アスペルガーの館の掲示板(旧)
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pocks wrote:
>都会の景色は金太郎飴のようにどこまで行ってもビルばかりで、見慣れないうちは自分がどこにいるのかわかりにくい。
。>私を襲う不安の大波。このバスは今、いったいどのへんを走っているのだろう。バス停の名前を全部暗記しておくという戦略もあるのだが、普段は路線図が見えるところに乗れることがほとんどなので動機付けが弱くまだうろ覚えでどうにもならない。およその所要時間はわかっているので、乗車時刻からの経過時間などの代替手段でなんとか目処を付けてみる。それでも心の奥底から来る強い不安を押さえるのは難しい。誰かとの約束の時間に遅れそうなことを気にしているのではなく、先が読めないことからくるパニック状態にあるために頻繁に腕時計に目をやっているということは他の乗客や運転士には気づかれていないとは思うが、他の自閉者が同じような状況に置かれた場合、目に見えるパニックを起こしても不思議はない。
ド田舎のバスは何が何処へいくのかさっぱりつかみにくい。
都会は上の標識を見てりゃ必ず何処かには着いていたけど、
去年私は市内街から自宅へ帰ろうと思ったら、
気が付いたら海岸沿まで行ってしまう手前だった
さっぱり四面楚歌だったけど、「ケイタイ」というやつを持たされていたので
助かった。
「な、なんでそんな処にいるのー!」
ソンナコトイワレテモコマル。
>不安な時間を過ごすこと○○分、運賃表示板に降りるべきバス停の名前を発見し、見慣れた景色を目にした私の肩の力は、一気に抜けた。
冬に入る手前、道路で独り、お父の車が来るのをポチンと待っていた。
「怒ったってしょうがない」と分ってくれてるし、
精神的にはパニックは減った。
pekoさん wrote:
>相手の気持ちを理解することが難しいと云うのは、やはり本当なのでしょ
>うか?
うーん、なんか違うような気がするぞ。
>ある特別な事には物凄い知識があって、喋りだすと立て板に水のように
>止まらないし、・・・・。
「ある特別な事」とはいうものの、「芸能界のゴシップ」とか「野球」とか「ゴルフ」とかいったことが「一般的」で「普通」であるとか、「ソフトウェア開発」とか「鉄道」とか「昆虫」とかいったことが「特別な事」であるとかいったことではないように思います。少なくとも、話している本人にとっては「普通のこと」なわけです。で、あたしは本人が自分のことを話すのと同じくらい、その人がどういうことに興味を持っているかとか、あることに対してその人がどういう考え方をするかといったことが、その人を知るための手がかりになると思っています。
それに、自分のことを喋っているからといって、相手に対して関心がない、とかいったことでもないように思います。
自分が話し終わっても相手がなかなか口を開かないので、場を白けさせないように話をつないでいるのに、相手は「なかなか話が終わらないので、口をはさむ機会がない」と思っているかもしれない。
「自分は自分についてこれだけの情報を開示したのだから、あなたもあなたのことを語ってほしい」と思っているのに、相手は「この人は自分のことばかり話している」と思っているかもしれない。
「私が興味を持っていることに対して、あなたにも興味を持ってもらいたい。同時に、あなたが興味を持っていることに関して、私は知りたい」というつもりで話しているのに、相手は「この人は一つのことに熱中しやすいタイプなのだ」としか判断しないかもしれない。
「話し上手は聞き上手」という言葉がありますが、相手が自分の言たいことを言えるような、「いい質問」(=「食いつきのいい質問」)をする、という努力をする人というのは、とても少ない。多くの人は、「自分が言ってほしいこと」を聞きたがります。会話だって「give & take」なのに、takeばっかりの人を多く見かけます。
