アスペルガーの館の掲示板(旧)
あなたは 番目のお客様です。
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
大槻いつきさん wrote:
>(……いま、「おちこち」で変換しようとしたら「遠近」と出た!!
>この字にそんな読み方もあるんだ。びっくり)
努々(ゆめゆめ)、強か(したたか)、頑な(かたくな)、論(あげつら)う、徒(いたずら)に(「無駄に」の意味)、兵(つわもの)、強面(こわもて)、反故(ほご。使い古しの紙)、阿漕(あこぎ)、依怙地(いこじ)、蓮葉(はすっぱ)な(女性の言動に慎みがないこと)、お侠(きゃん)な、、初端(しょっぱな)から、突慳貪(つっけんどん)な、蒙御免(ごめんこうむる)、雪洞(ぼんぼり)、女郎花(おみなえし)、団栗(どんぐり)、菠薐草(ほうれんそう。「菠薐」は国名で、現在のネパール)、河豚(ふぐ)、海豚(いるか)、海鼠(なまこ)、小女子(こうなご。「おめこ」と読んだひとがいた)、流石(さすが)、湯湯婆(ゆたんぽ。「湯婆婆」ではない)、行火(あんか)、剽軽(ひょうきん)、水団(すいとん)、雲呑(わんたん)、螺子(ねじ)、骰子(さいころ)、案山子(かかし)、注連縄(しめなわ)……
そういえば、「せりふ」にも「台詞」と「科白」があったっけ。「あだ名」も「渾名」と「綽名」があるし……。「えび」は「海老」のほうがprawnで「蝦」がshrimp。lobsterは「うみざりがに」だけど、伊勢海老も(spiny)lobsterといってlobster扱い。ジャンバラヤに入れる川のざりがにはcrayfish。
「菖蒲」には「しょうぶ」と「あやめ」の両方の読みがあって、「菖蒲湯」に使うのは、「ハナショウブ」ではなくサトイモ科のショウブ。「芥子」にも「けし」と「からし」の読みがある。「鮟鱇」には二つの意味があり、川にいる「山椒魚」も「鮟鱇」なら、深海にいて鍋にするアンコウも「鮟鱇」。「行った」は「いった」と「おこなった」の両方に読めてしまうので、「いった」は「行った」、「おこなった」は「行なった」と書くのがマイルール。「入れない」は「いれない」で、「はいれない」は「入(はい)れない」と読みをつける。
ついでながら、「間髪を入れず」は「間、髪を入れず」で『失楽園』は『失・楽園』。
たまには本職(日本語処理)の意地を見せたいMariaでございました。
(Maria)
大槻いつきさん wrote:
>全然ヒントではなくて、恐縮なのですが……
>あれ?レンズ磨きの話をしようとしてたのに、ただのアスペルガー&ADHDの典型例みたいな
>内容になってしまいました(^^;)
はじめまして、お返事くださって(?)ありがとうございます。
静かーに、(絶対に、答えていただこうとは思いませんが)いつまでーーーも、待ちます。なお、このまま、忘れていただいても、結構です。
ひとこえかけてくださって、ありがとう!失礼いたします。
(タレイヌ)
pocksさん wrote:
>違います、忍耐の問題ではありません。
確かに忍耐だけでは悪い共依存関係ですよね。
>その親戚の方が自閉人なら、おそらく自己正当化しているあるいはsyakuさんを責めようとしているのではなく、単に、なぜ言ってはならないことを言うことになったか説明しようとしているだけです。責めるような言葉遣いをしたとしても、実際にやろうとしたことは単なる経過説明なのです。
う〜ん、説明があげあし鳥とか、いやがら瀬としか取れないですね。野鳥の会会員としては。こちらの偏向なのでしょうか?
あの時は、説明するだけのムードではなかったです。感情の許容量が少ないので同情の余地が小さいんでしょうね。水の中から手をのばしたオバケを叩く、小舟の主という感じ。その後、私が紙で手を切った時には、呆れるほど人間らしく同情してくれました。
まっすぐに育ったアスペの人は、純な感じでいいものです。歪み代が少ないんですよね。
変な癖出すなとか、矯正されるとつぶれて、付き合いにくくなるんじゃないでしょうか?
