アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
みる さんwrote:
>自分のココロが書いてあるみたいで、ねこまんまさんの文章に衝撃を受けました。
>希望あるかな。そう思いたいです。
動揺させてしまったらすみません。
ここに来ている人達は、おおくの人が人生を「紆余曲折」しちゃってて、迷って、悩んで、考えてきたと思います。
前の発言には書かなかったけど、私の両親にもそれなりの「紆余曲折」があったことも最近では少しわかるようになってきました。(でも、まだ、会ってもうまく立ち回れないし、彼らもつい私を抑えつけようとしてしまったりしますが。)
みるさんにも「希望」はあると思います。たとえ親に対して抱いている嫌悪がやわらぐことはなくても、別の見方をする機会が訪れれば。外からみれば何も変わらなくても、心の中にこういうの→! が浮かぶこともあるので。
昨日はシンタロウくんにもそういうことを伝えたいと思っていたのですが、私自身が渦中にいるとき(毎日問題がふりかかっていたとき)に、そこまで考える余裕も環境もなかったことを思いだして、とにかく、すぐに必要な対策として、親から離れることを提案したかったのです。
伝わったかどうかは別としても、シンタロウくんが親との折りあいをつけること、そしてそこから、自分の人生や感情や生活といった自分自身に関することをうまくやっていけるといなあと思ったのでした。
シンタロウくんのこと応援しています。みるさんのことも。
Mr.Motoさんへ
とんちんかんなところでとんちんかんな質問をしてしまったのに、ご解答ありがとうございました。
うまく表現できないのですが、Joshyaさん的な立場や経験、Mr.motoさん的な発言の仕方、Mariaさん的なキャラクターに関して、これらの要素全てをあわせもつ人格を考えたとき、自分にもそういう部分(色々な面をもちあわせているということ)があることが想像できたのでとても身近に思いました。
もちろん、この皆さんほど高度な表現方法や素早い理解力は持ちあわせてはいないので、あくまでも、多面性?についてです。
そういうことを言っているんじゃないのはわかっています。ごめんなさい。ただ、一人のひとから発信されたいろいろなメッセージがあって、それをキャラクターによって振り分けたとしても、もともとは一人のひとから発せられている発言だと思うと、Mariaさんに対してはこういう態度、Mr.Motoさんに対してはこういう態度、みたいな使い分けをするのが(もちろん頭で理解はできているのですが、感情的な面から言うと)少し難しい、というか、こんがらがっちゃうというか…。もうちょっと言うと、Joshyaさん、Mariaさん、Mr.Motoさん、KILROYさんどうしは、意志の疎通ができているのだけれど、私を含めたそれ以外のひとにはそこまでそれぞれの立場の違いに対する理解が明確になされているかなあと思ってしまうのです。そして私に限って言えば、あんまり区別がついていない、区別がつきにくいという感じがどうしてもしてしまって。正直、時々混乱してしまいます。
Mr.Motoさん wrote:
> ところがMariaがプレッシャーでキレた。
> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれの本音に近い、と言えるかもしれない。
そういえばMariaさんがでてこないですね。少し心配(というのとも少し違うのですが)です。
うまく言いたいことが表現できたか少し不安ですが…
るう
アホな男やな〜 君は。私がここに来ないわけがない。もうばれとるがな。
>なぜ、ポイントをはずしたツッコミをされてイライラするような目にあうのかとい
>えば、それは、
>"わかりにくいから"。
>相手の悪意のせいというよりも、それは自分の文章が誤解されやすいから。
部下より有能であることを示すために、必要のないというか、外した突っ込みをあえてする上司、という人種は、間違いなくこの世に存在しますから、Mr.Motoが遭遇した上司氏がこのタイプではないと言えない限り、そこまで断定することはできないのではないでしょうか。
既に武田好史さんが返事を書かれていますので、別の面から…。
>実は息子の入院のきっかけは、将棋道場でけんかして、「クズ! おぼえてろ!
>殺してやる!」などと激しくわめいて、その夜は包丁をふりまわして新聞や
外していたらごめんなさい。
その喧嘩のきっかけは何だと息子さんは言ってますか?