「巨人軍の長島が引退しましたね」みたいな話題を振られたとして、そこで「はあ。」とかいって聞き捨てにしちゃったのでは相手は困ってしまいます。あるいは、「私はプロ野球にあまり興味はありません」とか言っちゃうのも、やっぱり不親切です。
「『巨人』という呼び名は嫌いですね。『読売』とか『ジャイアンツ』とか言っていただきたい」「私は王さんのファンでして」「それより近鉄が優勝しましたな」「野球はやはり大リーグでしょう」「『巨人の星』とか『侍ジャイアンツ』は観ましたけどね」とかいった形で応答すれば、「読売一極集中の日本のプロ野球・マスコミ報道のありかた」「王・長島に見るリーダーのタイプ論」「関東対関西、セ・リーグ対パ・リーグの対立の構図」「野茂・イチロー・新庄ら日本人野球選手の大リーグでの活躍と、アメリカ人の日本人観への影響」「高度成長期のいわゆる『テレビ黄金期』のTVアニメとその社会に与えた影響」みたいなテーマに会話が広がっていったりもするわけです。
そうやって、「食いつく」「引っ張る」といった駆引きをしながら話題を広げたり掘り下げたりするという「会話の愉しみ」というのがあるわけなんですね。
で、あたしたち自閉症方面の人間……あるいは「をたく」(「オタク」というと、<蔑称>になってしまうので、もっぱらこういう表現を使います)を自称する人々というのは、こうした「知識や推論に基づく論理的な会話」みたいなものから、「相手のものの見方・考え方」を知ることが多いように思います。
花や動物が好きだから優しい人だとは限らないわけで、ナチス・ドイツの高官にも犬や薔薇を愛した人物は大勢います。敬虔なクリスチャンであるがゆえに多数の罪なき人々を虐殺した人物だっています。
花は枯らしてしまうから育てないし、動物は死なれるのがつらいから飼わない、みたいな人もいます。特定の宗教は信仰しないけれど、自分を見つめなおすときは出羽三山に登る、みたいな人もいます。
どこを見るか、ではないでしょうか。
(Maria)
こうもりさん、ありがとうございます。私にしてみれば今までに全くない体験で友達に聞いても解らない状態だったんです。図書館に通って、自閉症について色々読みあさったり、HP見たり、自分なりに納得しようとしたのですが確信が持てなくて困っていたのです。頭では理解しているつもりでもなかなか難しいものです。それから、夫婦別々の部屋で、って言うのは、彼からも聞いた事があります。 (彼もそれを望んでいる様ですね)私はその事に関しては特別な事とは、思っていませんが、私もチョッと変わっているんですかねぇ?私はAC(アダルトチルドレン)なんです。だから自分の世界を持っているASの彼に惹かれたんでしょうね!「共感する」と「共感を示す」を区別する考えについてはとても勉強になりました。それから彼に対しては何事にも優しさを持ってストレートに意思表示をして行こうと思います。今度逢ったときに「素直に距離が遠すぎる」って言ってみますね。本当に有難うございました。今後とも良きアドバイスを宜しくお願いします。
こんにちは、こうもりさん。
目の調子が悪いとおっしゃっていたのにレスしていただき、ありがとうございました。
こうもりさん wrote:
> なんか、子供の頃から物質的利益に関心が持てないんですよね…。特に進
>学や就職活動の時が深刻で、周囲の人が何をアドバイスしても、わたし自身
>がどちらにも関心が持てないという状態が続いていました。
なんだか、自分の過去を思い出してしまいます。もう過ぎ去ったことだから、今振り返ると……という気持ちでいますが、わたしはいわゆる『思春期』というのを人より長くやっていたのだと思っています。
じっくり考えないと分からないことが多すぎたんです。だから「ふつうの人はこのくらいの年齢になれば当然分かるはずだ」と母に言われたことが、「分からないものは分からない」としか感じられませんでした。世の中のしくみとか、いろいろ。
『物質的利益に感心が持てない』という表現は的を射ていますね。根本にそれがあると、進学も就職もどうでもよくなってしまいますから。わたしも同じでした。
