アスペルガーの館の掲示板(旧)
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ミッドランド wrote:
>アトラさん wrote:
>>http://www.anzu.or.jp/com/byoki/byoki08.htm
>
> ↑これ、見てみました。愛知県一宮市にある「杏嶺会」という医療法人のHPらしいです。
>
> 「自閉症」の項、はっきり言ってムチャクチャです。
> 「精神病の代表的なもの」?「青年期に発病することが多い」??「次第に非社交的になり、自分の世界に閉じこもる」???
>
> 早速、メールで訂正要望してきました。 ミッドランド
ありがとうございました
アトラさん wrote:
>http://www.anzu.or.jp/com/byoki/byoki08.htm
↑これ、見てみました。愛知県一宮市にある「杏嶺会」という医療法人のHPらしいです。
「自閉症」の項、はっきり言ってムチャクチャです。
「精神病の代表的なもの」?「青年期に発病することが多い」??「次第に非社交的になり、自分の世界に閉じこもる」???
早速、メールで訂正要望してきました。 ミッドランド
こうもり wrote:
>(1)大人になってから障害を認定された人は障害者の側に所属意識を持つ場合が多い
>(2)子供の頃から障害を認定されていた人は健常者の側に所属意識を持つ場合が多い
つまり、どちらも「場違い」な感じですごしてきた、ってことでしょうか??
個人的には、二つにわけること自体無理があると思うので、健常者か障害者かというよりは、個々の障害そのものを認めてもらうという方向の方がいいのではないかと。
もとの質問「医学的・教育学的に高機能の軽度発達障害者と認定されている人と健常者と認定されている人の違いはどこにあると思われますか? 」について言えば、「認定されたかどうかの違い」という (相手によっては怒りだしかねないような) 解答しかうかびません。
たぶんこうもりさんが本当に聞きたかったことは、この文面とはちょっと違うのでしょう。
アトラ wrote:
>http://www.tv-asahi.co.jp/bigwave/hanran/01.html
http://www.anzu.or.jp/com/byoki/byoki08.htm
こうもり wrote:
>(2)子供の頃から障害を認定されていた人は健常者の側に所属意識を持つ場
> 合が多い
>
僕は小学校2年から4年まで特集学級に通ってました。そのおかげでいじめられました。そんな自分が嫌でいつも「普通になりたい」と思い続けてました。でも、いくら普通になろうと努力しても普通にはなれなかったです。
ARA wrote:
>新しくはじまった金八先生の新シリーズ
>3年B組の中に 製作者サイドが「軽い自閉症」(?)として
>キャラ付けしたいのかな?風の生徒がでてきました。
>
確かに居たね〜。なんか「知恵の輪」(?)らしき物をいじってたな〜。
>前シリーズでは、中3の後半になっても超多動な子がいましたが
>(まるで、小学校低学年の多動児をモデルにしているみたいな)
>今回はどうなるんでしょうね・・・。
う〜ん・・・・どうなるんでしょうかね〜?
peko さんwrote:
> 誠に申し訳ございません。 すっかり思い込んでました。根拠もなく
いえいえ、全然、かまわんのでございます。黙っていても、よかったんですが・・・
それもナンなので・・・一応、子は3人産めましたから。
LDの子が、おりまして、8歳の頃から、カウンセラーに、つきました。当然、父母も関わるわけですが、『お宅は、父親と母親の役割が、逆転しているから…』と、謎のようなことを言われて、おりました。どうも、どこかが、一般的でない・・らしい。
でも、全然困っていません!私が私を生きるのには、何の不自由もないので。どうぞ、お気になさらずに。(そういえば、みちるさんも『父』と思っていたっけ。アドレスのせいだとタレイヌは思っていたけど、それは、間違いかなぁ・・??)
