アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
武田好史 wrote:
>いち wrote:
>>学童保育施設で、働いている者ですが、先日高機能障害と診断された男の子が入ってきました。それ以来、なぜか私を気に入ったらしく、ずっと手を繋いだり、足にしがみついたり、離れません。
>>ほかの子供と遊んだり、塗り絵をしている子供たちの輪に入ることに、全く興味を示さない他は、明るく笑顔なんです。ただ、ボール投げも、鬼ごっこもやりません。
>>ご両親の希望で、社会性を身につけさせたいということなんですが、私はどのように接したら、いいのでしょうか。。
>>
>>個人としては、無理に彼を輪に入れようとするより、心を動かす何かを探し出したほうが、良いと思うのですが。。やっぱり、本人に興味がなくても、みんなで鬼ごっことかしてる所に、一緒に参加したほうがいいのでしょうか。
>>彼のために、私はどのように接すれば、ベストか。
>>ぜひ、アドバイスお願いします。
>
まず一番大切なことは、彼の話をよく聞いてあげることです。こういった子は、威圧的に接してくる人には決してなつきません。彼らの心を開けるためには、それこそそこらへんをかっ歩している野良猫を調教していくような強い忍耐力とラポール力が必要です。つまりしっかりとした心のパイプを作らなくてはならないのです。
それからいろいろな活動への参加に関してですが、断じて無理矢理にでもそこへへ参加させることを強いてはなりません。彼が持っているハンディを冷静に分析し、それをふまえて、少しずつ少しずつそれを克服できるように支援し、その環境ならしていくことが求められます。
具体的な対応については、以下の文献が参考になると思います。
尾崎洋一郎・池田英俊・錦戸恵子・草野和子著 ADHD及びその周辺の子どもたち −特性に対する対応を考える− 同成社
尾崎洋一郎・草野和子・中村敦・池田英俊著 学習障害(LD)及びその周辺の子どもたち −特性に対する対応を考える− 同成社
syakuさん wrote:
>Mariaさんとか読んで,いいおとこだな〜と,ここから目が離せなくなって
>しまっている。オレってレズなんだろうか?
あさかぜさん wrote:
> あのう……余計なことかもしれませんが、おとこ同士の場合はホモか、あ
>るいはゲイという言い方を使った方がいいのではないでしょうか?
おひさしぶりです。帰ってまいりました。
この『アスペルガーの館の掲示板』は、自閉症方面の人間のための掲示板なわけですけれども、「社会とマイノリティのかかわりあい」という点で学ぶところが多い、という点から、「同性愛」「トランスジェンダー」「トランスセクシャル」「マゾヒズム」について論じることに意義があるのではないか、ということで、ちょっと述べておきたいと思います。
まずはレズ/ホモ/ゲイという言葉について。
「レズビアン(通称レズ。またはビアン)」というのは、女性の同性愛者のこと。
「ホモセクシャル」というのは、「同性愛者」全般を指します。異性愛者は「ヘテロセクシャル(通称ヘテロ)」。男女共に性愛の対象となる人は、「バイセクシャル(通称バイ。別名「両刀使い」「AC/DC」)」。なお、単に「ホモ」というと、普通は男性の同性愛者。
「ゲイ」というと、同性愛者(ときに両性愛者を含む)を指します。もともとが「陽気な」ですから、いわば俗称。
で、男性と女性の違い、というのは、いくつかの側面があります。
1)肉体的な性別。性別、あるいはセックス。
2)ジェンダー。社会的に求められる、「女らしさ」「男らしさ」。性的役割。
3)男女どちらに対して性的魅力を感じるか。セクシャリティ。
で、ジェンダーには、「日常における」と、「性行為における」の両方の意味があります。ここでは、「日常における性的役割」を「ジェンダー」、「性行為における性的役割」を、「性的役割」と呼ぶことにします。
レズビアンの場合(男性同性愛者もですが)、「性的役割」が「女役」だと「ネコ」、「男役」の「タチ」と呼ぶことがあるのですが、「ネコ」は見かけが女っぽくて「タチ」は見かけが男っぽい、というわけではありません。立居振舞がむしろ男っぽいけどネコ、という人がいて、これを「ズボネコ(ズボンを履いたネコ)」と称します。で、その逆が「スカダチ(スカートを履いたタチ)」。