> 今のわたしは支援や保護を必要とするほどの困難を抱えている訳ではあり
>ませんが、自分の障害に対するインフォームド・コンセントだけは必要とし
>ています。
とても大切なことだと思います。
なんかね、うまく言えないんですけど、「アイデンティティは自ら作り上げていくものである」と思っているんですが、そのためにはいろいろな人の影響を受けるんですよね、多分。
わたしは〔思春期を十年以上やっていたらしい〕と思っていて、その間に様々な人たちや本と出会って影響を受け、どうやら抜けたらしいな?と感じたのは30代になってからです。で、それからが青年期(笑)。
思春期って、人間として揺れ動く時期なんですね、いろいろと。そういう時支えてくれる人の存在は、ものすごく重要なんです。
わたしは自らを『グレーゾーン』と認めたおかげで、またひとつ過去の検証ができました。『健常』側へ引っ張ろうとする母の影響力が、とても強かったんです。けれど、母だけに支えられたわけではないと思います。ひとつやふたつの要素ではない「なにか」が、そこに存在していたはずなんです。それが現在のわたしを作り上げているのだと思っています。
う……なんか話がずれたような気がします(汗)。
> 以前にもコメントしましたが、支援をする側にとって適切な支援が行われ
>るのであれば医学的な診断はそれほど大切ではありません。でも、本人の視
>点から言えば、障害者としての「位置付け」「出発点」「所属」はけっこう
>大切だったりします。
> 何とか確固とした結論が出てくれるといいんですけど。
はっきりしないと、すっきりしないって感じでしょうか……。←変な言い方ですみません。
「位置付け」「出発点」は本人にとっては最重要ですよね。そこがすべてのはじまりになるわけですから。おそらく支援者側が考えているより、はるかに重い意味をもっていると思います。
わたしは『娘がASである』という診断はストンと腹に落ちた部分がありますが、多分彼女自身が悩むのはこれからであろうと覚悟はしています。(あら、突然母親になっちゃった)
うわ〜、長書き!! (目に悪いから、なるべく短くしようって思っていたのに、つい)
すみません。こうもりさんのこれからが、心豊かであれと祈っています。では、また。
peko wrote:
> 実は、私の彼は多分ASだと思うのですが、自分では昔「自閉症だったんだよって」って言ってたけど自閉症って治るものでは、ないと知りました。
あたりまえじゃん。治らないから「違和感」と「さむかぜ」がずっとあるんだよ。
>時々遠くを見て眼が点になってたり、ベッドの上であぐらをかいて身体をグルグルゆすってたり。
しちゃうもんね。「ワカンナイ」時とかやっちゃうよね。気持ちいいし。
>ある特別な事には物凄い知識があって、喋りだすと立て板に水のように止まらないし、・・・・。
なーんだ、その彼、私とそっくりじゃん。
>付き合いだしてから殆どメールでのコミュニケーションで、と言ってもこちら
>質問とかには一切答えてはくれない
>メールで逢うのは月に1回〜2回がいいとこかな〜!
私なんか、半年に一回とかなんかもザラ。でもずっとそのままの「私」と接してくれるよ。
>自分の身体の調子が悪かったり精神的にナーバスになってる時なんて1週間ぐ
>い、メールも来ないし、電話すらかけて来ない状態です。
そちらの「大変」さを「訴えた」ところで、「だからどうすれっていうのだ?」
電話して欲しいなら自分から「電話していいですか?」ってメールすればいいじゃん。
>この前、「あなたにとって彼女って何?私って何?」ってメールを送ったら「解りません!好きだけじゃダメですか?」って返事でした。
いいこと言いますね。その彼氏素敵な人です。
>私が失業中で先日やっと就職出来たのですが、その事についても「良かった
>ね!」の一言も言ってくれません。相手の気持ちを理解する事が難しいと言うの>はやはり本当なのでしょうか?