「道場」ということなので、非礼をなじられたとか、そういうことがあったかもしれないと思うのですが、どうでしょう。
自閉系の障害には、社会的関係や、いわゆる「場の雰囲気」をつかんで行動できないという特徴があります。
アスペのように、いわゆる機能(知能)が高ければ、いかにあるべきかという理論をなんとか把握できるかもしれませんが、障害のため理論を適切に応用することまではできません。たとえば私の場合、敬語のペーパーテストで得点することはできても、話す相手によって言葉遣いを適切に変えることができないのです。ですから、上司にタメ口をきいたり、子供に敬語を使ったりすることはしょっちゅうであり、なまじ理論がわかっているだけに、間違えるたびに自己嫌悪に陥ります。
そうした自己嫌悪を感じた瞬間、「無礼」とか「馬鹿」とか言われると、たまらない気持ちになります。その非難は正当ですが、そのミスは障害のため起きているのであり、自分ではどうすることもできないものでもあるからです。
もし、障害であることを知らず、責められる一方なら、私はキレるしかなくなるでしょう。
息子さんが、他人との社会的な距離がうまく取れないことで悩み、神経質になっているのでしたら、告知したほうが良いかもしれません。
シンタロウ君のお母様へお願いです。(自閉者養育上の注意)
自閉者の「こだわり」をなくそうとすると、逆効果です。
「こだわり」は、なくそうとするのではなく、ゆっくりと、社会の許容範囲にまで変化させることを目標にするのが妥当です。(「ガイドブックアスペルガー症候群」トニー・アトウッド著/東京書籍147ページ など)
自閉者の「能力」には著しい偏りがあります。
突出した能力をもちながらからっきし「生活力」がない、といったことは、映画「レインマン」で、暗算で平方根を計算できたレイモンド(主人公の自閉者)が、身近なものの値段がわからなかったように、自閉者にはありがちなことです。(「レインマン」はフィクションですが、かなり徹底した考証がされています。)
「能力」や「知能」が高そうに見えても、すべての能力が本来高い(訓練すればすべての能力が開花する)わけではなく、訓練で並になれば御の字、それも、「高い能力」を潰す危険と隣り合わせでしかありません。
我々が努力によって能力を得たのなら、「その努力を他の方向に向けてくれれば」という期待は正当ですし、得意分野を禁止されれば他に向かうこともあるのかもしれませんが、我々自閉人の場合「高い能力」は自閉本来の偏りの表れであり、訓練の結果ではありませんから、「○○なんか役に立たない」といって得意分野のことを禁止したからといって興味が他に向かうことはなく、何もできなくなって精神が壊れる以外の結果を生むことは希なのです。
とある大規模ソフトウェアの開発プロジェクトにかかわる話である。なお、以下の話しは実在する個人名・団体名とは一切関係ありません。関係ないぞー!
ところは特に名を秘す某日本電気株式会社府中事業場(仮名)において、ある会議において特に名を秘す某Joshya氏(仮名)が中請けのプロジェクトリーダーが提示した今後の方針をボロボロにこき下ろしたことに始まった。面子を潰されたそのプロジェクトリーダーはJoshya氏に反論しようとしたが、その場にいた開発者のしらじらとした視線の前に沈黙せざるを得なかった。そんなわけで、発注元の特に名を秘す某日本電気株式会社の責任者の提案で、その会議の結果を活かす形で再度方針を練りなおすことが決まった。
すると、Joshya氏のところにサブプロジェクトリーダーのT氏が、部下を連れてやってきた。凄腕、というのでJoshya氏も一目二目も置いているというシステムエンジニアさんである。
「きみ、馬鹿だろ。」とT氏。
「馬鹿は嫌いですか。」と真顔で答えるJoshya氏。
「ああ、大っ嫌いだね。」と、真顔でいうT氏。
「これは、場を改めて十分に話し合う必要があるように思いますが。」
「結構だね。望むところだ。」
一緒にいた部下は顔色が変わっていた。
そんなわけで、Joshya氏とT氏は、分倍河原駅前の焼鳥屋で、「自分がどれだけ馬鹿か」という「馬鹿自慢」を肴に痛飲したのであった。
メタ・メッセージは、ほとんどの場合意識されずにメッセージに付与されるために、しばしば誤解を生み、「気が合う」「反りが合わない」といった形で判断される。ところが、「意図的に付与されたメタ・メッセージ」というのは、しばしば「あなたは私のことを理解してくれていますか?」という意味をこめて発せられるのである。で、その場合、そのメタ・メッセージが難解であれば難解であるほど、「親密さ」を高める働きが強い。
こうしたメタ・メッセージの発しかたが、無意識的かつ稚拙である場合は、「子供だ」と言われ、意識的かつ巧妙である場合は、「大人だ」と判断される。
「ねぇ、本当にあたしのこと、愛してくれてるの?」
「どうして?」
「だって、あたし、美人じゃないし。」
「きみは美人じゃなかったのか。気がつかなかった。」
「……」
「きみを知ってから、きみ以外の女は女だと思えないのでね。だから、比較の対象がない。そうか、美人じゃなかったのか……」