つぼみのままで、朽ちていく印象あります。2次障害を除去しないと近寄りがたい。人間不信です。
一人暮らしの人なので心配です。
pocksさんも、しっかり期待して欲しいです。表現技術以前のところで折れてしまってると、期待は伝わりません。人間が成長するには要るものがいっぱいあります。混沌を楽しめる人はいいけれど、混乱に困惑したら困惑そのままで助けを求めてください。どうせだめだからという感じには、落ちないでね。
宇宙人じゃない、個性的で魅力があるんです。理性以前の、自分の存在そのものに自信を持って、希望をかなえていってください。
タレイヌさん wrote:
>内容は、レンズを、いかに斑(むら)なく削るか?という事らしいのですが。このあたりの、簡単な解説書や、辞書等、ご存知でしたら、お教えください。大まかに、この辺を探してみたら良い、という、手がかりでも、結構です。
全然ヒントではなくて、恐縮なのですが……
なんだか越知東風くんみたいだ。
(……いま、「おちこち」で変換しようとしたら「遠近」と出た!!
この字にそんな読み方もあるんだ。びっくり)
小学校で読んだ「吾輩は猫である」で、もっとも印象に残った部分です。
(そういえば、「わがはい」の表記も自信がないぞ。
「吾が輩」「我が輩」「我輩」どれだっけ?
「ワレ」とゆー文字もいろいろあったはずだけど、)
あれ?レンズ磨きの話をしようとしてたのに、ただのアスペルガー&ADHDの典型例みたいな
内容になってしまいました(^^;)
ではでは。
無夢霧娘 wrote:
>pocks wrote:
>>不安な時間を過ごすこと○○分、運賃表示板に降りるべきバス停の名前を発見し、見慣れた景色を目にした私の肩の力は、一気に抜けた。
>
>冬に入る手前、道路で独り、お父の車が来るのをポチンと待っていた。
>「怒ったってしょうがない」と分ってくれてるし、
>精神的にはパニックは減った。
お二人のカキコを見て、息子が一人で電車やバスに乗りたがらない気持ちが
わかりました。 彼は相当な近眼だと思うので(ぜったい視力は悪くないと
言い張りめがねをかけません) いろいろな掲示板がはっきり読めないからだろうとも思っていますが、それにしても、いつも母親がどこに行くのも一緒に
くっついて行かなければならないのは、やはりちょっと情けない気がします。
相対性理論だの量子力学などの難しい話は、わかりやすく説明してくれるのに
なんで簡単な乗り換えが出来ないの?と言いたくなりますが、それを言っては
かわいそうですね。
昨日も、息子の用事が終わるまで、まだか、まだかとマクドナルドで4時間
待ちました・・・やっぱり携帯を買わないといけませんかね。
母親のグチを書いてしまいました、ごめんなさい
KILROYさんwrote:
ありがとうございました!!
これから、忙しく動いてみます。
長男なので、ややこしいんですよ。
本当にありがとうございました。
(タレイヌ)
はじめまして、タレイヌです。
ミッドランドさん wrote:
> 意外な答えでした。母は社交性に富んだ人で、数多くの交友関係を持つ人です(何もしなくとも知らず知らずのうちに友人ができてしまう、わしから見ればうらやましい限りの人)。
ごめんなさいね・・・・・おこらないでね・・・・
数多くの交友関係がはっきりと見えると、『社交性がある』ということに、は、なります。でも、それが、本当に、幸せな事(?)であるか、わからないですよ・・・人は、ある程度話を聞いてあげる態度を取ると、寄って来る人たちっていますから(酷い言い方・・・ごめんなさいね)
タレイヌは、ここの掲示板で、書き込んでいるほうが、ある種、本気に社交的(っていう言い方があるかなぁ・・疑問)って思っています。でも、知らない方たち(=関わらない人たち)には、見えない世界ですから、「無い」ことになるでしょう?
だから、やみくもに、羨ましがったりしないでね。
タレイヌのくくりでは、ミットランドさんは、社交的です、掲示板の中では。(という注釈がつくけど。)もっとも、さらに、いうならば、この電脳空間は、『仮想である』とくくった上で、こういうかかわりは、偽者の自分を作ってできるから、信じられないし、嘘で、固めた物である…なんていう、この世界を知らないくせに、認めない人たちもたくさんいるし、逆にこれを利用して、しっかり偽装して、関わっている人もいるでしょう。
結局、ややこしい事ですけど、人間が実際対面して交友するのも、電脳空間で交友するのも、『本人の人格である』という基本からは、ほとんど、差が無いと、タレイヌは思っているんです。ま、対面向きか、文字表現向きか、という差が、あるかも。
>「あんたは自分から世界を狭く狭くしようとしている、もっと心を開いて人に接するべきだ。」>と言います
なんかねぇ、お母様と、ミッドランドさんにてるかもよ・・どっかが??