「就職」=「ヨカッタコト」なんてワカラナイし、複雑さ抱くだけ。
>私は自分の世界を持っている彼がとても羨ましくて自信を持って生きている所に惹>かれて好きになって付き合いだしたので彼から離れて行こうとは、思っていま>せんが、これから先私は、どのように彼に接して付き合って行けばいいのでしょうか?
とにかく「わーわー」ニンゲンにとって当たり前の発湯気注文しないで欲しかったわ。私の場合。
>彼に攻め立てた事はないのですが、大きな気持ちで見守りながら包んであげれば>いいのでしょうか?ちなみに、彼は6つ年下です。長々とゴメンなさいね。
>どなたか良きアドバイスを宜しくお願い致します。
猫のようにつきあえばどうでしょう?
仲がいい程、無視して一緒に感じあえるのが好きです。
今回のテロ事件に関して、
小生は詳細について知りませんが、テロの背景として指摘されている、貧困と貧富の格差とグローバル化がテロの温床になっているという指摘が当たっているとすれば・・・
貧困をなくすというのは・・・その原因はアメリカなどの先進国が富を独占しているから、その分だけ貧しい国が生まれてしまうといえるのかどうか。
たとえば、消費税を90%にまで引き上げて、その大部分を経済援助に回すというようなことを実行したとすれば、工場は海外に移転し資産家や投資家も海外に逃げてしまいいずれ経済は破綻するというようなことを抜きに考えたとしても、はたしてどれほど効果があるものか・・・
グローバル化というのは不可逆的であり、遅らすことはできても止めたり戻したりすることはできないのではあるまいか。
むしろこれからもグローバル化は進み、貧富の格差も大きくなるのではなかろうか。日本国内もいずれ貧富の格差は大きくなるのではないか。というよりもすでにそうなりつつあるのかもしれない。
というわけで、テロはなくなりそうにない。
[反哲学的断章]に次のような一節が載っています。
『狂気としての宗教は、非宗教から派生した狂気である。』
ちょっと観察してみましょう。
pekoさん wrote:
>先日、彼が入院した時の事なんですが、時々遠くを見て眼が点になってたり、
>ベッドの上であぐらをかいて身体をグルグルゆすってたり、他にもASの症状
>があったんです。ある特別な事には物凄い知識があって、喋りだすと立て板に
>水のように止まらないし、・・・・。
診断がつくかどうかはともかく、なかなかの自閉人ぶりです。
>付き合いだしてから殆どメールでのコミュニケーションで、と言ってもこちら
>の質問とかには一切答えてはくれないメールで逢うのは月に1回〜2回がいい
>とこかな〜!
もっとも、自閉人はどんな親しい間の人とでも少し距離が必要だったりしま
す。アメリカのある自閉症の夫婦は夫婦関係を維持するために、同じ部屋では
寝ないようにしているそうです。これって、非自閉人からはどう思われるんだ
ろう…。
>この前、「あなたにとって彼女って何?私って何?」ってメールを送ったら
>「解りません!好きだけじゃダメですか?」って返事でした。
コミュニケーションの仕方としては、「わたしとの距離が遠すぎる」と率直
に不快感を表明することをお薦めします。詰問調の質問はどんなに気持ちがこ
もっていても、伝わらない危険性があります。
>私が失業中で先日やっと就職出来たのですが、その事についても「良かったね
>!」の一言も言ってくれません。相手の気持ちを理解する事が難しいと言うの
>はやはり本当なのでしょうか?
