アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
るうさん wrote:
>これの意味するところは、Mr. Motoさん以下、大森総研の方々を動かして
>いる、現実の社会に生きてコンピュータの前に座ってカキコしている方
>(名前がわからないのでXさんとさせて下さい)は、ご自分の意志表明を
>することを放棄している、ということなのでしょうか?
>いろんな立場というものが存在しているのは理解できたのですが、Xさん
>ご自身のご意見は特にどれかのキャラクターに決まって反映されているの
>でしょうか?
Joshya氏(ずっと「所長」と呼ばれていた)がわれわれを代表する実在の人物であり、彼の発言はわれわれの「公式見解」といった意味合いがある。とはいえ、かれ自身「こうだ!」という意見を必ずしも持っていないこともあるし、持っていたからといって必ずしもそれを正直に表明するわけでもない。
Joshya氏はおれと同じようにわりと人間に対して絶望しているようなところがあって、なおかつMariaのように人間に対する希望を捨てていないというところがある。だから、人間関係に関していえばああでもないこうでもないとうじうじうじうじ悩むタイプである。彼の意見はわりと穏健で、落とし所としては適当ではあるものの、聞いて面白いものではまったくない。
彼はあんまり感情を表に出して人を動かすということをしない。感情に訴えるより言葉で説得するほうが性に合っている、どちらかというと調整役タイプである。たまに凄んだりはするけれど、それも計算づくのパフォーマンスであることが多く、怒ったところでムチャはしないタイプである。
それだけに人間関係ではいろいろと痛い目にあっている。「貧乏籤を引かされやすい」タイプなのである。それだけに、「人間的な弱さ」みたいなものを言い訳にして人に迷惑をかける奴が嫌いなのである。本人が「女の腐ったような性格」と自分で言うとおり、無神経な書込みや鼻持ちならない書込みを見ると思わずぶっ潰したくなるのをつねづね我慢している。無定見で、思慮が浅く、長いものには巻かれ、「結局は自分がいちばん可愛いんだ」とかいって都合が悪くなったら簡単に人を裏切る「大衆」が嫌いだ。彼はポピュリズムの犠牲者であり、大衆を憎んでいる。
でまあ、彼はテロに走って大衆の目を覚まさせるかわりに啓蒙活動にいそしんでいたりするのだが、彼は同時に高いところから人にものを言うのが苦手というか大嫌い。だいいち下手に慕われるとまつり上げられてあげく利用され落っことされて踏みにじられる、というのを何度も経験している。そんなわけで、KILROY氏とかMariaとかおれとかいった、どっか欠落した、頼りにならない、けっこう無責任な、あんまり他人に尊敬されたりしそうにないキャラクターとしてこの『アスペルガーの館の掲示板』をほっつき歩いているのである。
ところがMariaがプレッシャーでキレた。Joshya氏の二の舞になりそうな思いがよぎったのであろう。
だいたい誰とは言わんけどこの『アスペルガーの館の掲示板』でもけっこうひどい発言をしとる奴は少なからずおるのだ。本人自閉症だから仕方ないとは言うものの、本人は薄々自分のやってることに気がついていて、叩かれても「傷ついた」とかいって泣いたりわめいたりすりゃあ赦してもらえるとたかをくくってる奴も中にはいそうな気がする。障害者だからといって全部が全部天使のような心根の持ち主とは限るまい。
Mariaはとくにお馬鹿で気まぐれなキャラであり、もともとは息抜き担当みたいなところがある。それがまあ気がついてみればわれわれの気分を代表してくれているところがある。本音を言えば、Mariaに関してはあんまりうるさいことを言われたくないのだ。とはいえいちばん重要なキャラであることも確かなのである。
そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれの本音に近い、と言えるかもしれない。
(Mr.Moto)
はじめまして、LDのARAと申します。
ミッドランドさん wrote:
> 9月18日付山陽新聞に、このような記事が載っていました。
>
>#「四国学院大 学生部長が差別発言 『学習障害者 授業とるな』」
> わしは即座に感じました。「この教授は、学習障害がいかなるものかも知らずにこんなことを言ったにちがいない!」と。