で、ここで話は「マゾヒズム」に飛びます。いわゆる「SM」というのは、語源としては「サディズムとマゾヒズム」なのですが、実際の「SM」というのは、「サディスト役のマゾヒストとマゾヒスト役のマゾヒスト」の関係なのですね。ですから、しばしば役割が交替します。なんでかっていうと、サディスト役を続けているとストレスが溜まっちゃうんですよ。
日本が南極に初めての越冬隊を出すときに、隊員が越冬中に盲腸炎を起こすといけないというので、事前に盲腸を切除しておこう、ということになりました。そこで、隊員数名を麻酔して、医師が切除手術を始めたのですが、その医師が途中で気分が悪くなり、げぇげぇ吐きながらへたりこんでしまったので、急遽別の医師が執刀して手術を終えたそうです。「放っておいたら患者が死んでしまう」という緊急性がなく、健康な人間の身体にメスを入れる、というのは、大変なストレスになるんです。
そうしたストレスを受けない、本物のサディストに対しては、マゾヒストは安心して自分を任せることができません。そんなわけで、サディスト役のマゾヒストは「自分が相手だったらこうしてほしい」という、「代償行為」としてサディスト役を務めるわけです。ですが、やっぱり他人の身体ですから、いまひとつ「手ごたえ」に欠けるわけです。そんなわけで、しんどくなっちゃう、というのがあるわけです。
そこでもうひとつ、「性意識」とでもいったものを考えたほうがいいのではないか、と思うのですね。
お料理とか編み物とかが好きで、マッチョイズムが嫌い、という男性は多いはずです。いわゆる「男臭さ」みたいなものがイヤ。だけど、男としての感性というか、仕事にかける情熱とか、責任感とか、そういうものは性に合っている。つまり、性意識は中性的(ふつう、こういうのは「女性的」と見なされますが)なんだけど、ジェンダーは男性。で、性別も性的役割も男性。そしてセクシャリティも男性なんだけど、エッチの時はなんか「男として」エッチをしている感覚がない。むしろ、相手の女性に感情移入してて、SM行為における「サディストの役割を演じているマゾヒスト」みたいな感覚でエッチをしている。
こういう男性は、社会的にいってほぼ完全にノーマルだと思います。ですが、これって見方を変えると、「男として働き、男の肉体を持ったレズの男役」なのですね。
自閉症方面の人間にとっては、非・自閉症方面の人間の感性は、はっきりいって鬱陶しいものでしかありません。少なくともあたしにはそうです。同時に、科学技術系の高度に専門的なソフトウェア開発のような職業では、非・自閉症方面の人間の感性は、あたしの経験からいうと、マイナスに作用します。
そして、自閉症方面の人間にとっても、社会的に認められる、というのは望ましいことなわけです。
「非・自閉症方面の人間として働き、非・自閉症方面の人間に要求される社会的能力を備え、感性としては自閉症方面の人間で、自閉症方面の人間とつきあっているのが楽」という人は、少なからずいそうに思います。
以前、あたしたちは「関係性発達障磑」という名前を提唱しました。その後、あたしがなんとなく「自分は自閉症方面の人間だったのではなかろーか」と思っていたのが、「自分はほぼ間違いなく自閉症方面の人間だったらしい」ということがわかって、そうすると、「関係性発達障磑」という言葉にちょっと不満が出てきてしまったのですね。
自閉症方面の人間であるかないかは本来「違い」でしかないのだけれど、この社会がマジョリティである非・自閉症方面の人間に向くようにできているために、現在自閉症は「障害」と捉えられているわけです。世の中には理想的な研究者であるがゆえに生きることに不自由している「研究障害者」とか、理想的なプログラマーであるがゆえに生きることに不自由している「プログラミング障害者」とかいった感じの人がいます。でまあ、そういう人が社会的に認知されて、「障害」の部分が取れて「研究者」とか「プログラマー」とかになるような気がするのですね。研究者から研究を取りあげ、プログラマーからプログラミングを取りあげたら、ただの「人間のクズ」しか残りません。ですが、そういう人にした成し遂げられない研究、そういう人にしか開発できないプログラム、というものが、厳然としてあるんです。
なんか、「特性としての自閉」を端的に表わす言葉ってないのかなぁ。
そう思います。
(Maria)
学童保育施設で、働いている者ですが、先日高機能障害と診断された男の子が入ってきました。それ以来、なぜか私を気に入ったらしく、ずっと手を繋いだり、足にしがみついたり、離れません。