この場合、「共感をする」という行為と「共感を示す」という行為を区別し
て考える必要があると思います。「共感を示す」とは自分がどう思っているの
かに関係なく、相手の話に耳を傾けたり、聞き役に回ったりする技術です。カ
ウンセリングなんかの世界でも応用されていますね。自閉人の中には「共感す
る」能力は高いのに、「共感を示す」ことが苦手なために誤解されがちな人が
多数います。
pekoさんの彼氏が「共感を示す」という行為を有効に活用できていない
ことは間違いありません。ただし、そのことをもって「共感をしない」と判断
するのは早計です
ひとまず、「解りません!好きだけじゃダメですか?」という彼氏の言葉は
言葉通りに受けとっておいていいと思うのですが…。
syakuさん wrote:
>心の皮膚を厚くして、自尊心の体重を増していく。あるものを感じまいとすると、それだけ自分が本当の自分でなくなっていく。
そういう、ことなんですね。
>私はタレイヌ さんみたいに、開けっぴろげであったかそうな人が好きです。
あ、あ、ありがとうございます。タレイヌ自分が、他者に、そういう印象をもたれると思ったことなかったです。文章だけのお付き合いは、ここの方たちが、生まれて初めてなんです。実際は、ちょっと違うように思うんですけど?・・・・うれしいでっす!
えころ寺への、書き込みに、3回ほど、失敗しております。近いうちに、再チャレンジします。
(タレイヌ)
Xanadiiさん wrote:
>タレイヌさ〜ん、俺っちは大森総研とは、
>いくばくの関与もしとりませんよ〜(^o^)。
はじめまして・・・で、ごめんなさいねです。
Motoさんに、教えていただきました。
年中(?)色んな事を誤認しているタレイヌで〜〜す。(直んないわな、きっと、此の先も・・ガックリ←うなだれている)
なるべく、皆さんのご迷惑にならぬよう勤めたいです。
今後とも、よろしく。
ゆっくり、お休みください。
(タレイヌ)
いつもの乗り場からバスで主治医の医院へ向かう。運転席の左の席に陣取って上を見るとそこには路線図があって、運賃表示板に表示される停留所名と照らし合わせると降りるべきバス停まであと幾つバス停があるかわかるようになっている。
ところがそこにあったのは違う路線しか載っていない図だ。一瞬乗るバスを間違えたのかと思い不安になるが、車内アナウンスのテープと行き先表示は合っている。不安なまましばらく乗っていると、路線図にないバス停の名前を言うので、路線図を入れ間違えたらしいことがわかる。
都会の景色は金太郎飴のようにどこまで行ってもビルばかりで、見慣れないうちは自分がどこにいるのかわかりにくい。そこで路線図で目的地までの相対的な位置関係を把握し、降車に向けた心の準備を行うようにしていたのだが、この「視覚支援」は路線図が間違っていることで使えなくなったわけだ。
私を襲う不安の大波。このバスは今、いったいどのへんを走っているのだろう。バス停の名前を全部暗記しておくという戦略もあるのだが、普段は路線図が見えるところに乗れることがほとんどなので動機付けが弱くまだうろ覚えでどうにもならない。およその所要時間はわかっているので、乗車時刻からの経過時間などの代替手段でなんとか目処を付けてみる。それでも心の奥底から来る強い不安を押さえるのは難しい。誰かとの約束の時間に遅れそうなことを気にしているのではなく、先が読めないことからくるパニック状態にあるために頻繁に腕時計に目をやっているということは他の乗客や運転士には気づかれていないとは思うが、他の自閉者が同じような状況に置かれた場合、目に見えるパニックを起こしても不思議はない。
不安な時間を過ごすこと○○分、運賃表示板に降りるべきバス停の名前を発見し、見慣れた景色を目にした私の肩の力は、一気に抜けた。
>>ここをご覧になっている非自閉の皆様におかれましては、自閉のコミニュケーシ
>ョン障害はこのように深刻な表れ方をすることがあることをご理解いただければ幸
>いです。(No.7796)