こういうセリフが真顔で吐ける奴は、たぶん自閉症方面の男である。もっとも、これで喜んじゃう女も(いればだが)非・自閉症方面とは思えないが。
これはあくまで私見であるが、高度に社会に適応した自閉症方面の人間は、メタ・メッセージをほとんど常に意識的に捉えているために、非常に「大人だ」と判断されそうに思う。同時に、「皮肉っぽい」(これも意識的にメタ・メッセージを込める行為である)と言われることが多いような気がする(とはいえ、「そういう性格の人間は、関西人には『あんたはホンネで喋っとらん』といって怒られるケースがしばしばある」という指摘もあるのだが)。
中島らもさんが言う、「ハードよいしょ」(けなしながらヨイショする)というのは、多分に自閉症方面の人間の感性に近いもののような気がする。つまり、メッセージレベルでは否定しながら、メタ・メッセージレベルでは「よいしょ」する、というのは、この「メッセージとメタ・メッセージ」の関係を強く意識していないと不可能だからだ。「まあ、確かに設計とアルゴリズム開発じゃあ彼にはかないませんけどね、コーディングに関しちゃあおれのほうが上だ」みたいなセリフは、「自他共に認めるプログラマーで、なおかつコーディングの達人」が言うとヨイショになるのである。
世の中には、「悪意」に基づいて発言しているポーズを取りながら、「善意」で発言しているひとがけっこう多い。「この人が、こんなことを言うなんて!」と怒る前に、「この人が発しようとしているメタ・メッセージは何か?」を冷静に考えてみるのも、大事なことだと思う。
(Joshya)
シンタロウ wrote:
> なんで僕を責めるの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を叱るの?・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を傷つけるの?・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんでほめてくれないの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん僕が嫌いなの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕を無能扱いするの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで怒るの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで怒鳴るの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 僕はいらない人間なの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さんなんで僕のことを理解してくれないの?・・・・・・・・・・・・・・
>
> お母さん○○○○やる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
すごく悲しくなりました。
あなたの気持ちを、心の声をお母さんに伝えて見てください。
私は、高校生の息子を持つ母親ですが、常に息子に言葉では伝えられなくても、
手紙でつたえています。喧嘩したあと、久々に会った時などは必ず・・・・
あなたはお母さんの大切な息子です。
あなたの事を傷つけてしまってたらごめんなさい。
お母さんはあなたを理解する為にずっと努力します。
あなたの為なら出来る限りの事をします。
だから一緒に頑張っていこうね!
・・・・っていつも心の中で思ってる事を書き綴っています。
私は親の立場でしか考えられないけど、もし息子をシンタロウ君のように追い詰めていたら、傷つけてしまった分これからはずっと息子に伝わるまで、愛情をかけ続けていく努力は無論おしまず、親子の溝が埋まるまで謝り続けます。
いらない子供なんていない。ただ、親も未熟なあまり傷つけてしまう事もあると思います。シンタロウ君のお母さんもきっと誰よりあなたを愛していると私は信じています。
シンタロウ君のレスがあまりに悲しくて・・・背景も解らずに書いてしまったので
不快な思いをさせてしまったらごめんなさいね。
バカひさしさん wrote:
>Mr.Moto wrote.
>>
>> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれ
>の本音に近い、と言えるかもしれない。
>
>そ、それじゃ、おかまのサイトにいったほうがいいと思う〜うっうっう〜。
ひとつ聞いときたいんだが、↑こういうバカ(本人がそう名のっている。本人の意志は尊重してさしあげよう)も「この人はきっと精神に障害を持った人であり(←こう判断すること自体障害者に対する差別という気がするが)、自分が何をやっているかよくわかっていないのだ。だから相手の立場を思いやって、優しく接してあげなければいけないのだ。」と思って扱わにゃならんのか?
