アスペルガーの館の掲示板(旧)
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新しいアスペルガーの館の掲示板
今回のテロ事件に関して、
小生は詳細について知りませんが、テロの背景として指摘されている、貧困と貧富の格差とグローバル化がテロの温床になっているという指摘が当たっているとすれば・・・
貧困をなくすというのは・・・その原因はアメリカなどの先進国が富を独占しているから、その分だけ貧しい国が生まれてしまうといえるのかどうか。
たとえば、消費税を90%にまで引き上げて、その大部分を経済援助に回すというようなことを実行したとすれば、工場は海外に移転し資産家や投資家も海外に逃げてしまいいずれ経済は破綻するというようなことを抜きに考えたとしても、はたしてどれほど効果があるものか・・・
グローバル化というのは不可逆的であり、遅らすことはできても止めたり戻したりすることはできないのではあるまいか。
むしろこれからもグローバル化は進み、貧富の格差も大きくなるのではなかろうか。日本国内もいずれ貧富の格差は大きくなるのではないか。というよりもすでにそうなりつつあるのかもしれない。
というわけで、テロはなくなりそうにない。
[反哲学的断章]に次のような一節が載っています。
『狂気としての宗教は、非宗教から派生した狂気である。』
ちょっと観察してみましょう。
pekoさん wrote:
>先日、彼が入院した時の事なんですが、時々遠くを見て眼が点になってたり、
>ベッドの上であぐらをかいて身体をグルグルゆすってたり、他にもASの症状
>があったんです。ある特別な事には物凄い知識があって、喋りだすと立て板に
>水のように止まらないし、・・・・。
診断がつくかどうかはともかく、なかなかの自閉人ぶりです。
>付き合いだしてから殆どメールでのコミュニケーションで、と言ってもこちら
>の質問とかには一切答えてはくれないメールで逢うのは月に1回〜2回がいい
>とこかな〜!
もっとも、自閉人はどんな親しい間の人とでも少し距離が必要だったりしま
す。アメリカのある自閉症の夫婦は夫婦関係を維持するために、同じ部屋では
寝ないようにしているそうです。これって、非自閉人からはどう思われるんだ
ろう…。
>この前、「あなたにとって彼女って何?私って何?」ってメールを送ったら
>「解りません!好きだけじゃダメですか?」って返事でした。
コミュニケーションの仕方としては、「わたしとの距離が遠すぎる」と率直
に不快感を表明することをお薦めします。詰問調の質問はどんなに気持ちがこ
もっていても、伝わらない危険性があります。
>私が失業中で先日やっと就職出来たのですが、その事についても「良かったね
>!」の一言も言ってくれません。相手の気持ちを理解する事が難しいと言うの
>はやはり本当なのでしょうか?
この場合、「共感をする」という行為と「共感を示す」という行為を区別し
て考える必要があると思います。「共感を示す」とは自分がどう思っているの
かに関係なく、相手の話に耳を傾けたり、聞き役に回ったりする技術です。カ
ウンセリングなんかの世界でも応用されていますね。自閉人の中には「共感す
る」能力は高いのに、「共感を示す」ことが苦手なために誤解されがちな人が
多数います。
pekoさんの彼氏が「共感を示す」という行為を有効に活用できていない
ことは間違いありません。ただし、そのことをもって「共感をしない」と判断
するのは早計です
ひとまず、「解りません!好きだけじゃダメですか?」という彼氏の言葉は
言葉通りに受けとっておいていいと思うのですが…。
syakuさん wrote:
>心の皮膚を厚くして、自尊心の体重を増していく。あるものを感じまいとすると、それだけ自分が本当の自分でなくなっていく。
そういう、ことなんですね。
>私はタレイヌ さんみたいに、開けっぴろげであったかそうな人が好きです。
あ、あ、ありがとうございます。タレイヌ自分が、他者に、そういう印象をもたれると思ったことなかったです。文章だけのお付き合いは、ここの方たちが、生まれて初めてなんです。実際は、ちょっと違うように思うんですけど?・・・・うれしいでっす!