>これを読んで、私のほうにまだ忍耐が足りないのかと、又、自責モードになってま
>す。
違います、忍耐の問題ではありません。
その親戚の方が自閉人なら、おそらく自己正当化しているあるいはsyakuさんを責めようとしているのではなく、単に、なぜ言ってはならないことを言うことになったか説明しようとしているだけです。責めるような言葉遣いをしたとしても、実際にやろうとしたことは単なる経過説明なのです。
自閉人と非自閉人は外界の認識方法が異なります。同じ世界に住んでいながら、違う感覚を生きているのです。ですから、自閉者と非自閉者の間では共通感覚のようなものが持てません。特に、人間関係においてはそうなります。
同じように言葉をかけられても、非自閉者は優しさを感じ、自閉者はうっとおしさを感じる、ということはよくあることなのです。
こういうふうに著しく違った者同士で意志疎通をしようとする場合、いわゆる常識あるいは共通感覚をベースにすることができないのは明らかです。ではどのような方法があるか。我々自閉人はよく宇宙人にたとえられます。昔、火星人に地球人の存在を知らせる方法として、ピタゴラスの定理を表す図を地球の表面に描き、火星から望遠鏡で見てもらう、などという提案がされたことがあります。数学や科学の真理は宇宙共通であり、文化的背景の影響を受けないからです。
同じようなことが自閉と非自閉の間のコミニュケーションにも言えます。相手がある感情を持つことを期待して取る行動が意図通りの感情的反応をもたらす保証はありません。「冗談だったと言ってくれ」という気持ちを込めたつもりが、「なぜあんなことを言ったのか説明せよ」に聞こえる可能性はかなり高いのです。
自閉者は、自分の感情が受け入れてもらえない、あるいは誤解されるという経験を重ねるせいか、あるいは文字通りに言葉を使いがちだという障害特性からか、感情ではなく論理に頼ってコミニュケーションしようとします。遠回しな言い方はまず通じませんから、「私は深く傷ついたので、こういうふうにして慰めて欲しい」とストレートに頼みでもしない限り、望む慰めを得るのは難しいでしょう。
足りないものがあったとすればそれは忍耐ではありません。強いて言うなら、どういう情報なら伝達できるかという知識なのです。
誰と間違われたかわかったので私的には納得しています。気にしていませんから気にしないで下さい。
#それにしても、その誰氏の残した傷の大きさ…。
秋に修学旅行に出かける学校は、今ぐらいがシーズンの始まりですね。
わしの場合、修学旅行の行き先は小学校が京都・奈良、中学校が九州でした。
しかし、わしはどちらも「心から楽しめた」とは思えませんでした。「大集団で動く」ということに抵抗を感じたからです。
そのうえ、どちらのときもわしを軽蔑し、顔が合えばわしに悪口を放つようなヤツが居て、そいつが旅行中もいつもと変わらない態度だったので、余計に楽しみが減りました。
普通、修学旅行では訪問地のほかに宿で楽しい思い出をつくるようですが、これもわしにはやりにくいことでした。前述のようなヤツと一緒に寝るというだけで、楽しい気分になれなかったのです。そんな気持ちだったので、皆が集まって話をワイワイしているときに、わしは離れてテレビで野球中継を見たり、早々とフトンに入って寝たりしていました。そのほうが気楽でしたから。(ちなみに中学の修学旅行の宿で見た巨人戦のテレビ中継、あのときの先発はガリクソンでした。今でも憶えています。こんなことの方が思い出として残っているんですよねー)
修学旅行で「大集団で動く」ということは「周りとペースを合わせる」ということでした。わしはこれが苦手でした(というよりその意識すらなかった)。そこにわしは苦痛を感じました。
九州に行ったとき、長崎では班別自由行動だったのですが、やはりこれも「楽しめそうにないな」と思っていました。「集団行動」でしたから。ところがこのときは大雨が降り(警報が出るくらいの)、自由行動が中止になったのです。内心少しホッとしました。もし班別でなく個人での自由行動だったら、きっと悔しい思いをしていたことでしょう。