(あ、おこらないでね・・・)
ミッドランドさん、海外、行けるなら、行った方がいいとおもいます、それもお若いうちに。
一人ででも、お二人でも。
長男は、日本にいても、暗黙の了解で成り立っていくような(別の言い方をするなら、日本語で話しているにもかかわらず、ちっとも意思の疎通がはかれない)状態に、悩みながら、英語にのめりこみました。ある程度、会話できるようになった時、細かな感情や、感覚の行き違いがあっても当たり前といいきれる「日本人以外の人達」とは、逆にスムーズな、関係を作れる事に、気が付いたようでした。(知りたい事を言語化してくれる。その上、ちょっと意思の疎通が上手くいかなくても、理解できなくて当たり前と思ってもらえるし、説明だって、繰り返してもらえるからね。)
> それとも、もともと「社交性」と「海外へ出ること」には相関性がないのでしょうか?
さて、どう考えたらいいのでしょうね?
(タレイヌ)
タレイヌさん wrote:
>『斜軸研削法による、マイクロ非球面の超精密加工』という、東北大だか、
>防衛大だかの先生がお書きになった、文献を、英文に翻訳するらしいので
>すが、既に、日本語の、段階で、困難しているようです。内容は、レンズ
>を、いかに斑(むら)なく削るか?という事らしいのですが。このあたり
>の、簡単な解説書や、辞書等、ご存知でしたら、お教えください。大まか
>に、この辺を探してみたら良い、という、手がかりでも、結構です。
最初に目的をはっきりさせておきましょう。それは『工具(ツール)と加工材(ワーク)の回転軸が真直ぐでない、小さくて真ん丸でない面を、うんと精密に削り出す加工方法』についての文献(たぶん論文でしょう)を英訳する、ということです。
そうすると、ヒントはまず原論文にある、「参考文献」です。その中には英語の論文もあるだろうし、その論文がどういう雑誌に発表されたかも書いてあるはずです。で、その参照されている論文と似たような論文を、片っ端からチェックします。「似てるって、どこで分かるんですか?」みたいに思われるかもしれませんけど、そこは「研削法」「マイクロ球面」「超精密加工」「非球面レンズ」といったキーワードが論文の中に出てくるはずですから、それを使って篩にかけます。
で、そうやってかきあつめた英文の論文を見ると、和訳したときに狙った原論文に出てきそうな文章、というのがぞろぞろ出てくるはずです。で、それを適当に構文をいじくったり単語を入れ換えたりして訳文にアレンジしてゆきます。
日本語の論文を英訳すると考えると、ややこしくなる。英文の論文のスタイルに則った英文の論文をまず想定し、そこに日本語の「意味」を写しとる、と考えると、わかりやすい。
こういったテクニックに詳しい日本語の本を捜そうと思ったら、大きな本屋へ行ってビジネス関連の棚で「コレポン」と表題に書いてある本を捜すのが早道かもしれません。保証はしませんが。
(KILROY)
みどりさん wrote:
>どの部分が Maria さんのいいたいことで、どの部分がそのための解説なのか、
>私がわかんなくなってしまいました。
>この投稿も、前の投稿も、単独ならわかるんですが、両方合わせると、どう読
>んだらいいのやら??