(タレイヌ)
新しくはじまった金八先生の新シリーズ
3年B組の中に 製作者サイドが「軽い自閉症」(?)として
キャラ付けしたいのかな?風の生徒がでてきました。
前シリーズでは、中3の後半になっても超多動な子がいましたが
(まるで、小学校低学年の多動児をモデルにしているみたいな)
今回はどうなるんでしょうね・・・。
こんにちはARA(LD)です。
社会的な「障害者」か「健常者」かという区分けでは
たしかにグレーゾーンに属しているかもしれませんが
個人的尺度だと「真っ黒」です。
これは、「私を障害者してあつかえ」ということではなく
「普通」への距離感だと思います。
「障害者⇔健常者」という尺度ではなく
「普通⇔特異」という尺度かな・・・
行政上「障害者」に区分される人でも、パラリンピックなんかで頑張っている人
なんかは特に、ご自身を「マトモ」だと認識されていると思うし
たとえば、乙武さんなんかを私は「身体に障害のある普通の人」という
かんじでみていると思います。
社会の中ではボーダー的立場にいるのかもしれないけど
軽度発達障害の人は「障害者⇔健常者」の尺度では、はかれない問題を
かかえていると思います。
白か黒かではない、「水色」とか「ピンク」みたいなもの
水色やピンクを白黒TVでみたら、多分「グレー」に見えると思うし・・・。
LDであることは、私にとっては「人種」みたいなものです。
もちろん「障害」として大変な部分もあるけど
こうもりさん wrote:
> ここでみなさんに質問です。医学的・教育学的に高機能の軽度発達障害者と
>認定されている人と健常者と認定されている人の違いはどこにあると思われま
>すか?
武田さんへ
こんばんは。ムーミンです。いろいろと貴重な意見を聞かせていただいてありがとうございました。武田さんはノースカロライナ州やTEACCHのことを書かれていましたので、私はとても分かりやすかったです。私は大学院で主に自閉症とTEACCHプログラムについて勉強をしております。この夏は国際治療教育研究所が企画をしているツアーで10日間だけノースカロライナに行ってきました。ノースカロライナでは実際にジョブコーチの支援をうけながら仕事をしている人達の様子も見てきました。ノースカロライナでは小学校に行くと同時に将来の就職へ向けた取り組みや勉強を行っているということを聞きました。早期療育や早期介入が重要であるということを言われていました。早期よりTEACCHプログラムによる一貫した指導を受け、就職の場面でもTEACCHの「スケジュールの構造化」による視覚支援を用いることによって働いている方も大勢いらっしゃいました。TEACCHを用いることによって自閉症の方々が働きやすい環境を作ることができるのではないかと私は思います。しかし私達がそのように思うだけであって、自閉症の方々はどのように思っているのかは分かりません。私は修士論文で「自閉症の方々が働きやすい環境とはどのような環境k」ということを考察した上で就労支援に持っていこうと思っています。そのためには、自閉症の方々がどのような考えを持っているのかを伺いたいと思っています。
あさかぜさんwrote:
> 先生がおっしゃるにはパキシルとルボックスはほんの少しだけ違うもので、効果はほとんど変わりがないはずとのことでしたが、わたしは自分の体験から人によって違うのではないかと感じています。
グラクソ社のパキシル(Paxil)は塩酸パロキセチン水和物、藤沢薬品(ソルベイ)のルボックス(Lubox)はマレイン酸フルボキサミンで別の薬です。ルボックスと同じくマレイン酸フルボキサミンを成分とする薬には、明治製菓のデプロメールがあります。
抗精神薬を服用した場合、しばしばシンドロームマリン(悪性症状)と呼ばれる無動緘黙(カタレプシー)、強度の筋強剛(カタトニア)、嚥下困難、頻脈、血圧の変動、発汗などが発現し、それに引続いて発熱が見られることがあります。この場合は身体を冷やし、水分を補給するなどして、すみやかに処方医に連絡してください。
また、長期投与により、遅発性ジスキネジーと呼ばれる口周部などの不随意運動が現れ、中止後も持続することがあります。
現在のところ日本で自閉症をはじめとする知的障害の人の就労というと、福祉作業所・単調な作業をする工場・会社の雑用係というのが、一般的になっています。これは、働いてお金がもらえる=幸せという図式に乗っ取ったものだと思います。
しかしながら、この考えは時として彼らを追いつめてしまうことになります。ある塗装工場の人は、自閉症の人たちの仕事ぶりについて次のようなことを言っています。「パニックのある重いのほうがよく働くんだよ、鍍金の液に製品をつけるときには、網をつけたりはずしたりしなきゃならんが、わしらでも5分・10分は速くできるが、30分は持たないよ・・・ところがやつらは1日やっても疲れ一つ見せないね・・同じ仕事をやっても俺らの倍もうけやがる。」私はこれは大きな間違えだと思います。本当は彼らも疲れているのだと思います。しかし言葉が不自由なため「疲れたよー」ということができないのでしょう。
またある訓練施設で私はもっと恐ろしい光景を見ました。10数人くらいの子がただ黙々と、周りの人からの暖かいコミュニケーションなしに、「作業を速く正確にやれ!」という冷たい視線の中で、作業課題にとり組んでいました。魂が抜けたような顔でねじの箱詰めをしている女の子の顔が未だに目に焼き付いています。
では自閉症の人が働きやすい・・・もっと言えば暮らしやすいところは、どう作ればよいのでしょう?私は、その成功の条件は次のようなものであろうと思います。