だとすると、
>四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
>「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は
>出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
>などと発言、この学生は科目の履修を断念した
みたいな例も、「この教授はバカなのだから赦してやれ」ということになるのだろうか(ついでながら、『エスキモーに「将軍」と呼ばれた男』として知られる魚井一生さんという人が、「優秀なフィールドワーカーには、科学者の頭脳と柔道家の下半身が必要である」と言っていた)。あるいはバカが大学教授をやるのは犯罪なのか。あるいはバカを教授にした四国学院大に管理責任は問えるのか。
こういうことを考えていると、いちいち「配慮」なんぞという七面倒臭いことをしている自分がそれこそバカみたいな気がしてくる。
そういえば、上記の四国学院大の教授の「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい」発言も、「学習障害者」ではなく「劣等生」とか「落ちこぼれ」とかだったらこんな騒ぎにはならなかったろうに、と思う。
差別的な表現をポリティカル・コレクトを配慮した表現に置きかえ、粗暴な言葉遣いを敬語に改めれば問題は解決するという訳ではあるまい。
「あんたバカ?」を「あなたは知的障害者ではありませんか?」と言い換えたら、おそらく血の雨が降る。
(Mr.Moto)
一穂(いちほ) wrote
>朝焼け・夕焼け、って感動するよね。
>とくに、海とか川面に、朝焼け・夕焼けが映る場所っていいです。
「夕焼け」で検索して、美しい写真をさがして見るのとても好き・・・。
Mr.Moto wrote.
>
> そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれの本音に近い、と言えるかもしれない。
そ、それじゃ、おかまのサイトにいったほうがいいと思う〜うっうっう〜。
ミッドランドさんwrote:
>#「四国学院大 学生部長が差別発言 『学習障害者 授業とるな』」
>
> 内容は、四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
>「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は出
>さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
>などと発言、この学生は科目の履修を断念した、というものです。
二重の意味で悲しいっす。シクシク
(1)その学生部長がLDのことを全く理解していない点
(2)「学習障害者」とののしられた学生が傷ついてしまったという点
で、(1)についてはすでに論じられているので(2)について。そんな
にLDだと言われるのが嫌なのか???
「女々しい」と言われて腹を立てる男は女性を見下している可能性が高い
し、「馬鹿」と言われて腹を立てる人は知能を絶対視する価値観に汚染され
ている可能性が高いと思われます。
この場合もまた然り。
ミッドランド wrote:
>
> 9月18日付山陽新聞に、このような記事が載っていました。
>
>#「四国学院大 学生部長が差別発言 『学習障害者 授業とるな』」
>
> 内容は、四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
>「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
>などと発言、この学生は科目の履修を断念した、というものです。
>
絶対許せネエ!!!学習障害をバカにしやがって!!!!オレは今そのクソ教授に一言言いたい!!!!
オメ−みたいなクソ野郎は大学の教授をやる資格無い!!!!同時に学習障害を語る資格無い!!!!!テメーみたいなバカ達が日本の教育をダメにしたんだ!!!とっとと辞職しろヴォケ!!!!!!
るうさん wrote:
>これの意味するところは、Mr. Motoさん以下、大森総研の方々を動かして
>いる、現実の社会に生きてコンピュータの前に座ってカキコしている方
>(名前がわからないのでXさんとさせて下さい)は、ご自分の意志表明を
>することを放棄している、ということなのでしょうか?
>いろんな立場というものが存在しているのは理解できたのですが、Xさん
>ご自身のご意見は特にどれかのキャラクターに決まって反映されているの
>でしょうか?