> おそらく、学習障害を「頭が働かない、できの悪い人間」とでも思っていたのでしょう。正しい認識をもっていれば、あんな発言は出たりはしません。
> この教授「おわびする、冗談だった」と釈明していますが、この発言を聞いた学習障害の子を持つ親たちおよび学習障害の人たちは、どのように受け止めたことでしょうか。(別に正義ヅラしているわけじゃないのです。わし自身の率直な疑問です。)
>
> どうも発達障害と呼ばれるグループは、誤った解釈をされがちですね。
この大学、社会福祉学科も、教育学科もあるので
(しかもキリスト教精神にのっとったというのがウリらしい)
怒るというより、トホホ・・・ なかんじです。
問題の記事↓
http://www2.sanyo.oni.co.jp/news/2001/09/18/13.html
ASのことではないのですが、気になったことがあったので書きます。
9月18日付山陽新聞に、このような記事が載っていました。
#「四国学院大 学生部長が差別発言 『学習障害者 授業とるな』」
内容は、四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
などと発言、この学生は科目の履修を断念した、というものです。
わしは即座に感じました。「この教授は、学習障害がいかなるものかも知らずにこんなことを言ったにちがいない!」と。
おそらく、学習障害を「頭が働かない、できの悪い人間」とでも思っていたのでしょう。正しい認識をもっていれば、あんな発言は出たりはしません。
この教授「おわびする、冗談だった」と釈明していますが、この発言を聞いた学習障害の子を持つ親たちおよび学習障害の人たちは、どのように受け止めたことでしょうか。(別に正義ヅラしているわけじゃないのです。わし自身の率直な疑問です。)
どうも発達障害と呼ばれるグループは、誤った解釈をされがちですね。
ASを含めた自閉症も、まだ「外部との接触を避ける人」という見方を多くされていますし。
そういえば、フェミニストとして名高い某東大教授は、自分の著書の中で自閉症を「母親の過保護・過干渉」「母子密着の原理」を前面に出して論じていました。(ちなみに著書名は「マザコン少年の末路」です。↓に詳細が書かれています。)
http://member.nifty.ne.jp/starbird/book.html
タイトルでサムくなったならすいません ミッドランド
私共は、文部科学省外郭団体にて、学校安全に係る各種大会、講習会等を主催し、全国の児童・生徒の事故防止に力を注いで参りました。
日々全国から届く事故報告に大変心を痛め、その後の子供達が直面する現実への疑問から、自分達に出来ることを模索する中で、ケアフレンズさくらは誕生しました。
設立にあたり、障害者の現状を学んでいく中で、バリアフリーが大きくうたわれているにも関わらず、様々な矛盾を感じました。
その上で、子供達はもちろんのこと、様々な年代の方々が、ご家族、お仲間、お一人様でも各種外出時に快適な時間を過ごしていただけるよう展開してまいります。
ケアフレンズさくらだからできることを提供していくことで、皆様のお役に立てればと考えております。
どうぞよろしくお願いいたします。
>>良薬口に苦し、ってゆう言葉がありますよね。
>
> 「諫言耳に逆らう」のほうが、適切かも。
毒薬苦於口利於病 忠言逆於耳利於行
−史記 淮南王伝
武田好史 wrote:
>まろんす wrote:
>> こんにちは。
>>去年の秋に横浜のある自閉専門クリニックを予約したのですが
>>最初は「1年待ちです」と言われてたのですが
>>1年経ってもなかなか連絡が来ないので
>>確認の電話をすると
>>初診の順番が「今年の暮れか来年の始めになる」と伸びてしました。
>
これはどうしても仕方がないことのようです。なぜなら今のところ、自閉症やADHDなどを専門的に診てくれる児童青年精神科医の人数は、我が国に110名ほどしかおらず、その上に多くのお母さんが「うちの子は自閉症なのでしょうか・・・」と子どもを専門の先生に診てもらおうとするからです。
昨日私は例のクリニックへ行って来たのですが、やはり待っていた20分ほどの間に3組の親子が診察室の中へと入っていきました。