それから大人になり、わしはひとり旅の機会が多くなりました。
そこで気づきました。「わしが旅を心から楽しめるのは、ひとり旅のときである」ことに。
誰にも気兼ねせずに、自分の好きな道を行く。そこには何の苦痛もありません。そんなわけで、わしはまとまった休みになると、たいていどこかへ遠出をするようになりました。もちろんひとりで。
でも、もし本当に理解あるパートナーが見つかったら、一緒に旅行に行ってもいいかな……などと思うわしはワガママでしょーか。
皆さんは旅行へひとりで行くことが多いですか? ミッドランド
実は、私の彼は多分ASだと思うのですが、自分では昔「自閉症だったんだよって」って言ってたけど自閉症って治るものでは、ないと知りました。先日、彼が入院した時の事なんですが、時々遠くを見て眼が点になってたり、ベッドの上であぐらをかいて身体をグルグルゆすってたり、他にもASの症状があったんです。ある特別な事には物凄い知識があって、喋りだすと立て板に水のように止まらないし、・・・・。付き合いだしてから殆どメールでのコミュニケーションで、と言ってもこちらの質問とかには一切答えてはくれないメールで逢うのは月に1回〜2回がいいとこかな〜!自分の身体の調子が悪かったり精神的にナーバスになってる時なんて1週間ぐらい、メールも来ないし、電話すらかけて来ない状態です。この前、「あなたにとって彼女って何?私って何?」ってメールを送ったら「解りません!好きだけじゃダメですか?」って返事でした。私が失業中で先日やっと就職出来たのですが、その事についても「良かったね!」の一言も言ってくれません。相手の気持ちを理解する事が難しいと言うのはやはり本当なのでしょうか?
私は自分の世界を持っている彼がとても羨ましくて自信を持って生きている所に惹かれて好きになって付き合いだしたので彼から離れて行こうとは、思っていませんが、これから先私は、どのように彼に接して付き合って行けばいいのでしょうか?彼に攻め立てた事はないのですが、大きな気持ちで見守りながら包んであげればいいのでしょうか?ちなみに、彼は6つ年下です。長々とゴメンなさいね。
どなたか良きアドバイスを宜しくお願い致します。
ムーミン wrote:
>はじめまして
>私の名前はムーミンといいます。
>私は大学院で自閉症のことを勉強しているのですが,
>みなさんの投稿を読ませていただいて,とても勉強になります。
>
>私はボランティアを通して週に3人〜4人の自閉症の人達と
>かかわっています。
>年齢層は5歳〜20歳です。
>ボランティアで何をしているのか?
>ということですが,多くは「子ども達と一緒に遊ぶ」ということをしています。
>私は自閉症の人達の余暇支援をどのようにしていけばよいのか?
>私達はどのように自閉症の人達にかかわればよいのか?
>ということは日々考えてしまいます。
>何かよい意見がありましたら教えていただきたいです。
こんばんは。AS+ADHDという診断を受けている武田です。
私は一昨年の夏から去年の夏までの1年間、地元の福祉作業所でボランティアをしていました。内容は通所生の方の作業の手伝い・買い物・畑の手入れ・種々の活動への付き添いなどです。
さてご質問の件ですが、だいたい次の3つのことに注意すればよいのではと思います。
第一に、ケアを受ける人の特性をよく分析することです。これは特に自閉症圏障害の人の支援をしていく上で、特に重要なことです。暴れたり・自傷をしたのはどんなときか、彼が分かりにくいと感じていることはどんなことか、気を紛らわせる活動とは何か、家族では誰になついているか、今日のコンディションはどうか、これからやらせようという活動に耐えられるかといった点をよく観察し情報を集め吟味することです。特に音に関する過剰反応については、パニックや癇癪の原因になりやすいのでよく確かめて下さい。