えー、申し訳ありません。原因は、たぶんあたしの発言の以下の部分にあるのだと重います。
『Re: どなたか、教えてください。』(No.7859、7 Oct 2001) by Maria
pekoさん wrote:
>ある特別な事には物凄い知識があって、喋りだすと立て板に水のように
>止まらないし、・・・・。
I wrote:
> 「ある特別な事」とはいうものの、「芸能界のゴシップ」とか「野球」とか
>「ゴルフ」とかいったことが「一般的」で「普通」であるとか、「ソフトウェ
>ア開発」とか「鉄道」とか「昆虫」とかいったことが「特別な事」であるとか
>いったことではないように思います。
> 「私が興味を持っていることに対して、あなたにも興味を持ってもらいたい。
>同時に、あなたが興味を持っていることに関して、私は知りたい」というつも
>りで話しているのに、相手は「この人は一つのことに熱中しやすいタイプなの
>だ」としか判断しないかもしれない。
「特別」と「特殊」の関係は、「興味の対象の違い」というよりも、「座標ベクトルの違い」であるとあたしは考えています。
「芸能界のゴシップ」に関しても、「嫉妬」「羨望」「覗き趣味」といった形での興味の持ちかたもあれば、「『嫉妬』や『羨望』という大衆の心理現象」や「マスコミの報道姿勢と役割」といった形での興味の持ちかたもあります。前者をLoser型、後者をHacker型、ととりあえず命名しておきましょう。「Lose」は「美的でない」「Hack value(知的好奇心に基づく(数学的・構成的な)美的感覚) を理解しない」といった意味で使います。
パーソナルコンピュータに関しても、Loserは「(パソコンが)できる/できない」「便利/不自由」「かっこいい/ダサい」といった座標ベクトルで考えるのに対し、Hackerは「(発想が)ロジカルである」「(構成が)美しい」で考えます。
ですから、同じ物を身につけても、「流されてる」のがLoserなら「こだわってる」のがHacker、みたいなことも、ありえます。
世の中にはいろんなものがありますから、どの対象を選んでも「特別」ではあるわけです。それはブランドのようなもので、どれもが「特別」です。「特定」と言ってもいいでしょう。
ですが、LoserとHackerでは、その対象とのかかわりかたが違うのです。だから、Loserは「特別」になるし、Hackerは「特殊」になる。Hackerは、単に「情報量が多い」「詳しい」といった関わりかたをしないように思います。「掘り下げ」「こだわり」「のめりこみ」の深さ、というのが、同じ対象にかかわっていたとしても、Loserの目からは「特殊」に映ってしまうように思います。
この態度の差が、Loser対Hackerの関係において、ある種の感情的対立を生むように思います。Loserは、「すごく好き」だったものが、突然「嫌い」になったりします。Hackerから見ると、この態度は「飽きっぽい」「気紛れな」ものに映ります。Hackerの場合は、「わかってしまう」と「済んでしまう」部分があります。これはLoserの目からは、「熱しやすく冷めやすい」態度に見えます。そんなわけで、LoserとHackerは、お互いを「信用ならない相手」と見ていたりします。Loserにとっては「好きなもの」に興味を持ち、「嫌いなもの」には興味を持たないのが当たり前ですが、Hackerは「好き/嫌い」で興味の対象を選ぶよりも、その「構造」「構成」「成立ち」「内部法則」といったものに興味を持つように思います。
Hackerがゴキブリやなめくじやヘビを研究しているからといって、ゴキブリやなめくじやヘビが「好き」かというと、そうとは限らないんですね。逆にLoserが「サッカーが好き」だとしても、ルールや歴史について詳しく知っているかというとそうではない、ということにHackerは困惑したりします。
ですから、LoserとHackerでは「興味を持つ」「知る」ことの意味が違う、と考えたほうがいいかもしれません。そのベクトルが、「自分にとって特別の対象」になる方向に向かうのか、「日常にありふれたものから特殊なものへ」になる方向に向かうのか、といった違いになるのではないか、という気がします。
>> この「研究者」さんは、現在は「日本国の象徴であり、日本国民統合の
>>象徴」として、内閣総理大臣を任命したりとか、国会を召集したりとか、
>>外交文書を認証したりとかいったお仕事をされてたりします。
>この研究者さんは、立場上、研究発表ができる内容がひどく限られてしまっ
>ています。家業にかかわるような部分の研究はまずムリでしょう。そういう
>逆境のもとでなんとかやってくところ、すごいなって思います。
この方のお父さんも研究者でしたが、対象を選ぶのには苦労されたようで、「他の誰もやらないもの」ということで、「ヒドロ虫類」を対象に選ばれました。
海洋生物学者だというのに、「中毒するといけないから」と河豚も食べさせてもらえなかったというのはけっこう有名な話です。で、その反動のように、アメフラシの卵(俗に「海素麺」)だとかイソギンチャク(長崎では「わきゃ」とか「わきゃのしんのす」と謂います)だとかを召し上がっておられました。ミッキマウスの腕時計を愛用していたりとか、けっこうおちゃめなおじいちゃんでしたが、そういった「おちゃめ」な部分も、鬱積したものを解消するためだったように思います。