それと自閉症かどうかを調べる検査ということになると、普通の検査に比べて検査スタッフの経験が必要なことと検査をするための判断材料を得るために、現在の医療制度のもとでは、かなりのコストがかかります(大人の場合7万円・子どもの場合15万円)。
もしも、検査をしたい理由が「どのような職業が自分にむいているか?」という
ことを含んでいるならば、まずは障害者職業センターなどで検査を受けてみたほうがよいです。その上で、自分を苦しめているのはやはりASのような自閉症圏障害に違いないという感じであれば、その時に本当に自閉症か否かを判定する検査を受けるようにしたほうが、ふんぎりという面ではよいかもしれません(そのために予約のキャンセルはしないでおく!)。
また検査の初日には、ちょっと恥ずかしいかもしれませんが、親御さんに同行してもらって下さい。これは発達障害の的確な診断のためには、患者さんの幼少期の状況の正確な把握が不可欠であり、それには親御さんからの情報がどうしても必要だからです。
本当は発達障害を専門に診てくれるクリニックが、各県に3・4個あればよいのですが・・・
まろんすさんwrote:
> こんにちは。
>去年の秋に横浜のある自閉専門クリニックを予約したのですが
>最初は「1年待ちです」と言われてたのですが
>1年経ってもなかなか連絡が来ないので
>確認の電話をすると
>初診の順番が「今年の暮れか来年の始めになる」と伸びてしました。
都心部の病院はどうも待たされてしまうことが多いみたいです。ちな
みに今から予約を入れなおすと、さらに待たされてしまうことがあるの
で、注意が必要です。
>そこで、みなさんにご質問ですが
>横浜か湘南近辺で大人の自閉を扱ってくれる所を知りませんか?
ひとまず、地元の保健所に問い合わせてみることをお薦めします。「
成人の発達障害に対応している医療機関はないか?」と電話で確認して
みてから、教えられた医療機関に連絡しておいた方がいいです。
この確認作業を怠ると、病院をたらい回しになって極めて不快な思い
をする場合があります。わたしがまさに2次障害が深刻だった時にたら
い回しになり、深刻な病院恐怖症と医療不信に陥って事態がさらに悪化
したことがありました。
こんにちは。
去年の秋に横浜のある自閉専門クリニックを予約したのですが
最初は「1年待ちです」と言われてたのですが
1年経ってもなかなか連絡が来ないので
確認の電話をすると
初診の順番が「今年の暮れか来年の始めになる」と伸びてしました。
そこで、みなさんにご質問ですが
横浜か湘南近辺で大人の自閉を扱ってくれる所を知りませんか?
ちなみに今年、東海大学病院に電話で問い合わせしたら
「大人の自閉はやってない」と言われました。
(しかも、うちからは東海大学病院はバスでしか行けない・・)
デボラ・タネンさんという言語学者さんがいて、以下のようなことを言っている。
1)メッセージには、不可避的にメタ・メッセージが伴う。
2)メタ・メッセージとメッセージの関係(これを「表現のスタイル」と呼ぼう)は、人によってそれぞれ異なる。
3)誤解(夫婦間の誤解は特に)は、表現のスタイルの差から生まれる。
ちなみにデボラさんは離婚経験者で、一度めの結婚が破綻したのはこれが分かっていなかったのが原因だった、と言っている。詳しくはデボラ・タネン著/田丸美寿々訳、『「愛があるから…」だけでは伝わらない わかりあえるための話し方10章(THAT'S NOT WHAT I MEANT!)』、講談社を参照されたい。
「まったく、嫌な天気だな!」
「それは私のせいですか?」
とかいった会話の場合、「私は不快感を共有してくれる程度に君が私に共感してくれているものと期待している」「私はあなたに共感していないので、あなたの不快感を共有したくない」といったメタ・メッセージがやりとりされている、と考えても、それほど見当外れではあるまい(←自分で「予防線を張らない」と宣言していてこれだ。我ながら困ったものである。なお、「それほど見当外れではあるまい」というのは、「それは勝手な決めつけだ」というツッコミに対する予防線である)。
あるいは、
「まったく、嫌な天気だな!」
「奥さんと喧嘩したんなら、早めに謝ったほうがいいですよ?」
みたいな会話では、「まったく、嫌な天気だな!」という言葉から、また別のメタ・メッセージを読みとっている。