ほかの子供と遊んだり、塗り絵をしている子供たちの輪に入ることに、全く興味を示さない他は、明るく笑顔なんです。ただ、ボール投げも、鬼ごっこもやりません。
ご両親の希望で、社会性を身につけさせたいということなんですが、私はどのように接したら、いいのでしょうか。。
個人としては、無理に彼を輪に入れようとするより、心を動かす何かを探し出したほうが、良いと思うのですが。。やっぱり、本人に興味がなくても、みんなで鬼ごっことかしてる所に、一緒に参加したほうがいいのでしょうか。
彼のために、私はどのように接すれば、ベストか。
ぜひ、アドバイスお願いします。
シュッツさん wrote:
> 「自分にとっての分かりやすさ」ではなく、「アスペルガーの特徴に基づいた
>分かりやすさ」を検討するべきだと思います。
>アスペルガーの人が入りにくいような「アスペルガーの館」にはなって欲しくな
>いです。
---
>ただし「館の掲示板」に来る人全てに必要な要素という訳ではなく、ADD、
>ADHD、LDのタイプであれば『裏』を読み取る可能性が高いかも知れません。
>しかしASのタイプにとっては、上記の要素がないと、どうしても分かりにく
>くなってしまいます。
>あるいは、勝手に筆者の意図とは違うことを想像してしまう可能性も高くなり
>ます。
こうした傾向については、あたしも重々承知をしています。その意味で、自閉症方面の人間にとって<も>分かりやすい文章、あるいは日本語を母国語とせず、日本語に堪能でない人に<も>分かりやすい文章、といった「バリアフリーの文章」とでも言うべきものを模索し、ある程度実現しつつある、と考えています。
---
『Re: 気になっていたこと。』(No.7399、12 Sep 2001 by Maria)
syakuさん wrote:
>Mariaさんとか読んで,いいおとこだな〜と,ここから目が離せなくなってしまっている。オレってレズなんだろうか?
はじめてレスします。こんばんは。
あのう……余計なことかもしれませんが、おとこ同士の場合はホモか、あるいはゲイという言い方を使った方がいいのではないでしょうか?
わたしはMariaさんていいおんなだな〜、うちにきて料理作って、ついでに家の中の片づけも手伝ってくれないかな〜って思います。こういう場合はレズでいいのかも……。(おんなのひとの素敵な人って、好きなんですもん♪)
「分かりやすさ」のスレッドにおいては、「分かりやすい」とは誰にとって分かりやすいことを前提にして議論しているのでしょうか。
(1)世間の人々にとっての分かりやすさ
この場合には、「アスペルガーの館の掲示板」で議題にすることではないと思います。
強いてここでとりあげるならば、世間に分かりやすい話や文章を組み立てるやり方を「どうやって憶えさせるか」という教育の問題が主題になるのではないでしょうか。
(2)アスペルガーにとっての分かりやすさ
やはりこの掲示板では、こちらを取り上げるべきでしょう。
アスペルガーとひとくくりにしても、人によって個人差があります。
「自分にとっての分かりやすさ」という形で意見を出していれば、収束するのは「掲示板に書き込む人たちの平均値」としての分かりやすさになるのではないでしょうか。
しかし、そのような形で落ち着いた結論は、恐らくアスペルガー的傾向が強い人にとっては決して「分かりやすい」ものにはなっていないのではないでしょうか。
つまり「掲示板に書き込む人」の多数派にとっての「分かりやすさ」を追求することで、少数派のアスペルガー的な人に「分かりにくい」ものになる危険性があると思います。
もし、多数派の考えに基づいて少数派が軽視されるとしたら、世間における「理解のない人」が「障害者」を見る目と変わらないのではないでしょうか。
「自分にとっての分かりやすさ」ではなく、「アスペルガーの特徴に基づいた分かりやすさ」を検討するべきだと思います。
アスペルガーの人が入りにくいような「アスペルガーの館」にはなって欲しくないです。
>Mr.Moto wrote.
>> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれの本音に近い、と言えるかもしれない。
バカひさし wrote:
>そ、それじゃ、おかまのサイトにいったほうがいいと思う〜うっうっう〜。
Mariaさんとか読んで,いいおとこだな〜と,ここから目が離せなくなってしまっている。オレってレズなんだろうか?