そういえばお孫さん(弟さんのほう)も、「メコンの怪物」といわれるパンガシアノドン・ギガスという大ナマズの産卵を見にいって、「仕事をサボッて趣味に没頭している」みたいにマスコミに叩かれていました。大変だなぁ、と思います。
(Maria)
みどりさんwrote:
>Mariaさんwrote:
>> ですから、Hackishではない人の場合、しばしば「適当に話を合わせていただけなのに、そのうち辟易してくる」みたいなことになってしまいます。これに対してHacker 対 Hacker だと、「うーむ、深いな」とかいって、その「深さ」そのものに淫して(=ハマって)しまいます。
>> だから、「日常のありふれたこと」なのですが、掘ってみると「深い」場合がしばしばあって、
ウーーーーム。
>あ〜ごめんなさい、おっしゃりたいことがよくわからなくなりました。
>どの部分が Maria さんのいいたいことで、どの部分がそのための解説なのか、私がわかんなくなってしまいました。
>> この「研究者」さんは、現在は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」として、内閣総理大臣を任命したりとか、国会を召集したりとか、外交文書を認証したりとかいったお仕事をされてたりします。だけど同時に現役の学者さんでもあるのですね。
>しかし、この研究者さんは、立場上、研究発表ができる内容がひどく限られてしまっています。家業にかかわるような部分の研究はまずムリでしょう。そういう逆境のもとでなんとかやってくところ、すごいなって思います。
すごいです。なにがって?このやり取りが!です。(うーーむ、深いな・・・・わかんないと、いいつつ、判っているでないの?『わからない事が何なのか・・が』)
このお2人にとっては、日常から20cmほど、足を踏み入た程度で、会話してるんじゃないでしょうか。(深さの単位に何の根拠もないです)でも、一般的な会話(=適当に話をあわせるやり取り)内容からは、少なくとも1M(?)は、離れていますよ。
そして、pocksさんが、お書きになっていた、『どういう形で、理解してもらうための自己表現をするか』という内容を、読んだ時、タレイヌは、自分が、少しわかった気がしました。
ここは、確かに変わっていますね。でも、とても、ある部分、わかりやすい。不思議な場所です。
で、これらとは、直接関係はありませんが、「ここだからこそ!」ちょっと質問します。
実は、息子が、知りたがっている事ですが、どうしても、タレイヌの手には負えません。どなたでも、こちらの分野に関わっておられる方、手がかりだけでも、教えていただけると嬉しいのですが・・・・
『斜軸研削法による、マイクロ非球面の超精密加工』という、東北大だか、防衛大だかの先生がお書きになった、文献を、英文に翻訳するらしいのですが、既に、日本語の、段階で、困難しているようです。内容は、レンズを、いかに斑(むら)なく削るか?という事らしいのですが。このあたりの、簡単な解説書や、辞書等、ご存知でしたら、お教えください。大まかに、この辺を探してみたら良い、という、手がかりでも、結構です。
すみません、よろしくお願いいたします。
(タレイヌ)
ひま人 wrote:
>今回のテロ事件に関して、
>小生は詳細について知りませんが、テロの背景として指摘されている、貧困と貧富の格差とグローバル化がテロの温床になっているという指摘が当たっているとすれば・・・
>>グローバル化というのは不可逆的であり、遅らすことはできても止めたり戻したりすることはできないのではあるまいか。
>むしろこれからもグローバル化は進み、貧富の格差も大きくなるのではなかろうか。日本国内もいずれ貧富の格差は大きくなるのではないか。というよりもすでにそうなりつつあるのかもしれない。
>というわけで、テロはなくなりそうにない。
今日未明、とうとうアメリカ・イギリスのアフガニスタンへの攻撃が始まる。
世界にはいろいろな国がある。
食べ物が有り余っていてゴミ箱に捨てられた残飯を烏がさも美味しそうについばむ国がもあれば、著しい干ばつにみまわれ食べるものがなく大勢の人が飢え死にしている国がある。
鉄鉱石をせっせと掘って世界中へ供給している国があれば、採算が合わないということで国内の鉱山をほとんど閉めてしまった国がある。
平和な農村の風景を持った国があれば、戦のために耕す人がいなくなってしまって荒れた畑が広がっている国がある。
あくせく働く人と引きこもる人に二極分化した国もあれば、人と人とのふれあいと助け合いがが美しい国もある。
「ITじゃ!ITじゃ!」と使いにくい外国式のパソコンの使い方を国民全てに教えようとやっきになっている国があれば、パソコンのパの字も知らない子どもが家族のために一生懸命に働いて汗を流している国がある
「長寿」を喜ぶ影で生命をつなぐ食料に潜んでいた脅威におののく国があれば、一切れのパンを心の底から「美味しい!」という感じでほおばる子どもたちがあふれている国がある。
テロで多くの人が死んだ国があれば、平和ぼけして国会議員ですら国の将来をどうすべきかということを考えていない国もある。
今世界は最も流動的な局面を迎えた。ただただ、その流れを心配そうに見つめるだけである。
ミッドランド wrote:
> それとも、もともと「社交性」と「海外へ出ること」には相関性がないのでしょうか?