話をややこしくするのは、メタ・メッセージの部分は主に無意識に担われていて、メッセージの部分は主に意識に担われていることである。そんなわけで、メッセージを発した本人は、そこにどんなメタ・メッセージが込められているか意識していない場合が往々にしてある。
つまり、
「宿題は終わってるの?」
「うるさいな! やればいいんだろ! やれば!」
とか、
「宿題は終わってるの?」
「俺だってたまにはちゃんと勉強することくらいあるんだよ!」
とかいった会話が会話として成立する陰には、「宿題は終わってるの?」というメッセージが、「あなたは宿題が終わってもいないのにのんびり遊んでいるんじゃないでしょうね?」という「猜疑」のメタ・メッセージがそこに込められている、と解釈されたという理由が存在するのである。で、「宿題は終わってるの?」と言ったときには猜疑心があったとしても、それは意識されていないために、「そんなこと言ってないでしょう!」みたいなことを本気で言ったりなんかもするわけなのである。
で、「メタ・メッセージなどという面倒臭いものを考慮するからいかんのだ。そんなものは無視してしまえ」といったことを言う人もいる。「単なる情報提供と思えばいいでしょう」という立場だ。ところがそれではなかなか世の中が渡りづらい。メタ・メッセージを無視された相手が怒り狂うからである。
ある人物の「印象」というのは、この「表現のスタイル」による部分がかなり大きい。これは逆にいうと、自分の印象に合わせた表現のスタイルを用いないと、自分の意図するメタ・メッセージが伝わらない、ということでもある。これはまた「自分は相手にどんな印象を持たれているか」が分からなければ適切なコミュニケーションができない、ということでもあり、「自分のキャラを立てる(堅固な表現のスタイルをアピールする)」ことが重要だ、ということでもある。
ところが、多くの人は、相手も自分と同じ「表現のスタイル」を取っていると判断しがちで、それが男と女の誤解の原因になっている、という指摘がされている。
『人類学者のモールツとボーカーによれば、男と女は異なったスタイルで、聞いていることを示す。たとえば、女は相づちを打つ頻度が男よりも高い。だから男が聞き役だと、信号が少なすぎて、女は耳を傾けられていないと感じる。逆に女が聞き手だと、合の手の度が少なすぎて、男は話をせかされる(または邪魔される)と思う。
さらに悪いことに、相づちの意味が両者で異なる。傾向として、女は単に「聞いている」「理解した」という合図で使う。だが、男は「合意」のしるしで用いる。男の使用回数が少ないのは、男女を問わず、相手への「合意」は「理解」ほど頻繁でないためだろう。
「そうね、そうね」と聞いていた女が、結局は反対意見だったりすると、男はだまされた気になる。一方、耳は傾けても合意できない場合、男は相づち不足となり、女からは聞いていないと責められがちだ。』(前掲書より)
これは日本人にはあてはまらないが、男→アメリカ人/女→日本人と置き換えると、かなりありがちな状況となる。
「あの人の言うことは分かりにくい」というのは、「あの人の表現のスタイルが理解できない」という場合の他に、その人の表現のスタイルを誤解しているという場合がある。あるいは、「あの人の表現スタイルは私と同じではない」ということだったりすることも、往々にしてある。
そんな訳で、話題はこの「表現のスタイル」というものに移ってゆくのである。
(KILROY)
一穂ちゃん wrote:
>Motoさんから見れば、これもポイントをはずしたツッコミなのかもしれないけど、
>わたし、善良なんて言われても、ちっとも嬉しくないです。
>とてもバカにされてるかんじがしてフユカイ。
>
>Motoさんの言ってる意味での、"わざと話を混乱させようとして意図的にはずした
>ツッコミをする"ことが悪意があることだ、とするなら、まぁ、わたしはそこまでは
>考えちゃいない→つまり善良、ということになったんだろうけど、ひとにレッテル
>を張るときは気をつけた方がいいと思うじょ。
法律上の言葉で「善意の第三者」っつー言葉があってだね、「『こいつぁ狙ってやってるな』的ツッコミ」に関しても、尻尾をつかむまでは原則として誠意ある対応をする、ということだったりするのである。