武田さん、こうもりさん
レスありがとうございました。
実は去年、地元の保健所に「自閉を扱っている病院を知らないか?」と問い合わせしたけど、「知らない。自閉症の事自体知らない」と言われてしまったという・・。
とりあえず、今予約している所をもう半年待ってみます。
先日横浜の発達クリニックへ行った後私は、とあるデパートの本屋さんに立ち寄りました。そこで私は、「自閉症」という言葉が、幼い子どもを持っているお母さんにいかに強いインパクトを与えているのかということを思い知らされる出来事に遭遇しました。
私が本屋に備えられているいすに座って、本を読んでいると「グウーッ・グウーッ」といううなるような声がしました。
しばらくしてその声の主が判りました。青いベビーカーに乗った1才になったばかりくらいの可愛らしい赤ちゃんでした。
その子のお母さんはベビーカーを止めて、自閉症関連の本を「とにかく何かよい情報がないだろうか・・・」とでもいう感じに、ぶっきらぼうに3冊ぐらいざらりと目を通していました。
その間も赤ちゃんはうなり声をあげ続けていました。本を読み終えたお母さんは、彼を黙らせようと彼の顎をくっと押し上げると、何か寂しそうに本屋を出ていきました。
恐らくはその赤ちゃんが検診を受けた時に、「ひょっとしたら、この子は自閉症かもしれない・・・」とお医者さんから告げられた直後であったのだと思います。
小さい子どもがうなり声を出すのはチック症で、それだけで即「自閉症」という
レッテルをはってしまうのは、早計なような気が私にはしました。
ともあれまずは、こういったお母さんたちの「自閉症=絶望的な障害」という不安感の緩和をするために、自閉症協会などの機関は早急に判りやすい資料のへんさんなどの対策をとるべきだと思わずにいられませんでした。
>Mr.Motoさん wrote:
>>>> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれ
>>>の本音に近い、と言えるかもしれない。
>>>
>>>そ、それじゃ、おかまのサイトにいったほうがいいと思う〜うっうっう〜。
>>
>> ひとつ聞いときたいんだが、↑こういうバカ(本人がそう名のっている。本
>>人の意志は尊重してさしあげよう)も「この人はきっと精神に障害を持った人
>>であり(←こう判断すること自体障害者に対する差別という気がするが)、自
>>分が何をやっているかよくわかっていないのだ。だから相手の立場を思いやっ
>>て、優しく接してあげなければいけないのだ。」と思って扱わにゃならんのか
>>?
はい、こちらにまっすぐレスをつけます。
こうもりさん wrote:
> 真剣にコメントしている人については、意見が外れていてもフォローする場
>合がありますが、この場合は対象外です。
>
> すでに警告が出されている以上、バカひさしさんも覚悟をしてコメントした
>のでしょう。
……ですね。
この場合、あきらかにネタで外してるわけだから。
ただ、私が考えてるのは、ASが障害だから云々ではなく、ASは非ASとは違うということ、
同じASでも人によって大きな違いがあるということ。
「来訪者の大半がAS傾向の掲示板」は、「来訪者の大半が非ASの掲示板」
(世間の大抵の掲示板ですな)とは違うネチケット(ローカルルール?)が
必要になるのは当然だと思うのです。
差別と言ってしまえばそこまでかもしれませんが、どこの掲示板でも、
集まる人の年齢層や興味対象によって書き込みの作法は異なるものです。
ここの場合は、「ASの集まる掲示板」としての作法が必要になると思うのです。
こらー ASの課長
人のネタ勝手にパクルな
おまえ誰やねん
おれのなんやねん
るうさん wrote:
>ただ、一人のひとから発信されたいろいろなメッセージがあって、それをキャラ
>クターによって振り分けたとしても、もともとは一人のひとから発せられている
>発言だと思うと、Mariaさんに対してはこういう態度、Mr.Motoさんに対しては
>こういう態度、みたいな使い分けをするのが(もちろん頭で理解はできているの
>ですが、感情的な面から言うと)少し難しい、というか、こんがらがっちゃうと
>いうか…。
まあ、こういうのは世代の差もあるだろうし、文化の差もあるという気がする。
マンガの中には、同一の作家によって描かれたキャラクターが存在し、マンガ家本人がキャラクターの一人として登場したりもする。
ファンの中にはマンガ家本人のファンもいれば、登場するキャラクターのファンもいる。ファンレターは作家に出すがバレンタインデーのチョコレートはキャラクター宛、というケースもある。
で、『名探偵コナン』のように、二人のマンガ家が同一のキャラクターによる作品を別個に書いている場合もある。なつかしの『ブロンディ』に至っては親子二代で描き継がれている。