まず第一に、自閉症という障害がいかなるものであるかという幅広い理解を有する人の養成だと思います。N.カロライナ州大でのteacchプログラムの創始者であるエリック・ショプラーさんは、「自閉症者のケアをする人は、ジェネラリストでなければならない・・・」と述べています。また自らが彼らから学び取った生きた知識を、彼らの親御さん・彼らを取り巻く地域社会の人に還元するということも、障害を有する人に対する偏見とか無理解というものを払拭し、優しい心を人々にはぐくみ、彼らを支え働きやすく・暮らしやすい環境に導いていくことにつながっているのだと思います。
第二に、「どのような仕事・生活が向いているのか?」ということよりも、「いかに導けば、彼らは仕事・生活に適応していけるのか?」ということを真剣に考えて欲しいです。teacchの基本コンセプトには、「構造化」と呼ばれる仕事があります。これは自閉症の人たちが、仕事・日常生活・余暇をいかにすれば有意義に取り組んでいけるのかということを考えるアセスメントです。例えば軽度の人でも、部屋をほうきで掃除したり・草取りをしたり・食べこぼしで汚れた机をきれいに拭いたりという作業が苦手であることが多いです。そのために家族からいつもどやされて、自分は何もできないんだと思いこんだことがきっかけで、就労に踏み切るのに自信がもてないという人もいます。また、言葉が不自由だったりする重度の人はさらに深刻で、「あなたは、***なので・いつ・どこで・誰と一緒に・こんなふうなことをして欲しいの。」という具合に、ていねいに言い聞かせておかなければ、仕事に取り組もうとしない場合もあります。テーブルを拭くのが苦手な人には、「まず半分きっちり拭いたら、次の半分を拭くの。」と教えてあげれば良いですし、言葉の理解が難しい人には、絵カードを仲立ちにしてコミュニケーションをとるのがかなりの有効性を示しています。私もボランティア先にいた数の理解が困難な自閉症の人たちのために、板状のものを10個数えるための、三角柱型に牛乳パックを組み立てて頂点のところに10本の溝を切ってその下に数字を書いた道具を作ってやったことがあります。うるさい環境がダメな人には耳栓を・蛍光灯が苦手な人にはサングラスを・気が散りやすい人にはついたてをということは、気づけば直ぐにできる構造化であると思います。
第三に、ゆりかごから墓場まで一貫したケアの構築です。特にこれは教育・医療・余暇活動・居住といった分野において、大変重要なことだろうと思います。私がこれはすこいと思ったのは、N.カロライナ州では、自閉症の子どもの大人になってからの落ち着き先をあらかじめ確保しておく制度があるということでした。また日本ではことに軽度の子は、最近普通学級に入れることが多いのですが、これが仇となって、学年が変わった時に先生につらくあたられたり・いじめにあって孤立したことをきっかけに不登校になったり、そのトラウマが原因で大人になってからも何年もの間社会的引きこもりをつづけている子も多いのです。これにたいし、N.カロライナでは、teacchの専門家が学校で自閉症の子どもを指導する先生を選び・研修をして・個々の子どもたちの求めていることを伝え、その上で絶えず連絡を取り合って子どもたちの指導をしていて、教える内容も知識面だけに偏っているということはなく、コミュニケーションのスキルや社会的なルールもていねいに教え、中学生では花卉の栽培や木工製品の製作・ベルトコンベアー作業の実習もあるのです。さらには、職業指導も職場にジョブコーチという人が派遣されて、自閉症の人たちに実地訓練をしたり・事業所の人に対して彼とどのようにつきあうべきかということにたいして、指導を行ったりしてくれるというのです。そのせいかN.カロライナ州には、「職なし」の惨めな自閉症者は極めて少ないそうです。
さらに日本では、発達障害を一貫してみてくれる「児童青年精神科医」は、極めて少なくまだ120名ぐらいしかいません。これは私の持論ですが、各都道府県に発達障害児・者を専門的に・継続的に診てくれ・彼らが不安定な状態に陥った時には入院とかできるような病院が最低2,3カ所必要だと思います。自傷・他害をくりかえして家庭で手に負えなくなった青年が、精神病院に入院したものの服をトイレにに詰まらせてしまうという理由で鉄格子の中で裸にされ、親が面会の時に気づいて退院させたもの、発作を繰り返すようになって入退院を繰り返したあげく、極度に体調が悪くなって心不全で亡くなったという悲惨な例もあるようです。自閉症の本人・親御さんが泡をくわないような、信頼できる医療の充実も急がなくてはなりません。
タレイヌ wrote:
こんばんわ!pekoです、
>pekoさ〜ん!タレイヌは、母で〜〜す。(アドレスは、ダンナの名前でぃっす、あしからずぅ。)
誠に申し訳ございません。 すっかり思い込んでました。根拠もなく
『ダディ』だなんて、素敵な『マミー』だったんですね!本当にごめんなさい。
pocks wrote:
はじめまして!pekoです。
>補足しますと、「距離が遠い」という比喩的表現の意味がわからないか、意味がわかってもどうすればよいかわからない可能性があります。そばに来て欲しい、腕を組んで欲しい、毎日メールして欲しい、何々の話を聞いて欲しいなど、彼にしてほしいことをできるだけ具体的に述べて下さい。
>好きな人の要求ですから、可能な限りかなえようとてくれるでしょう。
確かにメールで送っても何の返事もありませんでした。
いつも、私の話しは理解出来ないようです。一生懸命聞いては、くれるのですが、
最後の言葉は『解らない』なんです。
そう言えば、以前『いざとなったら素直に言ってくれれば何を置いても助けます よ』って言った事があったんです。その時は解らなかったんですが、
「ハッキリ言ってくれれば」って事だったのでしょうね!