ヒトラー政権を支えたのも「善良なる市民」だった。そういう意味で「善良なメンバー」が一穂ちゃんにとって皮肉に聞こえたとすれば、それはそれで健全な感性だと思う。無定見、付和雷同といった「大衆」の特性というものが「善良なメンバー」という言葉にはイメージとしてまとわりついていそうに思う。
ただし私にはそういう意図はなかったが。
>たしかにわたしはいつもポイントはずしちゃってますよ、悪気はないとしても。
>でもそれを善良だなんて、それこそ誤解です。
本人が認めている以上、一穂ちゃんがときどき(「いつも」ではないと思う)ポイントをはずしている点については私は認めざるを得ないが、非常に「おいしい」という点については私は非常にうれしく思っている。
Maria wrote:
> 蝗(いなご:成虫)、蚕蛾(かいこが:蛹)、髪切虫(かみきりむし:幼虫。
>別名・鉄砲虫)、黒雀蜂(くろすずめばち:幼虫。俗に「ヘボ」)、蜻蛉(かげ
>ろう:幼虫。別名・ざざ虫)、蛇蜻蛉(へびとんぼ:幼虫。別名・孫太郎虫)……
>
> ああっ、ぶたないで。
『虫が好き』、No.7190、4 Sep 2001
といった具合に狙ってハズしている奴もいるのだが、作為が入っているだけによく考えるとサムい。そんなわけで、
>Motoさんこそ善良な人ですよ。
というのは当たらないと私は思っている。私自身も心の奥底にドロドロを抱え込んではいるのである。だからこそ、
>わたしはMotoさんがここで言ってるようなことは、
>わたしなりに解釈していますが、それを言ったらたぶん傷つくと思うので言わない。>というか言えない。ことが多い。
といったようなことも言える……というか、こういうことを言うために私がいる。
>だって言ったことは全部自分に返ってくるからね。
>自分を守ることも必要です、だってそんなに強くないもん。
まあ、おれだって好きで強くなった訳じゃないのだが、自分に返ってくるものはべつに悪いものだけではない。だからこそこういったろくでもない役割(おれ自身はたいそう気に入っている……というより、そのためにこそおれが存在しているのだが)を引き受けているのである。これがJoshya先生やMariaだったら、やはりツッコミを入れる方にも遠慮があろうというものである。
>が、ここまで言ってしまたので、口をすべらしてしまうと、
>わたしは、こうゆうのはすべてMotoさんの、自分に対する言い訳に聞こえて
>しまいます。
>
>なぜ自分の文章がそんなにわかりにくいかを、いちばん大事な点を考えること
>を避けるための遠回りをしているだけ、に聞こえてしまうのです。
私は「そう簡単におれが言っていることが分かってたまるか」と思っているので、中途半端なところで分かったようなつもりになってほしくない、という思いがおれにはある。そんなわけで、私は意図的に「わかりにくい」文章を書いている部分もある。
>なぜ、ポイントをはずしたツッコミをされてイライラするような目にあうのかと
>いえば、それは、 "わかりにくいから"。
>相手の悪意のせいというよりも、それは自分の文章が誤解されやすいから。
>それに気付いているから、わかりやすさについて考えようとしているのでしょう。
>でもそれは、論じて定義づけしてもしょうがないことです。
>"わかりやすさとはなんなのか"
>あなたが出した答えに、ここのひとたちはもしかしたらそれで納得するかもしれ
>ませんが、それこそひとをバカにしています。
すでに述べたことではあるけれど、単一の「わかりやすさ」などというものは存在しないと私は思っている。むしろ、「わかりやすさ」の多様性を論じたうえで、「じゃあ、われわれはどうしたらいいのか?」を考えるないとまずかろう、ということを言っているのである。
>ひとが読んで、わかりにくいと言ったら、それはわかりにくいんです。
>自分の文章はわかりにくいんだ、と認めるしかないと思います。
>まず、それをせずにいくら論じたところで何も解決しないのでは。
「私が読んで、わかりにくいと感じたら、それはわかりにくいのだ」という立場は確かに認める。ただ、「わかりやすい説明」というのは、私の経験上けっこう高い確率でウソであることが多く、「本当のこと」をちゃんと説明しようと思うとけっこう説明はややこしくなるのだ。だから、「ここからは重要なことだから、少し立ち止まって考えてくれ」という意味で、わざと「わかりにくい」表現をすることもある。
>被害妄想っぽい受け取り方、してませんか?