そんでもって、うちのMariaはそもそも『ふたりで聖書を』という伝奇ミステリー小説に登場するキャラクターである。KILROY氏は科学系エッセイのライター、おれは時事問題がどっちかというと専門。そうした背景を知らなければ文体以外では区別がつかん。
そんなわけで、別にこんがらがったところで実害はないように思う。そういうこともあるだろう、と思いながらこっちも書いてんだから。
ついでに言うと、このところ書き分けをサボッているが、KILROY氏とおれとMariaは実のところ文体がかなり厳密に異なっている。文体分析ソフトウェアでも持ってきて比較すれば、たぶん別人と出る。ただし、日本語文法の規範に忠実、という点では三人とも共通しているのだが。
KILROY氏の文章は、もともと漢文の読み下し文がベースになっている。これはたしかMakichanさんが指摘していたのだが、文語というのは「書きことば」として発達してきたものだから規範性が高く、「かっちりとした表現」に向いている。しかも漢文の読み下し文は音韻の面でも耳に心地よいのである。そんなわけで論文なんかはこの漢語っぽい文章が向いている。「高い。」「少なくない。」といった、形容詞の連体形で終止するスタイルは文語の形容詞終止形を意識したものである。おれも最近ちょくちょく使っちゃうが、これは本来KILROYの文体である。
これに対しておれの文章は落語、すなわち「江戸時代のべらんめえ言葉に似せた現代語」がベースである。現代口語の枠内で「文法的にかっちりした文章」を書こうと思うといろいろ無理があるのだ。たとえば「見事です」「赤いです」とかいった、体言の省略がうまくいかないのである。そこで「見事なんである」「赤いのである」といった形で「いわゆる準体助詞の『の(ん)』」を使ったりもするのだが、その結果行きついたのが現在使っている「東京下町べらんめえ口調風現代語」なのである。
Mariaの文体には、原則的に現代語の枠組みの中でなるべく文法に忠実に話そうと思うとどうなるか、という実験的な性格がある。その意味で「ネオ日本語」ともいうべき文体なのだ。ベースになっているのは敬語。「美しゅうございます」「よろしゅうございます」なんていう「形容詞連用ウ音便」なんかは現代口語の中には敬語にしか残っていない。それを日常語のレベルで使うのがMariaである。
そんなわけで、我々は「日本語はどうあるべきか」みたいなところをちょっとばかり追求しているのである。
(Mr.Moto)
Mr.Motoさん wrote:
>>> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれ
>>の本音に近い、と言えるかもしれない。
>>
>>そ、それじゃ、おかまのサイトにいったほうがいいと思う〜うっうっう〜。
>
> ひとつ聞いときたいんだが、↑こういうバカ(本人がそう名のっている。本
>人の意志は尊重してさしあげよう)も「この人はきっと精神に障害を持った人
>であり(←こう判断すること自体障害者に対する差別という気がするが)、自
>分が何をやっているかよくわかっていないのだ。だから相手の立場を思いやっ
>て、優しく接してあげなければいけないのだ。」と思って扱わにゃならんのか
>?
真剣にコメントしている人については、意見が外れていてもフォローする場
合がありますが、この場合は対象外です。
すでに警告が出されている以上、バカひさしさんも覚悟をしてコメントした
のでしょう。
pocksさん、ご意見ありがとうございました。
きのう、息子は初めて精神科の病院に入院しました。最近建て変わったきれいな
病院で設備も整っていて、息子の部屋は洗面トイレ付きの個室で一見、ホテルみたい、と思ったものです。
早速血圧を計ってもらいましたが、上が170以上もあってびっくりしました。
SSRIをのみはじめて食欲旺盛になり太りすぎで、(本人は、これでちょうど良いと
言い張りますが) 心配していましたので、この際食事のとりかたをしっかり
身につけてもらいたいと思っています。
まだ一日目ですが、この入院生活で良いところはそれだけのような気がします。
主治医の先生は優しい感じですが、なんだか忙しそうで薬の事など説明不足ですし、スタッフの人たちも親切だけれど仕事に追われて、思いやりまで手がまわらないといった感じです。 早く退院させたくなりました。
息子と私は今まで、さんざんドクターショッピングして20人くらいの先生や
カウンセラーに会いましたが、いくら偉いお医者さんでも大学の先生でも
この人は信頼できる!と言える人は殆どいないと思いました。
(洞察力があり誠実な先生は一人しか思いあたりません)
なんでもやはり最後は、その人の人格とか性格ですよね。
未熟な母親でえらそうには言えませんが・・
シンタロウ さんwrote:
> 絶対許せネエ!!!学習障害をバカにしやがって!!!!オレは今そのクソ教授に一言言いたい!!!!