えころ寺への、書き込みに、3回ほど、失敗しております。近いうちに、再チャレンジします。
(タレイヌ)
Xanadiiさん wrote:
>タレイヌさ〜ん、俺っちは大森総研とは、
>いくばくの関与もしとりませんよ〜(^o^)。
はじめまして・・・で、ごめんなさいねです。
Motoさんに、教えていただきました。
年中(?)色んな事を誤認しているタレイヌで〜〜す。(直んないわな、きっと、此の先も・・ガックリ←うなだれている)
なるべく、皆さんのご迷惑にならぬよう勤めたいです。
今後とも、よろしく。
ゆっくり、お休みください。
(タレイヌ)
いつもの乗り場からバスで主治医の医院へ向かう。運転席の左の席に陣取って上を見るとそこには路線図があって、運賃表示板に表示される停留所名と照らし合わせると降りるべきバス停まであと幾つバス停があるかわかるようになっている。
ところがそこにあったのは違う路線しか載っていない図だ。一瞬乗るバスを間違えたのかと思い不安になるが、車内アナウンスのテープと行き先表示は合っている。不安なまましばらく乗っていると、路線図にないバス停の名前を言うので、路線図を入れ間違えたらしいことがわかる。
都会の景色は金太郎飴のようにどこまで行ってもビルばかりで、見慣れないうちは自分がどこにいるのかわかりにくい。そこで路線図で目的地までの相対的な位置関係を把握し、降車に向けた心の準備を行うようにしていたのだが、この「視覚支援」は路線図が間違っていることで使えなくなったわけだ。
私を襲う不安の大波。このバスは今、いったいどのへんを走っているのだろう。バス停の名前を全部暗記しておくという戦略もあるのだが、普段は路線図が見えるところに乗れることがほとんどなので動機付けが弱くまだうろ覚えでどうにもならない。およその所要時間はわかっているので、乗車時刻からの経過時間などの代替手段でなんとか目処を付けてみる。それでも心の奥底から来る強い不安を押さえるのは難しい。誰かとの約束の時間に遅れそうなことを気にしているのではなく、先が読めないことからくるパニック状態にあるために頻繁に腕時計に目をやっているということは他の乗客や運転士には気づかれていないとは思うが、他の自閉者が同じような状況に置かれた場合、目に見えるパニックを起こしても不思議はない。
不安な時間を過ごすこと○○分、運賃表示板に降りるべきバス停の名前を発見し、見慣れた景色を目にした私の肩の力は、一気に抜けた。
>>ここをご覧になっている非自閉の皆様におかれましては、自閉のコミニュケーシ
>ョン障害はこのように深刻な表れ方をすることがあることをご理解いただければ幸
>いです。(No.7796)
>これを読んで、私のほうにまだ忍耐が足りないのかと、又、自責モードになってま
>す。
違います、忍耐の問題ではありません。
その親戚の方が自閉人なら、おそらく自己正当化しているあるいはsyakuさんを責めようとしているのではなく、単に、なぜ言ってはならないことを言うことになったか説明しようとしているだけです。責めるような言葉遣いをしたとしても、実際にやろうとしたことは単なる経過説明なのです。
自閉人と非自閉人は外界の認識方法が異なります。同じ世界に住んでいながら、違う感覚を生きているのです。ですから、自閉者と非自閉者の間では共通感覚のようなものが持てません。特に、人間関係においてはそうなります。
同じように言葉をかけられても、非自閉者は優しさを感じ、自閉者はうっとおしさを感じる、ということはよくあることなのです。
こういうふうに著しく違った者同士で意志疎通をしようとする場合、いわゆる常識あるいは共通感覚をベースにすることができないのは明らかです。ではどのような方法があるか。我々自閉人はよく宇宙人にたとえられます。昔、火星人に地球人の存在を知らせる方法として、ピタゴラスの定理を表す図を地球の表面に描き、火星から望遠鏡で見てもらう、などという提案がされたことがあります。数学や科学の真理は宇宙共通であり、文化的背景の影響を受けないからです。
同じようなことが自閉と非自閉の間のコミニュケーションにも言えます。相手がある感情を持つことを期待して取る行動が意図通りの感情的反応をもたらす保証はありません。「冗談だったと言ってくれ」という気持ちを込めたつもりが、「なぜあんなことを言ったのか説明せよ」に聞こえる可能性はかなり高いのです。