している。
「私が読んで、わかりにくいと感じたら、それはわかりにくいのだ」といったような発言は、だいたいにおいて「<お前>の言うことなんか認めねーぞ」を意味すると思っている(一穂ちゃんのことを言っているわけではない。念のため。Makichanについてはちょっと意識している)。
「少なくとも『私にとってわかりにくい』というのは、私にとって切実な事実だ」ということであれば、KILROY氏にネタを振って「その人にとって分りやすい説明」をすることで対応したいと思っている。KILROYや大槻いつきさんも指摘しているように、「自分にとってわかりやすい説明」が、「他の誰かにとって分りやすい説明」であるとは限らず、「ある特定のグループの人にとって分りやすい説明」であるとも限らない。したがって、「それはわかりにくいのだ」の主語(本当は主語ではない。主語は「それ」である。「主体」というのがおそらく正しい)をはっきりと書かない、というところに意図的なものを感じてしまうのだ。
私自身は「てめえの言ってることなんざ金輪際理解なんかしてやるもんか」と思っている奴でも納得せざるを得ないような説明を求められることが多く、何を言っても「言っていることがさっぱりわからない」の一言で蹴っとばされる、という経験をしてきた。おそらくはこの『アスペルガーの館の掲示板』のメンバーの多くは同じような経験をしているはずである。
親や教師が「わからない」という場合、「わかりたくない」「わかっちゃうと都合が悪い」の言い換えでしかなさそうなケースがしばしばある。「その言い方はないだろう」とかいうのも、じつは「言い方(表現)」が問題なのではなく、「言っている内容(意味)」が気に入らない、ということだったりもする。
自分が「善良」でないことをよく理解している人間は、実効的な意味でかなり「善良」である。自分が「善良」だと信じ込んでいる人間は、実際問題として「善良」だなととはとても呼びたくない人間だったりもする。
「善良」の一語のみを取りあげてもこれだけ解釈に幅がある。「わかりやすい」ということはどういうことか、についての「わかりやすい」説明などというものはなく、おそらくは結論すらないのであろう。ただし、「わかりやすい」ということはどういうことか、ということを考えることは有意義であると信ずる。
そのための「模索」「手探り」「足掻き」を表現するためには、(不本意ながら)「わかりにくい」表現をとらざるを得ないように思う。まあ、可能なかぎり「わかりやすい」表現を心掛けるにしても(←これは「わかりやすく」表現する努力を放棄しない、という意味である。念のため)。
>良薬口に苦し、ってゆう言葉がありますよね。
「諫言耳に逆らう」のほうが、適切かも。「言わぬが花」「真実は人を傷つける」というのもあるが(^_^;)。
「千振(せんぶり)」を愛飲している私としては、「良薬口に苦し」という言葉はじつに身に迫るものではあるが、自分が好んで飲むぶんにはまことにもっともだと思うのだけど、人に無理矢理飲ませるときに言う言葉ではないように思う。そんなわけで、「言葉が」より「言葉も」のほうが無難な表現だと思う。
(Mr.Moto)
一穂さん wrote:
>Mr.Moto wrote:
>>一穂ちゃんや大槻いつきさんをはじめとする善良なメンバー(「善>良なメンバー」ではなく「女」の間違いじゃねぇのか?)のツッコ>ミに関しては、たとえポイントを外していても極力誠意ある回答を>心掛けるつもりである。
>
>Motoさんから見れば、これもポイントをはずしたツッコミなのかもしれないけど、
>わたし、善良なんて言われても、ちっとも嬉しくないです。
>とてもバカにされてるかんじがしてフユカイ。
私も一瞬そう感じたけれど、「『たとえ』ポイントをはずしていても」って言葉で、
実際にちょくちょくポイントはずしてると言ってるわけじゃない、と解釈しました。
自分でも、ポイントはしょっちゅうはずしてると思うけど。
私がMotoさんの書き込みで気になったのは、自分のことよりも、
最近のMotoさんが「悪意のある」外しかたをしてると思ってる人の中にも、
全然そんなつもりはない人もいるかもしれないなぁ、とゆーこと。
健常者ならば、枝葉末節に拘泥してしつこく追求してくるのは「こいつをちょっといじめてやろう」
と考えてる場合が多いでしょうが、
このアスペルガーの館では、単純に
「ここってどーゆー意味なんだろう? 本題には関係ないけど、気になる気になる気になるーっ!!」
って思って、つっこんでる人も多いと思うのです。
シンタロウ wrote:
> なんで僕を責めるの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を叱るの?・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を傷つけるの?・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんでほめてくれないの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん僕が嫌いなの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を無能扱いするの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで怒るの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで怒鳴るの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 僕はいらない人間なの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕のことを理解してくれないの?・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん○○○○やる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