言葉が通じないところでは「社交性」を発揮できないのが嫌だからとか。
(可能性の一つ)
peko wrote:
>みどりさんのご指摘の通りですが、私の文章表現の仕方が悪かったようです、皆さんゴメンナサイ!何しろ初めてなもので未だにレスの仕方もいまいちですね。すみません。
pekoさんが謝らなきゃいけないようなことはまったくないと思います。
あとついでに、もしも私だったら、「ずっと就職したかったのになかなかうまくいかなくてへこんでたんだけど、今度やっと就職できたのよ。ほめてほめて!」と言ってほめてもらいます。
こうもりさん他からもコメントがあったように、「良いこと」と認識していない可能性もあるし、「良かったなあ」と思っていてもそれを相手に伝ええる必要があるとは思ってないのかもしれません。
もしくは、彼は「よかったねえ」と言ったつもりだけど、その言い方がpekoさんにはわかりづらい言い方で気づかなかったのかもしれません。
大きな気持ちで見守るのもいいですけど、だまって我慢しちゃうのではなく、pekoさん自身も快適になれるような彼とのいい付き合い方が見つかるようにいのっています。
Maria wrote:
> こういうのをソフトウェア開発の世界では「Hackishな性癖」と云うのですが、掘り下げが深いと、どんなことでも「特別」から「特殊」へと移行していってしまう部分があります。ですから、Hackishではない人の場合、しばしば「適当に話を合わせていただけなのに、そのうち辟易してくる」みたいなことになってしまいます。これに対してHacker 対 Hacker だと、「うーむ、深いな」とかいって、その「深さ」そのものに淫して(=ハマって)しまいます。
> だから、「日常のありふれたこと」なのですが、掘ってみると「深い」場合がしばしばあって、そうすると徹底的に掘り下げたくなる、ということなのですね。で、「深く掘りさげられた」という点で、すでに「日常のありふれたこと」から逸脱した、「特殊なこと」になってしまうわけです。最近のうちの研究所(←こう呼ばれている)の研究テーマは、「和音」と「包丁」です。
あ〜ごめんなさい、おっしゃりたいことがよくわからなくなりました。
どの部分が Maria さんのいいたいことで、どの部分がそのための解説なのか、私がわかんなくなってしまいました。
この投稿も、前の投稿も、単独ならわかるんですが、両方合わせると、どう読んだらいいのやら??
> この「研究者」さんは、現在は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」として、内閣総理大臣を任命したりとか、国会を召集したりとか、外交文書を認証したりとかいったお仕事をされてたりします。だけど同時に現役の学者さんでもあるのですね。
相当に優秀な人は別として、普通研究のネタを探すのは大変です。ある意味、いいネタを見つければ研究の半分は成功とも言えます。
しかし、この研究者さんは、立場上、研究発表ができる内容がひどく限られてしまっています。家業にかかわるような部分の研究はまずムリでしょう。そういう逆境のもとでなんとかやってくところ、すごいなって思います。
ミッドランド wrote:
> それとも、もともと「社交性」と「海外へ出ること」には相関性がないのでしょうか?