自閉者は、自分の感情が受け入れてもらえない、あるいは誤解されるという経験を重ねるせいか、あるいは文字通りに言葉を使いがちだという障害特性からか、感情ではなく論理に頼ってコミニュケーションしようとします。遠回しな言い方はまず通じませんから、「私は深く傷ついたので、こういうふうにして慰めて欲しい」とストレートに頼みでもしない限り、望む慰めを得るのは難しいでしょう。
足りないものがあったとすればそれは忍耐ではありません。強いて言うなら、どういう情報なら伝達できるかという知識なのです。
誰と間違われたかわかったので私的には納得しています。気にしていませんから気にしないで下さい。
#それにしても、その誰氏の残した傷の大きさ…。
秋に修学旅行に出かける学校は、今ぐらいがシーズンの始まりですね。
わしの場合、修学旅行の行き先は小学校が京都・奈良、中学校が九州でした。
しかし、わしはどちらも「心から楽しめた」とは思えませんでした。「大集団で動く」ということに抵抗を感じたからです。
そのうえ、どちらのときもわしを軽蔑し、顔が合えばわしに悪口を放つようなヤツが居て、そいつが旅行中もいつもと変わらない態度だったので、余計に楽しみが減りました。
普通、修学旅行では訪問地のほかに宿で楽しい思い出をつくるようですが、これもわしにはやりにくいことでした。前述のようなヤツと一緒に寝るというだけで、楽しい気分になれなかったのです。そんな気持ちだったので、皆が集まって話をワイワイしているときに、わしは離れてテレビで野球中継を見たり、早々とフトンに入って寝たりしていました。そのほうが気楽でしたから。(ちなみに中学の修学旅行の宿で見た巨人戦のテレビ中継、あのときの先発はガリクソンでした。今でも憶えています。こんなことの方が思い出として残っているんですよねー)
修学旅行で「大集団で動く」ということは「周りとペースを合わせる」ということでした。わしはこれが苦手でした(というよりその意識すらなかった)。そこにわしは苦痛を感じました。
九州に行ったとき、長崎では班別自由行動だったのですが、やはりこれも「楽しめそうにないな」と思っていました。「集団行動」でしたから。ところがこのときは大雨が降り(警報が出るくらいの)、自由行動が中止になったのです。内心少しホッとしました。もし班別でなく個人での自由行動だったら、きっと悔しい思いをしていたことでしょう。
それから大人になり、わしはひとり旅の機会が多くなりました。
そこで気づきました。「わしが旅を心から楽しめるのは、ひとり旅のときである」ことに。
誰にも気兼ねせずに、自分の好きな道を行く。そこには何の苦痛もありません。そんなわけで、わしはまとまった休みになると、たいていどこかへ遠出をするようになりました。もちろんひとりで。
でも、もし本当に理解あるパートナーが見つかったら、一緒に旅行に行ってもいいかな……などと思うわしはワガママでしょーか。
皆さんは旅行へひとりで行くことが多いですか? ミッドランド
実は、私の彼は多分ASだと思うのですが、自分では昔「自閉症だったんだよって」って言ってたけど自閉症って治るものでは、ないと知りました。先日、彼が入院した時の事なんですが、時々遠くを見て眼が点になってたり、ベッドの上であぐらをかいて身体をグルグルゆすってたり、他にもASの症状があったんです。ある特別な事には物凄い知識があって、喋りだすと立て板に水のように止まらないし、・・・・。付き合いだしてから殆どメールでのコミュニケーションで、と言ってもこちらの質問とかには一切答えてはくれないメールで逢うのは月に1回〜2回がいいとこかな〜!自分の身体の調子が悪かったり精神的にナーバスになってる時なんて1週間ぐらい、メールも来ないし、電話すらかけて来ない状態です。この前、「あなたにとって彼女って何?私って何?」ってメールを送ったら「解りません!好きだけじゃダメですか?」って返事でした。私が失業中で先日やっと就職出来たのですが、その事についても「良かったね!」の一言も言ってくれません。相手の気持ちを理解する事が難しいと言うのはやはり本当なのでしょうか?