> 高機能者の場合、要望に添いたいという気持ちは持っていることが多いのですが、どうすべきか察することができる人は希です。あつかましく大胆に要求をぶつけるのが自閉者とうまくつきあうコツです。
ACである私にはかなり難しい事ですが、ACを克服する為にも試して見る
価値はかなりあると思います。私のたっか〜いハードルですね。
>この「好きだけじゃダメ」か、ですが、私も連れ合いに似たことを言っていてよく不満を漏らされていました。自閉者はただでさえ自分の感情をうまく表現できないことが多く、異性向けの豊富な愛情表現を身につけているということはまずありません。仮に知識として知っていてもうまく使うのはまず無理です。
納得できます。『あなたの解らない所であなたの事を思ってる・・・』とか
『心の中にあなたを受け入れる滑走路が・・・』とか語尾のハッキリしない
ような事を言ってました。
>「好き」というのはおそらく彼なりに精一杯の愛情表現ですから、素直に喜んであげて下さい。
解りました! 焦らずゆっくり、本当に少しづつ彼の事を理解していこうと思い ます。 ありがとうございました!
こうもり(包括性LD)です。これからは「こうもり」と「蝙蝠」という
2種類のハンドルネームのハンドルネームを使い分ける場合がありますので
ご了承ください。
で、ハンドルネームの使い分け方なんですが、当面は
(1)基本的に普段は「こうもり」というハンドルネームで投稿する
(2)激しい憤りを覚えた場合や、パニックが発生しかけている場合は「
蝙蝠」というハンドルネームで投稿する
という形をとります。「蝙蝠」というハンドルネームで投稿している時の
わたしの取り扱いにはお気をつけください。では
5月にASのことを知って目からウロコが落ちたみどりですが、今日になってやっと ADD/ADHD についても調べてみました。(トロい?)
診断基準を見て……うわ、なんでこの人(基準)、私の子供の頃のことを知ってるの?
ただ、程度で言えば、AS同様診断はつくかどうかあやしいくらいだろうな、どちらかというとASの方が強いだろうな、という印象を受けました。
関係ないんですが、最近髪を抜くようになってしまって困ってます。このままでは近いうちにハゲてしまう〜と思いつつも、やめられないんです。これってなんで抜かずにいられないんでしょうね?