Joshya氏(ずっと「所長」と呼ばれていた)がわれわれを代表する実在の人物であり、彼の発言はわれわれの「公式見解」といった意味合いがある。とはいえ、かれ自身「こうだ!」という意見を必ずしも持っていないこともあるし、持っていたからといって必ずしもそれを正直に表明するわけでもない。
Joshya氏はおれと同じようにわりと人間に対して絶望しているようなところがあって、なおかつMariaのように人間に対する希望を捨てていないというところがある。だから、人間関係に関していえばああでもないこうでもないとうじうじうじうじ悩むタイプである。彼の意見はわりと穏健で、落とし所としては適当ではあるものの、聞いて面白いものではまったくない。
彼はあんまり感情を表に出して人を動かすということをしない。感情に訴えるより言葉で説得するほうが性に合っている、どちらかというと調整役タイプである。たまに凄んだりはするけれど、それも計算づくのパフォーマンスであることが多く、怒ったところでムチャはしないタイプである。
それだけに人間関係ではいろいろと痛い目にあっている。「貧乏籤を引かされやすい」タイプなのである。それだけに、「人間的な弱さ」みたいなものを言い訳にして人に迷惑をかける奴が嫌いなのである。本人が「女の腐ったような性格」と自分で言うとおり、無神経な書込みや鼻持ちならない書込みを見ると思わずぶっ潰したくなるのをつねづね我慢している。無定見で、思慮が浅く、長いものには巻かれ、「結局は自分がいちばん可愛いんだ」とかいって都合が悪くなったら簡単に人を裏切る「大衆」が嫌いだ。彼はポピュリズムの犠牲者であり、大衆を憎んでいる。
でまあ、彼はテロに走って大衆の目を覚まさせるかわりに啓蒙活動にいそしんでいたりするのだが、彼は同時に高いところから人にものを言うのが苦手というか大嫌い。だいいち下手に慕われるとまつり上げられてあげく利用され落っことされて踏みにじられる、というのを何度も経験している。そんなわけで、KILROY氏とかMariaとかおれとかいった、どっか欠落した、頼りにならない、けっこう無責任な、あんまり他人に尊敬されたりしそうにないキャラクターとしてこの『アスペルガーの館の掲示板』をほっつき歩いているのである。
ところがMariaがプレッシャーでキレた。Joshya氏の二の舞になりそうな思いがよぎったのであろう。
だいたい誰とは言わんけどこの『アスペルガーの館の掲示板』でもけっこうひどい発言をしとる奴は少なからずおるのだ。本人自閉症だから仕方ないとは言うものの、本人は薄々自分のやってることに気がついていて、叩かれても「傷ついた」とかいって泣いたりわめいたりすりゃあ赦してもらえるとたかをくくってる奴も中にはいそうな気がする。障害者だからといって全部が全部天使のような心根の持ち主とは限るまい。
Mariaはとくにお馬鹿で気まぐれなキャラであり、もともとは息抜き担当みたいなところがある。それがまあ気がついてみればわれわれの気分を代表してくれているところがある。本音を言えば、Mariaに関してはあんまりうるさいことを言われたくないのだ。とはいえいちばん重要なキャラであることも確かなのである。
そう考えると、黒Maria状態でない、スの状態のMariaがいちばんわれわれの本音に近い、と言えるかもしれない。
(Mr.Moto)
はじめまして、LDのARAと申します。
ミッドランドさん wrote:
> 9月18日付山陽新聞に、このような記事が載っていました。
>
>#「四国学院大 学生部長が差別発言 『学習障害者 授業とるな』」
> わしは即座に感じました。「この教授は、学習障害がいかなるものかも知らずにこんなことを言ったにちがいない!」と。
> おそらく、学習障害を「頭が働かない、できの悪い人間」とでも思っていたのでしょう。正しい認識をもっていれば、あんな発言は出たりはしません。
> この教授「おわびする、冗談だった」と釈明していますが、この発言を聞いた学習障害の子を持つ親たちおよび学習障害の人たちは、どのように受け止めたことでしょうか。(別に正義ヅラしているわけじゃないのです。わし自身の率直な疑問です。)
>
> どうも発達障害と呼ばれるグループは、誤った解釈をされがちですね。
この大学、社会福祉学科も、教育学科もあるので
(しかもキリスト教精神にのっとったというのがウリらしい)
怒るというより、トホホ・・・ なかんじです。
問題の記事↓
http://www2.sanyo.oni.co.jp/news/2001/09/18/13.html
ASのことではないのですが、気になったことがあったので書きます。