私は社交性にはかなり問題があり、ついでに方向音痴でもありますが、旅行と言えばむしろ海外です。
海外では社交性以前に言葉に不自由するため、余計な悪印象をもたれずにすむという利点(?)があります。
海外に行ってうれしいことは、普段疑問をいだいていた「常識」を、あっさりくつがえしてくれることです。
それまで常識だからと押しつけられていたけど、なんだやっぱり違う方法もあるんじゃない、と思えます。
また帰国後は、「普通〜でしょ」と言われたときに「〜〜の国では〜なのよ」とうそぶくこともできます。
逆に、あまり性にあわない現地の習慣があっても、短期間のことだと思えば結構平気ですし。
ミッドランドさんのお母さまについて言えば、世代の違いもあることだし、なにか海外と結びついた嫌な記憶があるのかもしれませんが、なにかの理由で一度行ってしまったら、あっさりハマってしまうなんて可能性もあるのでは、と思います。
マザー wrote:
>私の場合迷子になってしまうかも・・・最悪の場合行方不明になっちゃいそうです。
Jane Doe 行路死亡で Jane Doe
ミッドランドさん wrote:
> 皆さんは旅行へひとりで行くことが多いですか? ミッドランド
ホント、偶にはふらっとひとり旅に出かけたいですね。
車窓から眺める風景は、田園がいいな。
ゆっくりとした時間の中(何も考えていない状態)に浸っていたいです。
あと、知らない土地の風の匂いとか、肌で感じてみたいですね。
昔からひとり旅にはあこがれを持っているんだけれど、ひとりで旅行した
ことはないです。すごい方向音痴なんです。(笑)
私の場合迷子になってしまうかも・・・最悪の場合行方不明になっちゃいそうです。
うーむ。眠かったせいかボケボケなことを書いている。
>この部分はプロポーショナルフォントで見てください。
正しくは、
>この部分は等幅フォントで見てください。
です。で、ラとシの位置が入れ替わっていました。
---
◎○:完全協和音
△:不完全協和音
●:不協和音
■:長音階にない音/黒鍵に相当する
×:ほぼ5:7の位置にある、和音と謂っていいのかどうかわからない音
8:9 4:5 8:15
↓ ↓ ↓
長音階 ド ■ レ ■ ミ ファ■ ソ ■ ラ ■ シ ド
主音 上主音 上中音下属音 属音 下中音 導音 主音
◎ ● △ ○ × ○ △ ● ◎
↑ ↑ ↑ ↑ ↑
1:1 3:4 2:3 3:5 1:2
---
これが正しい図です。
そういえば、関東と関西では、菜切り包丁の形が違います。ところが、本職の料理人さんは、そのことを知りませんでした。なぜかというと、菜切り包丁というのは家庭用の包丁だからです。本職は、薄刃包丁とか野菜切り包丁とか剥き物包丁とかを使います。これを知って以来、グルメ漫画を読むときに、ついついチェックを入れてしまいます。
なお、関東と関西では刺身包丁の形も違います。関東は蛸引き、関西では柳刃です。
(Maria)
この間わしは母に「落ち着けるときが来たら、海外旅行にでも行ってみてはどうか。」と話しました。ところが、母はこう行ったのです。
「海外なんか行きたくない、旅行するなら国内の温泉に行った方がずっといい。」
そこでわしはもうひとつ、訊きました。
「一生のうちに海外へ行けなくても、後悔しないのか。」と。すると母いわく、
「全然後悔しない。行けなくたってなんとも思わん。」
意外な答えでした。母は社交性に富んだ人で、数多くの交友関係を持つ人です(何もしなくとも知らず知らずのうちに友人ができてしまう、わしから見ればうらやましい限りの人)。そんな人だから、きっと海外へ出て現地の人との交流をしたいと考えているだろうと思っていました。
どうやら「異国の地での楽しみ」よりも「見知らぬ土地での不安」が先行しているようなのです。言葉の問題、安全の問題、飛行機に長時間乗る苦痛、知らない街を歩く不安、などなど。どんなに親しい友人と一緒でも絶対海外には出かけないそうです。
わしはどうかというと、反対にいつかは海外に行きたいと考えています。これは前に投稿したように、基本的にひとり旅、しかし本当に信頼できる親しいパートナーがいるのなら一緒に行ってもいいという条件でですが。
どうもわかりません。わしが人間関係に悩んでいると、母は
「あんたは自分から世界を狭く狭くしようとしている、もっと心を開いて人に接するべきだ。」
と言います(「居る世界」が違うんだから、自分の尺度だけで見ないで欲しいんですが)。そんな母が海外旅行となると、それを拒んで「自分から世界を狭く」しています。
それとも、もともと「社交性」と「海外へ出ること」には相関性がないのでしょうか?
どうも家族とはすれ違いがちな ミッドランド
《アスペルガーの館》に戻る /
新しいアスペルガーの館の掲示板
EWBBS.CGI 改 (WZ BBS対応 Web掲示板 T.Ikeda改 +
s.murakami改)
© 1998 y.mikome, T.Ikeda, 1999 s.murakami