(いま鏡で見てみたら、実際一部ハゲかけている……ああんやめなくちゃ)
名加野 さんwrote:
自分の感覚に正直でありたいです。嘘で固めたような人間には決してなるもんかー(涙出てきた……
そうだよね。それと、はずしたのはずさないのってのは、りんご1個しか見てないんだよね。照準から目、外さなきゃ全体がわからないのに。
この頃の政治も、随分アスペっぽいよ。ケンカイコロー(ワッ漢字出た、狷介固陋。)っての。今の首相、こだわり強くて日本人ばなれの個性むき出し。和の国より、一心不乱の直情径行型になりたがって。
アメリカの腰ぎんちゃくやめて、難民救済で仏の国に徹すればいいのに。キリスト教徒にもわかりやすいだろうに。単一の視点に同調してついてくのは大人のすることじゃない。幼児が偉そうに武器振りかざしてるのが今の世界。鎧なんか、健康に悪いってば。国連のアナンさんみたいに、温和な子羊がいいな。
ADD的情深さ傾向、流行らせなくては。(俺も実は、かなりアスペ。昔、山中の孤城に一人で住みたがってた。人里離れた洞窟とか。)
あさかぜさん wrote:
> ただし環境要因によって、本人の意識がどの程度になるかは個人差が大きい
>ため、発達障害を背負っていても比較的楽(?)な人生を送ることのできる人
>もいそうな気がします。この場合は、本人の意識において健常者の側になるか
>もしれないです。
そうですね。成人LDの会とボランティア先の軽度発達障害者を比較してい
つも思うのは、「本当に同じ障害を抱えている人なんだろうか?」と首をかし
げたくなるぐらい、雰囲気が違うんですよね。障害観なんかもかなり違ってい
て、前者は「障害者であることを認めてほしい」という傾向が強く、後者は自
身の障害を認めようとしない傾向が強かったりします。
わたし自身が見る限り
(1)大人になってから障害を認定された人は障害者の側に所属意識を持つ場
合が多い
(2)子供の頃から障害を認定されていた人は健常者の側に所属意識を持つ場
合が多い
という傾向があるように思えます。(2)については、就労する時期になかな
か自分の障害を認めたがらない発達障害児が多く、問題にもなっています。
また、以前にもコメントした通り、発達障害の場合、軽度の方が自覚症状が
はっきり出てしまうせいか、高機能型とされる障害者の方が自分の障害に対し
て関心を持つ場合が多いような気がしています。
確かに一概には言えませんよね。
> すみません、わたしの文章って分かりにくいでしょうか?(今回はハズし
>ていないといいんですけど……)
いえいえ、そんな事ありませんって。
あさかぜ wrote:
> みどりさんの書き込みをよく読み返してみたら、わたしってハズしている(汗) 意味をよく理解しないまま書いていたみたいです。ごめんなさい。
いや、大抵の人はなかなかすーっとは理解できないらしいのが普通なので、お気になさらず。(フェミニスト運動のようなものと間違えられることも多い。)
> で、またハズすと思うんですが、実家で飼っていた雌犬の避妊手術した時、獣医さんが「雄でも雌でもない、わけの分からない変な生き物になります」と言ったことが妙に頭に残っています。
雄でも雌でもないってところはある意味納得がゆくのですが、なんらかの理由で不妊な人 (閉経後とか、ストレスで性欲がなくなっちゃった人とか) は、その獣医さんにとっては「わけのわからない変な生物」なのかしら。
こうもりさん、こんにちは。
「共感性の困難について」から発展的に進んできた部分だと解釈しましたので、こちらにレスさせていただきます。
こうもりさん wrote:
> ここでみなさんに質問です。医学的・教育学的に高機能の軽度発達障害者と
>認定されている人と健常者と認定されている人の違いはどこにあると思われま
>すか?
現時点では、すべてを網羅した推論はわたしには無理ですので、対人関係に絞って述べさせていただきますね。(社会性もかぶるかもしれませんが)
>(私見)
> 軽度発達障害者とは多くの人が自然に身につけていける事が自然には身につ
>いていかない人の事である。このため、社会性,注意集中,運動能力,学力,
>言葉などは意識的に学習していく事によって、習得する事になる。(この意識
>的に習得された物をわたしは「技術」と呼んでいます。)ただし、意識的な学
>習を続けていくことにより、自然に身につけていった人にはない洞察力や視点
>を獲得していく事も可能である。
上記には同感いたします。
意識的な学習が少なくて済むのが健常者(健常者でも、自然に身に付くだけでなく意識して学習する場合もあると思うのです)
意識的な学習を、困難や疲れを感じるほど数多くこなさなくてはならないのが軽度発達障害者と言えるかもしれません。
ただし環境要因によって、本人の意識がどの程度になるかは個人差が大きいため、発達障害を背負っていても比較的楽(?)な人生を送ることのできる人もいそうな気がします。この場合は、本人の意識において健常者の側になるかもしれないです。
下記のこうもりさんの場合とは逆の立場ですね。数は少ないでしょうけれど、まったくいないとは言い切れないと思います。
> しかし、意識的な学習は表面的な結果だけを見れば、「やっと普通の人と同
>じように行動できるようになった」としか評価されない場合が多い。このため
>意識的な学習に成功している領域においては、「そもそも障害などなかったの
>ではないか?」という疑惑にさらされてしまうのである。
すみません、わたしの文章って分かりにくいでしょうか?(今回はハズしていないといいんですけど……)
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