>
> オメ−みたいなクソ野郎は大学の教授をやる資格無い!!!!同時に学習障害を語る資格無い!!!!!テメーみたいなバカ達が日本の教育をダメにしたんだ!!!とっとと辞職しろヴォケ!!!!!!
そうだ!そうだ!言ってやれ〜〜〜〜〜!
もっと、もっと、言ってやるんだ―――――――っ!!
この教授は、これが初めてじゃ、ゼッテ――無い!!なんどもなんども、あちこちで繰り返したんだ。だから、馬鹿呼ばわりされた、「学生」は、非常に冷静に、手順を踏んで、論理を踏まえて、根気良く、攻めていった・・・・・・。
「学生」のほうが、よー―ッぽど、頭いいぜ!!
こういう輩は、たくさんいるから、シンタロウさんも、負けていては、いけないよ。
そうやって、叫んでくれると、タレイヌもすっきりするぞーーーーー!
(管理人さん、ぶたないで!・…タレイヌ・・・)
横横横レス。
KILROYさん wrote:
> 「ねぇ、本当にあたしのこと、愛してくれてるの?」
> 「どうして?」
> 「だって、あたし、美人じゃないし。」
> 「きみは美人じゃなかったのか。気がつかなかった。」
> 「……」
> 「きみを知ってから、きみ以外の女は女だと思えないのでね。だから、比較の対象がない。そうか、美人じゃなかったのか……」
> こういうセリフが真顔で吐ける奴は、たぶん自閉症方面の男である。もっとも、これで喜んじゃう女も(いればだが)非・自閉症方面とは思えないが。
阿刀田高か星新一の文章っぽいな、と思いました。
星新一って、突然こういうやたら説明的なセリフまわししますよね。
個人的には、こーゆーやたら説明的なセリフが出てくる文章は「こなれてないなぁ」
「ネタが苦しいから不自然に説明的になるんだなぁ」と思ってしまうのですが、
「ASっぽい人たちの会話」としてこうゆうのを読むと、
いきなりめちゃくちゃリアルに、生き生きと感じられてきますね。
さらに横レス。
Mr.Motoさん wrote:
>>四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
>>「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は
>>出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
>>などと発言、この学生は科目の履修を断念した
> そういえば、上記の四国学院大の教授の「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい」発言も、「学習障害者」ではなく「劣等生」とか「落ちこぼれ」とかだったらこんな騒ぎにはならなかったろうに、と思う。
>
> 差別的な表現をポリティカル・コレクトを配慮した表現に置きかえ、粗暴な言葉遣いを敬語に改めれば問題は解決するという訳ではあるまい。
>
> 「あんたバカ?」を「あなたは知的障害者ではありませんか?」と言い換えたら、おそらく血の雨が降る。
私は、正直この発言にはあんまり腹はたたないのですが。
結局、「バカが大学に来んな!」と言いたかったんでしょ?
で、学習障害という用語が別にあることは知らずに、
バカ、勉強しても伸びる見込みのない生徒→学習障害、と、自分の造語のつもりで
言ってしまっただけなんじゃないかと思う。
まぁ、仮にも教育者が「あんた伸びる見込みが無いから授業受けないで」
と発言すること自体、十分に問題なんですが。
学習障害という用語を知っていて、その意味までは知らずに(あるいは間違った意味を「知って」いて)、
こういう発言が出てきたとすれば、問題はちょっと変わってくるけれど。
ミッドランド wrote:
> ASのことではないのですが、気になったことがあったので書きます。
>
> 9月18日付山陽新聞に、このような記事が載っていました。
>
>#「四国学院大 学生部長が差別発言 『学習障害者 授業とるな』」
>
> 内容は、四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
>「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
>などと発言、この学生は科目の履修を断念した、
ひどい!お前はそれでも文学部教授か!
そういう学生こそが金の卵だっていうことが判らないんなら、お前こそ即刻大学の教授なんか止めてしまえ!
ありがとうございます。ねこまんまさん。
ネットって不思議なもので、やっぱり勇気付けられます。
シンタロウさんも、ファイト!だぜ。
ともにがんばりましょ。ねー。
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