第二に、意思の疎通のテクニックです。自閉症圏障害の人は、「ディ」という声しか出せない人から我々アスペ人のようにかなり話せる人たちまで、幅広い言葉の能力の幅を持っています。また身の回りに対して介助が全般的に必要な人もいれば、SOHOや簡単な作業などの仕事をもったという人もいます。要するに相手の環境へ適応する能力に見合った意思の疎通を模索することが求められるのです。絵カードでコミュニケーションをとった方が分かりやすいという人もいるし、メモを取るように促すほうがよいという人もいます。
第三に、環境への適応を促すということです。これは非常に困難を要する作業です。特に自閉症圏障害の人は、かなり知能が高いという人でも新しい活動・環境に対して適応しなければならないというときには、健常者の何十倍ものストレスがかかります。そういったことを避けたいと思うあまり引きこもり・登校拒否に陥ってしまったという人が多いのです。余暇活動はそういったストレスの緩和・環境への適応能力の向上の2つの局面をもったもの、例えば電車に乗って博物館・美術館を見に行ったり、レストランでお食事をしたり、パソコンで絵を描いてオリジナルのTシャツを作ったり、街の清掃活動をしたりといったことが良いと思います。彼らの適応できる範囲を見極めながら、簡単から複雑へという流れに乗って時間をかけて、丁寧に指導してやって下さい。これは仕事・勉強の指導でも同じです。
再び書きます。
(しつこいですね・・・すいません)
今度は「週刊文春」10月11日号に出ていました。
週間文春は、コンビ二や、キオスクにも有ると思うので、よかったらみて見て下さい。
目の調子がよくなってきて、長いコメントが書けるようになりつつ
あります。
大槻いつきさん wrote:
>>(2)他人と自分の区別がはっきりしておらず、干渉の多い人
>
>私の県では、公立高校の入試は全て同じ問題で行われます。
>私の高校入試の翌日、
>「問題むずかしかったねぇ、私おちとるわぁ、あんたもおちとるよ」
>と、話しかけてきた友人がいました。
自閉症の研究者ウタ・フリス氏によると、共感とは「他人が自分と
は異なる信念や気持ちを持っていることを把握する能力」なんだそう
です。ウタ・フリス氏は自閉症の人はこちらの意味での共感能力が欠
如していると考えました。しかし、わたしはこちらの意味での共感能
力は自閉人・非自閉人を問わず、人類全体につきつけられた課題だと
考えています。
とても久しぶりの投稿です。
でも次はいつになるかわからない。
ずっと、ROMも不可能だったしな。
なんかすっげ、たりぃんだわ、ここ数週間。
タレイヌさ〜ん、俺っちは大森総研とは、
いくばくの関与もしとりませんよ〜(^o^)。
(既にお分かりのことだろうし、私も
別に気分を害しちゃないが)
これだけかろうじてレスってことで。
んじゃ、皆さん、楽しかった。アリガト。
はじめまして
私の名前はムーミンといいます。
私は大学院で自閉症のことを勉強しているのですが,
みなさんの投稿を読ませていただいて,とても勉強になります。
私はボランティアを通して週に3人〜4人の自閉症の人達と
かかわっています。
年齢層は5歳〜20歳です。
ボランティアで何をしているのか?
ということですが,多くは「子ども達と一緒に遊ぶ」ということをしています。
私は自閉症の人達の余暇支援をどのようにしていけばよいのか?
私達はどのように自閉症の人達にかかわればよいのか?
ということは日々考えてしまいます。
何かよい意見がありましたら教えていただきたいです。
こうもりさん wrote:
> まず、信用できないタイプは以下の通りです
>(2)他人と自分の区別がはっきりしておらず、干渉の多い人
私の県では、公立高校の入試は全て同じ問題で行われます。
私の高校入試の翌日、
「問題むずかしかったねぇ、私おちとるわぁ、あんたもおちとるよ」
と、話しかけてきた友人がいました。
嫌いじゃないし善良な人ではあるのだけれど、信用はできないですね(^^;)
頭の中にベン図がかけない人には、心は開けません。
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