私は自分の世界を持っている彼がとても羨ましくて自信を持って生きている所に惹かれて好きになって付き合いだしたので彼から離れて行こうとは、思っていませんが、これから先私は、どのように彼に接して付き合って行けばいいのでしょうか?彼に攻め立てた事はないのですが、大きな気持ちで見守りながら包んであげればいいのでしょうか?ちなみに、彼は6つ年下です。長々とゴメンなさいね。
どなたか良きアドバイスを宜しくお願い致します。
ムーミン wrote:
>はじめまして
>私の名前はムーミンといいます。
>私は大学院で自閉症のことを勉強しているのですが,
>みなさんの投稿を読ませていただいて,とても勉強になります。
>
>私はボランティアを通して週に3人〜4人の自閉症の人達と
>かかわっています。
>年齢層は5歳〜20歳です。
>ボランティアで何をしているのか?
>ということですが,多くは「子ども達と一緒に遊ぶ」ということをしています。
>私は自閉症の人達の余暇支援をどのようにしていけばよいのか?
>私達はどのように自閉症の人達にかかわればよいのか?
>ということは日々考えてしまいます。
>何かよい意見がありましたら教えていただきたいです。
こんばんは。AS+ADHDという診断を受けている武田です。
私は一昨年の夏から去年の夏までの1年間、地元の福祉作業所でボランティアをしていました。内容は通所生の方の作業の手伝い・買い物・畑の手入れ・種々の活動への付き添いなどです。
さてご質問の件ですが、だいたい次の3つのことに注意すればよいのではと思います。
第一に、ケアを受ける人の特性をよく分析することです。これは特に自閉症圏障害の人の支援をしていく上で、特に重要なことです。暴れたり・自傷をしたのはどんなときか、彼が分かりにくいと感じていることはどんなことか、気を紛らわせる活動とは何か、家族では誰になついているか、今日のコンディションはどうか、これからやらせようという活動に耐えられるかといった点をよく観察し情報を集め吟味することです。特に音に関する過剰反応については、パニックや癇癪の原因になりやすいのでよく確かめて下さい。
第二に、意思の疎通のテクニックです。自閉症圏障害の人は、「ディ」という声しか出せない人から我々アスペ人のようにかなり話せる人たちまで、幅広い言葉の能力の幅を持っています。また身の回りに対して介助が全般的に必要な人もいれば、SOHOや簡単な作業などの仕事をもったという人もいます。要するに相手の環境へ適応する能力に見合った意思の疎通を模索することが求められるのです。絵カードでコミュニケーションをとった方が分かりやすいという人もいるし、メモを取るように促すほうがよいという人もいます。
第三に、環境への適応を促すということです。これは非常に困難を要する作業です。特に自閉症圏障害の人は、かなり知能が高いという人でも新しい活動・環境に対して適応しなければならないというときには、健常者の何十倍ものストレスがかかります。そういったことを避けたいと思うあまり引きこもり・登校拒否に陥ってしまったという人が多いのです。余暇活動はそういったストレスの緩和・環境への適応能力の向上の2つの局面をもったもの、例えば電車に乗って博物館・美術館を見に行ったり、レストランでお食事をしたり、パソコンで絵を描いてオリジナルのTシャツを作ったり、街の清掃活動をしたりといったことが良いと思います。彼らの適応できる範囲を見極めながら、簡単から複雑へという流れに乗って時間をかけて、丁寧に指導してやって下さい。これは仕事・勉強の指導でも同じです。
再び書きます。
(しつこいですね・・・すいません)
今度は「週刊文春」10月11日号に出ていました。
週間文春は、コンビ二や、キオスクにも有ると思うので、よかったらみて見て下さい。
目の調子がよくなってきて、長いコメントが書けるようになりつつ
あります。
大槻いつきさん wrote:
>>(2)他人と自分の区別がはっきりしておらず、干渉の多い人
>
>私の県では、公立高校の入試は全て同じ問題で行われます。
>私の高校入試の翌日、
>「問題むずかしかったねぇ、私おちとるわぁ、あんたもおちとるよ」
>と、話しかけてきた友人がいました。
自閉症の研究者ウタ・フリス氏によると、共感とは「他人が自分と
は異なる信念や気持ちを持っていることを把握する能力」なんだそう
です。ウタ・フリス氏は自閉症の人はこちらの意味での共感能力が欠
如していると考えました。しかし、わたしはこちらの意味での共感能
力は自閉人・非自閉人を問わず、人類全体につきつけられた課題だと
考えています。
とても久しぶりの投稿です。
でも次はいつになるかわからない。
ずっと、ROMも不可能だったしな。
なんかすっげ、たりぃんだわ、ここ数週間。
タレイヌさ〜ん、俺っちは大森総研とは、
いくばくの関与もしとりませんよ〜(^o^)。
(既にお分かりのことだろうし、私も
別に気分を害しちゃないが)
これだけかろうじてレスってことで。
んじゃ、皆さん、楽しかった。アリガト。
はじめまして
私の名前はムーミンといいます。
私は大学院で自閉症のことを勉強しているのですが,
みなさんの投稿を読ませていただいて,とても勉強になります。
私はボランティアを通して週に3人〜4人の自閉症の人達と
かかわっています。
年齢層は5歳〜20歳です。
ボランティアで何をしているのか?