2,3年前の自分も同じことを考えていた。ナイフみたいにとがっていた。
そうやっていくにつれて、私の母は追いつめられてとうとう錯乱を起こして、今年の始めから半年間精神病院に入院してしまった。
少しシンタロ君には厳しいことかもしれないが、「くれない族」になるよりも、食事の後必ず家族みんなの皿を洗うとか、そんなささいなことでよいから親孝行をして欲しい。そうすれば、きっとお母さんも君の方を向いてくれると思う。
ねこまんま wrote:
>どんなにがんばっても、目標を達したことを「当たり前」と言い、決して「よくがんばったな」とは言ってくれなかった父。
>私がすること全てに文句を言い、禁止して抑圧した母。
私の両親そっくり。
>二人とも私が何を考えているかわからないと言うくせに、何か相談しても頭から「だめ」としか言わなかった。ほんの数年前まで、私は自宅に住むことを強要されていました。ずっと抑圧され、高校を出るころにはすっかり自分の意志を失っていて、親に反対されてまで「何かをしたい」なんて思うことがなくなっていました。
私の両親そっくり。
>カゴの中の鳥に逃げようとする度に痛みを与え続けると、カゴの外に出る意志を失ってしまう。おなじように、何かをする意欲を持つことができなくなっていました。
>親を殺す夢を何度か見ました。自分の頭が狂ってしまったのではないかと、いつも悩みました。ウツになりはじめたのもこの頃からでした。現実を生きている感覚を失っていました。
私も狂ってしまったかと思いました。
>変わったのは家を出てからでした。
>相談すれば禁止されることがわかっていたので何も言わず、全く知らない人を頼って、家を出ました。
おんなじ。おんなじ。
>とにかく両親から逃げました。
私は束縛から逃れるという幸せを手に入れました。
ココロがとても健康になったので、一時的にでも親から離れてよかったと思ってます。
>そこからの数年間、私は自分の意志を取り戻すことをがんばりました。でも、長年私の身体にしみついたものはなかなか抜けてくれません。したいことを見つけるまでに4年かかりました。そしてまだ準備段階でそれを始められていません。でも、ほんとうに家をでて、彼らから逃げ出せてよかったと思っています。私は「私の人生」というものが存在していることすら忘れていたのですから。
>最近では彼らも私の中ではなくて、自分達の中に、自分たちの生き方を見つけようとし始めてくれてます。
今私は自分の意志を取り戻そうとしています。
自分のココロが書いてあるみたいで、ねこまんまさんの文章に衝撃を受けました。
希望あるかな。そう思いたいです。
シュッツさん、MoToさん。どうも愚問に答えていただきありがとう
ございました。
シンタロウくん wrote:
> お母さん僕が嫌いなの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を無能扱いするの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 僕はいらない人間なの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん○○○○やる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今の時点で言えること。
(1)子供が家族を憎んだりする感情は極めて自然であること
(2)「お母さん」がシンタロウくんをどう評価していようと、シンタロウ
くん自身がその価値観に従わなければならない理由はないこと
(3)家族がなんと言おうと、シンタロウくんには生きる価値がある
(4)復讐をする場合は、あくまで法律の範囲内で行った方がいい
(5)シンタロウくんがここに書いたことは、何らかの形で「お母さん」に
伝わることが望ましい。
とんちんかんな質問なのですが…
Mr.Motoさん wrote:
>1)我々はそれぞれ別人格と解釈してもらっていい。ただしすべての責任はオ−ナ−兼シスオペたる所長がひっかぶる。
>4)世の中にはいろんな立場があるわけで、それぞれを代弁する立場として、それぞれのキャラクターが存在する。
> 「じゃあ、どれなのか」といえば、そこは読み手の側に判断の権利があり、そう判断することは正当である、と我々は認めているのである。
これの意味するところは、Mr. Motoさん以下、大森総研の方々を動かしている、現実の社会に生きてコンピュータの前に座ってカキコしている方(名前がわからないのでXさんとさせて下さい)は、ご自分の意志表明をすることを放棄している、ということなのでしょうか?
