに「男」と「女」というラベルを貼るのはやめてほしいなと思うのね。
そりゃ、分けた結果が「男性に多い」と「女性に多い」ということはあるだろうけど、それにラベルを貼ってしまうと、「女性はこう」「男性はこう」という逆のラベルになって独り歩きして、差別の根拠になってっちゃうわけ。例外なんてたくさんあるのに。
差別の基本は、「ずれたグルーピング」だと思っている みどり
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