ということですが,多くは「子ども達と一緒に遊ぶ」ということをしています。
私は自閉症の人達の余暇支援をどのようにしていけばよいのか?
私達はどのように自閉症の人達にかかわればよいのか?
ということは日々考えてしまいます。
何かよい意見がありましたら教えていただきたいです。
こうもりさん wrote:
> まず、信用できないタイプは以下の通りです
>(2)他人と自分の区別がはっきりしておらず、干渉の多い人
私の県では、公立高校の入試は全て同じ問題で行われます。
私の高校入試の翌日、
「問題むずかしかったねぇ、私おちとるわぁ、あんたもおちとるよ」
と、話しかけてきた友人がいました。
嫌いじゃないし善良な人ではあるのだけれど、信用はできないですね(^^;)
頭の中にベン図がかけない人には、心は開けません。
みみりんさん wrote:
>その子の事はライバル視して、よく喧嘩もしてます。
>ASの人は他人と張り合ったりもするのでしょうか?
ほとんど、周囲の人間に無関心に見える子供もいれば、仲間に入りたくて
ウズウズしているような子もいます。あるいは積極的に友達に関わろうとす
るが友達同士のルールが理解できずに、苦しんでいる子もいます。
>症状としてはAD(H)Dの症状が全てピッタリと当てはまってしまいます。
>また、こだわりも全くなく予定が変わろうが平気で飽き性です。
>でもASかなと思うのは友達がいてもいなくても結構平気なようです。
どういう診断になるのかはちょっと分かりませんね。どちらかと言うと、A
DHD児のイメージに近いような気がしますが。
るうさん、こうもりさん有難うございます。
こうもりさんのとても参考になりました。
るうさんのも参考になりました。
こうもりさんは、チェックポイントがいつも共感ができるというか
(なんというかうまく言えないですが)、参考になります。
るう さんwrote:
>でも、ちょこっと思ったのですが、「何かをして欲しい」とか「私がこういうことを言ったらこう返して欲しい」とか「こんなことは言わないで欲しい」みたいなことは信用という言葉のはんちゅうに入るのでしょうか?なんていうか、それって、こっちが相手に対して勝手に抱いている「(時には過度の)期待」なんじゃないかなあと思います。だから、相手がこっちが期待してたとおりの行動をとってくれなかった場合、私達は大きく傷ついてしまうのかなと思います。
そうかもしれないですね。ただ、、対処のスキルを持っていないので、
相手がマナーが悪い人だったりとか、とにかく大体において対処できないのです。
そして友人が居ないのですが、最初に出会ったばかりの人と相手をするとものすごーく疲れてしまって、刺激もおおいせいか、夜眠れなくなります。
話はそれますが、相手が、良い人だとわかっていて傷つかなくても、ものすごく疲れて眠れなくなるのです。そして理由はわからないのですが、とても嫌な気分になります。昼間の会話が反芻されたりとか。。くたくたになります。
たまに嫌な気分にならないのですが、その時にはそう言う人は、人間じゃないような、暖かくて、美しい空気を持っている人だったりします。目が綺麗だったり。
それに、色々なタイプの人に、対処のスキルをもっていないので、相手に振りまわされます。自分を防御できないのです。相手の人の言い成りに結果的になります。違うとおもって、自分を出そうとするとトラブルになります。だから人と会わないように、気をつけますが、それでは、全く発展しないし。。
>私の考え違いかもしれないし、そういう期待ももひっくるめて「信用する」と言うのかもしれません。
その期待も込みです。自閉独特の観点から外からどのように防御するかと言う話です。最初からそのように書けば良かったのでしょうけれど。
こういうことはしないだろうとか、、しそうだとかあらかじめどのように見分けるかというのが難しいので。期待しないようにしても、わけわからないようなことを言われたりします。追求すると,本人もあれ?記憶をたどり言ったことを箇条書きに
頭で考えるのは難しいと納得した人もいましたが。。