いろんな立場というものが存在しているのは理解できたのですが、Xさんご自身のご意見は特にどれかのキャラクターに決まって反映されているのでしょうか?
すみません、議論が長引きすぎてこんがらがっちゃいました。解説お願いいたします。
るう
シンタロウ wrote:
> なんで僕を責めるの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を叱るの?・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を傷つけるの?・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんでほめてくれないの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん僕が嫌いなの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を無能扱いするの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで怒るの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで怒鳴るの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 僕はいらない人間なの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕のことを理解してくれないの?・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん○○○○やる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シンタロウくん。
お母さんにまたなにか言われたの?
だいじょうぶ?
・・・
親子って、むずかしいよね。
わたしも、ちっともわかってもらえなかった。
たぶん、一生わかってもらえない、と思ってもいいかもしれない。
けど、わかってもらうことがそんなに必要でなくなるときがくるから。
お母さんにわかってもらえなくたって
平気、
って思えるようになるときがくるよ、きっと。
自分を信じて。
・・・
シンタロウくんのお母さんへ。
シンタロウくんのことが心配
なのはわかるけど、
今のやりかたは逆効果なようですよ。
あなたに読んでほしい本があります。
加藤諦三の「思いやりの心理」ってゆう本です。
親子関係のことも
いろいろ書いてあります。
いい本なので是非読んでみてください。
シンタロウくんへ
同じ、とは言わないけど、私もずっとそういうことを思っていました。私の場合は両親に対して。
どんなにがんばっても、目標を達したことを「当たり前」と言い、決して「よくがんばったな」とは言ってくれなかった父。
私がすること全てに文句を言い、禁止して抑圧した母。
二人とも私が何を考えているかわからないと言うくせに、何か相談しても頭から「だめ」としか言わなかった。ほんの数年前まで、私は自宅に住むことを強要されていました。ずっと抑圧され、高校を出るころにはすっかり自分の意志を失っていて、親に反対されてまで「何かをしたい」なんて思うことがなくなっていました。
カゴの中の鳥に逃げようとする度に痛みを与え続けると、カゴの外に出る意志を失ってしまう。おなじように、何かをする意欲を持つことができなくなっていました。
親を殺す夢を何度か見ました。自分の頭が狂ってしまったのではないかと、いつも悩みました。ウツになりはじめたのもこの頃からでした。現実を生きている感覚を失っていました。
変わったのは家を出てからでした。
相談すれば禁止されることがわかっていたので何も言わず、全く知らない人を頼って、家を出ました。
それでもまだ、新しく暮らし始めた家まで押しかけてきて、私の生活を監視しようとしました。
でも、私はそれをはねつけました。逃げ出したと言うほうが正しいのかもしれません。
とにかく両親から逃げました。
そこからの数年間、私は自分の意志を取り戻すことをがんばりました。でも、長年私の身体にしみついたものはなかなか抜けてくれません。したいことを見つけるまでに4年かかりました。そしてまだ準備段階でそれを始められていません。でも、ほんとうに家をでて、彼らから逃げ出せてよかったと思っています。私は「私の人生」というものが存在していることすら忘れていたのですから。
最近では彼らも私の中ではなくて、自分達の中に、自分たちの生き方を見つけようとし始めてくれてます。
シンタロウくんにこれが全てあてはまるとはいえないけど、物理的に離れることはひとつの方法だと思います。まだ、高校生なので、あと何年かの間は動けないかもしれないけれど、その間は重要な準備期間と考えて、これから何をするか計画を立てようよ。親にいちいち知らせなくていいんです。認めてほしいかもしれないけれど、それは後からでもいいじゃないの。シンタロウくんにもシンタロウくんの人生があるんだし。お母さんのことも少し距離をおけば冷静に考えられるようになると思います。
何かできそうかな?母親殺したって、結果的には認めてもらうチャンスを自分で放棄してしまうだけですよね。私は親に認めてもらうことを願うより「誰に見せても恥ずかしくない」と、自分が納得できる人生を目指して生きていくつもり、になっています。
ねこまんま
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