9月18日付山陽新聞に、このような記事が載っていました。
#「四国学院大 学生部長が差別発言 『学習障害者 授業とるな』」
内容は、四国学院大で学生部長を務める文学部教授が、ある学生に対し、
「君たちのような学習障害者は私の授業をとらないでもらいたい。単位は出さない。」「君は下半身が太いな。脳が発達していない証拠だ。」
などと発言、この学生は科目の履修を断念した、というものです。
わしは即座に感じました。「この教授は、学習障害がいかなるものかも知らずにこんなことを言ったにちがいない!」と。
おそらく、学習障害を「頭が働かない、できの悪い人間」とでも思っていたのでしょう。正しい認識をもっていれば、あんな発言は出たりはしません。
この教授「おわびする、冗談だった」と釈明していますが、この発言を聞いた学習障害の子を持つ親たちおよび学習障害の人たちは、どのように受け止めたことでしょうか。(別に正義ヅラしているわけじゃないのです。わし自身の率直な疑問です。)
どうも発達障害と呼ばれるグループは、誤った解釈をされがちですね。
ASを含めた自閉症も、まだ「外部との接触を避ける人」という見方を多くされていますし。
そういえば、フェミニストとして名高い某東大教授は、自分の著書の中で自閉症を「母親の過保護・過干渉」「母子密着の原理」を前面に出して論じていました。(ちなみに著書名は「マザコン少年の末路」です。↓に詳細が書かれています。)
http://member.nifty.ne.jp/starbird/book.html
タイトルでサムくなったならすいません ミッドランド
私共は、文部科学省外郭団体にて、学校安全に係る各種大会、講習会等を主催し、全国の児童・生徒の事故防止に力を注いで参りました。
日々全国から届く事故報告に大変心を痛め、その後の子供達が直面する現実への疑問から、自分達に出来ることを模索する中で、ケアフレンズさくらは誕生しました。
設立にあたり、障害者の現状を学んでいく中で、バリアフリーが大きくうたわれているにも関わらず、様々な矛盾を感じました。
その上で、子供達はもちろんのこと、様々な年代の方々が、ご家族、お仲間、お一人様でも各種外出時に快適な時間を過ごしていただけるよう展開してまいります。
ケアフレンズさくらだからできることを提供していくことで、皆様のお役に立てればと考えております。
どうぞよろしくお願いいたします。
>>良薬口に苦し、ってゆう言葉がありますよね。
>
> 「諫言耳に逆らう」のほうが、適切かも。
毒薬苦於口利於病 忠言逆於耳利於行
−史記 淮南王伝
武田好史 wrote:
>まろんす wrote:
>> こんにちは。
>>去年の秋に横浜のある自閉専門クリニックを予約したのですが
>>最初は「1年待ちです」と言われてたのですが
>>1年経ってもなかなか連絡が来ないので
>>確認の電話をすると
>>初診の順番が「今年の暮れか来年の始めになる」と伸びてしました。
>
これはどうしても仕方がないことのようです。なぜなら今のところ、自閉症やADHDなどを専門的に診てくれる児童青年精神科医の人数は、我が国に110名ほどしかおらず、その上に多くのお母さんが「うちの子は自閉症なのでしょうか・・・」と子どもを専門の先生に診てもらおうとするからです。
昨日私は例のクリニックへ行って来たのですが、やはり待っていた20分ほどの間に3組の親子が診察室の中へと入っていきました。
それと自閉症かどうかを調べる検査ということになると、普通の検査に比べて検査スタッフの経験が必要なことと検査をするための判断材料を得るために、現在の医療制度のもとでは、かなりのコストがかかります(大人の場合7万円・子どもの場合15万円)。
もしも、検査をしたい理由が「どのような職業が自分にむいているか?」という
ことを含んでいるならば、まずは障害者職業センターなどで検査を受けてみたほうがよいです。その上で、自分を苦しめているのはやはりASのような自閉症圏障害に違いないという感じであれば、その時に本当に自閉症か否かを判定する検査を受けるようにしたほうが、ふんぎりという面ではよいかもしれません(そのために予約のキャンセルはしないでおく!)。
また検査の初日には、ちょっと恥ずかしいかもしれませんが、親御さんに同行してもらって下さい。これは発達障害の的確な診断のためには、患者さんの幼少期の状況の正確な把握が不可欠であり、それには親御さんからの情報がどうしても必要だからです。
本当は発達障害を専門に診てくれるクリニックが、各県に3・4個あればよいのですが・・・
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