昨日も、マナーはまあまあの人が来ましたが、勝手に人の飾りを触られたりして、ああ,この人は目が離せないなあと思ったり。私のことを知りたいと思ってといって近づいてくる人がたまにいて。(異性とかではなく)
そう言う時には気をつけないといけない、嫌な気持ちになると過去の経験から、わかるのですが、でもやっぱり信用してしまいます。
友人というものを成立させようとすると、どういう要素を持ってきたら良いのか、
難しいです。昔から知っている一部の友人ならば、大丈夫なんですが。信用もできるのですが。でも私は遠慮をして連絡をしないようにしていますが。
最近はこちらが友人のつもりでいて、一生懸命でも、そうではないことが多い感じがします。やっぱり全体が上手く書けないのですが。傾向と対策が出来ていないようなんです。
こうもりさん、早速のお返事ありがとうございます。
実は小3の息子がASかADDか気になっています。
息子は近所の友達とは毎日遊んでいます。
たいてい向こうから遊びにくるからで、こちらからは私が施さないと行きません。
その子の事はライバル視して、よく喧嘩もしてます。
ASの人は他人と張り合ったりもするのでしょうか?
また、学校では一人か、女の子と遊んでるようです。
なぜか聞くと男の子の激しい遊びにはついていけないようで(滅茶苦茶運動音痴でもあります)
症状としてはAD(H)Dの症状が全てピッタリと当てはまってしまいます。
また、こだわりも全くなく予定が変わろうが平気で飽き性です。
でもASかなと思うのは友達がいてもいなくても結構平気なようです。
(妹とは毎日毎日喧嘩、、しつつ、遊んでますが)
早く診断受けたいのですが今日本にいないため、まだ受けていません。
なぜ、人がエレガントでなくエレファントになっていくかは、痛みを感じるのを避けるからでしょう。
心の皮膚を厚くして、自尊心の体重を増していく。あるものを感じまいとすると、それだけ自分が本当の自分でなくなっていく。
私はタレイヌ さんみたいに、開けっぴろげであったかそうな人が好きです。
悩むのは人の仕事です。
痛みは隠すと腐ります。
切り開くのが人生です。
おはようございます、あさかぜさん。レスありがとうございました。
あさかぜ wrote:
> 十代の頃から『世捨て人願望』(わたしは母にこういう言われ方をしました
>)があったなんて、こうもりさんはわたしと似てるかも!なんて勝手に思いこ
>んでしまい、ずっと気になっていました。
なんか、子供の頃から物質的利益に関心が持てないんですよね…。特に進
学や就職活動の時が深刻で、周囲の人が何をアドバイスしても、わたし自身
がどちらにも関心が持てないという状態が続いていました。
> 精密検査を受けるご決心をなさったのですね。結果がどうであれ、検査を
>受けることでこうもりさんご自身の心の安定が少しでも取り戻せれば良いで
>すね。そう祈っています。
14才以降、わたしがそれまで抱えていた社会性,運動能力,学習困難な
どの困難は非常に軽くなりました。それから後は現在に至るまで、「何か障
害を抱えているのは確かだが、何という障害なのか分からない」という混乱
が、わたしにとって最大の困難でした。
今のわたしは支援や保護を必要とするほどの困難を抱えている訳ではあり
ませんが、自分の障害に対するインフォームド・コンセントだけは必要とし
ています。
以前にもコメントしましたが、支援をする側にとって適切な支援が行われ
るのであれば医学的な診断はそれほど大切ではありません。でも、本人の視
点から言えば、障害者としての「位置付け」「出発点」「所属」はけっこう
大切だったりします。
何とか確固とした結論が出てくれるといいんですけど。それと、子供の頃
に可能性が指摘されたMBD(微細脳機能障害)のようにわたしが受けた診
断がいつのまにか死語になっていたなんてことがないことを祈ります。
ちょっと目の調子がよくなってきたこうもり
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